2023/07/23

ガストンさんと、16歳が気づいた原罪と、深い河

 

大学1年生の春休み、初めて自力でインドへ行った。
大学に入ったら必ず行こうと決めて、夏休みにはお金を貯めるために
ただひたすらバイトをしていた。

大学生でインドへ行くのは、旅行好きの人たちにとって
通過儀礼のようなものなのかもしれない。
でも、旅行好きではないわたしには、よほどのことがない限り、
どこかへ行きたい、という情熱を持たない。
だから、よほどのこと、だった。

25年以上前、薄暗くした実家の洋室にある丈夫な木の長椅子の下で
床に横たわったまま、「深い河」を深夜、読んでいた。




高校生の頃、哲学書や宗教に関する本を読み漁っていた時期があった。

その頃、近しい友人とのできごとから、自分自身の存在の罪深さに苛まれていた。
生きていく中で、人と関わるだけで生み出してしまう罪から解放されるために、
どうしたらいいのか、ずっと答えを探していた。
他者に無害な、いい人間になりたかったけれど、自分の欲や存在そのものを
消し去る勇気も潔さもなく、けれども、このまま一生
知ってか知らずか、言葉ひとつだけで、でも誰かを傷つけながら生きていくのか、と
途方にくれていた。

今思えば、10代の無知がゆえの、世間を知らぬがゆえの、
そして何よりも、己を含む人の業を知らないがゆえの、
ひどく恥ずかしい、あまくうぬぼれた悩みだったのかもしれない。

けれども、その頃のわたしはわたしなりに真剣だった。
本から解が導き出せるぐらいの、明晰な頭脳が欲しかったから、
ほとんど飲まず食わずで必死に本を読み、考えを書き記し続けていた。
もはや頭がおかしかったので、言葉が人を傷つけるならば、話さなければいい、と
半年以上、ほとんど誰とも一言も、話さなかった。

仏教に傾倒したわけではなかったけれど、
即身仏のような悟りでも開きたい、と思っていたら結果的に
本当に死にかけるほど痩せた。

頭の中はいくらか明晰だと思えても、体力的に限界だった。
真綿で締め続けるようにして痛めつけた身体は、本能的に生きたがっている。
自分自身の意識もまた、死にたいと思っていたわけではなかった。

この状態から抜け出さなければ、
一生人並みに普通に、暮らしていくことはできない。
ある日、それまでまともに直視できなかった痩せこけた自分の身体を見て、
手に入れたかった解の代わりに、失ったもの、もしくは
失いかけているものがあることに対する恐怖を感じる。

そこからが、もっと辛かった。

身体を回復させるのは、もっと身体的にも精神的にも
痩せ衰えるよりも大変なことだった。

もはや、今となっては滑稽ですらあるけれど、高校生のわたしが
悟りも開けぬまま、何も答えを見つけられないまま
また、もとの生活に戻らなければならないのは、
ひどく恥ずかしく、みじめで辛いことのように思えた。
心の弱い自分自身を心底軽蔑しながら、
向き合わなくてはならなかった。

そしてそれが、現在もなお、続いている。


今の時代の高校生ならば、具体的な進路にもっと他の選択肢があって、
親や周囲の人々は寛容かもしれない。
けれど、田舎に住むわたしが高校生だった頃は、
いい大学に入ることは将来を約束するものだったし、
何よりも、他の選択肢を取る勇気も方法もなかった。

周囲が大学受験に向けて必死に勉強している中に返り、
長く学校を休んで遅れた分を取り戻さなくてはならなかった。
毎日学校へ行き、家に帰っても勉強をし、
とにかく大学に入ることだけを目標とするために、
他のものごとを考えるのはやめた。


ある日、学校の帰りに家の近くのイトーヨーカ堂の本屋へ行った。
本は好きで、どうしても本屋通いをやめることはできなかったから。
そして、「深い河」を、買って帰る。
強迫観念から勉強は猛然と続けていたけれど、
心のどこかにある空虚な穴に、何かを埋めなくてはいけない
衝動に駆られていた。


遠藤周作の「灯のうるむ頃」が長らく好きだった。
その他もいくつかの作品を読んでいたけれど、
生前最後の長編となったこの作品は、いつかの時に
取っておこうと思っていた。
今になっても、なぜ、ただひたすら考えることだけに懸命だった頃、
この本を手に取らなかったのか、と思う。
あの時読んでいたならば、もしかしたら、
もっと自分自身を早く、救えたのかもしれない。


本を読む時間の分、徹夜で勉強できるように、
寝てもすぐ起きられるように、硬い板間の床に横たわり、
隠れるようにして、深夜、一気に読み切った。

結局、読み切った後、朝まで呆然としていた。

考えに没頭していた頃、哲学書とともに、
仏教の本だけではなく、新約、旧約聖書やコーランを読んでいた。
けれど、神、そのものの存在が根付くことはなかった。
もっと、目に見える、形の掴める、もしくは、
自分自身の中に信じられる核のようなものが欲しいだけだったから、
求めるものは、さまざまな教えや解を示す神ではなかった。

神は信じていないけれど、
物理的に流れる河が、罪も善も悪も受け入れる深い愛の河ならば、
その河をこの目で見て、入ってみたい、と
白んだ空を見ながら、思った。
大学に入ったら、ガンジス河を見に行ける、
そう思い、必死に勉強した。


大学1年生の春、インドへ行った。
そして、小説と同様に、デリー、アクラを経由し、
ヴァラナシの岸辺に1週間ほど滞在した。

ガンジス河に入った時の、足裏が感じる、
あらゆるものが堆積した河底の感覚を、
今でもよく、覚えている。

死を待つ人々の建物の中に、少女に連れられて入った。
吹きさらしの3階から、焼かれる死体を見た。
頭が一番燃えづらいから、火の番人が棒で
黒い死体の頭をかち割っていた。
河の脇で結婚式をするすぐ横で、大きな牛の死骸が流れていた。
小説に書かれている通りだった。

