2016/01/26

分数の割り算ができない子の行く末


雪が降る、というとヨルダンでは大騒ぎになる。
今週はずっと天気がぐずついていて、
早速事業の日程を振替にしてみたり、調整を余儀なくされる。

仕事のことを考えたら

もちろん天気がよくて、
すべてが予定した通りに動いてくれる方がありがたいのだけれど
心のどこかでは
雪の静かな一日を、楽しみにしていた。

あのアルバムを聴こうか、このアルバムにしようか

勝手に選曲をしていたのだけれど
残念ながら
アンマン城が見えるジャバルアンマンは
標高が低くて、雪が今回、ほとんど降らず
一日中、雪見をしながらぼうっとする、という訳にはいかなかった。

それでも家は寒くて

預かりものの猫たちは
私の身体の一部を枕にしながら
ずっと寝ている。

棚からぼたもち休暇を期待していたのだけれど
すっかり期待はずれになってしまった。
それがなんだか悔しくて
今週は家に戻って一息つくと、
寝ている猫を起こしてはいけないから、といいわけしつつ
いただいたデータから
ひとりジブリ祭をしていた。

ヨルダンに来て初めての夏の暑い夜に

ワインを飲みながら見ていたら
ワインがこぼれてパソコンが壊れて
豚もお酒もハラームだからか、、、、と身をもって思い知らされた
苦い思い出の怨念と後悔の紅の豚を何度も見る。

昔は、ジーナって素敵だな、と思っていたのに

今回、飛ばない豚はただの豚さ、という台詞を
心底かっこいいな、と思い
いつまでこういうものに憧れているのだろう、と
自分に呆れながら、台詞をつぶやいてみる。

ナウシカともののけ姫のストーリー展開は
随分似ていることを発見して、
やはり神髄は漫画だな、と
大学生の頃に徹夜して読破した
ナウシカの漫画が読みたくなった。

ラピュタのほろびの言葉は

なんだかやっぱり口に出してはいけない気がするし
ドーラ船長のロブスターの食べっぷりは
何度見てもうらやましい。

ハウルの中に出てくる帽子屋の仕事場は魅力的で

初めてこの映画を見たときには
いつかこうやって、
何か見にまとうものの職人になりたい、などと
ぼんやり思っていたのを思い出した。
それから、倍賞千恵子の声が好きだ。

千と千尋の電車のシーンを見ると

いつも、昔読んだ絵本の「まっくら森」を思い出す。

耳をすませばを初めて見たのは

金曜ロードショウで
その頃高校2年生だったから
年下の映画だな、などと思って見始めたのに
話がうまく書けなくてもがく雫と何かが重なって
ものすごい泣いた、電気をつけていない
建て替え前の家のテレビのある部屋の様子が
鮮明に見えた。


いい年の大人が、

よなよなよくもこれだけ見たものだ。


最後に、おもひでぽろぽろを

はじめて真面目に、見た。


主人公は27歳だから、もうすっかり私の方が歳を取っている。


時代設定も一昔前の年代なのだけれども

年上の姉からのお下がりにだだをこねたてみた
学級会で周りの様子をうかがっていたり
生理の授業のあとで何ともいえず戸惑ったり
学芸会で冴えない役を必死に工夫してみたり
作文だけちょっとできたり
5年生の頃を回想シーンのどれもが
一つ一つ自分とよく似ていて
もう、おそろしいほどだった。


最後の、転校して来たアベ君の記憶と

田舎暮らしを気軽に楽しんでしまったことに
どこか偽った気持ちを
自分で見透かしてしまったと感じる場面にも
また、あぁ、と心突かれる。

エンディングで、自分の気持ちに素直になった主人公を尻目に
いつまでも、見透かしている自分に
云い訳をすることばかりを覚えてしまって
でも、もうこの歳では仕方あるまい、と
歳のせいにしたりしている。



ジブリの映画を定期的に見ていると

見たときのことがどんどんと重なっていって
膨大な記憶が蘇ってくる。

でも、今回最後の映画で

一人静かに、動揺してしまったのは
もっと昔の記憶がやってきて
それが物語についての記憶ではなく
自分自身の記憶だったことのようだ。


分数の割り算のわけがわからなくて
頭の中でいくらリンゴを切り分けても
どうしても答えに辿りつけなかった記憶も
見事に、酷似していた。
分数の割り算の仕組みが気になってしまった子どもは
素直にすくすくとは育たない、というシーンに
文字通り頭を抱える。

肘枕をしていた猫が不意打ちをくらい
うう、っとうなる。



ドーラ船長のように早く走れて

ピッコロ社のばあちゃんのように元気に働き
ニシンとかぼちゃのパイがうまく焼けて
銭婆のように懐深い
地球屋の西主人みたいな
おばあさんになりたい。









2015/12/15

慣れ親しんだ音や声など


人の声には、それぞれ特徴がある。
残念ながら例えば、自分の好みの声に、自分の声自体を変えることはできない。

人の声が、気になる。
もう自分の声は変えられないから、では、好きな声音を聞いていたい。

時々、こちらの人、特に女性で
素敵な、本当に好みの声の人が居る。
少しくぐもっていて
身体のどこかで共鳴している。
低いけれど、雑音がない。
ちょうど、アラブで親しまれた
往年の女性歌手たちのようだ。

体型なのかな、と思ったりする。
だいたいが、それほど大きくないけれど
細くもなくて、
でも首が細い人だったりする。


先日、いただくはずのない人の声が電話口からして
はっとする。

結局は単純に、とても声だけがよく似ている、別人だった。
何が似ているのだろう、と考えてみる。
たぶん、音の高さと声の中にある細かな振動ぐあいが、
近かったのだろう。

