建物の中と外では随分と温度が違うので
毎朝ベランダでアンマン城の、
すっかり枯れてしまった浅葱色の丘を見ながら
暑さと湿度を確認する。
アンマンに戻ってきてからしばらく、結構タフな仕事が続いていた。
家に戻って、疲れに呆然としながら
ふと、Morrisseyの歌声を耳にして
そのたまらなく繊細でどこか甘い声が
パンクな伴奏の上に乗る、その
気持ちのいいアンバランスに、
再度、魅了されたりしていた。
そういうごく微妙なバランスを感知する機微みたいなものに
疎くなっていることも、同時に確認する。
家庭訪問には、きっとそういう
昆虫の触角のような、機微を感じる何かが、
できる限りあった方が、いい。
この週は、アンマン市街の中心の
ジャバルフセインという地域への訪問だった。
住宅地に当たるこの土地のいたる所で
今が季節の枇杷の木が目についた。
枇杷はアスカディニアという。
一番甘いもの、という感じの意味だろうか、
アラビア語の果物の中で
個人的に一番響きの好きな、名前だ。
1件目
いつもの通り、大通りから中に入ると
電話を片手に家の場所を確認する作業が出てくる。
建物には番号が着いているけれど
その番号がどこからどう始まっているのか
はっきりとした規則性が、あったりなかったりする。
1番だって云ってる、そうスタッフは云いながら
あたりをきょろきょろ見回す。
ある建物の入り口に、邪視を払う目と
浅いレリーフの施されたマークのようなものを見つけて
一人見入っていたけれど、ふと目をずらすと
1番と、青い番号がついていた。
ほら、1番だよ、というけれど
もう家の人が入り口に居るって云っているのにいないから違うよ、
などという。
そんな会話をしていると、その建物の脇のガレージから
女性がこちらを見ているの、気付く。
彼らの家は、入り口が、違う。
玄関のドアのガラスが割れていて
入り口の脇に置かれた、2層式の洗濯機が丸見えだった。
2度目の訪問であることを確認し、
話を始める。
家の中は、きれいに整頓と掃除がされていて、
何かの賞状、誰か男性の写真が
日本の家のように、引き戸のサッシュの上に立てかけてあった。
向かい合わせに座るお母さんは
赤と黒の井の字の柄の、アバーエとヒジャーブを被っていた。
青い目と透き通るような白い肌と
そのきついコントラストの服が
なんだか妙に気になる。
お母さんはてきぱきと質問に答える。
そして、子どもの様子や変化を
一つ一つ、大切そうに話していった。
それまであまり社交的にはなれなかった娘が
学校でクラスメートと話せるようになって、
嫌なことは嫌って云えるようになったんです。
子どもの世界だって大人と同様か、それ以上に
煩雑で面倒も多い。
ましてや難民ならば、本来なくてもいいような物事が
勝手にのしかかってくることがある。
自分で自分が守れるようになることを意味する子どもの成長に
お母さんは安堵し始めているようだった。
今、アメリカへの移住を申請中だという。
1年半も前から手続きをしていて、
2回面接もしたけれど
その後の進展が、今のところない。
私は英語がさっぱり分からないから
娘にがんばってもらわないと、と
心なしか心配している、というよりも
嬉しそうに、お母さんは話していた。
2件目
ドアの内側にかけられたカーテンの
ベージュに統一された大柄の菊の模様が
ふわふわと風に揺れる。
2011年に来てすぐに、この家に住み始めた。
家はパレスティナ人キャンプの中にあって
親類が居るから、ここにすみ続けていると云う。
初めての訪問だったので
HCRの登録証を見ながらお母さんは話を進める。
お父さんは銃弾が肩に刺さって
右腕がしびれているという。
それでも仕事に行っているという
お父さんの姿は見えなかった。
一番上の娘はお嫁に往って
14歳の娘がまだ、学校に通っているはずだった。
けれども、学校でもうまく学業についていけず、
あまり好きではなかったから、もう
学校には行っていないのよ、と
