2022/02/08

この日のはなしー 渡る世間は鬼ばかり

 
聞いたことを書き残しておく。

親族内の、そして女たちの諍いについて
もう、本当に大変なんだ、とばかりに
報告してくれる。

親族の一人が、パレスティナで生まれ育った人と結婚した。
プロポーズをされた時、将来パレスティナに住まなくてはならないなら
結婚しない、と断った女性に、
ヨルダンに住むからと懇願して、結婚に至った。

でも、結婚して5年、最近夫はしきりにパレスティナに住みたい、と
妻に迫ってくる。
パレスティナでも、かなり事業で成功している夫の両親、
家業を継がせるため、長男である夫とその家族を呼び戻したい、
という思惑がある。
しつこくずっと、電話やらチャットやらで、
パレスティナから連絡が来る。

今まではヨルダンに遊びにきたら、家に泊まって行った義母が
最近家には泊まらない。
あの妻なんか置いて、パレスティナにくればいい、と
義母は夫を唆しているようだ。

これで夫を一人でパレスティナに行かせたら、
きっとあの両親は2人目の奥さんを見つけてきて
楽しく暮らすに違いない、そう思うと
女性は夜も眠れなくなってしまった。

似たようなはなしを、以前耳にしたことがある。
両親が残っているシリアへ戻ってくるよう、父親から再三
連絡をもらっている夫は、家族でシリアに戻ることを考えていた。

旦那さんだけ戻ってもらったら?と私が言ったら、
そうしたら絶対、義父は向こうでお嫁さんを用意するに違いない、と
話し相手である奥さんは泣き出した。

一夫多妻制では重婚の罪がない、というのが
経済的な不安などよりも、愛情の問題として
重くのしかかってくる厄介な制度である、ということに
その時初めて気がついて、どうも私もまた、色々と
淡白な人間になってしまったことに、気付かされたりした。



パレスティナにはなしを戻すと、
その義母のパレスティナの家の周辺には、
同じ親族が多く住んでいる。
嫁いできた女たち、同じ土地で育った人と結婚した女たち、
その2種類の女たちが一同に集まったりする。

コロナ禍でも大祖母の命によって、一族の女たちが集まった。
その女たちの一人は、少し体調が悪かった。
けれど、日頃から陰口を言われがちで、好かれていないことを
薄々感じていた彼女は、断ったら断ったで、
色々と詮索されるのが嫌で参加した。

2、3日後、集まった女たちの一人がコロナに感染したことがわかると、
集まった女たちは、一斉に彼女を責めて、
電話やら噂やら、非難の声をたっぷり伝えてくる。
陰性証明を取って見せても、事態は好転しない。
いつの間にや、女たちのいじめの規模が大事になっていった。

しまいには、大祖母が、自分の孫にあたる彼女の夫に、
あの女と離婚しなければ許さない、と言い出した。

呆れた夫は今のところ、その女たちを放置して、平安な時間を
なんとか手に入れようとしている。

その夫婦は、ヨルダンにやってきてこんな愚痴をひたすら、
遠い親戚に話し続けるのだった。


それはなかなか、えぐいはなしだ。

戦ったり守らなくてはいけないことなど
自分たちの周りの、もっと別次元でいくらでもある
パレスティナという土地なのに、
女たちにとっては、周辺で戦闘が起きようが、封鎖されようが
ある意味関係ないようだった。


日本には有名な長寿ドラマがあって、
渡る世間は鬼ばかり(生きていく中で会う人々は皆、ジンニーに思えるぐらい
生活の中の人との関係は一筋縄ではいかない、
という感じの意味の諺だ、と意味を説明してしまったけれど
考えてみたら、「渡る世間に鬼はなし」だった)
なんて言うぐらいだから、世界中そんな話で溢れているのよ、と
コメントしておく。

個人的には、親族の女たちから無視されつつある女性に
夫がちゃんと肩を持ってくれているのが、よかった、と思ったりする。
家長とか、男系とかが大事なのもさることながら、
何よりも、私の目にはマザコンとしか思えないような
男たちが結構たくさん、いるからだ。




夜遅くに、スタッフから写真が送られてくる。
私が好きそうな感じだったから、と。
よく、私の好みをわかっている。




とても素敵な写真なのだけど、一緒に送られてきたもう一枚はなぜか
このアングルの手前に、本人の顔がしっかり、自撮りで入っていた。

写真にツッコミはするけれど、もう本人に
つっこまなくなったのは、
一周回って、なんだかもはや、可愛らしい、と
思えるようになったからだ。


2022/01/28

砂塵と鳩の舞う土地 ー お化粧 寒空の下

雨があまり降らなかった去年の冬のせいで
去年の夏は水不足に悩まされた。
もともと、人口あたりの水の供給量はかなり低い国だから
雨季である冬場の降水量が、まともに影響してくる。

だから、雨季のシーズン初めの雨は、なんだか嬉しい。
実に半年以上ぶりに降る雨は、半年分溜まった埃を流し、
茶色く汚れる。

それにしてもなんだか、今年は雨が多い。
分かりやすい天気だから、雨が降ればひどく冷えるし、
雨が続けば、人々の動きは鈍くなる。


この日も、午後から雨になる予報だった。
朝はどこか青すぎるような、不透明な青い空だった。
雨雲がやってくる前の青空だ。

雨雲がやってくるのもまた、分かりやすい。
風が強くなり、埃が舞い、空気が湿ってくると、雨がやってくる。

誰もが、どことなく空を眺め、雲の流れを気にしている。
空気が一気に冷えるので、キャンプの中もまた、人の姿はまばらになる。
ホブズ(平たいパン)の買いに行くお遣いの子どもか
自転車に乗った男性たちだけが、道を行く。


