2011/12/31

本や音楽など

なかなか本の読む時間のない1年だった

おそらく、ここ10年で一番冊数は少なかっただろう
何度となく読み続けていた本を
また、新たな土地へ持って往って
もう一度読む、そんな年だった

いつもいつも
須賀敦子を持って次の土地へ往く
あんなに繰り返し読んでいて
詳細や云い回しまで覚えていたのに
実は核の部分は理解しきれていなかったことを
知ったのは最近だった

英語で教育を受け
フランスへ留学し
イタリアで結婚して家族を持ち
母国語をイタリア語に翻訳していた
須賀敦子の言葉への執着や原動力が
どこからきているのか

外国で暮らす人として
語学の資質もさることながら
人間性がいかに大事であるか

私は正直半ば、あきらめ気味だ

どうも、その土地や国や人との関わり方について
憧れることは勝手にできるが
指針にするには遠すぎる

やっと、そのことを知り
何が足りないのかも痛感して
身の丈に合った状況が今なのだと
妙に、腑に落ちている

10年以上読み続けて、やっと

知ってしまって、やはり
いくらかは悲しいけれど
ここでの生活がなければ、知り得なかったことだった


本を読むかわりに
家でよく、絵を描いている
描いている時は必ず
音楽を流している

出歩くのが他の国よりも難しいここでの暮らし
音楽だけはたくさん聴いた

好きな音楽が増えることは、随分と幸せなことだ

朝、晴れ渡って青い空と
スウェーレの坂道にしがみつく建物を見ながら
何度となく高木正勝のピアノの音を聴いていた

実のところ
それほど音と情景が合っているわけではない
むしろ、瑞々しい音の流れで
乾いた景色を中和することが
毎朝、大切だったようだ

埃まみれの街並も、煌めく音に色が変わる

考えてみると
湿気のある音を選んでいたようにも思える
James Blakeもしかり
Predawnもしかり
原田郁子もしかり
Alaa Wardiもしかり

これから年が明けて
この国の一番美しい季節がやってくる
写真でしか見たことがないけれど
青草が揺れる、見渡すかぎり緑の緩やかな丘が
待っているはずだ

きっと、その時には
今まで聴いていた音楽たちが
また、違う彩りで耳に響くはずだ

私は、それを、随分と楽しみにしている




一年の終わりに

去年と一昨年
年末なのに暑いなんて、風情がないな、と思いながら
それでも
常夏の空気に慣れきって
ノースリーブを着たりして
年末に浮かれた街をいっぱい歩いていた


アンマンには年の瀬の空気はほとんど、ない
学校はテスト週間
2日からテストの続きが待っている
大人も仕事納めなんてなくて
明日の休日もちょっとした普通の休日の一つ、のようだ




ヨルダンのことを
いろいろと、ああでもないこうでもない、と思いながら
今ひとつ慣れなくて
今ひとつ好きになりきれなくて
正直、戸惑ったままだった


でも、これからだな、と
新たな気持ちに変えられるように
今年最後の学校へ顔を出す


テスト中で授業がないのを理由に
お休みをもらっていたので
3日ぶりの学校


お歳暮代わりのチョコレートを持って
同僚の先生たちに
今年一年、ありがとうございます
とあいさつして回った


今日はたまたま
校長のお宅へ訪問する日だった


同僚の車に乗せてもらって校長宅へ往く


立派なお宅にほぼ勢揃いの先生たち
女だらけだ


今までヒジャーブ姿しか見たことのなかった
校長や同僚のきれいな髪をみとれ
校長の作った豪華でおいしい食事をたくさんいただく


教師と云えど女たちの
絶え間ないおしゃべり
赤ちゃんの泣き声


スパイスやアラビックコーヒーの香りをかぎながら
腰の立派な先生たちが
ゆらゆらと皿を持ったまま歩いてゆく姿をぼんやり見つめ
そうか、みんな家では
こんなことをしていたのか、と
半年経って初めて、知る


