禁断のiTunesに手を出したのは、
前回の帰国時、もう10年ぐらい使っていたipodを
実家に忘れてしまったからだった。
曲を探す時に出る、カリカリと鳴る音が
この上なく好きだったのに。
そして、走る時には必ず、一緒だったのに。
走り出しは必ず、この曲からだった。
歩く時の定番は、Dollar BrandのKaramatだった。
これこそ、問題だった。
過去に手に入れ、大事に保存してある音楽データは
これもまた、8年目の瀕死のmacに繋がれている。
家ではいいけれど、外には持ち出せない。
すでに、8年目のmacは、新しいosが入らなくて
iTunesに同期できない。
死活問題が浮上したことと、なる。
今までの、大事な大事なデータを、
どうしたらいいのだろうか。
仕方がないので、一つ一つ、iTunesで探しては
入れていく作業になる。
でも、当然iTunesには入っていない曲もあって、
心の中で悲鳴をあげる、不毛な夜がやってくる。
所蔵する本と、音楽データは、まさに、
その人をかたちづくるもの、だ。
殊、娯楽などない海外暮らしで、
まったく不適合な仕事をしながら、
音楽と本にしか、鋭敏にセンサーが働かない人間にとって
ほぼ唯一、自分が何者なのか、ということを
輪郭だけでも留めておくための、
ツールだということを、改めて認識する。
一通り、確実に必要なアルバムだけ、入れていく。
radiohead, Asgeir, James blake, Jose Gonzalez, Nick Drake
Jeff Buckley, Elliot Smith, Bon Iver, Beirut
キリンジ、スガシカオ、くるり、大橋トリオ
それにしても、こんな暗いアルバムをよく聴いていた、
というものも、ある。
どちらかというと、縁起担ぎに、
憑き物でも落とすような気分で、
入れないでおこうか、と思ったりする。
そして結局、それでさえも惜しいと躊躇するのは、
もしかしたら、その音楽とともに残る記憶そのものに、
まだ心残りがあるからなのかもしれない。
というのが、この曲。
記憶は、しんと冷えた初冬の夜と、
日本で暮らしていた、小さな平屋の板間だったりする。
曲自体はいいのに、記憶がしみったれ過ぎている。
そういうものを、一つ一つ整理していく作業になってくる。
マリのアーティストもいくつか持っていたのに、
最近聴いていなかった。
これは、西アフリカへ行けってことなんだろうか、とか
どうでもいいことを思ったりする。
歩みの感覚。小さなトランス。
やっぱりいいな、と思い、結局リストに入れる。
そして、違うアルバムを視聴してみたりして、
結局、増えていく。
同じく、こちらも捨てがたく、リストに入る。
何にもないところを、ひたすら歩きたくなる。
これも久しぶりに聴いた。
聴いた時の、衝撃を思い出す。
まだ、Aから先に進めない。
一体この作業は、いつまで続くのだろうか。
寄り道が、止まらない。
そして、すっかり秋も深まったアンマンは、
毎年のように、音楽を身体に、染み込ませていく。
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