2020/03/08

やさしさの先に


やさしさ、美しく穏やかに見えるこの言葉について
それなりに考えたりしたことがある人は、
少なからずいるのではないか、と思っている。
語感にあたたかさを保つから、
文脈によっては、字面を見ただけで、
私も、時に安心したりする。

谷川俊太郎の「これが私の優しさです」とか、
フィリップ・マーローの名言、
「タフじゃなければ生きていけない、やさしくなければ生きてる資格がない」
みたいな、いろんなやさしさが、あるもの。

もし、やさしい人、が、心温かい親切な人であるならば、
そういう人に、私もなりたい。

やさしさは欲しい。自分にも、他者へも。
やさしさが溢れる時のあの、感情の緩やかな高まりや、
心が温まる感覚を抜きに、暮らしていくのは辛い。

でも時に、罠が潜んでいたりする。
やさしさに溺れ、甘え、
やさしさを押し付け、売ったりする。
感情に訴えるところの多い使い方が、あったりするのを考えると、
実のところ、かなり配慮して使わなくてはならない言葉だった。

なぜこんなことを書いているかというと、
広義に使い過ぎてしまったな、もしくは、
感情に訴える要素を出して使いすぎてしまったな、と思い当たる節があるからだ。

仕事の文脈の中で、共感について考えることが多々あるのだけれど、
やはり、共感もまた、感情的な部分に留まることが多い、というのを、
人との会話や自分の経験の中から、実感してきた。

だから、分かりやすく心動かされるものには、共感していただけても、
イメージがつきづらい場面になると、
さっぱり何にも、反応してもらえない、などということも少なからずあった。

そんなに共感がほしいわけではないけど、
分かち合う感情がないと、私も含め、人は動かなかったりする。

それから、やさしさがないと、
共感は負の感情からしか、もしくは、
自分の経験したことのある感情からしか、生まれてこないことになるだろう。

やさしさのない世界の共感は、窮屈だ。


日本語には、思いやり、という言葉もある。
どちらかというと、この言葉の方が
私が頭の中で漠然と持つ、やさしさのイメージに近い。
けれども、子どもの時分に道徳の授業で、
「重い槍」という字面を見てから、
使うのを躊躇してしまう傾向にある。


先日、日本語の教育関連の資料を英語にしながら、
thoughtfulとか、considerateの方が、
少なくとも思いやり、という語感には合っていることに、
ひどく納得する。
日本語にすると、思いやり、やさしさ、であると同時に
思慮深い、とか、熟考した、という意味。

あくまで言葉からのイメージと、私なりの認識だけれど、
なんとなく、一般的にやさしさは、ベクトルが自分発信、
considerateは他者の立場から考える、という
違いがあるように思える。

ただ、誰かの立場を想像できたとして、
完全にその人になることなどありえないし、
思いやる私、という存在を、徹頭徹尾消し去ることなど、
私を含めほとんどの人にとって、不可能だ。

そんなことはない、と言う人ほど、危険だと思っている。
あなたの気持ちがとてもよく分かる、と言う人とか、
寄り添いたいんです、と言う人とかも。

私は性格が悪いので、私のことを知らない人や、
伝えていることをよく分かっていない人が
そういうことを言うと、ふむ、と思う。

そういう人は、元々はやさしい人たちだ。
だから、究極的に分かり合えないし、寄り添い続けられないという事実を、
よく考えずに、言ってしまうのだと思う。
そして、そう口にすることで、嘘つきになってしまう。
だから、そのやさしさだけは感謝し、
結局あとは、こちらが口を閉ざすことになる。


あなたと同じ視点や立場に重ねて熟考(consider)し、
それでも、あなたの必要なことを私ができるならば、
手を差し伸べるのでも、助言をするのでも、
たとえ傍観するだけでも、行為にするのが
本来、思いやり、になるのかな、などと、
いくつかの言葉をこねくり回していた。

もっともこの場合、思いやりは、相手の性格や置かれた状況を
よく把握していてこそ、成立する。
相手が話したくなければ、ほわっとしたやさしさは届けられても、
思いやりは、本来、届けられないはずだ。


落ち込んでいる時、察してくれた知人たちが、
ロバート秋山のクリエーターズファイルを送ってくれたり
高木正勝のサントラを送ってくれたりして、
そんな、ふわっとした感覚的なやさしさの方が、
実は、抱える確信に触れるよりも、ありがたかったりすることもある。


でも、本当に思いやりという助けが必要なときには、
こちらも、詳細を冷静にきちんと、伝えなくてはならない。

やさしさの先に、
知りたい、分かりたいという思いが出てきて、
その次に、その素材を使って考える作業があって、
もう一度、自分のできる思いやりを、考える。
そして、自分の持てるやさしさを、見つめ、抱き直す。
相手が、社会がやさしさ以上のものを求めているのであれば、
感情的なやさしさから、
核のようなソリッドな思いやりを生み出すプロセスを
持っておくべきだった、と反省している。





