2012/11/09

再びの、国境


ヨルダンで一番好きな土地はどこか、と聞かれたら
ここだ、とすぐ答える


去年のちょうど今頃
同じ土地に来た

その時は、ヨルダンで初めて、目の前に広がる
溢れる緑に、胸がいっぱいになった
私は緑と湿気に飢えていて
それは、あたたかく、湿気ばかりの国への懐かしさのせいもあって
しばらく、身体いっぱい、空気を味わっていた


الحمهとしか、バスには書かれていないヤルムーク渓谷の端

往くのに、3カ所のチェックポイントを通過しなければいけない
ゴラン高原のイスラエルと、ヨルダンの狭間だ

去年はまだ、秋の高く青い空の下にあった
そこだけが艶やかな緑に覆われていた

今年は、今季最初の雨雲が立ちこめていて
初冬を思わせる空だった

ゴラン高原は黄色く枯れた草で覆われている

それでも、その麓の小さな小さな町だけが
トウモロコシやヤシやブーゲンビリアの真っ赤な花に
色が踊るようだった

少し手前にはイスラエルのシナゴークが見える
いつかの温泉保養地



結局今年も、温泉には入れなくて
渓谷の川を眺め
草むらのロバを見て
ゴラン高原を眺めながらピクニックをするヨルダン人を見て
それから、私もゴラン高原を見上げる



厳しい岩肌とその土地を隔てる
小さな川



どことなく、育った街の端を流れる川の景色と重ねる

水と緑がある
だから、桃源郷だなんて、思うのだ

たったそれだけの理由だと、分かっている

でも、それがとてつもなく私には大事なものなのだ、と
認識するために、来たのだと、知る




2012/11/03

ひと気のない土地

ここのところ、二度ほど
ヨルダンの地方の遺跡を回る小さな旅に連れていってもらった

例えばシリアの町がよく見える
国境の町にある
例えば道もないような土漠の中の
何もない土地にある
ローマ時代からウマイヤ朝頃までの遺跡の数々

ヨルダンの歴史は、何度も聞いても複雑で
未だにはっきりと分かっていない
ただ単に、覚える気がないのだろう

でも、大小さまざまな遺跡が
国の全土にある
大きなものなら保存の手も入り
門番付きの金網に囲まれる

ただ、多くの遺跡は、大して守られもしないまま
若者のキャンプ地になったり
落書きの対象になったりして
日本の感覚のままだと随分と驚かされてしまう




正直なところ
もちろん遺跡を探訪するのも面白いけれど
そこへ至るまでの景色の方が好きだ

ここへ来て、ほとんど
何もない土地と
音のない場所を
たくさん見た

ただ、硬い玄武岩の大きな石の塊が散らばっていたり
わずかな草が生えていたり
小さな小鳥が2,3羽空高くを飛び去っていったり
遠くで車の音がしたりするぐらい




ひと気のない土地はいくらでもあって
その多くは、水がほとんどなくて
ぽい、と放り出されたら
それが、時間の差はあれど
直接死と結びついていることを
意識させられる

ただ、そんな土地は
そこはかとない魅力がある

なに、安全な車の中から見ているからだろう

そんなところにぽつねんと
遺跡があったりする

過去の人々は
どうやってこんなに生きていたのだろう

砂に白くなった生活の跡を見ながら
想像する


2012/10/27

イードの羊


ワディ・ラムからの帰り
ワディ村でイード(祝日)にいただく羊を
さばいてゆく様子を見せていただいた

今回のイードはイード・アル・アドハー
詳しくは以下を参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/イード・アル=アドハー