相変わらずアラビア語はうまく話せず
周りの様子に圧倒されていたけれど
1年の終わりにやっと
本当のヨルダンの一場面を見られて
よい年の瀬となった







2011/11/25

財布をなくす



仕事の材料を買いにスークへ出かけた
大きな布が欲しかった

でも、出かけてみたら
暖かそうなものがたくさんあって
目移りする
毛糸の帽子、毛糸の手袋、毛糸のマント

毛糸の手袋を1JDで買って
本題の布を探し始めたが
なかなか見つからない

ぶらぶらと布探しを続けた

これを買ってもいいかなあ
そう思って財布を探し、愕然とする

いつもは財布の在処を気にしているのに、、、

だいたいなくす時はそういうものだ

今日は殊に人ごみがひどかったから
落としたよりはすられた可能性の方が高かった

これでは買えないどころか、家に帰れない


買った手袋を払い戻してもらおう
手袋を買ったお店へ往く

お店のおじさんに財布をなくしたことを云う
すると、おじさんは何か色々と説明してくれた
残念ながら分からない
ただ、スークの真ん中にある小さなモスクへ往け
これは、分かった

モスクにはおじいさんたちが居た
説明すると、そうかそうかと話を聞いてくれる
そうか、ここは落とし物保管場所ではないんだ
少し落胆した

赤いハッジをかぶったおじいさんがおもむろに立ち上がった
ちょっと待ってろ
おじいさんはモスクの中に入っていった

そして、アザーン用のスピーカーで放送を流してくれた

日本人が赤と黒の刺繍の入った財布をなくしたぞ
誰か見つけた人はもってきてください

きっと、青いよく晴れた空と
広い青空スークに響き渡っただろう


ヤバニーヤ、と繰り返されるたびに
何とも身の縮む思いをする
おじいさんは、やったぞ、という顔でモスクから出てきた


ただ、待っても財布はやってこなかった
来ても中身はないよ、おじいさんは云う
わたしもそう思います


もう一度払い戻しをお願いしに
手袋のお店へ往った
スウェーレに住んでいるんですが
バスに乗れないんです
手袋を会計の台に置いてもう一度お願いした
お金をください

それは持っておきなさい
おじさんは、手袋を袋にしまい直して
1JDをくれた

ほんとにありがたかった
だって、おなかがすいていたし
もう、探しまわって疲れていたから

たくさんお礼を云ってバスに乗った

来週また、おじさんにお金を返しに
スークへ往くことになった




2011/11/15

歩いてみる

やってみよう、と長らく思っていた
仕事場からの帰り道を歩いてみる


google earthによると
標高差500メートルを越える
坂道を下って
毎日出勤している
距離にして8キロ強


出勤はバス
坂道を転がり落ちるようにして
バスは目的地のバカアキャンプへ往く
毎朝少し、耳が痛くなる
ものの10分ほどで500メートルも下るからだ


その道を登る
久々の長い散歩は
正直少し、つらかった
ひたすら登りなのもそうだけど
車の交通量も多くて
排気ガスをまともに吸うことになってしまうからだ


この道は苗木屋さんが多い
素焼きの鉢や水差しの並んだ店もある
いつもバスの窓から見ていて
気になっているものがたくさんあった
だから、カメラを持って歩く


空気はすっかり冷えて
特に風が強かった
ただ、苗木屋さんの店先には
今からもう冬なのに
マーガレットからブーゲンビリア
バラやパンジー、そして菊まで
さまざまな鉢植えが並ぶ


