2015/12/05

生きものの居る暮らし





 12月に入ったところで
 急に冷え込みが厳しくなってきた。

 ダウンタウンでたったの2JD、という
 幾度の洗濯には耐えられない
 安物のもんぺを買ってくる。
 これが、随分と温かくて、去年の冬から重宝している。
 膝に猫を乗せ、もんぺをはけば
 とりあえず大丈夫でそうだ。
 
 冬によく合うというピアノ曲が
 いつ、何度聴いても、重い雲がたれ込める
 ヨーロッパのどこかの石畳の街並を思い起こさせる。
 同じように、雲の多い空を見ようと顔を上げたら
 うっすらと虹が出ていた。

 慌てて写真を撮ろうと立ち上がったら
 膝に乗っていた猫を床に落としてしまった。
 猫は変な声をあげながら、啼いたことをごまかすように
 不機嫌そうに毛繕いをする。

 休みの日もじっと家にいることになり
 必然的にピアノでも聴きながらじっと家にいることになり、
 ぽつぽつと読みかけの本に手をつけていた。


 たまたま同じ作家が手がけた本を読むことになる。

 梨木香歩の「村田エフェンディ滞土録」。
 19世紀末にトルコで考古学を学んでいた主人公が
 宗教や戦争、歴史や文化について
 イスタンブールで同じ宿に住む人たちとの会話や
 そこに住む日本人との交流を通じて
 ふれ、考え、体感していく
 まさに物語、という感の作品だった。

 実在した人物ではないのだけど
 きっと100年近く前も
 アラブに住む日本人はきっと
 あまり私の今感じていることと変わらないのだろうな
 と思う会話が繰り広げられていて
 妙な親近感を抱くことになる。

 徹頭徹尾物語なので、
 日本の留学生が後生大事に持ってきたお稲荷さんのキツネが
 遺跡から出てきた遺物とけんかをしたりする。
 その下りを読みながら
 私の家のクローゼットに入っている
 ハディースに載っているという99の美名の書かれた
 美しいアラビア語の古紙と
 知り合いの方からいただいた梵字と
 フィリピン土産のマリア像と
 伊勢神宮のお守りが
 一緒に入れられているのを思い出し
 やはりよくないのかしらん、と思ったりした。
 

 この話の中心的な存在に
 様々な言葉を覚え、タイミングよく口にするオウムが出てくる。
「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったんだな」「もう十分だ」「われらに平和を与えよ」
 オウムの発する言葉が
 物語の要所要所で、本人の意思とは無関係に
 時に滑稽な、時に代弁的な、時に悲痛な意味を持つことになる
 フレーズを発していた。


 もう1冊読みかけの本があった。
 
「ある小さなスズメの記録」という作品。
 クレア・キップスというイギリスのピアニストが
 12年間連れ添ったスズメについて書いている。
 先の作者が翻訳を手がけていて、
 原書を読んだことはないけれど
 その訳の言葉の使い方に、
 原書の作者の言葉に馴染んでいる感触があった。

 クラレンスと名付けられたそのスズメについて
 本当に、仔細に書かれている。
 その書き口には、どの文を切り取っても
 クラレンスに対する愛情が込められていて
 たとえ悪癖やわがままを書き連ねていても
 どうしたってそれを受け入れてしまう
 作者の心持ちがにじみ出ていた。

 作者はピアニストなので
 生後わずかで人の手に渡ってきたクラレンスの歌に関する本能は
 ピアノの音色に刺激を受けて開花する。
 普通のスズメにはない音域や歌い方を
 若い頃のクラレンスは習得していく。
 その上達と衰えの様子も丁寧に描写されていた。

 12年目の、最後の最後まで
 しっかりと生き抜いたスズメの様子を
 同じようにしっかりと見据えて書ききっている。
 観察した身近な生きものを丁寧に書いていくという作業の
 ずしりと重く深い仕事を見た。



 第二次世界大戦の最中
 クラレンスは防空監視所や避難所、防空壕で
 自分の歌声や小さく機微のある芸を見せることで
 一躍、ロンドンの人気者になる。
 
 そういえば、こちらの家ではよくジュウシマツやインコなど
 小さな鳥を好んで飼っている。
 窓がどこにもない、地下に住むシリア人のお宅でも
 3羽、4羽とつがいで飼っていたのを何度となく見た。

 小さな子どもが、卵を温めている親鳥が卵を潰してしまわないか
 必死な形相で見つめていたのを思い出す。
 客人が来たから、と
 鳥かごを隅からよく見えるところに持ってきてくれて
 でも私に見せてくれるというより先に
 自分たちがつい、見てしまって
 鳥かごの周りが子どもだらけになってしまう、
 などという情景もあった。

 確実に、彼らのなぐさめになっている。
 
 今パソコンに向かっているけれど
 パソコンを置いた机の、モニターの向こう側では
 だらしなく横になって、黒猫が寝ている。
 もっとも、黒猫は借りものだし
 何も気の利いたことは云わない。
 けれども、それなりにお互い、気に入っていると
 私は勝手に、思っている。

 なぜ好きかと訊かれても
 大して立派な答えはないけれど、猫が好きだ。
 特に、個人的には静かで構われることに執着しない
 だらだらした猫なら、もっといい。

 小鳥も悪くないけれど
 小さすぎて、不安になる。
 オウムならよさそうだけれど
 オウムを飼うなら30年、というし
 輸出入に厳しい日本への輸入を考えると
 今は借りもの猫で我慢するよりほか、ないようだ。

  

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