2023/09/03

この日のはなし ー あまりにも、いつも通り



習慣というのは拭えないもので、
使っていないと忘れてしまうだろう言語も、
ちょっとした身振りや挨拶の方法も、
その場に自分の身を置くと、身体が覚えていたりする。
何よりも、もはや覚えている、という感覚そのものに
新鮮さを感じていないことさえ、しばらく気づかなかったりする。

馴染みの人々に会った時、でも、長いフライトの後で
自分の表情が硬い。
女性同士の挨拶で、当然のように両頬を交互に触れさせながら
長らく会わなかったけど、元気だった?と口にした時、
自然とこわばった頬の力が、溶けるように柔らかくなるのを感じる。

挨拶の種類も幾通りかあって、相手との関係性によって、
胸に手を置くのか、握手をするのか、頬をつけるのか、異なる。
久々のフィールドで、相手の出方を一瞬見極めようとする、その
本能的な作業もまた、反射的にする習慣がついていた。

そして、両頬をつけて挨拶の言葉を口にする時に、
本当に近しく思ってくれているのか、調子がいいのか、打算があるのか、
うっすらと思惑が頭を巡るのもまた、
一連の動作の延長で染みついている。

プロジェクトなどを回していると、
とかく立場的に利用されがちなこともあって、用心深くはある。
けれども、私が特段疑い深いのか、と問われたら、そうではないと思う。
私の感覚では、アラブ人の多くがこの作業を無意識でしている、と思われる。


一方で、道端で会う知り合いの人たちとのあいさつには、
多くは仕事にまつわる場面で無意識に行われるような作業は、ない。
ただひたすら、近所の人たちだから
無条件で私が戻ってきたのを喜んでくれる。
すぐに荷物を持つ手を貸してくれて、
必要な買い物は選ばなくても棚からレジに持ってきてくれる。
日本はどう?天気は?
家族や友達は元気?
美味しいものを食べてきた?
と矢継ぎ早ににこにこしながら質問をしてくれる。

こっちはまだまだ暑いよ、今週末はまた暑いね。
日本はどうなの?

ー湿気がひどいの、あと、湿気のせいで、
生乾きの服の匂いがたまらなく不快なのー

へぇ、と要領を得ない顔をされる。
干せば2時間も経たないうちに、カラカラに乾くほど
乾燥している土地では、あの不快さは伝わらない。

混んだ山手線、人との距離が近いまま無数に行き交うホーム、
冷たさで無理やり匂いを消そうとしている電車の空気、
終電近くの、汗とアルコールの匂いを、思い出す。




アザーンで目覚めることもなく、
丘の下から立ち上がるパーティーの喧騒もさして気にならず、
夜は冷えるから窓を閉めることを忘れず、
すぐ砂塵が溜まるから床の掃除は水を撒かずしては始まらず、
薬を塗っても、乾燥で引きつる肌は痒みが治らない。


いつも通り、到着の翌日は、ひどく澄んだ朝やけを見る。
それなりに苛まれる時差ぼけも、翌日にはなくなる。







仕事にまつわるさまざまな報告をうけ、
フィールドへ行けば交渉ごとが待っている。

もはや、一種の才能なのか国を挙げて育成している能力なのか、
巷には、悪徳か否かは置いておいて、政治家みたいな人たちが一定数いる。

彼らは、相手が敵か味方かを見極め、
敵である可能性が高ければすぐに牽制を始める。
それは、息継ぎもせずに捲し立てることだったり、
相手に一通り気が済むまで話をさせてから、
身も蓋もない一言を一撃することだったり、
何も聞きたくないことを全身でアピールすることだったり、
バリエーションも豊富だ。

大体の牽制は経験しているので、こちらはこちらで
牽制のタイプを見定め、流していいのであれば忍耐強く我慢し、
どうしても修正や反論が必要な時には
タイプ別で効果の高い返答カードを選び、使用する。

根回しに使える人材を探しあて、取り込むのにも長けている。
動物的な嗅覚で、適任に適切な情報を吹き込み、
地固に余念がない。

適任とされる人々の中には、適任であることに自覚的な人もいるけれど
多くは、利用されていることに気づかず、善意で根回しに協力している。
根回しの際、インプットされる情報が虚偽や誇張や抜粋ではないかぎり、
その見事さを感嘆して眺める。
ただ、あからさまな意図をもって(多くは個人的な恨みや
嫉妬やお金や顕示欲や権威誇示のため)
私たちに悪影響のある虚偽や誇張されている場合、もしくは
影響を及ぼそうとする人が根回しを始めていそうな時には、
先回りをして、善意の協力者たちに誠心誠意、説明をする。
根回しに適任であることに自覚的な人には、
もう少し、打算的にネガティブな影響をちらつかせながら
必要な説明方法を記したカードを提示する。


ただひたすら、経験値がものを言う世界。

大量の失敗をして、幾度となく傷つき、
腹が立ちすぎて眠れない夜を幾晩もやり過ごし、
やるすべなく、悔し涙にくれながら
姿美しい、丘の上のアンマン城を呆然と眺め、
手に入れ、貯め込んだカードたちだ。

こんなカードなど、薄汚い金のようなものだから捨ててしまいたいのだけれど、
それでは仕事にならない。


そして、そこまで政治家然とはしていないけれど、
二言目には金銭の話をしてくる人たちもいる。
ほとんどの場合、要求されている金を払う必要はこちら側にはないので、
要求をされている間、いかに静かな顔で話を聞き切るか、に
執心している。
けれど、ロジカルには払う必要のないはずのものなのに
時に話を聞いていると、払わない自分がひどく悪い人間のように
思えてくることもある。
たぶん、私の瞳のうちには、戸惑いと不安がちらついているのだろう。
相手の話がいよいよ、興に乗って表現豊かになっていくのを見ながら、
頭の中の思いが、自分の瞳に滲んでしまったことを、悟る。


