2020/01/21

手をつなぎましょう


東京というところは、本当にいろんな人が、いる。
こんなに寒いのに、道端で一人座り込む若者とか、
携帯を見ながらポテトを食べてるきれいな女の人とか、
図らずも蹴ってしまったら、ポンと飛んでいきそうな、
ボールみたいな小さな犬を散歩させてる西洋人とか、
駅の構内で足を投げ出して、泣きながら電話している女の子とか、
よくわからないことを、ずっと一人話し続けながら歩いている初老の人とか、
どんなすてきなことなのか分からないけれど、ずっと笑っているおばあちゃんとか、
金属をありったけじゃらじゃらさせながら歩く青年とか、
全身で云百万もする服や貴金属をつけたおばさんとか、
ずっと知らない言葉でチャットをしているアジアの外国人女性とか、
携帯ゲームに夢中になっている新入社員っぽいスーツの男性とか、
ずっと髪をかきむしりながら、携帯を見つめている中年男性とか。

かくいう私も、携帯をいじりながらとぼとぼ歩く。
大方いつも、場所が分からないからなのだけれど。

東京は、一人で居る人が、あまりにも、多い。
ヨルダンでも、私は大体一人で行動しているけれど、
周囲は二人か三人か、それ以上でつるんでいる人たちばかりだ。

だからか、私自身は変わらないのだけれど、
なんだかとても、さみしいところのように、思えてくる。


帰国時に一番温かいところは、コインランドリーだ。
ヨルダンにもコインランドリーがあったらいいのに。

借りた家の日当たりが恐ろしく悪くて、
朝なのか夜なのかも分からない。
洗濯物の乾く気配が全くしないので、
コインランドリーへ行く。
コインランドリーが近づいてくると、
生暖かい風の、いい匂いがする。






平日なのに、こんなに盛況にコインランドリーが回っているのか、
呆れながら、自分の順番を待っていた。
同じく乾燥機を待っていた先客の女性が、
終わった乾燥機の中身を取り出していた。

どうも、自分のものではないらしい。
あなたのじゃ、ないわよね、そう英語で、訊かれる。
私のは、これだから、と、巨大なバッグを見せる。
終わったら取りに来ないと、ダメよね、
そう言いながらアジア人の女性で、手慣れた風に洗濯物を折りたたみ、
かけられた袋に入れていく。

彼女はまだ3袋も持っていた。

ぽつぽつと、会話をする。

どこの国から?とか、仕事はどうですか?とか。
大量のシーツとタオルから、家政婦さんだと、分かる。

日本での仕事はいいですよ、きちんとしているし。
コミュニティはあるの?
ここらへんじゃ、あまりないけれど、
目黒の教会に日曜日行けば、
友達に会えるんです。

向こうも、なんでこんな時間にこんなところで、
話を続けようとする日本人がいるのか、
疑問なようだった。

今日はやっとお休みで、洗濯物を乾かしたくて。

ここに住んでいるんですか?
いや、普段は日本にいないんです。

どこに住んでいるんですか?
ヨルダン。フィリピン人の人もたくさん、働きに出てますよね。

ヨルダンにも、フィリピン人女性はたくさん
家政婦として働いている。
家の近くには、フィリピン人コミュニティがあるから、
私の買い物は、その中にあるスーパーで済ませている。

彼女たちは明るくて、みんな友達同士でつるんで、
買い物をする。
フィリピン人コミュニティ界隈へ行くのは、
なんだか、居心地がいいのを、思い出す。

でも、彼女たちの仕事環境は決して、良いわけではないない。
パスポートを取り上げられて、自由に行き来できなくされたり、
労働ビザ取得の手数料を、仲介屋から法外に取られたり、
勤め先の雇い主に乱暴をされたり、
乳幼児からやんちゃな年頃の子どもたちを
一気に任されたり、する。

それでも、自分の国で働くよりは稼ぎがいいから、
外へ出ていく。

そんな女性たちの話をしていたら、なんだか熱が入ってしまって、
必死に説明してしまっていた。

ところで、何の仕事をしているんですか?
NGOで働いていて、難民支援をしているんです。

違う国に住むって、難民の人たちも一緒ですね。
なんだか、大変ですよ。

おそらく、同い年ぐらいのその、フィリピン人の女性は、
ふっと、切なそうな表情で、笑う。

大変ですよね、と、答える。そう、大変。
でも日本もなんだか、大変な気がする。
そう言おうと思って、やめた。

コインランドリーの中は暖かいから、
扉が開くとすぐに、分かる。
冷たい風が目に見えるほど鮮明に、感じられる。

入ってきた人は、たまたまなのか、フィリピン人の男性だった。
おそらく、タガログ語であろう言葉で、会話が始まる。


コインランドリーがくるくる回るのを、見るのが好きだ。
いつのまにやら洗濯ネットが破れてしまって、
下着もくるくるぴらぴら、回っているのに気づく。
これは、隠すように、乾燥機の前に仁王立ちになるしか、ない。