会議は色々と話が散らばってしまった。
どうしても、話の内容から気になるところがあると、
詳細を訊かずにはいられなくて、結果的に脱線しがちなのだ。

その日は、課題の内容の話し合いの後に、来学期に向けての
重点課題について、問題の洗い出しをしていた。

女の子の方が、学校内では比較的目に見える問題は少ない。
だから、より実のある内容に集中できて安定感がある、
などと勝手に思っているのだけれど、
高学年になれば、思春期らしい色々もないわけではない。
例えば、制服のアレンジの仕方であったり、ヒジャーブの色であったりする。

先生たちが問題視していたのは、お化粧だった。
学校へお化粧して来るのは、当然禁止されている。
けれど、明らかに塗ってるな、という子は一定数いて、
いちいち指導するのも鬱陶しがられるからか、放置しているようだった。

学校の先生たちの中には、なかなか厚塗りの人もいるし、
個人的にはそんな人がどんな指導をするのか、気になったりする。

でも、一般的にお化粧そのものが奨励されていない土地柄だ。
狭いコミュニティの中で、あまり目立って派手なお化粧は
噂のタネや偏見になってしまうこともある。

だから、結婚した女性の方が、お化粧率が高い。
もしくは年頃で、結婚したいと思っている女の子が
積極的にお化粧をするものだ、という認識があるのだということに
会話を聞いていて、気づいたりした。

いや、でも高校生ぐらいの歳だったらお化粧をしたいだろうし、
そういうのは普通じゃない、と口を挟んだら、
まぁそうだけど、いいとは言えない、と否定的な感想ばかりだった。

学校では当然ダメだけど、学校じゃないお出かけの時であれば
問題ないでしょ、と言うと
出かける時に親御さんや兄弟が一緒であればいい、と言う。

背景や意図は分かりやすい、けれど同時に、制約の影が色濃い。

そこから、女子シフトにあった問題について事例を話していた。

ある日、学校へ行く途中で、おはよう、と男性に挨拶された
女子生徒がいた。
その男性と面識があったわけではなさそうだが、その日からその女の子は
恋に落ちてしまった。
授業のノートに、その男性らしき人の絵を描いていたらしい。

それに気づいたクラスメートたちが、挨拶されたその
「サバーフルヘール(おはよう)」という言葉を
ニヤニヤしながら、その女の子に意味ありげに言うようになった。
心中、ぐしゃぐしゃになったのだろう、その女の子が泣いているところで
うちの先生たちの授業となり、ことの次第を知ることとなった。

そういうこともあるだろう。
挨拶されて嬉しい、とか、電車の中、バスの中、などなど
日本だってある話だ。
(今の日本の女子高生事情は分からないが、そんな甘酸っぱいシーンと心情が
あって欲しいと思ったりするのは、もはや年寄りの証拠なのかもしれない)

キャンプの外であったとしても、ヨルダンでは
男女の仲に関する暗黙の規制は恐ろしくたくさんある。
挨拶されたぐらいでのぼせてしまうなんて、みっともない、
もっと、毅然としていなくては、という、
結婚した女性たちの助言なのか、プライドなのか、反省なのか、
そういう類の「男性の扱い方」にまつわる話は
何度となく、耳にしたことがあった。

いわゆる、付き合ってみる、がないこの土地では
気になる男性はそのまま結婚につながったりする。
そんな、人生を左右する、重大な選択となる可能性が高いこともまた、
老婆心をくすぐる理由なのだろう。
レッスンラーントは、基本自分の経験ではなく、
他者の経験からしか得られないシステムとなっている。


さまざまな制約の中で
駆け引きのできる女性が一定数いるのも、見聞きした。
なんだったら、日本などよりも色々、難易度レベルが高いと思う。
そんな中を、ここの女の子たちはサバイブしていくわけだ。

実際に、ではどんなことが授業で扱えるのか、話題を戻して話し合った。
こちらのお化粧の方法は極端すぎて、大体において
私にはもはや、怖いとしか思えないような仕上がりになっている
女性の顔を見ることも多い。
素地は誰も彼も美しい人たちばかりだから、本当にもったいない、と常々思う。

だから、素敵なお化粧の仕方とか、服の色のコーディネートとか
そういうのもいいんじゃないか、というと、
お化粧の案はあっさり却下された。

意外と男性教員に反対が多かったので、やはり、
女の子のおしゃれへの関心や憧れの気持ちを想像するよりも、
男性側が持つ、お化粧に含まれる意味を危惧する傾向が強いのだろう。




パレスティナキャンプで働いていた時には
全身同じ緑色、ピンク、黄色、など、よく靴からヒジャーブまで
全部揃えたな、という服を着ている先生がよくいた。
それを見て、色のコーディネートの授業案をカウンターパートに出してみたけど
あの時もまた、却下されたことを思い出す。

