2016/04/08

彼らの暮らしと話の、断片 4月1週目


この日の訪問はすべて、ヨルダン人かパレスティナ人だった。
パレスティナ人といっても、ヨルダン国籍を持っている、パレスティナ人のこと。

決して、彼らは自分のことをヨルダン人と云わない。
国籍がヨルダン人だと示していても、彼らがパレスティナから来たことには変わりないのだ。
何十年経っても変わらない、土地への意識に、めまいすら感じることがある。


事業は国籍分け隔てなく実施しているのだから、
事業に対する意見もまた、どの国籍に関わらず、耳を傾けるのが
正しさだと私は思っている。

正しいことをしようとするには、往々にして、障害と困難が伴う。

どうしてなのか、私にはいつも、わからない。



概して、シリア人家庭に比べて、
ヨルダン人家庭への訪問は時間が短い。
知り合いではない人を容易に受け入れない文化がヨルダンにはある。
訪問の理由を告げて、理解してもらってもなお、
どことなく落ち着かない時間が、訪問先にはある。

タバルブールという、比較的新興住宅地の多い地域への訪問だった。



1件目

地上階ですね、家族と連絡を取っていたスタッフがアラビア語で確認する。
新築のアパートメントの入り口からは、地上階にドアが3つ。
どれか分からないから、もう一度連絡を取る。
ドアは一つしかない?いえいえ、3つありますけど。

会話を聞きながらドアの脇に書かれた小さな番号を確認する。
2から始まっている。
試しに、ガレージに続く階段を下がってみると
もう一つ、1の番号が見えるドアがある。


ベルを鳴らすと、髪のもしゃもしゃの、小さな女の子がドアを開ける。
そのまま、とっとっと、と部屋の中に走って逃げていく。
その後、お母さんが出てくる。

地下階だから日が射さないのかと思ったけれど
坂ばかりの土地だから、入り口からは地下でも
他の側面は坂の中腹、日が十分射している。
地下階ではなくても真っ暗だった家が多いシリア人家庭の家々を思い出す。

新築らしい、きれいな調度品のそろった部屋のソファには
お母さんと15歳になる息子が座っている。

子どもの歳や通っている学校を聞こうと、子どもの名前を尋ねる。
お母さんは見事なまでのスムーズさで
一度も詰まることなく子どもの名前、生年月日と学校を云っていく。
まるで、コーランを暗誦するときのような
生真面目さと注意深さがある。
うつむいて、少し首を上下に動かしながら、うなずくように、云う。

お母さんの横で、もしゃもしゃの髪の女の子が
誰かの携帯をいじっている。
一生懸命いじっているからか、下唇がだんだんと出てくる。
私が話も半分に女の子を見つめていたので
その視線に気がついて、お母さんは携帯を取り上げる。
女の子は子猫がじゃれるように、携帯をめがけて腕を振りましている。

息子は落ち着いた、しっかりした印象のある子で、
お母さんの脇で、姿勢もただして、話を聞いていた。
息子に対する質問が始まっても、
変わらず思慮深そうに、一つ一つ、考えながら、答えていた。
事業で一番好きなのは、友だちだという答えに、
こちらが思わずうれしそうにしてしまうのを、彼は見逃さなくて
つられて、照れ笑いをした。

近所の人のことはわからない、という。
シリア人家庭ではよく聞く話だ。
引っ越してそれほど経っていないからなのか、どうしてなのか、聞きそびれてしまった。


2件目


アパートの地上階はその家族のもので
庭にはブランコや椅子、テーブルがあった。
ベランダの延長のような、庭に面した部屋のソファで
お父さん、お母さん、そして息子が質問に答えてくれていた。

まるまるとした顔のおかあさんと
立派な口ひげをたくわえたお父さん
そして、すでに具合よく成長したおなかを持った息子。

家族が輪を描くように、私たち客を囲む。
女性らしく、細かいところまで話したがるお母さんと、
ぼそぼそ、でもウィットに富んだ話し方をする息子と、
話をきちんとまとめるお父さんのバランスがとてもいい。

家での趣味はなんですか?と息子に質問すると
すかさず両親が、食べることだよ、と云って私たちを笑いに誘う。

なんとかタウジーヒまで進もうとするなら英語はしっかりやらくちゃな、
とお父さんが云うと
文法とか、前より全然できるようになったんだから、と
お父さんの顔を見ずに、息子はぼそぼそと答えた。

ごくごく、仲のいい、穏やかな家族だった。

途中で上にすんでいるという、お父さんの妹さんも一緒にテーブルを囲んだ。
お父さんの髭をとったら、妹さんの顔、というほどに、よく似ていた。

最後に、シリア難民が来てからのインパクトについて、
答えてくれそうな家庭には質問をしている。

そりゃ、仕事は見つかりづらくなってしまったし、
賃金も安くなってしまったよ。
でも、寝て、食べて、暮らして、勉強して、って
みんな当然することなんだから、
そうやって普通の暮らしをするために必死に働くことは
当たり前のことだし、みんなそうする権利がありますよね。

その話をお父さんがする時には
お母さんも息子もお父さんの顔を神妙な顔つきでみていて
お母さんと妹さんはうなずいていた。


4件目

外見も新しいそうな立派なアパートメントの1室。
扉を開けると、シャンデリアがついたきれいな居間があった。
初めて、ヨルダンで生花の飾ってある家を見た。
こちらの人は生花も造花も同じようにめでるのだけれど
やはり、生花の方が、個人的には好きだ。

お母さんは室内だからなのかヒジャーブを被っていなくて
髪の毛もきれいにブローされていた。
実のところ、本当に珍しいことなので、どきっとしてしまった。
素敵な緑色のワンピースも着ていて
その姿は白黒の写真で見る、古いパレスティナ人の写真を思い出させる。
緑の土地を背に、大家族がそろっていて、
女性はかるくヒジャーブを頭に巻いただけで
たおやかなワンピースをまとっている。
男たちはジュズダーシュに葉巻かタバコを加えて、立っている。
春の、豊かなパレスティナ。

