2019/08/17

彼らの暮らしと、話の断片 8月 3週目


終戦の日を、そこはかとない違和感とともに
意識するようになったのは、
今の仕事を始めてからだった。

戦いが終わっても、その後に残される
目に見える、そして見えない変化と影響から
戦争のせいで、という、心の中の負の残滓がある限り、
本当の意味で、戦争が終わったとは、言えないのではないか。
ここ数年、毎年この日がやってくるたびに、
そうぼんやりと、思う。

近くに、その影響で暮らしを変えなくてはならなくなった
たくさんの人々がいて、
それぞれがそれぞれの背景の中で、
多かれ少なかれ、
失くしたものを嘆き、過去を恨んでいた。
前向きに未来を見る人たちも居るけれど、
だからと言って、
明るい未来や、慣れてきた新しい土地での暮らしが
戦争のあった事実を忘れさせてくれる、
なんてことはあり得ない、という
当たり前の現実の中を、彼らは生きている。


隣国では内戦、紛争、戦争、
どの表現が最も的確かは分からないけれど
そのようなものが実際に続いていて
そこから逃げてきた人たちの多くは、
戦いの何たるか、を経験し、見聞きし、体感している。

それらを私が、どこまで想像できているのか、自信がない。
けれど、少なくても、近くにあるものとして
認識せざるを得ない。

その反面、何かが私の中で、手に取るように分かる、
という経験は稀だ。
中途半端な位置にしか立てない私には、
おそらく、日本人として、
自分の国の戦争を振り返ることに、
より近くに感じられる糸口があるはずだ、
そう、うっすらと感じていた。

だから、8月15日という日は、
改めて考えるのには、いい日のはずだった。

何か考えたい時には、できるだけ、歩きたい。
だから、去年も、今年も、歩いていた。

ただ、今年に関しては、
最近の日本のニュースを少なからず気にしながら、
あの戦争をどう捉えるのか、ということが
多く語られているように見えて、
捉え方の違いから生まれる摩擦や、気持ちの通じなさ、
のようなものに、気をとられがちだった。

その結果、心塞ぐことが必ずしも、
私が知りたいことや、考えたいことの延長にはなかったので、
どうしたものか、とぼんやり、思っていた。


戦時中、中国にいて、終戦後しばらくしてから、
船に乗って日本に帰ってきた時の
祖父の話を、歩きながら
必死に思い出そうとしていた。

亡くなる年のお正月に、
突然、引揚船で海を渡った時の様子ばかりを
話そうとする祖父の異変に、
おじいちゃん、そろそろかな、と
帰りのタクシーの中で、家族の誰かがぼそっと呟いた。
もう20年近く前の話だ。

何で、こんなところで、
荒れた日本海の様子を、頭に描こうとしているのだろう、と
ふと、思う。

戦いによって生み出され、隣国に残された、
難民の人たちの住むキャンプは、
風が強くて、砂埃が遠くで、青い空の地平線近くを
茶色く染めていた。

眼の前では、走っていく小さな子どもたちがいて、
その日の朝ニュースサイトで見た、
戦後の町の様子を写した写真の、裸足の子どもと重なる。
綺麗とはお世辞にも言えない服を着て、
素足のまま、段ボールを引いていく
3、4歳の子どもたちのグループ。

私が目に映るものから分かり得ること、は
いつでも、子どもは遊び方を知っている、ということ
それから、戦いには終わりがあるかもしれないが、
この暮らしを続けなくてはならない人たちが、
現実として存在している、ということ、
この子たちが、どんな大人になるかは分からないけれど、
彼らの成長に、戦いの影響がない、など
おそらく、あり得ない、ということだった。

もちろん、そこからの成長に、明るい望みはある。
でも、もしも、あんなことさえなかったならば
ここに住まなくても良かった、という
不毛な仮定が、久々に頭をもたげる。

しなくてはならない仕事を終え、
ずっと、伺う約束をしていたお宅へ、
新年の挨拶をしに行く。


ザアタリ難民キャンプ District 8


道を一本間違えて、どっちだったか、と
十字路で立ち尽くしていたら、
小さな女の子が駆けてきた。

おうちに来てコーヒー飲んでいって、と言いながら
指差した先には、軒先に座るお母さんが居た。

行きたいおうちがあって、迷ってるのよ、と言うと、
急に関心がなくなってしまったのか、
そうなんだ、と言って、女の子は家へ駈けもどる。
でも、お母さんはにこやかに、こちらへ手を振っていた。


写真に収まった家の近辺をよく、記憶していた。
あの時は寒かった。

砂埃がひどいから、と扉をしっかり閉めた部屋の中は、
思ったよりも、涼しかった。
ソーラーパネルで扇風機が回っていたし、
コンクリート敷きの広い土間は、冷たい。

子どもたちはみんな、家の中にいたけれど、
奥さんがいなかった。
もう少しで帰ってくるから、と言うので、
どこに行っているのか尋ねる。
来月子どもがまた生まれるから、
検診で病院に行っている、とのことだった。