背後では、聞き慣れた、とまではいかないけれど、
時折耳にする言葉がぽつぽつと、低く、高く、絶え間なく続く。

一通り話が終わったのか、フィリピン人男性は、
空の袋を手に取るのが、乾燥機のガラス越しに、見える。

振り向くと、店を出る前の男性が、
フィリピン女性の手をふっと握って、
じゃあ、と出ていった。

そんな文化はあったかしら、と、思う。
でも、なんだかすごく、自然な感じだった。
そして、コインランドリーに向きなおる彼女の顔は、
とても優しく、静かに微笑んでいた。

ちょうど、ぶらんこ乗りの話を読んでいた。
ずっと空中で暮らし続ける、サーカスのぶらんこ乗り夫婦は、
嵐の日、動物たちが啼き続ける声を聞く。
不安だから、手をつなぎましょう。
だけれど、ずっとブランコの上だから、
行ったり来たりしながら、一瞬手をつないで、
また離さなくてはならない。
だから、彼らは一晩中ずっと、ぶらんこを揺らし続ける。


結局私の方が、先に乾燥機が止まり、
必死で下着を隠しながら、袋の中に洗濯物を入れる。
じゃあ、と、一応フィリピン人女性に挨拶をする。
手を出したかったけれど、やっぱり違う気がして、やめる。

荷物を抱えながら、仮住まいへ戻る。

それから、フィリピン人っぽい人を見ると
別れ際に握手をするのか、気になってしまって、
やたら注目したり、している。
でも、今のところまだ、あれ以来、そんな様子を見ることはない。



2019/12/10

走りながら、生き死について、ぼんやり考える


ヨルダンで一番注意しなくてはならないのは、交通事故だ、
そう、いつも走りながら、思う。
とにかく気をつけろ、と、自分に云い聞かせている。



でも同時に、考えるうる死に至る可能性とその状況の詳細について、
想像しながら、走ったりする。
備えあれば、憂いなし、などと思い、
いや、こういう思考回路に当てはまらないな、と
走りながら、鼻で笑ったら、鼻水が出る。


決して、健康志向で走っているわけではない。
一見、健全に見える行為をしているのは、
精神のみ、消耗する日々の中で、
走るのも悪くないだろう、と思い直したからだ。

けれども、結局こんなことを考えているのだから、
性の根がとことん、腐っているのだろう。

ついでに、気づいたら、
不慮の事故か、自ら命を絶った人たちの音楽ばかり聴いていて、
なんだかな、と思いつつ、
走りながら、ある程度冷静に、
記憶している彼らの死に様について、
あぁ、もう走りたくないな、と身体の声を聞きつつ、
思い出したりしていた。

彼らは、いい音楽を作ったから、
その死に様を思い出す私のような赤の他人が、存在する。


人さまには、それなりにまともな仕事のように思われることを
器でもないのにしている。
他人には、描き得る、幸せな生き方をしてほしいと
心から思う。特に、子どもたちには。
それは、本心だ。
ついでに、犬猫、小鳥にネズミまで、
命は大切にしなさい、と子どもたちには、云い聞かせている。

けれども、自分に関しては、
あえて語弊を気にせず、正直なところを云うならば、
そこまで、生きることに消極的でもないけれど、
取り立てて積極的でもないのかな、と
かなり信憑性高く、思っていることを、
最近、実感したりした

その事実を、なんとか肯定的に捉えようとして、
ある意味、思考とは逆説的に、結構必死で、走っているわけだ。


理不尽と不平等ばかりしか見えない世界の中で
無視され、抹殺される死もある。
それから、どうしてこんな目に遭ってしまったのだろう、と
偶然と不幸が重なる死もある。
どちらも、私の周辺ではかなり当たり前に、ある。

命の価値は同じだ、とか、命は平等にある、
ということが、揺るぎない世界の信条であるならば、
自分の命もまた、同じ世界の、同じだけの運を持つ状況下で、
本来、語られるべきものである。

でも、実際は違う。
殊、生きる世界については、決定的に異なる。
たぶんよほどお気楽な人か、傲慢な人でもない限り、
違う、ということにもまた、
うっすらと、もしくは、骨身にしみて、感じている。

まともな世界にいる人たちは、
あぁ、良かった、こんなちゃんとした世界の中に生きているのだから、とか
それでも、この社会のここに、改善の余地があると思う、とか
彼らはもっと、問題意識を持って声を上げなくてはならない、とか
お金に困らない暮らしができているのだから、
そんな理不尽な状況にいる人たちを助けなくては、とか
思ったりするのだろう。