「やさしさに溢れた世界」を、夢見ないわけではない。
ほわっとしていたって、いい。
特に、こんな時だから、よく正体の見えないやさしさでさえ、
あってくれたらいい、と思う。

でも、だからこそ、やさしさの先には、
considerateな姿勢で、頭をクリアにした、
適度に冷静な思考が、必要だ。

やさしくない私が、あまりやさしくない世界、という地平に立って、
でも、どうにかならないものか、とか、
自分自身、変われないものか、とか、
何が分かりうる、できうる最善の行為なのか、
悪い頭を掻きむしり、想像し、もがけ、
そういうことなのだと、思う。

2020/02/12

身体の中に、静かな湖を抱く


チェーンスモーカーだった大学生の頃、
よく休憩中、一緒にタバコを吸っていたモデルさんがいた。
すらりとした立ち姿のきれいな人で、
仕事としてきっちり、何時間でも
同じポーズを取ってくれる人だった。

休憩時間をともに過ごして仲良くなったからか、
学生で貧乏だからシケモクも厭わない私を不憫に思ったのか、
モデルさんが大学に来る最後の日、
かっこいい油紙の袋に入った
30種類以上のタバコをプレゼントしてくれた。
池袋のタバコ専門店で、
棚の端から一つずつ取って、とお願いしたらしい。
いつも通りの、いくらかアンニュイで重めの声、
ニヤッと笑いながら、密やかに興奮する私の顔を眺めつつ、言う。

なんだか、静かな感じがしたのよね。
しん、とした湖みたいな感じ。

モデル台の正面が私のところに来ると、
他の同級生がバシバシ粘土を叩きながら、一生懸命作っている様子とは、
どこか違う空気があった、らしい。

不真面目に仕事をしていたわけではなかったし、
むしろ恐ろしく不出来な学生だったから、必死だったはずだ。

ただ元来、動的なものよりも、静的なものの方に、
より魅力を感じていた私には、
なんだか、とてもありがたい言葉のように思えた。

それから制作の時には、身体の中の静かな湖、を夢想して
時折、ひっそりとした湖畔で眺めたりしていた。
あくまで、近視眼的で、凪いだ湖面の映像。

そこは、例えば彫刻を一つ作るのにかかる、膨大な時間を支えるだけの
表現対象への真理を冷静に、でも、温度を持って模索するための
大事な場所だった。




ありがたいことに、ここは全く変わらず安定しているけれど、
年が明ける頃から、近くも遠くも、ざわつく。
目を疑うニュースが飛び交い、
心塞ぐ言葉を浴びせかけられ、
理不尽な事象を、苦しみと涙の滲む話を、
見聞きし、体感する。


こちらへ来て、5年ぐらいは、
怒りが、仕事の原動力だった。

理不尽な思いをし続ける
弱者と言われる人たちがいて、
その人たちを蔑む人たちがいて、
でも弱者と言われる人たちも、時に嘘をつき、
その嘘は理不尽が言わせていて、その理不尽はすべて、
例えば、わたしや、あなたや、弱者と言われる人たちや、
わたしのごく近くにいる周りの人や、会ったこともない人や、
国や民族の、小さな保身と欲の積み重ねから、きている。

構造がぼんやりと形をなして立ち現れる。

誰にお願いされているわけでもないのに、
怒りに任せて正義を振りかざしながら、
仕事を続ける私が闘う相手は、
ありたいていな表現だけれど、
途方もなく巨大な何か、もしくは、自分自身だった。

頭が悪くて地図も読めないまま、ふらふら歩いていて、
気がついたら、底の見えない崖の淵に立っていた。
こんなところで、言いようもない怒りと諦めに疲弊しながら、
立ち続けるなど、気が小さくて、すぐ心折れるのに、
耐えられる気がしない。

もし、仕事を続けるのであれば、怒りではなく、
違う何かを手に入れなくてはならない。
その何かが分からないのであれば、辞めた方がいい。

それから、ある意味逃げでしかないことは、分かっていたけれど、
とにかくよく、笑うように心がけた。
たぶん、過去の自分を知っている人ならば、驚くほど、
よく笑うようになった。
笑い飛ばしたり、笑ってごまかしたりすることは、
昔からよくしていたし、今でも、せずにはいられない。

けれどそうではない、心を善的な何かで埋める作業が、必要だった。
自身にも、世の中にも、黒い影がちらつくならば、
せめて自分の中の影と同じだけの、優しさが必要だった。
だから、近くにいる慈しむ対象にはできる限り、笑いかけることにした。