しばらくして、病院から戻ってきた奥さんは
うっすら顔に汗をかいていた。

一番下の子は、最後に見た時にはまだ、
赤ちゃんだった。
立ち歩いて、上の兄弟からぬいぐるみを奪い取ったり、
駄々っ子ぷりを発揮する様子は、
すっかり子どもだ。

とにかく、長女がよく、面倒を見ていた。
そろそろ眠たくなる時間なのか、
むずがり始めると、
床に足を伸ばし、その上にクッションを置くと、
末っ子を寝かせて、ゆりかごのように
体を揺らす。

まだ線の細い長女の足では、安定感がないのだろう、
結局、うまく寝付いてくれなかった。

土間は広い。
そこで、双子のような次女と三女は
何がおかしいのか、ずっとキュッキュと笑いながら
ぐるぐる回り続けていた。
よく目が回らないな、と感心して呆れるほど、
回り続けていた。

長男は、突然の客にどうしようか、少し戸惑っていた。
でも、サイコロゲームや勉強のノートとか、
家長であるお父さんに言われるがまま、見せられるものは全部、
見せてくれる。


実は、他の家にも行く予定があった。
だから、挨拶だけして、帰るつもりだった。

なのに、家長からの質問は、
「朝食を食べてから、昼食を食べるか、
昼食だけ食べるか」と言う選択肢だった。

事情を話しても受け入れてもらえず、
紅茶が出てきて、水タバコまで準備され、
シリアのご両親が人づてに送ってくれた、という
美味しいクッキーを出してくれる。

知らないうちに、鶏が丸々2羽、解体されていた。

腹をくくるには、理由が必要だった。
前回来た時に、美味しくてたくさんいただいた、
カプセの作り方を教えてもらうことにした。
鶏の出汁で炊いたご飯の上に、
スパイスの美味しい、柔らかな鶏が乗っている食べ物。

ここの家のカプセの鶏の味は、他にはない何かが、使われていた。
それを教えてもらうには、いいチャンスだった。

土間の先に小さく区切られた、台所に入れてもらう。

もともとは、小学校低学年の担任の先生だった、という奥さんは、
私の拙いアラビア語を、上手によく、理解してくれた。
なんだかとても、安心できる人だ。

狭くて、ガスを使えば一気に暑くなる狭い台所は、
でも、とてもきれいに整頓されていた。
壁に取り付けられた棚、その下のスペースには
大きさの順番に重ねられた鍋、同じサイズのデーツのパック。
スパイスの入った大きなかご、油類は、
カーテンの奥に整然と、並べられていた。
棚の食器も、同じ食器を2段で交互に置き、
コップも列乱すことなく、
お店のディスプレーのように、並べられていた。
砂塵のせいで一瞬でザラザラになるはずの建物の中なのに、
どこにも砂はない。

使った食器やボールやまな板や包丁を
すぐ、丹念に洗っていた。
白くてふっくらとした、奥さんの手も、
その度に、泡だらけになる。

お腹が大きいので、水場に立つたびに、
お腹が水に濡れてしまう。
それでも、一生懸命、洗い続けていた。

手伝わせてくれないので、ただただ、
その無駄のない所作と、
手際よく鍋に入れられていく鶏やタマネギや
スパイスの数々を
大事な儀式でも見るように、ただ眺めていた。

土間は、セメントを敷いてツルツルになっている。
でも、そのセメントは、
ところどころ亀裂が入っていて、
それをまた、埋めていた。
埋めた部分もまた、ツルツルになっていて、
模様のようだった。

5、6年の間に、何度修繕したのだろう。

調理をしている奥さんの周りには、
私も台所に入ってしまったせいで、気になったのか
子どもたちが入れ替わり立ち代り、やってくる。

ガスを使い始める頃には、
一番下の子は立ち入り禁止にするのだけれど、
そんなのおかまいなしに、入ってきては外に出される。

名前を呼ばれて、末っ子を引き取りにやってくる長女、
ついでにやってきて、結局邪魔をしている次女と三女、
そして、粛々と進んでいく調理。

ふと、土間に目をやると、
砂がひどいから、と家長が箒で掃除をする。
末っ子が落としたクッキーのかけらも
掃除をする。

ツルツルの床はもっと、ツルツルになる。

仮住まいのはずの、プレハブの家を、
手間をかけて丁寧に、使っていた。
生活に必要なもの、そして、
生活を彩るものを、大事に使い、直す。
その繰り返しがなされた時間のうちに、愛着が湧いてくる。
そんな愛着が、清潔に保たれた、
薄暗い土間、台所、お手洗い、居間に、溢れていた。

食事をいただく頃、
末っ子はお昼寝を始める。
長女はお母さんの真似をしていたのだ、と分かる。
お母さんの足の上では、揺らし始めて2分もかからず、
あっという間に、眠りに落ちてしまった。
眠ってしまったら、動かしても起きない子だった。