もちろん、そんなカードなど出さなくても
不安や戸惑いを隠さなくても、
建設的で共感に満ちた話をできる人たちもいる。
できる限り、そんな人たちばかりと過ごしていたい。

けれども、建設的で共感に満ちた人々もまた、
私の知らない場所で、場面で、時に政治家然となり
時に金の話に執心している、かもしれない。

それでも彼らは、私が仕事や生活のストレスの吐口に
「アラブ人」もしくは「日本人」という総称という偏見で
このように、何かしらを説明しようとするのよりは
でもまだ、ずっとマシなことのように思える。

裏表のなさを美徳とするならば、両者ともだめだけれど、
公平性を美徳とするならば、私の方が、たちが悪いのだろう。


そうやって、いつも通り、
冷えた空気の帯が窓から流れてくるのを感じながら
暗く静かで長いアンマンの夜、自らの思考と行動を省みる。
あまり意味のない、無駄に孤独な作業だ。

なぜ意味がないかといえば、
私自身がその反省を活かせない、ということもある。
そして、さまざまな思いを抱き、後悔し、反省の材料となる
こちらの人々のほとんどにとって、
彼ら自身の言動は必然的であり
訂正、撤回、修正しなくてはならないもの、ではなく、
無意識で決定されていて、
どうして言ったのか、どうして振る舞ったのか、
疑問を抱く必要がないものだからだ。



今日久々に、新しく会う学校の先生たちの間を動き回る。

どのように立ち振る舞えばいいのか、もうこれも
習慣として身についてしまった。

家に戻ってきて、自分の姿がひらひらと
教室の中を、それっぽく机の間を動き回っていたのだろうと、
苦々しく思い返している。
もはやこのあてどもない反省もまた、ひどくいつも通りだ。


おそらく私はずっと、意味のない一人相撲をし続けている。



2023/08/19

例えば、寛容であることの難しさ 例えば、正義の危うさ



仕事柄なのか、正義は危うい、とか言いながら
正しさを押し付けてくる人とか、
寛容であるべきだと言いながら
全然許さない人とか、結構会ってきた。


許さない人も、正しさを押し付けてくる人も
彼らの心情も分からなくはなくて、
「ゆるしてしまったら、自分のいちばん大切にしているものが
なくなっていまう」かも、と思って譲れなかったり、
「しなやかな正義」って言葉では素敵だけど、
それを手に入れる手立てがまったく分からなかったりする。

わたしもまた、40歳すぎても解は手に入らず、とても苦しい。




子どもを対象にした絵本で投げかける問いが、
ただすごいな、と思う。
ある意味、単刀直入だし、もやもやを緩やかに言語化してくれていると思う。










数年前のある時ふと、仕事の文脈で、
もしかしたら自分の家族を殺した人と同じコミュニティで
生きなくてはなくてはならないのかもしれない
子どもたちが携えなくてはならないものは、
許しかもしれないと、思った。
許せない、という思いを持ちづけるのはただただ、
不幸で辛く苦しいものだから。

でも、それは私だったら心弱い、からで、
もっと心の強い人は世の中にいるのかもしれない、
と思い直すのに随分と時間がかかったりした。

許せない事項を客観的に人権の文脈で
明晰に白黒つける手段を携えるのはとても難しい。

そしてもし手に入れたとして、でも、
どうやってそれを裁けばいいのだろう、とも。

世の中には、いくらも裁けていないことが山ほどある。


理不尽でどうにもならないことを、昔のいい思い出にすりかえる、
という場面を、シリアの人たちと話していて何度も経験した。
それはおそらく、底なしの負の感情から抜け出すための手段なのだと思う。

正義とは何か、許せないことをどうしたらいいのか、
その問いと向き合う精神力をもちづつけるよりも、
日々の生活を生き延びることに焦点を当てなくては、
生存そのものが危ぶまれる。

祖国を失う、もしくは、自分がそう思っていた祖国が幻影だった、
と気づく人々の郷愁とやるせなさが滲む。
私を含む多くの、強い精神力を持ち得ない人たちが、
苦々しく腹に収めるまでの、工程を追随する。



ひどくモデレートな子どもに向けた絵本を読みながら、
ラフマニノフのピアノコンツェルトの3番と4番を聴いていた。


表現の手段があるというのは、幸いなことだと心から、思う。


スピード感あふれていて、どこをとっても和音も旋律もスラブ的で美しいのに、
金管の嘶きに戦争を思い出さずにはいられない3番は
ひどく魅惑的だけれど、扇動的でもある。
生で聴くと、3楽章の、弦で弓を擦るところなど、
兵士の行進の足音と、軍服の衣擦れにしか響かない。
転げ落ちるようなフィナーレは、もはや
ロシアの栄光なのか聚落なのか、分からない。
けれど、転げ落ちる様もまた美しい。

ラフマニノフは、亡命先で、ピアノコンツェルト4番を
壮大なロシアの、寒さに震える大地の抱く底知れぬ力強さを思い出しながら、
どちらかといえば、混沌や複雑さを内包しつつも、
分かりやすくエネルギーに満ちた明晰な旋律、構成を曲にするために、
何度も推敲したのだろう。
4番の2楽章の始まりのピアノソロは、たまらなく美しいけれど、
祖国から出ることで、収まることのできない人々の
甘美な郷愁と、祖国の何かが、手のひらからこぼれ落ち、
二度と掴むことができないことへの諦念がある。

