2016/03/17

彼らの話と暮らしの、断片 3月2週目


仕事の都合で、しばらく家庭訪問に往けていなかった
 
その間に、ヨルダンはすっかり春になる

沸き上がるような緑と、色とりどりの花々
風の音だけの、でも随分にぎやかなお祭りが
茶色い土地の色を染めて、開かれる

不思議と心躍る季節だ

訪問先の家の色も、違って見えてくる
冬、心底冷える家の、何もかもが青白い情景に比べたら
たった一つだけの小さな窓しかない家でも
ほのかに黄色がかって、暖かく見える

事業の方では、しばらく前からヨルダン人家庭への訪問も始めている

当たり前なのかもしれないけれど
家の様子は、ヨルダン人のお宅も、シリア人のお宅も
そんなに大きな違いがない

ふと、どちらの家に来ているのだっけ、と
忘れてしまったり、する

この日は、過去に何度か来たことのある
ハイ ナッザールという地域への訪問だった



1件目


招かれて入った部屋は、アラビーマットが敷き詰められた
小さな縦長の部屋だった。
ヨルダン人の家庭だと分かるのは
家の中のものものに、きちんと歴史と年月が在るからだ。
置かれているもの、飾られているものの趣味趣向は
実のところ、あまり変わらない。
だけれども、棚の中からはみ出す紙の束や
そこここに無造作に置かれているものに
おかしな表現だが、余裕がある。
おもちゃ、新聞、用途の分からない箱、ティッシュのカバー
多くがどことなく使い古されていて、だから、そこに長く居ることが分かる。

一番下の男の子は、学校に往っていなかった。
具合が悪いからお休みしたと云う。
子どもへの質問もあるので、こちらへ来て話を聞かせてくれないか、と云うと
服とってよ、とお母さんに甘えていた。

お母さんは、柔らかいけれど真面目な印象のある人で、
事業の印象や、子どもたちの様子を話してくれていた。

ここの家庭では、大きな娘が2人、事業に参加している。
娘さんに他の国籍のお友達は居ますか?
居るって云っていたわ。
他の国籍でもヨルダン人でも、
きちんとした子どもには、きちんとした友だちができるものです。
そのお友達も、とてもいい子で好きみたいなの。
お母さんは、しっかりとした眉毛を線を少し緩めて
少し微笑みながら云った。

男の子が上着にフードを被って、部屋にやってきた。
風邪をひいてしまったから、というお母さんの横に
猫のように丸くなって座る

ヨルダン人の家庭では、シリア人家庭や他国籍の人たちについて
話を聞くことが多い。
やはり、この家庭でもお母さんが、
お父さんの仕事先での社長の云ったことを、ぽつぽつと話す。
お父さんの給料で、シリア人が3人雇えるって云われたらしいの。
お父さん18年もこの仕事をしているのに、
そんなこと云われて、どう返事をしていいのやら。

開け放した入り口のドアから、近所の男の子が部屋を覗く。
フードを被ったまま、下の子がふらふらとドアの方へ歩いていく。
アパートメントに住む、子どもたちの様子は
どこもきっと、変わらない。


2件目

すっかり道に迷って、訪問チームのみんなが途方に暮れる。
さっきと同じ道を、また通る。
階段があるから下がって、と云っているらしい。
でも、道路の脇には、いくつもの階段がある。
階段のある方向は崖になっていて
すぐ下のワディには、大きな幹線道路が走っている。
ワディの対岸は松林になっていて
随分と光っていた。

やっとここだと分かった家は、
急な崖の斜面に作られていた。

お父さんと連絡を取って、家にたどり着こうとしていたけれど
お父さんは家に居なかったので、余計に手間取ったようだった。

アパートの入り口がそのままその家族の敷地で、
狭いテラスには、太い縄で作られた、簡易のブランコがあった。
4歳ぐらいの女の子が、自慢げに座っている。

どのシリア人家庭とも同じように、顔に疲れは見えるものの
しっかりお化粧をしたお母さんは
大きな目をくりくりさせながら、お話をする。
家には12歳から、その下に4人が赤ちゃんまでそろっていた。
子どもたち5人はずらりとお母さんと一緒に、並んで座っている。

就学年齢の子どもたちが居るのに、みんな揃っている。
学期の途中でひっこしてきたから、学校に登録できないという。
何回引っ越しているんですか?と訊くと、
アジュルン、ザータリ、サルトで2件、アジュルン、アンマン、サルト、アンマンで2件
計9回引っ越ししていることになるわね、と諦めたような表情で笑う。
指を折りながら数を確認して、私たちは呆れる。

2011年からヨルダンに居る、というけれど
これでは同じ学校に通い続けることなど、できるはずはなく
今も家で、何をするでもなく過ごしているようだった。

小さなテレビではアニメがやっていて
無声なのに子どもたちは時々、振り向いてテレビを見上げる。

お父さんはレストランで働いている。
一番上に、14歳の子が居て、その子もまた
お父さんと一緒のところで働いているらしい。
仕事があるところに住むしかないから、転々とするしか、ない。

シリア人として生きるのは、本当に大変、
お母さんは赤ちゃんを抱き上げながら、云う。

お母さんの膝に居るまだ半年ほどの赤ちゃんがむずがり始める。
お母さんは足を伸ばし、両足の間に赤ちゃんを寝かせ
左右に揺らしながら寝かしつけようとする。

他の子どもたちは、その様子を見てみたり、
私の顔を見てみたり、する。
子どもたちがこの家に居て学ぶこともまた、たくさんあるのには違いなかった。
すぐ近くに、友だちも居るという。