そして、骨身にしみている人たちは、
理不尽な社会への悪態もつき切って、疲れ果てている。
なぜなら、あまりにもどうにもできない荒野が、
彼らの前には山の縁も見えないぐらい、広大なのだけは、
わかっているから、もしくは
悪態をつく前に、行動に起こし、
何かを変えようとして、亡くなる人たちを見てきたから、もしくは
理不尽でもいいと思っていたのに、戦いに飲まれて
亡くなった人たちを見てきたから、だ。

(私もまた、大きな社会の構造を俯瞰し、たくさん話を聞き、
あまりにも理不尽であることの、どうにもならなさと、
それに翻弄される人たちの疲ればかりを、感じ取って、
何もかも徒労に終わる、と思ったりする。)

それでも、彼らが、人としてきちんと生きよう、と
日々の暮らしを続けるとき、
何が彼らを支えているものは、ものすごく小さな、
日々の喜びだったり、する。

子どもの咳がやっと止まった、とか
畑でもらったブドウがよく売れた、とか
自転車につけるかっこいい飾りが手に入った、とか
いい点数が取れて、先生に褒められた、とか
チャージができて家族と電話できた、とか
居なくなった鳩が帰ってきた、とか
今年もオリーブを漬けてしばらく食べられる、とか
おばあちゃんの服を褒めたら、すごく嬉しそうだった、とか
手作りのプレゼントをもらってほしい人に手渡せた、とか
赤ちゃんがはいはいし出した、とか。

それらは、いくらも社会の理不尽を解決する手立てにはならない。

でも、それらを喜ぶ心は、もしかしたら、
まともな社会にいる人たちよりも、よほど
たっぷり持っていて、
理不尽でも不平等でも、暮らしていけることが
どれほど価値のあるものなのか、知っていたり、する。

二本足で歩き出した、知り合いの子どもと、
私の命が同じぐらい大切ならば、
赤ちゃんの未来に広がる可能性と同じだけの、一体何を、
持って生きたらいいのだろう、とふと、
走りながら考えたのは、先週。

走りながら、今日、
授業なんてさっぱり聞かず、
一生懸命こちらの気を引こうとしている女の子のまつ毛が
すごくクルンとしていてかわいいな、と思って、
ふっと、カメラに収めたことを、思い出す。
目が合うだけで、嬉しそうな顔をする子。

私もまた、授業はきちんと聞いてほしいけれど、
嬉しそうな顔に、こちらもふわっとした気持ちになったな、
と、思い返す。

そして、それが今日一日のうちで、
一番なんだか、よかったことだったと
認識したところで、家のあるアパートメントに続く
一番きつい坂のふもとに着く。

一気に駆け上がって、走るのを止める。
もうすこし、走れたかもしれないのに、
止めてしまうところに、自分への甘さがあるな、と思う。

足の付け根が二重になった、太ったぶち猫が通り過ぎる。

何を持って暮らしていけばいいのか、
うまく、指標は持てない。
いずれにしろ、すべてが中途半端なのだ。

それでも、今日いいことがあったのは、
確実に救いだった。
ぶち猫の写真を撮りそびれた携帯で、
かわいいまつ毛を、見返す。



2019/11/16

マリアさま、もしくは、美しいもの


世界は、美しいもので溢れている。
そうである、と今でも、思っていたい。

美しいもの、とは、例えば
線は細いけれど、響きに奥行きのある歌声であったり、
子どもがマジックペンで描き殴った落書きだったり、
ふっくらと艶のあるザクロであったり、
北の窓から差し込む、淡い光に浮き立つ形いいコップであったり、
ネットで見る、ジョージアの紅葉であったり、
まだ眠る街を覆う朝焼けだったり。

ものや景色の美しさが、貴重なものとなった。
おかげで、初めはいくらも好きにはなれなかった
土漠や拾った石にも、美しさを見出せるようになった。
景色やものに関しては、仙人並みに、
美しさを見出す能力を養いつつ、ある。

そう、つらつらと、美しいものを挙げていきながら、
私にとっての美しいもの、には、
あまり、子ども以外の人の営みは含まれない、
ということを、知る。

根本的に、あまり人には美しいものの要素を見出せないのかもしれない。
そういう点では、子どもを相手にした仕事をしていて
幸いだった、と思う。
子どもには、まだ、行為の一つ一つに
ある純粋性が残っていて、
おそらくは、純粋な何かしら、は
美しさの条件と、なっているのかもしれない。

自分で作品を作り、自己完結するのであれば、
自分の思う美しさを追求することが、誰かに邪魔されることは、ない。
そう考えると、彫刻を作るなんて、
なんとも、幸せなことをさせていただいていた。
ただ、食べてはいけなかった、わけだけれど。