そして、特に4番には、今まで感じたことのない、
狂気の滲む怒りを感じる瞬間があった。


国が存続していても、郷愁を胸に思い描いていた国と異なっていた、
という、アイデンティの喪失が危ぶまれる経験が、
でも人ごとではないことを、私自身が感じているからなのかもしれない。

それを、正義の文脈に落とし込もうとは、一度も思ったことがない。
怒りに任せてはいけない、そう自分に言いきかせ、
今一度、この絵本を手に取る。

2023/08/10

山手線外回り 8:58



東京は不思議な場所だ。
すれ違う人々に、一つ一つ生きてきた物語があり、
今現在も小さな、大きな心配や、ささやかな喜びや
欺瞞や期待や不安があるだろうに、時折、その何にも想像が巡らなくなったり、
突然、細胞まで震い上がるように、命そのものが動いてこちらへ
そちらへ、行き来しているように、見える。

それは想像する側の状態次第なのかもしれないけれど、
たくさんの人がモノのように見えたり、とてつもなく
大切な個人に見えたりする。

ひどく、混乱する。

凝視しては失礼だ、とわかっていながらも、
見つめずにはいられない、美しい人の顔の
その小さな鼻腔の稜線を、まぶたの膨らみを見つめる、
もしくは、拭いきれず、執拗に映像が立ち上がる。
人の顔、特に、よく手入れされた白い肌の女性の顔は、
若くても、年老いていても、見入ってしまう。
たとえ、その人がどんな人なのか、いくらの知識もなくても。

知っている人ならば、その人にまつわる
私自身の記憶や思い入れや、嫉妬や憧憬が、より、
美しさを引き立てたりする。

ますます、混乱する。
そして、不安に駆られたりする。


不安は、よく晴れて澄んだ空と白い光が眩しい朝の
山手線の原宿を過ぎるあたり、
明治神宮の深く濃い緑が車窓を覆う時、膨れ上がる。
生命感に溢れた木々が、
曲がりなにも日常生活を必死で送ろうと、吊り革を掴み仕事へ向かう
生きているはずの人間である自分が果たして、
生きるに値するのか、突然問いかけてきたりする。

悲観なのではなく、ただ命あるものすべての
平等性を客観的に見定めようとする時、
自分が比較的いらない存在の部類に入るのではないか、と思えてくる。

たぶん、日に焼けすぎたからだろう。
焦げたように黒ずむ手の甲を見つめる。


車内を見渡す。
手入れの行き届いた爪の先を見つめる若い女性、
皮脂の浮いたメガネの奥で必死に携帯を見つめる中年すぎの男性、
どこにいても変わらないだろう、身軽な出立の外国人旅行者のカップル、
朝から眠りこけている大学生らしき若者。

目に映る誰もが随分と大切な生き物だと思える時、
でも、自分に対しては必ずしも、
そう思えていないかもしれないことに、また、小さく動揺する。
だから、必死にヘッドホンから流れてくる音楽に
その和音、弦のゆらぎ、もしくは時に、漣のように繊細なピアノの音を、
享受しようとする。
それが、今一番自分が人間として生きていることを
証明してくれるのではないか、と期待しながら。


うまくいく時もあるし、そうではない時も、ある。
うまくいかない時にはなぜか必ず、
ひどく昔の、忘れかけていた失態の断片のいくつかを思い出し、
文字通り身震いする。

最寄りの駅について、吐き出される人々の波に乗る。
階段を降りながら、思わず、
あぁ、死にたい、と小さく口をついて言葉が漏れる。
もちろん、本心から思っているわけではない。
けれど、誰しも口にしてしまうことが、あるだろう。

その瞬間、波のように膨れ上がり、クライマックスに差し掛かった
オーケストラの音が突然止まる。
ヘッドホンの性能がやたらと高くて、
話し声を感知してしまうからだ。

苦笑するしかない。

同じSonyのヘッドホンをつけている人はたくさんいるけれど、
そのうちのどれぐらいの人々が、
私と同じような体験をしているのだろうか、とか
取り止めもないことを考えながら、仕事先まで歩く。

開かずの間のように延々と電車が行き来する踏切の脇には
いのちの電話の看板が立っていて、
電話番号が変わったのか、新しい番号のシールが貼られている。
一体いくつの看板にシールが貼られ、
1日に何人の人が、この看板を見て電話をするのだろう。
そして、電話する人よりも、電話を受ける人のことを、なぜか想像する。
困惑も動揺も、電話ならば分かりづらいことに、
わたしが受け手なら、安心するに違いない。





途中に神社を横切るので、お参りをしていく。
賽銭箱に小銭を入れて、手を合わせる。
感謝の意のほかは、できるだけ何も考えないようにする。
ろくなことしか、思い浮かんでこないから。


習慣的に小さな祠にも、手を合わせにいく。
その頃には、すでに、ろくなこと、が頭を占領している。
水を被った犬のように、頭を振る。

ふと、足元に目をやると、大きさに合わせて大量の種が
丁寧に並べられていた。




ひどくささやかなお供物だ。

その愛おしい様子を見つめ、並べる人の姿を想像する。
子どもなのか、老人なのか、サラリーマンなのか、若い娘さんなのか。
身体を曲げ、種の大きさを確かめながら、順番を変えながら、
一つ一つ、並べていく様子を、想像する。
それは、朝からするには、ひどく孤独な作業となる。

