7年住んでいた部屋に、戻ってきた。
この部屋の窓からの眺めが、この部屋に住もうと決めた一番の理由だし、
この眺めがあるから、大袈裟ではなく、長くこの土地で
なんとか、生きながらえることができた。
特に、コロナ禍で完全な外出禁止やロックダウンを課していたヨルダンで
もしこの部屋に住んでいなかったら、心が完全に折れていただろう。
日本ではもう、この景色を見ることはないだろうと、
頑なに思い出さないことを、自分へ課していた。
懐かしいという感情では表しきれない、もっと切実な思いを抱いていたからこそ、
染みったれてしまうのが嫌だった。
けれど、部屋に移ってきたその日から、呆れるぐらい当たり前に、
見慣れた景色を享受する自分がいた。
変わったことと言ったら、
預かっていた猫が前足で扉を開けられるぐらい
締まりの悪かった冷蔵庫が新しくなっていたこと、
それから、しばらく電飾が切れていた
隣のモスクのミナレットが、煌々と緑の輝きを戻していることぐらい。
寝室のブラインドを閉めないと、部屋中がうっすらと緑色になる。
相変わらず、屋上のさらに2階だから、
水圧が弱くてタップを開いてもしばらく水は出てこないし、
停電になると水も出てこない。
窓が完全には閉まらないから、隙間風が身体を冷やし、
洗濯機は攻撃的な音を発している。
こちらではあまり見ることのない、テラコッタの瓦屋根に
雨粒の当たる音が、部屋の中に響く。
降り続く雨の音を聞いていると、まるで部屋の中が
水浸しになっていくようで、身体に湿気が染みる。
海外に住んでいた人は、旅行好きだと思われることが多い。
確かに、在外で会う人たちは、行動そのものがアクティブで
休暇にはさまざまな国へ出かけていた。
ただ、わたしに関しては、旅行そのものが嫌いなわけではないけれど、
余程思い入れのある土地か、その土地でしたいことがあるか、もしくは
知り合いのいる土地ではない限り、
自分から重い腰を上げることはほとんどなかった。
どこかへ行くときも、ただひたすら同じ街にとどまって、
ずっと歩いたりしている。
だから、一時帰国で東京にいたときも、ひたすら歩いて
土地勘を体得することに執心していた。
その癖は日本に居住を移しても同じで、
とにかく、歩く速度で見えるものから、ゆっくりと
目に見えるものを把握していく作業だけで、ある意味
いくらでも楽しめた。
アンマンもまた、とにかくたくさん歩いた街だ。
車の動きは予測できないし、歩道になぜか
背丈にひっかかるような街路樹があったり、
とにかく坂が多くて、登ったり降りたりを繰り返さなくてはならないから、
まったく歩くのには向かない土地だけれど、
それでも随分と、いろいろなところを歩いてきた。
坂はどこも急だから、建物と建物の間から見える景色に
はっとさせられたりする。
ずっと住んでいたアパートメントの脇にある
ダウンタウンに通じる階段からは、巨大な国旗がたなびいていた。
ちょうど、建物の縁が額縁のようになって、
特別な意味を持っているかのように、景色を切り取る。
そして、いくつもあるアンマンの丘の多くは高さに大差がないので、
高台からもまた、向かいの丘の人の営みを
見下ろすでもなく、見上げるのでもなく、同じ高さで見ることができる。
いろんな遺跡に何度も足を運んだし、
世界遺産のワディ・ラムも好きだけれど、
ヨルダンで何が一番好きかと訊かれたら、
慣れ親しんで愛で続けてきた、アンマンの街並みだと、
迷いなく、答えるだろう。
例えば、アラブ人の人間性の面白さだったり、ホスピタリティだったり、と
人にまつわるさまざまな良さもあるし、
人に対する愛着をあげる方が世間的にはいいのだろうけれど、
人をめぐる思いを凌駕するだけ、
やはり、街の景色への思い入れが強いのだと思う。
人の心も目の前の事象も移り変わるけれど、
街並みだけは変わらない、そんな