そう思っていたらやはり、お母さんはパレスティナ人だった。
お父さんはヨルダン人、電力会社のエンジニアだということ、
立派な理由がうかがえた。

お母さんの話し方は、落ち着いた色の、でもつややかな布のように
乱れがなくて、安定していて、やさしかった。
そして、家の息子もしっかりした感じの子で
15歳だけれど大人のような対応ができていた。
お母さんとの距離がとても近くて、仲のいい。
この歳の日本の子にはなかなかない、近しさがある。

事業の内容について、フィードバックが欲しくて息子に質問をしていたら
男子ならなおさら、体育の時間はしっかりないとだめですよね、とお母さんが云う

私が小さい時には、きちんと体育の時間が1時間あって
体育用の服っていうのがあったんです。
靴下とスカートが同じ青色で、スカートの丈がこれぐらい
と、膝上に手を置く。
それから、裁縫と調理の授業もそれぞれ隔週であったんですよ。

正直、現在のヨルダンの公立校でも、こんなしっかりしたカリキュラムは実施されていない。
30年以上前の話のはずだから、驚きを隠せない。
よほど私が腑に落ちない顔をしていたのだろう、
私はクウェートで育ったんです、とお母さんは云った。
すべての合点が、いく。





偏見だと云われても仕方がないけれど
クウェートで教育を受けたパレスティナ人は私の中で明らかに、
ヨルダンで育ったパレスティナ人と違う。

UNRWAで働いている時も、
時間を守り、子どもの話をしっかり聞き、節度を持った態度で誰とも接する人たちは
往々にして、クウェートから来たパレスティナの先生だった。
もっとも教員という仕事柄もあったであろう。
きれいな英語を話し、困った外国人を適度な距離で助けてくれる人たちへの評価は
他のUNRWAで働いている友人たちとも、意見の一致するところだった。

パレスティナからクウェートに逃げ
またクウェートから追い出されてしまったパレスティナ人の多くは
アメリカやヨーロッパに逃げているけれど、
親戚を頼ってヨルダンに来たパレスティナ人も少なくない。
すっかり大人になった人たちの中にも、明らかな、クウェートでの教育の片鱗がみえる。
いつも助けてくれる同僚の先生達と、初めてゆっくり話をしたとき
彼らの過去の教育の話を聞いて、深い感慨を覚えた。
教育の力を、まざまざと感じさせられる瞬間だった。

シリア人の子どもたちの将来もきっと、似てくるだろう。
同じシリア人でも、逃げた先の国によって
教育レベルも一般常識もまったく、変わってくるだろう。

今のヨルダンの教育や生活環境のレベルでは
どれだけ言葉が通じなくて苦労をしたとしても
そこで生き残った暁にはまとまな教育が待っている欧米諸国に
とても太刀打ちできる気がしない。

すくなくとも将来、ヨルダンで育ったから、という暗黙の評価が、
悪くないものであってほしいと、願わずにはいられない。


6件目

地下か地上階ばかりの訪問の最後で、最上階に上がる。
土地も高台にあって、景色がよかった。
スタッフも私も、思わずベランダに出て、景色を眺める。


自由業、というお父さんは家に居て
お母さんとともに、居間でくつろいでいるところだったようだ。
お父さんの歳を尋ねてみたら、明日でちょうど50歳になる、とのこと。
50歳まであと1日、という表現をする。
お父さんはあまり顔色が良くなくてタバコばかり吸っている。
けれども、語り口の柔らかなおしゃべり好きの人で、
丸い声で子どもたちの様子を面白そうに話してくれた。

子どもの趣味は水泳だ、というから
プールなど見たことがないので、どこで泳ぐのか訊いてみたら
池みたいなプールがあるんだよ、と池のある方向を指さしながら云った。

事業を通じての学力面の変化を訊いた後
自然とシリア人の話になった。

僕はシリア人の方がヨルダン人より好きですよ。
紛争前はよく、シリアに遊びに往っていたし、
シリア人の友だちの方が多かったからね。
もちろんいいシリア人も悪いシリア人もいるけど、
そんなのヨルダンだってアメリカだって日本だってそうでしょ?


さっは
お母さんも私も、大きく口にだして、答える。

ここの家の息子は、午前のヨルダン人シフトの人数が多いということで
午後のシリア人シフトで勉強をしている。
家の人がこういう考え方をしている家庭の子どもが
シリア人シフトに入っていることに、そこはかとなく、安心する。

こういう家庭ばかりではないことを、
他の多くのヨルダン人家庭への訪問で身に沁みて分かっているから
ありがたい言葉だった。
まさに、言葉のとおり、ありがたい、ということを
誰かに伝えたかった。
けれども、それがヨルダン人なのか、パレスティナ人なのかシリア人なのか、誰なのか、わからない。

誰に話しても、何かが押しつけがましてく、大事な文脈の何かが欠落しているように
相手には思われるような気がした。

だから、云わなかった。

結局、だから、日本語で書いている。








2016/03/17

彼らの話と暮らしの、断片 3月2週目


仕事の都合で、しばらく家庭訪問に往けていなかった
 
その間に、ヨルダンはすっかり春になる

沸き上がるような緑と、色とりどりの花々
風の音だけの、でも随分にぎやかなお祭りが
茶色い土地の色を染めて、開かれる

不思議と心躍る季節だ

訪問先の家の色も、違って見えてくる
冬、心底冷える家の、何もかもが青白い情景に比べたら
たった一つだけの小さな窓しかない家でも
ほのかに黄色がかって、暖かく見える

事業の方では、しばらく前からヨルダン人家庭への訪問も始めている

当たり前なのかもしれないけれど
家の様子は、ヨルダン人のお宅も、シリア人のお宅も
そんなに大きな違いがない

ふと、どちらの家に来ているのだっけ、と
忘れてしまったり、する

この日は、過去に何度か来たことのある
ハイ ナッザールという地域への訪問だった



1件目


招かれて入った部屋は、アラビーマットが敷き詰められた
小さな縦長の部屋だった。
ヨルダン人の家庭だと分かるのは
家の中のものものに、きちんと歴史と年月が在るからだ。
置かれているもの、飾られているものの趣味趣向は
実のところ、あまり変わらない。
だけれども、棚の中からはみ出す紙の束や
そこここに無造作に置かれているものに
おかしな表現だが、余裕がある。
おもちゃ、新聞、用途の分からない箱、ティッシュのカバー
多くがどことなく使い古されていて、だから、そこに長く居ることが分かる。