すべての色が、同じ、色、という概念の中にあるとは思えないほど、
鮮やかで、明るかった。

映像としての記憶は、鮮明に覚えている。
けれども、思考としては、とにかく混沌としている、という
物理的な、抽象的な状況を、頭で理解することで必死だった
という記憶しかない。

一つ、その後の人生に影響を及ぼしたものがあるとすれば、
女神のレリーフがある寺院にも行った時、
まだ迷いのあった、芸術学から彫刻への専攻変更を決心したこと、だった。
レリーフが良かった、というよりも、
レリーフに描かれた混沌とした祈りが、具現化され、数百年残る、
その祈りの形と、恒久性に憧れたような気がする。

その憧れを、今はもう、抱くことはできないけれど。



久しぶりに遠藤周作を読みたかったから本屋へ行ったけれど、
「沈黙」の装丁が違っていて、触手が伸びなかった。

けれど、同じく装丁の変わった「深い河」には、
静謐で少ない形の要素が美しい、彫刻の写真が使われていた。
それが、25年ぶりぐらいに本を手に取るきっかけだった。
装丁というのは、大事だ。



最後の章の途中で、運動へ出かける時間になる。
体育館で読み終え、すぐ、運動を始める。
縄跳びにも飽き、
痛む左膝の機嫌をさぐりながら走る。

走れば痛いし、少し走っただけで息はあがる。
それでも走りながら身体感覚を手に入れることは、とても大切なことだ。
高校生の頃には、運動になど一ミリも関心がなかった。
あったら、もっと健全な人生を歩んでいただろう。

月日が流れても、横で楽しそうに球技をする人々の輪には入れず、
結局一人走りながら、高校生の頃を思い出し、
そしてふいに、16歳の時の記憶と感情が漏れ出てきた。
これが出てきては困る。
気を紛らわすために、走りながら必死で球技の様子を凝視する。




今書きながら、考えるのをやめた17歳の時と同じような、うっすらとした
敗北感のような、諦めのようなものを、苦々しく噛み締める。

一体、あんなに真剣に考えていた時間はなんだったのか。
大学生の頃は、彫刻を作りながらよく、そう思っていた。
けれども、仕事を始めて対処しなくてはならない様々なことの
雑多さと現実性に、思い出す機会も減った。
もしくは、減らさなければ、仕事など続けていけなかった。

25年以上の間、たくさんの他者を傷つけ、自分の欲に苛まれ、
いくらもいい人間になれず、何かを悟ることもなく、
ただ徒に生き伸びてきた。

仕事相手の腹の中の見えない人々を陰でののしり、
人の雇用と解雇の決断を下し、
エゴで目一杯他者を傷つけ、
話し相手を不快にさせたことを、見当違いに後悔や弁解し、
にこやかに狡猾に役人と交渉をし、
反省はするけれど、同じ過ちを繰り返す。

見逃したり流してきた、たくさんの大きな、小さな罪、
おそらく原罪に由来するすべてが
年を経て、もっと明確な形をなし、感触を持って
自分の中に存在している。
そして、その罪深さをいくらかでも少なくする
自分の努力の限界も見えるようになった。

自分に諦めをつけようとしている。
そうでなければ、少なくとも今のわたしは、
普通に暮らしていくことができなくなるだろう。






(久々の遠藤周作の小説は、キャラクター設定がはっきりしすぎていて、
それぞれが、小説の中で演じる役割を過剰に担わされている、と感じた。
そこに、遠藤周作自身がおそらく留学時代に葛藤したのだろう、
善と悪で明確に仕切られた西洋的な考え方の、片鱗をみた。
それでも、執拗に描きたいものがあったのだろうし、
このキャラクター設定のおかげで、主題は分かりやすくもなっている。)

遠藤周作の作品には、ガストンと名付けられる人物がよく出てくる。
道化のような役割を持ち、周囲の人間に馬鹿にされながら、
でも人の心を、下手な日本語と実直な態度で
慰め、癒そうとする。
キリストの一側面を投影した人物像なのだろう。
また、「深い河」には、似たようなキリストの側面と
遠藤周作自身の留学時の葛藤を持ち合わせた
大津という人物が出てくる。


徹底的に何をしてもドジだけれど、
徹底的に慈愛を持つガストンのような人物に
わたしはまだ、会ったことがない。
明晰な頭脳と適切な場での行動力があって、
疑問やテーマを追うスマートな人々はいるけれど、
大津のように、要領悪く、ひどく正直な自身への問いに、
人生の賽を投げる人にも、まだ会ったことがない。

要領が悪く、ドジなのだけはわたしも同じなので、
親近感と苛立ちを感じながら、
大津のような生き様があってもいいんだったな、と思う。
25年前、まったく解を見いだせないまま、みじめな自分と向き合いながら、
大津のような人生に憧れていたこともまた、思い出す。

そして、必死に考えていた頃、結局わたしは、
ガストンのような人になりたかったのかもしれない、という考えに、
長い年月を経って、至る。
随分大それた人物を目指そうと思ったものだ。
それでは、心身ともにおかしくなるわけだ。




穏やかに、人の罪も自分の罪も
受けとめて流していく河を、いつも求め続けている。
そして、おそらくその河は自分の中に作る流れでしかない、
ということまでは、解せているように思う。