その孤独に、心臓を手で握りしめられるような痛みを感じる時、
あぁ、これが曲りなにもどうも、生きている、ということらしい、と
濡れたガーゼに包まれているような、透けた絶望を
もしくは、その日のようによく晴れた空の、透明な悲しみを携え、
ひどく、納得する。



そういう日もあるし、まったく違う心持ちの日もある、だろう。
けれども、一度も一瞬も、こんな孤独も不安も感じない人が、
この土地にはいるのだろうか。



2023/07/23

ガストンさんと、16歳が気づいた原罪と、深い河

 

大学1年生の春休み、初めて自力でインドへ行った。
大学に入ったら必ず行こうと決めて、夏休みにはお金を貯めるために
ただひたすらバイトをしていた。

大学生でインドへ行くのは、旅行好きの人たちにとって
通過儀礼のようなものなのかもしれない。
でも、旅行好きではないわたしには、よほどのことがない限り、
どこかへ行きたい、という情熱を持たない。
だから、よほどのこと、だった。

25年以上前、薄暗くした実家の洋室にある丈夫な木の長椅子の下で
床に横たわったまま、「深い河」を深夜、読んでいた。




高校生の頃、哲学書や宗教に関する本を読み漁っていた時期があった。

その頃、近しい友人とのできごとから、自分自身の存在の罪深さに苛まれていた。
生きていく中で、人と関わるだけで生み出してしまう罪から解放されるために、
どうしたらいいのか、ずっと答えを探していた。
他者に無害な、いい人間になりたかったけれど、自分の欲や存在そのものを
消し去る勇気も潔さもなく、けれども、このまま一生
知ってか知らずか、言葉ひとつだけで、でも誰かを傷つけながら生きていくのか、と
途方にくれていた。

今思えば、10代の無知がゆえの、世間を知らぬがゆえの、
そして何よりも、己を含む人の業を知らないがゆえの、
ひどく恥ずかしい、あまくうぬぼれた悩みだったのかもしれない。

けれども、その頃のわたしはわたしなりに真剣だった。
本から解が導き出せるぐらいの、明晰な頭脳が欲しかったから、
ほとんど飲まず食わずで必死に本を読み、考えを書き記し続けていた。
もはや頭がおかしかったので、言葉が人を傷つけるならば、話さなければいい、と
半年以上、ほとんど誰とも一言も、話さなかった。

仏教に傾倒したわけではなかったけれど、
即身仏のような悟りでも開きたい、と思っていたら結果的に
本当に死にかけるほど痩せた。

頭の中はいくらか明晰だと思えても、体力的に限界だった。
真綿で締め続けるようにして痛めつけた身体は、本能的に生きたがっている。
自分自身の意識もまた、死にたいと思っていたわけではなかった。

この状態から抜け出さなければ、
一生人並みに普通に、暮らしていくことはできない。
ある日、それまでまともに直視できなかった痩せこけた自分の身体を見て、
手に入れたかった解の代わりに、失ったもの、もしくは
失いかけているものがあることに対する恐怖を感じる。

そこからが、もっと辛かった。

身体を回復させるのは、もっと身体的にも精神的にも
痩せ衰えるよりも大変なことだった。

もはや、今となっては滑稽ですらあるけれど、高校生のわたしが
悟りも開けぬまま、何も答えを見つけられないまま
また、もとの生活に戻らなければならないのは、
ひどく恥ずかしく、みじめで辛いことのように思えた。
心の弱い自分自身を心底軽蔑しながら、
向き合わなくてはならなかった。

そしてそれが、現在もなお、続いている。


今の時代の高校生ならば、具体的な進路にもっと他の選択肢があって、
親や周囲の人々は寛容かもしれない。
けれど、田舎に住むわたしが高校生だった頃は、
いい大学に入ることは将来を約束するものだったし、
何よりも、他の選択肢を取る勇気も方法もなかった。

周囲が大学受験に向けて必死に勉強している中に返り、
長く学校を休んで遅れた分を取り戻さなくてはならなかった。
毎日学校へ行き、家に帰っても勉強をし、
とにかく大学に入ることだけを目標とするために、
他のものごとを考えるのはやめた。


ある日、学校の帰りに家の近くのイトーヨーカ堂の本屋へ行った。
本は好きで、どうしても本屋通いをやめることはできなかったから。
そして、「深い河」を、買って帰る。
強迫観念から勉強は猛然と続けていたけれど、
心のどこかにある空虚な穴に、何かを埋めなくてはいけない
衝動に駆られていた。


遠藤周作の「灯のうるむ頃」が長らく好きだった。
その他もいくつかの作品を読んでいたけれど、
生前最後の長編となったこの作品は、いつかの時に
取っておこうと思っていた。
今になっても、なぜ、ただひたすら考えることだけに懸命だった頃、
この本を手に取らなかったのか、と思う。
あの時読んでいたならば、もしかしたら、
もっと自分自身を早く、救えたのかもしれない。


本を読む時間の分、徹夜で勉強できるように、
寝てもすぐ起きられるように、硬い板間の床に横たわり、
隠れるようにして、深夜、一気に読み切った。

結局、読み切った後、朝まで呆然としていた。

考えに没頭していた頃、哲学書とともに、
仏教の本だけではなく、新約、旧約聖書やコーランを読んでいた。
けれど、神、そのものの存在が根付くことはなかった。
もっと、目に見える、形の掴める、もしくは、
自分自身の中に信じられる核のようなものが欲しいだけだったから、
求めるものは、さまざまな教えや解を示す神ではなかった。

神は信じていないけれど、
物理的に流れる河が、罪も善も悪も受け入れる深い愛の河ならば、
その河をこの目で見て、入ってみたい、と
白んだ空を見ながら、思った。
大学に入ったら、ガンジス河を見に行ける、
そう思い、必死に勉強した。


