2016/06/09

日のあたる部屋

 


 先月末から今月頭、
 祭日の少ないヨルダンで珍しく
 独立記念日やらアラブ革命100周年やらで
 随分とにぎわっていた。
 

 アンマンに住み始めて、そろそろ6年目になる。

 アラブ革命100周年記念の花火がアンマン中で打ち上げられていた。
 今まで一番立派な花火を
 新しいフラットで鑑賞した。


 アンマンでの最初の住居は
 スウェーレヘというアンマンの北西の地域だった。
 夏でも涼しく、冬はそこだけたっぷり雪が降るような
 標高の高いところだった。

 縦長のフラットは北と南に面していて
 季節で使う部屋を変えていた。
 そうしないと、暑くて寒いからだ。
 世帯用のアパートメントがほとんどのこの国では
 フラットの部屋数だけは、多い。

 仕事が変わってからは
 アンマンの中腹の高級住宅街を2転して
 ジャバルアンマンにやってきた。

 ジャバルアンマンで初めて住んだフラットは
 全面ガラス張りで、眺めはとてもいいけれど
 建物の上の階のカフェがうるさかった。
 そこで、近所の静かな建物に移った。

 いいフラットだった。
 ただ、これもまた縦長の作りのすべてが北を向いていて
 お陽さまを拝むことができなかった。


 
 同じ敷地の違う建物の屋上に、小さな小屋が建った。
 元々は、ガードが二人、別々に住んでいたブロック作りの小部屋が
 それぞれ拡張されて2階建てになって、
 変な具合に、屋上に二つ、小屋が建った。

 屋上に住むのが夢だった。
 上から、街を見下ろす。
 
 どこか、世の中から置いてかれたような
 人の姿や暮らしを、
 世の中を俯瞰するような、屋上という場所。

 でも、その小屋は確かに、
 北側には街を眺める景色が広がっているけれど
 南側は、アンマンでも随一の目抜き通りと同じ高さだった。

 丘ばかりでできたアンマンの罠だ。

 俯瞰するつもり、空を仰ぐつもりだったのに、
 その姿を人に見られかねないということになる。
 何とも、滑稽ですらある。

 そんなことは分かっているのに
 結局、我慢できずに、引っ越す。


 周囲には引っ越しを反対する人たちも居た。
 暑くて、寒いに決まっている、
 屋上までエレベーターもないのに、大変に違いない、と。

 でも、人の忠告に耳を貸すような人間ならば
 たぶん、そもそも今、アンマンに居ないだろう。


 既に、夏を迎えたアンマンの屋上の家は、暑い。
 でも、日が差し込む部屋は、明るい。
 
 冬の寒さをどうするかは、
 また冬なったら、考えることにしよう。 

 

 

 

2016/05/13

彼らの暮らしと話の、断片 5月2週目



建物の中と外では随分と温度が違うので
毎朝ベランダでアンマン城の、
すっかり枯れてしまった浅葱色の丘を見ながら
暑さと湿度を確認する。

アンマンに戻ってきてからしばらく、結構タフな仕事が続いていた。

家に戻って、疲れに呆然としながら
ふと、Morrisseyの歌声を耳にして
そのたまらなく繊細でどこか甘い声が
パンクな伴奏の上に乗る、その
気持ちのいいアンバランスに、
再度、魅了されたりしていた。

そういうごく微妙なバランスを感知する機微みたいなものに
疎くなっていることも、同時に確認する。

家庭訪問には、きっとそういう
昆虫の触角のような、機微を感じる何かが、
できる限りあった方が、いい。

この週は、アンマン市街の中心の
ジャバルフセインという地域への訪問だった。

住宅地に当たるこの土地のいたる所で
今が季節の枇杷の木が目についた。
枇杷はアスカディニアという。
一番甘いもの、という感じの意味だろうか、
アラビア語の果物の中で
個人的に一番響きの好きな、名前だ。



1件目

いつもの通り、大通りから中に入ると
電話を片手に家の場所を確認する作業が出てくる。
建物には番号が着いているけれど
その番号がどこからどう始まっているのか
はっきりとした規則性が、あったりなかったりする。
1番だって云ってる、そうスタッフは云いながら
あたりをきょろきょろ見回す。

ある建物の入り口に、邪視を払う目と
浅いレリーフの施されたマークのようなものを見つけて
一人見入っていたけれど、ふと目をずらすと
1番と、青い番号がついていた。
ほら、1番だよ、というけれど
もう家の人が入り口に居るって云っているのにいないから違うよ、
などという。
そんな会話をしていると、その建物の脇のガレージから
女性がこちらを見ているの、気付く。

彼らの家は、入り口が、違う。

玄関のドアのガラスが割れていて
入り口の脇に置かれた、2層式の洗濯機が丸見えだった。

2度目の訪問であることを確認し、
話を始める。
家の中は、きれいに整頓と掃除がされていて、
何かの賞状、誰か男性の写真が
日本の家のように、引き戸のサッシュの上に立てかけてあった。

向かい合わせに座るお母さんは
赤と黒の井の字の柄の、アバーエとヒジャーブを被っていた。
青い目と透き通るような白い肌と
そのきついコントラストの服が
なんだか妙に気になる。

お母さんはてきぱきと質問に答える。
そして、子どもの様子や変化を
一つ一つ、大切そうに話していった。

それまであまり社交的にはなれなかった娘が
学校でクラスメートと話せるようになって、
嫌なことは嫌って云えるようになったんです。

子どもの世界だって大人と同様か、それ以上に
煩雑で面倒も多い。
ましてや難民ならば、本来なくてもいいような物事が
勝手にのしかかってくることがある。
自分で自分が守れるようになることを意味する子どもの成長に
お母さんは安堵し始めているようだった。