一番下の男の子は、学校に往っていなかった。
具合が悪いからお休みしたと云う。
子どもへの質問もあるので、こちらへ来て話を聞かせてくれないか、と云うと
服とってよ、とお母さんに甘えていた。

お母さんは、柔らかいけれど真面目な印象のある人で、
事業の印象や、子どもたちの様子を話してくれていた。

ここの家庭では、大きな娘が2人、事業に参加している。
娘さんに他の国籍のお友達は居ますか?
居るって云っていたわ。
他の国籍でもヨルダン人でも、
きちんとした子どもには、きちんとした友だちができるものです。
そのお友達も、とてもいい子で好きみたいなの。
お母さんは、しっかりとした眉毛を線を少し緩めて
少し微笑みながら云った。

男の子が上着にフードを被って、部屋にやってきた。
風邪をひいてしまったから、というお母さんの横に
猫のように丸くなって座る

ヨルダン人の家庭では、シリア人家庭や他国籍の人たちについて
話を聞くことが多い。
やはり、この家庭でもお母さんが、
お父さんの仕事先での社長の云ったことを、ぽつぽつと話す。
お父さんの給料で、シリア人が3人雇えるって云われたらしいの。
お父さん18年もこの仕事をしているのに、
そんなこと云われて、どう返事をしていいのやら。

開け放した入り口のドアから、近所の男の子が部屋を覗く。
フードを被ったまま、下の子がふらふらとドアの方へ歩いていく。
アパートメントに住む、子どもたちの様子は
どこもきっと、変わらない。


2件目

すっかり道に迷って、訪問チームのみんなが途方に暮れる。
さっきと同じ道を、また通る。
階段があるから下がって、と云っているらしい。
でも、道路の脇には、いくつもの階段がある。
階段のある方向は崖になっていて
すぐ下のワディには、大きな幹線道路が走っている。
ワディの対岸は松林になっていて
随分と光っていた。

やっとここだと分かった家は、
急な崖の斜面に作られていた。

お父さんと連絡を取って、家にたどり着こうとしていたけれど
お父さんは家に居なかったので、余計に手間取ったようだった。

アパートの入り口がそのままその家族の敷地で、
狭いテラスには、太い縄で作られた、簡易のブランコがあった。
4歳ぐらいの女の子が、自慢げに座っている。

どのシリア人家庭とも同じように、顔に疲れは見えるものの
しっかりお化粧をしたお母さんは
大きな目をくりくりさせながら、お話をする。
家には12歳から、その下に4人が赤ちゃんまでそろっていた。
子どもたち5人はずらりとお母さんと一緒に、並んで座っている。

就学年齢の子どもたちが居るのに、みんな揃っている。
学期の途中でひっこしてきたから、学校に登録できないという。
何回引っ越しているんですか?と訊くと、
アジュルン、ザータリ、サルトで2件、アジュルン、アンマン、サルト、アンマンで2件
計9回引っ越ししていることになるわね、と諦めたような表情で笑う。
指を折りながら数を確認して、私たちは呆れる。

2011年からヨルダンに居る、というけれど
これでは同じ学校に通い続けることなど、できるはずはなく
今も家で、何をするでもなく過ごしているようだった。

小さなテレビではアニメがやっていて
無声なのに子どもたちは時々、振り向いてテレビを見上げる。

お父さんはレストランで働いている。
一番上に、14歳の子が居て、その子もまた
お父さんと一緒のところで働いているらしい。
仕事があるところに住むしかないから、転々とするしか、ない。

シリア人として生きるのは、本当に大変、
お母さんは赤ちゃんを抱き上げながら、云う。

お母さんの膝に居るまだ半年ほどの赤ちゃんがむずがり始める。
お母さんは足を伸ばし、両足の間に赤ちゃんを寝かせ
左右に揺らしながら寝かしつけようとする。

他の子どもたちは、その様子を見てみたり、
私の顔を見てみたり、する。
子どもたちがこの家に居て学ぶこともまた、たくさんあるのには違いなかった。
すぐ近くに、友だちも居るという。

おうちで何をするのが好きかな?と1年生の女の子に訊くと
お料理がすきなの、
金のイヤリングが、自信満々の顔の横で揺れる。
汚れちゃうだけなんだけどね、とお母さんは小声で云う。

さっき、おもむろに一番上の子が立ち上がっていった女の子が
お茶を持って来てくれた。

甘い甘いお茶で、空腹の私にはありがたかった。


4件目

ボランティアだったときにお手伝いに来た
UNRWAの学校の脇を通る
小さな子どもが、民家を改築した学校の小さな扉から
溢れ返るように出てくる様子を見る
ちょうど下校の時間のようだった

今から伺う旨を連絡すると
待ってくれと、云う。
家を片付けていないから、恥ずかしいと。

気にしませんから、って云ったんだけど、やっぱりいやみたいだよ、と
スタッフは困り顔で外を見る。

やっと訪問できたお宅は
小さなアーモンドの木が庭に植えてある家で
女の子が3人、家からちょうど出てくるところだった。
午後シフトへの通学の車がやってくる時間だった。

お母さんは誠実で、人の良さそうな顔をしている。
日本人がくるって知っていたら、もっといろいろ準備したのに、
と、私にも云う。
本当におかまいなく、と云うのだけれども、
お母さんは残念そうな、申し訳なさそうな顔をしてしまう。


HCRの証明書ではなく、家族手帳を見せてくれる。
もともとパレスティナ人なので、
シリアで発行された家族手帳にも、
「シリア系パレスティナ人用」と書いてある。

随分と複雑な話だった。

お父さんはパレスティナからシリアに逃げた、シリア系パレスティナ人
お母さんの家族は、パレスティナから一度ヨルダンに逃げて来ているので
ヨルダンの国籍を持っている。
お母さんは小さなときにシリアに移住し
年頃になって、シリア系パレスティナ人のお父さんと結婚した。
シリア政府はパレスティナ人に国籍を与えていないので、
家族はシリア系パレスティナ人として、
宙ぶらりのステータスを余儀なくされた。