大学1年生の春、インドへ行った。
そして、小説と同様に、デリー、アクラを経由し、
ヴァラナシの岸辺に1週間ほど滞在した。

ガンジス河に入った時の、足裏が感じる、
あらゆるものが堆積した河底の感覚を、
今でもよく、覚えている。

死を待つ人々の建物の中に、少女に連れられて入った。
吹きさらしの3階から、焼かれる死体を見た。
頭が一番燃えづらいから、火の番人が棒で
黒い死体の頭をかち割っていた。
河の脇で結婚式をするすぐ横で、大きな牛の死骸が流れていた。
小説に書かれている通りだった。

すべての色が、同じ、色、という概念の中にあるとは思えないほど、
鮮やかで、明るかった。

映像としての記憶は、鮮明に覚えている。
けれども、思考としては、とにかく混沌としている、という
物理的な、抽象的な状況を、頭で理解することで必死だった
という記憶しかない。

一つ、その後の人生に影響を及ぼしたものがあるとすれば、
女神のレリーフがある寺院にも行った時、
まだ迷いのあった、芸術学から彫刻への専攻変更を決心したこと、だった。
レリーフが良かった、というよりも、
レリーフに描かれた混沌とした祈りが、具現化され、数百年残る、
その祈りの形と、恒久性に憧れたような気がする。

その憧れを、今はもう、抱くことはできないけれど。



久しぶりに遠藤周作を読みたかったから本屋へ行ったけれど、
「沈黙」の装丁が違っていて、触手が伸びなかった。

けれど、同じく装丁の変わった「深い河」には、
静謐で少ない形の要素が美しい、彫刻の写真が使われていた。
それが、25年ぶりぐらいに本を手に取るきっかけだった。
装丁というのは、大事だ。



最後の章の途中で、運動へ出かける時間になる。
体育館で読み終え、すぐ、運動を始める。
縄跳びにも飽き、
痛む左膝の機嫌をさぐりながら走る。

走れば痛いし、少し走っただけで息はあがる。
それでも走りながら身体感覚を手に入れることは、とても大切なことだ。
高校生の頃には、運動になど一ミリも関心がなかった。
あったら、もっと健全な人生を歩んでいただろう。

月日が流れても、横で楽しそうに球技をする人々の輪には入れず、
結局一人走りながら、高校生の頃を思い出し、
そしてふいに、16歳の時の記憶と感情が漏れ出てきた。
これが出てきては困る。
気を紛らわすために、走りながら必死で球技の様子を凝視する。




今書きながら、考えるのをやめた17歳の時と同じような、うっすらとした
敗北感のような、諦めのようなものを、苦々しく噛み締める。

一体、あんなに真剣に考えていた時間はなんだったのか。
大学生の頃は、彫刻を作りながらよく、そう思っていた。
けれども、仕事を始めて対処しなくてはならない様々なことの
雑多さと現実性に、思い出す機会も減った。
もしくは、減らさなければ、仕事など続けていけなかった。

25年以上の間、たくさんの他者を傷つけ、自分の欲に苛まれ、
いくらもいい人間になれず、何かを悟ることもなく、
ただ徒に生き伸びてきた。

仕事相手の腹の中の見えない人々を陰でののしり、
人の雇用と解雇の決断を下し、
エゴで目一杯他者を傷つけ、
話し相手を不快にさせたことを、見当違いに後悔や弁解し、
にこやかに狡猾に役人と交渉をし、
反省はするけれど、同じ過ちを繰り返す。

見逃したり流してきた、たくさんの大きな、小さな罪、
おそらく原罪に由来するすべてが
年を経て、もっと明確な形をなし、感触を持って
自分の中に存在している。
そして、その罪深さをいくらかでも少なくする
自分の努力の限界も見えるようになった。

自分に諦めをつけようとしている。
そうでなければ、少なくとも今のわたしは、
普通に暮らしていくことができなくなるだろう。






(久々の遠藤周作の小説は、キャラクター設定がはっきりしすぎていて、
それぞれが、小説の中で演じる役割を過剰に担わされている、と感じた。
そこに、遠藤周作自身がおそらく留学時代に葛藤したのだろう、
善と悪で明確に仕切られた西洋的な考え方の、片鱗をみた。
それでも、執拗に描きたいものがあったのだろうし、
このキャラクター設定のおかげで、主題は分かりやすくもなっている。)

遠藤周作の作品には、ガストンと名付けられる人物がよく出てくる。
道化のような役割を持ち、周囲の人間に馬鹿にされながら、
でも人の心を、下手な日本語と実直な態度で
慰め、癒そうとする。
キリストの一側面を投影した人物像なのだろう。
また、「深い河」には、似たようなキリストの側面と
遠藤周作自身の留学時の葛藤を持ち合わせた
大津という人物が出てくる。


徹底的に何をしてもドジだけれど、
徹底的に慈愛を持つガストンのような人物に
わたしはまだ、会ったことがない。
明晰な頭脳と適切な場での行動力があって、
疑問やテーマを追うスマートな人々はいるけれど、
大津のように、要領悪く、ひどく正直な自身への問いに、
人生の賽を投げる人にも、まだ会ったことがない。

要領が悪く、ドジなのだけはわたしも同じなので、
親近感と苛立ちを感じながら、
大津のような生き様があってもいいんだったな、と思う。
25年前、まったく解を見いだせないまま、みじめな自分と向き合いながら、
大津のような人生に憧れていたこともまた、思い出す。

