2011/05/01

気晴らし

高校生みたいだ、とも思うけれど
高校生だってそれなりに
様々な教科をこなしているのだから
1つの言語にだけ執心していればいいのは
楽、なのかもしれない

目下、切羽詰まった状態

週一度の休日も
結局週明けのテストに向けての勉強に費やされ
大して出かけられもしないまま
悶々と、うまく発音できないセンテンスを繰り返す

例えば、世界中から、という言葉が
うまく云えない
単語の切れ目が、次の単語にかかっていて
よくわからないのだ
だからたった3秒ぐらいのセンテンスを
云えるまでに20回以上も聞く

休日だからいいだろう
久しぶりにアラビア語ではない
音楽を聴きながら勉強をする

yusaのアルバムを聴いていると
あまりに気持ち良さそうに唄うものだから
うらやましくなる

休日は昼間にピアノを弾くことができる

集中力が切れたのをいいキリに
ピアノを弾く
簡単な伴奏の曲を弾こうとするけれど
思い出せなくて
結局、ただ、ポンポンとピアノの音を聴いて
満足する

恐ろしく鍵盤が汚くて
すざましく音が外れているのだけど
それでも、やはり、単純に、うれしい

音を聴きつけてやってきた人たちと
いろんな曲を弾いて遊んだ

音楽はいい

言葉も、音楽のように染みてゆけばいいのに





2011/04/30

言葉 に 腐心する

アラビア語の勉強をしている
朝から晩まで
好きな曲もほどほどに
アラビア語の単語を聴き
アラビア語を、ひたすら追う
あの、細くて長い、地を這うもののような、文字

日本語も、あまり一般的な言語の成り立ちをしていない
学習者は頭を抱えるだろう
アラビア語もまた、私にとって
苦しい言語だ

30近い子音と3つの母音で発声する
動詞ならば
基になる子音は3つ
その3つの子音につく母音も
だいたい同じ音の並びになる

たとえば子音がfkh、という動詞だったら
fakahaという発音
同じように子音がktb、という動詞だったら
katabaという発音

これが、無数にある


いくつかのsの音や
いくつかのdの音や
いくつかのzの音を
ほとんど同じような音を聞き分けながら
相手の云っていることを探ろうとすることになる

小さな子が、少しずつ
感覚的に言葉の意味を体得してゆくように
何とか身体に身につかないかと
腐心する

序数が云えない
序数が云えないと、日付が云えない

いつか、24日のことを
にじゅうよんにち、と云っている子に
いちいち云い直しをさせていたのを思い出す
どことなしか、申し訳ない気持ちになる

でも、あの子たちも
9月にはみんなちゃんと
にじゅうよっか、と云えていた

いつかの子どもたちに、勇気づけられる



2011/04/08

桜の咲くころ

大阪にいる                                           建物の周りには桜が咲く                                  ずっと建物の中から出られずにいる身は                                桜をただ、窓から見る                                  四角く切り取られた枠の中に                                         うっすらと赤みのさした白がゆれる                                                                                           久しぶりの桜のはずだった                                                                                                 3年ぶりの桜のころは                                          思ったよりも寒くて                                               それは前の土地に比べてあまりにも違うからかもしれないけれど                           とても、浮かれた気持ちにはなれない                                                                                              なのに、どこかで気にかかる                                                                                                 今日、雨が降って                                              やっと落ち着いた気持ちになる                                         どうしても、桜が咲けば                                    愛でなくてはならないような                                                         気持ちがふわふわと浮くような                                          その感触に触れなくてはならないような気がしていたけれど                                               灰色の空に                                                                 ふと、心が、静まる

2011/03/27

帰国の途中



ホーチミンでは
帰国には二つの意味があった
休暇や急用で日本へ帰ること
それから、すべてを引き上げて日本へ帰ること

物理的には
どうも、引き上げてきたようだった

まだ船便は届いていないけれど
ほとんどの荷物は実家につき
荷物をほどき
次の移動へ向けて整理をし
必要なものと、もう必要ではないものに分ける

底の薄いサンダルや
ぺらぺらのワンピースや
強力な日焼け止めや
虫さされのクリームや
大きなひさしの帽子はしまう

いただいた手紙や色紙も
専用の袋に入れ直す
でも入れながらまた、見てしまい
だから、こういうものは
なかなか片付かない


日本は、寒い

時々、ホーチミンで
ぐっと身の縮むような寒さが恋しかった

同じように今
身体の芯から緩むような
きりのない暑さが恋しい

南国から来た人のように
いつまでも手を擦り合せながら
どうしてそんな薄い格好をして歩けるのだろうと
街中を往く人々を眺める

小さな子を見るとつい、目で追ってしまう
東南アジアの人を見ても、つい目で追ってしまう
そして、とんでもなく時々
寂しくなる
本当に、ホーチミンの夢を見た

目の前にもやらなくてはいけないことが山積みで
でも、心はまだ南国に居て
心底、自分に困っている

2011/03/22

さよなら ホーチミン

大学の卒業展に
「さよなら つくば」という油絵を描いている人がいた
土地から受ける影響は計り知れない

私もそれを期待してこの土地にやってきて
これから日本へ帰ろうとしている

仕事場で、最後の挨拶に「想像力の種」の話をした
さっぱり口べたで
余計なことならいくらでも話せるのに
大切な話は
残念なぐらい伝わりづらかったのだけど
私はずっと最近
種のことを考えている