そこに戦争が始まり
お母さんの親族を頼って、今の土地にやってきた。
お母さんは家族がヨルダン国籍を持っているからいいけれど
お父さんとその子どもであるあの3人の子どもたちは
国籍がない。

一体どうなるのか、私も全く分からなくて困っています。
私も40年シリアに住んでいたから、ヨルダンのことはよくわからないし。
近所の人ともそんなに、関わりないんです。


まだここでは、お母さんがヨルダン人だからいいけれど
シリアに住んでいたパレスティナ人は
皆、国籍がないに等しい状態で
周辺国へ逃げている。


子どもたちの学校の様子を聞いていて、ふと、名前が目につく。
1番上の女の子の名前は、アカシーア
聞いたことがない、珍しい音だった。
もしかして、と思って尋ねてみたら
やはり、アカシアの木から取った名前だという。

素敵な名前ですね、というと、
お父さんがつけたんです、と嬉しそうにお母さんは答える。
静かで穏やかな話し方のお母さんの声を聞いていると、
なんだかとても安心できる気になってきた。

お母さんは、黒いヒジャーブと黒いアバーエ
足元だけ、赤と黒の水玉の靴下を履いていて
なんだかとても、かわいらしかった。


5件目


窓の外にも庇があるのか、部屋の中は電球の光しかなかった。
どうしようもなく、底冷えがする。
部屋の奥には、マスバハを持った眼鏡のおばあさんが座っていて
ちゃきちゃきした感じのお母さんが入り口近くで
私たちの相手をしてくれる。

玄関すぐの大きな部屋も真っ暗、
キッチンには電気がついている。
真っ暗な部屋から、おもちゃの鉄砲を持った小さな男の子が
控えめに、バーンバーン、と撃つまねをしながら
部屋に入ってくる。

引っ越しは2度目で、前はキャンプに居たという。

お母さんは、黒めがちな目を光らせながら
いろいろとこちらの質問に答えてくれる。
語調が強くて、話し方にリズムがあった。

だけれど、全く大人の会話などおかまいなしに
男の子がお母さんのほほにキスをしたり、
こちらに向かって、バーンとピストルを撃って来たりする。

子どもにとっては、学校が遠くてかわいそうだけれど
お父さんに仕事があるのがここなので
ここから学校に通ってもらうよりほかないの。

お父さんは近所のレストランで働いている。
朝7時から夕方5時半まで。
仕事があるというのは、いいことだからね。

男の子が今度は、三輪車をこぎながら部屋に入ってくる。
うまくこぎきれずに、途中で止まってしまう。
男の子の相手をお母さんが適当にしている間に
おばあさんが、会話に入ってくる。
子どもたちの家での過ごし方を聞いてみたら
あの子は趣味なんてないとおもうわねぇ、とか
その子は絵が好きよ、とか
6人居る子どもたちの様子を、本当なのかどうなのかわからないけれど
おばあさんはしっかり、答えてくれていた。

家からおいとましようとすると、おばあさんも立ち上がって
見送りに来てくれる。
足腰が悪そうで、立ち上がるのに
やーらっぷ、という。
随分と、重みと響きのある、心のそこからの、やーらっぷ、だった。


家の外はすぐ、大きな道路に面している。
春の陽気に染まる光が、目にまぶしい。
さっき出て来た建物の扉が、
四角く、真っ黒な口を開けていた。









2016/03/14

また一つ増える、心配事


しばらく家で猫を預かっている

毛足の長い黒猫で
臆病だけれど、甘ったれで
人見知りだけれど、慣れた人の膝が大好きな
すぐにぐるぐる云ってしまう
啼き声のかわいらしい
小柄な子だ

先月の半ばに
猫汎白血減少症という病気になってしまった

普通の成猫ならば罹らない病気らしいのだけれど
もともと丈夫な猫ではないので
見事にもらってきた

3日間吐き続け
2日間で注射を8本も打って
点滴も受けて
やっと吐くのは止まった

その後も食事はほとんど食べられなくて
また病院へ行った
3本注射を打たれ
やっと食べられるようになったと思ったら
今度は下痢がひどくて
家中がうんこだらけになってしまった

先週また、食欲が落ちてしまった
仕方なく今週病院に連れて行ったら
今度は口の中が荒れすぎて
潰瘍みたいになっている、という
また注射を2本打たれ
しょげ返って家に戻って来た

しょげているのは、猫も、私も、だ

飼い主に申し訳ないし
猫にも申し訳ない


夫婦で営んでいる近所の病院へ行くと
猫ではなく、私の名前が覚えられてしまって
猫用の籠を膝に乗せていると
テーブルに置きなさいよ、と云われる

気が小さい猫なので
ぶるぶる震えているのが籠の中から伝わってくる
なんだかかわいそうで
籠を抱えてしまう



よほど不安な顔をしていたのだろう
いつも、すぐ良くなるよ、と云いながら
病院の先生は手荒に注射を打ってくれる
いつもそう云ってくれるけれど
次から次へ
具合の悪い原因がやってくる

全く、いつになったら元気になるのだろう
途方に暮れる

仕事の休み時間を使って病院へ行く
病気の子どもが居たら
こんな感じなのだろう
病院が近くにあって、本当によかった


放っておいたらそのうち
元気になるのかもしれない
本来ならば、猫にはそういう力があるものだ

毎日薬を飲ませる前に、迷う

薬をあげたら反対に
持っている力が弱くなってしまうかもしれない
でも、元気がないから
できることはしてあげなきゃいけない


猫も、かしこい
私がただ、なでようとするのではなくて
薬を飲ませようとすると
するっと逃げてゆく

きっとこちらも身構えているのだろう
今日はどれぐらいひっかかれるんだろうな、とか
嫌がるのにかわいそうだな、とか
ろくに食べてないのに薬ばっかりじゃ嫌だよな、とか
そういうことを思っていると
分かってしまうのだ

今は3種類の薬がある
全部あげ終える頃には
猫も私もぐったりして
私はソファで、猫は床で
それぞれの所定の位置にもどり
お互いの顔を見ながら
寄って往こうか、ここにいようか
しばらくお互いに様子をうかがう

それから、猫は洗濯機の中に入って
気に入りの靴下を取ろうとしたりしている
チリチリと首輪の鈴をならしながら
うろうろする
私も鈴の音をどこかで気にしながら
パソコンに向かったりする