今、アメリカへの移住を申請中だという。
1年半も前から手続きをしていて、
2回面接もしたけれど
その後の進展が、今のところない。

私は英語がさっぱり分からないから
娘にがんばってもらわないと、と
心なしか心配している、というよりも
嬉しそうに、お母さんは話していた。


2件目

ドアの内側にかけられたカーテンの
ベージュに統一された大柄の菊の模様が
ふわふわと風に揺れる。

2011年に来てすぐに、この家に住み始めた。
家はパレスティナ人キャンプの中にあって
親類が居るから、ここにすみ続けていると云う。

初めての訪問だったので
HCRの登録証を見ながらお母さんは話を進める。

お父さんは銃弾が肩に刺さって
右腕がしびれているという。
それでも仕事に行っているという
お父さんの姿は見えなかった。

一番上の娘はお嫁に往って
14歳の娘がまだ、学校に通っているはずだった。
けれども、学校でもうまく学業についていけず、
あまり好きではなかったから、もう
学校には行っていないのよ、と
早口のお母さんは何気なく、云う。

それでも学校に登録して往かないと、
スタッフが前のめりで話をするのだけれど
そうだけど、勉強も難しいし、友だちとの関係もアンマリだったみたいだし、
と自分のことのように、お母さんは云い訳をしていた。

話を変えたかったのか、一番下の子の話を始める。
下の子はまだ5歳だけれど
コーラン教室に通っていて
文字はきちんと読めないけれど
何となく言葉は追えるのよ、と
また、自分のことのように、誇らしげに云う。

この家のどこかに娘は居るのだろうけれど
その気配はさっぱり、感じられなかった。

パレスティナキャンプにはよく、
色あせてしまったからなのか、元々そうなのか分からないけれど
ピンク、水色、黄色、すべてが淡い色の
三角の連なった旗が道の頭上に飾られている。

この建物に続く道にもふわふわと何本も
吊るしてあった。
そして、家の入り口にも
続きのように4、5枚だけ
吊るしてあった。


3件目

路地に見覚えがある、そう思いながら
車の入っていく道を眺めていたら
たわわ、とはこのことを云うと体現したような
実に枝をしならせた枇杷の木があった。

前回来た時には
まだ暖かい時期で、お母さんが柔らかそうな肌が少し見えていて
小さな子どもがお母さんに甘えていた。

この日、子どもはみんな居なくて
お母さんの顔にはたくさんできものができていた。
ふわり柔らかい姿の印象は、なくなっていた。

でも、お母さんの早くてしゅっしゅとした話し方は健在で
ただ、その口から出てくる話は
子どもが事業に参加できなくなった、という事実だった。

子どもはとにかく、もう来てはだめだと云われた、としか
お母さんに云っていないようだった。

ここの子どもが通う学校では
何人かの男の子たちがどうにも
授業を妨害して、何度注意をしたり、違う方法で授業に参加させたり
様々手を尽くしたけれども、改善できなかったという
事例があったことを記憶していた。
ただ、多くの子は近隣の学校に移動してもらい
もう一度新しい環境でやってみるチャンスがあったはずだった。

案の条、学校を移ったけれど、、、、と話が再開する。
やはりうまく馴染めなくて、やめてしまったようだった。


お母さんは、息子を一生懸命擁護して、
授業についていかなくてはならないし、
ただだめだ、というだけでは納得できない、と
繰り返していた。

スタッフも困り顔で私を見る。

いずれにしろ、お母さんに説明がないのはよくない。
学校にことの経緯を確認をして連絡することを約束した。

そう云えば、都合の悪いことを
親に報告しなかったのは、小さな頃の自分も同じだ。

その息子に、何だかとても会いたくなった。
今度、しっかり家で話す機会があったら、いい。


4件目

きれいに整った家のリビングで
いくらかふっくらはしているけれど、
きりっとした端正な顔立ちのお父さんが
子どもたちの様子を話してくれていた。

午後シフトに通う前の身支度を整えた娘たちが二人、
奥から出てくる。
事業に参加する下の娘が、こちらの顔を指さして少し頭をかしげる。
考える仕草だ。
それから私の名前を云い当てて、嬉しそうに笑った。

子どもたちが居れば、子どもたちにも聞きたいことがある。
こちらの正面に座ってくれた子どもたちに
学校のことなどを聞いている。
賢そうな姉妹は、でも
二人とも青い制服の裾をいじりながら
思案し、答え、また思い出そうとして
二人で見つめ合い、
こちらに向かって話し始める。
その様子を、お父さんは満足げに見つめていた。

一番好きな教科は数学だ、という下の娘は
見るからに賢そうで
万国共通、賢さは顔に出るのかと
算数でさえ、からきしセンスのなかった身としては
姉妹の、黒くてきらきらした目を
ただ交互に見つめながら
話に耳を傾けつつ、ただただ
心密かに、その二人のたたずまいに、感嘆していた。


5件目

家が見つからずにうろうろしていると
俊敏な足取りで男の子が近づいてくる。
スタッフが名前を確認すると
ただ、うんとうなずくだけうなずくと
早足で坂を降りていった。

スタッフがのんびり歩いているので
迷わないように、男の子の後にぴったりつける。
時々、穴から出て様子を見るウサギのように
すっと首を伸ばして、遅れているスタッフの位置を確認し、
また角を曲がり、階段を降り
迷路のような道を進んでいく。

奥まった、亀裂が目立つ建物の最上階の部屋だった。

おなかの大きなお母さんが
妊婦特有の、少し背を反ったような姿勢で出迎えてくれる。

迎えにきてくれた息子が5年生、
その下に4年生の娘も居た。

息子は随分とはっきりとした整った顔立ちで
娘の甘くかわいらしい顔と対照的だった。
娘と息子はお母さんの両脇に座る。
南に向いた明るい窓からの光が
染みの多い、部屋の白い壁を、どことなく清潔に見せている。