おうちで何をするのが好きかな?と1年生の女の子に訊くと
お料理がすきなの、
金のイヤリングが、自信満々の顔の横で揺れる。
汚れちゃうだけなんだけどね、とお母さんは小声で云う。

さっき、おもむろに一番上の子が立ち上がっていった女の子が
お茶を持って来てくれた。

甘い甘いお茶で、空腹の私にはありがたかった。


4件目

ボランティアだったときにお手伝いに来た
UNRWAの学校の脇を通る
小さな子どもが、民家を改築した学校の小さな扉から
溢れ返るように出てくる様子を見る
ちょうど下校の時間のようだった

今から伺う旨を連絡すると
待ってくれと、云う。
家を片付けていないから、恥ずかしいと。

気にしませんから、って云ったんだけど、やっぱりいやみたいだよ、と
スタッフは困り顔で外を見る。

やっと訪問できたお宅は
小さなアーモンドの木が庭に植えてある家で
女の子が3人、家からちょうど出てくるところだった。
午後シフトへの通学の車がやってくる時間だった。

お母さんは誠実で、人の良さそうな顔をしている。
日本人がくるって知っていたら、もっといろいろ準備したのに、
と、私にも云う。
本当におかまいなく、と云うのだけれども、
お母さんは残念そうな、申し訳なさそうな顔をしてしまう。


HCRの証明書ではなく、家族手帳を見せてくれる。
もともとパレスティナ人なので、
シリアで発行された家族手帳にも、
「シリア系パレスティナ人用」と書いてある。

随分と複雑な話だった。

お父さんはパレスティナからシリアに逃げた、シリア系パレスティナ人
お母さんの家族は、パレスティナから一度ヨルダンに逃げて来ているので
ヨルダンの国籍を持っている。
お母さんは小さなときにシリアに移住し
年頃になって、シリア系パレスティナ人のお父さんと結婚した。
シリア政府はパレスティナ人に国籍を与えていないので、
家族はシリア系パレスティナ人として、
宙ぶらりのステータスを余儀なくされた。

そこに戦争が始まり
お母さんの親族を頼って、今の土地にやってきた。
お母さんは家族がヨルダン国籍を持っているからいいけれど
お父さんとその子どもであるあの3人の子どもたちは
国籍がない。

一体どうなるのか、私も全く分からなくて困っています。
私も40年シリアに住んでいたから、ヨルダンのことはよくわからないし。
近所の人ともそんなに、関わりないんです。


まだここでは、お母さんがヨルダン人だからいいけれど
シリアに住んでいたパレスティナ人は
皆、国籍がないに等しい状態で
周辺国へ逃げている。


子どもたちの学校の様子を聞いていて、ふと、名前が目につく。
1番上の女の子の名前は、アカシーア
聞いたことがない、珍しい音だった。
もしかして、と思って尋ねてみたら
やはり、アカシアの木から取った名前だという。

素敵な名前ですね、というと、
お父さんがつけたんです、と嬉しそうにお母さんは答える。
静かで穏やかな話し方のお母さんの声を聞いていると、
なんだかとても安心できる気になってきた。

お母さんは、黒いヒジャーブと黒いアバーエ
足元だけ、赤と黒の水玉の靴下を履いていて
なんだかとても、かわいらしかった。


5件目


窓の外にも庇があるのか、部屋の中は電球の光しかなかった。
どうしようもなく、底冷えがする。
部屋の奥には、マスバハを持った眼鏡のおばあさんが座っていて
ちゃきちゃきした感じのお母さんが入り口近くで
私たちの相手をしてくれる。

玄関すぐの大きな部屋も真っ暗、
キッチンには電気がついている。
真っ暗な部屋から、おもちゃの鉄砲を持った小さな男の子が
控えめに、バーンバーン、と撃つまねをしながら
部屋に入ってくる。

引っ越しは2度目で、前はキャンプに居たという。

お母さんは、黒めがちな目を光らせながら
いろいろとこちらの質問に答えてくれる。
語調が強くて、話し方にリズムがあった。

だけれど、全く大人の会話などおかまいなしに
男の子がお母さんのほほにキスをしたり、
こちらに向かって、バーンとピストルを撃って来たりする。

子どもにとっては、学校が遠くてかわいそうだけれど
お父さんに仕事があるのがここなので
ここから学校に通ってもらうよりほかないの。

お父さんは近所のレストランで働いている。
朝7時から夕方5時半まで。
仕事があるというのは、いいことだからね。

男の子が今度は、三輪車をこぎながら部屋に入ってくる。
うまくこぎきれずに、途中で止まってしまう。
男の子の相手をお母さんが適当にしている間に
おばあさんが、会話に入ってくる。
子どもたちの家での過ごし方を聞いてみたら
あの子は趣味なんてないとおもうわねぇ、とか
その子は絵が好きよ、とか
6人居る子どもたちの様子を、本当なのかどうなのかわからないけれど
おばあさんはしっかり、答えてくれていた。

家からおいとましようとすると、おばあさんも立ち上がって
見送りに来てくれる。
足腰が悪そうで、立ち上がるのに
やーらっぷ、という。
随分と、重みと響きのある、心のそこからの、やーらっぷ、だった。


家の外はすぐ、大きな道路に面している。
春の陽気に染まる光が、目にまぶしい。
さっき出て来た建物の扉が、
四角く、真っ黒な口を開けていた。









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