ヨルダンで一番気に入っている木がある
名前は分からないけれど
北部では比較的よく見る
色々な形と大きさのその木がいたる所にあって
徒に写真に収める


アパートメントの近くのロータリーについた頃には
すっかり疲れてしまった
ロータリーの先もまた
坂道だ


考えてみたら
こちらの人は足が速い
特に男性は
私をさっさと抜かしてゆく
みんな坂道に慣れているのだ


いつもだったら躍起になって
抜かされるまい、と歩いているけれど
今日はもう疲れてしまって
男の人たちのすり減った靴底を見ながら

のそのそと家への坂道を登った

2011/11/09

国境

ヨルダンの北部、イスラエル、シリアのボーダー


イスラエルとの国境は枯れた川の跡がある渓谷だ
谷間の急な斜面にしがみつくような道には
たくさんのcheck pointがある
銃を抱えた兵士がいる
携帯をいじっているpointもあれば
パスポートの提示が義務づけられているpointもある
いくつもの見張り台


高いフェンスと有刺鉄線
シリアとのボーダーには兵士と遮断機がある
イスラエルとのボーダーにかかっていた鉄橋は
崩されていた
橋から伸びる道は草で覆われて
遠目からではもう、よく見ることができない




遠くにはガリラヤ湖が見える
周囲には白い高い建物が連なる
ヨルダンならばアンマンにもないような
近代的な建物の影だ


渓谷の先の台地はそのままゴラン高原に続く
ヨルダン側からでは
ただただ、何もない緩やかな丘しか見ることができない
ヨルダンの斜面と同じように
うねる道をぽつぽつと、車が走る


渓谷の底、川の跡は緑が深い
バナナの畑や真っ赤なブーゲンビリア
高いナツメヤシの木
その向こうに、ゴラン高原のはしっこが立ちはだかる


3つの国の国境の土地も今は秋で
南国の植物たちとともに育ったオリーブの実が
収穫の最盛期だ
何とか犠牲祭で食べられることなく生き延びた
ヤギや羊たちが
まだ残った草を懸命に食べながら歩く


日はすぐに傾き
影は濃い
空はずいぶんと青い



アンマンなんかよりずっとあたたかで
おだやかな秋の田舎の風景







2011/11/07

ダナの谷






休暇に入った
仕事が始まったから初めての長い休み

ダナ公園へ往ってきた
ヨルダン南部、死海とタフィーラの間あたりにある
岩ばかりの山の中


ダナ村を出発するときの標高は1200メートルほど
ゴールとしたロッジまで1000メートル近い標高差を
15キロほどの道のりでひたすら下り続ける


周囲をほとんど生き物の気配が消えた山に囲まれた
水のない川の跡を辿るように道は続く
ツバメに似た飛び方をする鳥が空に居る

それだけ

よく見ればトカゲやてんとう虫も居る
けれども
緑の色も褪せた植物もまばらだった

砂利に足を取られないように注意して歩く
足音だけがよく、響いていた


5時間近く、歩き続けた


ゴールのロッジはRoyal Society of Conservation of Natureが運営している
エコ・ロッジだった
夜の灯りはろうそくだけ
客はたくさんのろうそくに囲まれて
食事をとる