お母さんはもっぱら、息子の悪行について
止めどなく話し続ける。
元来、訪問の理由も、事業に来られなくなってしまったその後が
どうなっているのか気になっていたからだった。

もう、本当に問題だらけ、問題児よ、本当に。
問題児、という単語を連呼しながら
過去にあった問題を、暗記するようにつらつらと話していく。

コーラン学校でしょ、補習授業でしょ、モスクの教室でしょ、
児童館でしょ、全部全部、最後まで往けたためしがない。

自分のことを云われているのに、
他人の話でも聞くように、
ひょうひょうとした表情で
お母さんのヒジャーブの裾をいじっている息子に
ねえ、あなたはどうしたいんだろうね、と話しかけると
急に目が泳いで、その後にうつむき
うーん、と声に出して、考えるふりをする。

お母さんは大仰に両手を天にかざして
この子も私も、わかんないわ、と
おかしそうに云う。

結局のところ、そんな息子でもかわいくて仕方がない、
と云った様子のお母さんの脇で
尋問が終わったことを知り、
またどこ吹く風、という表情に戻る。

このお母さんは、近所の息子の友だちの名前をよく覚えていた。
ムハンマドでしょ、ファイズでしょ、アリーでしょ、、、、
と息子の友だちの名前を云い、
その子たちも、ダメなリストに入っているんです、と
面白そうに云うのだった。

学校にも、何度も往かなくてはいけなくて
往ったら往ったで、姉と間違えられるんです。

確かに化粧気がないのにきれいなお母さんは
まだ29歳だった。

でも、両脇とおなかに子どもを携え
すっかり満ち足りた、何かの中に座っていた。

家を後にして、もと来た道を戻りながら
スタッフと話していた。
あの子はきっと、本当は賢い子だと思う。
少なくとも、あの家族がみんな一緒ならば
あの子は、大丈夫だ、と。



7件目


お父さんが建物の入り口まで迎えにきてくれる。
終始、お父さんが相手をしてくれた。


ここの滞在は、わずか5分ほどだった。
事業に参加するのを止めたのは
息子の成績がそれほど悪くなかったからだった。
でも、今学期の成績はあんまりよくないから
また通わせなくては、というと、
それきり会話が止まった。

家にいるけれど、ワイシャツにジーンズと
しっかりとした身支度をしたお父さんの目には
何か鋭いものがあった。


ほんとうにまれにある、形にならない不安を感じる家庭だった。

用事の電話をし終えると、
こちらに向き直って会話を始めるお父さんには、
何かが、あった。
見事なほどの透明の膜があって
その中で生きている人だ。

自分が電話を受けるために立ち上がると
奥の廊下でお母さんが、すっと部屋に入っていった。

何かに怯えている。

何かがある、としか云いようがないけれど、
何か良からぬことを予感させる家だった。

建物を出た後、感じたものを口にするのがはばかられる。

でも、事業に参加していない限り
何をどうすることもできないし、
もしかしたら、何もないかもしれない。

私の思い過ごしであることを、願うしかない。












2016/04/28

反芻動物としての資質




日本に帰るタイミングはいつも、仕事の関係で少しずつずれていくので
去年とも、一昨年とも、違っている。

今回の季節も、ここ数年間には享受していなかった季節だった。

こんなにたくさんの種類の、色とりどりの緑があって
例えば、蛍光色というのは、自然の中にあることを
きとともに知ったのはいつだったかしら、と
柿の新芽を見ながら、思い出そうとしていた。


最後に、この緑を見てから、5年が経っていた。

その頃、何を思って何をしていたのかを、
ふいに、たくさんの緑から、思い出したりしていた。


地震があって、しばらくテレビを何も考えられずにただ、凝視していた。
そして、プリンスが亡くなって、purple rainを久しぶりに耳にした。
ヨルダンから、随分とかわいがった猫が死んだ、と連絡をもらった。

それでも、こなさなくてはならない様々をしているうちに
お決まりのように具合が悪くなって
それでも見たいものを、聴くべきものを
できるかぎり、享受しようとした。

結果、随分疲れてしまった。
多くのものは、消化しきれなかった。
見た映画も、聴いたライブも、人の話も、風景のたたずまいも
その時に感じた何かが、何だったのかさえ
かすめ、逃げていく感覚があった。


恐ろしく大量のもやもやを抱えて
誰にも的確に伝えられない。
悶々とする、という言葉の響きに
よくできた言葉だと、感心する始末だった。

ただただ、木々の緑色だけは
色を楽しむことができるから
途方に暮れると、ぼうっと緑を見ていた。
山の手の原宿から代々木公園までの
ちらちら光る土手の緑が、妙に美しく見えた。




やっとアンマンに戻ってきた。
自分の部屋で、とりあえず音楽を聴く。

アルバムが終わって、音が切れると
教会の鐘の音が響いていた。
イースターだからか、いつもと違う時間、違う音色とリズムだった。

久しぶりに視聴しまくったタワレコで
結局財布と相談の末、
新譜一つと、Jeff Buckleyのみ、買ってきた。
しっかりと、聴く。




この楽曲、いろいろなversionがすでにうたわれている。
そもそも彼ではなくThe Smithsの曲なのだけれど。

今回のアルバムに入っている曲の
絶え間なく続くギターのストロークなのに繊細な和音と
伸びやかだけれど、どこか押さえ気味の歌声が
過去に出ている違うバージョンよりも
ぽっかりと失ってしまった何かを思い起こさせるようで
とにかく、気にかかって、でも、よかった。





もう一枚はJack Garrattという人。
アコースティックとエレクトリックな音と
たっぷり叙情的にもなりうる声と
どことはっきり云いがたいジャンルを跨いだ曲調が
見事に一つになっている。
違和感はなくて、バランスがいい。
James Blakeやの新譜がでていなかったので
代わりに、などと
ご本人には申し訳ない買い方をしたのだけれど
新しい発見があるアルバムだった。