世の中の人の営みのなかに、純粋なものは、そう多くはない。
発端は純粋なものでも、
形にしようとした時には、手垢まみれになる。
いつまでも、純粋なものを抱き続けると、
どこかで、社会と衝突が起きたりする。
妥協が求められ、交渉が求められ、
気がついた時には、抱いていたはずのものは、
磨耗し、曇ってしまう。

美しさは、混沌の中にも存在する、と
美学では、謳われている。
つまり、人が作り出す混沌としたものにも、
美しさがある。
ただ、それは私にとっては、
俯瞰からしか見出せない美しさであって、
渦中で美しさを見出すことは、容易ではない。
(稀にあるけれど、実に稀、で、
それを美しい、と感じることが本来、
倫理的に憚れることである事象だったり、する。)



いしいしんじの作品を読む時、
その、容易ではない作業を、
文字の連なりで作り上げる離れ業を体感する。
善意も理不尽も、幻想も心身の痛みも、
ごちゃ混ぜになっている。


こんな風に、人を、犬を、山を、海を
見ることができるならば、
私の周りももっと、美しさに溢れているだろう、と。

「海と山のピアノ」は、美しい話たちだった。


こちらに来る人に買ってきてもらって、
イラクを経由してここまでやってきた新刊は、
「マリアさま」というタイトルの本だった。

混沌の美しさという観点からすると、
美しさを見出すための、ドリルのような、短編だった。
それから、「見える」幅を広げ、
想像力を養うための、ドリルのようなもの。

一つ目の話から、いつも通り、
箱に入った、世にも美味しいチョコレートを食べるように、
一つずつ、読んでいった。

最後の話まで読んで、
タイトル作品がないことに、気づく。

当然のことながら、疑問が浮かんでくる。
どうして、「マリアさま」だったのだろう、と。

紀伊国屋のカバーがついていたので、
外して、表紙を見る。
金色の箔入れを施した太陽みたいな絵。
帯には、「光さす」と、書かれている。

安直に、ベトナムの教会で見た、
後光を従えたマリア像を頭に思い浮かべる。
それから、ブローディガンの「シンガポールの高い建物」を
ふと、思い出す。

光、か。

紫外線たっぷりの鋭い光は、嫌というほど、
浴びているし、見てもいるのだけれど。

雨が降ったあとの、深夜の街を見る。

モスクと、街灯と窓から漏れる灯りで、
濡れた道路がところどころ、光る。
猫が通る、ゴミの影が浮かび上がる、
黄色い葉が落ちる、男が走っていく。

美しいと思えるものを、増やしていきたい、
そう切望するならば、
マリアさまは、いろいろ途方なさすぎるから、
光を照らして、見えるようにする作業から、
していくことに、するしか、ないようだ。




2019/10/31

ブーゲンビリアと、口をつく唄



沖縄に関する幼い頃の記憶は、あまり楽しくない。
連れて行ってもらえると思っていた、かの島には、
結局姉と母親しか行けなくて、
とことん愚図った。

大学生の時には、小さな学部の同じ専攻に、
沖縄出身の子がいた。
私のあだ名を口にするその子の発音は、他の子と、違っていた。
よく台湾に遊びに行くらしい。
近いんだよぉ、行ってみたら、と云う。

学祭の最後の夜は毎年、沖縄出身の学生が総出で、
エイサーを踊っていた。
何事も斜めにしかものを見ないのが、美術学部のあるべき姿だと信じて、
学祭なんて、などと思っていたけれど、
同級生が話していたから、見に行った。

自殺の名所を背後に構える、
コンクリートだらけの建物に囲まれた大学の広場で
たっぷりの照明の中、艶やかな黄、赤、紫の服を着た
呆れるほどたくさんの学生たちが、
歌い、踊っていた。
今でも何がそれほど、響いたのか、うまく言葉にはできないけれど、
涙が出てきた。


その時も、懸命に踊る見知った姿を目で追いながら、
思い出す唄が、あった。


高校2年の修学旅行は、その頃の流行りにもれず、沖縄だった。
毎年11月はまだ、台風が来る、とわかっているのに、
11月に行って、しっかり台風に当たった。

だから、突風の向かい風に髪が飛んでいきそうな
浜辺の集合写真の図と、
目に鮮やかなブーゲンビリアのショッキングピンク、
そして、深く濃い緑しか、
自分の目で見た記憶の絵は、残っていない。

とにかく、修学旅行には行きたくなかった。
サボろうかどうしようか、さんざん迷って、
サボる勇気もないまま結局、参加した。

行くからには、見られるものはすべて、
記憶に収めておこうと思ったはずなのに、
修学旅行でお決まりのコースのほとんどもまた、
どんなところだったか、断片的にしか、覚えていない。