これからの罪を減らし、今までの罪を償うための努力をしなくては。

けれども、一体どうしたら、中庸にその努力をし続けられるのだろう。



大津は、アウトカーストの生き倒れた人々を背負い、
河のほとりまで連れて行った。
キリストの真似事だ、と自嘲しながら、それでも、
身体を動かし、人の身体の重みを感じ、
神との対話を続ける。

わたしには対話する神はいない。
けれど、身体を動かしながら、
自身や他者と対話することは、できる。
そして、中庸な努力の手立てを、穏やかに手に入れたい。


今ここに、話す相手はいないから、
掃除をしながら、書きながら、
シューベルトピアノソナタ18番、21番と
ベートーヴェンの30番、31番、32番を、ひたすら聴く。
ピアノの音から漏れ滲む、
作曲家の、そして演奏家たちの声に耳を傾け、
わたしもまた、心の中で彼らと話をする。






2023/05/06

心の奥底を流れる河と、「生きることへの愛」のようなもの

 

朝10時から演奏会をするなんて、今までの人生で初めてです。

マイクを片手に通訳とともに舞台に出てくると、アンヌ・ケフェレックは
演奏するのではなく、ピアノ用の長椅子の端に浅く腰掛けて、話し始める。
こちらとしては、音楽家が今から弾く曲を浪々と解説してくれるのが
今までの人生で初めてだ。


ベートーヴェンは闘い続ける人でした。

通訳が入るからなのかもしれないけれど、
どちらかというと、言葉を一つ一つ、区切りながら話しがちで、
何かを言い聞かせるような印象を持つ。
よくありがちな、きらびやかな演奏会用のドレスではなく、
西洋の昔の女教師が着ていたようなワンピースの出立に、
授業を受けているような、もしくは、私の横に座っている
ピアノの先生から解釈について説明を受けているような気持ちになる。


ピアノソナタ30番、31番、32番がその日の演目だった。
ユーゴーやシェイクスピア、フィッシャーなどの言葉を引用しながら
丁寧に、熱心に、解説をする、
時間は大丈夫かしら、とこちらが心配になるぐらいに。
話し出したら止まらないタイプの人なのだろう。



わたしも好きな31番について、殊、言葉を尽くしていた。
随分と簡略に説明するならば、各楽章ごとに、ベートーヴェンの善良さが滲み、
彼の人生そのもの、そして病、苦悶と闘いを、表している、と。
ピアノを使った対位法とともに、譜面に残された細かな演奏の指示についても
例を出して丁寧に解説していた。


31番は、生きることへの愛に溢れた曲です、という言葉が残る。

生きることへの愛、などという言葉を口にすることも
文章で書くことも、なかなかないだろう。
そんな、ひどく計り知れないことを
真に知り、感じている人しか、口にすることができない。

理知的な語りの中に、重みと思索に満ちた言葉を挟む。


32番の解説に、耳の聞こえなくなったベートーヴェンが
「永遠を聴いている」と評したユーゴーの言葉を、
そして、楽譜の最後が16分休符で終わる、
人生をかけて書き続けたソナタの最後は、休符なのです、と
ケフェレックは言葉を添えて、演奏した。




最後まで弾き切り、鍵盤から離れて中空でしばらく止まる手のうちに、
長く苦しい、生涯をかけた闘いの最後に遺した、
音のない音へ、耳を澄ませる。

絶望でもなく、救済でもなく、
でも確実に、音の広がる場の、ほのかな温かさを保ったその瞬間、
生きる苦しみや面倒臭さからも、死への恐れからも解かれる数秒があった。
永遠とは、こういうものなのかもしれない、と
いくばくかの片鱗を聴いた気がした。



きっと誰もが抱いているだろう、心の奥底に流れる河へ、誘う演奏だった。
演奏の後もしばらく、その河のほとりに佇む。

時折、そんな演奏を聴くことができる。
そんな時は、しばらく涙が止まらない、歳をとったのだろう。




今年のラ・フォル・ジュルネはベートーヴェンだった。
(フォルはフランス語でクレイジーという意味があるから、
こんな朝早くから演奏することになるのだろう、と
ケフェレックは冒頭、真面目な顔で冗談を口にしていた)

前日は、アブダルラハマーン・エル・バシャのピアノソナタを聴いていた。

レバノン人である、というだけで、どこか親近感を覚えて、
アルバムをいくつか聴いていたけれど、
やはりアラブ人のバッハは、私としてはしっくりこなかった。
フランスものがよく合っている印象を、個人的には持っている。

彼のベートーヴェンは聴いたことがなかったので、興味があった。

エル・バシャは思っていた以上に、線の細い人だった。
こういう人、どこかで見たことあるな、と思う。
おしゃべり好きが多いアラブのおじさんたちの間で
会話にずっと耳を傾け、時折、何か関心のある話題になると
静かに、でも熱心に語るタイプの人。
あくまで想像の域を超えないけれど。

はじめの印象では、構築感の強い、がっしりとした演奏なのだけれど、
熱情の途中から、奇妙な建造物がぼんやりと見えてくる。
積み上げるのには、いくらか歪な大小さまざまなキューブが
並べられ、積まれ、高くなっていく。
外からだとシルエットは有機的なのだけれど、
何かが、決定的に、収まらない。

そんな建造物の面白さも、もちろんある。
どこか終始、苦渋のようなものを抱えながら
細い身体でピアノと格闘しているようにも見える姿とともに
その建物が、しばらくの間、頭の中から消えなかった。


翌日、エル・バシャの皇帝も聴く。

前日の印象よりも、よほど風格を身にまとい、颯爽と登場した。
皇帝の持つ伸びやかさは控えめな感があったけれど、
軽やかさとともに、前へ進もうとする歩みの力が伝わる演奏だった。
その皇帝は、孤高ゆえの翳りを隠し持ちながら。