今の先生たちにその話をしたら、好意的に受け入れてくれたので、
10年越しにできるチャンスが、来学期にはやって来るかもしれない。



帰りがけに、少しだけ子どもたちの様子をみて回る。
でも、風は朝よりも冷たくなって、風で皮膚が切れるようだ。




人影もまばらな道では、犬たちが闊歩していた。
6匹の子連れ犬が、子どもたちの代わりに空き地で戯れていた。


家の脇の側溝で、石を積み上げて池を作っている集団がいる。
雨水を溜めて泥を製造して、雪みたいに団子にして遊ぶらしい。
確かに過去にも、粘土のように丸や四角や、何かの形にして遊んでいる
子どもたちを見たことがあった。

いつもの、学校周辺の道で動いているものは、
犬と鳩と、ロバ車で砂を運ぶ荷車だけだった。
雨が多いから、プレハブの周囲に敷く砂を補強するのだ。

コロナの前は学校に来ていた子が、おじさんみたいな立派な掛け声で
ロバを操りながら、砂を載せた荷車を疾走させていた。



2022/01/17

砂塵と鳩の舞う土地 ー 冬休み 長い旅路



雨が降り続くと、普通の建物でも底冷えがするから
キャンプのプレハブは、想像するだけでも、体が震える。
ただ、土漠のあっけらかんとした土地は、
雨のあとの清々しさも、格別だといつも、感じる。


新年が何度もやってくるこの土地では、
特に1月の頭が、新しい始まりの時だとは、たぶん誰も思っていない。

でも、そこの部分だけは日本人が抜けない身としては
あっけらかんとした清々しい空気は、どことなく
新年に相応しいように、思えてくる。

みっちり会議をしたおかげで、熱くなった頭に、
外の冷たい空気は気持ちが良かった。
こんな日は、用事がなくても散歩をしながら
子どもたちの様子でも、見たい気分になる。

この日は、キャンプで色々調べることもあった。
冬休みには、補習授業をしている施設や団体もあるはずで
その合間を縫って、子どもたちがどんな毎日を過ごしているのか、
確かめてみたいと思っていた。

道端の景色は、コロナ禍のキャンプの風景と全く、同じだった。
つまり、子どもたちが天気さえ良ければ外へ出て、
できうるあらゆる遊びに興じている、という情景。

ビー玉、石投げ、犬を追いかける、ロバ車で小遣い稼ぎ、サッカー。

プラスティックでできた小さくて黄色い馬に
紐をつけて引きずる小さな子。
やはりプラスティックの野菜を入れる箱に妹を入れて
紐で引きずる子。
荷馬車が主な交通手段だと、子どもたちは大人の姿を見ながら
新しい遊びをどんどんと開発していく。
たぶん、これほどロバ車がメジャーにならなければ
こんな遊びも生まれなかっただろう。




新しい小鳥屋さんができていた。
鳴き声を練習させるために、鳥籠の上に携帯電話を置いて、
鳥の鳴き声を流し続けている。

この冬生まれた子ロバが、お母さんロバの仕事について
一緒に荷馬車の前を走っていた。




新しいロバの飾りが増えて、馬のように飾りをつけた
ロバが通りで俯いていた。





凧揚げのブームは去ったね、とか
ちゃんとセンターへ勉強しに通っているのは
圧倒的に女の子が多いね、とか
商店で手伝いをしている子たちの数がまた増えたね、とか
一つ一つ、目で見て確認していく。


この日、どうしてもキャンプで目一杯過ごして、
仕事が山積みの事務所へ戻らなくてはならない理由があった。
スタッフのお宅への訪問を延期したかったのだ。
アンマンでの仕事が多すぎて、お宅でくつろいでいる暇はない。


一通り確認すべきものごとを見たあと、車に乗って帰ろうとする。
すると、アンマンから一緒にきたスタッフが、
今日は断れないよ、と小さな声でささやいてきた。

それは困るとあらゆる理由を言ってみたのだけれど、
こちらで運転できない私には、自分の行動をコントロールすることはできなかった。


久々に、キャンプの外のスタッフの家へ行く。

最後に来たのは、親族のお葬式の時だった。
確かに、ご家族の様子は気になっていたし、
おとなしくて可愛いロバもいたし、
親族のたくさんの子どもたちも、スタッフの子どもにも
ちゃんと会って挨拶はしたいと思っていた。


腹を括ってはみたものの、時間は本当にない。
そんな私の落ち着かない様子を感じ取ったのか、
その日は、永遠に思えるような食事の準備も終わっていて、
家に伺ったらすぐに、立派なカプセが出てきた。




ここのお母さんのお料理は美味しい。
どこのお宅も美味しいけれど、ここのお母さんは
お野菜の使い方が上手で、炊き込みご飯の中にも
色々なお野菜が目立たない、でも
食感に変化を持たせて味わえる程度に、入っている。


そういえば、お母さんはシリアから嫁いできたんだったよね、と
話を振ってみると、昔の話が溢れ出てくる。


アンマン北西部の家の多くは
羊を飼って生計を立てていた。
この家もまた、代々羊飼いで、だから
家の前の空き地には、羊の群れがいる。

お母さんの実家は、ゴラン高原の方だった。
昔は羊を引き連れて、ゴラン高原まで移動をしていたという。
まだ国境もなかった頃の話だ。

羊を移動するたびに、毎年同じ場所へ行き、交流が生まれる。
そして、仲の良くなった家族の娘さんを、お嫁さんにもらったのだ。

そのあと、自分の子どものうちの一人もまた、
お母さんと同じ一族の中から、お嫁に来てもらった。

家の応接間の奥の壁には、大きな肖像画がある。
いつも伺うたびに目に入ってくるその絵に描かれた人は
お母さんの息子の一人で、若くして亡くなってしまった。

その奥さんが、シリアからお嫁にきた人だった。
シリアの実家に返すのはかわいそうだし、気立もいい子、
情も湧いたし孫もいる。
だから、何人もいる息子の一人ともう一度、結婚してもらった。