ただ、バスの添乗員さんが唄ってくれた唄だけは、
鮮明に覚えている。
そして、今でも、しっかりしなくては、と思う時には、
この唄を思い出し、小さく唄ったり、する。






どういう文脈で唄うことになったのか。
他の添乗員さんに比べて、生真面目さが漂う
うちのクラスの添乗員さんは、
沖縄の民謡、という紹介で、
マイクを手に、朗々と唄ってくれた。

本土からやってきた、浮かれた気分の高校生たちに、
もっと有名な沖縄民謡ではなく、
この曲を選んだ添乗員さんには、
どんな思いがあって、
何を伝えたかったのだろう。


たまたま、先日wikiで、唄の所以を調べていた。
私の大学の同級生は、この曲を知らなかったのを思い出し、
一体、どのような位置付けなのか、気になったからだった。

戦前、勤労奨励のために、歌詞を公募して出来上がった唄のようだった。
なるほど、いわゆる、身近に耳にし、
根付いた唄とは、違う位置付けなのかもしれない。


あしみじゆながち はたらちゅるひとぅぬ
〈汗水流し働く人の〉
くくるうりしさや ゆすぬしゆみ
〈その心の嬉しさは 働かない者は知ることがない〉
しゅらーよー しゅらーよー 働かな
しゅらーよー しゅらーよー 働かな
二.
いちにちにぐんじゅ ひゃくにちにぐくゎん
〈一日一厘 百日に十銭〉
まむてぃすくなるな んかしくとぅば
〈守って忘れるな 昔の言葉〉
ユイヤーサーサー 昔言葉

三.
あさゆはたらちょてぃ ちみたてぃるじんや
〈朝から晩まで働いて 貯まっていくお金は〉
わかまちのむてい とぅしとぅとぅむに
〈あたかも若松の盛りが年を追う様だ〉
ユイヤサーサー 年と共に
     
四.
くくるわかわかとぅ あさゆはたらきば
〈心を若くして朝から晩まで働けば〉
ぐるくじゅになてぃん はたちさらみ
〈五十歳六十歳になっても二十歳のようだ〉
ユイヤサーサー 二十歳さらみ
  
五.
ゆゆるとぅしわしてぃ すだてぃたるなしぐゎ
〈年を忘れて育ててきた我が子〉
てぃしみがくむんや ひるくしらし
〈学問を広げる者になって欲しいものだ〉
ユイヤサーサー 汎く知らし
  
六.
うまんちゅぬたみん わがたみとぅうむてぃ
〈全ての人のためも 自分のためと思って〉
むむいさみいさでぃ ちくしみしょり
〈勇気を奮って力を尽くしてください〉
ユイヤサーサー 尽くしみしょり

もしかしたら、本土からの倫理観や思想を
美徳としようとした唄なのかもしれない。
けれどその前、すでに、ひめゆりの塔を訪れていたからか、
その、地に足ついた、
誰しもが、しみじみいいと思える、暮らし方を
たおやかな伸びのある旋律に乗せて、語る唄が、
無残に踏みしだかれる歴史と交差して、
いつまでも、耳に残った。

城へ向かう同級生たちを尻目に、
添乗員さんから、歌詞を教えてもらって、
ノートに書き残していた。
譜も自分で書き起こして、
家に帰ってから、ピアノで弾いて、復唱した。

だから、youtubeで聴く唄と
私の記憶の旋律は、少し違う。
自分の記憶の旋律の方が好きだから、
唄が下手になった今では、時々、チェロで弾く。
弾くと、何だか、心落ち着いて、
あぁ、人は、私は、しっかり働くものなんだと、
自分に云いきかせる。
過不足なく、しっくりと、腑に落ちる。

お金を貯めて、いつまでも元気で、
子どもたちが学を身につけ、
力を尽くして働きたい、と願う。
それはでも、どの土地でも、堅実な生き方を望む人ならば、
同じように、抱く願いと姿勢だろう。

何か、大それたものを願っている訳では、ない。
ささやかとも云える、その願いを、
阻むものがあまりにも、多すぎるのは、何故なんだろう。


旋律と言葉遣いがあまりにも特徴的だから、
沖縄と切り離して、この唄を聴くことも、唄うことも、できない。
だから、いつも沖縄に関するニュースを目にするとき、
この唄を思い出しながら、
その土地で、それでも粛々と働き、暮らす人々の姿を、思う。

2019/10/28

その輪郭を作り出すもの


禁断のiTunesに手を出したのは、
前回の帰国時、もう10年ぐらい使っていたipodを
実家に忘れてしまったからだった。

曲を探す時に出る、カリカリと鳴る音が
この上なく好きだったのに。
そして、走る時には必ず、一緒だったのに。

走り出しは必ず、この曲からだった。



歩く時の定番は、Dollar BrandのKaramatだった。
これこそ、問題だった。







過去に手に入れ、大事に保存してある音楽データは
これもまた、8年目の瀕死のmacに繋がれている。
家ではいいけれど、外には持ち出せない。
すでに、8年目のmacは、新しいosが入らなくて
iTunesに同期できない。

