2022/11/25

音に寄生する ー音楽と記憶ー

 
「パンと塩」という映画を観に行こうと思ったのは、
短いレビューで、主人公とアラブ人との交流について
触れていたからだった。


ショパン音楽アカデミーの学生である主人公が、
短い夏前の休暇に、地元へ帰る。

公団住宅のようなアパートメントが立ち並ぶ
ポーランドのどこか田舎の街が舞台となる。
違法であろう薬物や葉っぱの話が会話に出てくるような
学校を出ても、行くあても将来のビジョンもない若者たちと、
主人公、そして彼の弟はつるんで遊ぶ。

時折ピアノの練習をする弟は、音大に行きたいけれど、
すでに1度落ちている。
ショパンも弾くけれど、ラップのピアノ伴奏がうまい。

住宅街の端にある、ケバブ屋にしょっちゅうたむろう。
店のスタッフはアラブ人で、ポーランド語はわからない。
鬱積した若者たちの感情が、しばしば
このアラブ人スタッフたちに向けられるのを、
止めることもできない。
けれども、その事象が気にかかる主人公は
一人でも店へ行って、英語でスタッフたちと交流しようとする。

ただでさえ、街を抜け出してインテリな主人公と
弟を含む若者たちとには、見えない溝がある。
だから余計に、ストレスの吐口として、
剥き出しでアラブ人をいじめている場面に身を置いていても、
調子を合わせることしかできない主人公がいる。

よく、私の知っている軟弱さや曖昧さが、
終始映画の中で、観客に鈍くジャブを仕掛けてくる。

アラブ人たちと若者たちとの間の軋轢が、映画の最後で
悲惨な結末となる。


なんとも苦しい映画だった。

ヨーロッパを夢見るアラブ人をたくさん知っているし、
彼らのみんなが、うまく成功できているわけではないことも
うっすら分かりながら、例えばどんな現実があるのか
想像することはなかった。

ポーランド語で挑発される。
バスの中で絡まれて、ものを取られる。
ポーランド語を話せよ、と迫られる。
相手がポーランド語を理解できるのであれば決して言わないような
ひどい言葉を吐きかけ続けられる。

あぁ、やはりこういうことも、現実に起きているに違いない。
私も何度となく、外国で似たような経験をしている。


私はポーランド語は理解できないけれど、
字幕には乗らないアラブ人たちの会話は、なんとなく理解できる。
例えば、アラブ人スタッフがそんなにひどい言葉を使っていなくて、
「俺のことを笑ってやがる」と若者の一人は勝手に怒っていても、
彼らは若者たちではなくて、
自分達についての異なる話題について笑っているであろうことも。

こういうシーンの一つ一つに、思い当たる節がある。
言葉がわからない、とは、そういうことなのだ。







明るい初夏、隠しきれない鬱積や暴力と、
主人公とその弟が演奏するショパンが
不可思議に、映画の中で交差している。
いくつかの楽曲の練習シーンがあったが、
映画のテーマ曲は、ショパンのノクターン48−1だった。


劇中で、主人公が好意を抱く女の子に、
ポゴレリチの話をするシーンがある。
ポゴレリチの妻が、癌に冒されて
彼のツアー中に亡くなった。
亡くなった当日だけは、コンサートをキャンセルせず
ただ一曲、この曲を演奏した。

私自身はほとんどショパンは弾かなかったけれど、
時折弾いていた、数少ない曲の一つでもある。



映画を見終わって、映画館を出るとすぐに
ポゴレリチのショパン、アルバムの1曲目にある
このノクターンを聴く。
背後に広がる救いのない寂寥感と、
込められた怒りの音とその鋭さに、震撼とする。

そして、ひどく楽曲に似合ったそれらの感情を
ただひたすら、できる限り真摯に受け止め続ける。









映画を観に行った日は朝から、ずっと雨だった。

その前の日、自分の思慮と想像と制御と、
身の丈への自覚が足りなかったせいで
勝手に傷つき、結果的に
他者も傷つける、救いのない事象が起きていた。



どこか人のいる場所で気を紛らわしたくて、
水タバコ屋さんに5時間も居座り、
頭がくらくらするまで水タバコを吸いながら、サッカーを見ていた。
大学生みたいでみっともないな、と思いながら、
みっともないのは今に始まった話ではない、と
自分に心底、うんざりしていた。

結局、家に戻っても眠れず。外が白んでくるまで、じっとして、
朝がやってきても、どうしようもない状況は変わらなかった。
だから、ひどく熱心に、ただ音楽を聴き続けていた。