歌声にも好みがある。
久しぶりに、新譜のアップデートをいただいたのがきっかけで
Youtubeをはしごしていた。

随分と聴いて慣れ親しんでいた、
Elliott Smithの曲作りに似ていた。
でも、彼はいろいろと思いがありすぎて死んでしまった。






Sufjan Stevensには、
もっともっと穏やかな景色が、たぶん、目には見えている。
Elliottのように暗い地下室やどろどろのお酒やあぶら汗はない。

不思議な名前だと思ったら
ペルシャ語から来ている。
あらゆる宗教を包括する思想Subudに傾倒していた両親から影響を受けた名前だそうだ。
それがどんなおしえなのかはともかく、
穏やかなことは、いいこと。





冬なので
音にぬくもりがあるといい。
きっと夏に聴いたら鬱陶しいと思うような
粒子のある、手のひらやほほで触れるような音が
このアーティストの声にも、きちんとある。

手触りで思い出し、また古いアルバムを聴いてみたりもした。



一度ギターで練習しようとして、見事に挫折をした曲。
ギターの和音さえも、質感がある。



そしてYoutubeのはしごの途中で
恐ろしいほどにまっすぐな声を、久しぶりに聴く。



こういう声のアーティストは、生きている人の中では他に、知らない。
歌声そのものに、はっきりとした意思や思いがある。

でも同時に、何度聴いても、とにかく、声に
小さな胸騒ぎを覚える。
まだ若いころのだから、そういう時季だったのだろう、などと
他人のことなのに、私が云い訳をしたくなるほど
はらはらする。




あまりにざわついてしまったので
いつも聴いているピアノ曲でどうにか落ち着いてみようとする。
でも、何かが違う。

どこかにしっかり湿度のある音があって
例えばピアノみたいに、音が本来ある程度均一なものであったとしても
曲の持つ文脈の中で
それこそ、電話口で聞くような近さのある音があるものを聴けないか
探し始める。

残念ながら、うまいぐあいに見つからず
変に神経だけが研ぎすまされて
夜に放り出される。

ざわざわがまだ、治まらない。






彼らの話と暮らしの、断片 12月3週目


何度もフィールドに往くと
よくも悪くも、耳にする、目にするいろいろなものに、慣れてくる。

この日足を運んだ地域は、以前にも往ったことがあるところだった。
ヨルダンも、日本と同じように
そこまできつい冷え込みもない。

ちょうどフィールドに往った日の2年前、
アンマンでは大雪が降った。
家からただただ、大げさなセットのように降り続ける雪を
シューベルトを聴きながら呆然と眺めていたことを思うと、
この日の天気さえも、ルーティーンの一つのように
こなすことを奨励しているように、思えてきた朝だった。


1件目:Tabrboor

入り口の葡萄棚の葉が、赤や黄色に色づいていた。
よく晴れた青い空に映えている。
端正な作りのアパートメントの中、
部屋に入るとやはり、色合いの美しいキリムの絨毯が敷いてある。
青と赤が暗い廊下でもどこか、輝きを孕んでいる。
シャツに革のジャンバーを着たお父さんは
髭も髪もきれいに整えられていて、
アパートに抱いたのと同じぐらい端正な顔立ちだった。

この家族はシリア人だけれども
1980年代に、家族みんなでヨルダンに移住している。
難民ではなかった。

お父さんの家族はイドリブから、お母さんの家族はダラーから。
PC関連のエンジニアだというし、このアパートメントそのものが
この家族の持ち物だという。

一通り学校の様子を訊く。
たぶん、多くの反応は、ヨルダン人の家庭が抱くものと変わらないのだろう。
お母さんも子どもの話を始めたら、笑顔を見せて
遊ぶことばっかりが好きでね、、、と困ったような顔をする。
丘の上に公園があるから、よくそこで遊んでいるのよ。

シリア難民の家庭の子どもは、外で遊んでいないことが多い。
近くの遊び場の話をすると
どこの家庭もくぐもった顔で、家からでないと、云う。

シリアでこの家庭に会ったとしても、
同じようにきれいな家の明るい部屋で
同じようにどっしりと椅子に腰掛けたお父さんが
よどみなくいろいろと、答えてくれていただろう。
それから、きっと、この土地で会うシリア難民の家庭も
シリアで会っていたら、こんなかんじだったのかもしれない。


つまり、至極普通の家庭の訪問をした、ということになる。

だけれど、どこかでそわそわとした違和感を感じる。

最後に質問をしてみた。

親類の方などが、こちらにあなたを頼って移って来たりしていませんか。
もう一家はみんな来ているから、いませんよ。
このアパートも親戚がみんなで住んでいるからね。

そうですか、と、顔だけ笑顔を作る。
質問の答えに満足しているような顔を、きっと私は作っていたに違いない。

本当は、シリア難民についてどう思っているか、訊いてみたかった。
けれども、そんなことなど訊かせない、という
隙のない完結した家族の形を見せられた気がした。


2件目:Tabrboor

お父さんが迎えに来てくれて
坂をもう一度上がってゆく。
そこからさらに、建物を最上階まで上がる。
どこもここも、のぼらなくてはならないところだらけだ。

部屋は窓のない居間で、
汚れて薄くなったマットが四隅に敷かれていた。
学校に往っている子どもの他
お父さん、学校へ通っていない長男と、それからまだ小さな息子と、お母さんが
質問に答えてくれる。
居間には3つの扉があって、
それぞれがきっと、トイレやキッチンや寝室につながっている。
随分と荒い、茶色の塗装が施された、というのか乱暴に塗られた扉。

どことなく、この家の方が、さっきの家よりも落ち着く。

部屋の端には小さなテレビが置かれていて
緑色の星が3つついた旗が消えないニュース番組が
ロシアの空爆を受けたアレッポの様子を映し出していた。

今の家が1軒目、親戚が居るのでここに住み着くことにした。
とりあえず息子の1人は学校に往けているから、
できれば移動はしたくないけれど、
とお父さんは子どもたちの顔を見る。