病院通いと薬の苦労話を
たっぷり周囲の人に話しながら
こういう話というのは
云い始めると止まらないことを、知る
由々しき事態

このままでは、愚痴ばあばになってしまうのでは、と
心配になる

猫もいい気がしないだろうからぐだぐだ云わないようにしなくては
もしくは、
おしゃれで面白い云い方を研究しなくては、と
思ったりする

それから、薬をあげるときに
知らず、猫に話しかけていることに気づく
いよいよ猫に向けた
独り言がはじまってしまった

もともとお話をする猫なので
そのうち私にしゃべり方が似てきたらどうしよう

心配事が、またひとつ、増えてしまった







2016/02/05

しみったれのための詩集





毎朝、寝起きが悪いのだけれど
朝少しだけ余裕を作って
身支度だけ整えると
今週は朝、2冊の詩集を交互に少しずつ
読んでいた。

1冊は、ブローティガンの、チャイナタウンからの葉書



ポトレロ・ヒルののんべえたち

そうさ、奴等は
この辺の小店で
一壜
手に入れるんだ。
ロシア人のじいさんは
道徳なんか知らん顔で
奴等にポート酒を
うってやる。奴等は
行って、木の階段のわき
緑のやぶが茂っている
その下あたりに
すわりこむ。
その静かな
飲みっぷりは
まるで異国の
花のようだよ。



熱病記念碑

 ぼくは公園を横切って熱病記念碑の前に行った。
それは赤い花や噴水にかこまれた
芝生の広場の真中にあった。記念碑は
 海馬の形をしていて、銘板にはこう書いてある。
我等は熱くなって死んだ、と。



驚き

ぼくはトイレットの蓋を開ける
 まるで鳥の巣を開けるみたいに。
そしてみつける、便器のふちに 
 ぐるっとついた猫の足あとを。



一九三九年

ボードレールはよくうちに来て
ぼくがコーヒーを挽くのを
見ていたものだ。
それは一九三九年のこと、
ぼくらはタコマの
スラムに住んでいた。
母はいつも豆を
コーヒー挽きに入れる。
ぼくはまだ子供で
ハンドルをまわしながら
コーヒー挽きを
手まわしオルガンだと考え、
ボードレールは自分のことを
猿だと考えて
あちらこちら
ぴょんぴょん跳びまわり
錫のコップをさし出した。



星穴

ぼくはここ
ある星の完璧な
一端にすわって

自分の上に
ふりそそぐ
光を見ている。

その光自体は
空のあいた
小さな穴から
降ってくる。

ぼくはさほど幸福
 ではないが
物がみなひどく遠くに
あることはわかる。



喫茶店で

喫茶店で僕が見ているとある男が一切れのパンを
出生証明書を折りたたむように折り、死んだ愛人の
写真を見るように見ていた。



自然の詩

月は
オートバイに乗って
暗い道を
やってくる
ハムレット。
彼は黒い革の
上着を着て
ブーツをはいている。
ぼくはどこに行く
用もない。
一晩中
走りまわろう。



ほとんどのブローティガンの作品は
藤本和子の翻訳だけれど
この詩集だけは
池澤夏樹が原書の英語と併記して
翻訳されている。

いつ読んでも、
一見突拍子もないような言葉たちが
抜群のセンスで
情景や感情を立ち上がらせる。

そして、よく、ものや人を見ている。

今手元には2冊しかブローティガンの本はないけれど
もう1冊、アメリカの鱒釣りに も
ほとんど詩集のようなもので
混沌としたものものが
言葉の使い方と並びをもって
まれ、としか云いようがないほどの
美しい散文となっている。




池澤夏樹も解説で書いているけれど
ブローディガンには、そこはかとないやさしさがある。

随分と、弱いものに対してやさしい視点を持った人だったのだと
思っている。
とてつもないシンパシーを
弱いものに対して、持っている。
たぶん、自分に対しても、だ。

でも、そのやさしさと、
まわりのものに対する一定の距離が
徹底して、ある。

自分のことでさえも突き放してしまうのは
そのやさしさを
誰にも、どんなものにも、自分に対してさえも
存分に役立たせる方法を
本人は見つけられないと思っていたからだろう。
詩は、知らずブローティガンが
自分のやさしさを形にして残して
書き記したもののように思える。


だから、ブローティガンの詩は
どうしても、どこかがわたしにとって、切ない。
その切なさを
なんとか言葉の使い方の面白さで
紛らわせて、
しみったれているのなんて、くだらないんだ、と
真面目とも不真面目ともつかない顔で
云ってくる。


仕事のもろもろで、
心底すべてを消耗する一週間だった。

消耗の原因は自分の中にある。
いろいろな、心身を消耗させるものものを
結局寝ても、どうにもならなかったか、と気づかされ
朝起きる度、途方に暮れた。

せめて、しみったれては、だめだ、と
俯瞰しなくては、と
ブローティガンは、わたしを説き伏せる。


それから、茨木のり子、言の葉




ぼくらの仕事は 視ている
ただ じっと 視ていることでしょう?

晩年の金子光晴がぽつりと言った
まだ若かったわたしの胸に それはしっくり落ちなかった

視ている ただ視ているだけ?
なにひとつ動かないで? ひそかに呟いた

今頃になって沁みてくる その深い意味が
視ている人は必要だ ただじっと視ている人

数はすくなくとも そんな瞳が
あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇

でもなんて難しいのだろう 自分の眼で
ただじっと視ているということでさえ



ある工場

とても大きな匂いの工場が
     在ると 思うな
技師や背高のっぽの研究生ら
   白衣の裾をひるがえし

アルプスの野の花にシリアの杏の花に
中国のジャスミンに 世界中の花々に
        漏れなく 遅配なく
         香郁の香気を送る

ゲラン バランシャガ も 顔色なし

小壜に詰めず定価も貼らず惜しげなく
     ただ 春の大気に放散する
           彼らの仕事の
           すがすがしさ




苦しみの日々 哀しみの日々


苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれは自らを養うのに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解けるようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである

受けとめるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから



倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくなはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
自分の耳目
自分の二本足のみでたっていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