カプセは、前回同様、美味しかった。

まだ小さい子どもたちは、そんなにたくさんは食べられない。
ヨーグルトやサラダを混ぜて、食べやすくした
皿をちょっとずつ、つついていた次女は
家長に叱られる。

たっぷりいただいて、お腹がいっぱいになった頃には、もう
お暇しなくては、ならない時間だった。

子どもたち一人一人に挨拶をして、
急ぎ足で、家を後にする。

車に乗ったところで、
無事出産できますように、と言うのを
忘れてしまったことに気づく。



埃は相変わらずひどくて、
どこかから結婚式のパーティーの音楽が
強い風と埃に乗って、どこかから流れてくる。

家の中の、静かで清潔で落ち着いた空間と、
外の砂埃と強い日差しのギャップに、頭が真っ白になる。

あの静かな空間が、
薄茶色に染まった、プレハブの一つ一つの中に存在する、
それは、静謐な秘密のように、思えてくる。


でも、いくつか伺ったキャンプの家の中には、
外見と同じぐらい、荒れ果てた家も、あった。
そのご家族は、家への愛着が抱けない、
心のあり様だったのかも、しれない。
ただ、家だけではなく、自分の子どもたちに対しても、
同様に、愛情が抱けなくなっている、家庭だった。
服が床の脇に散らばり、タバコの灰が舞い、
どこかの派閥の柄の入った細い襟巻きが、
だらりと、壁にひっかけられていた。

仮住まいでも、暮らしを少しでもよくしよう、
そう思えることそのものが、
実はとても、本来は困難なことのはずだ。

丁寧に洗ったり、並べたり、直したりする行為は、
何かを払拭しようとする、
もしくは、崩れかけた何かを、必死に元に戻そうとする
行為なのかもしれない。

おそらく、戦後間もない頃、
家や、それまで大切にしてきた物事を失った人々にも、
そんな行為を繰り返しがあり、
今の、日本の暮らしがある。

トタンを継ぎはぎしたバラック小屋の写真を、思い出す。
私にはまだ、その頃の詳細な暮らしの築き方に
想像の種が、足りない。

2019/08/09

彼らの暮らしと、話の断片 8月2週目


ヨルダンの夏休みは長い。
6月2週目あたりから、8月いっぱいまでお休み。
その間、キャンプではサマーアクティビティをしていた。
昨日が最終日で、発表会をする。

こじんまりとしていたけれど、
男の子たちが行儀よく椅子に座れないのも、日差しが強いのも、
女の子たちがよく手伝ってくれたのも、毎年通り。

今年も開けたことが、ありがたい。

オープンデーのために手伝いに来てくれていた、
キャンプの元同僚のお宅へ、帰りに少し、寄らせてもらう。



1件目:ザアタリキャンプ District 2


過去にも二度ほど伺ったことがあったけれど、
2年前に生まれた子に会ったことがない、ということは
2年以上、伺っていなかったことに、なる。


お宅へ入ると、スタッフのお母さんと
スタッフの奥さんのお母さんがいた。
小さな家族だから、毎日こうやって集まっているんだ、と。
確かにキャンプには、かなり大きな家族もいる。
一族郎党、という言葉が似合うような、巨大なファミリー。

でも、そういう家族に比べると、
2,3世帯しかない、彼の家は小さい。

いつも、彼はこちらの仕事のことを気遣ってくれる。
家族みたいなものだから、いつでも困ったら声をかけてくれ、
と言ってくれる。
そういうことを言ってくれる人は他にもいるけれど、
長く一緒に働いてくれていた彼の言葉は、
もっと重く、温かく感じられる。

彼が違う仕事を始める決心をした時、
残って欲しかった私は、恨めしそうに、
どうして転職したいのか、尋ねた。

キャンプの中でも、新しい能力や技術を学べる場があるのならば、
チャレンジしていきたい。
状況や環境はどうであれ、
自分を進歩させていかないとな、と思って。

そう話した彼を、私は心から尊敬している。

昔、ダマスカスで日本紹介の展覧会のようなものが、あったそうだ。
そこへまだ、小さかった彼を、ご家族が連れて行った。
日本人に顔が似ていてねぇ、と
おばあさんが面白そうに話す。
会場の椅子に座らせたら、日本の子みたいだった、と。

今はすっかり髭も濃くなって、キャンプの暮らしに肌の焼けた彼から、
いまいち上手く想像できないのが、顔に出てしまったのだろう。
子どもの頃の写真やら、過去の証明書の類を、
持ってきて見せてくれる。

確かに、小さな頃の彼の顔は、
髪の色も顔の彫りも薄くて、真面目さが際立った、神妙な顔をしていた。

娘さんは二人とも、奥さんに似ている。
色が薄い奥さんに似て、良かったねぇ、などと
おばあさんたちは二人で、ニヤニヤしていた。

日本の奨学制度の話を聞いたんだけど、あれは行けるのかな、と
彼は尋ねてくる。
学位的には問題ないが、英語が必須なので、
まず英語を勉強してから、日本語も勉強しないといけない、と
説明をする。