命をいただいている、という
生々しい感触

記録として載せておく

生きているものを
いただいているんだ

感謝して食べなくては


車の荷台に乗せられて
羊がやってくる


ちゃんと土の上で絞めなくてはいけない
血は、土に返す


皮を剥いでゆく


羊の皮は、思った以上に分厚かった


中身の内蔵は、食べられるところだけ
器に残し
その他は、皮の上に置いていた

肋骨を開く
心臓はちゃんといただくために
お皿に載せられていた

空の色を映した、羊の目
そして、肉屋で見るような
肉になった

ワディ・ラムへ往く


休暇に風邪をひくのは、恒例なんだろう
少し前から具合が悪いな、と思っていたら
出かけるその日に、立派な風邪ひきになった

そういえば、デング熱にかかったときも
夏休みだった
無駄に有給を使った思い出

でも、往きたいものは往きたい
ぼんやりした頭で、出かける


ワディ・ラムは複合遺産らしい
たぶん、私はその遺産らしきものたちはほとんど見なかった
ただ、奇妙な形の岩たちと
真っ赤な砂を眺めながら、寝ていた

砂漠の真ん中で、本気の眠りに襲われるなんて
思ってもみなかった

岩の間のくぼみで
それから、何にもない砂の上で

音がしない空間はどこか、心もとない
かすかな風の音を聞き分け
耳元をうろつく蠅にもどことなく親近感を抱き
うとうとする

砂はものすごく細やかで
ぴったりと身体に吸いつく

たくさんの小さな動物の足跡


夜の月は半月を少し過ぎたぐらいなのに
辺りのものを隈なく照らしていた
夜半過ぎ
月が岩の陰に隠れると
たくさんの星が現れる

オリオン座の他の星座がわからない
そう思っているうちに、また寝てしまった



朝は岩が赤く染まる
白くて賢い犬が
砂漠の真ん中でまるくなっていた


今度往く時にはこんなに眠れないだろう
きっと元気な時に、往くだろうから

でも、ただひたすら
眠気に任せて横になっているワディ・ラムも
悪くはなかった


2012/10/21

今年も アンマンマラソン


今年のアンマンはまだまだ暑い
去年の今頃はもう、薄手のコートを着ないと寒かったのに
半袖の人たちが、10月も終わりになろうという今でも
道を闊歩している

金曜日のアンマンマラソンも暑かった

今年は仕事先のキャンプの施設から
出場している人たちの伴走だった

出場者の他に、キャンプからのボランティア
それから、日本人のボランティアがつく

参加にあたり企画を担当してたボランティアの粋な計らいで
出場者のキャンプからのボランティアは
出場者のお姉さんで
私の仕事先の学校の生徒だった

アンマンの街はいつも車でいっぱいだ
そこを通行止めにして
街の大通りを走るコースだった

出場者のムハンマド君は小柄ながらすばしっこい
初めから歩いて参加するつもりの大きな人の群の中を
右へ左へすり抜けながら走ってゆく

その後ろ姿を見逃さないように
お姉さんのアマルちゃんと私は、必死で追いかけていた

しっかり、現在地の「7キロ地点」なんていう看板の前で
毎回写真を撮り
ムハンマド君は元気に
アマルちゃんは少しお疲れで
ゴールした

ゴールのローマ劇場では
有名な歌手がライブをしている

他の出場者が戻ってくるまで
二人はじっと音楽を聴いていた

素敵な笑顔をたくさん見ることができた

今年も伴走で参加できて、よかった





2012/09/23

ねこのことなど




預かりものの猫が居る

アラブで産まれてアラブで育つ
生粋のアラブっ子の猫
ラファ、という名前

ベトナムでやむを得ず拾ってしまって
しばらく飼っていた猫には
ブーレ、という
早いテンポの二拍子の舞曲の名前をつけた
今は、お世話になったホーチミンのおばちゃんの家に居る