不思議なもので、そうすると本当に、
何かを慈しみ、愛しむ感情が、でてくる。

自分が優しさを抱くことで、見える世界も、幾分変わってくる。
些細なことにも、優しさを見つけられるようになったし、
怒りを散らすことが、できるようになる。

理不尽を生きる人々からの優しさは、
殊、怒りではない何かへの転換方法を、
示唆してくれた。

冷静に見れば、当たり前のことだけれど、
怒りから救ってくれる、人の優しさは、
一過性でしか、ない。
悲観的な話ではなく、事実としてシンプルに、
消費し、消費されるものだ。
人の優しさに永遠はない。

たぶん、きらめく草の曲線や、
季節が巡るたびに、愛でることのできる花や、
不動の石や景色の方がよほど、
変わらぬ優しさを持っている。

それでも、自分が持ち得る限りの優しさを、いつまでもいつまでも、
誰かへ与え続けなければ、
誰かから生み出される優しさを敏感に感じ取り、
しばらく餌にありつけなかった猫のように、貪らなくては、
暮らしていけなくなってしまった。


たぶん他の人はとっくに知っている、いくつかの事実と、
それを受け止めてきちんと、胸に納めてこなかった自分の怠慢に、
最近ようやっと気づいて、
いくらか動揺し、その波も去った後、
客観的に、思った。

一体、私はこんな世界で、何を携えて生きていけばいいのだろう。




先週の深夜、調子の悪いパソコンの整理をしていて、

昔作った話を、見つける。






口にしたことは本心のはずだったのに、
言った瞬間、その言葉がいつかはおそらく
嘘になってしまうことを悟った男が、
森の中の静かな湖を、心の中に見る、という話。


とっくに忘れ去っていた湖のことを、
ふと、思い出す。


そして、いろいろ見聞きし、体感したけれど、
ただ混沌に身を置いているだけだな、と思う。
きっと、世の中はいつも、混沌としているのだろう。


たとえそれが、酷なものであっても、光あるものであっても、
あらゆる事象の中に存在するはずの、
欲でも保身でも、一過性の優しさでもない
芯のようなものを、見極めたい。

それこそ、雲を摑むような話だけれど。

今、携えられるものはその、湖ぐらいだ。

凪いだ水面を、懸命に思い描きながら、
できるならば、幾らかでも落ち着いて、
自分と自分の周囲が抱える混沌と、静かに向き合う場所を、
大切に、取っておくことにする。





2020/01/21

手をつなぎましょう


東京というところは、本当にいろんな人が、いる。
こんなに寒いのに、道端で一人座り込む若者とか、
携帯を見ながらポテトを食べてるきれいな女の人とか、
図らずも蹴ってしまったら、ポンと飛んでいきそうな、
ボールみたいな小さな犬を散歩させてる西洋人とか、
駅の構内で足を投げ出して、泣きながら電話している女の子とか、
よくわからないことを、ずっと一人話し続けながら歩いている初老の人とか、
どんなすてきなことなのか分からないけれど、ずっと笑っているおばあちゃんとか、
金属をありったけじゃらじゃらさせながら歩く青年とか、
全身で云百万もする服や貴金属をつけたおばさんとか、
ずっと知らない言葉でチャットをしているアジアの外国人女性とか、
携帯ゲームに夢中になっている新入社員っぽいスーツの男性とか、
ずっと髪をかきむしりながら、携帯を見つめている中年男性とか。

かくいう私も、携帯をいじりながらとぼとぼ歩く。
大方いつも、場所が分からないからなのだけれど。

東京は、一人で居る人が、あまりにも、多い。
ヨルダンでも、私は大体一人で行動しているけれど、
周囲は二人か三人か、それ以上でつるんでいる人たちばかりだ。

だからか、私自身は変わらないのだけれど、
なんだかとても、さみしいところのように、思えてくる。


帰国時に一番温かいところは、コインランドリーだ。
ヨルダンにもコインランドリーがあったらいいのに。

借りた家の日当たりが恐ろしく悪くて、
朝なのか夜なのかも分からない。
洗濯物の乾く気配が全くしないので、
コインランドリーへ行く。
コインランドリーが近づいてくると、
生暖かい風の、いい匂いがする。






平日なのに、こんなに盛況にコインランドリーが回っているのか、
呆れながら、自分の順番を待っていた。
同じく乾燥機を待っていた先客の女性が、
終わった乾燥機の中身を取り出していた。

どうも、自分のものではないらしい。
あなたのじゃ、ないわよね、そう英語で、訊かれる。
私のは、これだから、と、巨大なバッグを見せる。
終わったら取りに来ないと、ダメよね、
そう言いながらアジア人の女性で、手慣れた風に洗濯物を折りたたみ、
かけられた袋に入れていく。

