2023/02/05

心安めるための景色と、音楽という防波堤


7年住んでいた部屋に、戻ってきた。





この部屋の窓からの眺めが、この部屋に住もうと決めた一番の理由だし、
この眺めがあるから、大袈裟ではなく、長くこの土地で
なんとか、生きながらえることができた。
特に、コロナ禍で完全な外出禁止やロックダウンを課していたヨルダンで
もしこの部屋に住んでいなかったら、心が完全に折れていただろう。


日本ではもう、この景色を見ることはないだろうと、
頑なに思い出さないことを、自分へ課していた
懐かしいという感情では表しきれない、もっと切実な思いを抱いていたからこそ、
染みったれてしまうのが嫌だった。



けれど、部屋に移ってきたその日から、呆れるぐらい当たり前に、
見慣れた景色を享受する自分がいた。

変わったことと言ったら、
預かっていた猫が前足で扉を開けられるぐらい
締まりの悪かった冷蔵庫が新しくなっていたこと、
それから、しばらく電飾が切れていた
隣のモスクのミナレットが、煌々と緑の輝きを戻していることぐらい。
寝室のブラインドを閉めないと、部屋中がうっすらと緑色になる。




相変わらず、屋上のさらに2階だから、
水圧が弱くてタップを開いてもしばらく水は出てこないし、
停電になると水も出てこない。
窓が完全には閉まらないから、隙間風が身体を冷やし、
洗濯機は攻撃的な音を発している。

こちらではあまり見ることのない、テラコッタの瓦屋根に
雨粒の当たる音が、部屋の中に響く。
降り続く雨の音を聞いていると、まるで部屋の中が
水浸しになっていくようで、身体に湿気が染みる。



海外に住んでいた人は、旅行好きだと思われることが多い。
確かに、在外で会う人たちは、行動そのものがアクティブで
休暇にはさまざまな国へ出かけていた。

ただ、わたしに関しては、旅行そのものが嫌いなわけではないけれど、
余程思い入れのある土地か、その土地でしたいことがあるか、もしくは
知り合いのいる土地ではない限り、
自分から重い腰を上げることはほとんどなかった。

どこかへ行くときも、ただひたすら同じ街にとどまって、
ずっと歩いたりしている。

だから、一時帰国で東京にいたときも、ひたすら歩いて
土地勘を体得することに執心していた。
その癖は日本に居住を移しても同じで、
とにかく、歩く速度で見えるものから、ゆっくりと
目に見えるものを把握していく作業だけで、ある意味
いくらでも楽しめた。

アンマンもまた、とにかくたくさん歩いた街だ。
車の動きは予測できないし、歩道になぜか
背丈にひっかかるような街路樹があったり、
とにかく坂が多くて、登ったり降りたりを繰り返さなくてはならないから、
まったく歩くのには向かない土地だけれど、
それでも随分と、いろいろなところを歩いてきた。

坂はどこも急だから、建物と建物の間から見える景色に
はっとさせられたりする。
ずっと住んでいたアパートメントの脇にある
ダウンタウンに通じる階段からは、巨大な国旗がたなびいていた。
ちょうど、建物の縁が額縁のようになって、
特別な意味を持っているかのように、景色を切り取る。






そして、いくつもあるアンマンの丘の多くは高さに大差がないので、
高台からもまた、向かいの丘の人の営みを
見下ろすでもなく、見上げるのでもなく、同じ高さで見ることができる。



いろんな遺跡に何度も足を運んだし、
世界遺産のワディ・ラムも好きだけれど、
ヨルダンで何が一番好きかと訊かれたら、
慣れ親しんで愛で続けてきた、アンマンの街並みだと、
迷いなく、答えるだろう。

例えば、アラブ人の人間性の面白さだったり、ホスピタリティだったり、と
人にまつわるさまざまな良さもあるし、
人に対する愛着をあげる方が世間的にはいいのだろうけれど、
人をめぐる思いを凌駕するだけ、
やはり、街の景色への思い入れが強いのだと思う。

人の心も目の前の事象も移り変わるけれど、
街並みだけは変わらない、そんな
どこか切実に普遍性を希求する気持ちも、作用しているのかもしれない。


歩くときはいつも、聴きたい音楽を流す。
その曲によって景色がいつもと違って目に映る、または、
音楽がわたし自身の状態をある一定に保ってくれる。
どれだけ辛いことがあっても、耳から流れる音楽は
決して裏切ることなく、思った通りのフレーズを記憶の通りに再生し、
望む通りに、心に寄り添う。
(寄り添うという言葉は本当に好きではないのだけれど、
人ではないものがそばにずっとある状況には、
使ってもいい、と勝手に自分で決めている。
往々にして、誰かに寄り添う、という人は、想いが強すぎて
寄り添っている相手が少しでも自分の意に反することをすると、
腹を立てがちで、寄り添わなくてなる傾向がある。
同じようなことを自分ではするまい、と思っている。)
目の前の情景と音楽の世界観が持つ差異を、場合によっては
楽しむことさえできる。


どれだけ長く住んでいたからといって、
安心が保障されているわけではない。
日々のストレスはいくら慣れても、澱のように溜まっていくし、
ストレスに慣れて感覚が鈍るのも何か、違う気がする。
そんな微妙なバランスに常に身を置くには、
どんなときも、最低限、心の規定になるようなものがなくてはならない。
それが、変わらない景色であり、音楽なのだと思う。