クーポンだけで生活をしているから
先は全くみえないけれど
とりあえずはみんな、安全なところで暮らせているから
それで十分だ、と云う。

2014年にヨルダンに来ている。
他の家庭の多くが2012年か13年に来ていることを思い出し
それまでシリアに居た理由を聞いてみる。
シリア国内を逃げまどっていたけれど、
ついに往くところがなくなって、ヨルダンに来た、というのだった。

淡々と、静かに話すお父さんと
じっとその言葉に耳をかす子どもたちとお母さんがいて、
暮らしは大変だろうけれど、
全く違う次元で、どこか収まりがいい空気があった。


3件目: Tabruboor


日本の新興住宅地にある新築のアパートメントを思わせる、
きれいで無機質な建物が向かい合わせに2棟対になっていた。
迎えに来てくれた青年について建物に入ると
エレベーターで上に上がる。
エレベーターがきちんと、嫌な音一つたてずに動いているということに、
静かに感動する。

通された居間も随分ときれいで
水色と赤、黄色の花柄が別珍の生地に織り込まれた
装飾の多いソファーセットが部屋の3方を囲んでいた。

さっきの息子は次男、一番したの子はまだ2歳で
学校に通っているのは次女、
長女はタウジーヒまで受かったけれど
結局結婚した、という。
どうもお金が問題で大学に往けなかった、という感じでもない。
単純にタウジーヒ学年のときに婚約したので、
そのまま結婚したと、お母さんはうれしそうに云っていた。

時々、こういう家庭がある。
ヨルダン人の中流より、もっと上の家庭しか住めないようなところに居る、シリア人。

HCRの登録証をみせてもらうと、長男の名前がなかった。
今はドイツでドイツ語を勉強中だという。
ダマスで医学部の2年生まで通えていたけれど
ヨルダンに逃げて来て、仕事も勉強もできないから
ドイツに往った、という。

シリアで不動産をしていたという話と
立派な家の様子から
てっきり飛行機で移動したのかと思ったら
アルジェリアからリビアに入り、10日間砂漠で船を待った、という。
航海でイタリアに入り、今はドイツに居る。

むずがる下の息子はコアラのようにお母さんから離れない。
連絡は取れていますか?と尋ねると
うれしそうに大きくうなずいた。

娘が午後シフトに出かけるところで
迎えに来た女の子と一緒にドアからでてゆく。
同じフロアにお父さんの弟が住んでいるから
そこの娘と一緒に出かけるのだという。

浅ましく、家賃をざっと計算する。
まだ、この家は裕福だ。
ドイツで長男が定住する頃に
ちゃんと飛行機で一家が移動できると、いい。



5件目:Tabrboor

ホムスの人は冗談が好き、という話は
シリアに住んでいた日本人からも
ヨルダン人からも耳にしたことがある。
確かに、ホムス出身の家庭にお邪魔すると
話が止まらなくなったりする。
とにかく、話し好きのように、見える。


アパートの一室に入ると
お母さんと娘が2人、それから小さな男の子が居た。
マットに座ると、奥にはおばあさんの姿も見えた。

こちらが質問をしている間に
おばあさんがヒジャーブをかぶり直して
こちらにやってくる。
慌ててスタッフが、重ね積みしているプラスティックの椅子を取ろうとすると
この椅子がいいのよね、と
座布団のついている椅子を見た。


お母さんは少し受け口で
切れ目なく話を続ける。
子どもたちは例によって、
きちんとお母さんの横に並ぶように座りながら
ただただおとなしく話を聞いているのか、聞いていないのか
じっとしていた。

早口で話が断片的にしか分からない。
ただ、とにかく長女が勉強もなにもかもが嫌いで困っている、というのはわかった。
シリアではこんなんじゃなかったのに。

学校の教員の文句も一通りでてくる。
金の指輪を先生に進呈した子だけが
良い子だっていって、目をかけてもらっているのよ。

一番したの息子は、だんだん話に飽き始めて
2つ重なった子供用のプラスティック椅子を持ち出し
自分だけ一人、椅子に座る。
それから、着ているジャケットのファスナーを上げたり下げたりして
時々こちらを見てくる。

おばあさんもよく話す。
皺の少ないきれいな口元とまっすぐな目で
私は当然理解している、と信じきった様子で話をする。
こちらも、必死で聞こうとするけれど、
お母さんもおばあさんも一緒に話すので
ますますわからない。

話題がお父さんのことになると
2人ともますます、話が止まらない。
口調は娘の学校嫌いの時のものと変わらないのに、
銃がどうの、鉄砲の弾がどうの、焼かれてしまって、、、、という単語が飛び交う。
スタッフに話を整理してもらった。
おばあさんの息子4人はみな、ある日どこかに連れていかれた。
3人は暴力の末に焼かれてしまったけれど
肩を撃ち抜かれた一人、この家族のお父さんだけが
死んだふりをして、助かった。


お父さんはどこ?と訊くと
仕事に往っているわよ、という。
シリアでは家具職人だったので
今も木工に関わる仕事をしているらしい。
肩は、治ったのだろうか。


またいつの間にか、子どもの話にもどっている。
座っていた娘のうち、大きな方の子を
おばあさんはしきりに誉めている。
何でも質問には答えられるし、
本当に賢い良い子なのよ、と。
おかあさんも誉め始めるけれど
云われている本人は、それほどうれしそうでもなくて
相変わらず静かに、座っていた。

こんなにあからさまに誉められていたら
今学校に往っている、もう1人の娘は、かわいそうだろう、
と、出来の悪かった私は心の中で同情したけれど、
そういう感覚は、アラブの国にはないということを、
学校での経験から、また思い出していた。
子どももお父さんも、大変だ。


居間の端には、黒くていい土の入った発泡スチロールが置いてある。
何を育てているのですか、と訊くと
なーなーとふぁらうら、ミントとイチゴだという。

その組み合わせが、なんだかおかしい。
ミントも、イチゴもそれほどおなかの足しにはならない。
けれども、立派に葉を伸ばし始めているイチゴの苗を
誇らしそうに指さす。
その様子は、どこかとてつもなく安心感がある。