彼女はまだ3袋も持っていた。

ぽつぽつと、会話をする。

どこの国から?とか、仕事はどうですか?とか。
大量のシーツとタオルから、家政婦さんだと、分かる。

日本での仕事はいいですよ、きちんとしているし。
コミュニティはあるの?
ここらへんじゃ、あまりないけれど、
目黒の教会に日曜日行けば、
友達に会えるんです。

向こうも、なんでこんな時間にこんなところで、
話を続けようとする日本人がいるのか、
疑問なようだった。

今日はやっとお休みで、洗濯物を乾かしたくて。

ここに住んでいるんですか?
いや、普段は日本にいないんです。

どこに住んでいるんですか?
ヨルダン。フィリピン人の人もたくさん、働きに出てますよね。

ヨルダンにも、フィリピン人女性はたくさん
家政婦として働いている。
家の近くには、フィリピン人コミュニティがあるから、
私の買い物は、その中にあるスーパーで済ませている。

彼女たちは明るくて、みんな友達同士でつるんで、
買い物をする。
フィリピン人コミュニティ界隈へ行くのは、
なんだか、居心地がいいのを、思い出す。

でも、彼女たちの仕事環境は決して、良いわけではないない。
パスポートを取り上げられて、自由に行き来できなくされたり、
労働ビザ取得の手数料を、仲介屋から法外に取られたり、
勤め先の雇い主に乱暴をされたり、
乳幼児からやんちゃな年頃の子どもたちを
一気に任されたり、する。

それでも、自分の国で働くよりは稼ぎがいいから、
外へ出ていく。

そんな女性たちの話をしていたら、なんだか熱が入ってしまって、
必死に説明してしまっていた。

ところで、何の仕事をしているんですか?
NGOで働いていて、難民支援をしているんです。

違う国に住むって、難民の人たちも一緒ですね。
なんだか、大変ですよ。

おそらく、同い年ぐらいのその、フィリピン人の女性は、
ふっと、切なそうな表情で、笑う。

大変ですよね、と、答える。そう、大変。
でも日本もなんだか、大変な気がする。
そう言おうと思って、やめた。

コインランドリーの中は暖かいから、
扉が開くとすぐに、分かる。
冷たい風が目に見えるほど鮮明に、感じられる。

入ってきた人は、たまたまなのか、フィリピン人の男性だった。
おそらく、タガログ語であろう言葉で、会話が始まる。


コインランドリーがくるくる回るのを、見るのが好きだ。
いつのまにやら洗濯ネットが破れてしまって、
下着もくるくるぴらぴら、回っているのに気づく。
これは、隠すように、乾燥機の前に仁王立ちになるしか、ない。

背後では、聞き慣れた、とまではいかないけれど、
時折耳にする言葉がぽつぽつと、低く、高く、絶え間なく続く。

一通り話が終わったのか、フィリピン人男性は、
空の袋を手に取るのが、乾燥機のガラス越しに、見える。

振り向くと、店を出る前の男性が、
フィリピン女性の手をふっと握って、
じゃあ、と出ていった。

そんな文化はあったかしら、と、思う。
でも、なんだかすごく、自然な感じだった。
そして、コインランドリーに向きなおる彼女の顔は、
とても優しく、静かに微笑んでいた。

ちょうど、ぶらんこ乗りの話を読んでいた。
ずっと空中で暮らし続ける、サーカスのぶらんこ乗り夫婦は、
嵐の日、動物たちが啼き続ける声を聞く。
不安だから、手をつなぎましょう。
だけれど、ずっとブランコの上だから、
行ったり来たりしながら、一瞬手をつないで、
また離さなくてはならない。
だから、彼らは一晩中ずっと、ぶらんこを揺らし続ける。


結局私の方が、先に乾燥機が止まり、
必死で下着を隠しながら、袋の中に洗濯物を入れる。
じゃあ、と、一応フィリピン人女性に挨拶をする。
手を出したかったけれど、やっぱり違う気がして、やめる。

荷物を抱えながら、仮住まいへ戻る。

それから、フィリピン人っぽい人を見ると
別れ際に握手をするのか、気になってしまって、
やたら注目したり、している。
でも、今のところまだ、あれ以来、そんな様子を見ることはない。



2019/12/10

走りながら、生き死について、ぼんやり考える


ヨルダンで一番注意しなくてはならないのは、交通事故だ、
そう、いつも走りながら、思う。
とにかく気をつけろ、と、自分に云い聞かせている。



でも同時に、考えるうる死に至る可能性とその状況の詳細について、
想像しながら、走ったりする。
備えあれば、憂いなし、などと思い、
いや、こういう思考回路に当てはまらないな、と
走りながら、鼻で笑ったら、鼻水が出る。