時に、映画でも見ているように、自分の置かれた状況から
自分自身を離さないと、やっていられない。
なんでこんなところに居るんだろうな、と、数え切れないほど
何度も思ったけれど、そんな時には、「こんなところ」と
わたしの間に音楽を置いて、防波堤を作っていた。
しばしば襲ってくる、慣れ親しんでうっすらした絶望に
簡単には、飲み込まれなくなる。
目に映る景色の中に、人々の慎ましく愛おしい暮らしの断片だけを
見つめる視点を取り返せたら、上出来だ。

もっとも、防波堤もろとも崩れ去って、景色も音楽も、何もかも
意味をなさないこともあるけれど。



どこへ行っても同じことをしている。
その状態が好きだし、なによりも安心する。
その景色を異なる、もしくは同じ音楽とともに
眺めながら、まとまりのないさまざまなことへ
思いを巡らせる時間が一番、心安まる。


そう、この部屋に移ってきてあらためて、確認する。




雨の降らない春過ぎから秋にかけては、ただひたすら
あっけらかんと晴れた空が、窓の4分の3を占める。
けれども、雨季の冬は、空を覆う、もしくは、
空を駆ける雲が、一日中姿を変えて
スクリーンの大画面のように映し出される。
やもすると休日などは、ただひたすら、
その景色に合う音楽を流し、空を見続けてしまう。

雲の形は面白い。
雲の形の要素を抽出して、彫刻にしようとしていたのを思い出す。
今は作らないけれど、まだ楽しむ目だけは、しっかりあるようだ。

雨が止むと、一斉に近所の鳩持ちの家が、
屋上から鳩を飛ばす。
鳩の群れが、遠くで、近くで旋回し、
ドビュッシーのプレリュード重なり合う。

やがて、アザーンの時間になり、やむなく音楽を止める。
すぐ隣にモスクがあるから、どうしたって、かき消すことはできない。


確かに、安心を感じられるものに執着している。
それは、日本にいても変わらない。

けれども、いつも安心ばかりを求めていては、
新しい可能性はどんどんと、失われていく。
その事実を心底実感したからこそ、ヨルダンから日本に
生活の場を移した。

何が安心を作り出すのかをはっきり把握できたのだから、
もうきっと、どこにいても大丈夫だと信じられるのではないか、
そう、うっすらと、でも切実な期待を持っている。

勇気の話なのだな、と薄々気づきながら、
軟弱なわたしは、ベアトリーチェ・ラナの白鳥の
水面に広がるやわらかく微細な波紋が煌めくような演奏を聴きながら、
アンマンの夜の満月を
いつもと同じお店で、愛でている。




2023/01/30

この日のはなし ー 崩壊も再生もしないものもの


クラシカルな音楽と一ミリの親和性もない、
誰もが眠そうにぼんやり歩く早朝のアンマンの街角。

頭の中をずっと、ラヴェルのLa Valseが回っている。
それは単純に、朝の出勤時からヘッドホンで
この曲を聴き続けているからだ。
浮遊感がより極まった、チョン・ミョンフンの指揮するLa Valseは
感電しそうに大量の電飾をつけ、不規則な緩急に任せながら、
回転するメリーゴーランドのように
幻惑と危うさを孕んで、ひたすら頭の中を回り続けている。

自分だけに聴こえるこの音楽を通して見ると
すべて幻想で存在していないのではないか、と思えてくる。
そこにはどこかしら、わたしの願望も含まれているわけだけど。




久々のヨルダンは、知ってはいたけれど、なかなかタフな土地だった。
わたし自身のことでも、いろいろスタックしているし、
私の周囲でも、あり得ないことが、さも起きて当然、かのうように
存在していた。

正気を保つには、久々のヨルダンはいくらか心細かった。
なまじっか日本に長くいたから、余計に心細い。
日本にいる人々に助けを求めても、勝手も意味も、わからないだろう。
それは、わたしが仕事で難民の方々の話をすると、
あら、大変ですね、という方々のコメントに心潰れるのと少し似ていて、
何かしらわたしの気力を奪う。

わたしもたくさん、立場の違う人々にそんな、想像力の方向が見当違いな
心薄い言葉をかけていたのだろう。
思い返すだけで申し訳なくなって、しばらく仮死していたくなる。

そんな行き場のない心模様を払拭するべく、
朝っぱらからある種、破滅的な音の波で頭の中を埋め尽くす。



朝一で会議をこなし、スタッフとの話し合いや書類作成をしていると
事務所の水周りを修理するおじさんがやってきた。
このおじさんに最後にあったのはちょうど1年ほど前、
やはり、同じ箇所に問題があって修理をお願いした時。
水周りの根本的な解決ができていないばかりに
また直してもらうことになる。

キッチンのシンクの下、上水をタップに供給するねじが錆びて
錆が水道管の中で詰まっていた。
ついでに、キッチンからの下水を流す管も詰まっていた。
これは、粉をそのまま煮立ててカップに注ぐアラビックコーヒーの
その粉が溜まっているからのようだった。

前者はシンプルに建物の老朽化が原因だし、
後者は下水管の設置角度が悪いのが原因だった。

どちらも直すべき、根本は見えている。
けれども、事務所の場合においては予算がなく、
根本的な解決に取り組むことができない。

そもそも、両者とも建物のオーナーが関与してしかるべきなのだけど、
ここでもまた、責任の押し付け合い現象が起きる。
さらに、今の事務所を格安で借りているので、
もしわたしたちが修繕してくれないオーナーに愛想を尽かして
出ていったならば、オーナーとしては好都合、
もっといい客に高値で貸したらいい。