どこか切実に普遍性を希求する気持ちも、作用しているのかもしれない。
歩くときはいつも、聴きたい音楽を流す。
その曲によって景色がいつもと違って目に映る、または、
音楽がわたし自身の状態をある一定に保ってくれる。
どれだけ辛いことがあっても、耳から流れる音楽は
決して裏切ることなく、思った通りのフレーズを記憶の通りに再生し、
望む通りに、心に寄り添う。
(寄り添うという言葉は本当に好きではないのだけれど、
人ではないものがそばにずっとある状況には、
使ってもいい、と勝手に自分で決めている。
往々にして、誰かに寄り添う、という人は、想いが強すぎて
寄り添っている相手が少しでも自分の意に反することをすると、
腹を立てがちで、寄り添わなくてなる傾向がある。
同じようなことを自分ではするまい、と思っている。)
目の前の情景と音楽の世界観が持つ差異を、場合によっては
楽しむことさえできる。
どれだけ長く住んでいたからといって、
安心が保障されているわけではない。
日々のストレスはいくら慣れても、澱のように溜まっていくし、
ストレスに慣れて感覚が鈍るのも何か、違う気がする。
そんな微妙なバランスに常に身を置くには、
どんなときも、最低限、心の規定になるようなものがなくてはならない。
それが、変わらない景色であり、音楽なのだと思う。
時に、映画でも見ているように、自分の置かれた状況から
自分自身を離さないと、やっていられない。
なんでこんなところに居るんだろうな、と、数え切れないほど
何度も思ったけれど、そんな時には、「こんなところ」と
わたしの間に音楽を置いて、防波堤を作っていた。
しばしば襲ってくる、慣れ親しんでうっすらした絶望に
簡単には、飲み込まれなくなる。
目に映る景色の中に、人々の慎ましく愛おしい暮らしの断片だけを
見つめる視点を取り返せたら、上出来だ。
もっとも、防波堤もろとも崩れ去って、景色も音楽も、何もかも
意味をなさないこともあるけれど。
どこへ行っても同じことをしている。
その状態が好きだし、なによりも安心する。
その景色を異なる、もしくは同じ音楽とともに
眺めながら、まとまりのないさまざまなことへ
思いを巡らせる時間が一番、心安まる。
そう、この部屋に移ってきてあらためて、確認する。
雨の降らない春過ぎから秋にかけては、ただひたすら
あっけらかんと晴れた空が、窓の4分の3を占める。
けれども、雨季の冬は、空を覆う、もしくは、
空を駆ける雲が、一日中姿を変えて
スクリーンの大画面のように映し出される。
やもすると休日などは、ただひたすら、
その景色に合う音楽を流し、空を見続けてしまう。
雲の形は面白い。
雲の形の要素を抽出して、彫刻にしようとしていたのを思い出す。
今は作らないけれど、まだ楽しむ目だけは、しっかりあるようだ。
雨が止むと、一斉に近所の鳩持ちの家が、
屋上から鳩を飛ばす。
鳩の群れが、遠くで、近くで旋回し、
ドビュッシーのプレリュード重なり合う。
やがて、アザーンの時間になり、やむなく音楽を止める。
すぐ隣にモスクがあるから、どうしたって、かき消すことはできない。
確かに、安心を感じられるものに執着している。
それは、日本にいても変わらない。
けれども、いつも安心ばかりを求めていては、
新しい可能性はどんどんと、失われていく。
その事実を心底実感したからこそ、ヨルダンから日本に
生活の場を移した。
何が安心を作り出すのかをはっきり把握できたのだから、
もうきっと、どこにいても大丈夫だと信じられるのではないか、
そう、うっすらと、でも切実な期待を持っている。
勇気の話なのだな、と薄々気づきながら、
軟弱なわたしは、ベアトリーチェ・ラナの白鳥の
水面に広がるやわらかく微細な波紋が煌めくような演奏を聴きながら、
アンマンの夜の満月を
いつもと同じお店で、愛でている。
0 件のコメント:
コメントを投稿