常に背筋の伸びている人だったのだろう。
きりっとした、率直な言葉で
わたしの前に、鏡を持ってやってくる。
外見も、志も
恥ずかしくない姿をしているのか
確認しなさい、と。


全く違う、二人だけれども
どこかに潔い風をまとった人たちだったのだろう。


出かける前に
おまじないのように
グリーグの抒情小曲集の1番を
弾いてから出かけていた。
ブローティガンのような小さな視点を
音にしたような、かわいらしい曲だ。

結局間違えるので、
おまじないにはならないのだけれど。

でも、単純にピアノの前で
背筋が伸びるので、
その度に、背中が痛くて、
背筋が曲がっているんだな、と
思い知らされる。




2016/01/26

分数の割り算ができない子の行く末


雪が降る、というとヨルダンでは大騒ぎになる。
今週はずっと天気がぐずついていて、
早速事業の日程を振替にしてみたり、調整を余儀なくされる。

仕事のことを考えたら

もちろん天気がよくて、
すべてが予定した通りに動いてくれる方がありがたいのだけれど
心のどこかでは
雪の静かな一日を、楽しみにしていた。

あのアルバムを聴こうか、このアルバムにしようか

勝手に選曲をしていたのだけれど
残念ながら
アンマン城が見えるジャバルアンマンは
標高が低くて、雪が今回、ほとんど降らず
一日中、雪見をしながらぼうっとする、という訳にはいかなかった。

それでも家は寒くて

預かりものの猫たちは
私の身体の一部を枕にしながら
ずっと寝ている。

棚からぼたもち休暇を期待していたのだけれど
すっかり期待はずれになってしまった。
それがなんだか悔しくて
今週は家に戻って一息つくと、
寝ている猫を起こしてはいけないから、といいわけしつつ
いただいたデータから
ひとりジブリ祭をしていた。

ヨルダンに来て初めての夏の暑い夜に

ワインを飲みながら見ていたら
ワインがこぼれてパソコンが壊れて
豚もお酒もハラームだからか、、、、と身をもって思い知らされた
苦い思い出の怨念と後悔の紅の豚を何度も見る。

昔は、ジーナって素敵だな、と思っていたのに

今回、飛ばない豚はただの豚さ、という台詞を
心底かっこいいな、と思い
いつまでこういうものに憧れているのだろう、と
自分に呆れながら、台詞をつぶやいてみる。

ナウシカともののけ姫のストーリー展開は
随分似ていることを発見して、
やはり神髄は漫画だな、と
大学生の頃に徹夜して読破した
ナウシカの漫画が読みたくなった。

ラピュタのほろびの言葉は

なんだかやっぱり口に出してはいけない気がするし
ドーラ船長のロブスターの食べっぷりは
何度見てもうらやましい。

ハウルの中に出てくる帽子屋の仕事場は魅力的で

初めてこの映画を見たときには
いつかこうやって、
何か見にまとうものの職人になりたい、などと
ぼんやり思っていたのを思い出した。
それから、倍賞千恵子の声が好きだ。

千と千尋の電車のシーンを見ると

いつも、昔読んだ絵本の「まっくら森」を思い出す。

耳をすませばを初めて見たのは

金曜ロードショウで
その頃高校2年生だったから
年下の映画だな、などと思って見始めたのに
話がうまく書けなくてもがく雫と何かが重なって
ものすごい泣いた、電気をつけていない
建て替え前の家のテレビのある部屋の様子が
鮮明に見えた。


いい年の大人が、

よなよなよくもこれだけ見たものだ。


最後に、おもひでぽろぽろを

はじめて真面目に、見た。


主人公は27歳だから、もうすっかり私の方が歳を取っている。


時代設定も一昔前の年代なのだけれども

年上の姉からのお下がりにだだをこねたてみた
学級会で周りの様子をうかがっていたり
生理の授業のあとで何ともいえず戸惑ったり
学芸会で冴えない役を必死に工夫してみたり
作文だけちょっとできたり
5年生の頃を回想シーンのどれもが
一つ一つ自分とよく似ていて
もう、おそろしいほどだった。


最後の、転校して来たアベ君の記憶と

田舎暮らしを気軽に楽しんでしまったことに
どこか偽った気持ちを
自分で見透かしてしまったと感じる場面にも
また、あぁ、と心突かれる。

エンディングで、自分の気持ちに素直になった主人公を尻目に
いつまでも、見透かしている自分に
云い訳をすることばかりを覚えてしまって
でも、もうこの歳では仕方あるまい、と
歳のせいにしたりしている。



ジブリの映画を定期的に見ていると

見たときのことがどんどんと重なっていって
膨大な記憶が蘇ってくる。

でも、今回最後の映画で

一人静かに、動揺してしまったのは
もっと昔の記憶がやってきて
それが物語についての記憶ではなく
自分自身の記憶だったことのようだ。


分数の割り算のわけがわからなくて
頭の中でいくらリンゴを切り分けても
どうしても答えに辿りつけなかった記憶も
見事に、酷似していた。
分数の割り算の仕組みが気になってしまった子どもは
素直にすくすくとは育たない、というシーンに
文字通り頭を抱える。

肘枕をしていた猫が不意打ちをくらい
うう、っとうなる。



ドーラ船長のように早く走れて

ピッコロ社のばあちゃんのように元気に働き
ニシンとかぼちゃのパイがうまく焼けて
銭婆のように懐深い
地球屋の西主人みたいな
おばあさんになりたい。









2015/12/15

慣れ親しんだ音や声など


人の声には、それぞれ特徴がある。
残念ながら例えば、自分の好みの声に、自分の声自体を変えることはできない。

人の声が、気になる。
もう自分の声は変えられないから、では、好きな声音を聞いていたい。

時々、こちらの人、特に女性で
素敵な、本当に好みの声の人が居る。
少しくぐもっていて
身体のどこかで共鳴している。
低いけれど、雑音がない。
ちょうど、アラブで親しまれた
往年の女性歌手たちのようだ。

体型なのかな、と思ったりする。
だいたいが、それほど大きくないけれど
細くもなくて、
でも首が細い人だったりする。


先日、いただくはずのない人の声が電話口からして
はっとする。

結局は単純に、とても声だけがよく似ている、別人だった。
何が似ているのだろう、と考えてみる。
たぶん、音の高さと声の中にある細かな振動ぐあいが、
近かったのだろう。