修繕にまつわるこの、解決に至らない残念なループはまさに、
ヨルダンではしばしば、さまざまな場面で見られる現象だ。

その時のテンポラリーな応急処置で、
その場が何かしら取り繕えたらいい、
根本的な解決に目を向けたがらない、もしくは
解決する手立てやお金がない、という類の話である。


修理のおじさんは何度となくスタッフを呼び立てては、
現状を報告する。
コーヒーの粉だよ、ここが錆びてるね、
いや、まったくひどい状態だよ、
見えるかい?ここだよ。

その度に呼び出されるスタッフは苦笑気味なのだけれど、
愛想はよくて、どこかおどけた雰囲気を纏うおじさんの話し口に、
スタッフたちは慣れた様子で耳を傾けていた。
本当に心の広い、よくできた人たちだと心底、思う。

水場周辺から仕事部屋に戻ると、違うスタッフが泣きながら電話をしている。
踵を返し、水場に戻ると他のスタッフから事情を聞き出す。

夫が運転免許を取るのを許してくれない、
結婚前からお願いしているし、自分の給与で免許代は工面すると
言っているのに、どうも許しが出ないらしい。

理由はなんなの?と当事者ではないスタッフに詰問する。
妻が自由にどこかへ行くのが嫌なの?そう尋ねると、
車買うのも維持するのも、お金がかかるからじゃないかな、という。

あの子だって稼ぎはあるじゃない?
いや、旦那さんは自分のお金もあの子の稼ぎも自分のものにしたいのよ。

おれのものはおれのもの、お前のものはおれのもの、
ってセリフがあるわよ、ドラえもんの中に。
あぁ、それ聞いたことあるわ、こっちでは、
結婚すると嫁が言う言葉よね、でも
あの子の家ではどうも、事情が逆なのよね。


ふん、と納得いかない風情を全面に出していると、
修理が終わる。
修理代を支払うと、おじさんは
明日でも明後日でも、いつでも言ってよ、
なんでも直してあげるからね、と無邪気に言う。

随分修繕に時間がかかったんだけどな、と思うと苦笑が顔に出る。


あのおじさんはドクターよ、わたしたちに起きるどんなことも、
直してくれるって言ってたわ。
おじさんを見送ったあと、スタッフは言いながらニヤニヤ笑っている。

修繕ですっかり汚れたトイレをスタッフと二人で掃除していると、
さっきまで泣いていたスタッフがやってきた。

免許のこと、聞いたわよ。
根掘り葉掘り事情を聞き出すのは、
わたしの好奇心もいくらか働いているからだった。

仕事をしている旦那だから、
決して彼女の稼ぎをあてにしているわけではないはずだけれど、
将来の投資でもある運転免許を、自分のお金でも取れないなんて、
理屈が通らないから、
反対している理由を明白にすべきだ。

甲斐性があるのかないのか、よくわからない旦那の話を
しばしば聞いてきたわたしは、我慢強くお人好しの彼女に警告する。

だって、あなたの稼いだお金もあてにしているんだったら、
仕事がなくなったら、あなたの価値がなくなるってこともありうるのよ。


”あだみっく ざはぶ”
当事者ではないスタッフが舞台女優のセリフのように、笑いながら言う。
あなたの骨は金でできている、という意味だ。

え?それってだめでしょ、とすかさず私が反応すると
いや、冗談よ、旦那さんは愛してるわ、と笑っている。
やー、っさらーむ、わたしは大仰に肩をすくめる。

当の本人は、さっぱり怒っているでも、悲しんでいるでもなく、
あっけらかんと会話を笑いながら聞いている。

女性がお金を稼げることが、まだそれだけで、
名誉なことなのだろうか、とか、
稼ぎがあることは結構な魅力になるのだ、と本人もまた、
肯定的に考えているのだろうか、とか
憶測が頭を巡る。

そんなわたしの頭の中の混乱をよそに、
彼女たちはネスカフェを作って、
楽しそうに仕事場へ戻っていった。

まったく、強い女性たちだ。




安造りの舞台の上で、現役をとうに過ぎたバレリーナが
気品だけをそのままに、鈍くなった動きを隠せもしないまま踊り続ける。
もしくは、今の身体に合わない若かりし日のドレスを無理やり着て、
真っ白に塗ったおしろいに皺を浮き立たせながら老婆がにこやかに挨拶する。



腰を据えて仕事を再開して、
いつまで経っても決まらない、仕事の大事な用事を調整すべく
話し合いを続けている最中、頭の片隅でそんな想像をしていた。
話に集中していない証拠だ、と頭を激しく振る。

話に決着がつく頃には夕方になっていて、
スタッフたちは元気に帰っていき、
いくつかの書類をまとめたり、メールを送ったりする。
その間もずっと、頭の中をLa Valseが回り続ける。

