2022/02/23

鳩と砂塵の舞う土地 ー 色とりどりの落書き

 

久々に授業の様子をモニタリングする。
12月の前半には授業が終わってしまっていたから、
2ヶ月以上、授業の場に居合わせることはできなかった。

午前中は会議やら研修やらで時間を取られてしまって
男子シフトのみ、モニタリングに入る。

春のように天気のいい日だったからか、
単純にまだ、2ヶ月の休みから抜け出せていないからか、
子どもたちはどことなくまだ、自由気ままな空気を身にまとい、
話を聞いたり聞かなかったり、
ちょっかいを出したり、戯れたりしていた。

ある教室で授業をモニタリングしていた。

こちらの教員の多くは、モニタリングをするときも
授業をしている先生の邪魔をしないようにする、という
気遣いの感覚がほとんどない。

なんだったら、やってきたモニタリングの人々が
授業を気分で横取りしたりする。
なんとも、アラブ人らしいといえばそうだけれど、
そのせいなのか、多くのモニタリングで
子どもたちの普段の様子を見ることは、難しい。

私はと言えば、日本の学校でそうしていたように、
できるだけ空気と同化しようと、静かにしている。
どうしても外国人の私が前にいると
生徒が集中して先生の話を聞けなくなる。
だから、いつも通り、教室の後ろの机に座って、
子どもたちの様子を観察していた。


男の子が一人、教室の後ろにある、使われない鍵のかかった扉の
すぐ近くに座っていた。
たまたま、だけれど、空いている机を狙って
教室の後ろの、その男の子の席のすぐ脇で、授業を見ていた。
けれども、どうにもその子の行動が気になってくる。

扉の鍵を設置していたところは、鍵の取り付け部分そのまま
丸く穴が開いている。
その穴の中に、小さな手紙を筒状にして入れ込んでいるのだ。


私が何かをじっと見ていると、授業をしているうちの先生たちは
私の視線の先を確認する癖がついている。
無言で、密告するシステムだ。
隠れてお菓子を食べたり、宿題をしようとしている子たちを
私が後ろから発見して、それを目配せで伝えている。


でも、つい、ことの次第がどうなるのか気になってくる。
今回ばかりは、できるだけ注目しないように視線を気をつけながら、
他の子どもたちや授業の様子を見つつ、
時々、その男の子の行動を観察していた。

ノートやら、教科書の裏表紙やらを、小さな長方形に切っている。
そして何度も、緑色のボールペンで何かを書いては、
丸めたり、破ったりしていた。




覗き込んで読んでみると、短い文字の初めは、
LOVE、だった。

恋文ならば、人の恋路を邪魔してはならない。

けれども、なかなか色々と破綻した文章のようで、
もはや、英単語なのか何なのかも、分からない。
これでは、恋文であろうと相手には伝わらないし、
第一、誰に向けて書いているのかも分からないし、
鍵の丸い穴に差し込んだとして、誰の手に渡るのかも、
運次第、ということになる。

もしかしたら、午前中の女子シフトの同じ席に
その文章を待っている子がいるのかな、などと
ロマンス満載なことも思ったりしたけれど、
目的の相手に渡る前に、確実に男の子たちが見つけてしまうだろう。


結局、3枚ぐらい紙を無駄にして、どれも必ず
LOVEから始まる何かを書いては、破っていた。



子どもたちが積極的に参加して、自由に発言することの多い授業なので、
俯いている子は、目立つ。
あの子のように、手紙を書いている例は稀で、
多くの子たちは、机の上に落書きをしている。

なんと、色とりどりの落書きなのか。
久々に教室に入って、久々に机と壁を見て、
何だか美しくさえ、見えてくる。




今までも、教室の落書きが面白くて、
随分たくさん写真を撮ってきたけれど、
今や、春とともに教室の中にも、
文字通り、花が咲いているようだ。


自分の名前、好きなアイドルの名前、女の子の顔、
丁寧に、アイアイ傘のようなものもあるし、
意地悪そうな先生の顔も漏れなく、描かれている。
LOVEという文字も多くて、アラビア語の愛という単語も多い。
何だか、そこらじゅうに愛に溢れている。

アラビア語の愛という単語は、
日本語の愛、よりもよほど、広い意味を持っていて、
文章や詩では、比較的よく目にする。

男女の仲には厳格な文化だから、
文脈によってはまったく、奨励できないけれど
個人的には、興味深い。

どれだけ広義な意味を持っていたとしても、
こんなに愛という単語を使えるなんて、
たとえ、それが愛に飢えていることを意味していてもなお、
正直に書けるなんて、素敵なことだ。

もっとも、こんな机で勉強など気が散ってできない。
私でさえ、モニタリングなどそっちのけで、何が書いてあるのか
真剣に読もうとして、授業の後で先生に釘を刺されたりする。

一度落書きが始まれば、その机の行く末は皆同じ、
あっという間に、花畑になってしまう。

私だったらきっと、机を伝言板にして、
知らない誰かに対して、メッセージでも書くだろう。
クイズだったり、なぞなぞだったり、哲学的問いであったり。
返事が返ってきたら、嬉しいだろう。

そんなことをぼうっと考えていたら、いつの間にか
授業は終わっていた。

授業をしていた先生と職員室に戻る道すがら、
先生は、非難の視線を私に向けてくる。
落ち着かない子どもたちばかりの授業だったのに、
さっぱり私が、子どもたちを静かにするのを手伝わなかったからだ。

今日はいい天気だね、などとしらばっくれて
伸びをしながら言ってみる。

春になると子どもたちは一斉に、落ち着かなくなる。
でも、ヨルダンの春は短い。
すぐに暑い季節がやってくる。

春なら春らしく、人に迷惑をかけない程度に
ソワソワしても仕方があるまい、と思う私は
すっかり、子どもたちと一緒の趣向になりつつ、ある。








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