台所に行って、お母さんに挨拶をする。
男性のお客人がいる場合、女性は膳の上げ下げの他は
部屋に入ってくることはない。

私たちに出した大きなお盆に乗ったカプセの残りを
ご家族はいただく。
知っているからいつも、早く食べなくては、と思う。

大きなお盆を取り囲むお母さんやお孫さんや
スタッフの奥さんや他の兄弟のお嫁さんに
拙い言葉で精一杯、お礼を伝える。




赤ちゃんの数が増えていた。
スタッフの子どもだけではなくて、他の兄弟のところで
うまれた赤ちゃんも、部屋の隅で仰向けになって
すっぽりと眠りの空気の中にいた。


お母さんはなぜか、とても私を可愛がってくれていて、
いつもほっぺにキスをしてくれる。
その様子を、なんとも言えない表情で見つめるスタッフのお嫁さんに
なんだか申し訳ない気がしてくる。

私より、二回り近く若いスタッフの奥さんは
いつも控えめで、あまり話さない。
それぞれ家があるとしても、同じ空間に暮らしているのでは
色々と大変なこともあるだろう。


今までのお宅訪問で最速とも思える速さで、
食事をいただき、お暇しようとする。
すると、スタッフがマグドゥースを持ってきてくれた。

マグドゥースは、お母さんの監督のもと、
お嫁さんたちが勢揃いして、一族の一年分を
まとめて作るらしい。

本当は作るところを見てみたいけれど、
一族のお嫁さんたちからしてみたら、
興味本位の外国人に見せている暇も余裕もないほど
忙しい現場かもしれない。


帰りの車の中で、仕事をしながらふと外を見ると、
もうすっかり日が傾いた夕焼けが、
渋滞の車に長い影を描いていた。




冬のヨルダンの空は、雲の形に表情がある。
いつになったら、ゆっくり鑑賞できるようになるのか、と
一瞬気が遠くなる。

窓を大きく開けて、冷たい空気に頭を冷やしてみる。
その瞬間、いつかこの空気が懐かしくなるのだろう、と
なぜか確信した。

どんなことも、できる場所にいる時に、精一杯享受しなくてはならない。
また、時間ができたらゆっくり、
あの家も、この家も、伺いに行こう。


2021/12/29

年末、火傷と虫歯


口を大きく開けようとすると、なぜか目も大きく見開いてしまう。
これは小学生の頃、合唱団に入っていた名残だ。
だから、合唱する人たちの顔は、どこか怖い。

日本みたいに、目にガーゼとかかけてくれないから、
自ら目を瞑らない限り、すべての様子が見渡せる。
口を大きく開けるたびに顔を反らせてしまって、
歯科助手のお姉さんの着ている服にプリントされた無数の
歯ブラシを携えた歯のキャラクターが、目の端でチラつく。


最新鋭の機材が揃った診療室のモニターには
レントゲン写真か、治療しなくてはならない歯のリストが
ずっと表示されていた。
おかげで、歯の番号に無知だったが、
レントゲンと照合させて大体、覚えることができる。
麻酔が効くまでの間じっと、モニター画面を見ていたのは、
画面の他に、見るものがないからだった。

小鳥みたいに小さな口ですね、と言われても
これ以上大きく開けることはできない。
それでも頑張って口を開けながら、小さい頃のことを思い出していた。

子どもの頃、口が小さくてよく、ものを食べこぼした。
ジュリア・ロバーツみたいな口になりたい、
小学生のとき、姉の買ってきたロードショーの表紙を飾る
彼女の顔を眺めながら、本気で思った。
そうしたら、ぼろぼろものを口からこぼさなくて済む。

断続的な治療のせいで、すっかり赤くなってしまった口の両側に
先生はヴァセリンを塗ってくれる。


在外でかかる病気は、一番困る状況の一つだけれど、
十数年間、そこそこギリギリな生活をしている私は
一通り、病気の色々を経験している。

緊急外来のすったもんだを高熱にうなされながら眺めたり、
デング熱でひたすら点滴を打ってもらったり、
(この時、優しいホーチミンのベトナム人看護師さんは
「世界に一つだけの花」を一生懸命日本語で歌いながら、
点滴の針を腕に刺しくれたりした)
熱帯の新種の虫みたいに色鮮やかな薬を大量にもらったり、
日本なら腕にするはずの解熱剤をお尻に注射されたり、
痒みが一瞬で引く、恐ろしく強力な軟膏を処方されたり、
見たこともないぐらい立派な絆創膏を貼ってもらったり。

数年前ヨルダンで手術した時は、キャッシュレスにするために、
ロンドンの保険会社に掛け合って万事整えた手術当日、
前日と違う受付スタッフが、保険は効かないの一点張りで、
手術前の1時間、ひたすら激しく戦った。

4、5時間の手術の後、麻酔が切れたらものすごく寒くて
布団乾燥機を直に布団に入れてもらっても、体がガタガタ震える。
寒い寒い、とアラビア語やら英語やらで訴えている私を尻目に、
ちゃんと見ておいた方がいいわよ!と、看護師さんは
笑いながら陽気に、摘出した部位の入った漬物瓶を見せてくれた。