歌声にも好みがある。
久しぶりに、新譜のアップデートをいただいたのがきっかけで
Youtubeをはしごしていた。

随分と聴いて慣れ親しんでいた、
Elliott Smithの曲作りに似ていた。
でも、彼はいろいろと思いがありすぎて死んでしまった。






Sufjan Stevensには、
もっともっと穏やかな景色が、たぶん、目には見えている。
Elliottのように暗い地下室やどろどろのお酒やあぶら汗はない。

不思議な名前だと思ったら
ペルシャ語から来ている。
あらゆる宗教を包括する思想Subudに傾倒していた両親から影響を受けた名前だそうだ。
それがどんなおしえなのかはともかく、
穏やかなことは、いいこと。





冬なので
音にぬくもりがあるといい。
きっと夏に聴いたら鬱陶しいと思うような
粒子のある、手のひらやほほで触れるような音が
このアーティストの声にも、きちんとある。

手触りで思い出し、また古いアルバムを聴いてみたりもした。



一度ギターで練習しようとして、見事に挫折をした曲。
ギターの和音さえも、質感がある。



そしてYoutubeのはしごの途中で
恐ろしいほどにまっすぐな声を、久しぶりに聴く。



こういう声のアーティストは、生きている人の中では他に、知らない。
歌声そのものに、はっきりとした意思や思いがある。

でも同時に、何度聴いても、とにかく、声に
小さな胸騒ぎを覚える。
まだ若いころのだから、そういう時季だったのだろう、などと
他人のことなのに、私が云い訳をしたくなるほど
はらはらする。




あまりにざわついてしまったので
いつも聴いているピアノ曲でどうにか落ち着いてみようとする。
でも、何かが違う。

どこかにしっかり湿度のある音があって
例えばピアノみたいに、音が本来ある程度均一なものであったとしても
曲の持つ文脈の中で
それこそ、電話口で聞くような近さのある音があるものを聴けないか
探し始める。

残念ながら、うまいぐあいに見つからず
変に神経だけが研ぎすまされて
夜に放り出される。

ざわざわがまだ、治まらない。






彼らの話と暮らしの、断片 12月3週目


何度もフィールドに往くと
よくも悪くも、耳にする、目にするいろいろなものに、慣れてくる。

この日足を運んだ地域は、以前にも往ったことがあるところだった。
ヨルダンも、日本と同じように
そこまできつい冷え込みもない。

ちょうどフィールドに往った日の2年前、
アンマンでは大雪が降った。
家からただただ、大げさなセットのように降り続ける雪を
シューベルトを聴きながら呆然と眺めていたことを思うと、
この日の天気さえも、ルーティーンの一つのように
こなすことを奨励しているように、思えてきた朝だった。


1件目:Tabrboor

入り口の葡萄棚の葉が、赤や黄色に色づいていた。
よく晴れた青い空に映えている。
端正な作りのアパートメントの中、
部屋に入るとやはり、色合いの美しいキリムの絨毯が敷いてある。
青と赤が暗い廊下でもどこか、輝きを孕んでいる。
シャツに革のジャンバーを着たお父さんは
髭も髪もきれいに整えられていて、
アパートに抱いたのと同じぐらい端正な顔立ちだった。

この家族はシリア人だけれども
1980年代に、家族みんなでヨルダンに移住している。
難民ではなかった。

お父さんの家族はイドリブから、お母さんの家族はダラーから。
PC関連のエンジニアだというし、このアパートメントそのものが
この家族の持ち物だという。

一通り学校の様子を訊く。
たぶん、多くの反応は、ヨルダン人の家庭が抱くものと変わらないのだろう。
お母さんも子どもの話を始めたら、笑顔を見せて
遊ぶことばっかりが好きでね、、、と困ったような顔をする。
丘の上に公園があるから、よくそこで遊んでいるのよ。

シリア難民の家庭の子どもは、外で遊んでいないことが多い。
近くの遊び場の話をすると
どこの家庭もくぐもった顔で、家からでないと、云う。

シリアでこの家庭に会ったとしても、
同じようにきれいな家の明るい部屋で
同じようにどっしりと椅子に腰掛けたお父さんが
よどみなくいろいろと、答えてくれていただろう。
それから、きっと、この土地で会うシリア難民の家庭も
シリアで会っていたら、こんなかんじだったのかもしれない。


つまり、至極普通の家庭の訪問をした、ということになる。

だけれど、どこかでそわそわとした違和感を感じる。

最後に質問をしてみた。

親類の方などが、こちらにあなたを頼って移って来たりしていませんか。
もう一家はみんな来ているから、いませんよ。
このアパートも親戚がみんなで住んでいるからね。

そうですか、と、顔だけ笑顔を作る。
質問の答えに満足しているような顔を、きっと私は作っていたに違いない。

本当は、シリア難民についてどう思っているか、訊いてみたかった。
けれども、そんなことなど訊かせない、という
隙のない完結した家族の形を見せられた気がした。


2件目:Tabrboor

お父さんが迎えに来てくれて
坂をもう一度上がってゆく。
そこからさらに、建物を最上階まで上がる。
どこもここも、のぼらなくてはならないところだらけだ。

部屋は窓のない居間で、
汚れて薄くなったマットが四隅に敷かれていた。
学校に往っている子どもの他
お父さん、学校へ通っていない長男と、それからまだ小さな息子と、お母さんが
質問に答えてくれる。
居間には3つの扉があって、
それぞれがきっと、トイレやキッチンや寝室につながっている。
随分と荒い、茶色の塗装が施された、というのか乱暴に塗られた扉。

どことなく、この家の方が、さっきの家よりも落ち着く。

部屋の端には小さなテレビが置かれていて
緑色の星が3つついた旗が消えないニュース番組が
ロシアの空爆を受けたアレッポの様子を映し出していた。

今の家が1軒目、親戚が居るのでここに住み着くことにした。
とりあえず息子の1人は学校に往けているから、
できれば移動はしたくないけれど、
とお父さんは子どもたちの顔を見る。