早口のお母さんは何気なく、云う。
それでも学校に登録して往かないと、
スタッフが前のめりで話をするのだけれど
そうだけど、勉強も難しいし、友だちとの関係もアンマリだったみたいだし、
と自分のことのように、お母さんは云い訳をしていた。
話を変えたかったのか、一番下の子の話を始める。
下の子はまだ5歳だけれど
コーラン教室に通っていて
文字はきちんと読めないけれど
何となく言葉は追えるのよ、と
また、自分のことのように、誇らしげに云う。
この家のどこかに娘は居るのだろうけれど
その気配はさっぱり、感じられなかった。
パレスティナキャンプにはよく、
色あせてしまったからなのか、元々そうなのか分からないけれど
ピンク、水色、黄色、すべてが淡い色の
三角の連なった旗が道の頭上に飾られている。
この建物に続く道にもふわふわと何本も
吊るしてあった。
そして、家の入り口にも
続きのように4、5枚だけ
吊るしてあった。
3件目
路地に見覚えがある、そう思いながら
車の入っていく道を眺めていたら
たわわ、とはこのことを云うと体現したような
実に枝をしならせた枇杷の木があった。
前回来た時には
まだ暖かい時期で、お母さんが柔らかそうな肌が少し見えていて
小さな子どもがお母さんに甘えていた。
この日、子どもはみんな居なくて
お母さんの顔にはたくさんできものができていた。
ふわり柔らかい姿の印象は、なくなっていた。
でも、お母さんの早くてしゅっしゅとした話し方は健在で
ただ、その口から出てくる話は
子どもが事業に参加できなくなった、という事実だった。
子どもはとにかく、もう来てはだめだと云われた、としか
お母さんに云っていないようだった。
ここの子どもが通う学校では
何人かの男の子たちがどうにも
授業を妨害して、何度注意をしたり、違う方法で授業に参加させたり
様々手を尽くしたけれども、改善できなかったという
事例があったことを記憶していた。
ただ、多くの子は近隣の学校に移動してもらい
もう一度新しい環境でやってみるチャンスがあったはずだった。
案の条、学校を移ったけれど、、、、と話が再開する。
やはりうまく馴染めなくて、やめてしまったようだった。
お母さんは、息子を一生懸命擁護して、
授業についていかなくてはならないし、
ただだめだ、というだけでは納得できない、と
繰り返していた。
スタッフも困り顔で私を見る。
いずれにしろ、お母さんに説明がないのはよくない。
学校にことの経緯を確認をして連絡することを約束した。
そう云えば、都合の悪いことを
親に報告しなかったのは、小さな頃の自分も同じだ。
その息子に、何だかとても会いたくなった。
今度、しっかり家で話す機会があったら、いい。
4件目
きれいに整った家のリビングで
いくらかふっくらはしているけれど、
きりっとした端正な顔立ちのお父さんが
子どもたちの様子を話してくれていた。
午後シフトに通う前の身支度を整えた娘たちが二人、
奥から出てくる。
事業に参加する下の娘が、こちらの顔を指さして少し頭をかしげる。
考える仕草だ。
それから私の名前を云い当てて、嬉しそうに笑った。
子どもたちが居れば、子どもたちにも聞きたいことがある。
こちらの正面に座ってくれた子どもたちに
学校のことなどを聞いている。
賢そうな姉妹は、でも
二人とも青い制服の裾をいじりながら
思案し、答え、また思い出そうとして
二人で見つめ合い、
こちらに向かって話し始める。
その様子を、お父さんは満足げに見つめていた。
一番好きな教科は数学だ、という下の娘は
見るからに賢そうで
万国共通、賢さは顔に出るのかと
算数でさえ、からきしセンスのなかった身としては
姉妹の、黒くてきらきらした目を
ただ交互に見つめながら
話に耳を傾けつつ、ただただ
心密かに、その二人のたたずまいに、感嘆していた。
5件目
家が見つからずにうろうろしていると
俊敏な足取りで男の子が近づいてくる。
スタッフが名前を確認すると