そして、必死に考えていた頃、結局わたしは、
ガストンのような人になりたかったのかもしれない、という考えに、
長い年月を経って、至る。
随分大それた人物を目指そうと思ったものだ。
それでは、心身ともにおかしくなるわけだ。




穏やかに、人の罪も自分の罪も
受けとめて流していく河を、いつも求め続けている。
そして、おそらくその河は自分の中に作る流れでしかない、
ということまでは、解せているように思う。

これからの罪を減らし、今までの罪を償うための努力をしなくては。

けれども、一体どうしたら、中庸にその努力をし続けられるのだろう。



大津は、アウトカーストの生き倒れた人々を背負い、
河のほとりまで連れて行った。
キリストの真似事だ、と自嘲しながら、それでも、
身体を動かし、人の身体の重みを感じ、
神との対話を続ける。

わたしには対話する神はいない。
けれど、身体を動かしながら、
自身や他者と対話することは、できる。
そして、中庸な努力の手立てを、穏やかに手に入れたい。


今ここに、話す相手はいないから、
掃除をしながら、書きながら、
シューベルトピアノソナタ18番、21番と
ベートーヴェンの30番、31番、32番を、ひたすら聴く。
ピアノの音から漏れ滲む、
作曲家の、そして演奏家たちの声に耳を傾け、
わたしもまた、心の中で彼らと話をする。






2023/05/06

心の奥底を流れる河と、「生きることへの愛」のようなもの

 

朝10時から演奏会をするなんて、今までの人生で初めてです。

マイクを片手に通訳とともに舞台に出てくると、アンヌ・ケフェレックは
演奏するのではなく、ピアノ用の長椅子の端に浅く腰掛けて、話し始める。
こちらとしては、音楽家が今から弾く曲を浪々と解説してくれるのが
今までの人生で初めてだ。


ベートーヴェンは闘い続ける人でした。

通訳が入るからなのかもしれないけれど、
どちらかというと、言葉を一つ一つ、区切りながら話しがちで、
何かを言い聞かせるような印象を持つ。
よくありがちな、きらびやかな演奏会用のドレスではなく、
西洋の昔の女教師が着ていたようなワンピースの出立に、
授業を受けているような、もしくは、私の横に座っている
ピアノの先生から解釈について説明を受けているような気持ちになる。


ピアノソナタ30番、31番、32番がその日の演目だった。
ユーゴーやシェイクスピア、フィッシャーなどの言葉を引用しながら
丁寧に、熱心に、解説をする、
時間は大丈夫かしら、とこちらが心配になるぐらいに。
話し出したら止まらないタイプの人なのだろう。



わたしも好きな31番について、殊、言葉を尽くしていた。
随分と簡略に説明するならば、各楽章ごとに、ベートーヴェンの善良さが滲み、
彼の人生そのもの、そして病、苦悶と闘いを、表している、と。
ピアノを使った対位法とともに、譜面に残された細かな演奏の指示についても
例を出して丁寧に解説していた。


31番は、生きることへの愛に溢れた曲です、という言葉が残る。

生きることへの愛、などという言葉を口にすることも
文章で書くことも、なかなかないだろう。
そんな、ひどく計り知れないことを
真に知り、感じている人しか、口にすることができない。

理知的な語りの中に、重みと思索に満ちた言葉を挟む。


32番の解説に、耳の聞こえなくなったベートーヴェンが
「永遠を聴いている」と評したユーゴーの言葉を、
そして、楽譜の最後が16分休符で終わる、
人生をかけて書き続けたソナタの最後は、休符なのです、と
ケフェレックは言葉を添えて、演奏した。




最後まで弾き切り、鍵盤から離れて中空でしばらく止まる手のうちに、
長く苦しい、生涯をかけた闘いの最後に遺した、
音のない音へ、耳を澄ませる。

絶望でもなく、救済でもなく、
でも確実に、音の広がる場の、ほのかな温かさを保ったその瞬間、
生きる苦しみや面倒臭さからも、死への恐れからも解かれる数秒があった。
永遠とは、こういうものなのかもしれない、と
いくばくかの片鱗を聴いた気がした。



きっと誰もが抱いているだろう、心の奥底に流れる河へ、誘う演奏だった。
演奏の後もしばらく、その河のほとりに佇む。

時折、そんな演奏を聴くことができる。
そんな時は、しばらく涙が止まらない、歳をとったのだろう。




今年のラ・フォル・ジュルネはベートーヴェンだった。
(フォルはフランス語でクレイジーという意味があるから、
こんな朝早くから演奏することになるのだろう、と
ケフェレックは冒頭、真面目な顔で冗談を口にしていた)

前日は、アブダルラハマーン・エル・バシャのピアノソナタを聴いていた。

レバノン人である、というだけで、どこか親近感を覚えて、
アルバムをいくつか聴いていたけれど、
やはりアラブ人のバッハは、私としてはしっくりこなかった。
フランスものがよく合っている印象を、個人的には持っている。

彼のベートーヴェンは聴いたことがなかったので、興味があった。

エル・バシャは思っていた以上に、線の細い人だった。
こういう人、どこかで見たことあるな、と思う。
おしゃべり好きが多いアラブのおじさんたちの間で
会話にずっと耳を傾け、時折、何か関心のある話題になると
静かに、でも熱心に語るタイプの人。
あくまで想像の域を超えないけれど。

はじめの印象では、構築感の強い、がっしりとした演奏なのだけれど、
熱情の途中から、奇妙な建造物がぼんやりと見えてくる。
積み上げるのには、いくらか歪な大小さまざまなキューブが
並べられ、積まれ、高くなっていく。
外からだとシルエットは有機的なのだけれど、
何かが、決定的に、収まらない。