飼い主は、この猫に
ラファ、と名前をつけている
ドレミファ、のファ
ソラシドのラ

こちらの猫は、ペルシャ猫のような血統が強いようで
ラファもまた、冬毛に変わり
もふもふし始めた
上の写真は先月の様子
下の写真に比べて随分とスリムだ



本人はまだ、冬毛に慣れていないようで
冬には室内を極寒にする石のタイルの上で
よく横になっている


当初の予定では、来月末には元の飼い主に戻るはずだった
けれども、結局
今回もまた、引き取りに来れない、との連絡を受ける

何にも知らないで
相変わらず膝の上で寝ている
困ったな、と
私は途方に暮れる
それから、何ともかわいそうだ、と

いろいろな猫を育てたり世話をしたりしてきたけれど
ラファはその中でも一番
分かりやすい性格だ
そして、賢い

ダメだと分かっている部屋に入れば
私の姿を見た瞬間に、逃げ出していく

いたずらをしていると
しかる前にかわいく鳴いて、知らぬ顔をする

おなかがすいた朝には
私の顔を軽くパンチする

夢中になって大好きな糸や紐で遊んでいる時には
人の姿など、目もくれない

しばらく放っておいたら
寂しくて寄ってくる

気持ちがいいとすぐ
ぐるぐる云ってしまう

でも、抱かれるのは大嫌いだ
自分の往きたい時にしか
お前の元になんか往ってやらないぞ、とばかりに


きっと自分が猫だなんて思っていないのだろう

ラファは、どうしても指をしゃぶる癖を直せない
一日に一回は、たっぷり私の小指をしゃぶっている

どこかへ出かけていても
何となく気になってしまう
今頃少し寂しがっているんだろうな、と

そして、なんとなくラファを見ながら
結局何にもしないで一日が終わってしまったりする

つまるところ
ラファは、随分とかわいいやつで
私はラファのことが、随分好きなようだ

困ったな

2012/09/10

春を恨んだりはしない

夏休みの間にこちらに旅行へいらした方に
本をお願いした
「春を恨んだりはしない」 池澤夏樹

手に取るまでに時間がかかった
夏休みのだらだらとはほど遠いことは分かっていたから
いくらかの覚悟が必要だった

夏休みのおしまいに
最後の宿題のように、読んだ

震災に関する話で
池澤夏樹自身が被災地を訪れたルポから
本人が見て感じたこと
天災にまつわる考え方
これからのこと、などが
写真と一緒に収められている

私自身が震災の時日本に居なかったこと
そして、日本へ戻ってもわずかな滞在の後
すぐにヨルダンに来てしまったことが
いつもどこかでひっかかっている

読み終えた後しばらくして
「Pray for Japan」という映画も見た
震災とその後の復興への道のりを
アメリカ人の監督が、静かな丁寧な視点で
描いたものだ


読んだからといって、見たからといって
何ができるわけでもない
でも、知ること、考えることを
必要としている


本の題名となっている
ヴィスワヴァ・シンボルスカという詩人の詩
題名の通り、どんな惨いことがあっても
いつも豊かな恵みを抱いてやってくる

それは自然がもたらしたこと
春も同じ 震災も同じ

こちらはそろそろ秋の気配で
オリーブの実が膨らんで
果物の種類が一番豊富になる
順々に季節はきちんとやってきて
時間もたんたんと過ぎている


新学期が始まる前
追試で学校へ来なくてはならない子ども達が居る中
廊下で本を読んでいた

何が書いてあるの?そう訊くので
写真を見せて
日本であった地震の話だよ、と云う

被災地のあの、瓦礫の山ではなくて
静かな街の断片が映されている


こちらにはほとんど地震がないので
子ども達はよく分からないような表情で
写真を見ていた


学校の校庭の写真が入っていたので
それを見せてみた
ブランコがある、広い校庭

きっと震災の時にはたくさんの人たちが
こんな場所で仮住まいを余儀なくされただろう

広いねぇ
子ども達は目を見開いてうれしそうな顔をする
こちらの校庭はコンクリートばかりの
狭い広場でしかないから
うらやましいのだ


次の春が来るまでに何ができるのか
こちらでどんなことができるのか

結局のところ自分のことしか考えられない

とりあえず、子どもの顔を
よくよく見つめていこう、と思う