ふぁらうら、という単語のかわいらしい響きを口元で繰り返しながら
家を後にした。





2015/12/05

生きものの居る暮らし





 12月に入ったところで
 急に冷え込みが厳しくなってきた。

 ダウンタウンでたったの2JD、という
 幾度の洗濯には耐えられない
 安物のもんぺを買ってくる。
 これが、随分と温かくて、去年の冬から重宝している。
 膝に猫を乗せ、もんぺをはけば
 とりあえず大丈夫でそうだ。
 
 冬によく合うというピアノ曲が
 いつ、何度聴いても、重い雲がたれ込める
 ヨーロッパのどこかの石畳の街並を思い起こさせる。
 同じように、雲の多い空を見ようと顔を上げたら
 うっすらと虹が出ていた。

 慌てて写真を撮ろうと立ち上がったら
 膝に乗っていた猫を床に落としてしまった。
 猫は変な声をあげながら、啼いたことをごまかすように
 不機嫌そうに毛繕いをする。

 休みの日もじっと家にいることになり
 必然的にピアノでも聴きながらじっと家にいることになり、
 ぽつぽつと読みかけの本に手をつけていた。


 たまたま同じ作家が手がけた本を読むことになる。

 梨木香歩の「村田エフェンディ滞土録」。
 19世紀末にトルコで考古学を学んでいた主人公が
 宗教や戦争、歴史や文化について
 イスタンブールで同じ宿に住む人たちとの会話や
 そこに住む日本人との交流を通じて
 ふれ、考え、体感していく
 まさに物語、という感の作品だった。

 実在した人物ではないのだけど
 きっと100年近く前も
 アラブに住む日本人はきっと
 あまり私の今感じていることと変わらないのだろうな
 と思う会話が繰り広げられていて
 妙な親近感を抱くことになる。

 徹頭徹尾物語なので、
 日本の留学生が後生大事に持ってきたお稲荷さんのキツネが
 遺跡から出てきた遺物とけんかをしたりする。
 その下りを読みながら
 私の家のクローゼットに入っている
 ハディースに載っているという99の美名の書かれた
 美しいアラビア語の古紙と
 知り合いの方からいただいた梵字と
 フィリピン土産のマリア像と
 伊勢神宮のお守りが
 一緒に入れられているのを思い出し
 やはりよくないのかしらん、と思ったりした。
 

 この話の中心的な存在に
 様々な言葉を覚え、タイミングよく口にするオウムが出てくる。
「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったんだな」「もう十分だ」「われらに平和を与えよ」
 オウムの発する言葉が
 物語の要所要所で、本人の意思とは無関係に
 時に滑稽な、時に代弁的な、時に悲痛な意味を持つことになる
 フレーズを発していた。


 もう1冊読みかけの本があった。
 
「ある小さなスズメの記録」という作品。
 クレア・キップスというイギリスのピアニストが
 12年間連れ添ったスズメについて書いている。
 先の作者が翻訳を手がけていて、
 原書を読んだことはないけれど
 その訳の言葉の使い方に、
 原書の作者の言葉に馴染んでいる感触があった。

 クラレンスと名付けられたそのスズメについて
 本当に、仔細に書かれている。
 その書き口には、どの文を切り取っても
 クラレンスに対する愛情が込められていて
 たとえ悪癖やわがままを書き連ねていても
 どうしたってそれを受け入れてしまう
 作者の心持ちがにじみ出ていた。

 作者はピアニストなので
 生後わずかで人の手に渡ってきたクラレンスの歌に関する本能は
 ピアノの音色に刺激を受けて開花する。
 普通のスズメにはない音域や歌い方を
 若い頃のクラレンスは習得していく。
 その上達と衰えの様子も丁寧に描写されていた。

 12年目の、最後の最後まで
 しっかりと生き抜いたスズメの様子を
 同じようにしっかりと見据えて書ききっている。
 観察した身近な生きものを丁寧に書いていくという作業の
 ずしりと重く深い仕事を見た。



 第二次世界大戦の最中
 クラレンスは防空監視所や避難所、防空壕で
 自分の歌声や小さく機微のある芸を見せることで
 一躍、ロンドンの人気者になる。
 
 そういえば、こちらの家ではよくジュウシマツやインコなど
 小さな鳥を好んで飼っている。
 窓がどこにもない、地下に住むシリア人のお宅でも
 3羽、4羽とつがいで飼っていたのを何度となく見た。

 小さな子どもが、卵を温めている親鳥が卵を潰してしまわないか
 必死な形相で見つめていたのを思い出す。
 客人が来たから、と
 鳥かごを隅からよく見えるところに持ってきてくれて
 でも私に見せてくれるというより先に
 自分たちがつい、見てしまって
 鳥かごの周りが子どもだらけになってしまう、
 などという情景もあった。

 確実に、彼らのなぐさめになっている。
 
 今パソコンに向かっているけれど
 パソコンを置いた机の、モニターの向こう側では
 だらしなく横になって、黒猫が寝ている。
 もっとも、黒猫は借りものだし
 何も気の利いたことは云わない。
 けれども、それなりにお互い、気に入っていると
 私は勝手に、思っている。

 なぜ好きかと訊かれても
 大して立派な答えはないけれど、猫が好きだ。
 特に、個人的には静かで構われることに執着しない
 だらだらした猫なら、もっといい。

 小鳥も悪くないけれど
 小さすぎて、不安になる。
 オウムならよさそうだけれど
 オウムを飼うなら30年、というし
 輸出入に厳しい日本への輸入を考えると
 今は借りもの猫で我慢するよりほか、ないようだ。

  