ちなみに、ライブを見てみると
本人が打ち込みしながら何種類もの楽器を
自分で演奏したりしていて
何でもできる人のようだ。



残念ながら、新しいアルバムは残すところあと1枚で
もう、当分のところ、タワレコアップデートはできないのだけれど
毎週末とか、こうやって新しい曲をじっくり聴けたらいいのに
時間があれば、じっくり消化できるのに
と、思ってしまう。


何度も同じものを見て、聞くことができるから
噛み砕いて消化する作業がじっくり、好きなだけできる。


でも、決定的に、そして致命的に、
その場で聞いたものや見たものへの
鮮明な感覚とは違っていて、
そこで時間と場所に居合わせなければ分からないものは
一度しか起きないから、ただただ
とにかく身体いっぱい、受け止めるしかない。
結果、その場では消化できない、という話だ。

至極、当たり前だと思うと同時に
ヨルダンの暮らしの刺激と
日本で出会う刺激の違いをまざまざと感じる。

なんだか、日本に旅行に行っているようだ。



たぶん、次に日本に戻る時までの間に
もやもやしたものを羊か山羊のように
反芻し続けて、どうにか消化していくのだろう。

その場での消化能力が低い、
でも、もやもやしてしまうのであれば、
反芻するしかない。

瑞々しい、輝く緑の色を思い浮かべながら
かわいらしさの欠片もない横長の瞳孔で
ひたすらもぐもぐ口を動かす羊のように
せっせと消化に勤しむことにしようと、思う。







温度を持って



今回、ぼんやりとだけれど、
一体自分のしている仕事や関わっていること、ものごとが
どれぐらいの温度で語られ、伝えられ、
そして、受け止められているのか
見てみたい、と思っていた。
帰国の間の、ちょっとした課題のようなものだ。

講演会を聞きに往き、新聞を読み、映画や本をチェックし

友人知人の活動を見ながら
必死に探ろうとした。
それぞれの人や、アウトプットされたものと
それを囲むその周囲、とそのまた周辺を
単純に自分がアウトプットする訳ではないので
客観的に、もしくは遠巻きに、見てみよう、と。

でも、私の感度が鈍くなっているからか

雨に濡れた田舎の景色を夜、電車の中から眺めるように
円心的に光るものは見えるのだけれど
その周りは意外とすぐに、真っ暗になってしまっているように、感じた。

とにかくぼんやりししていた。
何が、とはっきり云えないけれど、掴みどころが、はっきりと見えない。

私の中にはとても、光を強くする力もすべもないし
そもそも、何かしらを発光することもない。
敢えてそうしているわけではなくて
仕事の性質上、やりづらい。

人の見解に感動したり、疑問を抱いたり、はっとしたりしながら
そろそろ、自分なりに、何かしなくてはならないのかしら、と
ぼんやり、考えたりしていた。

現場で仕事をしているのが私ではなくて他の人でも
普段通り、小さな問題と、小さな成果があって
卑下ではなく、ただ事実として
自分でなくても、全く問題ないことがわかった。

このかたはヨルダンに住んでいるんですよ、と紹介される。
でも、私には、だから提供できるスペシャルなものが、ない。


ヨルダンに戻ってきて
すっかり自分の部屋に納まる。

からりと晴れた、きらきらのアンマン城を見ながら
それでも私がここに居たいと思うのなら
存在意義をもう少し、自分自身で見いださなくては
ならないようだと、結局ぼんやりとだけれど思う。

できれば、自分に適温な、何かを。



2016/04/08

彼らの暮らしと話の、断片 4月1週目


この日の訪問はすべて、ヨルダン人かパレスティナ人だった。
パレスティナ人といっても、ヨルダン国籍を持っている、パレスティナ人のこと。

決して、彼らは自分のことをヨルダン人と云わない。
国籍がヨルダン人だと示していても、彼らがパレスティナから来たことには変わりないのだ。
何十年経っても変わらない、土地への意識に、めまいすら感じることがある。


事業は国籍分け隔てなく実施しているのだから、
事業に対する意見もまた、どの国籍に関わらず、耳を傾けるのが
正しさだと私は思っている。

正しいことをしようとするには、往々にして、障害と困難が伴う。

どうしてなのか、私にはいつも、わからない。



概して、シリア人家庭に比べて、
ヨルダン人家庭への訪問は時間が短い。
知り合いではない人を容易に受け入れない文化がヨルダンにはある。
訪問の理由を告げて、理解してもらってもなお、
どことなく落ち着かない時間が、訪問先にはある。

タバルブールという、比較的新興住宅地の多い地域への訪問だった。



1件目

地上階ですね、家族と連絡を取っていたスタッフがアラビア語で確認する。
新築のアパートメントの入り口からは、地上階にドアが3つ。
どれか分からないから、もう一度連絡を取る。
ドアは一つしかない?いえいえ、3つありますけど。

会話を聞きながらドアの脇に書かれた小さな番号を確認する。
2から始まっている。
試しに、ガレージに続く階段を下がってみると
もう一つ、1の番号が見えるドアがある。


ベルを鳴らすと、髪のもしゃもしゃの、小さな女の子がドアを開ける。
そのまま、とっとっと、と部屋の中に走って逃げていく。
その後、お母さんが出てくる。

地下階だから日が射さないのかと思ったけれど
坂ばかりの土地だから、入り口からは地下でも
他の側面は坂の中腹、日が十分射している。
地下階ではなくても真っ暗だった家が多いシリア人家庭の家々を思い出す。

新築らしい、きれいな調度品のそろった部屋のソファには
お母さんと15歳になる息子が座っている。

子どもの歳や通っている学校を聞こうと、子どもの名前を尋ねる。
お母さんは見事なまでのスムーズさで
一度も詰まることなく子どもの名前、生年月日と学校を云っていく。
まるで、コーランを暗誦するときのような
生真面目さと注意深さがある。
うつむいて、少し首を上下に動かしながら、うなずくように、云う。