観念して、ひたすらヘッドホンで同じ曲をひたすら繰り返し
聴き続けていた。


どんな曲でも、その楽曲自体が、身体に沁みて自分のものになるまで、
聴き続ける癖がある。
他人が付き合わされたら本当に、うんざりするだろう。

おそらくしばらくは、他の曲を挟みつつも、
これを聴き続けることになる。

なぜなら、音の世界だけでも浮遊させてほしいし、
破壊して再生させてほしいからだ。


2022/12/31

その人の在りようを、まなざしが語る

 
ジョナス・メカスの映像を初めて観たのは
都美館の企画展の一角だった。
露出が高めで、色が飛んでしまいそうな
もしくは、室内で暗すぎて、影に埋もれてしまいそうな断片が
でもそこにしっかりと存在している光の中で、
大切な小さな石のように一つ一つ、大切に置かれていく。
日常のどちらかと言ったら、とりとめもないような映像が
切り取られ、続いていく。

見た瞬間に、たとえそれが
ただの道を歩く人々であったとしても
風に揺れる花々であったとしても、
食卓を囲む人々の姿であったとしても、
被写体のすべてに対する愛おしさに溢れている、そう
誰もがきっと感じるだろう。

こんな,宝石のような映像を撮る人がいるのか、と
ただずっと、流れる映像を見続けていた。




その印象が強かったから、「眩暈 VERTIGO」という映画が上映されるのを
随分と心待ちにしていた。

たまたま見に行った日、監督と共に、
吉増剛造氏も会場に来ていて、映画の中の断片を
聴くことができた。

NYでメカスの息子に会うシーン、そして
日本中のメカスファンの心が、自分の身体に乗り移って、
「メカスさーん」と呼びかける言葉が出てきた、と
身体と言葉が一体となったような、所作と佇まいで、話していた。


映画は期待通り、それ以上に良かった。
映像の場面一つひとつが美しかったし、
ジョナス・メカスへ抱く、吉増剛造の愛しさに
とにかく溢れていた。

歌を歌うのが好きだったメカスが、映画の中で、
言葉を音に乗せて、アコーディオン片手に歌う。
Dream of Humanityと繰り返す。

彼の映像の中にも、歌を歌う人々の姿が出てきて、
いつも誰かに向けて、自然に歌い出すような流れが印象的だったのだけれど、
フィルムを回す本人が、いつもそうやって歌っていたのか、と
ひどく合点がいく。

後半に出てくるパウル・ツェランの音声も、ひどく印象的だった。

自分の国から逃げねばならず、難民となった先で
母国語とは異なる言葉を操ることを課せられ
言葉という一番慣れ親しんだはずの表現方法が、一度
手の中から逃げていく。
それでも、ツェラン、メカスはそれぞれ、言葉やその周辺で表現を試みる。

ユダヤ人として、ナチス時代に強制収容所に収容され、
過酷という言葉では、とても表しきれない経験をして、
それが、その後の人生の流れと表現の核心を決定付けているところもまた、
共通するところだった。



けれども、映画の中で何が一番印象に残ったか、と訊かれたら、
圧倒的に、メカスの息子、セバスチャンの目、表情と答える。
メカスの最期の場面を尋ねる吉増剛造の姿を見つめる
セバスチャンの表情は、形容し難く、圧倒的な慈愛に満ちている。




気の小さい私は、海外で人と接する時、だいたいいつも、
どこか不安を抱えながら、おそるおそる、どんな人なのかと
その人の佇まいを凝視することが多かった。
そこから得られる情報の蓄積で、
安心できる人を経験的に、見分けていくことになる。

セバスチャンの顔は、会ったら一目で、
ひどく安心できると確信できる人の顔だった。
特に、吉増を見つめるまなざしが、
私がよく知っていて、大好きな人たちのまなざしと重なる。
あの人たちの顔を、よく訳もなく見つめていたのは、
ただ見ているだけで、心が落ち着くからだった。

映画を観ている時も、このまなざしをずっと眺めていたい、と
映画の主題の流れとは離れて、本能的に思う。




まなざし、には、客体である対象を見つめる視線がある。
同じくまなざす、という動詞にも、
対象を見つめる視線がある。
そして、その視線には、見る側の意識が介在する。
対象をどのように見るのか、という意志が反映された
視線としての、まなざし、なのだ。

だから、まなざしそのものに、まなざされる対象を
定義づけたり、意味づけたりする行為も、
場合によっては含まれることになる。
時に、そんなまなざしは、対象を縛ったり、決め付けたりもする。
だから、まなざしそのものに、功罪が存在することを
私たちは意識しなくてはならない。


けれども、セバスチャンのまなざしは、
その瞳の奥に、何かを決めつけるのではなく、
そのまま受け入れて、対象の心を映し出し、
まなざされた対象も意識していなかった
心の奥底の思いに気づかせる。

覗き込むものすべてを映す
凪いだ水面のようなまなざし。


もしかしたら、それはもはや哲学の文脈が意味する、
まなざしとは言わない、と捉える人もいるのかもしれない。
ただ私は、きちんと意志的な視線を携えて、
相手をまなざしている、と感じていた。

根底に、対象を愛しむ存在として捉えている、というのが
まなざしが携える、まなざす人の意志だ。


そのまま受け入れられていると感じられたならば、
対象の心は開かれる。
その心のうちが言葉にならなくても
表情や視線の中に、開かれた心の断片や気持ちが
細かな泡のように浮かび上がってくる。


