午前中に出席した会議は、なんとも言えず後味が悪かった。
会議の相手の無駄のない、でも、とても日本的に手の内の見えない
そこはかとなく不安にさせる話し合い。
要領を得ない、やたらと情報だけが多い私の話を
先方は呆れて聞いていたことだろう。
稚拙で駆け引きなどできない、自分の馬鹿さ加減が際立つ。
そういえば、日本はそういう国だった。
なんでも開けっ広げで考えていることが手にとるように分かる
こちらの人たちとは、正反対だったのを
忘れていた自分の愚かさに、うんざりした。
すっかり何を考えているのかすぐ顔に出てしまう
分かりやすい人間になってしまったから、
きっと体のいい鴨みたいなものだな、と自覚する。
大手の開発系会社の中には、NGOを下に見ている節があると、
昔耳にした話を、思い出す。
私みたいなのがいるから、こういうことになるのだ、と
現場で頑張っている他のNGOさんたちに対して、申し訳ない気持ちになる。
現場の先生方が混乱して迷惑がかかったら完全に私の調整ミスだ、とか
でも、最終的には同じような目的で活動しているはずなのに、とか
後悔したり、どこか納得できなかったりして、
会議の後、ずっと仕事が手につかなかった。
ぼんやりと窓を眺めていて、ふと気がついたら、
スタッフが私の仕事場の扉の先で、にやっとこちらを覗いている。
昨日からずっとお願いされていたことをすっかり忘れていた私への
警告の覗き見だ。
アクティビティのコンテストで素敵な作品を作った子どもたちへの
ささやかなプレゼントを準備する、と言ったまま、
すっかり他のことにかまけて、忘れていた。
気分を変えた方がいい。
買い出しに行こうと思ったものの、
気の利いた、でも安価なプレゼントなど思いつかないから
行き先も決まらない。
スタッフの仕事を邪魔しながら、何がいいのかぶつぶつと尋ねていたら、
お店を教えてくれる、という。
仕事終わりについてきてもらえないか頼んだら、
快く、付き合ってくれた。
帰りの車に同乗して、ダウンタウンへ行く。
呆れるぐらい街の中央地にある三叉路に、堂々と車を駐車する。
いつも繊細で、こちらの機微をよく察してくれるスタッフだけれど、
駐車となると、こちらの人たちと同じ感じになるのか、
もはやあっぱれ、と感心しながら、車を降りる。
目的地は、私のよく知っている本屋さん通りの向かいにある
これもまた、本屋さんだった。
本なんて、確かにとても素敵なプレゼントだ。
ヨルダンの本屋さんは、大体2階にあって、
場所を知っていないと、奥行き深い、素敵な本ばかりの空間へは
辿り着けない。
久々の本屋さんは古い建物の2階で、フロア全てが、
本と文房具で埋め尽くされていた。
子ども用の絵本には、色々なランクがある。
安価で紙も薄く、絵の印刷もズレているような質のものは
38冊セットで、日本円にして約1500円ぐらい。
エジプトから来ているから、アラビア語も少しだけ、
エジプト訛りだったりする。
もう少しいいものだと、湾岸かヨルダン製が多くなる。
その中にもランクがあって、紙の厚みや光沢で、
少しずつ値段も変わってくる。
高いものは、1200円ぐらいのものもあるけれど、
平均の相場は、200円から600円ぐらいだ。
でも、今回の予算はほんの200円にも満たない。
それに、普通の文房具屋さんでは見たこともないような
可愛らしい付箋や栞、日記帳やノートとペンのセットなどもあって、
すっかり、目が泳いでしまう。
スタッフたちが、片っ端から値段を店員さんに尋ねている間、
ふと、大事なことを思い出した。
ムーミンのアラビア語訳の本を、探している。
それは何とも素敵な装丁で、
一度だけ、本の見本市で見たその本を
その場で2冊だけ買った。
1冊は日本の友人に、そしてもう一冊は、
シリアに戻るキャンプの先生に、持っていってもらった。
ムーミン谷のシリーズには、あらゆる人間の
癖と皮肉と辛辣さと、
夢と冒険と友情とユーモアが詰まっているからだ。
さっぱりアラビア語を勉強してこなかったので、
今更買ったところで、読めるわけではないのだけれど、
本好きとしては、なんとしても手に入れたい。
一通り買い物が終わると、
本の写真を店員さんに見せる。
店員さんは写真を目にすると、一言、
これは高い本だぞ、と言う。
確かに1600円ぐらいしたけれど、
そこまで高い本でもないだろう、と思いつつ
この店にありませんか?と尋ねると、
うちでは作ってない、と言う。
この店は出版社なのだろうかと勘ぐりながらも、
それ以上質問して目的を終えて帰りたがっているスタッフを留めておくわけにもいかず、
買い物袋を抱えて、店を出た。
作ってないとはどういう意味なのかと尋ねると
あそこの本はすべて、オリジナルを印刷した違法な本だ、と
驚きの返事がやってきた。
DVDやCDの海賊版が売られていることは知っていたけれど、
本にも海賊版があるなんて、知らなかった。
コピーでは収入にもならないし、作家は大変だろう。
著作権もへったくれもない国は、ヨルダンに関わらず
まだ、きっと多くあるだろう。
ただ文字を読んでいくだけの作業を読書というならば、
ページが抜けずにすべて印刷されているだけで、確かに
十分なのかもしれない。
でも、本は紙も文字のサイズも書体も表紙の質感も
すべて含めて、本だ。
たとえ見劣りしないほど、よく作られたコピーであっても、
海賊版としてこの世に生まれた本も、どこか可哀想な気がしてくる。
読みたい本があったら、あっちの店に行った方が安く手に入るから、
向かいのちゃんとした本屋には行かないの、と
スタッフはあっけらかんとした口調で、説明してくれた。
今や、本などKindleで読むのが賢い時代なのだから、
文字のサイズやらフォントやら紙の種類やらに拘っている私の発想は
愚鈍で旧式なのかもしれない。
ムーミン谷の一家、の話の中には、
魔法の帽子が出てくる。
帽子をくずかごだと思って、ティッシュを入れたら、
雲に変身してしまったりする。
帽子に蓋をしようとして辞書を乗せたら、
文字が虫になって、這い出てくるシーンがある。
ある日、その少し不幸な身の上を呪って、
あの本たちが逆襲をする時がやってきたら、
ダウンタウンに入る坂の上流にある本屋通りから、
ダウンタウンの中心地に向けて、本の虫に覆われるだろう。
そんなどうでもいいことを想像して、少しニヤつく。
そして、ちょっと気持ちが晴れる。
海賊版でも正規品でも、本は本。
やはり、本屋は気分を変えてくれる素敵な場所だ、という
安直でバカ丸出しの、結論に落ち着く。
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