2015/11/26

彼らの話と暮らしの、断片 11月3週目

3週は日本からの訪問者が一緒だった。
保健分野の人たちだったので自然と質問の内容が変わってくる。
今まできちんと聞いてこなかったことが多くて勉強になった。

ただ、正直、あまりシリアの人たちの話を集中して聞くことができなかった。

そもそも、よほどきちんと耳を傾けていないと
語彙の限られている私のアラビア語では
話についていけない。
話についていけなくなる感覚は、
小さな頃、大人の話の輪に連れられてしまった時に似ている。
どうしたらいいのか分からないし、でも話の腰は折れないし、で
仕方ない、話している人の口や身振りを一生懸命観察したりする。
そのうち、また内容が分かるようになってきて
やっとメモも取れるようになる。


ここのところ天気が安定していて
すっかり冷えてはきたものの、青い空が戻ってきている。
ただ、どうしたって建物の中の方が冷えるので
暖かい日など特に、暗い北側の部屋の寒さは
通り雨のアンマンで、マンホールから道路に漏れる濁った汚水のように
じわじわと身体の奥底まで染みてゆく。

3週目 2件目:North Marka

家の近くで車が止まると、坂の中腹にあるアパートの階段の踊り場に
目立つピンクの服を着た女の子が立っていた。
おじいさんらしき人が一緒に踊り場まで出て来て
こちらを見ている。

最上階の部屋の入り口の脇は
きっとガラス張りのベランダだった。
けれども、そこには使わなくなったベッドマットや
家具の断片がばらばらと置いてあって
倉庫のようになっている。
居間に通される。
居間は多くの家庭と同じように、調度品が一通り揃っている。
質には上下があるけれど
だいたいの家には、ソファのセットと小さなテーブルが何脚かある。

こちらと向かい合わせに座ったお母さんは
極端に声が小さくて、高い。
さっきのピンクの服を着た子から一番上の娘で
歳にして19歳離れていた。
一番下の子はヨルダンで出産している。
一番上の娘はもう学校に往く歳でもなくて
家で家事を手伝っている。

娘の顔は少しきつめなのだけれど
細い黒い目で、こちらをしっかりと見定めながら話をする。
お父さんはホムスで家具に張る布を織る仕事をしていたという。
きちんと、縦横の糸を通して作る、伝統的な織の職人のようだった。
初め、スタッフも言葉がわからず困っていて
私も身振り手振りで当てようとすると、
やっと少し、一番上の娘がふっと、笑う。

このアパートで5件目、引っ越しを繰り返して来た。
ずっとこの地域にはいるのだけれど
坂が多くて、リウマチもひどい。
中学生ほどの女の子もリウマチで
薬ももらえないので困っている。

この日の家庭訪問で
随分遠くにある保健センターまで
セルビスやらタクシーやらを使いながら通っている家ばかりだということがわかる。
でも結局、遠すぎて継続的には通えなくて
薬も治療も、おざなりにことがほとんどのようだった。

息子は17歳、この家族で1人だけの稼ぎ頭で
プラスティック加工の工場で働いている。
朝9時から夜11時まで、14時間労働だ。

息子が居てくれてよかったのだけど
もう学校には通わせられないんです。
そう、お母さんは小さな細い声のまま、うつむいた。


3件目:North Marka

くねくねと道を曲がると
時々、車も入れないような小さな道が
大きな通りから伸びているのが見える。
坂ばかりだから、下に降りるか、上にのぼるか。
上に伸びている道を見上げると
小さな女の子がふたり、ぱたぱたと小走りで道の途中までやってくるのが見えた。

袋小路の脇には、3階建てのアパートがそこだけ
くしゃっと、3棟集まっていた。
それこそ、戦後の平屋通りのどん詰まりのようなところで
家の小さなベランダで
ものすごく太った女の子が
お人形遊びをしていた。
集まった建物の間が小さな広場になっていて
2歳から4歳ぐらいまでの
随分小さな子たちが6、7人、ただただ走り回っている。

こんな情景も、そういえば珍しかった。
外で遊ぶ場所がないし、車の通りも激しいので
庭付きの家にでも住まない限り
こういう遊びはできない。
バカアキャンプの中には、袋小路の道がたくさんあって
子どもたちがボールを追いかけて走り回っていたのだけれど。

アパートに一歩足を踏み入れると
漂白剤と薬品が混じったような
つんとした匂いがする。
ドアもきちんとついていないような
作りかけなのか、壊れかけなのか分からないような建物だった。

訪れた家には息子が2人、娘が2人
息子の1人は中学1年生のはずだけれど
学校が怖くて、もう往けないという。
娘のうちの1人は、くすりとも笑わず
狭い部屋の、きっと寝具にもなっているのだろうマットの上で
ただこちらの様子を見ていた。

お母さんはこちらの娘に対しての質問に
なんとか答えさせようとするのだけれど
頑として、口を開かない。
いやぁよね、ほんと、この子学校がきらいなのよ。

学校ではどんなことをするのが好き?
ワラ イシー
なんにもない、ぼそっと云う。
じゃあ、きらいなことは?
膝を抱えたまま、その質問にも、答えなかった。

ちょうど学校に往く時間が近づいていて
お母さんは下の娘の髪を結いながら
私たちの質問に答える。
下の娘はどちらかというと、屈託ない感じの子で
髪を引っぱられて、うぅ、と小さな声を出しながら
それでも楽しそうに、結い終わるのをじっと待っていた。

狭い部屋なのに、部屋の天井にほど近いところに
鳥かごが二つ並んでいて
文鳥とそれにサイズの似た黄色と赤色の鳥が居た。
帰りがけに、かわいいわね、というと
上の娘が、そうでしょ、と
でもやはり笑わずに、鳥を見上げていた。







2015/11/18

彼らの話と暮らしの、断片 11月2週目


アンマンは珍しく、天気の悪い日が続いた。
丘から流れてくる水は川になって、
ワディと呼ばれる谷間に集まってくる。

出かけるときには晴れ間が見えていたのに
西の空が真っ黒になってきて
見る間に黒い雲が空を覆っていった。

こちらの天気は、こちらの人たちの気性に、少し似ている。
とても、分かりやすい。

この日の訪問先はアンマンの中心部から少し南西にずれたところにある、一つの丘。
どの道の間からも、アンマンの街並みが俯瞰の視点で見ることができる。


1件目:Hai Nazzar

家の前まで往くと、窓からヒジャーブを被っていない女の人が

窓からこちらを確認してあわてて、部屋の中に入っていった。
部屋にお邪魔をすると、そこには随分と立派なシャンデリアがあって
花の形をしたテーブルセットがあった。
部屋の壁にも金色の模様が乗っていて
なんだかどこかのクラブみたいな雰囲気だ。