お母さんの横で、もしゃもしゃの髪の女の子が
誰かの携帯をいじっている。
一生懸命いじっているからか、下唇がだんだんと出てくる。
私が話も半分に女の子を見つめていたので
その視線に気がついて、お母さんは携帯を取り上げる。
女の子は子猫がじゃれるように、携帯をめがけて腕を振りましている。

息子は落ち着いた、しっかりした印象のある子で、
お母さんの脇で、姿勢もただして、話を聞いていた。
息子に対する質問が始まっても、
変わらず思慮深そうに、一つ一つ、考えながら、答えていた。
事業で一番好きなのは、友だちだという答えに、
こちらが思わずうれしそうにしてしまうのを、彼は見逃さなくて
つられて、照れ笑いをした。

近所の人のことはわからない、という。
シリア人家庭ではよく聞く話だ。
引っ越してそれほど経っていないからなのか、どうしてなのか、聞きそびれてしまった。


2件目


アパートの地上階はその家族のもので
庭にはブランコや椅子、テーブルがあった。
ベランダの延長のような、庭に面した部屋のソファで
お父さん、お母さん、そして息子が質問に答えてくれていた。

まるまるとした顔のおかあさんと
立派な口ひげをたくわえたお父さん
そして、すでに具合よく成長したおなかを持った息子。

家族が輪を描くように、私たち客を囲む。
女性らしく、細かいところまで話したがるお母さんと、
ぼそぼそ、でもウィットに富んだ話し方をする息子と、
話をきちんとまとめるお父さんのバランスがとてもいい。

家での趣味はなんですか?と息子に質問すると
すかさず両親が、食べることだよ、と云って私たちを笑いに誘う。

なんとかタウジーヒまで進もうとするなら英語はしっかりやらくちゃな、
とお父さんが云うと
文法とか、前より全然できるようになったんだから、と
お父さんの顔を見ずに、息子はぼそぼそと答えた。

ごくごく、仲のいい、穏やかな家族だった。

途中で上にすんでいるという、お父さんの妹さんも一緒にテーブルを囲んだ。
お父さんの髭をとったら、妹さんの顔、というほどに、よく似ていた。

最後に、シリア難民が来てからのインパクトについて、
答えてくれそうな家庭には質問をしている。

そりゃ、仕事は見つかりづらくなってしまったし、
賃金も安くなってしまったよ。
でも、寝て、食べて、暮らして、勉強して、って
みんな当然することなんだから、
そうやって普通の暮らしをするために必死に働くことは
当たり前のことだし、みんなそうする権利がありますよね。

その話をお父さんがする時には
お母さんも息子もお父さんの顔を神妙な顔つきでみていて
お母さんと妹さんはうなずいていた。


4件目

外見も新しいそうな立派なアパートメントの1室。
扉を開けると、シャンデリアがついたきれいな居間があった。
初めて、ヨルダンで生花の飾ってある家を見た。
こちらの人は生花も造花も同じようにめでるのだけれど
やはり、生花の方が、個人的には好きだ。

お母さんは室内だからなのかヒジャーブを被っていなくて
髪の毛もきれいにブローされていた。
実のところ、本当に珍しいことなので、どきっとしてしまった。
素敵な緑色のワンピースも着ていて
その姿は白黒の写真で見る、古いパレスティナ人の写真を思い出させる。
緑の土地を背に、大家族がそろっていて、
女性はかるくヒジャーブを頭に巻いただけで
たおやかなワンピースをまとっている。
男たちはジュズダーシュに葉巻かタバコを加えて、立っている。
春の、豊かなパレスティナ。

そう思っていたらやはり、お母さんはパレスティナ人だった。
お父さんはヨルダン人、電力会社のエンジニアだということ、
立派な理由がうかがえた。

お母さんの話し方は、落ち着いた色の、でもつややかな布のように
乱れがなくて、安定していて、やさしかった。
そして、家の息子もしっかりした感じの子で
15歳だけれど大人のような対応ができていた。
お母さんとの距離がとても近くて、仲のいい。
この歳の日本の子にはなかなかない、近しさがある。

事業の内容について、フィードバックが欲しくて息子に質問をしていたら
男子ならなおさら、体育の時間はしっかりないとだめですよね、とお母さんが云う

私が小さい時には、きちんと体育の時間が1時間あって
体育用の服っていうのがあったんです。
靴下とスカートが同じ青色で、スカートの丈がこれぐらい
と、膝上に手を置く。
それから、裁縫と調理の授業もそれぞれ隔週であったんですよ。

正直、現在のヨルダンの公立校でも、こんなしっかりしたカリキュラムは実施されていない。
30年以上前の話のはずだから、驚きを隠せない。
よほど私が腑に落ちない顔をしていたのだろう、
私はクウェートで育ったんです、とお母さんは云った。
すべての合点が、いく。





偏見だと云われても仕方がないけれど
クウェートで教育を受けたパレスティナ人は私の中で明らかに、
ヨルダンで育ったパレスティナ人と違う。

UNRWAで働いている時も、
時間を守り、子どもの話をしっかり聞き、節度を持った態度で誰とも接する人たちは
往々にして、クウェートから来たパレスティナの先生だった。
もっとも教員という仕事柄もあったであろう。
きれいな英語を話し、困った外国人を適度な距離で助けてくれる人たちへの評価は
他のUNRWAで働いている友人たちとも、意見の一致するところだった。