何を得て、何を持ち帰るのか

こどもたちは知らず知らずのうちに
たくさんの経験を携えて
大きくなってゆく

もう、私はすっかり身体と年だけは一人前になってしまって
中身が伴わずに
ここを去ろうとする今でも
たくさんの後悔をして
たくさんの心残りなことごとを
いくらも解決も、解消もできないまま
いつもの通り、よく往く店でパソコンを開く


最後の今日
まず、仕事場の最後の片付けをする
それから、動物園へ往った
オラウータンとゾウに
人参をあげてきた
オラウータンはえさを持っていると
私のことを
私ではなくて
えさをくれる人として、認識する
人参をおいしそうに食べている間
私はにんじんおばさん、と呼んでいる
外国人に人参を売るおばさんと話をする

オラータンはいくつ?
8歳
名前は?
テオ
ところで、あなたないくつなの?
私は31歳
子供は?
いない
私は3歳と7歳の子供がいるの

たぶん、おそらく
そんな意味の会話をする
おかしなぐらい
相変わらずベトナム語は話せなかった
まだ、おなかがすいているはずよ
そう云いながら人参を取り出す
人参おばさんの視線を尻目に
私はオラウータンを見る
最後にタンビエ、と手を振る
ちゃんとオラウータンは私のことを見つめていてくれた

私はきっと
オラウータンの話を書くだろう
オラウータンは私の大切な「想像力の種」になり
人参を持った瞬間に、人参をくれる人になりさがった私の後悔を含めて
私のオラウータンの記憶になる
そして、オラウータンのものがたりができる

焼けつく日差し
黒すぎる影
きれいな声でなく鳥
バイクをかわして道を横切る歩調

ここ数日
空港へ、帰国する人たちを見送りに往っていた
去年も今年も、空港にも
訊けなかった質問や
握手をできなかったわだかまりや
見つからなかった言葉や
云いそびれた一言が
私にしか見えない澱になって溜まっている
種にするにはあまりにも未分化な感情

人との関わりが
一度、私の自我を崩した
露呈した、そして往き先のない正義やエゴや優しさを
収集つかずにばらまいた
その一つ一つの出来事が
いつまでも暑い土地の空気にふやけて
まだ、種になるには形を定められないまま
身体の底でうずき続ける

種にするには整理のつかないものものが
まだ寒さの残る日本できっと
小さな塊になるだろう

ただ、私は単純に
この土地の暑さが
ここにもう一度来ない限り
感覚として残っても
体現できないのが、悲しい

だから、私はたくさんの後悔もまた
数限りない経験の大切な一つとして
持って帰ることになる
次の土地では、きっと
そう、願いながら

何に願うかと云えば自分自身の姿勢で
願いがあれば、叶うように向く方向が、ある
そう、思っている

ブンタオへ往く







帰国の日を3日ずらした
連休を関東で過ごすのを回避するためだった
ホーチミンで過ごす3日間の猶予

ブンタオはホーチミンから高速船で1時間半ぐらいのところにある

高台から町を眺めると
細くくびれた岬の間に
オレンジ色の屋根やコンクリートのマンションが建ち並び
両側を海が囲っていて
よく手入れのされた、小さな庭のようだった

巨大なキリスト像を見て
それから海岸を歩く

誰もが子どもにかえったようなはしゃぎようで
海水パンツをはいたおじさんが
波打ち際で、泳ぎの真似ごとをしながら笑っていたり
アヒルの浮き輪をもった女の子が海へ飛び込んだり
ソファに横たわるたくさんの大人たちが、足下の海水も気にせずに海を眺めたり
男の子の身体を砂に埋めたり
凧をあげたり、していた

海水は濁っていて
ぬるくてまるい感触だった
砂は白くて細かくて
気持ちがよかった
でも、景色はよく往った、大竹海岸に似ていた
その先は太平洋で、次に見る岸は遠い

潮風が限りなく懐かしくて
つい、浜辺を歩きすぎる

空がよく風に洗われて青くて
肩あたりに痛いほどの、日焼けをする



2011/03/12

また、サイゴンへ、歩く

家のテレビでは日本のチャンネルを見ることはできない
webのニュースを更新しながら
愕然とする

家族の安否だけは確認し
後は、ただwebの更新ボタンをクリックすることしかできず
次々と出てくる地震や津波の最新情報を見ながら
パソコンの前と部屋の中を巡り
落ち着かず、部屋の片付けや荷造りをする

午後、部屋を出る
今日も風が強い、よく晴れた日だった

もう、歩くには暑すぎる時季になってしまった
それでも、7区から7.5キロほど
サイゴンまで歩く

相変わらず土埃と排気ガスがひどい道を
何か考えることがあるはずなのだけど
想像をするにはあまりにも
きっと現実の方がひどくて
まとまりなく、思考が逡巡する


動物園へ往き、オラウータンの顔を見る
しばらく彼女の様子を見て
それから今日は
持っていたドライライチを2つだけあげてしまった
もう最後かもしれないから

それから、中心地へ向かってまた、歩く

夜になってもまだ、サイゴンは暑い
陽気で、活気に満ちている