そうかぁ、じゃあまずは英語なんだな、と
くしゃっと笑いながら言う。
彼のお姉さんは、カナダに第三国定住で移っている。
あと1年したら、カナダ国籍が取れるんだ、と
嬉しそうに話していた。

彼女が発ってから、もうそんなに時間が過ぎていたのか、と
思う。

私たちが話をしている脇で、
すっかりお姉さんになっているかと思いきや、
家の中でだけお転婆の感が出てきた、娘さんが
お皿のケーキを食べようとしたり、
遠くにあるジュースを取ろうとして、
行儀が悪いと、叱られる。
2歳の下の子は、携帯電話をいじっていて
それを上の子に取られて、半泣きになる。

久々にカメラを持ってきていたので、
写真を撮っていいか尋ねると、娘さんは
決めのポーズをいくつか、披露してくれた。


キャンプのキャラバンは、どこの家庭に伺っても
窓が小さくて、日中でも薄暗い。
最近では、ソーラーパネルやジェネレーターを持っている家もあるけれど、
最低限しか使わないから、
日中に部屋の明かりをつける家は少ない。

あとで確認してみたら、ブレている写真が多かった。





外は、白っぽい砂に反射して、空のほかは
どこも、明るすぎる。
いつも、キャラバンから出るたびに、
目がくらくらする。

家のある通りを、いい加減覚えたくて、
目抜き通りからどこを曲がればいいのか、
写真を撮っておく。
ウェディングドレスのお店が、路地の向かいにあった。
あの店の名前はなんて意味なの?と訊くと、
天国にある、花の溢れた美しい場所だ、と
教えてくれる。

今週末には、若いスタッフの婚約式もある。

花に溢れた、美しい場所は、
キャンプの中のどこにも、存在しない。

砂にまみれた看板とは異なり、
ウェディングドレスのお店の窓ガラスは
内側はきちんと掃除されていて、
赤、ピンク、黄色と、花のように鮮やかな色彩が
暗い店内で、着られるのを、待っている。

まだ小さな娘さんも、いつかあんなドレスを
着る日がやってくるだろう。

その時、彼女はどこにいるのだろう。




2019/07/19

犬と狂気


キャンプにちらほら、子犬が歩き始める。
子犬がぶらぶらしているのを見ると、
面倒を見たくなる、悪い癖を
一生懸命、自粛する、今日この頃。
子どもたちがいじめるので、
子犬の多くは、近づくと逃げていく。
大人な犬たちしか、画角に収まってくれない。





いしいしんじの、「ルル」という話。

久々に、途方もなくいい短編だと思った、一番の理由は、
犬を介して、心に傷を負った子どもたちが、
癒されていくその、とても抽象的で、言葉にはしずらい過程を、
見事に、描いていたからだった。
誰でも想像に難しくない、おばさんの愛情を
犬は思い出しながら、もらった愛情を、
夜な夜な子どもたちに、送り続ける。

でも、もう一つとても、いしいしんじらしくて、
どうにも素敵だと思ったのは、
その犬が、実はエアー犬だったのではないか、という
話の流れだ。

エアー犬の姿形、日々の様子は、
子どもたちによって、申し送りされる。
子どもたちの想像力が、犬を創り出す。

心身ともに、疲れ切って追い込まれた子どもたちが
生み出した幻想。
でも、時として、想像力は、現実にまさる力が、ある。




うちの向かいの部屋には、犬が2匹いる。
全力で尻尾を振り、全力で顔を舐めてくる
すこぶる愛想のいい、犬たちだ。

夏の間は、こちらがベランダにいると、
玄関がベランダだから、犬たちはご機嫌でやってくる。

他人の犬で遊べる特典付きの、家だ。


一度だけ、犬を買ったことがある。
子犬のラブラドールレトリバーは、
我が家にやってきてもずっと、お腹を下していて、
結局ブリーダーに返さなくてはならなくなった。
もう20年以上前の話。

今でも時々、
改築前の実家の廊下の奥で、
具合が悪そうにうずくまるあの犬の姿を
ふと思い出すことが、ある。

子犬も育てたし、可愛がっていた野良犬もいた。

ダニエルさん、という野良犬は、
私の車の助手席に乗るのが上手だった。
その頃乗っていた、ジムニーの助手席のドアを開けると、
当然のように、ひょいっと、乗ってきた。
ダニエルさん似の野良犬が、大量に居たところを見るに、
ぶいぶい言わせていたようだった。

ダニエルさんには、野良猫を追い立てるという、
悪趣味があった。
老いて具合が悪くなった冬、
いつもからかっていた猫たちに、たるんだ尻を噛まれていた。
元気が良かった頃、猫を追いかけ回すたびに、
捕まえて叱っていたけれど、
尻を噛まれても逃げることしかできない、
その様子が、あまりにも不憫だった。