決して、健康志向で走っているわけではない。
一見、健全に見える行為をしているのは、
精神のみ、消耗する日々の中で、
走るのも悪くないだろう、と思い直したからだ。

けれども、結局こんなことを考えているのだから、
性の根がとことん、腐っているのだろう。

ついでに、気づいたら、
不慮の事故か、自ら命を絶った人たちの音楽ばかり聴いていて、
なんだかな、と思いつつ、
走りながら、ある程度冷静に、
記憶している彼らの死に様について、
あぁ、もう走りたくないな、と身体の声を聞きつつ、
思い出したりしていた。

彼らは、いい音楽を作ったから、
その死に様を思い出す私のような赤の他人が、存在する。


人さまには、それなりにまともな仕事のように思われることを
器でもないのにしている。
他人には、描き得る、幸せな生き方をしてほしいと
心から思う。特に、子どもたちには。
それは、本心だ。
ついでに、犬猫、小鳥にネズミまで、
命は大切にしなさい、と子どもたちには、云い聞かせている。

けれども、自分に関しては、
あえて語弊を気にせず、正直なところを云うならば、
そこまで、生きることに消極的でもないけれど、
取り立てて積極的でもないのかな、と
かなり信憑性高く、思っていることを、
最近、実感したりした

その事実を、なんとか肯定的に捉えようとして、
ある意味、思考とは逆説的に、結構必死で、走っているわけだ。


理不尽と不平等ばかりしか見えない世界の中で
無視され、抹殺される死もある。
それから、どうしてこんな目に遭ってしまったのだろう、と
偶然と不幸が重なる死もある。
どちらも、私の周辺ではかなり当たり前に、ある。

命の価値は同じだ、とか、命は平等にある、
ということが、揺るぎない世界の信条であるならば、
自分の命もまた、同じ世界の、同じだけの運を持つ状況下で、
本来、語られるべきものである。

でも、実際は違う。
殊、生きる世界については、決定的に異なる。
たぶんよほどお気楽な人か、傲慢な人でもない限り、
違う、ということにもまた、
うっすらと、もしくは、骨身にしみて、感じている。

まともな世界にいる人たちは、
あぁ、良かった、こんなちゃんとした世界の中に生きているのだから、とか
それでも、この社会のここに、改善の余地があると思う、とか
彼らはもっと、問題意識を持って声を上げなくてはならない、とか
お金に困らない暮らしができているのだから、
そんな理不尽な状況にいる人たちを助けなくては、とか
思ったりするのだろう。

そして、骨身にしみている人たちは、
理不尽な社会への悪態もつき切って、疲れ果てている。
なぜなら、あまりにもどうにもできない荒野が、
彼らの前には山の縁も見えないぐらい、広大なのだけは、
わかっているから、もしくは
悪態をつく前に、行動に起こし、
何かを変えようとして、亡くなる人たちを見てきたから、もしくは
理不尽でもいいと思っていたのに、戦いに飲まれて
亡くなった人たちを見てきたから、だ。

(私もまた、大きな社会の構造を俯瞰し、たくさん話を聞き、
あまりにも理不尽であることの、どうにもならなさと、
それに翻弄される人たちの疲ればかりを、感じ取って、
何もかも徒労に終わる、と思ったりする。)

それでも、彼らが、人としてきちんと生きよう、と
日々の暮らしを続けるとき、
何が彼らを支えているものは、ものすごく小さな、
日々の喜びだったり、する。

子どもの咳がやっと止まった、とか
畑でもらったブドウがよく売れた、とか
自転車につけるかっこいい飾りが手に入った、とか
いい点数が取れて、先生に褒められた、とか
チャージができて家族と電話できた、とか
居なくなった鳩が帰ってきた、とか
今年もオリーブを漬けてしばらく食べられる、とか
おばあちゃんの服を褒めたら、すごく嬉しそうだった、とか
手作りのプレゼントをもらってほしい人に手渡せた、とか
赤ちゃんがはいはいし出した、とか。

それらは、いくらも社会の理不尽を解決する手立てにはならない。

でも、それらを喜ぶ心は、もしかしたら、
まともな社会にいる人たちよりも、よほど
たっぷり持っていて、
理不尽でも不平等でも、暮らしていけることが
どれほど価値のあるものなのか、知っていたり、する。

二本足で歩き出した、知り合いの子どもと、
私の命が同じぐらい大切ならば、
赤ちゃんの未来に広がる可能性と同じだけの、一体何を、
持って生きたらいいのだろう、とふと、
走りながら考えたのは、先週。

走りながら、今日、
授業なんてさっぱり聞かず、
一生懸命こちらの気を引こうとしている女の子のまつ毛が
すごくクルンとしていてかわいいな、と思って、
ふっと、カメラに収めたことを、思い出す。
目が合うだけで、嬉しそうな顔をする子。