クープランの墓と同じぐらい
雨に、この二つの動画のデータが、随分と似合っていた。



バルトークのハンガリア民謡を
他のどの演奏家とも異なる解釈と音で、弾いている。
特に、3曲目のメロディの民族的な素朴さと不思議さ、そして
和音の、響きの美しさや神秘性は、なんとも言えず魅力的だ。

モーツァルトのVesperae solennes de confessoreの元は合唱曲、
日本語でのタイトルは見つからないのだけれど、
聴聞僧の晩の務めを、テーマにしているらしい。
フェルトで響きの柔らかくなった音に乗って、
美しい旋律と繊細なアルペジオが
天に通じる見えない無数の糸に包まれているような
安心感を感じさせてくれて、慰められる。

この音楽を身体いっぱいに聴ける温かい棺桶があったら、
今すぐ入っていい。
手回しの小さなオルゴールをいじるように、
ただひたすら、ずっと繰り返し聴いていた。

まだ、音楽を集中して聴く気力が残っているのはありがたかったし、
その時々に合った楽曲が手元にあることも、
また、ひどくありがたかった。

モーツァルトもまた、あまり今まで弾いてこなかったけれど
まだ棺桶には入れないだろうから、この曲を弾いて
ひたすら自分で、蚕みたいにじっとできる空間を作りたい。

けれども、ピアノの編曲の楽譜は見つからなかった。





大切に持っている楽曲は、それぞれが
その時々の記憶に結びついている。




Radioheadの「Optimistic」を聴くと
駒沢通りの中目黒から恵比寿の道を思い出す。
1月の東京の、どこにも居場所がない一時帰国で、
馴染みの水タバコ屋さんから、深夜徒歩で、部屋へ戻る。
頭が割れるほどの大音量で聴きながら、
全然Optimisicではない思考を
吹き飛ばそうとする。
東京では珍しいクラクション、そして救急車のサイレンが
イヤホンの端から漏れ入ってくる。
クラクションを鳴らしたい事情を、
救急でなさねばならぬことを想像して、
自分が持っていた手に余る課題を、どこかへ置いておきたかった。


一時期、毎年のようにお正月、年が明けると
ラストエンペラーを観ていた。
長い映画は、外がしらんでくる頃まで続く。
ラストエンペラーの主題の旋律を耳にすると、いつも
ホーチミンで住んでいたアパートメントの
オフホワイトの長いカーテンと、同じく
オフホワイトのベッドカバーを思い出す。
それから、ダラットの赤ワインの味。
お正月、一人で過ごす幾らかのうっすらした孤独感。
北に向いた窓から差す朝の明るさは、美しくて静謐で、大好きだった。





ショパンのピアノコンツェルトは、
東名高速の由比の海と茶畑の、過ぎてゆく景色を思い出させる。
実家の近くのイトーヨーカ堂の片隅に置かれたワゴンセールで買った
廉価版のアルバムの入ったCDプレイヤーが
かすかに、膝の上で震える。
大学1年生の6月、祖父が亡くなった。
実家へ向かう高速バスの中で、ひたすら何度も、
ピリスの演奏するコンツェルトを聴いていた。
祖父の死を、どのように受け止めたらいいのか
必死で頭の中で考えていた。
明るい穏やかな静岡の緑あふれる景色が
頭の中の主題とかけ離れて、生命力に溢れていた。


ダラー・ブランドのアルバム、「アフリカンピアノ」は
三重の山奥の坂道を思い出させる。
アーティストレジンデスのプログラムで
2ヶ月強泊まっていた伊賀の山奥で、一人
ひたすら坂を登っては降りていた。
急な坂道は曲がりくねっていて、先が見えない。
でも、ひたすら繰り返される左手の力強いレフが
歩く気力を身体中からみなぎらせてくれる。
葛、杉、山百合が生い茂る山奥の道は
ただひたすら静かで、孤独だったけれど、
どこからともなく漂う、花の蜜の匂いが
身体に心地よかった。


原田郁子の「青い闇をまっさかさまに落ちてゆく流れ星を知っている」は
アンマンで初めの2年住んでいた、スウェーレへの
だだっ広いアパートメントの、白い石の床の冷たさを思い出させる。
じっと人からの便りを待ちながら、パソコンの前に座っている。
遠くに住む人が今何をしているのか、
あらゆる想像力を費やして、思い描いていた。
アンマンの中でも一番標高が高く、ひどく寒い土地、
ブロックと石の、外気を遮るもののない4階の部屋は
暖かな国に住む人の、何かしらの片鱗を掴み取るには
あまりにも寒過ぎて、寂しかった。
曲の歌詞に心を委ねるほか、できることがなかった。