ただ、うんとうなずくだけうなずくと
早足で坂を降りていった。
スタッフがのんびり歩いているので
迷わないように、男の子の後にぴったりつける。
時々、穴から出て様子を見るウサギのように
すっと首を伸ばして、遅れているスタッフの位置を確認し、
また角を曲がり、階段を降り
迷路のような道を進んでいく。
奥まった、亀裂が目立つ建物の最上階の部屋だった。
おなかの大きなお母さんが
妊婦特有の、少し背を反ったような姿勢で出迎えてくれる。
迎えにきてくれた息子が5年生、
その下に4年生の娘も居た。
息子は随分とはっきりとした整った顔立ちで
娘の甘くかわいらしい顔と対照的だった。
娘と息子はお母さんの両脇に座る。
南に向いた明るい窓からの光が
染みの多い、部屋の白い壁を、どことなく清潔に見せている。
お母さんはもっぱら、息子の悪行について
止めどなく話し続ける。
元来、訪問の理由も、事業に来られなくなってしまったその後が
どうなっているのか気になっていたからだった。
もう、本当に問題だらけ、問題児よ、本当に。
問題児、という単語を連呼しながら
過去にあった問題を、暗記するようにつらつらと話していく。
コーラン学校でしょ、補習授業でしょ、モスクの教室でしょ、
児童館でしょ、全部全部、最後まで往けたためしがない。
自分のことを云われているのに、
他人の話でも聞くように、
ひょうひょうとした表情で
お母さんのヒジャーブの裾をいじっている息子に
ねえ、あなたはどうしたいんだろうね、と話しかけると
急に目が泳いで、その後にうつむき
うーん、と声に出して、考えるふりをする。
お母さんは大仰に両手を天にかざして
この子も私も、わかんないわ、と
おかしそうに云う。
結局のところ、そんな息子でもかわいくて仕方がない、
と云った様子のお母さんの脇で
尋問が終わったことを知り、
またどこ吹く風、という表情に戻る。
このお母さんは、近所の息子の友だちの名前をよく覚えていた。
ムハンマドでしょ、ファイズでしょ、アリーでしょ、、、、
と息子の友だちの名前を云い、
その子たちも、ダメなリストに入っているんです、と
面白そうに云うのだった。
学校にも、何度も往かなくてはいけなくて
往ったら往ったで、姉と間違えられるんです。
確かに化粧気がないのにきれいなお母さんは
まだ29歳だった。
でも、両脇とおなかに子どもを携え
すっかり満ち足りた、何かの中に座っていた。
家を後にして、もと来た道を戻りながら
スタッフと話していた。
あの子はきっと、本当は賢い子だと思う。
少なくとも、あの家族がみんな一緒ならば
あの子は、大丈夫だ、と。
7件目
お父さんが建物の入り口まで迎えにきてくれる。
終始、お父さんが相手をしてくれた。
ここの滞在は、わずか5分ほどだった。
事業に参加するのを止めたのは
息子の成績がそれほど悪くなかったからだった。
でも、今学期の成績はあんまりよくないから
また通わせなくては、というと、
それきり会話が止まった。
家にいるけれど、ワイシャツにジーンズと
しっかりとした身支度をしたお父さんの目には
何か鋭いものがあった。
ほんとうにまれにある、形にならない不安を感じる家庭だった。
用事の電話をし終えると、
こちらに向き直って会話を始めるお父さんには、
何かが、あった。
見事なほどの透明の膜があって
その中で生きている人だ。
自分が電話を受けるために立ち上がると
奥の廊下でお母さんが、すっと部屋に入っていった。
何かに怯えている。
何かがある、としか云いようがないけれど、
何か良からぬことを予感させる家だった。
建物を出た後、感じたものを口にするのがはばかられる。
でも、事業に参加していない限り
何をどうすることもできないし、
もしかしたら、何もないかもしれない。
私の思い過ごしであることを、願うしかない。
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