死活問題が浮上したことと、なる。

今までの、大事な大事なデータを、
どうしたらいいのだろうか。

仕方がないので、一つ一つ、iTunesで探しては
入れていく作業になる。
でも、当然iTunesには入っていない曲もあって、
心の中で悲鳴をあげる、不毛な夜がやってくる。


所蔵する本と、音楽データは、まさに、
その人をかたちづくるもの、だ。

殊、娯楽などない海外暮らしで、
まったく不適合な仕事をしながら、
音楽と本にしか、鋭敏にセンサーが働かない人間にとって
ほぼ唯一、自分が何者なのか、ということを
輪郭だけでも留めておくための、
ツールだということを、改めて認識する。

一通り、確実に必要なアルバムだけ、入れていく。
radiohead, Asgeir, James blake, Jose Gonzalez, Nick Drake
Jeff Buckley, Elliot Smith, Bon Iver, Beirut
キリンジ、スガシカオ、くるり、大橋トリオ


それにしても、こんな暗いアルバムをよく聴いていた、
というものも、ある。
どちらかというと、縁起担ぎに、
憑き物でも落とすような気分で、
入れないでおこうか、と思ったりする。



そして結局、それでさえも惜しいと躊躇するのは、
もしかしたら、その音楽とともに残る記憶そのものに、
まだ心残りがあるからなのかもしれない。

というのが、この曲。





記憶は、しんと冷えた初冬の夜と、
日本で暮らしていた、小さな平屋の板間だったりする。
曲自体はいいのに、記憶がしみったれ過ぎている。

そういうものを、一つ一つ整理していく作業になってくる。

マリのアーティストもいくつか持っていたのに、
最近聴いていなかった。


これは、西アフリカへ行けってことなんだろうか、とか
どうでもいいことを思ったりする。
歩みの感覚。小さなトランス。
やっぱりいいな、と思い、結局リストに入れる。

そして、違うアルバムを視聴してみたりして、
結局、増えていく。

同じく、こちらも捨てがたく、リストに入る。


何にもないところを、ひたすら歩きたくなる。

これも久しぶりに聴いた。
聴いた時の、衝撃を思い出す。




まだ、Aから先に進めない。
一体この作業は、いつまで続くのだろうか。

寄り道が、止まらない。

そして、すっかり秋も深まったアンマンは、
毎年のように、音楽を身体に、染み込ませていく。



2019/09/06

”獏”力の、低下


4冊の本が、机の上にずっと乗っている、
一時帰国から帰ってきてからの3ヶ月だった。

米原万里のエッセイ集と、いしいしんじの短編と、
石牟礼道子の食をめぐる随筆と、カフカの短編集

全く属性の違うものたちの共通点といったら、
長編を読む気力がないから、一話読んで、本を閉じられる、
というぐらいしか、ない。


米原万里のエッセイは、もう何度も読んでいたのだけれど、
小気味良い書きぶりと、
ご本人の経験の豊富さとその、面白おかしく、
同時に示唆に富んだ省察を、
いつでも、楽しめる。

手元のエッセイは、様々な彼女のエッセイからの寄せ集め。

たまたま、鳥取へ仕事で行った時、
閑散とした市街の目抜き通りを走る、
一台の共産党車両を見つけた。

なかなか、印象的なその景色だったのを思い出したのは、
米原万里の父親が、鳥取から選出された
最初で最後の、国会議員だった、というのを知ったからだった。
彼女のロシア語歴は、共産党員だった父親が
仕事でプラハに駐在することから、始まる。
ソ連学校へ通っていたから、教育を一時期すべて、
ロシア語で受けている。

どんな短編にも、ソ連、もしくは共産圏への哀愁と愛着が見受けられる。


ただ、このエッセイ集の最後は、戦争のなんたるかを知らしめる
ロシアの雑誌の、翻訳だった。
イランイラク戦争時に取材に入ったジャーナリストが
バグダッドでインタビューした少年の語り。

戦争で父親を亡くした、靴磨きで生計を立てる思春期の少年。
美しい母親と、その母親に想いを寄せる、
一緒に住むことになった叔父への複雑な感情が
よく聞き取られていると思ったら、
最後には、しっかりと、皮肉なオチがある。

それまで楽しく読んでいて、最後の一つもまた、
美味しい上等なお菓子でも食べるように、読むつもりが
苦く渋い、薬を飲むことになってしまったような、
口の中にいつまでも残る、尾を引く後味があった。
あくまでロシアの小話風にまとめようとしたその話は、
だから返って、内容の凄惨さを引き立たせていた。