手術の次の日の昼食に、ハンバーガーかフライドチキンかどっちがいいか
と尋ねられ、2択しかない事実に恐れ慄き、すぐ退院した。
本来ならば1週間ぐらいは、軽く入院するような手術だったけど。


でも、歯医者へは、ほとんど行かなかった。

クリーニングには時々行った。
その歯科にはヒジャーブをかぶっていなくて、
胸がメロンみたいな歯医者さんがいた。
確かに病院内も歯医者さんも綺麗だったけれど、
整形が中心のようだった。

数年前、別の歯科へ行った時は、詰め物が取れたからだった。

同僚が通っている歯科へ一緒に行く。
先生は治療の時近づいてくるといい匂いがする、というのが、
その歯科に対する同僚なりの売りだった。
いい匂いには興味はないが、ぽっかり空いた歯は
想像するだけでスカスカして、居心地が悪い。

電灯が切れかかり、手すりの朽ち果てたぼろぼろの階段を登っていくと
私が小学生の時に通っていた歯医者と全く同じレベルの機材が
診療室に並んでいた。
受付の奥には、歯医者と彼の友達、という人がいて
治療前にシャニーネ(しょっぱいヨーグルトジュース)を勧められる。
こちらにありがちな拒否権なしの状況で、何故かシャニーネを飲みながら
自分の順番が回ってくるまで、同僚の治療の様子を見ていた。

その日、診療も終盤だったのだろう先生には、
誰かからひっきりなしに電話がかかってきた。
歯医者が電話をしている5、6分の間、
同僚の口には唾のバキュームホースを差し込まれたままだった。
同僚はただひたすら、頬をブルブル震わせながら唾を吸われている。
歯科助手は誰かとチャットをするのが忙しくて、
同僚などまったく、眼中にないようだった。

その時治療した詰め物の歯に、全く違和感がなかったわけではなかったけれど、
両側の歯を均等に使わないと大物政治家みたいに顔が歪むらしいから、
それは困る、と気をつけて両側で咀嚼していた。



ここ数ヶ月、寝ている意外はずっと仕事をしているような生活だった。

忙しすぎた数週間前の深夜、その日一食目のパスタを茹でていて、
茹だった鍋を持った手が滑る。
そして、お腹に大きな火傷を作った。

パジャマのゴムに沿って、横向きの竜の落とし子みたいなアザになった。
来年の干支はまだ辰じゃない、と突っ込んでみたり、
どんな流行りに敏感な女子よりもハイウエストにパンツをはいてみたり、
色々気を紛らわせようとしたけれど、とにかく痛かった。

火傷の一件から、何だか弱ってきた気がしてくる。
貧血など、なったこともない身体だったのに、
立ちくらみをするぐらいの頭痛に悩まされた。

そして、治療した詰め物の入った歯が今回、痛み出したことに気づく。
気持ちではなく、物理的に歯が問題だったのだ。


前回のような、素性の分からない怪しい歯科には行かないと心に決め、
日本人がよく行く歯医者さんにかかる。
病院内はとても綺麗で、衛生環境をどのように保っているのか
丁寧な説明まで、初日にはしてもらった。

自分の歯を見せるのは、裸で外を出歩くぐらい恥ずかしい、と
誰かが言っていたけれど、激しく同意、だ。
歯医者は、痛くなってから行くところではないと
知ってはいたけれど、行きたくなかったのはただひとえに
本心からそう、思っていたからだった。

レントゲンを撮ってから、一つ一つ説明をしてもらう。
きっと、歯医者冥利につきるぐらい、心躍る患者だったに違いない。
ぼろぼろの遺跡の壁でも修繕するような感じで
患部を削っては詰め物をして固めていた。

今の海外保険では歯の治療はカバーされないから、日本へ帰ったら、
と毎回思いつつ、日本の歯医者は予約を取るのに大変、
帰国期間中、特にコロナ禍では自由に動ける時間もなさすぎて、
及び腰になっていた最近のツケが、回ってきたのだった。



麻酔を下の歯に打たれると、舌も痺れる。

目が合うとニコッとしてくれる優しげな歯科助手のお姉さんに
気を紛らわすため、冗談の一つでも言っておこうと、
最近食べたアラビー菓子の名前を列挙しようとする。
でも、アラビア語は舌が痺れていると
正確に発音して話せない言語なのだ、ということに気づく。
(それに比べると、日本語はそれほど舌を動かさなくてもある程度話せる)

もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ、
まな板の鯉、猫に睨まれたネズミ、などなど、
あらゆる言い回しを鎮痛な心持ちで思いめぐらせながら、
あの悲痛なルーターの音を聞く。

齧歯類みたいに歯がどんどん伸びていったら大変だろうな、とか、
歯のほとんど残っていない知り合いのおじさんの顔とか、
いろいろなことを治療中、考える。

ついには、歯医者さんの気持ちに思いを巡らせたりした。
他人の歯を見続ける人生、というのは、どのようなものなのだろう。
その人の癖とか、食べ物の趣向とか、歯を見たらわかるのかもしれない。
私、歯磨きは大好きなんです、と伝えたところで、
趣向と癖は変えられない。