そう、ずっと昔はこうして
歩き疲れて家に帰り
暗い灯りの下で食事をとって
暖炉の周りでお茶を飲みながら話でもして
そして、朝までよく眠ったのだろう


西洋人ばかりの客たちが
わずかな灯りの元
色々な言葉で談笑している様子を
昔の映像でも見るように眺めた



久しぶりに、観光客の気軽さで
この国を見られたような気がする

2011/10/29

アンマンマラソン


アンマンマラソンにお手伝いに往ってきた
南部の街、カラクの障害者施設から参加しにいらした方の伴走をした


よく晴れて、でも空気の冷たい
マラソンにはちょうどいい天気だった


一緒に10キロを歩いたアスマさんは
私の下手なアラビア語があまりわからなかった
彼女もあまり話さない人だ
顔合わせをした時
とても不安な顔をしていた


施設のボランティアは
手を握っていれば安心すると思う、と云う
だから、ずっと手を握って歩いていた


不安な表情はずっと消えない
途中、彼女は右脇腹を押さえて
座り込んでしまう
おなかが痛いのかな
何か云っているけれどわからなくて
困り果てた


何度か休憩をして
おんぶをしようと思ったけれど
うまく往かなくて諦めた
だましだまし、歩く




ゴールはアンマンのダウンタウンにある
ローマ劇場だった


ローマ劇場が見えた頃に
一緒に伴走をしてくださっていた方が
腹が減った、とシュワルマを買いにいった


食べますか?
大きく彼女はうなづく




シュワルマをうれしそうに食べる彼女を見ながら
ずっとおなかが空いていたのかもしれない、と
何だか心配したのがおかしくて
随分笑った


彼女が食べていた時の他は
ずっと手を握っていたので
手にだけはたくさん汗をかいた


ずっと手をつないでいたなんて
何とも素敵だった、と、思った

2011/10/21

あったかそうであること

この2、3日
空気がすっかり冷たくなって
昼までも日の当たらない室内は冷えきっていた


できれば家でゆっくりしたい休日だったけれど
今週を逃したらしばらく往けない予定に気づき
慌ててスークへ買い物に往く


服や靴ばかりの青空市場が
金曜日だけ、開かれている
古着ばかりの市場


こちらの衣類の値段は
日本とほとんど変わらない
十分な冬服を手に入れるのに
正規の値段では、とても
買いそろえられない


コートが欲しいな
ブーツも欲しいな
靴下も欲しいな
セーターも欲しいな


古着なのだ
だから、まともなものを探すのには
それなりの努力と時間が必要だった
早く家に帰りたい
でも、もう少し探してみる


究極的に、冬服というものは
見た目が大切だと、思っている
それが、あったかかろうが、なかろうが
あったかそうであることが
私にとって重要だ


だから
あったかそうな色のコートを買う
あったかそうなだけで
実はそんなにあったかくは、ない
質の低いウールのけばけばコート


でも、それが目に入るだけで
きっと冬が越せると、安心する

2011/10/12

秋の味覚



仕事場からの帰り道
建物のすぐ外の屋台の果物屋さんから
柿をいただく
種がなくてよく熟れた
とてもおいしい柿だった


バスを降りていつもの坂道を登る
ここでもまた、果物が並ぶ



一つだけじゃ物足りない
2JDで柿を10個買って


ついつい買って、また買って
果物だらけになった


最近仕事場では事件だらけ
でも、とりあえず家に戻って
果物を並べて、満足する


単純に幸せだ

2011/10/07

夜中にまた、眼を醒ます

たぶん、なぜだかうまく眠れなくて
頭のどこかが冴えきっていたからだろう


目が醒める 4:17
今日は休みなのに


まだアザーンは鳴らない
アザーンまでには1時間近くある


遊びにきた人がへたくそだ、と云っていたアザーン




仕方がないので頭の中に流れる曲を検索して
動画で見ていた


白夜の空の様子
いつまでも揚がらない太陽
緑の丘陵地帯や凍った川
針葉樹の林


そういえば、と、思い出す
仕事先へ往く途中
急な岩場に男が一人座っていた
ぽつんと黒い服を着て


なんでそんなところにいるんだろう、と思った


よく見たら、彼の周りにはたくさんの羊が居た


羊の色は岩場の白茶褐色と同じ色で
動いていなかったら
きっと、分からなかった


なんて、乾いて白い土地にいるんだろう
杉の木の葉も、強い風に舞った砂がついて、白っぽい
きついピンク色のビニール袋だって
風で飛ばされていつの間にか
どことなく白っぽい