前日のキューブは低い中空で、重力を感じながら
あるべき場所に浮いていた。



ベートーヴェンはそれなりに弾いたけれど、ただ譜面から浮かび上がる
密やかな激しさが欲しいときしか、手を出さなかった。
どれだけ弾いても、例えば、まだ小学生だった兄が弾く
エリーゼのために、の小さな曲の中にどこからともなく漂っていた
陰陽のようなものを自分自身は、出せていなかったと思う。



ある作曲家の人生の歩みに寄り添いながら、生まれてから起きた
出来事やそれに伴う感情の揺らぎを追随し、
さらに、自らの感性と譜面を読む明晰さを問いつつ、
形なく消える音を奏でる音楽家の人々の、
あらゆる業を内包するさまを思う。

時折、裏若くして汲み取る音楽家もいて、
その感性の鋭さ細やかさに舌を巻くことがある。
その人格からは、どこからも重さや暗さは感じないのに、
ひどく情緒的な演奏する人もいる。

そして、歳を経て、光と翳りを経験したのち、
それらから得てきた愛情と苦しみと明るさを心の深みに抱き、
音にする音楽家には、影の濃い、静かな彫像のような
底の知れない深淵がある。
空間は、ほの温かく、遠くに柔らかなあかりが灯る。



その深淵には水が絶え間なく流れ、
誰かの心の中のささやかな流れに気づかせ、もしくは、
誰かの強く鋭い流れと交わり流れを穏やかにし、もしくは
誰かの澱んだ河面に細かな漣の煌めきを生み出す。

辿り着いた心の河のほとりで、
誰かが渾身の力を絞りながら生み出した曲に込められた
生きることへの愛、のいくばくかの片鱗でも拾ってまた、
日常へ戻っていけたら、たぶん、とてもいいのだろう。



ただ多くの場合、片鱗を携えて日々を暮らしてもなお、
生きることは、ひどくやっかいで困難が多く、
もう諦めてもいいのではないか、と思わせる
怒りや苦しみや孤独がある。

それこそ、ケフェレックが解説した、ベートーヴェンの人生と
わたしたちの人生は大なり小なり重なる。

まだ自分自身が生きることへの愛情、のようなものは
心の底から抱くことはできないけれど、
それでもせめて、他者が生きることへの愛情は、尊く大切なものだと、
いつでも感じていたいとはずっと、思っている


32番の2楽章にアリエッタと名がついていることに、動揺するのです。


作曲家があの楽章に、短く小さなアリアを意味するアリエッタ、と名付けたことへ
思いを馳せ、心動かされる音楽家は、
余計な感傷もなく、冷たい達観もなく、
曲と、曲を作り出した作曲家と、
作曲家を含む業を包摂する人そのものを、
愛しているのだろう。










2023/04/06

深淵で底なしの空間を抱く身体



満月の夜は、散歩に最適だ。

ドビュッシーとフォーレを聴いたあと、
坂本龍一の最後のアルバム、12を聴きながら歩く。
不夜城のような街を抜け、広大な墓地を往く。
リズムのない、真空のような音の中に
規則的に響き続ける息を聴きとる。

最後の、金属のすれるような音に見える
水の煌めきのような、不確実で脆い残光が
墓地の街路樹の、風に揺れる影と重なる。



まったく、性に合わないこの仕事をしながら、
それでもこの仕事を続けるモチベーションを何かに求めるのならば、
教授にいつか会ってみたかった。
(理由はわからないけれど、教授という呼称を久しく、使っている)
創造されるものと社会のつながりについて、
教授の口から、その考えを聞いてみたかったからだ。


トニー滝谷は、邦画で一番好きな映画だ。
映像も言葉も音楽も、余白が多くを語る。

ラストエンペラーは、一時期ずっと、
海外で一人の正月を過ごす時の、
大事な映画だった。
習慣的に、あの長い映画をただひたすら
安いダラットワインか、秘蔵のウィスキーを飲みながら
見続けていた。
見た後しばらく、頭の中をテーマ曲が流れ続ける。
その余韻が、ひどく正月らしくなくて、気に入っていた。



どうにも自分で自分を持て余すほど、心底ひねくれている。

だから、Energy Flowを初めて聴いた時、
無性に腹立たしかった。
土足で、他者の疲れた心身に踏み入ってくる。

商業的に売れるだろう、という目論見の裏に、
でも、本当に心身を疲弊しきった人間が、
何を欲しているのかを見通している。
知らない人に、なぜ心のうちを見透かされる居心地の悪さを
負の感情で、やり過ごさなくてはならない楽曲だった。


在外の夜は、長い。
疲れ果てた、異文化の土地で消耗した神経に、
何か、別の世界がいつも、必要だった。
ネットの動画で、スコラを繰り返し見て、
過去に頓挫した楽理への憧憬を、必死に満たそうとしたりした。
結局、たぶんよく、分かっていない回もあるけれど。

そこから、楽曲をまた聴いてみると、
ドビュッシーやサティの真髄をそのまま引用したような曲もあった。
そして、まったく別の、開かれた音楽の世界を見せてくれる
面白い楽曲もたくさん、存在していた。
だから、小さい頃は、クラシック一辺倒の家庭で、
忌み嫌われていたYMOの試みの新鮮さを
大きくなってから随分と、享受したりした。
一時期、毎朝、いい具合にうわついた
君に胸キュンのPVを見ながら、ふわふわと出勤したりも、していた。