パレスティナからクウェートに逃げ
またクウェートから追い出されてしまったパレスティナ人の多くは
アメリカやヨーロッパに逃げているけれど、
親戚を頼ってヨルダンに来たパレスティナ人も少なくない。
すっかり大人になった人たちの中にも、明らかな、クウェートでの教育の片鱗がみえる。
いつも助けてくれる同僚の先生達と、初めてゆっくり話をしたとき
彼らの過去の教育の話を聞いて、深い感慨を覚えた。
教育の力を、まざまざと感じさせられる瞬間だった。

シリア人の子どもたちの将来もきっと、似てくるだろう。
同じシリア人でも、逃げた先の国によって
教育レベルも一般常識もまったく、変わってくるだろう。

今のヨルダンの教育や生活環境のレベルでは
どれだけ言葉が通じなくて苦労をしたとしても
そこで生き残った暁にはまとまな教育が待っている欧米諸国に
とても太刀打ちできる気がしない。

すくなくとも将来、ヨルダンで育ったから、という暗黙の評価が、
悪くないものであってほしいと、願わずにはいられない。


6件目

地下か地上階ばかりの訪問の最後で、最上階に上がる。
土地も高台にあって、景色がよかった。
スタッフも私も、思わずベランダに出て、景色を眺める。


自由業、というお父さんは家に居て
お母さんとともに、居間でくつろいでいるところだったようだ。
お父さんの歳を尋ねてみたら、明日でちょうど50歳になる、とのこと。
50歳まであと1日、という表現をする。
お父さんはあまり顔色が良くなくてタバコばかり吸っている。
けれども、語り口の柔らかなおしゃべり好きの人で、
丸い声で子どもたちの様子を面白そうに話してくれた。

子どもの趣味は水泳だ、というから
プールなど見たことがないので、どこで泳ぐのか訊いてみたら
池みたいなプールがあるんだよ、と池のある方向を指さしながら云った。

事業を通じての学力面の変化を訊いた後
自然とシリア人の話になった。

僕はシリア人の方がヨルダン人より好きですよ。
紛争前はよく、シリアに遊びに往っていたし、
シリア人の友だちの方が多かったからね。
もちろんいいシリア人も悪いシリア人もいるけど、
そんなのヨルダンだってアメリカだって日本だってそうでしょ?


さっは
お母さんも私も、大きく口にだして、答える。

ここの家の息子は、午前のヨルダン人シフトの人数が多いということで
午後のシリア人シフトで勉強をしている。
家の人がこういう考え方をしている家庭の子どもが
シリア人シフトに入っていることに、そこはかとなく、安心する。

こういう家庭ばかりではないことを、
他の多くのヨルダン人家庭への訪問で身に沁みて分かっているから
ありがたい言葉だった。
まさに、言葉のとおり、ありがたい、ということを
誰かに伝えたかった。
けれども、それがヨルダン人なのか、パレスティナ人なのかシリア人なのか、誰なのか、わからない。

誰に話しても、何かが押しつけがましてく、大事な文脈の何かが欠落しているように
相手には思われるような気がした。

だから、云わなかった。

結局、だから、日本語で書いている。








2016/03/17

彼らの話と暮らしの、断片 3月2週目


仕事の都合で、しばらく家庭訪問に往けていなかった
 
その間に、ヨルダンはすっかり春になる

沸き上がるような緑と、色とりどりの花々
風の音だけの、でも随分にぎやかなお祭りが
茶色い土地の色を染めて、開かれる

不思議と心躍る季節だ

訪問先の家の色も、違って見えてくる
冬、心底冷える家の、何もかもが青白い情景に比べたら
たった一つだけの小さな窓しかない家でも
ほのかに黄色がかって、暖かく見える

事業の方では、しばらく前からヨルダン人家庭への訪問も始めている

当たり前なのかもしれないけれど
家の様子は、ヨルダン人のお宅も、シリア人のお宅も
そんなに大きな違いがない

ふと、どちらの家に来ているのだっけ、と
忘れてしまったり、する

この日は、過去に何度か来たことのある
ハイ ナッザールという地域への訪問だった



1件目


招かれて入った部屋は、アラビーマットが敷き詰められた
小さな縦長の部屋だった。
ヨルダン人の家庭だと分かるのは
家の中のものものに、きちんと歴史と年月が在るからだ。
置かれているもの、飾られているものの趣味趣向は
実のところ、あまり変わらない。
だけれども、棚の中からはみ出す紙の束や
そこここに無造作に置かれているものに
おかしな表現だが、余裕がある。
おもちゃ、新聞、用途の分からない箱、ティッシュのカバー
多くがどことなく使い古されていて、だから、そこに長く居ることが分かる。

一番下の男の子は、学校に往っていなかった。
具合が悪いからお休みしたと云う。
子どもへの質問もあるので、こちらへ来て話を聞かせてくれないか、と云うと
服とってよ、とお母さんに甘えていた。

お母さんは、柔らかいけれど真面目な印象のある人で、
事業の印象や、子どもたちの様子を話してくれていた。

ここの家庭では、大きな娘が2人、事業に参加している。
娘さんに他の国籍のお友達は居ますか?
居るって云っていたわ。
他の国籍でもヨルダン人でも、
きちんとした子どもには、きちんとした友だちができるものです。
そのお友達も、とてもいい子で好きみたいなの。
お母さんは、しっかりとした眉毛を線を少し緩めて
少し微笑みながら云った。

男の子が上着にフードを被って、部屋にやってきた。
風邪をひいてしまったから、というお母さんの横に
猫のように丸くなって座る

ヨルダン人の家庭では、シリア人家庭や他国籍の人たちについて
話を聞くことが多い。
やはり、この家庭でもお母さんが、
お父さんの仕事先での社長の云ったことを、ぽつぽつと話す。
お父さんの給料で、シリア人が3人雇えるって云われたらしいの。
お父さん18年もこの仕事をしているのに、
そんなこと云われて、どう返事をしていいのやら。