クーポンだけで生活をしているから
先は全くみえないけれど
とりあえずはみんな、安全なところで暮らせているから
それで十分だ、と云う。

2014年にヨルダンに来ている。
他の家庭の多くが2012年か13年に来ていることを思い出し
それまでシリアに居た理由を聞いてみる。
シリア国内を逃げまどっていたけれど、
ついに往くところがなくなって、ヨルダンに来た、というのだった。

淡々と、静かに話すお父さんと
じっとその言葉に耳をかす子どもたちとお母さんがいて、
暮らしは大変だろうけれど、
全く違う次元で、どこか収まりがいい空気があった。


3件目: Tabruboor


日本の新興住宅地にある新築のアパートメントを思わせる、
きれいで無機質な建物が向かい合わせに2棟対になっていた。
迎えに来てくれた青年について建物に入ると
エレベーターで上に上がる。
エレベーターがきちんと、嫌な音一つたてずに動いているということに、
静かに感動する。

通された居間も随分ときれいで
水色と赤、黄色の花柄が別珍の生地に織り込まれた
装飾の多いソファーセットが部屋の3方を囲んでいた。

さっきの息子は次男、一番したの子はまだ2歳で
学校に通っているのは次女、
長女はタウジーヒまで受かったけれど
結局結婚した、という。
どうもお金が問題で大学に往けなかった、という感じでもない。
単純にタウジーヒ学年のときに婚約したので、
そのまま結婚したと、お母さんはうれしそうに云っていた。

時々、こういう家庭がある。
ヨルダン人の中流より、もっと上の家庭しか住めないようなところに居る、シリア人。

HCRの登録証をみせてもらうと、長男の名前がなかった。
今はドイツでドイツ語を勉強中だという。
ダマスで医学部の2年生まで通えていたけれど
ヨルダンに逃げて来て、仕事も勉強もできないから
ドイツに往った、という。

シリアで不動産をしていたという話と
立派な家の様子から
てっきり飛行機で移動したのかと思ったら
アルジェリアからリビアに入り、10日間砂漠で船を待った、という。
航海でイタリアに入り、今はドイツに居る。

むずがる下の息子はコアラのようにお母さんから離れない。
連絡は取れていますか?と尋ねると
うれしそうに大きくうなずいた。

娘が午後シフトに出かけるところで
迎えに来た女の子と一緒にドアからでてゆく。
同じフロアにお父さんの弟が住んでいるから
そこの娘と一緒に出かけるのだという。

浅ましく、家賃をざっと計算する。
まだ、この家は裕福だ。
ドイツで長男が定住する頃に
ちゃんと飛行機で一家が移動できると、いい。



5件目:Tabrboor

ホムスの人は冗談が好き、という話は
シリアに住んでいた日本人からも
ヨルダン人からも耳にしたことがある。
確かに、ホムス出身の家庭にお邪魔すると
話が止まらなくなったりする。
とにかく、話し好きのように、見える。


アパートの一室に入ると
お母さんと娘が2人、それから小さな男の子が居た。
マットに座ると、奥にはおばあさんの姿も見えた。

こちらが質問をしている間に
おばあさんがヒジャーブをかぶり直して
こちらにやってくる。
慌ててスタッフが、重ね積みしているプラスティックの椅子を取ろうとすると
この椅子がいいのよね、と
座布団のついている椅子を見た。


お母さんは少し受け口で
切れ目なく話を続ける。
子どもたちは例によって、
きちんとお母さんの横に並ぶように座りながら
ただただおとなしく話を聞いているのか、聞いていないのか
じっとしていた。

早口で話が断片的にしか分からない。
ただ、とにかく長女が勉強もなにもかもが嫌いで困っている、というのはわかった。
シリアではこんなんじゃなかったのに。

学校の教員の文句も一通りでてくる。
金の指輪を先生に進呈した子だけが
良い子だっていって、目をかけてもらっているのよ。

一番したの息子は、だんだん話に飽き始めて
2つ重なった子供用のプラスティック椅子を持ち出し
自分だけ一人、椅子に座る。
それから、着ているジャケットのファスナーを上げたり下げたりして
時々こちらを見てくる。

おばあさんもよく話す。
皺の少ないきれいな口元とまっすぐな目で
私は当然理解している、と信じきった様子で話をする。
こちらも、必死で聞こうとするけれど、
お母さんもおばあさんも一緒に話すので
ますますわからない。

話題がお父さんのことになると
2人ともますます、話が止まらない。
口調は娘の学校嫌いの時のものと変わらないのに、
銃がどうの、鉄砲の弾がどうの、焼かれてしまって、、、、という単語が飛び交う。
スタッフに話を整理してもらった。
おばあさんの息子4人はみな、ある日どこかに連れていかれた。
3人は暴力の末に焼かれてしまったけれど
肩を撃ち抜かれた一人、この家族のお父さんだけが
死んだふりをして、助かった。


お父さんはどこ?と訊くと
仕事に往っているわよ、という。
シリアでは家具職人だったので
今も木工に関わる仕事をしているらしい。
肩は、治ったのだろうか。


またいつの間にか、子どもの話にもどっている。
座っていた娘のうち、大きな方の子を
おばあさんはしきりに誉めている。
何でも質問には答えられるし、
本当に賢い良い子なのよ、と。
おかあさんも誉め始めるけれど
云われている本人は、それほどうれしそうでもなくて
相変わらず静かに、座っていた。

こんなにあからさまに誉められていたら
今学校に往っている、もう1人の娘は、かわいそうだろう、
と、出来の悪かった私は心の中で同情したけれど、
そういう感覚は、アラブの国にはないということを、
学校での経験から、また思い出していた。
子どももお父さんも、大変だ。


居間の端には、黒くていい土の入った発泡スチロールが置いてある。
何を育てているのですか、と訊くと
なーなーとふぁらうら、ミントとイチゴだという。

その組み合わせが、なんだかおかしい。
ミントも、イチゴもそれほどおなかの足しにはならない。
けれども、立派に葉を伸ばし始めているイチゴの苗を
誇らしそうに指さす。
その様子は、どこかとてつもなく安心感がある。

ふぁらうら、という単語のかわいらしい響きを口元で繰り返しながら
家を後にした。