わたしのピアノの先生は、ドイツに留学していたゴリゴリのバッハ弾きだったけれど、
わたしには、フランス音楽を弾かせていた。
こいつにドイツ音楽の何たるかは、わからないだろう、と
見放していたのかもしれない。
わたしの身体には確かに、フランス音楽の方が馴染んだ。

久々、浴びるようにクラシックを聴く機会を持つ時、
ラヴェルやドビュッシー、フォーレを好んで聴くようになる。
だから、教授の曲は、どこか耳の馴染みがよかった。



クラシックに傾倒していた子ども時代から、
音楽の世界の幅広さとその面白さを知っていった10代から20代、
民族音楽に随分と魅了された。
土臭さと、時にトランスに見られるような、地を這うような息苦しさ、
例えばリズム、例えば音階の中に、
音楽の持つ、原始的な不可欠さや喫緊性がある。
もしくは、限りなく快楽を追求したような、たゆたう音の中に
自分のまったく知らない生活、時間の感覚、そして感性があることは
ひどく興味深く響いた。

海外で暮らす時、その土地の伝統楽器を習い、
できるだけオリジナルに近い古い音楽を好んで聴いていた。
(今でも、地方の民謡を巨大な集音器を山奥まで持参して、
音を収集していたバルトークの楽曲が、とても好きだ。)

願わくば、今まで西洋的な世界の中で
存在し、愛されてきた音楽と融合できれば、個人的な趣向からしても
それほど幸せなことはない。
けれども、その作業は往々にして西洋至上主義を
結果的に形にしてしまう作業にもなりうる。
そのせめぎ合いに挑戦しようとするアーティストに、
随分と執着していた時期があった。

教授もまた、わたしの中では、その一人として、
興味を持ち始めたのだった、と20年近く前のことを
今振り返り、思い出している。

民族音楽というアイコンの活用と、
音楽を通した世界の広がりを伝える、
そこに着目し、形にしようとした姿勢から透けて見える
開かれた視点が、人として信頼感を抱くきっかけとなった。



考えてみたら、もう10年以上断続的に、教授の関連動画を見続けている。
実直とも言えるほど、素直な語り口を、気に入っていた。


インタビューからコント、ライブからドキュメンタリーまで
ヨルダンの長い夜と、生気を失った空白の休日に
ただただ、動画を見ながら、ずっと
一体、この人は何の作曲と社会へのメッセージには
どのような関連性があるのだろう、
曲がりなりにも、いわゆる、社会問題の一端に触れる仕事をしながら
ただ、知りたかった。
それは、私自身が、過去に従事していた芸術分野での表現活動と
今の仕事をいくらもうまく繋げられずに、悶々としている現状に
解を見出したかったからなのだと思う。


シンプルに、生きている時代と表現活動を
本来、切り離すことができないのだ、という事実に
日本に帰ってきて、気付いたりした。

奇しくも、仕事に精神面で頓挫して、
どこにいても役に立たない自分の惨めさを、心底味わう日々の中で。





Energy flowを今、あらためて聴いても、
わたしには癒される音楽ではない。
けれども、不可解で矛盾を孕み、収まりの悪い
静かな人の感情の起伏を、音にしているように、思う。
その表向きの軽やかさとは様子の異なる、内に秘めた孤独を見る。


人の人生に思いを馳せる楽曲を提供し続け、
亡くなった時には、自らが作った音楽で、
映画の中の人物ではなく、この作曲家の人生について、
思いを馳せる余白を、残しておいてくれていた。


訃報のあと、SNSにはたくさんの人々が
教授との交流について、触れていた。
わたしの業界にも、お会いしたことがある人が何人もいて、
温かな言葉とフラットな視点、そして
ジャンルの垣根なく人に会うことを躊躇わない人だったことを、
知ることになる。

根本的に人が好きな人物が、こんな音楽を作るのか、と
今更ながら、不思議な印象を持つ。



教授の作った楽曲の多くには、
音の余白の中に、深淵で埋めることのできない孤独がある。
音楽的な趣向や手癖もあるだろうけれど、
おそらく好んで使う音の響きの中に、
とてつもなく空虚で
深淵で底の知れない孤独な空間が見える。


頻度には差があれ、孤独を体感せざるを得ない瞬間は
どんな人にもあるだろう。
少なくともわたしにとって、その孤独を掌の中で、
いくらか客観的に把握するための、切実な道具として、音楽がある。

究極的に、その音楽をどのように享受しているのかを、一人で聴くかぎりにおいて、
いくら言葉を尽くしても、他者には完全には共有しきれない、という
孤独もまた、音楽は知らしめる。

それでもなお、例えば今、こうして
喪失感という孤独の一つの姿を、何とかして誰かに伝えようとする。
そのひどく不毛な作業を、でも、どうしてもしたいのだ、と
奮い立たせてくれる音楽を享受できることに、
一個人として、ただただ、有り難さを心いっぱい、感じている。


そして、なのか、けれども、なのか、
4月2日からずっと、ところどころフランス音楽を挟みつつ
ずっと教授の曲を聴き続け、
ぽっかりと物理的に暗い空間が、
巣喰うように、身体の中にできてしまった。