そんなまなざしが生み出す、心と心の交流が
映画の中で、映像として記録されていた。

回り回って、それはまさに、ジョナス・メカスが
フィルムを通して持ち続けたまなざしだった。

「メカスさんが生涯がけて育てた、
奇跡的な作品と言っていいような人なのね」
息子セバスチャンについてそう語る、
吉増剛造の言葉を思い出す。

確かに、フィルムを通じて表現していたものを
息子はそのまなざしだけで、表現し尽くしていた。


目でものを語る時、
言葉にならない感情を、視線のうちに込めて
時に訴え、時に絶望し、時に怒り、時に苦悶する。
主体の感情が瞳に現れる。
おそらく、この時にまなざしは存在していない。
なぜなら、その時の目は、対象を見ることを放棄して、
たとえ目を見開いていたとしても、
心は感情の中に閉じこもっているからだ。

対象ありき、のまなざしが、
そのうちに、持てる幸な、愛しみを対象と分かち合おうとする。
もし対象が幸ではなくとも、そのまなざしに
いくばくかの幸を感じられる、そんな経験に
何度となく救われてきた気がする。
特に、言葉の通じない場所、言葉が掴み取れない場面で
まなざしから滲み出るものを
敏感に感じとって、なんとか生き延びてきた気もする。

まなざす人はその視線に愛しみなど、
別段意図して込めていなかったかもしれない。
それでも、慈愛を持って受け入れる、その人たちの在りようが
まなざしのうちに表れ、肯定されてきた。



私自身が、まなざす人間でもある。

いつか私も、
セバスチャンのようなまなざしを携える人間になって
今までいただいたたくさんの安心感を、
他者に感じていただける人になれるだろうか。




2022/12/07

他者の言葉を、手書きする

 

語学は滅法苦手だ。
謙遜でも卑下でもなく、本当に苦手で、
その事実を説明する材料はいくらでもある。

たぶん、日本語でもひねった言い回しをしたがっていたからか、
例えば英語に、そのまま置き換えようとして、
まったく一般的ではない単語ばかり覚えていたりした。
もっとも、覚えられるだけの記憶力があった頃の話。

英語もそんな感じだったのに、アラビア語を使わなくてはならなくなって、
ひどく私の脳みそは混乱している。今もなお。



アラビア語を学び始めた時に、
とても興味深い傾向に気づいた。
私の周辺にいる、音楽を演奏する人たち、
特に、音楽を大学まで勉強していた人たちは
アラビア語の習得がとても早かった。
時に、文法は苦手だったりもするのだけれど、
会話に関しては、抜群にセンスが良かった。

耳が、いい。

細かな発音の差異、単語のリズム、言葉の流れを
聞きとる能力が高いのだ、という事実は、
結構な、衝撃だった。

音楽そのものは好きでも、そもそも専門ではないし、
演奏も子どもの手習に毛が生えたような私では、
とても持ち得ない耳を、彼らは
言語の習得に、存分に活用している。

私は耳までもが怠慢だったのか、と思い知った瞬間だった。


日本語も子音の発音が舌足らずになりがちで、
ゆっくりしか話せない私は
他言語になると、流暢とは程遠い話し方しかできない。

だから、よくヨルダンで会う子どもたちは、
私の話し方の真似をしていた。
よく特徴を押さえた、彼らの話っぷりに
それなりに傷つくけれど、実際、おかしいんだろうな、と
肩を落とすより他、なかった。



アラビア語の単語の成り立ちそのものは、
興味深い。
ほとんどの単語には、語根と呼ばれる
男性形動詞過去形があって、
この語根をある程度規則に則って変化させると、
その語根の意味から派生した、名詞、形容詞などに
変化していく。
ある意味、わかりやすいから、
語根の意味を知っていると、初めて見る単語でも、
なんとなく意味がわかったりする。
もっとも、耳の悪い私には、聞いて語根と
結びつけることはほぼ不可能だから、
文字面での面白さでしかない。

さらに、アラビア語は口語と文語では
単語や文法が異なったりするので、
座学での学びが、会話ではあまり活かせないという
別のハードルもある。

そして、アラビア語に関しては、発音の難しさと
口語文語の乖離の他に、もう一つ、
致命的に学習する気力を奪う事実があった。

元来、小説や詩は大好きだ。
だから、今はもう、そんな気力がないけれど、
大好きな英語圏の作家の文章は、
原文を読もうと、努力していたこともある。
その言語で表現されるもの、そのものへの関心があれば、
読もうとする気持ちは、あった。


けれども、どうもアラビア語でアウトプットされる
小説や詩は、ひどく壮大だったり、抽象的だったり、
言葉そのものの強烈さを全面に出す表現が多くて、
その傾向自体が、私にとってはあまり、
魅力的に映らなかった。

おそらく、私が知らないだけで、
身の回りの物事、日常の些細なことを、
愛情を持って紡ぐ文章もきっと、存在しているのだろう。
でも、そんなまだ会ったことのない文章を開拓する気力も
もう、なくなってしまった。





子どもたちのアラビア語の学力が、コロナ禍で低下している、と
教育分野では問題視されて久しいけれど、
それはそうだろう、と、心底思う。
そもそも、言語の文法そのものが複雑だし、
言語が意思疎通のツールであるならば、
日常で話して言いたいことが通じる以上のものを
学ぼうとするには、やはり、私と同様、気力が必要なのだ。

ただ、例えば、自分の心の中にある何かを、
うまく言い表すための言葉を携えていない、という状況を
経験し続けると、自分の持ち得る
感情そのものの種類を結果的に、限定してしまったりする。

最低限、生きていくのには問題ないだろうけれど、
何かを表現したい、と思ったときに、
そのもどかしさが葛藤になることは、大いにありうるだろう。
単語は知らなくても、比喩という表現方法もあるから、
そんな喩えをたくさん、蓄積していってほしいな、と
子どもたちには思っていたりする。