その年のお正月を、4畳半の部屋で一緒に過ごしたけれど、
部屋を出ていく後ろ姿が、
ダニエルさんを見た、最後だった。

ぷりぷりの犬のお尻を見ると、いいことがある。

気分の問題かもしれないけれど、いい気分になるし、
実際いいことが、あったりする。

では、いいお尻の犬が、欲しいではないか。

でも、当然のことながら、
今の暮らしでは、犬も猫も、飼えない。
近い未来でさえ、決定できない、意志の弱い私は、
動物が自分の将来の身の振りを決めることに、
不安が先行してしまう。

エアー犬か、と、ふと、思う。

そこには、狂気の沙汰がある、とも言えるけれど、
もともと、想像力を持って生まれるのが人間だけならば、
その能力が備わっている時点で、
狂気と現実は、隣り合わせだ。

エアー犬を想像してみる。
でも、詳細が描ききれないことを知り、
まだまだ、究極的に追い詰められていないことに
ほっと胸をなでおろしたり、する。




手には入れられないけれど、
好きだったり気になったりするものがあると、
ずっとそれを、描く癖がある。
靴とか、猫とか、ロバとか。
だから、犬を描いてみる。
猫は骨格までよく、想像できるけれど、
犬はそうでもない、ということも、知る。

たぶん、しばらく犬の絵を、描き続けるのだと、思う。





2019/04/27

彼らの暮らしと、話の断片 4月4週目


4月に入って、今季最後の寒気が、過ぎて往った。
今年一番の寒さと、同じぐらいの気温だった。

そして、また暑くなる。

ラマダンの前に、済ませておかなくてはいけない
諸々の中には、
仕事とは関係のない、シリア人の知り合いに会いに往く、
という要件も、入っていた。

二件のうちの一人に、アポを取ろうと、連絡をする。

Whatsappはしばらく既読にならない。
そして、来た返信には、シリアに戻った、と、
書かれていた。

14回目の手術を受けてから、まだ3週間ほどしか経っていないのに、
どうしていきなり、帰ってしまったのか、
どうやってあの状態で、生活をするのか、
そもそも、働けないのに、どうやって生計を立てていくのだろうか、
様々な心配が、頭をよぎる。

でも、何よりも、後悔の渦が心を覆う。
キャンプの帰りにいつも、彼の居た病院の近くは通っていたのに、
今日は疲れているし、まだ仕事があるから、と
繰り返し保留し続けた結果、会えなくなってしまった。

誰がいつ帰るか、分からない。

もう一件に、慌てて連絡をする。
1年前には、生活が苦しいから、もう帰りたい、と
いっていたことを、記憶していた。








一件目:ジャバル・ナセル

いつも、お菓子を買って伺っていたけれど、
今回は、羊肉を買っていくことに、決める。
実は、羊肉を調理することは、ほとんどない。
だから、どこの部位が、どの料理に合うのか、
よく分からなかった。

スーパーには、金曜日の朝なのに、
たくさんの肉が並んでいる。
忙しなく注文を受ける店員に、どこの部位がいいか、相談する。
立派な、脚の付け根を、指さされる。


一気に暑くなって、身体が焼けるようだからか、
手持ちの袋の中に入った、肉の塊の冷たさが、
袋と服をすり抜けて、伝わってくる。

タクシーに乗る間、肉が痛まないか、心配になる。
高台を一気に登るタクシーの黒いシートは、
真夏のように暑くなっていた。


アパートの玄関は開いていた。
床中に、灰色の布が、広がる。
挨拶をすると、細長い布の両側から、
夫婦が挨拶を、返してくる。

何をしているのかと思ったら、
屋上に取り付ける、日よけの布に、
鉄線を通しているところだった。


ここの屋上の思い出は、明るい。

一昨年来た時には、子どもたちがビニールプールで、
水遊びをしていた。
水鉄砲をかけられ、一緒に泳ごう、と誘われる。
まだ小さい、3人の息子たちは、
呆れるぐらい、いつまでも、遊んでいた。


屋上のここに、布を吊るすんだよ、と
お父さんは、屋上に連れて往ってくれる。
でも、屋上には、プールが、ない。

生活に困っている話ばかりを聞いてきたから、
あの立派なプールも、売ってしまったのだろうか、と
不安になる。

前は、プールがありましたよね、と言うと、
あぁ、あれはまた、ラマダンが明けたら、出すよ、と
お父さんは答える。

プールがあると、遊んじゃって勉強しないし、
ラマダン中は、厳かに暮らさなくてはいけないから、
今は仕舞ってあるんだ。

そうですね、期末テストも近いし、と相槌を打つ
こちらの顔もつい、ほころぶ。


部屋に戻ると、お母さんが、
何か変わったところはない?と尋ねてくる。

よくよく見てみると、家のソファの貼り布が
新しくなっていた。

夫婦の寝室の中には、いつの間にやら買ったのだろう、
立派な工業用のミシンがあった。
お母さんは、せっせとソファの布を縫い、
屋上の日よけを縫い、
余った布で、カーテンを縫う。