意気消沈甚だしいまま、仕事に戻り、
心散り散りな歯の治療にまつわる諸々を、ローカルスタッフに報告する。

ヨルダンの水は石灰が多いから歯にはすこぶる悪い、という話を聞き、
ぼろぼろにするのは髪だけではなかったか、と慄く。
それでも、結構長生きしている知り合いはいるから、
何とか生き延びる術はあるのだろう。


結局年内には、歯の治療が終わらなかった。
新年までに、歯のコンディションを完璧にしておきたかったけれど、
そういうわけには行かないらしい。

そして、年始に歯の治療は終わっても、火傷の跡は数年残るだろう。
面の皮は厚目だと思われている節があるけれど、
実際のところ私の皮膚は、随分繊細にできている。

歯磨きは本当に大好きだけれど、
大好きだから虫歯ができないわけではないらしい。


一体、自分の身体を労る、とは、どうしたらできるものなのか
正直よく、分からない。

火傷の原因をすっかり忘れて
もう2つも湯たんぽを持っているのに、
また新しい湯たんぽを買ってみたりした。






来年こそ、ちゃんとした人たちがきっとしているのだろう、
そういう何だか当たり前のことを、きちんとできるようになりたい。



2021/10/01

砂塵と鳩の舞う土地 - カメラをいじる 深く冷たい森

子どもたちがわらわらと道を塞ぎながら登下校をする様子が
キャンプの中に突然、戻ってきた。
当たり前の光景のはずだったのだけれど、
久しく見ていなかったせいで、なんだか感動さえする。

日本に帰っていたり、別事業が忙しかったりして
先週からやっと、キャンプに行けるようになった。


キャンプへの入構にはワクチン接種証明書が必要になったけれど
学校を見る限り、誰もきちんとマスクをしていない。

根本的に、考え方が違うのだろう。
予見するリスクよりも、今の快適さを取る。
ほぼほぼ皆が同じ行動様式を取っているから
頑なにマスクを外さない私が、何だか失礼な人間のように思えてくる。


コロナに関することだけならば、公衆衛生の知見から賛同はしない。
ただ、先々のリスクの可能性だけに拘泥しないのは
たとえいくらか短絡的に見えても、
一つの姿勢として尊重すべきことだと思える。
リスクを考えすぎて何もできないよりは、前に進んでみる方がいい、
そう考えているのであれば、建設的な姿だ。

先の見えないリスクに怯えすぎて失うものばかりの日本で見た
たくさんの事象が正解なのか、
私は本当に、分からない。


(新しいスタッフたちへのブリーフィングが午前中にしっかり入っていた。
果たして自分の下した選択が正しかったのか、不安になるような
なかなか話を最後まで聞かない人たちがいたりする。
平気でこちらも話を遮って訂正するようになったので、
お互いトントン、という現状を客観的に振り返り、頭を抱える。)


女子シフトも男子シフトも、子どもたちの顔がなんだかとても
輝いて生き生きして見える。
本当に、かなりの子たちが嬉しいのだと思う。
調子に乗って私の名前を連発する子どもたちの声も
今のうちはまだ、ありがたいと思える。




団体のプレハブと教室が近くなったはっむーでがよく、遊びにくる。
授業を受けさせたいから教室に戻すと、
クラスメイトが乱暴に彼の腕を引っ張っていく。
教室に入る時に一瞬、不安げな顔をしてこちらをみるのが、気にかかる。


一眼レフを団体の控室となっているプレハブに置きっぱなしにしていたら
教室からいつの間にか出てきたはっむーでが、カメラをいじっていた。




うまくシャッターが押せないはっむーでは、身体がうまく成長しない。
手も腕も、彼なりの動かし方があるから
重い望遠レンズをつけたカメラを持ち、
腕を固定したり、シャッターを押すのに、工夫が必要になる。
何度もカメラを抱えながら試しているうちに、その工夫を次第に
会得していく様子を見つめる。

よくよく考えてみたら、彼は左利きだからなおさら、
シャッターが押しづらいのだった。
カメラが右利き用に作られていることに、今日まで気づかなかった。






そんな様子を見ている傍で、ずっとWhatsAppのボイスメッセージを
聞き続けているスタッフがいた。
普段、勤務時間中に電話を気にするような人ではないので、
特に注意もしなかったけれど、ずっと気がついては、いた。

スタッフの間の会話を注意して聞く。
すると、ベラルーシという言葉を連発していた。
まさか、と思い詳細を尋ねる。

今、ベラルーシ経由で亡命を試みる人たちが増えている。
ベラルーシがEUからの経済制裁の腹いせに、
ヨーロッパへの門を、亡命者に開いているのだ。
シリア人だけではなく、情勢不安の国々から逃げる人々が
ベラルーシ経由でポーランドを抜けてドイツやオーストリア、ベルギーなどへ
移動をしていて、ポーランド国境は軍が取り締まりに腐心している。
キャンプからも90名ほどの大人たちが最近、
ベラルーシ経由でヨーロッパへ入っているという。

亡命者相手のブローカーの悪質な手口は例を挙げてもキリがない。
国境までついても、ポーランド国内で迎えを手配するには
さらにその場でお金を積まなくてはならない。
そもそも、国境までのブローカーが信用できる保証はないから
国境までついたらパスワードで送金を手配できるような
国際的なブローカーと亡命者の信用を確保するための送金システムもある。

ベラルーシ内のポーランドにほど近い主要な街から国境を越えるのに、20キロ。
森が深く足元も悪いから、長靴や雨具や防寒具が売れている。
たった20キロを越えるのに、随分と時間がかかる。
トランジットビザは2日間のみ有効だから、その間に
できる限り進むしかない。
もう秋も深まるベラルーシの森は十分に寒くて
寒さに命を落とす人もすでに、出てきている。