楽しいだけでは終わらせてくれないのだな、と
編纂が本人のものかは分からないけれど
彼女が伝えたかったことの本質を、見せられたような気がした。




いしいしんじは、すべてが海か山と、そこから生まれる
暗く、明るいおとぎ話のような、話だった。

どの話にも、共通して感じられたのは、
山や海と、もしくは、話の中に出てくる人や事柄と、
つながりたい、同化したい、という感覚だった。

恐ろしく感覚的なものを、描き切るには勢いがいる。
いしいしんじには、短編も長編も、
大きな波に乗るような感覚がある。

いいことも悪いことも、不幸も幸せも、
人を含む生き物のには、それなりにある、ということを
どれもこれも、同じぐらいの大きさで、書く。
そして、それらをすべて飲み込む、大きな懐を
感じられる話たちだった。

波に揺られて、とても温かい気持ちになって、本を閉じた後、
温かな気持ちが残っているからこそ、
でも、ぽつんと、また浜辺に置いていかれたような、
寂しさがあった。

すべてお話である、という当たり前の現実が、
寝そべって読んだソファの上に、蛍光灯の光の下に
ぽつん、と死んだ虫みたいに、残ったりする。




石牟礼道子の本も、ある意味、おとぎ話のようだった。
事細かに描かれた、調理や郷土料理と、
それらにまつわる、土地に根ざした記憶が
豊かに描かれている。
最初の数ページには、彼女が作った食事の様々が
美しく皿に盛られ、写真に収まっている。

水俣の景色や、そこに残る風土や伝統が
仔細に、彼女の視点で切り取られている。
その風土の描写がすでに、一つの物語のようでもあるけれど、
何よりも、鯛の豆腐詰や、干し野菜の煮付けが
すでに、私にとって、おとぎ話のように手に入らない、ものだったりする。

読んで悶絶する、駐在には全く、心にも身体にも毒で、
魅惑的な本だった。



どの本も、私にとってはある種の寓話性が、ある。

それこそが、本に求めるものではある。

けれども、カフカの話で書いたように、
話の中の、ある感覚や感情、感性には、
自分の中のそれらと、呼応する要素を持ち合わせている。
それらの要素の印象が、強ければ強いほど、
話自体は、突拍子もないものでも、
十二分に楽しめうる可能性を
持っていることに、なる。

でも、石牟礼道子を読みながら、
感性に惹かれつつも、どっぷりと浸かれず
そのズレが妙に気にかかった。

食を支える、話の一つ一つは
紛れもなく、地に足ついたものだった。
確固たる重みが、ある。

その安定感が、全くどうも、
欲しているけれど、遠いところにあるもののように、思えた。

どうも、昔のように話の中に身を置くことが
うまくできなくなっている、
苦しい感覚に、気づく。
以前だったら、石牟礼道子の文章も、
もっとすいすいと泳ぐように
話の流れに身を任せられたような、気がする。


基本的に、限りなく獏になりたい、もしくは
夢や幻想でも食べないと、
生きていくのも大変だ、と思っていたのに、
どうも、そうするにも、さっぱりと、立ちゆかないらしい。

夢見る力がなくなった、ということなのかもしれないし、
現実という基軸を、しっかりと自ら支えることの大切さを、
体感中、ということなのかもしれない。


心のどこかで、
あぁ、つまらない人間になったな、と
小さく嘆いている時点で、
まともな大人には、なれそうにない。

そして、石牟礼道子の安定感も、また
当分、手に入れられないという事実を、
腹を括りつつ、受け入れる。




カフカと、手のひらのボール




カフカを手にしたのは、軽く20年以上ぶりだった。

一通り、過去の文豪で気に入った人は、
小作品まで全部読む癖があったのに、
なぜ、カフカをあまり読み込まなかったのか、
理由はあまり、思い出せない。

カフカよりも、と書くのも間違っているけれど、
昔は、安部公房をよく読んでいた。

カフカの代表作と短編のいくつかを読んですぐに、
Sカルマ氏の犯罪に戻ってしまったりしていた。
おそらくその頃は、非日常的な世界がどこまでも続く
奇怪な、ある意味形而上学的な、
でも、どこかで人の本質を突く話が、面白かったのだろう。

今でも、小説には、できれば目の前の
様々な問題を、一時的にでも忘れさせてくれて、
でも、新たな視点を知らしめてくれるもので、
あって欲しいと、願う気持ちは、ある。

現実には、私の手には追えない問題が、
山積みになっているから。



久々にカフカを読んでみる。
それから、なんだか、とても気に入る。
ただ、その楽しみ方が、いつもの小説のそれ、とは
異なっていることに、気づく。



短編集と寓話集しか手元にないので、
余計に、一つ一つの話のなかに、
カフカの凝縮された世界が、ある。


読み終わるたびに、同じ絵が浮かんだ。
手のひらに、日常の細やかな感情の、一つ一つが
ソフトボールよりも少し大きめの、
中途半端に柔らかい塊になって、
乗っかっている。
すぐ溢れて、ぽろぽろと落ちていくのを必死に、
指を広げて落ちまいと、する。