眼を閉じて
公園にあった、たくさんの大きな木を想像する
たくさんの濡れた葉やからまる蔦




いつの間にか、またうつらうつらして
へたくそなアザーンが鳴る


でも、このアザーンに慣れてしまった
音が大きすぎて
どうしたって聴いてしまうのだから


もう一度、濡れた木々と
それから、昔よく往った植物園の
冬の熱帯雨林の温室を
思い出しながら、眠る

2011/09/30

2度目の船便





船便が届いた
そして先日、家へ持って帰ってきた


部屋の玄関で荷物を出しながら
ぼろぼろになったダンボールを見て
よく着いたな、と思う


ホーチミンでも
船便が着いた時はうれしかった
職員室で荷物を開けた時のことは
今でも鮮明に思い出すことができる

ただ、何故か今回は
随分と感慨深かった

もっと時間がかかると思っていたからなのも
理由の一つ


もう一つは
着いたはいいが
郵便局での受け取りと
家までの道のりが
予想以上に遠かったせいかもしれない


具合が良くないのに取りにいったせいで
待っている間に冷や汗が出てくる
預かり票を見せて荷物を倉庫から出してもらう


自分でテープを切って
太って暑そうで無愛想な役人に
中身を見せなくてはならない
こんなところでガムテープを切ってしまって
一体どうやって持って帰ればいいのだろう


二つの箱を開けて
衣類と本しか入っていないのを
役人はタバコを吸いながら適当に確認する
入れる時は何気なく入れたけれど
今となっては大切この上ない
長い厚手の靴下が落ちる
役人はぽいっと
汚いものでも触るように投げてよこした


いつもならば平気で嫌な顔をしてみるのだが
この日は元気がなかった


サインをもらってこい、と云う
サインは全部で4カ所
上の階へ往ってみたり
下の階へ往ってみたり


こんな時ばかりは
所属先の申請で手に入れた
外務省の身分証明書が威力を発揮する


顔があまりにもほてっているので
顔を覆ってぐったりとしていたら
会計のおじさんが
あとちょっとだよ、となぐさめてくれる


噂では法外な値段をふっかけられると聞いていたけれど
妥当な値段を妥当な口調で申し渡され
納得して支払い
2階の受け渡し所からエレベーターもなく
1階まで自力で運ぶ
きっと奥にはエレベーターがあるのだろう
客にはない、というシステム


来ても止まってくれないタクシーを
荷物の上に座り込んで見過ごす
やっと止まってくれたタクシーの運転手は
背中が痛くて持ってあげられないよ、と云う
いいです、止まってくれただけでもありがたい


アパートの前まで来て
荷物を降ろす
テナントに入っている水屋のおにいさんが
5階まで上げるのを手伝ってくれた


長かった


でも、帰り着いた時には37度を越えていた体温も
顆粒のだしの素や練り梅を手に取ってみたり
懐かしい本たちを開いたり
木炭でクロッキーをしているうちに
下がっていった