私もまた、授業はきちんと聞いてほしいけれど、
嬉しそうな顔に、こちらもふわっとした気持ちになったな、
と、思い返す。

そして、それが今日一日のうちで、
一番なんだか、よかったことだったと
認識したところで、家のあるアパートメントに続く
一番きつい坂のふもとに着く。

一気に駆け上がって、走るのを止める。
もうすこし、走れたかもしれないのに、
止めてしまうところに、自分への甘さがあるな、と思う。

足の付け根が二重になった、太ったぶち猫が通り過ぎる。

何を持って暮らしていけばいいのか、
うまく、指標は持てない。
いずれにしろ、すべてが中途半端なのだ。

それでも、今日いいことがあったのは、
確実に救いだった。
ぶち猫の写真を撮りそびれた携帯で、
かわいいまつ毛を、見返す。



2019/11/16

マリアさま、もしくは、美しいもの


世界は、美しいもので溢れている。
そうである、と今でも、思っていたい。

美しいもの、とは、例えば
線は細いけれど、響きに奥行きのある歌声であったり、
子どもがマジックペンで描き殴った落書きだったり、
ふっくらと艶のあるザクロであったり、
北の窓から差し込む、淡い光に浮き立つ形いいコップであったり、
ネットで見る、ジョージアの紅葉であったり、
まだ眠る街を覆う朝焼けだったり。

ものや景色の美しさが、貴重なものとなった。
おかげで、初めはいくらも好きにはなれなかった
土漠や拾った石にも、美しさを見出せるようになった。
景色やものに関しては、仙人並みに、
美しさを見出す能力を養いつつ、ある。

そう、つらつらと、美しいものを挙げていきながら、
私にとっての美しいもの、には、
あまり、子ども以外の人の営みは含まれない、
ということを、知る。

根本的に、あまり人には美しいものの要素を見出せないのかもしれない。
そういう点では、子どもを相手にした仕事をしていて
幸いだった、と思う。
子どもには、まだ、行為の一つ一つに
ある純粋性が残っていて、
おそらくは、純粋な何かしら、は
美しさの条件と、なっているのかもしれない。

自分で作品を作り、自己完結するのであれば、
自分の思う美しさを追求することが、誰かに邪魔されることは、ない。
そう考えると、彫刻を作るなんて、
なんとも、幸せなことをさせていただいていた。
ただ、食べてはいけなかった、わけだけれど。

世の中の人の営みのなかに、純粋なものは、そう多くはない。
発端は純粋なものでも、
形にしようとした時には、手垢まみれになる。
いつまでも、純粋なものを抱き続けると、
どこかで、社会と衝突が起きたりする。
妥協が求められ、交渉が求められ、
気がついた時には、抱いていたはずのものは、
磨耗し、曇ってしまう。

美しさは、混沌の中にも存在する、と
美学では、謳われている。
つまり、人が作り出す混沌としたものにも、
美しさがある。
ただ、それは私にとっては、
俯瞰からしか見出せない美しさであって、
渦中で美しさを見出すことは、容易ではない。
(稀にあるけれど、実に稀、で、
それを美しい、と感じることが本来、
倫理的に憚れることである事象だったり、する。)



いしいしんじの作品を読む時、
その、容易ではない作業を、
文字の連なりで作り上げる離れ業を体感する。
善意も理不尽も、幻想も心身の痛みも、
ごちゃ混ぜになっている。


こんな風に、人を、犬を、山を、海を
見ることができるならば、
私の周りももっと、美しさに溢れているだろう、と。

「海と山のピアノ」は、美しい話たちだった。


こちらに来る人に買ってきてもらって、
イラクを経由してここまでやってきた新刊は、
「マリアさま」というタイトルの本だった。

混沌の美しさという観点からすると、
美しさを見出すための、ドリルのような、短編だった。
それから、「見える」幅を広げ、
想像力を養うための、ドリルのようなもの。

一つ目の話から、いつも通り、
箱に入った、世にも美味しいチョコレートを食べるように、
一つずつ、読んでいった。

最後の話まで読んで、
タイトル作品がないことに、気づく。

当然のことながら、疑問が浮かんでくる。
どうして、「マリアさま」だったのだろう、と。

紀伊国屋のカバーがついていたので、
外して、表紙を見る。
金色の箔入れを施した太陽みたいな絵。
帯には、「光さす」と、書かれている。

安直に、ベトナムの教会で見た、
後光を従えたマリア像を頭に思い浮かべる。
それから、ブローディガンの「シンガポールの高い建物」を
ふと、思い出す。

光、か。

紫外線たっぷりの鋭い光は、嫌というほど、
浴びているし、見てもいるのだけれど。

雨が降ったあとの、深夜の街を見る。

モスクと、街灯と窓から漏れる灯りで、
濡れた道路がところどころ、光る。
猫が通る、ゴミの影が浮かび上がる、
黄色い葉が落ちる、男が走っていく。

美しいと思えるものを、増やしていきたい、
そう切望するならば、
マリアさまは、いろいろ途方なさすぎるから、
光を照らして、見えるようにする作業から、
していくことに、するしか、ないようだ。