ここに来たのはつい最近で、

それまで住んでいたところでは、近所との折り合いが悪かった。
それに水漏れもするから、住みづらくて移って来たらしい。

お母さんは、随分きれいにお化粧をしていて

聞けばヨルダン人だという。
お父さんはシリア人で、家族一緒にアレッポに住んでいた。
なかなか豪快な感じのあるお母さんで
おもしろおかしく、お話をする。
いいことも悪いことも、同じようなトーンで話していた。

この地域はよくない若者がたくさん居て

どの通りもそういう人たちで溢れているから、怖くていやだ、と
娘がやってきて云う。

そういわれてみると、確かに

家への道のりに、まだ下校時間ではないのに
ぶらぶらしている若者がたくさん居た。
この丘に住んでいるスタッフが同行していて、
みんなぶらぶらしていて、目が合っただけでけんかを始めたりするんだ、と云う。
シリア人とヨルダン人だけのけんかではなくて、
ヨルダン人同士でも、よくけんかしているよ、と
当たり前のように、教えてくれた。

きらきらの部屋には窓がない。

奥の扉からは、窓からの弱い光に白くぼんやりとしたキッチンが見えた。
そこから8歳ぐらいの女の子がでてきて、こちらをじっと見ている。
韓国ドラマが好きなのよ、とお母さんは云って
ほら、挨拶しなさいよ、と女の子をせかしていた。
女の子はにこりともせず、
ただただこちらをじっと、見ていた。


3件目:Hai Nazaar


丘の側面には急なところもあり、

そんなところに建てられた家々は
岩場にしがみつく貝類のように、見える。
そんな中の一件は、住人が勝手に作ったのであろう階段が
随分と急な勾配で上に伸びていて
その上に、アパートの基礎が見えてくるような、随分と急な作りだ。
迎えに来た男の子は、リズムよく軽々と階段を上ってゆく。
遅れまいとついてゆくが、よほど身体が慣れていなければ、きつい階段だった。

部屋は最上階にあった。
入り口からすぐにテラスがあって、窓付きのテラスからは
2サークルの裏がきれいに見えた。
ちょうど、同じぐらいの高さなのだろう。

プラスティックの椅子を勧められる。
お母さんも男の子も立ったまま、
質問に答えてくれた。
奥で私たちの様子を見ていた女の子は
本来ならばプログラムの対象者だった。
けれども、彼女は往きたがらない。
交通費も高いし、勉強はあんまり好きじゃないの、
とはにかみながら云う。
バスも出ているし、勉強は本当に大事ですよ、と
スタッフが説得しようとする。

学校で好きなことは?と訊くと、
家庭科が好きで、家庭科の先生も好き、と柔らかく微笑む。
学校でいやなことは?という質問に
ある女の子の名前を出した。
シリア人で午後シフトに通うその女の子が苦手で苦手で
だからあまり、学校も好きではないようだ。
好きではない女の子の名前が
未来を見ることのできる伝説の女性の名前で、
聞き慣れた名前がなんだか、おかしかった。

理由がそれならば、と
お母さんも一緒になって説得にかかる。
わかった、今度の土曜日は往ってみる、と
しぶしぶうなづいた。

立って話をするお母さんの下には
真っ赤なフリースを着た2歳過ぎの男の子が
もじもじしている。
その二人に対峙する場所には、迎えに来てくれた男の子が居て
まだ7歳なのに、青い目で家族の様子をしっかりと、見守っているように、みえた。


4件目:Hay Nazzar


建物の一階にあるホブズ屋から
吹き抜けになった階段に、焼きたてのホブズの香りが立ちのぼってゆく。
家に入ると顔立ちの美しいお母さんが迎えてくれた。
角に当たるようで、通された部屋はいびつな5角形の部屋だった。
西に向かった窓の外では
黒い雲がぽつぽつと、大粒の雨を降らせ始めていた。

お母さんにの女の子はお母さんの横に座ってじっと
話を聞いている。
夫はムスタシュヒドゥで亡くなった、という。
今日2回目のその単語の意味がわからない。
つい怪訝な顔をすると、スタッフもどう説明したらいいのかわからず
後でね、と云って、次の質問を続けた。

一番上の娘は成績がよかったから、支援をもらってタウジーヒ用の塾に通えているらしい。

初めは静かな口調で話していたお母さんも
だんだんと早口になってきて
私たちに慣れてくれたのか、いろいろと話をしてくれていた。

HCRの登録証を見ると
お母さんは私の2歳年上だった。
子どもが6人居て、旦那が亡くなって、ヨルダンに逃げて来て
クーポンだけで3年間なんとか、暮らしているという、女の人、となる。
そんな人たちに、もうたくさん会ってしまった。

5角形の部屋から見える玄関から
身体の大きな男の子が入って来た。
シューローネッチュ
息子で14歳、たっぷり太っている。
歩き方がおかしかったのでつい、足下を見ると
右足の土踏まずがえぐられていた。
ダラーにまだ居るとき、負った傷だと云う。
外からやってきたのに裸足だった。


家を出て車に乗ると
さっきの家の女の子と男の子が
西の窓から身を乗り出して
腕をつきだして、雨を確認している。
にこにこしながら話をしつつ、空を二人で見つめていた。

ムスタシュヒドゥの語根はシャハダ
活用の中には殉教と云う意味があるけれど、おそらくは
元一般市民で戦争に戦いに出た人のことを云うようだ。

きれいな奥さんと6人の子どもが居ても
戦いに出る。
きっと亡くなった人は、その後家族がどのような暮らしをしていくことになるかまでは
想像する余裕がなかっただろう。


