人の声には、それぞれ特徴がある。
残念ながら例えば、自分の好みの声に、自分の声自体を変えることはできない。
人の声が、気になる。
もう自分の声は変えられないから、では、好きな声音を聞いていたい。
時々、こちらの人、特に女性で
素敵な、本当に好みの声の人が居る。
少しくぐもっていて
身体のどこかで共鳴している。
低いけれど、雑音がない。
ちょうど、アラブで親しまれた
往年の女性歌手たちのようだ。
体型なのかな、と思ったりする。
だいたいが、それほど大きくないけれど
細くもなくて、
でも首が細い人だったりする。
先日、いただくはずのない人の声が電話口からして
はっとする。
結局は単純に、とても声だけがよく似ている、別人だった。
何が似ているのだろう、と考えてみる。
たぶん、音の高さと声の中にある細かな振動ぐあいが、
近かったのだろう。
歌声にも好みがある。
久しぶりに、新譜のアップデートをいただいたのがきっかけで
Youtubeをはしごしていた。
随分と聴いて慣れ親しんでいた、
Elliott Smithの曲作りに似ていた。
でも、彼はいろいろと思いがありすぎて死んでしまった。
Sufjan Stevensには、
もっともっと穏やかな景色が、たぶん、目には見えている。
Elliottのように暗い地下室やどろどろのお酒やあぶら汗はない。
不思議な名前だと思ったら
ペルシャ語から来ている。
あらゆる宗教を包括する思想Subudに傾倒していた両親から影響を受けた名前だそうだ。
それがどんなおしえなのかはともかく、
穏やかなことは、いいこと。
冬なので
音にぬくもりがあるといい。
きっと夏に聴いたら鬱陶しいと思うような
粒子のある、手のひらやほほで触れるような音が
このアーティストの声にも、きちんとある。
手触りで思い出し、また古いアルバムを聴いてみたりもした。
一度ギターで練習しようとして、見事に挫折をした曲。
ギターの和音さえも、質感がある。
そしてYoutubeのはしごの途中で
恐ろしいほどにまっすぐな声を、久しぶりに聴く。
こういう声のアーティストは、生きている人の中では他に、知らない。
歌声そのものに、はっきりとした意思や思いがある。
でも同時に、何度聴いても、とにかく、声に
小さな胸騒ぎを覚える。
まだ若いころのだから、そういう時季だったのだろう、などと
他人のことなのに、私が云い訳をしたくなるほど
はらはらする。
あまりにざわついてしまったので
いつも聴いているピアノ曲でどうにか落ち着いてみようとする。
でも、何かが違う。
どこかにしっかり湿度のある音があって
例えばピアノみたいに、音が本来ある程度均一なものであったとしても
曲の持つ文脈の中で
それこそ、電話口で聞くような近さのある音があるものを聴けないか
探し始める。
残念ながら、うまいぐあいに見つからず
変に神経だけが研ぎすまされて
夜に放り出される。
ざわざわがまだ、治まらない。
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