2019/10/31

ブーゲンビリアと、口をつく唄



沖縄に関する幼い頃の記憶は、あまり楽しくない。
連れて行ってもらえると思っていた、かの島には、
結局姉と母親しか行けなくて、
とことん愚図った。

大学生の時には、小さな学部の同じ専攻に、
沖縄出身の子がいた。
私のあだ名を口にするその子の発音は、他の子と、違っていた。
よく台湾に遊びに行くらしい。
近いんだよぉ、行ってみたら、と云う。

学祭の最後の夜は毎年、沖縄出身の学生が総出で、
エイサーを踊っていた。
何事も斜めにしかものを見ないのが、美術学部のあるべき姿だと信じて、
学祭なんて、などと思っていたけれど、
同級生が話していたから、見に行った。

自殺の名所を背後に構える、
コンクリートだらけの建物に囲まれた大学の広場で
たっぷりの照明の中、艶やかな黄、赤、紫の服を着た
呆れるほどたくさんの学生たちが、
歌い、踊っていた。
今でも何がそれほど、響いたのか、うまく言葉にはできないけれど、
涙が出てきた。


その時も、懸命に踊る見知った姿を目で追いながら、
思い出す唄が、あった。


高校2年の修学旅行は、その頃の流行りにもれず、沖縄だった。
毎年11月はまだ、台風が来る、とわかっているのに、
11月に行って、しっかり台風に当たった。

だから、突風の向かい風に髪が飛んでいきそうな
浜辺の集合写真の図と、
目に鮮やかなブーゲンビリアのショッキングピンク、
そして、深く濃い緑しか、
自分の目で見た記憶の絵は、残っていない。

とにかく、修学旅行には行きたくなかった。
サボろうかどうしようか、さんざん迷って、
サボる勇気もないまま結局、参加した。

行くからには、見られるものはすべて、
記憶に収めておこうと思ったはずなのに、
修学旅行でお決まりのコースのほとんどもまた、
どんなところだったか、断片的にしか、覚えていない。

ただ、バスの添乗員さんが唄ってくれた唄だけは、
鮮明に覚えている。
そして、今でも、しっかりしなくては、と思う時には、
この唄を思い出し、小さく唄ったり、する。






どういう文脈で唄うことになったのか。
他の添乗員さんに比べて、生真面目さが漂う
うちのクラスの添乗員さんは、
沖縄の民謡、という紹介で、
マイクを手に、朗々と唄ってくれた。

本土からやってきた、浮かれた気分の高校生たちに、
もっと有名な沖縄民謡ではなく、
この曲を選んだ添乗員さんには、
どんな思いがあって、
何を伝えたかったのだろう。


たまたま、先日wikiで、唄の所以を調べていた。
私の大学の同級生は、この曲を知らなかったのを思い出し、
一体、どのような位置付けなのか、気になったからだった。

戦前、勤労奨励のために、歌詞を公募して出来上がった唄のようだった。
なるほど、いわゆる、身近に耳にし、
根付いた唄とは、違う位置付けなのかもしれない。


あしみじゆながち はたらちゅるひとぅぬ
〈汗水流し働く人の〉
くくるうりしさや ゆすぬしゆみ
〈その心の嬉しさは 働かない者は知ることがない〉
しゅらーよー しゅらーよー 働かな
しゅらーよー しゅらーよー 働かな
二.
いちにちにぐんじゅ ひゃくにちにぐくゎん
〈一日一厘 百日に十銭〉
まむてぃすくなるな んかしくとぅば
〈守って忘れるな 昔の言葉〉
ユイヤーサーサー 昔言葉

三.
あさゆはたらちょてぃ ちみたてぃるじんや
〈朝から晩まで働いて 貯まっていくお金は〉
わかまちのむてい とぅしとぅとぅむに
〈あたかも若松の盛りが年を追う様だ〉
ユイヤサーサー 年と共に
     
四.
くくるわかわかとぅ あさゆはたらきば
〈心を若くして朝から晩まで働けば〉
ぐるくじゅになてぃん はたちさらみ
〈五十歳六十歳になっても二十歳のようだ〉
ユイヤサーサー 二十歳さらみ
  
五.
ゆゆるとぅしわしてぃ すだてぃたるなしぐゎ
〈年を忘れて育ててきた我が子〉
てぃしみがくむんや ひるくしらし
〈学問を広げる者になって欲しいものだ〉
ユイヤサーサー 汎く知らし
  
六.
うまんちゅぬたみん わがたみとぅうむてぃ
〈全ての人のためも 自分のためと思って〉
むむいさみいさでぃ ちくしみしょり
〈勇気を奮って力を尽くしてください〉
ユイヤサーサー 尽くしみしょり