もっとも、それは私自身にも思ったりすることだけれど。





結果、仕事で否応無しに、急ぎで話していることを
翻訳しなくてはならない場面に遭遇したり、
ナショナルスタッフにお願いする時間がないけれど
読まなくてはならない重要な文書などではない限り
文字に起こしたり、翻訳することはなかった。


そんな普段の業務の一環でしていた翻訳を
改めて見直す機会がある。
子どもたちが書いたメッセージを日本語にして、
布に貼り付ける作業だった。
文字を打ち出しすると、貼り付けるのが難しくなるので、
手書きにする。

メモは基本的に手で書く習慣があったけれど、
それでさえも最近、携帯で取りがちだった。
手でものを書く作業そのものが、久しぶりのような気がする。

子どもたちの文はメッセージだったから、
ひどく、訴えるものの多い言葉が使われていた。

一応、英語でも訳されていたのだけれど、
英語の訳だけではニュアンスが分かりづらい文章も多くて、
再度、子どもたちが書いたアラビア語を読み返す。
どこまで文法をきちんと理解できているかは自信がなかったけれど、
とにかく、とても熱い思いだけは真に迫って伝わってくる
言葉ばかりだった。













おそらく、有名な詩や格言も、含まれているだろう。
自分で作り出した文章ではなかったとしても、その言葉を
ここに書き記したい、と思って書いているのだから、
その思いだけでも、汲み取りたい。
ちゃんと覚えているだけでも、意味がある。


アラビア語そのものを読むという、久しぶりの作業の中で、
強い語感を持つ言葉の、広がりを体感する。
大地、もしくは、土地を意味する言葉を見つめ、
これを大地と訳すのか、土地と訳すのか、考える。
愛もしくは、好きを表す言葉は、どちらの方が
文脈に合っているのか、考えあぐねる。

حبは愛、もしくは大好き、という意味を含む言葉で、
動詞として、名詞として、多用されている。
こんなに、好きであることを表したいと思う、その気持ちの
膨らみのようなものに、ただただ、感心する。
そんなに祖国への愛を言葉にしたいと思う、
その切実さに、胸を打たれた。


自分の国をそこまで、好きだと言えるのだろうか。
その気持ちの背景には、失ったあまりにも多くの命と
壊れてしまったあまりにも多くの建物と、
人間関係が、おそらく存在する。

そう思いを巡らせた時、これは愛でしか、
訳されない言葉なのだろう、と觀念する。
技巧的なものを排除し、ただただ
その土地や祖国に対する強烈な思い入れが
本心からの、彼らの伝えたいこと、なのだろうと感じる。


ある意味とても、切ない作業だった。


だからこそ、伝えなくてはならない。
そう、切実に思った。
このメッセージの書かれた布だけでも、
たくさんの人に見ていただけるよう、
旅に出られたらいいのにな、と思う。

2022/11/25

音に寄生する ー音楽と記憶ー

 
「パンと塩」という映画を観に行こうと思ったのは、
短いレビューで、主人公とアラブ人との交流について
触れていたからだった。


ショパン音楽アカデミーの学生である主人公が、
短い夏前の休暇に、地元へ帰る。

公団住宅のようなアパートメントが立ち並ぶ
ポーランドのどこか田舎の街が舞台となる。
違法であろう薬物や葉っぱの話が会話に出てくるような
学校を出ても、行くあても将来のビジョンもない若者たちと、
主人公、そして彼の弟はつるんで遊ぶ。

時折ピアノの練習をする弟は、音大に行きたいけれど、
すでに1度落ちている。
ショパンも弾くけれど、ラップのピアノ伴奏がうまい。

住宅街の端にある、ケバブ屋にしょっちゅうたむろう。
店のスタッフはアラブ人で、ポーランド語はわからない。
鬱積した若者たちの感情が、しばしば
このアラブ人スタッフたちに向けられるのを、
止めることもできない。
けれども、その事象が気にかかる主人公は
一人でも店へ行って、英語でスタッフたちと交流しようとする。

ただでさえ、街を抜け出してインテリな主人公と
弟を含む若者たちとには、見えない溝がある。
だから余計に、ストレスの吐口として、
剥き出しでアラブ人をいじめている場面に身を置いていても、
調子を合わせることしかできない主人公がいる。

よく、私の知っている軟弱さや曖昧さが、
終始映画の中で、観客に鈍くジャブを仕掛けてくる。

アラブ人たちと若者たちとの間の軋轢が、映画の最後で
悲惨な結末となる。


なんとも苦しい映画だった。

ヨーロッパを夢見るアラブ人をたくさん知っているし、
彼らのみんなが、うまく成功できているわけではないことも
うっすら分かりながら、例えばどんな現実があるのか
想像することはなかった。

ポーランド語で挑発される。
バスの中で絡まれて、ものを取られる。
ポーランド語を話せよ、と迫られる。
相手がポーランド語を理解できるのであれば決して言わないような
ひどい言葉を吐きかけ続けられる。

あぁ、やはりこういうことも、現実に起きているに違いない。
私も何度となく、外国で似たような経験をしている。


私はポーランド語は理解できないけれど、
字幕には乗らないアラブ人たちの会話は、なんとなく理解できる。
例えば、アラブ人スタッフがそんなにひどい言葉を使っていなくて、
「俺のことを笑ってやがる」と若者の一人は勝手に怒っていても、
彼らは若者たちではなくて、
自分達についての異なる話題について笑っているであろうことも。