5件目:Hay Nazzar

気がついたら道には立派な川ができていて
ここら辺だろうと車を止めたら
バックをして出てくるトラックに当たられる。
話し合いは長くなりそうだから
とりあえず外に出て、迎えにくる女の子を待つことにした。
通りの向こうに女の子の姿を見て
道を渡ろうとすると、あっという間に靴がぐしょぐしょになった。

女の子は空き地をすたすたと横切り
塀の一カ所だけ壊れたところから、短い階段を降りていった。

部屋は半地下のようなところで
電気が暗く光っていた。

お母さんの後ろで
二人の娘が寄り添うように立っていた。
家賃が高いから引っ越して来たのだけれど、と
水漏れもひどいし、と話を始めて少ししたところで、
お母さんは泣き出す。

近所のまだ大きくない子どもたちが
半地下の家の窓をたたいたり、
外から石や野菜を投げ込んでくる。
注意をしても止めない。
ついにお父さんが怒って、準備した食事を全部床に投げ捨ててしまった。

外にではなく、内にしか出せない怒りが
お母さんを泣かせる。

娘が二人、じっとお母さんの話に耳を傾けながら
私の顔を見ている。

しばらくして、娘の一人がティッシュを持ってくる。
でも、渡すタイミングを失ってしまったのか
膝の上で丁寧に、ティッシュを畳んでは開き
また畳む。


ここの地域の学校では
家庭科の先生が子どもたちの信頼を得ているようだった。
学校の様子を訊き始めたころから
お母さんの表情も少し、柔らかくなってきた。


半地下の家に暮らすシリア人家庭は多い。
家によってそれぞれだけれども
たくさんの人の下に住む、ということそのものに
何か、拭いきれず重いものを感じることがある。

家を出るときに、濡れてしまった靴にもう一度足を入れながら
振り返ってまた、暗い電球の下で見送る
お母さんと娘たちに、お礼を云った。


2015/11/06

彼らの話と暮らしの、断片 11月1週目


 その日に往く地域は、
 過去にも何度か家庭訪問をしたことのあるところだった。
 余計なお世話かもしれないが、
 その地域は、アンマン中心部にほど近い新興住宅地なので
 多くの建物が新しく、見るからに高そうでなのだ。

 どうしてここを敢えて選んで住んでいるのだろう、という疑問。

 過去の訪問でお世話になったお宅は
 皆、親族が先にここへ移って来ていたから
 自分たちもこの土地に決めた、と云っていた。

 親族の中で最初にここを選んだ家庭には
 まだ会ったことがない。

 新興住宅地という場所には、盲点みたいところがある。
 大きなアパートメントが乱立している、その裏には
 広大な空き地が広がっていたり、
 一画だけ小さな家がくしゃっと集まっていたりする。
 大通りから路地を何度も曲がらないと、見つからない。


 1件目: Tabarboor

 高台の端には、南に向いた日当りのいい土地に
 平屋の小さな家が、2件並んでいた。
 ちょうど、日本で私が借りていた家に似ていた。
 一昔前、日本の郊外にもあった
 台所も入れて2、3室しか部屋のない、賃貸用の平屋みたいな雰囲気だ。
 
 縦長の家に縦長の庭があって
 そこには、オリーブの木が植えてあった。
 トタンの庇の下にはぱらぱらと並んでいるのかそうでないのか分からない感じで
 サイズの違う靴があった。

 通された部屋には、マットとござが敷いてある。
 どこかで見たことがある、と少しだけ気になっていたけれど、
 キャンプから出て来たときに、一緒にもって出たという下りで、合点がいく。
 今まで伺った家でも、見たことがあった。

 お話をしてくれるお父さんは、
 どこか、視線や話し方の奥に、恐ろしくまっすぐな感じのある人で、
 きれいに切りそろえられた髭とあいまって
 例えば、先生とか弁護士の話を聞いているような気になってくる。
 難民登録証を見ると、家長が奥さんになっていた。
 聞けば軍隊で働いていたから、自分の名前で登録されることによる
 様々な支障を避けている、とのことだった。

 お父さんの持っている雰囲気にも、どこかで納得がいった。

 一つの質問に、丁寧に答えてくれる。
 こちらが少し突っ込んだ質問をすると、
 子どもや家族、また家族が関係しているあらゆる人たちとの間で
 問題になったり、傷ついたり、傷つけられたりしないように、
 表現に気をつけて、言葉を尽くしている感じがした。

 平日の授業の数学の先生はよくない、
 ただただ黒板に解き方を書いているだけで
 生徒に理解させよう、という気がないんだ。
 でもね、例えば英語の先生は本当にすばらしいんだ、
 だから、一概には悪い悪い、って云えないですよね。

 学校に往って、校長と話したこともあるよ、
 でも、具体的に誰がどう、という話はしづらいですよね。

 でも、家族と関係がない、もしくは作れない人たちの話をするとき、
 目がきっと、鋭くなる。
 娘が準備した書類を持って学校に登録しようとしたのだけれど
 門前払いだよ、シリア人だから、って。
 

 奥さんが来て、知らぬ間に準備してくれていたコーヒーの乗ったお盆を差し出してくださる。
 目尻の下がった、顔のパーツがみんな丸っこい奥さんは
 お父さんの少し後ろに座り、
 いつでも高校生の娘が、部屋を覗くと一生懸命勉強している、
 と誇らしそうに云った。

 家を出るとき、門の外まで見送ってくれた。
 最後まで、きちんとしたお父さんだった。



 2件目: Tabarboor

 1件目を後にして車に乗り、高台を降りて地域の中心に戻る。
 2件目の人に電話で場所を説明してもらいながら走っていると、
 何度も何度もぐるぐる同じ道を回っていることになるのだった。
 最後には電話の主のお父さんが、迎えに来てくれた。
 そして、お父さんを乗せて往った先は
 1件目と全く同じ場所だった。
 確かに名字は一緒だった、けれど近所に住んでいると思っていた。

