2009/12/31

シャンドライの恋


ベトナムの正月は2月で、テトと云う
だから、日本のような正月を迎える空気は全く、ない

外に出ても、例えば6月の気候のいい時期のようで
冬を想うような情景はない

だから、今日も普段と変わらない一日だった

仕事はでも、短い休暇に入った

久しぶりに映画を観る

こちらではCD同様DVDもほぼすべてがコピーだ
新しい売れ筋のものが多いが
監督ごとにまとめられたものもある

ベルナルド・ベルトルッチの作品の入ったDVDを買う
「シャンドライの恋」を観る
本当に気に入っている映画の一つだ

音楽の入り方がたまらなくよくて
ただ、曲を聴くためにDVDを流しておくのも、いい


映画の要素をストーリーと音楽と映像に置いて
その3つが、あるバランスと趣向で
織り交ぜられているものが好きだ

どうも、そういうものは、でも
強いメッセージ性を持ちづらい
訴えるものを主眼に置くと
音楽や映像が強すぎれば
ただ邪魔になってしまうことが往々にしてあるからだ

例えば、世に出る作品というものに
何かしらの教訓や訴えたいものがなければならないのであれば
この映画の作品としての価値は、決して高くないという人も、居るだろう

でも、だからこそ
どこまでもよく、美しく
この映画は自分の目には映っているようだ



2009/12/12

インターネットのないくらしについて

これを更新しているぐらいだから
ネットを使っているのだけれど
今は仕事場に来ているから使えている

家のネットの調子が悪い
住んでいる地区に規制がかかったのか
つい先日までは仕事場でyoutubeも開けなかった

そうなると、一日のサイクルが変わってくる
朝、メールのチェックや簡単な情報チェックをすることもできず
でも起きる時間は変わらないので
出かけるまでの間
本を読んだりする
ねこと遊んだりする

帰ってきたらきたで
パソコンはもっぱら音楽の再生機器になる

情報のほとんどは
実はそんなに大切なものではないことがわかってくる

もちろん
知っていた方が
例えば、はなしの種になったりするし
実際に使えたりするし、何かと便利だ
何よりも、載せられている情報はすべて
人が書いたり選んだりするものだから
間接的に、直接的に
人と繋がっている

だけれども
たぶん、ぐるりの中に
自分から見つけられるものがたくさんある
考えるべきものがある
繋がりの必要な人がいる

そんなことを思い
でも、漠然としすぎて
その”考えるべきこと”がよく見えず
結局、朝からぼんやりする




2009/12/06

ペンギンの絵




久しぶりに絵を描く
人にあげるためのものだった
木炭を手に入れたので
木炭の感触を楽しみながら
クロッキーをした

色を入れてゆきながら
絵具の処理の仕方など
忘れていたことを思い出したり
思い描くものと
絵となって立ち現われるものとの差に
愕然としていらいらしたりした
それでも
ものを作る、という行為をすることで
何かしらを形に残すことの大切さを、あらためて知る

2009/11/22

秋などというものを


ここのところ、涼しい
今日など、半袖で少し寒いぐらいの風が吹いている
空一面曇っていて
雲間から漏れる光が柔らかい
運動会の朝を、思い出す

ここには秋がない
乾季が始まっている
初めて経験する、初めての季節だ
季節は、感覚として身体に残ってゆく
この季節が、
いつかとても恋しく感じる時がくるのかもしれない

2009/11/15

心の均衡をつかさどるもの



ここのところ
家にブーレがいるせいで
朝食をゆっくり食べられない
仕事場へ往ってから
他の人の迷惑にならない裏口のスペースで
小さなお菓子やパンを食べている

外は気持ちがいい
たとえ、目の前には焼却炉と
その先にはくさっぱら
それだけしかなかったとしても
何となく、気持ちがいい

空を見上げ、草を眺め
それから、ほんの少しだけれど本を読む
また、須賀敦子を読む
ヒヤシンスのはなし
電車道のはなし
彫刻家のはなし
トリエステのはなし
ソレント近くの遺跡のはなし

最後までは読めなくて
だいたいは途中で止めてしまうのだけど
朝に、少しだけ違う国へ往き
ものごとの感じ方について
柔らかで透徹した視点について
これも、ほんの少しだけれど、考える

2009/10/23

「君たちはどう生きるか」を読む


シンプルで、でも印象に残るこのタイトルは
もう長らく気になっていたものだった
確か、中学のときに読んだ気がするのだが
途中で止めてしまった
本の背景が持つ時代性が
どうにもなじめなかったからだった


でも、本屋でみれば、気にかかる
でも、見えない敷居のある本だった
こちらで、古本を見つける
大きくマジックペンで名前の書かれたもので
92年の出版のものだった
初版が82年なのも、
手に取ってみて初めて知った

主人公の中学生の学校での出来事
そのおじさんとの会話などから
成長の過程で一度は考える
人としてどうあるべきかの思考の断片を
提示している

実に道徳的なせいか
あとがきにも書かれていたが
理想主義的な昔の本、という印象を受けてしまうのは仕方がないのかもしれない
ただ、道徳的であるにはどうしたらいいのか
いい人間とはどういう人間なのか
という命題に真摯に取り組む純粋な歳の頃に
何かしらの光を入れるのは確かな気がする

この歳になり
その頃に描いた、人としての理想が
いくらか心ざわめかせつつ、でも
今はもう、手にすることのない明るく澄んだ色をもって
もう一度、少しの間だったが、立ち現れたような気がした

2009/10/15

名前をつけるということ


猫には名前をつけないことにしていた

名前をつけることは
たくさんの猫の中の一匹、ではなく
その、一匹しか居ない、そいつ、になる、ということを意味する
一気に、親密で、かけがえのないものになってしまう

それに、名前をつけると
猫をその名前で呼ぶようになる
呼ぶことが、日常になってしまう
日常は、ずっと続くから日常で
呼ぶことが日常になることは
命あるものならばどんなものでも
愛情を含む何かになることだし
だから、居なくなることを考えると
どうにも怖くなってしまう

それなのに
ひょんなことからついてしまう
bourreeという
どうにもスノッブで
上品な風のある名前

でも、実際には
踊りにくそうな、2拍子の舞曲のことを指すようだ

確かに、ブーレは毎日
不可思議でどたばたな踊りでも踊るように
わたしの足だけではなく
いろんなものものと、戯れている