もしかしたら、本土からの倫理観や思想を
美徳としようとした唄なのかもしれない。
けれどその前、すでに、ひめゆりの塔を訪れていたからか、
その、地に足ついた、
誰しもが、しみじみいいと思える、暮らし方を
たおやかな伸びのある旋律に乗せて、語る唄が、
無残に踏みしだかれる歴史と交差して、
いつまでも、耳に残った。

城へ向かう同級生たちを尻目に、
添乗員さんから、歌詞を教えてもらって、
ノートに書き残していた。
譜も自分で書き起こして、
家に帰ってから、ピアノで弾いて、復唱した。

だから、youtubeで聴く唄と
私の記憶の旋律は、少し違う。
自分の記憶の旋律の方が好きだから、
唄が下手になった今では、時々、チェロで弾く。
弾くと、何だか、心落ち着いて、
あぁ、人は、私は、しっかり働くものなんだと、
自分に云いきかせる。
過不足なく、しっくりと、腑に落ちる。

お金を貯めて、いつまでも元気で、
子どもたちが学を身につけ、
力を尽くして働きたい、と願う。
それはでも、どの土地でも、堅実な生き方を望む人ならば、
同じように、抱く願いと姿勢だろう。

何か、大それたものを願っている訳では、ない。
ささやかとも云える、その願いを、
阻むものがあまりにも、多すぎるのは、何故なんだろう。


旋律と言葉遣いがあまりにも特徴的だから、
沖縄と切り離して、この唄を聴くことも、唄うことも、できない。
だから、いつも沖縄に関するニュースを目にするとき、
この唄を思い出しながら、
その土地で、それでも粛々と働き、暮らす人々の姿を、思う。

2019/10/28

その輪郭を作り出すもの


禁断のiTunesに手を出したのは、
前回の帰国時、もう10年ぐらい使っていたipodを
実家に忘れてしまったからだった。

曲を探す時に出る、カリカリと鳴る音が
この上なく好きだったのに。
そして、走る時には必ず、一緒だったのに。

走り出しは必ず、この曲からだった。



歩く時の定番は、Dollar BrandのKaramatだった。
これこそ、問題だった。







過去に手に入れ、大事に保存してある音楽データは
これもまた、8年目の瀕死のmacに繋がれている。
家ではいいけれど、外には持ち出せない。
すでに、8年目のmacは、新しいosが入らなくて
iTunesに同期できない。

死活問題が浮上したことと、なる。

今までの、大事な大事なデータを、
どうしたらいいのだろうか。

仕方がないので、一つ一つ、iTunesで探しては
入れていく作業になる。
でも、当然iTunesには入っていない曲もあって、
心の中で悲鳴をあげる、不毛な夜がやってくる。


所蔵する本と、音楽データは、まさに、
その人をかたちづくるもの、だ。

殊、娯楽などない海外暮らしで、
まったく不適合な仕事をしながら、
音楽と本にしか、鋭敏にセンサーが働かない人間にとって
ほぼ唯一、自分が何者なのか、ということを
輪郭だけでも留めておくための、
ツールだということを、改めて認識する。

一通り、確実に必要なアルバムだけ、入れていく。
radiohead, Asgeir, James blake, Jose Gonzalez, Nick Drake
Jeff Buckley, Elliot Smith, Bon Iver, Beirut
キリンジ、スガシカオ、くるり、大橋トリオ


それにしても、こんな暗いアルバムをよく聴いていた、
というものも、ある。
どちらかというと、縁起担ぎに、
憑き物でも落とすような気分で、
入れないでおこうか、と思ったりする。



そして結局、それでさえも惜しいと躊躇するのは、
もしかしたら、その音楽とともに残る記憶そのものに、
まだ心残りがあるからなのかもしれない。

というのが、この曲。





記憶は、しんと冷えた初冬の夜と、
日本で暮らしていた、小さな平屋の板間だったりする。
曲自体はいいのに、記憶がしみったれ過ぎている。

そういうものを、一つ一つ整理していく作業になってくる。

マリのアーティストもいくつか持っていたのに、
最近聴いていなかった。


これは、西アフリカへ行けってことなんだろうか、とか
どうでもいいことを思ったりする。
歩みの感覚。小さなトランス。
やっぱりいいな、と思い、結局リストに入れる。

そして、違うアルバムを視聴してみたりして、
結局、増えていく。

同じく、こちらも捨てがたく、リストに入る。


何にもないところを、ひたすら歩きたくなる。

これも久しぶりに聴いた。
聴いた時の、衝撃を思い出す。




まだ、Aから先に進めない。
一体この作業は、いつまで続くのだろうか。

寄り道が、止まらない。

そして、すっかり秋も深まったアンマンは、
毎年のように、音楽を身体に、染み込ませていく。