そんな建造物の面白さも、もちろんある。
どこか終始、苦渋のようなものを抱えながら
細い身体でピアノと格闘しているようにも見える姿とともに
その建物が、しばらくの間、頭の中から消えなかった。


翌日、エル・バシャの皇帝も聴く。

前日の印象よりも、よほど風格を身にまとい、颯爽と登場した。
皇帝の持つ伸びやかさは控えめな感があったけれど、
軽やかさとともに、前へ進もうとする歩みの力が伝わる演奏だった。
その皇帝は、孤高ゆえの翳りを隠し持ちながら。

前日のキューブは低い中空で、重力を感じながら
あるべき場所に浮いていた。



ベートーヴェンはそれなりに弾いたけれど、ただ譜面から浮かび上がる
密やかな激しさが欲しいときしか、手を出さなかった。
どれだけ弾いても、例えば、まだ小学生だった兄が弾く
エリーゼのために、の小さな曲の中にどこからともなく漂っていた
陰陽のようなものを自分自身は、出せていなかったと思う。



ある作曲家の人生の歩みに寄り添いながら、生まれてから起きた
出来事やそれに伴う感情の揺らぎを追随し、
さらに、自らの感性と譜面を読む明晰さを問いつつ、
形なく消える音を奏でる音楽家の人々の、
あらゆる業を内包するさまを思う。

時折、裏若くして汲み取る音楽家もいて、
その感性の鋭さ細やかさに舌を巻くことがある。
その人格からは、どこからも重さや暗さは感じないのに、
ひどく情緒的な演奏する人もいる。

そして、歳を経て、光と翳りを経験したのち、
それらから得てきた愛情と苦しみと明るさを心の深みに抱き、
音にする音楽家には、影の濃い、静かな彫像のような
底の知れない深淵がある。
空間は、ほの温かく、遠くに柔らかなあかりが灯る。



その深淵には水が絶え間なく流れ、
誰かの心の中のささやかな流れに気づかせ、もしくは、
誰かの強く鋭い流れと交わり流れを穏やかにし、もしくは
誰かの澱んだ河面に細かな漣の煌めきを生み出す。

辿り着いた心の河のほとりで、
誰かが渾身の力を絞りながら生み出した曲に込められた
生きることへの愛、のいくばくかの片鱗でも拾ってまた、
日常へ戻っていけたら、たぶん、とてもいいのだろう。



ただ多くの場合、片鱗を携えて日々を暮らしてもなお、
生きることは、ひどくやっかいで困難が多く、
もう諦めてもいいのではないか、と思わせる
怒りや苦しみや孤独がある。

それこそ、ケフェレックが解説した、ベートーヴェンの人生と
わたしたちの人生は大なり小なり重なる。

まだ自分自身が生きることへの愛情、のようなものは
心の底から抱くことはできないけれど、
それでもせめて、他者が生きることへの愛情は、尊く大切なものだと、
いつでも感じていたいとはずっと、思っている


32番の2楽章にアリエッタと名がついていることに、動揺するのです。


作曲家があの楽章に、短く小さなアリアを意味するアリエッタ、と名付けたことへ
思いを馳せ、心動かされる音楽家は、
余計な感傷もなく、冷たい達観もなく、
曲と、曲を作り出した作曲家と、
作曲家を含む業を包摂する人そのものを、
愛しているのだろう。










2023/04/06

深淵で底なしの空間を抱く身体



満月の夜は、散歩に最適だ。

ドビュッシーとフォーレを聴いたあと、
坂本龍一の最後のアルバム、12を聴きながら歩く。
不夜城のような街を抜け、広大な墓地を往く。
リズムのない、真空のような音の中に
規則的に響き続ける息を聴きとる。

最後の、金属のすれるような音に見える
水の煌めきのような、不確実で脆い残光が
墓地の街路樹の、風に揺れる影と重なる。



まったく、性に合わないこの仕事をしながら、
それでもこの仕事を続けるモチベーションを何かに求めるのならば、
教授にいつか会ってみたかった。
(理由はわからないけれど、教授という呼称を久しく、使っている)
創造されるものと社会のつながりについて、
教授の口から、その考えを聞いてみたかったからだ。


トニー滝谷は、邦画で一番好きな映画だ。
映像も言葉も音楽も、余白が多くを語る。

ラストエンペラーは、一時期ずっと、
海外で一人の正月を過ごす時の、
大事な映画だった。
習慣的に、あの長い映画をただひたすら
安いダラットワインか、秘蔵のウィスキーを飲みながら
見続けていた。
見た後しばらく、頭の中をテーマ曲が流れ続ける。
その余韻が、ひどく正月らしくなくて、気に入っていた。



どうにも自分で自分を持て余すほど、心底ひねくれている。

だから、Energy Flowを初めて聴いた時、
無性に腹立たしかった。
土足で、他者の疲れた心身に踏み入ってくる。

商業的に売れるだろう、という目論見の裏に、
でも、本当に心身を疲弊しきった人間が、
何を欲しているのかを見通している。
知らない人に、なぜ心のうちを見透かされる居心地の悪さを
負の感情で、やり過ごさなくてはならない楽曲だった。


在外の夜は、長い。
疲れ果てた、異文化の土地で消耗した神経に、
何か、別の世界がいつも、必要だった。
ネットの動画で、スコラを繰り返し見て、
過去に頓挫した楽理への憧憬を、必死に満たそうとしたりした。
結局、たぶんよく、分かっていない回もあるけれど。