本物のガーバ(森)だ。

いつでも、ガーバという単語を耳にするたびに、その語感から
深く暗い森を想像していた。
そんなもの、アラビア語圏のどこにも、存在しない。


ボイスメッセージは親族からの状況報告だった。
今まさに、ベラルーシのポーランドへ続く森に挑もうとしている。


砂が竜巻になって形を変えるキャンプは、まだまだ暑い。
子どもたちが体育の時間にグラウンドへ行かず、
プレハブ教室の間をウロウロしている。

7年も8年もずっとこの環境にいて、そこからさらに
何の保証もないまま、今度は深い森を彷徨う選択をするの?
ヨルダン人スタッフに英語で思わず、訊いてしまう。

だって、キャンプに未来なんてないでしょ。
彼らはすでに、あらゆる手段を試みる人々の情報を持っているのだから、
今はこの方法が一番可能性がある、ということだよ。

気がつくと、はっむーでが大人しく、私たちの会話の様子をじっと見つめていた。

深い森など、もう久しく体感していない。
カラカラの茶色い大地に、すっかり目が慣れてしまった。

想像を絶する不安を抱えながら、
ひどく湿った冷たく深い森を歩む人々の様子を想像する。

もしも僕もこの手段を使うことになったら、亡命先が決まるまで
家族を一緒に連れて行けないから、
離れ離れの間、家族のことは頼んだよ、と
スタッフが笑いながら声をかけてくる。


日本においでよ、とは、決して言えないのが、
本当に、無念で仕方がない。
新しい土地に選ばれるような、明るい未来のある国だったならば、
何としてもうまく事を運べるよう、できる限り尽力することができるのに。


4時間目の授業に行ったら、久しぶりにクイズ大会をしていた。
「自分の前にあるけれど、目に見えないものは何?」というクイズに
子どもたちは、鼻、とか、空気、とか大きな声で言い合う。

違うんだな、正解は何だと思う?
スタッフが答えを溜める。
子どもたちは、正解を見つけられないで、そわそわしていた。

正解は、未来。
スタッフはしたり顔で、でも大事そうに心を込めて、答えを口にしていた。


2021/09/11

雨が染み込み、でも温かく


8年ぶりの、夏の日本への帰国だった。
記憶の中の日本の夏は、茹だるような暑さと湿気。
典型的だけれど、入道雲と蝉の声。
ずっと夏には帰っていなかったから、時々日本との会議で
背後から蝉の声が聞こえたりすると、じんわり切なくなったりしていた。

だから隔離中の朝、蝉の声に目覚めて、しばらく横になったまま聴き入っていた。

でも、暑い日はそれほど続かなくて、呆れるほど曇りか雨の日が続いた。
日本では雨が降り出したらずっと雨か曇りなんだとか
当たり前のことに気づいたりした。
ヨルダンでは雨雲と風はセットのことが多いから、
雨が降り出したら、その後には虹が見える確率が高い。
雨が降る冬は、空にかかる虹を待っているのが
すっかり習慣になっていた。

日本の雨は終わりがなくて、しっとり濡れた緑が映える。



私の記憶の中では、なんだか寒い日本、だった。
どうにも寒がりなので、季節外れのフリースを慌てて買った。
心構えのない寒さは、苦手だ。





期待外れだったのだと思う。
期待外れについて、結構ずっと考えていた。
それは、例えば入国の時のおかしさだったりした。
なんでこんなにたくさんの人が入国にかかる手続きにいるのだろう、とか。
電子化が定着しつつあるヨルダンに比べて、どうして圧倒的に
日本の入国にかかる手続きはアナログなんだろう、とか。
働いていらっしゃる方たちの中には、不安を感じている人たちもいるだろう。

ヨルダンは隔離対象国なので、ホテルに連れて行かれる。
そのバスには、ビニールがあらゆるところにかけられて
外など一ミリも見られない、護送車みたいな状態になっていた。
海外からきた人は誰も彼もがコロナにかかっていることを前提にした
対応をされていることに気づいて、途方に暮れる。




こんな対応をするより、入国前の検査数を1回から2回に増やすとか
しっかり何度かPCR検査をしてほしいな、と思った。
PCR検査だけではないけれど、
なぜ、日本政府が支援対象としている国の一つである
ヨルダンでは円滑にできていることが、なぜ日本ではできないのだろう。

そして、何よりも日本で街中を行く人たちの行動様式が、
ヨルダンよりもコロナ対策がなっていないということに
何度も唖然とした。

それなのに、罹った人には冷たい。
こんな状態では広まってもおかしくないのに、罹ったらおしまい、
みたいな空気感への矛盾に、ぞっとした。

ルールが形骸化するシーンを何度も見て、
それが個々人の判断への責任だけでは語れない話なのだと
次第に気づいていったりした。

私を含め、誰もが知らない間にあらゆる場所で、目的の見えない実験台になっている。
実験をしている人は誰なのだろうか、と薄寒さを感じる。

だから、色々な意味で、寒かった。
日本ってこんな国だったんだ、と今更気づく。

(ところで、日本を私は「にほん」と発音する。
「にっぽん」が正確な音だけれど、統計的には
半数以上の人たちは、にほん、と口にしているらしい。

自分の国の発音が違う、というのはなんだかおかしなことだ。
個人的には、にっぽんという音を聞くと
戦争中のラジオ放送の音声を思い出してしまって
いちいち気になってしまったりする。
コロナ禍ではよく出る文脈だと思うけれど。)