2023/02/27

戻れる場所をつくる


初めての出張だったな、と思い返している。

一度飛んだら、1年とか帰ってこれない生活を10数年続けていたから、

なんだか不思議な感じがする。


ヨルダンのわたしは、精神的には日本にいる時より、

ある意味リラックスしていたんだと思う。

もっとも滞在中には、ヨルダン独特の、日本では考えられないような

理不尽な事象や、言葉を失う出来事に遭遇していた。

失望の衝撃もいつも以上に大きく、ストレスも相当だった。


けれども、過去に幾度となくそんな状況を経験してきたから、

ものすごくブラックなジョークのパンチ力と

言葉のチョイスをいかに面白くするかに執心する。

人の目をじっと見て手振り大きめ、英語でもアラブ人っぽく話す。

大人には笑顔と真剣な表情を確実に使い分け、

子どもはとにかく笑って見守る。


自分のしたいことをする、

他人にどう思われるかは、気にしない。



基本引きこもりなので、仕事以外ではあまり人に会わないけれど、

近しい周囲の人はわたしがどんな人間かよく分かっていて、

ダメなところばかりだけれど、

いいとか悪いとかの判断はなく、

こういう人もいるよね、と思ってくれている。

だから、わたしも、いろんな人がいるよね、

と近くの、遠くの他者へ、そこはかとなくやさしくなれる。



ヨルダンへ着いた瞬間から、

自分でも呆れるぐらいすんなりと、

慣れ親しんてきたものは、身体に戻ってきていた。

そして、戻ってきた瞬間に思った。


あぁ、わたしは日本から逃避してる。




けれども、慣れ親しんだ安心感とは裏腹に、

ヨルダンにいる自分自身を咎める自分がいた。


他人の目を気にせず伸び伸びできる、という点で、日本よりも居心地はいい。

けれども、仕事や生活の文脈では

自分にできることの限界が見えてしまった。

冒険も挑戦をするにも、自分の立場からでは自由にできない、

その状況にもまた、慣れてしまっていた。


事業は粛々と求められる通り、続けていくことができる。

けれども、多少の波はあれ、ある程度出来試合の様相が濃く、

自分自身ももう、公私ともに、成長できなかった。

そんなヨルダン最後の数年間を、幾度となくまた、あらためて思い出す。




ヨルダンに住んでいた時、心のどこかでずっと、

「仕事がうまくいかなくなったら日本に帰ればいい」と思っていた。

逃げる場所があると。


なのに、いざ日本に本帰国したら、さっぱりうまく馴染めなかった。


すぐポリコレに成敗されるし、

相手が何を考えているか分からないし、

見知らぬ子どもは抱っこさせてくれない。

そして、人生楽しそうじゃない人が多い。


そんな批判的な視点ばかりを持ち、

人生に悲観的になった老人のように、

愚痴を心に溜めがちだったけれど、

でも、自分ではなにもそれに立ち向かう手段をもっていない。


そんな何もできない自分への居心地の悪さもまた、批判的な態度の理由となって、

ますます自分を馴染めなくさせていた。



それでも、仕事柄心底、思う。

自分の国があり、ほとんどの場合、排除されることもない、

そんな場所があるということは、ありがたいことなのだ。

特にこの束の間のヨルダンの暮らしに戻って、あらためて思った。




ヨルダンに住んでいた年月、わたしは心のどこかで、

所詮他人の国である、ということを、言い訳に使っていた。

だから、日本に帰ればいい、と思っていた。

そうやって、都合よく逃げ場所にしてきて、

今更批判するとは、そして

せっかくあるものを大切にできないとは、

随分と格好悪いことを、わたしはしている。



己の格好悪さを、心底認識した、2ヶ月弱の滞在だった。




自分の国の空気がいくらおかしくても、

冷たい人に遭遇しがちでも、

全然社会が寛容じゃなくても、

自分の戻れる場所、であるはずだ。


もし、戻れる場所が住みづらいのであれば、

馴染んだり、住みやすくしていかなくては、

ちょうど12年前、ヨルダンの暮らしを始めた時のように。






2023/02/09

この日のはなし ー 続く雨と、不機嫌さを陳列する棚



雨のアンマンは、冬にしかやってこない。
ブロックか石で作られている建物は、ただただ底冷えがする。
それは屋上に住んでいても変わらなくて、
ただひたすら、暗い空と、身体を震わせる鳩と、
雨や雹が屋根や窓を打つ音を、聴き続けることになる。





地震のニュースが入った日、わたしも早朝に揺れを感じる。
明らかに、地震の揺れだったけれど、夢うつつの中、
地震など、この土地にはない、という頭が先行して、
長い揺れを感じながらも布団から出ることはなかった。


経験的に、地震の揺れがどのようなものなのか知っていると、
結果的には布団を出なかったけれど、地震なのではないか、と
思い当たることもあるだろう。
けれど、朝仕事場へ行くと、誰もが揺れなど感じなかった、と
口を揃えて言いつつ、不思議な表情でわたしを見ていた。

住宅の作り方だけで言ったら、ヨルダンよりトルコの方がいいだろう。

ベトナムに住んでいるとき、建設途中のマンションのコンクリが
ほとんど芯もないまま、板で仕切った隙間に流し込まれているのを見て、
信じられない、と目を疑った。

けれども、慣れというのは恐ろしいもので、
ヨルダンでも2、3階建であれば、細い鉄芯こそあれセメントをつなぎに、
ブロックが積み上げられていく様子を見ながら、
まあ、こんなものなのだろう、と驚くこともなくなった。

ただ、ベトナムでもヨルダンでもいつも、
子どもの頃によく読んだ、3匹の子豚の挿絵を、思い出すことになる。


ここでもこんなに寒いのだから、もっと雪が多く寒さの厳しい土地で、
家を失った人々のことを思うと、心の底から寒さが滲みてくる。

自分の仕事では被災地支援は実施しないので、
サイトでとにかく、寄付先を探す。
オペレーションを知っている身としては、
こんなとき、お金の大切さがよく、わかる。


なにせ、雨季は冬にやってくるヨルダン、
2月からの新学期は雨とともにやってきて、早々に学校が休校となる。
その決断が雨ばかりの日本からくると、大袈裟に思えて、
南の島のハメハメハ大王、の歌詞を思い出しては
雨で学校が休みになるたびに、その歌を歌っていたけれど、
実際には、降り続く雨の状況は、都心で雪が降るようなもので、
すっかり街中が混乱してしまう様子を経験して、
休校は致し方ないのかもしれない、と諦念とともに受け入れることになる。