早速投げられた厚手の靴下をはいて
あと何枚セーターがあれば冬が越せるか
毛布に包まりながら計算する





雲が浮かんで秋になる




真っ青で雲一つないのが夏の空
雲が出てきたら秋だと聞いていた



雲が出てくる
今年は例年よりも1ヶ月以上早く
雨が降った

そして秋になった


ある日から、雲が出てくる
まだ、暑い
しばらくすると
雲の存在が気にならなくなる


そろそろ慣れた頃
早朝に雨が降った
今季一番最初の雨
濡れる道路に滑るタイヤ
至る所で車が事故を起こしていた


先日は砂塵の日だった
高い空から道路まで砂塵だらけで
朝から曇った夕方のようだった
日はぼんやりとしか見えず
無数の砂が光に反射して
白い2日間だった


そして今日
やっと青空が見えて
涼しくて乾いた風が吹き
雲が浮かぶ


長袖1枚ではもう寒い
金曜正午のお祈りを終えて
帰路につく人々
白くて長い服が
どことなしか黄色く見えるのは
日の色が変わってきたからかもしれない




ザクロと葡萄が旬
高級スーパーでは
日本と同じサイズのみかんも出ていた

いろいろな種類のリンゴが出てきて
お裾分けもよくいただくようになる

この土地の秋はどうやって過ごすものなのか
まだよく分からない
仕方がない
では、砂塵の日から
一度も触らなかった窓を開けて
部屋の中で冷たい風に耐えてみる


2011/09/18

Faureを聴く



震災のチャリティーコンサートがあった
Yasmin Alamiという
ヨルダン人の女性ピアニストのリサイタルだった
本当に小柄な方だった


会場の入り口には被災地の写真が飾られる
相馬市長からのメッセージも
英語とアラビア語の翻訳をつけて
掲示されていた
達筆な手書きのメッセージ


ベートーベンや「さくら さくら」の変奏曲のあと
被災地の映像とともに
Faureのノクターンが演奏される

和音も旋律も波打つような
Faureらしい繊細で美しい曲だ
聴くたびに、秋の夜中を思い出していた
しんとする、ということばの
しん、が、聴こえるような夜

でも、この曲はあまり得意ではない
楽譜も持っていたから
いつか弾いてみたい、と思ったこともあった
でも、ある時から
どこか、ぞっとするような空気が感じられるようになった
聴くと、単純に気が塞ぐ
初めの、音数の少ない
小さなフレーズだけでも
反射的に身構えて聴くようになった曲だった


選曲はある意味、正解なのかもしれない
生の演奏が生の映像とともに


最後に様々な国の人が
メッセージを持った写真が流される
本当にいろいろなところの人々が
それぞれの、そして一つの願いのための言葉を胸の前に掲げて
写真に収められる