いつか、日本へ戻ってこなくてはならない。
日本人として、違う国に住み、日本の何かしらの強みを伝えていくのが仕事ならば、
今の日本には問題が多すぎる。
特にコロナ以降、自分自身が帰国のたびに問題を体感してしまって、
このまま仕事を続けていいのだろうか、という
疑問をずっと抱き続けている。




短い帰国だったから、展覧会によく行った。
ヨルダンとの仕事は午後から始まるので、午前中に出かける。
ピンとくるものも、さっぱりなものもあった。

ルール?展にきている人が圧倒的に若い人たちだったのが
新鮮でなんだか素敵だった。
体験型のコンセプトが面白くて、
展示内容のどれにも、新しい発見があった。





アナザーエナジー展のレバノン人の作家の絵が
静かに情熱的で、でも暖かでよかった。
それから、高層ビルの屋上から見える景色の手前に置かれた彫刻が
二重の意味で均衡を感じさせる贅沢な展示だった。




イサムノグチ展の作品は、もちろん素晴らしいのだけれど、
来場者の数が多すぎて、彫刻の周囲に空間がもはやなくなっていた。

山城知佳子は、どこまでも剥き出しすぎて
少し混乱した。

フェルト、脂肪、そしてフィクション展は
作品の語る言葉が多くて、もっとよく聞き取りたかったけど、
たぶんうまく聞ききれなかったと思う。




一番記憶に残ったのは、Walls&Bridges展だった。
きっと、美術を一線でやっていたら、反対に興味を引かなかったかもしれない。
でも、紹介されている作家の作品にどれも
手に触れられるような、ものを作り出す人独特の愛情があって
なんだか、とても安心した。
日記映画、として日常を撮影し続けた作家の映像に
柔らかい光が溢れていた。


本もたくさん読んだ。
いつ持っている新しい本を読み終わってしまうのか
不安になることがない、というのはどうにも素敵なことだった。

とにかく圧倒的に良かったのは、「すべての見えない光」だった。
物理的に私の好きなものと、私自身が常に気にしていた類の人の心の動きが
交差して、ひどく美しい作品だった。

読む本がなくなると本屋へ行って、ピンとくるものを探す。
あまり遠くの本屋へは行きづらかったから、
徒歩圏内の2件の本屋を行き来した。

それから、自分では普段手に取らない本も人から紹介されて
それらのどれもが、新鮮だったり、納得できたりした。
以前は好きな作家が決まっていたから手に取ろうともしなくて、
人から紹介されても、よほどでない限り進んで読まなかった。

人から本を借りる良さに、気づかせてもらった。

本を読むと、その感想を会ってくれる人に話していった。
うまく話せることもあったし、うまく言い表せないこともあった。
けれど、人に話すというのは、自分の理解度や咀嚼具合を確かめるのに
随分役に立った。
普段読んだ本の話を興味を持って聞いてくれる相手もいないので、
耳を傾けてくれる人たちがいるのは、ありがたかった。

会ってくれる人たちは、誰もがコロナ禍のこの状況に
それぞれのフィールドでできることを、精一杯していこうと
考え、行動する、本当に格好いい人たちばかりだった。
地味だったり、キラキラしていたり、一見した見え方は異なるけれど
誰もが、しなやかに闘う勇者みたいに見えた。
だから、だと思うけれど、誰に対してもとても温かくて、
それが何よりもありがたかった。




きっと会えなかった人たちもまた、さまざまなことに戸惑い、闘いながら
何かに精一杯なのだろう。
想像するその様子は、私とたぶん、同じだ。



人たちに会った帰り、時々ぽつぽつ夜の東京を歩いた。
一人になると、急に寂しくなるし、なんだか不安になった。
深夜の街灯に艶めく常緑樹の葉っぱやアスファルトはきれいだけど冷たくて、
薄く濃淡を残す雲はじっと動かなかった。

日本での宙を浮くような暮らしは漠然と不安を駆り立てる。

それでも、出会う人たちがそれぞれの基軸をしっかり持って、
その人たちと家族や大切な人や周囲の人たちの生活や心持ちを、より良くしようと
絶え間なく試みを続けている姿を見させてもらった。
不安や疑問は、動いて向き合っていくものなのだな、と
説得力を持って提示していただいた。


ヨルダンに戻ってきたら、こちらもまたいつの間にか
雲が空を漂う秋の景色になっていた。
雲は少しずつ形を変えて流れていく。




今年は例年よりも少し早く、雨が降るかもしれない。
ずっとヨルダンは水不足に悩まされているのに、
食器を洗う水を盛大に出してしまった。
金木犀の香りが好きだけれど、日本にいる間には花がまだ咲かなかったから、
香水を大枚叩いて買ってきた。
まだ日本を引きずっているな、と反省する。


意図せず、かもしれないけれど、温かな人たちは
地道に仕事をしていけ、と私を励ましてくれたのだと勝手に、思っている。

シリア人のお母さんたちみたいに、いつか強くて温かい人になれるように、
まずは足元から地道に仕事をしよう、と思う。
大体いつも同じことを、毎回初心に戻るように思うのだから、
よほど忘れっぽいのだろう。