昨日も今日も明日も、学校は休みになる。


確かに、先日のキャンプ、片方落としたサンダルを拾おうとしたら、
プラスティックのサンダルの踵にはすっかり、穴が空いていた。
これでは、学校へ行くのも寒くてたまらないだろう。




子どもの成長は早いから、いちいちサイズの合う靴を買う出費を思ったら、
サンダルの方が都合がいい、という考えらしい。
靴下があるのは、まだマシで、靴下もなく、サンダル履きの子も
少なからずいる。

こんな寒くて学校もない日、きっと子どもたちは部屋の中で
寒さとつまらなさに不機嫌になっていることだろう。
せめて、美味しい料理を食べられるおうちだったら、いいのだけれど。



わたしもまた、自宅勤務をする。
わたしこそ、寒さと仕事の進まなさに加え、
わかっていたけれども、地震の被害拡大のニュースに胸塞ぎ、
一人勝手に、不機嫌になっていた。

気をしっかり持たなくては、と、ホーチミンで毎朝聴いていた、
グールドが演奏するハイドンのピアノソナタ42番を流す。
さりげなく手をかして支えてくれる、朗らかな旧知のともだちのように
さっきまでの不機嫌さが、少しずつ形を成して制御可能になり、
不機嫌という名の棚に整理し、陳列し、眺められるようになる。


部屋は寒いけれど、電気代も高いので、
ハロゲンヒーターを机の足元に入れ、机に布団をかけ
簡易なこたつを作る。
けれども、上半身が寒くて鼻がつんとするので、
机の下、狭い空間に体とパソコンを入れ込む。

子どもの頃、家のカーテンを椅子にひっかけてテントの形にして
キャンプごっこをしたのを、思い出す。

こんな日は、まさに美味しい食事でも作っていただくに限る。
下味をつけておいたラムチョップを焼き、
野菜を蒸して付け合わせにする。

調理をすると、コンロの火で部屋が暖かくなる。
窓を覆う結露は、部屋が暖かくなった証拠だ。
今日という一日、仕事は進まず、現場にも行けず、
大していい思考も働かず、何もできていない役立たずのわたしでも、
料理を完成させることはできた。
料理の偉大なところは、生産性が高く、さらに
時間をそこまで費やさなくても、きちんと完成すること。




ラムは塩麹につけた下味がよく染みていたし、野菜は甘い。


それから、パーヴォ・ヤルヴィの指揮する
ハイドンの主題のための変奏曲を聴く。
ティンパニの軽やかさと弾力、テンポの緩急とその適切さ、
弾けるような明るさにあふれた最後の方など、思わず笑みが漏れる。

夜もすっかり更ける頃、やっと、
いくらか心持ちが悪くなくなる。
寒さは心底染みるし、ハロゲンヒーターに当たっている
身体の一部しか温かくない状況にも慣れて、
電気があることのありがたみを心底感じながら、
一つずつ、不機嫌なものが何だったかをあらためて、眺める。

まずは寄付先を決めてクラファンに参加し、
明日の仕事の整理をし、ある程度当たりをつけて文書を作り、
きちんと乾かせる洗濯物の干し方について、
あらゆる想像に頭を働かせる。



2023/02/05

砂塵と鳩の舞う土地 ー 変わっていくもの 変わらないもの

 

朝から落ち着かなかった。

東の窓から見える空は、燃えるように稜線だけ、赤い。



久々のキャンプには、不安材料がいくつかあって、
それらはわたしがどうにかしたら、克服できるものでもなかった。

心を凪のように鎮めるために、何度か繰り返し
亡き王女のためのパヴァーヌを聴いていた。
サロネンが指揮するオーケストラ編成には
旋律の美しさだけではなく、和音の膨らみと翳りがある。
弦のピッチカート、オーボエの乾きと潤い、
フルートの煌めき、ハープのみずみずしさ、
ホルンの丸み、上質な絹をそっと撫でるような、曲の終わり。
その音の一つ一つを愛でる作業をすることで、
すこしずつ、不安が薄らいでいく。


約1年ぶりのキャンプの景色は、
ほとんどわたしの見知っているものと変わらなかった。
雨にぬかるんだ空き地、泥の跡が線を引くコンクリートの道、
老朽化して疲れたキャラバン、空を舞う鳩、開けた空。

ロバ車を彩る模様には、見慣れないものもあった。
色鮮やかな花々を彩った、かわいらしい荷馬車。
プレハブの家々には青いプレートで番号がふられ、
通りを示す緑色の標識も立てられていた。
けれども、その他に目新しい変化は、見つけられない。


変わらないことが、けっしていいわけではないことを
わたし自身が自分の生活の中で、ひどく腑に落ちてわかっているだけに、
明るい空の下、まるで、
変化というものに見放されてしまったかのような情景を、
どのような思いで見つめたらいいのか、戸惑う。



学校へ行くと、新学期を迎えて久々に会う顔ぶれに
顔を輝かせながら話に花を咲かせる女生徒と女性の先生であふれていた。
新学期の始まりは、挨拶から、そう決まっている。


点在するプレハブの教室の間を歩いていくと、
子どもたちが挨拶をしてくれる。
丁寧に話をしてくれる子、10歳ぐらいですでに
おばさんみたいに腕を叩いてくる子、
韓国語で話してくれるけれど、分からなかったり、
早口で矢継ぎ早に質問をされたり、
根っこから抜き取ったマリーゴールドをプレゼントしてくれたり、
腕を組んでこようとしきたり、
こちらの話をただじっと、遠巻きから見つめられたり。