夫婦そろって休みの日に、
子どもたちのために、日よけの布を、仕立てている。
袋状になった、鉄線を通す部分の最後が狭くて、
うまく、通らない。
二人で、ああだこうだ、と鉄線を戻してみたり、
布の出口を広げてみたり、する。
なんだかとても、楽しそうだ。



鉄線を入れおえる頃には、お祈りの時間が終わって、
子どもたちがはしゃぎながら、
階段を登ってくる、声と足音が、聞こえる。

3ヶ月ぶりに会う子どもたちは、相変わらずだったけれど、
長男はまた一回り、大きくなっているようだった。
相変わらず、色白で華奢な真ん中の子、
そして、黒目がきらきらしている、お調子者の、末っ子。

お客が来たから、と、ソファに座らせる子どもたちも、
一通り学校の話や、勉強の話を訊きおえる頃には、
部屋のあちらこちらで、遊びを始めていた。

壊れた飛行機のおもちゃの、プロペラパーツだけを
解体してクルクル回し続けてみたり、
人形を出してきて、遊んでみたり。

お正月にこちらの家を伺った時、
ご一緒したマリオネット作家さんに、即興で作っていただいた
クマのぬいぐるみのマリオネットも、健在だった。

その時は一つだけ、ぬいぐるみをマリオネットにしていただいたのだけれど、
その後お父さんは、自分でもう二つのクマのぬいぐるみも、
糸をつけ、コントローラーを棒で組み立て、
マリオネットにしていた。

子どもたちが、マリオネットで遊んでいる。
クマのマリオネットのお名前を尋ねたのに、
自分の名前を答えてしまう、末っ子と、
シロクマにきちんと、ホッキョクグマです、
と答える、賢い次男。

あなたたちの名前は?と、
マリオネットを操る子どもの名前を、質問してみる。
ぼくは、ちっさいクマ。
ぼくは、中くらいのクマ。
ぼくは、大きなクマ。

兄弟が喧嘩にならないように、
一人一人遊べるように、
お父さんは自分で、二つのマリオネットも作ったのだ、
ということを初めて、知る。

前回伺った時に、持っていき忘れていた人形も、あげる。
女の子の人形なんて、合わないわよね、と、
言いつつ袋から取り出すと、
部屋の奥から、別のバービー人形が出てくる。

立派なお祈り用の、
手作りのヒジャーブと簡易のスカートが
バービー人形用に作られていて、
お母さんは、せっせと、服を着せていた。



屋上の日よけ用の布貼りを、する。

思ったよりも長かった布は、
どれだけ引っ張っても、うまく張れない。
屋上の小さな物置と、鉄でできた立派な屋根付きソファに、
鉄線の両側を結びつける算段だったようだ。

ちょうど一番、日の高く昇った屋上は、暑くて、
お母さんとお父さんは、うっすら汗を顔に浮かべながら、
一生懸命、鉄線を引っ張る。

その脇で、子どもたちは早速、
できた日陰の中に入って、ゴロゴロしていた。
落ちていた黒いビニールテープを見つけて、
ヒゲに見立ててみたり、
小さなおもちゃのウードを、かき乱してみたり、
水の入っていない水鉄砲で、
水の出る構造を教えてくれようとしたり、
おもいおもいに、日陰を楽しんでいた。




これは、別に鉄線を結ぶ場所が必要だ、という結論に至ると、
みんな揃って、部屋に戻る。


ずっと家の台所からは、フール(そら豆)を煮る匂いが、していた。

大きな鍋いっぱいに茹だったフール、
レモン、塩、カルダモンの乗ったお皿、
そして、フール用のお皿と、コップが出される。

フールそのものだけではなく、
フールを煮たお汁も飲むのだ、ということも、
初めて、知った。
スープにはすでに、塩とカルダモンが入っていて、
たっぷりレモンをかけていただくと、
酸味と、豆の味が、よく似合う。

アラバーイ、とこちらの人たちが云う、
移動式の露店で売られている、フールの映像を
お父さんは見せてくれる。
ダマスカスの、その映像の中では、
ビニール袋でも、紙コップでもなく、
きちんとお皿に守られたフールが、売られていた。


黙々と、大きな銀色のお盆を囲み、
フールを食べ、スープを飲む。
次男は、茹でが甘くて硬い豆を見つける度に、
横に座っているお母さんのお皿に、入れる。

仕方ないわね、と、お母さんは、
入れられた豆も、美味しくいただいていた。

朝食を取っているから、全部は食べられないの、と云うと、
あら、私たちも朝はきちんと食べたわよ、と
お母さんは笑う。

食べ終えた子どもたちは、また遊びに戻る。

お暇を伝える前に、以前した約束は覚えていることを、
話しておきたかった。
前回、伺った時、もともと、
家具や家の内装をする仕事をしていたお父さんは、
様々な道具の話をしていた。