アラン・ギルバートの指揮する新世界は、
ザアタリキャンプからアンマンへの帰り道の
ローカルバスを思い出させる。
緩く稜線を描く12月、遮るもののないもない土漠の荒野に、
夕陽が沈んでいく。
その日の昼、生まれて以来、最初で最後、
手元にあるものを片っ端から投げて
泣きながら、誰にも通じない日本語を叫んでいた。
私の願いや思いや心配など無視し、
身勝手な言動をするシリア人スタッフに対して
全身で、そして心の底から、怒っていた。
もし、このバスがここではないどこかへ向かうのであれば、
まさに、それは彼らが切望している新世界だったのに。
周囲の陽気なアラビア語の会話と人熱に
むわっとした空気の満ちる冬のバスの中で、
演奏は、ネットが安定していなくて時々、止まる。
それでも、映像の中の、色とりどりの服と人種が織りなす、
オーケストラという単位の、
協働によって作り出される音楽に、心震える。
希望と情熱と楽曲の真髄に対する愛に溢れた演奏が
唯一私に、家まで辿り着く気力を与えてくれるものだった。



内田光子が演奏するシューベルトのピアノソナタ21番は
お正月のアンマン城参りを思い出させる。
イスラム歴や、ムハンマドの誕生日、そして西暦の新年
年に3回も新年があるから、ただの休日でしかないお正月、
日本に帰れないから、毎年初詣の代わりに、一人でアンマン城へ登る。
西に向かった高台の遺跡の上で、
第1楽章の始まりの、ひどく繊細で弱い音を聴き逃すまいと、
全神経を集中させる。
新年を、日常の中でありふれた休日の一日として
過ごす人々を眺めながら、
私もまた、穏やかに新年を迎えることのありがたみを実感する。
深遠で、でも核心を決して取り逃がさない
丁寧で思索に溢れた演奏に聴き入りながら
身体中を音楽で、満たす。
傾いた日差しに、影を濃くするアンマンの街並みが
不穏な空気に翻弄される周辺の国々の中で、
概念でも机上の空論でも理想でもなく、
言葉の意味通り、平和であることを、視覚的に確認する。



そして、ショパンのノクターン48−1は、
ポゴレリチの果てしない漆黒の空間、
言葉が通じないことへの苛立ちと不信感、そして
感情に任せてピアノを弾き続ける自分自身への、
どうにも制御できない鬱憤と哀しみを、
思い出させるのだろう。
横なぶりの冷たい雨が、頭を明晰にしてくれるのではないかと
一瞬くだらない期待をしながら呆然と眺める、
雨に滲むオレンジ色の街灯と、
クリスマスのイルミネーションの灯り。

それから、モーツァルトのLaudate Dominum omnesは
部屋の片隅から見つめる、畳と雨を思い出させるのだろう。
ひたすら続く雨と、後悔と孤独と、
棺桶と透明の糸、そして、
音楽のありがたみを実感する記憶。





いつも、音楽を一人でしか、聴けなかった。
誰とも享受することが叶わない孤独な土地で、
一人、イヤホンから流れる音楽に耳を傾ける。
自分の前に横たわる情景や状況に、
音楽というフィルターを介して見つめることで、
もしくは、音楽という媒体を通して向き合うことで、
自分の思いや思考を、幾らかでも昇華させようと必死だった。

そうでなければ、その場面に埋没した自分の自我と自分自身が、
そのまま消えてなくなってしまう。
もしくは、聴いていなければ、
真っ暗な空間に浮かぶ、細い芯のようなひどく弱い自分は
消えていなくなりたくなる、投げやりな絶望に
抗う力がなくなってしまう。



だから、どの大切な音楽も、ある意味で切実に、
私が生きること、と繋がっている。

できるだけ多くの大切な音楽をストックすることで、
自分を生かしておく手段を、持っていなくてはならない。

喜びに満ちた曲ならば、幸いだ。
けれどたとえ、どんなに辛い記憶を呼び起こす音楽だったとしても、
それらを感じ、享受する気力がある限り、
私の中の何かが死んでいないと、確かめることができる。


私は、音に寄生している。


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