こういうシーンの一つ一つに、思い当たる節がある。
言葉がわからない、とは、そういうことなのだ。







明るい初夏、隠しきれない鬱積や暴力と、
主人公とその弟が演奏するショパンが
不可思議に、映画の中で交差している。
いくつかの楽曲の練習シーンがあったが、
映画のテーマ曲は、ショパンのノクターン48−1だった。


劇中で、主人公が好意を抱く女の子に、
ポゴレリチの話をするシーンがある。
ポゴレリチの妻が、癌に冒されて
彼のツアー中に亡くなった。
亡くなった当日だけは、コンサートをキャンセルせず
ただ一曲、この曲を演奏した。

私自身はほとんどショパンは弾かなかったけれど、
時折弾いていた、数少ない曲の一つでもある。



映画を見終わって、映画館を出るとすぐに
ポゴレリチのショパン、アルバムの1曲目にある
このノクターンを聴く。
背後に広がる救いのない寂寥感と、
込められた怒りの音とその鋭さに、震撼とする。

そして、ひどく楽曲に似合ったそれらの感情を
ただひたすら、できる限り真摯に受け止め続ける。









映画を観に行った日は朝から、ずっと雨だった。

その前の日、自分の思慮と想像と制御と、
身の丈への自覚が足りなかったせいで
勝手に傷つき、結果的に
他者も傷つける、救いのない事象が起きていた。



どこか人のいる場所で気を紛らわしたくて、
水タバコ屋さんに5時間も居座り、
頭がくらくらするまで水タバコを吸いながら、サッカーを見ていた。
大学生みたいでみっともないな、と思いながら、
みっともないのは今に始まった話ではない、と
自分に心底、うんざりしていた。

結局、家に戻っても眠れず。外が白んでくるまで、じっとして、
朝がやってきても、どうしようもない状況は変わらなかった。
だから、ひどく熱心に、ただ音楽を聴き続けていた。

クープランの墓と同じぐらい
雨に、この二つの動画のデータが、随分と似合っていた。



バルトークのハンガリア民謡を
他のどの演奏家とも異なる解釈と音で、弾いている。
特に、3曲目のメロディの民族的な素朴さと不思議さ、そして
和音の、響きの美しさや神秘性は、なんとも言えず魅力的だ。

モーツァルトのVesperae solennes de confessoreの元は合唱曲、
日本語でのタイトルは見つからないのだけれど、
聴聞僧の晩の務めを、テーマにしているらしい。
フェルトで響きの柔らかくなった音に乗って、
美しい旋律と繊細なアルペジオが
天に通じる見えない無数の糸に包まれているような
安心感を感じさせてくれて、慰められる。

この音楽を身体いっぱいに聴ける温かい棺桶があったら、
今すぐ入っていい。
手回しの小さなオルゴールをいじるように、
ただひたすら、ずっと繰り返し聴いていた。

まだ、音楽を集中して聴く気力が残っているのはありがたかったし、
その時々に合った楽曲が手元にあることも、
また、ひどくありがたかった。

モーツァルトもまた、あまり今まで弾いてこなかったけれど
まだ棺桶には入れないだろうから、この曲を弾いて
ひたすら自分で、蚕みたいにじっとできる空間を作りたい。

けれども、ピアノの編曲の楽譜は見つからなかった。





大切に持っている楽曲は、それぞれが
その時々の記憶に結びついている。




Radioheadの「Optimistic」を聴くと
駒沢通りの中目黒から恵比寿の道を思い出す。
1月の東京の、どこにも居場所がない一時帰国で、
馴染みの水タバコ屋さんから、深夜徒歩で、部屋へ戻る。
頭が割れるほどの大音量で聴きながら、
全然Optimisicではない思考を
吹き飛ばそうとする。
東京では珍しいクラクション、そして救急車のサイレンが
イヤホンの端から漏れ入ってくる。
クラクションを鳴らしたい事情を、
救急でなさねばならぬことを想像して、
自分が持っていた手に余る課題を、どこかへ置いておきたかった。


一時期、毎年のようにお正月、年が明けると
ラストエンペラーを観ていた。
長い映画は、外がしらんでくる頃まで続く。
ラストエンペラーの主題の旋律を耳にすると、いつも
ホーチミンで住んでいたアパートメントの
オフホワイトの長いカーテンと、同じく
オフホワイトのベッドカバーを思い出す。
それから、ダラットの赤ワインの味。
お正月、一人で過ごす幾らかのうっすらした孤独感。
北に向いた窓から差す朝の明るさは、美しくて静謐で、大好きだった。





ショパンのピアノコンツェルトは、
東名高速の由比の海と茶畑の、過ぎてゆく景色を思い出させる。
実家の近くのイトーヨーカ堂の片隅に置かれたワゴンセールで買った
廉価版のアルバムの入ったCDプレイヤーが
かすかに、膝の上で震える。
大学1年生の6月、祖父が亡くなった。
実家へ向かう高速バスの中で、ひたすら何度も、
ピリスの演奏するコンツェルトを聴いていた。
祖父の死を、どのように受け止めたらいいのか
必死で頭の中で考えていた。
明るい穏やかな静岡の緑あふれる景色が
頭の中の主題とかけ離れて、生命力に溢れていた。