開け放した入り口のドアから、近所の男の子が部屋を覗く。
フードを被ったまま、下の子がふらふらとドアの方へ歩いていく。
アパートメントに住む、子どもたちの様子は
どこもきっと、変わらない。


2件目

すっかり道に迷って、訪問チームのみんなが途方に暮れる。
さっきと同じ道を、また通る。
階段があるから下がって、と云っているらしい。
でも、道路の脇には、いくつもの階段がある。
階段のある方向は崖になっていて
すぐ下のワディには、大きな幹線道路が走っている。
ワディの対岸は松林になっていて
随分と光っていた。

やっとここだと分かった家は、
急な崖の斜面に作られていた。

お父さんと連絡を取って、家にたどり着こうとしていたけれど
お父さんは家に居なかったので、余計に手間取ったようだった。

アパートの入り口がそのままその家族の敷地で、
狭いテラスには、太い縄で作られた、簡易のブランコがあった。
4歳ぐらいの女の子が、自慢げに座っている。

どのシリア人家庭とも同じように、顔に疲れは見えるものの
しっかりお化粧をしたお母さんは
大きな目をくりくりさせながら、お話をする。
家には12歳から、その下に4人が赤ちゃんまでそろっていた。
子どもたち5人はずらりとお母さんと一緒に、並んで座っている。

就学年齢の子どもたちが居るのに、みんな揃っている。
学期の途中でひっこしてきたから、学校に登録できないという。
何回引っ越しているんですか?と訊くと、
アジュルン、ザータリ、サルトで2件、アジュルン、アンマン、サルト、アンマンで2件
計9回引っ越ししていることになるわね、と諦めたような表情で笑う。
指を折りながら数を確認して、私たちは呆れる。

2011年からヨルダンに居る、というけれど
これでは同じ学校に通い続けることなど、できるはずはなく
今も家で、何をするでもなく過ごしているようだった。

小さなテレビではアニメがやっていて
無声なのに子どもたちは時々、振り向いてテレビを見上げる。

お父さんはレストランで働いている。
一番上に、14歳の子が居て、その子もまた
お父さんと一緒のところで働いているらしい。
仕事があるところに住むしかないから、転々とするしか、ない。

シリア人として生きるのは、本当に大変、
お母さんは赤ちゃんを抱き上げながら、云う。

お母さんの膝に居るまだ半年ほどの赤ちゃんがむずがり始める。
お母さんは足を伸ばし、両足の間に赤ちゃんを寝かせ
左右に揺らしながら寝かしつけようとする。

他の子どもたちは、その様子を見てみたり、
私の顔を見てみたり、する。
子どもたちがこの家に居て学ぶこともまた、たくさんあるのには違いなかった。
すぐ近くに、友だちも居るという。

おうちで何をするのが好きかな?と1年生の女の子に訊くと
お料理がすきなの、
金のイヤリングが、自信満々の顔の横で揺れる。
汚れちゃうだけなんだけどね、とお母さんは小声で云う。

さっき、おもむろに一番上の子が立ち上がっていった女の子が
お茶を持って来てくれた。

甘い甘いお茶で、空腹の私にはありがたかった。


4件目

ボランティアだったときにお手伝いに来た
UNRWAの学校の脇を通る
小さな子どもが、民家を改築した学校の小さな扉から
溢れ返るように出てくる様子を見る
ちょうど下校の時間のようだった

今から伺う旨を連絡すると
待ってくれと、云う。
家を片付けていないから、恥ずかしいと。

気にしませんから、って云ったんだけど、やっぱりいやみたいだよ、と
スタッフは困り顔で外を見る。

やっと訪問できたお宅は
小さなアーモンドの木が庭に植えてある家で
女の子が3人、家からちょうど出てくるところだった。
午後シフトへの通学の車がやってくる時間だった。

お母さんは誠実で、人の良さそうな顔をしている。
日本人がくるって知っていたら、もっといろいろ準備したのに、
と、私にも云う。
本当におかまいなく、と云うのだけれども、
お母さんは残念そうな、申し訳なさそうな顔をしてしまう。


HCRの証明書ではなく、家族手帳を見せてくれる。
もともとパレスティナ人なので、
シリアで発行された家族手帳にも、
「シリア系パレスティナ人用」と書いてある。

随分と複雑な話だった。

お父さんはパレスティナからシリアに逃げた、シリア系パレスティナ人
お母さんの家族は、パレスティナから一度ヨルダンに逃げて来ているので
ヨルダンの国籍を持っている。
お母さんは小さなときにシリアに移住し
年頃になって、シリア系パレスティナ人のお父さんと結婚した。
シリア政府はパレスティナ人に国籍を与えていないので、
家族はシリア系パレスティナ人として、
宙ぶらりのステータスを余儀なくされた。

そこに戦争が始まり
お母さんの親族を頼って、今の土地にやってきた。
お母さんは家族がヨルダン国籍を持っているからいいけれど
お父さんとその子どもであるあの3人の子どもたちは
国籍がない。

一体どうなるのか、私も全く分からなくて困っています。
私も40年シリアに住んでいたから、ヨルダンのことはよくわからないし。
近所の人ともそんなに、関わりないんです。


まだここでは、お母さんがヨルダン人だからいいけれど
シリアに住んでいたパレスティナ人は
皆、国籍がないに等しい状態で
周辺国へ逃げている。


子どもたちの学校の様子を聞いていて、ふと、名前が目につく。
1番上の女の子の名前は、アカシーア
聞いたことがない、珍しい音だった。
もしかして、と思って尋ねてみたら
やはり、アカシアの木から取った名前だという。

素敵な名前ですね、というと、
お父さんがつけたんです、と嬉しそうにお母さんは答える。
静かで穏やかな話し方のお母さんの声を聞いていると、
なんだかとても安心できる気になってきた。