私がもう、使う予定もない、
彫刻の鑿を、今度日本に戻ったら持ってくるから、と伝える。

もらえるだけもらって、使ってくれない家庭もある。

けれど、この夫婦は
生活を少しでも彩よく、楽しくするための知恵を、
必ず、持っている。

もちろん、お父さんの仕事に使えたのならば、
それは素晴らしいけれど、
そうではなくても、
子どもたちのために、そして自分たちの暮らしのために
身の回りのものを、きれいにして、
幾らかでも気持ちを、豊かにできるのであれば、
こちらとしても、本望だ。


いつも通り、建物の入り口まで見送りに来てくれた
お父さんと子どもたちは、
スリッパでパタパタと降る足取りも軽やかで、
明るさが、響いていた。



木彫で、鑿は命のようなものだと、教えられていた。
一体、あんなに大切に使っていたものを、
実家のどこに、仕舞ってあるのだろう、と
タクシーの中で、頭を抱える。

絶対どこかにあるはずなのだけれど、
それがどこなのか、さっぱり、分からない。






2019/04/09

結局のところ、桜が、恋しい

新元号に沸き立つ日本を尻目に、
なんで日本は4月始まりなんだろう、なんて、 天邪鬼なことを思うのは、実は、 日本の4月の清々しさが、苦手だったりするからだ。

4月始まりは、日本とパナマ、 インドネシアやペルーぐらいだ、と ネットで確認してみたり、する。

みんな一斉に、 何かを新しくしなきゃいけない、 心を入れ替えなきゃいけない、という 暗黙の空気が、怖かったりした。

大学生の頃、毎年キャンパス一面に広がる桜並木こそ、 心いっぱい愛でたけれど、 あとはいそいそと、連れてこられる捨て子猫や
捨て子犬を育てるのに、明け暮れていた。
桜を愛でるだけで、精一杯だったし、 春は、お別れをしなくてはならない人たちもいるのに、 知らない人が一緒の教室に来たり、 新しい目標を考えたりしなくてはならないのも、 とろいので、うまくこなせなかった。

4月1日の朝、出かけに、 シリアに帰った元同僚からボイスメッセージが来る。

大好きだ、いつも気にかけている、という 彼女の声は沈んでいて、 その日の、冬のようなどんよりした雲、 冷たい風がコートの隙間を縫って入ってくる感覚と、 彼女の声は、じわりと、身体に染み込んでくる。

4月が始まりだなんて、関係ない場所に居る。 置いてきぼりを食らうのは、いつものことだし、 嫌いならば、いいではないか、と思いつつも、 彼女の声に、いつかの記憶が、共鳴する。

とても、寂しいのだろうと、思う。 きっとあちらの国と同じ色の、小雨降る空を見上げる。 あんずの花も、散った花びらは、踏みしだかれて 空と同じような、灰色になる。



頭の週は、4月だなんて信じられないぐらい寒かったのに、 ある日、一気に暖かくなる。
そして、4月に入ってから一気に、仕事も忙しくなる。
朝、バスの窓から見る景色も、 次第に、色が薄くなっていく。
水気を含んで青々としていた、草はだんだんと 枯れる準備をし始める。 菜の花も盛りを過ぎて、 開き過ぎた花には、虫がたかり、 茎は見るからに、丈夫になっていく。 夏には文字通り、刺してくるアザミが、 じわじわと、その鋭利な葉先を、伸ばしていく。



ヨルダンでは、暖かくなることは、すなわち、 水分を失っていく、ということ。

柔らかさ、とか、しなやかさ、が 周りの草花から、感じ取れなくなってくる。

仕事の合間に、何気なく、キャンプの空き地の先を見る。
見事に茶色い、草一つ生えないような土地は、 どこにも春を愛でるような、景色などない、と思っていたのに、 そこでピクニックをする家族を、見つける。

ただ、暖かくなって、天気がいいから、というだけで、 空き地に出かけていく。 天気が良かったならば、外へいそいそ出かけて行って、 暖かな空気を、目一杯楽しむ。

ふと、彼らを羨ましいと思う、自分がいる。



近しい人たちがいなくなって、さみしい、とか、 新しい環境なんて、期待よりも不安でいっぱいだ、とか、 そんな後ろ向きな気持ちと、じっくり向き合いながら 馬鹿みたいに毎日、桜を愛でて、そして散っていくのを、 呆然と眺めるのが、春だった。

桜が散りきって、 色相からも相容れない、緑とピンクの、 どうにも気にかかる色合いの、葉桜になる頃、 やっと、仕方がない、と 新しくて、嬉々とした何ものか、に 向き合わなくてはならない現実を、見る。