よく知っている男の子にそっくりの女の子がいたら、
兄弟だから、とりあえず、お兄さんは元気か尋ね、
大人びた振る舞いに変わった女の子には、
きれいになったね、と声をかける。

新しく配布されたバックパックには、もう
UNICEFもサウジアラビアもロゴを入れていなかった。
とても、いいことだ。


6年生の子たちのほとんどを、わたしは知らない。
6年生の教室に入ると、みんな興味深そうに
穴でも開けん勢いで、こちらを見つめてくる。
この視線もまた、随分久しぶりで、これは
日本にはないものだった、と頭の片隅で思う。

先生たちも元気そうだった。
家族の様子を一通り尋ね、
いつも通り、仕事の話を少しして、それから、
ぽつりぽつりと、近況を聞く。
胸塞ぐものもあれば、ふわりと心温まるものもある。
おしゃべり好きな人は話し続け、
物静かな人は笑いながら話を聞く。

女性たちの会話の雰囲気は、以前より良くなった気がする。
いくらか心配していたことが、
ただの杞憂に過ぎなかったことに、安堵する。

勤務時間が終わると、だれもがあっさりと帰っていき、
入れ替わりに男の子たちがやってくる。


男の子たちの方が、午後でモニタリングする時間が長かったので、
こちらもよく、顔と名前を覚えていたりする。
久々の顔が、けれども、記憶していた面影から
すっかり大人っぽくなってしまったのに、
ただただ、感心する。
こちらはさっぱり成長もせず、ただ年をとっていくだけだけれど、
子どもたちは見えない力を体に溜め込みながら
どんどんと大きくなっていく。

髭が伸びたり、にきびが出てきたり、
髪にジェルをつけたり、奇抜なジャケットを着たり、
姿を変えた子たちが、でも、低い声で相変わらず、
少しアクセントのおかしなわたしの名前を連呼する。
見た目の変化には気づきやす。
きっと、心の中もまた、わたしには見えていない何か、
大切な変化があるだろう。

教室の落書きは数が増えたけれど、BTSの数は減り、
ビー玉を持っている子は見せてくれて、
多くの子はサンダル履きで、
小石を投げて遊び、調子に乗ると喧嘩になる。




よくわたしの相手をしてくれていた子が、校門からこちらに向かって、
走ってやってくる。
彼の中で、わたしの名前は、とぅぐどぅがぁ、だ。
なぜそうなったのか、さっぱり分からないけれど、
発音に難しさがあるその子には、この音の響きがちょうど
わたしらしい、ようだ。

なぜなのか本当に、会えたのが嬉しいようで、ずっと
そんな気持ちが、不自由な身体の全体からふわふわと出ていた。
あぁ、こうやって誰かの、他者と会った喜びが滲み出てしまうような様子を
見ていなかったな、と思う。
そんな人の様子が見られただけでも、ただただ、ありがたかった。

身長も声も目の輝きも、何一つ変わらない。
ただ、少しだけ走るのが上手になった。


ぼんやり教室の外にいると、人だかりができてしまう。
けれども、ここに来たのは子どもの様子を見るのが一番の目的だから、
迷惑は承知の上で、会う先生方に挨拶と詫びを繰り返しながら
とにかく子どもたちの様子を見ていた。

家に遊びにきて、と言ってくれる子どもや先生たちに、
いつ行けるのか、真剣に頭の中で予定を探りながら、
次にね、というと、本当に次には行かなくてはならないので
どうしようか思案をしていたら、いんしゃあっら、と同僚は言う。
なるほど、そういう用法だった、と気付かされた。


最後に会ったのはコロナ禍、外の畑で収穫の仕事をしていた子が
学校に来ていた。
学校にはもう来ていない、けれども、友達に会いに来た、という。
教室には留まれないほど、エネルギーで溢れかえっている学校に
彼がやってきても誰も、咎めたりしない。
開かれた場所を作り出している、この絶妙ないい加減さに
心のどこかで、胸打たれる。

友達とプレハブの入り口の手すりに座って、
じっくり話をする彼の後ろ姿を見ながら、帰路に着く。

どうにもお腹が空いていた。
キャンプの中の、大好きな鶏屋さんに寄ってもらって、
丸焼きの鶏を買う。
この店のソースは、どこの店とも違って、本当においしい。
魔法のソース、と勝手に名付けているこのソースが何でできているのか
どうしても知りたくて、しつこくお店に人に尋ねる。
言われた材料を復唱するたびに、あらたな材料が追加される。
これでは、いつまでたっても材料はそろわなさそうだった。


帰りの車の中で待てずに食べてしまう。
味が違っていたらどうしよう、と、そんな必要もないのに、
なぜか急に不安になる。

けれども、ソースの味は、前よりもさらに、美味しく変化していた。
ぱりぱりの皮をほおばりながら、
この味の美味しさが変わっていなかったことに、満足する。


帰りの道に見える景色も変わらず荒涼としている。
その寂寥感の漂う景色にもまた、さまざまな思い出があるので、
何気なく、映像を回していた。

低い雲が地面に影を落としながら流れていく様子に、
けれども、今までよりもどこか肯定的な、愛着のようなものを感じる。
そんな自分の変化が、朝の不安から来ていることに気づき、
ひとり思わず、苦笑してしまった。
不安が消えれば、見える景色も違ってくるわけだ。

頭の中で再生される亡き王女のためのパヴァーヌだけは、
朝と変わらず、繊細でみずみずしく、
水分をすべて吐き出してしまった土漠の大地に、
ひどく不釣り合いだった。