仕事で色々な場所を短時間で回らなくてはならない日だった。
省庁へ行ったり、仕事でお世話になっている事務所などを
約束した時間に合わせてめぐる。
省庁の後1ヵ所目の事務所で、思ったよりも時間がかかってしまった。
本当ならば、もっと早く済ませられるはずだったから、
どこかへ寄ってメールでも書く予定だったのだけど、
結局、次の事務所へ直接、梯子しなくてはならなくなった。
こういう時に限って、次の用件には早すぎて、
でも、どこかで落ち着く時間もない。
日本だったら、チェーン店のカフェとかがあって、
少しコーヒーでも飲んでメール、というのも
選択肢にあるのだろうけれど、
残念ながら、そんな気の利いたお店は
周囲に私の記憶する限り、存在しなかった。
仕方がないので、一緒に回ってくれていたスタッフに
先に帰ってもらって、最後の用件は一人で歩いて行くことにする。
時間を調整するにはちょうどいい距離だった。
車で移動するから、どの道も最近では、素通りだったけれど、
梯子する地域は、随分と懐かしい場所だった。
ヨルダンに初めてきた頃、少しだけ住んでいた地域だ。
元々すでに栄えていた商業地域だから、
新しい建物が立つでもなく、道も景観も
ほとんど変化がない。
それでも、たくさんのお店が新しくできては消えていく。
アンマンのお店は、栄枯盛衰が激しい。
よほど古いか、人気がない限り、
知らないうちに消えていたりする。
だから、よく遅い昼食を食べていたシュワルマ屋さんが
空き店舗になっていたり、ケーキ屋さんが新しいカフェに変わっていたり、
景観自体は変わりがなくても、その詳細な一つ一つは
刻々と変化していた。
長い上り坂をてくてく歩きながら、少しずつ
小さなことごとを、思い出していく。
初めてヨルダンに来たまさにその日、
巨大なミックスジュースを飲みながらアルギーレを吸ったカフェは
なんだか派手な喫茶店に変わっていた。
よく知り合いがお酒を買いに通っていた店は
綺麗なスーパーになっていた。
以前はそこでしかまともなペンや画材が買えなかった老舗の文房具屋さんは
まだ健在だったけれど、ダウンタウンにある同じ系列の店舗は
コロナの間にいつ間にか、閉まっていた。
四角い建物ばかりだから、よく、壁の側面に広告を飾る。
当然だけれど、10年以上前に見上げた広告はすっかりどこかへ行ってしまって、
茶色い壁が、のっぺりと目の前に立ちはだかっていた。
昼食を逃していたけれど、落ち着いて食べている暇はなかったので、
徒歩圏内にある評判のパン屋さんから
クロワッサンだけを買って、食べながら歩く。
ヨルダンでは歩きながら食べるなど、行儀の悪いことを
ほとんど誰も、しない。
食べるときにはたっぷり時間を取って、
人と時間を分かち合うのが通例だからだ。
でも、人目も憚らず、冷たい風に吹かれながら食べれば、
クロワッサンの細かなカスも、風に飛んでいってくれる。
工事をしていたと思ったら、数年前のある日
大きなドワール(円状の交差点)に信号ができていた。
確かに、横着さえしなければ、安全に横切りことはできるようになったけれど、
反対側へ行くのに、ドワールの中心を横切ることはできなくなってしまった。
10年前は信号などなくて、おっかなびっくり、横切ったものだ。
信号待ちをしている間、行き交う車の量に呆れ、
そういえば今日から新学期が始まったことに気づく。
だから、オレンジ色のスクールバスが目につく。
渡り切ってほっとして、ふと歩道に目をやると、
いつもピンクの薔薇を咲かせる枝に、
赤くつぶらな実がついていた。
そのドワールはよく歩いたから、どんな花が咲いていたのか
なんだか、そんなどうでもいいことだけ、よく覚えている。
仕事場へ戻らなくてはならない。
でも、ふらっと歩いてみたい衝動に駆られる。
携帯のメールとメッセージをチェックし、
やはり、やらなくてはならないことが多すぎることを確認して
ため息が漏れる。
車通りの激しい幹線道路を目の前に、Uberを待っていた。
そんな便利な乗り物など以前はなかったから、
タクシーで嫌な思いをするのが面倒で、とにかく
バスを何回も乗り継いで、家に戻っていたのを思い出す。
目の前をアーディーバス(白くて小型のバス)が猛スピードで走り去っていく。
このバスに乗れば、あそこへ着いて、
あそこからドワールを横切れば、次のバスに乗れて
そのバスの終点から、長い坂を昇れば
以前2年間住んでいた家に、戻ることができる。
頭の中で、行き道から見える景色を思い描いていたら、
ほどなく、頼んだ車はやってきた。
物静かで、安全な運転。
運転手と喧嘩をする必要もなく、
目的地のアラビア語が通じているか不安に駆られることもなく、
仕事場に戻ることができるなんて、
本当に随分と、便利になった、と思う。
でも、さっぱり出発する気配もないバスの座席に座ったまま
隣のおばさんから何故かビゼル(味のついた種)をもらって
よく意図のわからない、もしくは意図なんて何もない、
ただ興味本位の質問を受けたり、
他の客と一緒に、満員になるまで待とうとする運転手に
バスを出発させるように文句を言ったり、
バスの集金ボーイとお釣りを巡って喧嘩したりしていたのが、
なんだかとても、懐かしく思えてくる。
無性にバスに乗りたくなる。
不便で乗り継ぎの悪いバスで、何十分も待たされるあの、
さっぱり効率的でも便利でもない時間が
本当は結構好きだったのだ、と気がついた頃には、
優しく速度を緩めた車が、静かに仕事場の前に到着した。
ものの、10分もかからなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