春が、終わっていく。 それは、何とも、口惜しいことのように、思えてくる。

どれだけ、後ろ向きであっても、苦手だと思っても、 漫然とした、心の移ろいを、 次第に暖かくなる空気、桜の花とともに、見つめる。 その、年に一度の儀式を経て、 4月という新しさを、受け入れていく。
その、過程そのものを、結局のところ、 謳歌していたということに、気づかされる。

桜も草も、ないけれど、 陽の光を存分に浴びた彼らは、 まさに、私が今、したいことを、しているのではないか。

その様子に恨めしさでいっぱいになりながら、 キャンプの空き地の親子を、 フェンス越しに見やる。
すでに、日差しが強くて、南に向いた空き地を凝視などしていると、
顔がじりじりと焼けていくのを、感じる。
はっとして、仕事へ戻る。

一体いつになったら、
桜のつぼみから、散りゆくまでを
飽きるまで、見つめ続けることができるのだろう。

2019/03/29

良心が食われる時



それなりに長く、一つの国にいると、
構造的に、その国の社会の成り立ちを体感する。
そこには大量の問題があるけれど、
基本的にどの問題も、私が口を出す話では、ない。

最低限の権利、特に子どもや、社会的に弱者に当たる
人々にまつわる権利には、
仕事のこともあり、問題があれば、
解決へ向けてのアプローチをしていく。
そのために私はここに居るので、
それは、仕事としてしっかり、しなくてはならない。

大人の価値観や、文化、宗教、習慣などに対して感じるギャップや問題は、
その国の人たちが、自ら変えたいと思わなければ、
解決へ向けて動かないことを、
さすがにいい加減、経験的に、学んだ。


日常の大小様々なフラストレーションの多くを、
解決しようとするのは、ほぼ、無理だ。
慣れることでやり過ごすより他に、
どうしようもないことが、多すぎる。

それでも、腹が立つことは多い。
そこで、仏マインドを手にいれるために、
とにかく、できる限り、笑顔で対応しようと、思ったのは、一昨年あたりから。
初めは、笑い飛ばそうとしていたけれど、
笑い飛ばすのだって、結構場合によっては、疲れる。

あとは、こちらの心の在りようだ、と
とにかく、ひたすら、全力で自分の良心を
引き出そうとしていた。
たぶん、疲れているから、
怒る労力を減らすための、何かしらを
本能的に模索した結果だと、思う。

もっとも、こちらで間近に私を見ている人は、
そんなことを本当に、しているんだろうか、と疑問に思うだろうけれど、
それでも、以前よりは、丸くなったと、思う。

丸くなっているのか、諦めているのか、ここには、
大きな差が、あったりする。
諦めの過程には、
腹を立てている相手の背景に、目を向ける作業がある。

何でこの人は、このタイミングでお金をせびってきたりするのか。
子どもが6人居て、未だパレスティナキャンプから出られない、とか、
仕事が安定していない、とか。

何でこの人は、私を知らないのにこんなに、バカにしてくるんだろうか。
今まで会ったアジア人が、もしかしたら彼にそうさせる、
言動があったのかもしれない、とか、
彼の家族や周りの人が、閉鎖された視点でしか、
ものを見られなかったから、とか。

この作業もまた、労力を費やすけれど、
腹をたてるよりは、生産性がある、と思っている。
ただ、ここには、哀れんでいるのではないか、という
疑問も出てくる。
そこのところは自分の心に、鋭敏でいなくては、ならない。
自分がその立場で、その環境で育ったらどうなっていたのか、もまた、
想像を巡らさなくてはならない。


そして最近、気がついたことが、ある。

心を開けば開くほど、
分かりあえる人たちも、居ると同時に、
ある一定数の人たちは、
開いた空間の中に入ってきて、
食いちらかそうとする、という事実。

良心に漬け込む、人々のことだ。

良心が、道徳心に照らし合わせて、正しい行動をしようとする
心の在りようを、指しているのであれば、
そもそも、食い散らかしにかかる人々と私には、
道徳心、や、正しい行動、というものへの
認識の違いがあるのかもしれない。
もしくは、良心は、赤の他人ではなく、
近しい人たちのためだけに、取っておくものなのかも、しれない。



ここで、また自分の身の振りを、考えさせられる。
ひたすら阿呆のように、知らないふりをして、
これ以上自分のなにかしらを、すり減らさないようにするのか。
やはりここは、自分の主張や尊厳を守るのか。
もしくは、もう、一生相手にしないのか。

気持ちの弱い私は、
その場では、阿呆になることを選択しがちだ。
もしくは、もう相手にしないために、
極力避ける。
そして、あとで日本人に散々、愚痴を云う。

何だか、みっともないな、と、思う。
みっともなくならないようにするために、
一体どうすればいいんだろうか、
このことを、もっと理性的に、考えるにはどうしたらいいのか、
結構長い間、ずっと、考えている。