お母さんは、黒いヒジャーブと黒いアバーエ
足元だけ、赤と黒の水玉の靴下を履いていて
なんだかとても、かわいらしかった。


5件目


窓の外にも庇があるのか、部屋の中は電球の光しかなかった。
どうしようもなく、底冷えがする。
部屋の奥には、マスバハを持った眼鏡のおばあさんが座っていて
ちゃきちゃきした感じのお母さんが入り口近くで
私たちの相手をしてくれる。

玄関すぐの大きな部屋も真っ暗、
キッチンには電気がついている。
真っ暗な部屋から、おもちゃの鉄砲を持った小さな男の子が
控えめに、バーンバーン、と撃つまねをしながら
部屋に入ってくる。

引っ越しは2度目で、前はキャンプに居たという。

お母さんは、黒めがちな目を光らせながら
いろいろとこちらの質問に答えてくれる。
語調が強くて、話し方にリズムがあった。

だけれど、全く大人の会話などおかまいなしに
男の子がお母さんのほほにキスをしたり、
こちらに向かって、バーンとピストルを撃って来たりする。

子どもにとっては、学校が遠くてかわいそうだけれど
お父さんに仕事があるのがここなので
ここから学校に通ってもらうよりほかないの。

お父さんは近所のレストランで働いている。
朝7時から夕方5時半まで。
仕事があるというのは、いいことだからね。

男の子が今度は、三輪車をこぎながら部屋に入ってくる。
うまくこぎきれずに、途中で止まってしまう。
男の子の相手をお母さんが適当にしている間に
おばあさんが、会話に入ってくる。
子どもたちの家での過ごし方を聞いてみたら
あの子は趣味なんてないとおもうわねぇ、とか
その子は絵が好きよ、とか
6人居る子どもたちの様子を、本当なのかどうなのかわからないけれど
おばあさんはしっかり、答えてくれていた。

家からおいとましようとすると、おばあさんも立ち上がって
見送りに来てくれる。
足腰が悪そうで、立ち上がるのに
やーらっぷ、という。
随分と、重みと響きのある、心のそこからの、やーらっぷ、だった。


家の外はすぐ、大きな道路に面している。
春の陽気に染まる光が、目にまぶしい。
さっき出て来た建物の扉が、
四角く、真っ黒な口を開けていた。









2016/03/14

また一つ増える、心配事


しばらく家で猫を預かっている

毛足の長い黒猫で
臆病だけれど、甘ったれで
人見知りだけれど、慣れた人の膝が大好きな
すぐにぐるぐる云ってしまう
啼き声のかわいらしい
小柄な子だ

先月の半ばに
猫汎白血減少症という病気になってしまった

普通の成猫ならば罹らない病気らしいのだけれど
もともと丈夫な猫ではないので
見事にもらってきた

3日間吐き続け
2日間で注射を8本も打って
点滴も受けて
やっと吐くのは止まった

その後も食事はほとんど食べられなくて
また病院へ行った
3本注射を打たれ
やっと食べられるようになったと思ったら
今度は下痢がひどくて
家中がうんこだらけになってしまった

先週また、食欲が落ちてしまった
仕方なく今週病院に連れて行ったら
今度は口の中が荒れすぎて
潰瘍みたいになっている、という
また注射を2本打たれ
しょげ返って家に戻って来た

しょげているのは、猫も、私も、だ

飼い主に申し訳ないし
猫にも申し訳ない


夫婦で営んでいる近所の病院へ行くと
猫ではなく、私の名前が覚えられてしまって
猫用の籠を膝に乗せていると
テーブルに置きなさいよ、と云われる

気が小さい猫なので
ぶるぶる震えているのが籠の中から伝わってくる
なんだかかわいそうで
籠を抱えてしまう



よほど不安な顔をしていたのだろう
いつも、すぐ良くなるよ、と云いながら
病院の先生は手荒に注射を打ってくれる
いつもそう云ってくれるけれど
次から次へ
具合の悪い原因がやってくる

全く、いつになったら元気になるのだろう
途方に暮れる

仕事の休み時間を使って病院へ行く
病気の子どもが居たら
こんな感じなのだろう
病院が近くにあって、本当によかった


放っておいたらそのうち
元気になるのかもしれない
本来ならば、猫にはそういう力があるものだ

毎日薬を飲ませる前に、迷う

薬をあげたら反対に
持っている力が弱くなってしまうかもしれない
でも、元気がないから
できることはしてあげなきゃいけない


猫も、かしこい
私がただ、なでようとするのではなくて
薬を飲ませようとすると
するっと逃げてゆく

きっとこちらも身構えているのだろう
今日はどれぐらいひっかかれるんだろうな、とか
嫌がるのにかわいそうだな、とか
ろくに食べてないのに薬ばっかりじゃ嫌だよな、とか
そういうことを思っていると
分かってしまうのだ

今は3種類の薬がある
全部あげ終える頃には
猫も私もぐったりして
私はソファで、猫は床で
それぞれの所定の位置にもどり
お互いの顔を見ながら
寄って往こうか、ここにいようか
しばらくお互いに様子をうかがう

それから、猫は洗濯機の中に入って
気に入りの靴下を取ろうとしたりしている
チリチリと首輪の鈴をならしながら
うろうろする
私も鈴の音をどこかで気にしながら
パソコンに向かったりする


病院通いと薬の苦労話を
たっぷり周囲の人に話しながら
こういう話というのは
云い始めると止まらないことを、知る
由々しき事態

このままでは、愚痴ばあばになってしまうのでは、と
心配になる

猫もいい気がしないだろうからぐだぐだ云わないようにしなくては
もしくは、
おしゃれで面白い云い方を研究しなくては、と
思ったりする

それから、薬をあげるときに
知らず、猫に話しかけていることに気づく
いよいよ猫に向けた
独り言がはじまってしまった

もともとお話をする猫なので
そのうち私にしゃべり方が似てきたらどうしよう

心配事が、またひとつ、増えてしまった