そこから、楽曲をまた聴いてみると、
ドビュッシーやサティの真髄をそのまま引用したような曲もあった。
そして、まったく別の、開かれた音楽の世界を見せてくれる
面白い楽曲もたくさん、存在していた。
だから、小さい頃は、クラシック一辺倒の家庭で、
忌み嫌われていたYMOの試みの新鮮さを
大きくなってから随分と、享受したりした。
一時期、毎朝、いい具合にうわついた
君に胸キュンのPVを見ながら、ふわふわと出勤したりも、していた。





わたしのピアノの先生は、ドイツに留学していたゴリゴリのバッハ弾きだったけれど、
わたしには、フランス音楽を弾かせていた。
こいつにドイツ音楽の何たるかは、わからないだろう、と
見放していたのかもしれない。
わたしの身体には確かに、フランス音楽の方が馴染んだ。

久々、浴びるようにクラシックを聴く機会を持つ時、
ラヴェルやドビュッシー、フォーレを好んで聴くようになる。
だから、教授の曲は、どこか耳の馴染みがよかった。



クラシックに傾倒していた子ども時代から、
音楽の世界の幅広さとその面白さを知っていった10代から20代、
民族音楽に随分と魅了された。
土臭さと、時にトランスに見られるような、地を這うような息苦しさ、
例えばリズム、例えば音階の中に、
音楽の持つ、原始的な不可欠さや喫緊性がある。
もしくは、限りなく快楽を追求したような、たゆたう音の中に
自分のまったく知らない生活、時間の感覚、そして感性があることは
ひどく興味深く響いた。

海外で暮らす時、その土地の伝統楽器を習い、
できるだけオリジナルに近い古い音楽を好んで聴いていた。
(今でも、地方の民謡を巨大な集音器を山奥まで持参して、
音を収集していたバルトークの楽曲が、とても好きだ。)

願わくば、今まで西洋的な世界の中で
存在し、愛されてきた音楽と融合できれば、個人的な趣向からしても
それほど幸せなことはない。
けれども、その作業は往々にして西洋至上主義を
結果的に形にしてしまう作業にもなりうる。
そのせめぎ合いに挑戦しようとするアーティストに、
随分と執着していた時期があった。

教授もまた、わたしの中では、その一人として、
興味を持ち始めたのだった、と20年近く前のことを
今振り返り、思い出している。

民族音楽というアイコンの活用と、
音楽を通した世界の広がりを伝える、
そこに着目し、形にしようとした姿勢から透けて見える
開かれた視点が、人として信頼感を抱くきっかけとなった。



考えてみたら、もう10年以上断続的に、教授の関連動画を見続けている。
実直とも言えるほど、素直な語り口を、気に入っていた。


インタビューからコント、ライブからドキュメンタリーまで
ヨルダンの長い夜と、生気を失った空白の休日に
ただただ、動画を見ながら、ずっと
一体、この人は何の作曲と社会へのメッセージには
どのような関連性があるのだろう、
曲がりなりにも、いわゆる、社会問題の一端に触れる仕事をしながら
ただ、知りたかった。
それは、私自身が、過去に従事していた芸術分野での表現活動と
今の仕事をいくらもうまく繋げられずに、悶々としている現状に
解を見出したかったからなのだと思う。


シンプルに、生きている時代と表現活動を
本来、切り離すことができないのだ、という事実に
日本に帰ってきて、気付いたりした。

奇しくも、仕事に精神面で頓挫して、
どこにいても役に立たない自分の惨めさを、心底味わう日々の中で。





Energy flowを今、あらためて聴いても、
わたしには癒される音楽ではない。
けれども、不可解で矛盾を孕み、収まりの悪い
静かな人の感情の起伏を、音にしているように、思う。
その表向きの軽やかさとは様子の異なる、内に秘めた孤独を見る。


人の人生に思いを馳せる楽曲を提供し続け、
亡くなった時には、自らが作った音楽で、
映画の中の人物ではなく、この作曲家の人生について、
思いを馳せる余白を、残しておいてくれていた。


訃報のあと、SNSにはたくさんの人々が
教授との交流について、触れていた。
わたしの業界にも、お会いしたことがある人が何人もいて、
温かな言葉とフラットな視点、そして
ジャンルの垣根なく人に会うことを躊躇わない人だったことを、
知ることになる。

根本的に人が好きな人物が、こんな音楽を作るのか、と
今更ながら、不思議な印象を持つ。



教授の作った楽曲の多くには、
音の余白の中に、深淵で埋めることのできない孤独がある。
音楽的な趣向や手癖もあるだろうけれど、
おそらく好んで使う音の響きの中に、
とてつもなく空虚で
深淵で底の知れない孤独な空間が見える。


頻度には差があれ、孤独を体感せざるを得ない瞬間は
どんな人にもあるだろう。
少なくともわたしにとって、その孤独を掌の中で、
いくらか客観的に把握するための、切実な道具として、音楽がある。

究極的に、その音楽をどのように享受しているのかを、一人で聴くかぎりにおいて、
いくら言葉を尽くしても、他者には完全には共有しきれない、という
孤独もまた、音楽は知らしめる。

それでもなお、例えば今、こうして
喪失感という孤独の一つの姿を、何とかして誰かに伝えようとする。
そのひどく不毛な作業を、でも、どうしてもしたいのだ、と
奮い立たせてくれる音楽を享受できることに、
一個人として、ただただ、有り難さを心いっぱい、感じている。


そして、なのか、けれども、なのか、
4月2日からずっと、ところどころフランス音楽を挟みつつ
ずっと教授の曲を聴き続け、
ぽっかりと物理的に暗い空間が、
巣喰うように、身体の中にできてしまった。