ダラー・ブランドのアルバム、「アフリカンピアノ」は
三重の山奥の坂道を思い出させる。
アーティストレジンデスのプログラムで
2ヶ月強泊まっていた伊賀の山奥で、一人
ひたすら坂を登っては降りていた。
急な坂道は曲がりくねっていて、先が見えない。
でも、ひたすら繰り返される左手の力強いレフが
歩く気力を身体中からみなぎらせてくれる。
葛、杉、山百合が生い茂る山奥の道は
ただひたすら静かで、孤独だったけれど、
どこからともなく漂う、花の蜜の匂いが
身体に心地よかった。


原田郁子の「青い闇をまっさかさまに落ちてゆく流れ星を知っている」は
アンマンで初めの2年住んでいた、スウェーレへの
だだっ広いアパートメントの、白い石の床の冷たさを思い出させる。
じっと人からの便りを待ちながら、パソコンの前に座っている。
遠くに住む人が今何をしているのか、
あらゆる想像力を費やして、思い描いていた。
アンマンの中でも一番標高が高く、ひどく寒い土地、
ブロックと石の、外気を遮るもののない4階の部屋は
暖かな国に住む人の、何かしらの片鱗を掴み取るには
あまりにも寒過ぎて、寂しかった。
曲の歌詞に心を委ねるほか、できることがなかった。


アラン・ギルバートの指揮する新世界は、
ザアタリキャンプからアンマンへの帰り道の
ローカルバスを思い出させる。
緩く稜線を描く12月、遮るもののないもない土漠の荒野に、
夕陽が沈んでいく。
その日の昼、生まれて以来、最初で最後、
手元にあるものを片っ端から投げて
泣きながら、誰にも通じない日本語を叫んでいた。
私の願いや思いや心配など無視し、
身勝手な言動をするシリア人スタッフに対して
全身で、そして心の底から、怒っていた。
もし、このバスがここではないどこかへ向かうのであれば、
まさに、それは彼らが切望している新世界だったのに。
周囲の陽気なアラビア語の会話と人熱に
むわっとした空気の満ちる冬のバスの中で、
演奏は、ネットが安定していなくて時々、止まる。
それでも、映像の中の、色とりどりの服と人種が織りなす、
オーケストラという単位の、
協働によって作り出される音楽に、心震える。
希望と情熱と楽曲の真髄に対する愛に溢れた演奏が
唯一私に、家まで辿り着く気力を与えてくれるものだった。



内田光子が演奏するシューベルトのピアノソナタ21番は
お正月のアンマン城参りを思い出させる。
イスラム歴や、ムハンマドの誕生日、そして西暦の新年
年に3回も新年があるから、ただの休日でしかないお正月、
日本に帰れないから、毎年初詣の代わりに、一人でアンマン城へ登る。
西に向かった高台の遺跡の上で、
第1楽章の始まりの、ひどく繊細で弱い音を聴き逃すまいと、
全神経を集中させる。
新年を、日常の中でありふれた休日の一日として
過ごす人々を眺めながら、
私もまた、穏やかに新年を迎えることのありがたみを実感する。
深遠で、でも核心を決して取り逃がさない
丁寧で思索に溢れた演奏に聴き入りながら
身体中を音楽で、満たす。
傾いた日差しに、影を濃くするアンマンの街並みが
不穏な空気に翻弄される周辺の国々の中で、
概念でも机上の空論でも理想でもなく、
言葉の意味通り、平和であることを、視覚的に確認する。



そして、ショパンのノクターン48−1は、
ポゴレリチの果てしない漆黒の空間、
言葉が通じないことへの苛立ちと不信感、そして
感情に任せてピアノを弾き続ける自分自身への、
どうにも制御できない鬱憤と哀しみを、
思い出させるのだろう。
横なぶりの冷たい雨が、頭を明晰にしてくれるのではないかと
一瞬くだらない期待をしながら呆然と眺める、
雨に滲むオレンジ色の街灯と、
クリスマスのイルミネーションの灯り。

それから、モーツァルトのLaudate Dominum omnesは
部屋の片隅から見つめる、畳と雨を思い出させるのだろう。
ひたすら続く雨と、後悔と孤独と、
棺桶と透明の糸、そして、
音楽のありがたみを実感する記憶。





いつも、音楽を一人でしか、聴けなかった。
誰とも享受することが叶わない孤独な土地で、
一人、イヤホンから流れる音楽に耳を傾ける。
自分の前に横たわる情景や状況に、
音楽というフィルターを介して見つめることで、
もしくは、音楽という媒体を通して向き合うことで、
自分の思いや思考を、幾らかでも昇華させようと必死だった。

そうでなければ、その場面に埋没した自分の自我と自分自身が、
そのまま消えてなくなってしまう。
もしくは、聴いていなければ、
真っ暗な空間に浮かぶ、細い芯のようなひどく弱い自分は
消えていなくなりたくなる、投げやりな絶望に
抗う力がなくなってしまう。



だから、どの大切な音楽も、ある意味で切実に、
私が生きること、と繋がっている。

できるだけ多くの大切な音楽をストックすることで、
自分を生かしておく手段を、持っていなくてはならない。

喜びに満ちた曲ならば、幸いだ。
けれどたとえ、どんなに辛い記憶を呼び起こす音楽だったとしても、
それらを感じ、享受する気力がある限り、
私の中の何かが死んでいないと、確かめることができる。


私は、音に寄生している。