曲の終わりは、決して、明るくはない
納まるべき、長調ではない和音は
落ち着きを払い、そして重い


その曲は
新たな意味を抱いて
感覚を刺激する


次にFaureを聴く時には
間違いなく、またあの映像を思い出すだろう





2011/09/16

続・金曜日

大切な金曜日




船便が着かない
冬物の服がない
急ぎ、古着ばかりのスークへ往く
冬物を買い足す
ネルシャツとカーディガン


そして、家に帰り
念願のフォーを作る


鶏と玉葱と生姜でだしをとって
大切にしまっておいたライスヌードルを茹でる


だしを取る時間はたっぷりある
だって、金曜日だから


生野菜は金曜日で買えなかったので
冷蔵庫のキャベツも茹でる




チャンの代わりにレモンを搾ったのだけど
やっぱりパンチが足りなくて

少し悲しい


それでも、フォーもどきが食べられて、幸せだ









2011/09/09

金曜日


仕事が始まった
そして、週休1日を久々に経験する

たった1日しか休みがないなんて

といっても
平日も仕事の時間は短い

それでも、一日中自分の時間であることが
こんなものだったか、と思う


もう部屋の中はうすら寒い


少しだけ開けた窓の外

金曜日は気のせいか
アザーンの音が大きい気がする

子どもの遊ぶ声は昼過ぎから

外の日差しは相変わらず強いけれど
吹く風はすっかり涼しくなって
最近はよく、雲が出るようになった

今のこの気配を、よく感じておく


金曜日でもやっているスーパーにでかけ
鶏やらなにやら買い込む
いつまで、大好きなパセリが食べられるのか
急に不安になる

それから
作りかけだったパレスティナ刺繍のコースターに
少しだけ手を入れる



2011/09/01

死海のほとり



死海のほとりは観光客でにぎわっていた
34度もある海水
波はほとんどなく
岸には塩がたまる
すべてに塩がついて
塩にくるまれた石やらフェンスや砂で
足の裏が痛い

海水はあまりに濃度が高くて
砂糖水を溶かした時のように
もやがかかっている
前日に渓流で遊んだ
小学生のような膝小僧の立派な傷口が
恐ろしくしみた

もう、海ではない
大きな湖
海の匂いはしない

対岸にはパレスティナ西岸
近くて遠いその土地にも
小さな家々がうっすらと見える

それでも水には変わりない
久しぶりに水と戯れて
少し日焼けをして
湿気を含んだ空気を肌いっぱいに取り込む

2011/08/28

في الكرك




休みの間に大してどこにも出かけず
部屋でぼんやりしていた
少しぐらいは出かけてみようと
南部、カラクへ向かう

カラク城へ往く
カラク城は十字軍の時代から遺る遺跡で
丘の上に建つ
圧倒的に石の文化だ
石の堅牢さを思い知る


海抜1000メートル
城の高い石垣の塀からは死海が見下ろせる
塀の石の中には化石が埋まっているものもあった


あまり意識はしていなかった
でも、どうも常に高いところで暮らしているようだ
アンマンで海抜773メートル
今住んでいるところはアンマンでも一番標高が高い

そういえば、往き道は砂漠か土漠が広がっていたけれど
すべてが随分と高いところにあったようだ

日本で一番海抜の高いところにある市役所は川上村
海抜1185メートル
きっとすっかり涼しいところで
避暑にでも出かけるところだろう
おそらく緑も深い

不思議な気持ちになる

私は、高いところに暮らしている
見下ろすもののない、高いところ

往く道のすべてが坂なのは
仕方のないことだ


帰り道
アンマンの街並の灯りが
遠い蛍のようにひろがる
だって山だらけなのだから



2011/08/19

بحب حمار


せっかくペトラ遺跡に往ったのに
そこらへんをうろうろしている
ロバとラクダに気を取られる

大きな耳、少しうつむきぎみな顔
細い足、苗のようなたてがみ

確かに暑かったし、岩だらけの小山に登って疲れていた
でも、歩けないことは、なかったのだけど

随分割高と分かっていたが、ロバに乗る

よいしょよいしょと坂道を
時々疲れたと立ち止まっては
飼い主の男に叩かれ
またのっそりと歩き出す

こちらの人はなぜだかと
とてもよく、家畜を叩く
ロバなど、たたいてちょうどだ
とばかりに、叩く

ロバはすぐひるむ
だからきっと、馬鹿の代名詞に使われてしまう

少し卑屈な悲しい眼で
叩かれた後ろ足を見遣ったり
叩かれた首をよじったりしながら
頭を縦に振ってもう一度、歩き出す

こちらが、楽しいのか悲しいのかわからない

目的地までついて
ロバからおりて
ロバの鼻筋や額をなでる
あまり表情が変わっていないような気がしてくる


きっと足下の砂利や階段に足を痛めないように
地面と往き道に神経を集中させて
どうしたら叱られてしまうのか
どうしたら叱られないのか
時々思い出しながら
歩くのだ

彼らにとっては
荷物が乗ろうが人が乗ろうが
関係ない

そんな彼らの変わらない顔つきに
でも、どこかで安心する

2011/08/15

地図と鳥






マダバへ往く

モザイク画が有名な土地ということで
何か使えそうなものでもないか
探索しに往く

5つの教会や施設に
モザイクが集まっていた
原始キリスト教や、その前の時代のものもの

地図のモザイクがあった
その時代の死海やその周辺
地名がモザイクの文字で絵に組み込まれている

地図をモザイクで残そうと思う、など
どうして思ったのだろう


そして、違う教会では
無数の鳥を見る
羽の柄まで小さなピースを使って表された
いろいろな鳥たち

どうしてこんなに鳥が
モザイクのモチーフになったのだろう


石でできたかけらの色は褪せないけれど
砂をかぶって白っぽくなったモザイクは
どこか、執拗な執着心を思わせる

モザイクの職人だったならば
地味で淡々と仕事をするのだろう


大きなモザイク画は
こちらの絨毯を思い出させる

仕事の細かさは
パレスティナ刺繍を思わせる

どちらが先かは知らないけれど
私は、そういう仕事ぶりが好きだ