 平屋のうち、奥にあるもう1件が、その訪問先だった。
 1件目のお父さんよりも、
 より愛嬌があって話好きで、随分と楽しそうに
 眉毛とほほと口元を上下に上げ下げしながら
 目力を変えながら、お話をしてくれた。
 本当に、目を見開いたり、目を細めたりすると
 目にも話にも強弱が出るのだ。

 玄関から入ってすぐの居間には
 1件目と同じマットが置かれていた。
 やはりキャンプから出るときに、持って出たとのこと。

 足の腱がが傷ついているのか、と足首をさすっている。
 特に冬になると、冷えて痛みが増す。
 病院リストを見ながら、一番近くて
 診療内容も適切な病院を探す。
 実のところ、持っているリストの医療の種類にはバリエーションがなくて
 しかも本当に適切なのかどうか、はっきりとは分からない。
 それでも、2つ丘を越えたあたりの病院を紹介した。

 医療費と薬代は、どうなんですか?
 薬はないと辛いし、薬代は高い、
 往って薬を買えずに帰ってくるっていうのは、
 交通費がもったいないし。

 まだまだ、こちらできちんと調べなくてはならないことが
 情報を共有する前に、たくさんある。

 キッチンに通じる入り口の脇で
 2、3歳の小さな女の子がこちらをじっと見ていた。
 ちょうど、こちらの小学生の女の子たちが好きな
 ドラというキャラクターにそっくりな
 おかっぱと大きな目だった。
 でも、ドラのように黒目に黒髪ではなくて、
 青い目に濃いめの亜麻色の髪、
 どうしても口元がきっちり閉まらないのか、
 開いた口に時々指をいれながら、
 興味津々そうに視線を私に定めていた。
 
 お母さんが居間に入って来たのと一緒に
 その子も走りながらやってきて、お父さんの腕にからまりながら、
 こちらを見ている。

 時々、こちらで云われる言葉を、またここでも聞くことになる。
 この子持って日本にいってくださいよ。
 お父さんがそういうと、その子はよくわからないからか
 きゃっきゃ、と笑う。
 どうして?ど訊きたかったけれど、
 訊いてみて、例えば
 日本はいいところだろ、とか勉強できるだろ、とか
 もしお父さんが真剣に云って来たら、どうしよう。

 こんな小さいのだから、家族一緒が一番ですよ、とか
 日本に1人でついて来たって、言葉もわからないし大変なだけですよ、とか
 勝手に、会話のパターンをアラビア語で想像する。
 
 ホディ ハー イル ヤバーン
 何度も云われると、もう、冗談なのか本気なのか分からない。
 彼らの生活が本当にきついのならば、
 家族一緒とか、言葉がどうのとか、それほど重大な問題ではないのだろう。
 
 そんなことを考えていたら、
 お父さんがその子をぎゅっと抱きしめてさらさらの髪に、自分の顔を埋めていた。
 きゃっきゃと笑うその子の様子に
 何を私は勝手に考えているんだろう、とばからしくなった。


 
 3件目:Tabarboor


 1階にテナントの入ったアパートの最上階まで
 もう制服をきて学校へ往く準備を整えた男の子が
 連れて往ってくれた。

 こちらには、扉式のエレベーターがまだ結構残っている。
 エレベーターに扉がついていて
 その奥にもう一つ、普通のエレベーターの自動開閉のドアがあるタイプだ。
 扉が二つある意味も分からないし、閉塞感がより、増す。
 個人的に嫌いだと思っていたけれど、現地のスタッフもいやがった。
 帰りは階段を使おうね、と云い合いながら、しぶしぶ乗って上に往く。

 質素だけれどきれいに保たれた調度品のある居間で
 女の子二人、お父さん、お母さん、男の子が
 4方に置かれたソファの上に均等に感覚を空けて座っている。
 それぞれが、私たちの顔をきちんと見て話ができるところに居るのだ。

 子どもは4人、さっき迎えに来てくれた子は
 唯一の男の子で、4年生だった。
 ホムスでドゥッキャーン(小さいけれど何でも揃っている日用雑貨店)をしていたというお父さんは
 手足が極端に短くて、おそらく身体的に支障がある人だった。

 だからなのか、その男の子をはじめ
 家に居た他の女の子二人もとてもしっかりしていた。
 男の子には、この家を守るという意識がもう、しっかりと芽生えている。

 とにかく記憶力のいい子で
 1度か2度しか往ったことのない、うちのスタッフの名前までも
 1人1人覚えていた。
 どんなアクティビティをしたか、とかどんなことが楽しかったか、とか。
 
 どんなことが好きか、趣味はなにか、という質問に
 サッカーは苦手なんです、と生真面目そうに男の子は答える。
 こういう子が日本にも居たな、と思い出す。
 絵を描くのが好きです、と。
 
 女の子のうちの1人は、やっているプログラムからあぶれてしまった。
 風邪でしばらく休んでいたら、登録の機会を逃してしまった、とのことだった。
 その経緯を、一つ一つ、順序立てて話していく。
 5年生のその女の子も、詳細をとてもよく覚えていて、
 面接でもしているかのように、背筋を伸ばして
 床から浮いてしまった足をぶらぶらさせるでもなく、
 膝に手を置いて、親の助けを借りずに説明をしきった。

 学校担当のスタッフから、登録が可能かどうか連絡をする、
 そういうと、随分とうれしそうな顔をした。
 
 配布したバッグの使い道を訊いてみたら、
 男の子は真剣な顔で
 すぐダメになってしまわないように、土曜日だけ使っています、と答えた。

 本当に礼儀正しい子どもたちだったねぇ、
 車に乗りがてら、スタッフと感心ししあった。
 でも、個人的には、あの歳で気苦労が多そうで、
 子どもらしいところが見えなかったことが
 少し心残りだった。