そして、それらをじっと、見つめているカフカ本人なのか、
私なのか、が、いる。

ボールの形状のものは、
猜疑心であったり、良心であったり、憐れみであったり、
疑念であったり、正義であったり、
怒りであったり、期待であったり、する。

その感情が生まれてくる経緯が、仔細に描かれている。
だから、いくつも思い当たる節が、ある。


カフカ本人が、地味で地道な仕事をしながら、
夜な夜な、今まで経験し、見聞きし、感じたことと、
その内省とその内省のさらなる疑念や分析を、
一つ一つ吟味して、話にしていく作業だったのではないか、
と勝手に、想像する。

それは、なかなか骨の折れる、とことん疲れる、
作業だったことだろう。
それでも、書きたいと思うところには、何があったのだろうか、
とまた、想像したり、する。


本人が、話の中の登場人物のような行動を、していたのか、
もしくは、他人がするのを見ていたのかは、分からない。
ただ、自分のしたことでさえ、
客観的に、生真面目に、別のところから
見つめている節も、見受けられる。

だから、ボールを見つめる絵を、思い描いてしまうのだろう。


カフカに関しては、ありとあらゆる読み方があるだろうし、
実在主義、ポストモダンの系譜や、フロイト的な精神分析やら、
様々な視点からの、評価と分析がなされている。

もちろん、学術的な見地から、読み解いていくのもまた、
面白いだろう、と思うが、
学が足りない。

ただ、どちらかというと、
したことや、見たことや、感じたことを、
一つ一つ思い出しては、自分で分析したり、反省したりしがちで、
でも、それらを結局、どう扱ったらいいのか
手に余っている人間には、どうも
小さく、でも本人にとっては、とても気にかかる、
他人の行動や、自分の行動や、それに伴う人の感情の克明な描写の末、
心の往き場の終焉を(時には往きつかないけれど)、
とりあえず、話にして見せてくれるということが、
意外と、慰めだったりする。


石炭も買えない貧乏人から、
高官の役人らしき人物、順風満帆な人生を送る青年、
市長に、工場員、中国の山村の男、
橋、オデュッセウス、哲学者。

様々な人物を主人公に置きながら、
社会への理不尽さも切り取っていた。
しがない労災保険を扱う事務所に勤めていたカフカ本人が、
皮肉だけで済ませようとせず、もっと内に対して、懸命な真摯さを持って、
描こうとしていた世界があることに、
本人の、戦いがあり、
野心と良心を見るような、気がする。




「徹底的なプラグマティズムに則っているんですね」
そう云われて、その単語の意味が分からず、
ふむ、と首を傾げたのは、
学者の方々と食事をしている時だった。

実際のものごとを基にのみ、重きを置く、というような
説明を受けた記憶がある。
なるほど、そうかもしれない、と、思った。

一時帰国中、仕事で見聞きしたものを、拙い言葉で必死に、
説明しようとしていた時の話だ。

あとでwikiを見てみたら、
行為、実験、経験や活動という意味の
プラグマというギリシャ語から来ているらしい。

概念や認識は、それらがあることで
出てくる客観的な結果によって、科学的に記述できる、という
主義の一つのようだ。

そもそも概念や認識は、何かがあってこそ生み出されるものだから、
目には見えない、ぼんやりとしたものを、定義づけすることで
さらにそれに、結果が生じる
という流れ自体が、なんだかよく、頭の悪い私には分からない。

とにかく、実際主義的なものなんだろう、と
哲学者が聞いたら血相を変えて怒るような、
短絡的な結論づけをしてしまった。

そもそも、なんとか主義、という言葉になった瞬間に
抽象化して、現実が伴わないから
経験から、、、、などという話そのものが、
宙に浮いてしまう、などと
一時帰国中、仮住まいのアパートメントの、お風呂の中で、
顔をしかめた。


ふと、そのお風呂に入っていた時のことを、
カフカを読んでいて、思い出す。

どうも最近、私がどんな偉大なものでも、
自分に引きつけて、
小さく矮小な、手のひらサイズにしてから
考えて、そして、吟味しているようだ。

どうにも、近視眼的で、即物的。

そして、また顔をしかめることに、なる。

学がないばかりに、勝手に自分に結びつけて、
こんな読み方をされたことを、
カフカが知ったならば、
いやいや、もっと壮大なことを描いているのに、
それが、読み取れないなんて、と
鼻であしらったり、するのだろうか。


それでも、おそらく、本人は、
それなりに、偏屈で暗かったのだろうけれど
いい人だったのだろう、と
私は勝手に、想像している。