2012/08/18

トルコへ パムッカレとエーゲ海


白い段々の岩と青い水
色い土と青いガラスを焼いて溶かすと
あんな感じになる

パムッカレは石灰でできた不思議な形状と美しさしか
興味がなかったのだけれど
実はその後ろに
古代ローマの立派な遺跡群があった

強い日差しに反射する白い岩に目をやられながら
ついでにそんな光で見事に焼けた
ビキニ女子達を観察する
ここでもまた、うまく写真を撮ることもできず
パムッカレの白い段々の上を
列のように並んで降りてゆく
米粒のような観光客を眺める

同じようにエーゲ海沿いのクシャダス、という街でも
青くて澄んだ水とぴちぴちの水着姿を、眺める
ここは完全に、トルコ人と欧州人のバカンスの街
浮かれた人々が朝からたっぷり身体を焼き
眠り、食べ、眠り、遊ぶ

ここでは眺めてばかり居てもつまらないので
たっぷり私も、泳ぐ
波はおだやかで、おだやか
心なしか塩気が強い気がした

それから、海岸でぼんやりする

小さな堤防の端のベンチに座っていると
片腕のないおじさんが、堤防に建つモニュメントの足元の日陰に座る
観光客が写真を写そうとすると、立ち上がって、フレームから外れる
そして、また戻ってくる
きっと毎日、来ているのだろう



夏場だけ、きっと浮かれてしまう土地なのだろう

ここで、世にもおいしい食べ物に、出会う
ごはん詰めのムール貝
ムール貝を茹で、口が開いたところにスパイス入りの米を入れ
もう一度口を閉じて煮ている、のだと思う

レモンをたっぷり搾って、いただく
ぺろり、といただく
いくつでも、入る
なんて素敵な国なんだろう、とあらためて、思う


トルコへ コンヤの街


コンヤはカッパドキアから2時間半ぐらい西に往った
やはり中部の街

メブラーナ教団の教祖
メブラーナの廟があることで有名な土地だ
他の都市に比べてイスラム色が強い
ラマダン中で夏休みということもあって
多くのムスリムがメブラーナの廟を訪ねる

ヒジャーブやアバーエ率も一気に高くなる
ついでにアジア人に対して無礼な若者も出てくる
仕方ない、どこかヨルダンに似ているような気がした

メブラーナの霊廟にはたくさんの墓と贅を尽くした装飾と
古いコーランやメブラーナ著作の本がある

そして、預言者ムハンマドの髭の入った箱、というのも、あった

廟を訪れたムスリムたちは
その箱が入ったガラスのケースの周りで、祈る
ガラスの下方の四隅に、小さな穴が開いていて
そこからもれる空気を、大切に吸っていた


休憩をしようと
公園の一角のオープンカフェ
通りに近い端の席に座ったら
おばちゃんが寄って来て、一緒になぜか、座ってくる

充分に、あやしい
なにせ、そこら辺のストリートチルドレンと仲良しそうだから

でも、言葉もほとんど分からないから
何となく座ったまま
娘に電話をするんだ、と携帯を取り出すおばさんの様子を見ていた
一緒に食事往こう、と云いだす
そして、こちらがおごってくれ、とも

やっぱりそういうことかぁ、、、
「歩き方」の巻末のトルコ語ページを開いて
何とか失礼にならないよう、お断りをする

何度かのアプローチと、何度かのお断り

残念だわ
と、云ったのかもしれない
でも、さして残念そうでもなくて
運が良ければおごってもらおう、というような

適当さが、少し愉快だった



トルコへ カッパドキアなど

カッパドキアはトルコ・アナトリア中部にある

あの、写真で見たことのある、不思議な形
てっきりあの不思議な形のすべてに
住居跡があるのかと思っていたら
違っていた
鳩の家が、多いのだ

伝書鳩代わりにしたり、卵を食べたり
それから卵の殻をフレスコ画の材料にしたりしたらしい

とにかく、そこら中に鳩が居る


そして、そこら中に不思議な形の岩がある
それから、地下都市も、ある

冬場は−23度まで下がる、というこの地方も
岩の中では16度前後
夏場も岩の中に入ると
ぐっと温度が下がる
湿気も手伝って、ひんやりする

キリスト教徒が隠れ住んでいた穴も多く
岩の中の教会が博物館になっている地域もある
黒い線で輪郭が描かれた
どちらかというと朴訥な絵が多かった
色の状態がよく、とにかく壁の上から下まで
絵と模様で埋め尽くされているのは
どことなく、モスクに近いものがあった

気球にも乗った
その日78個もの気球が上がっていた、というカッパドキア上空の景色は
現実離れしていた

気球の速度は、おだやかだ
ただ、おだやかに進む気球を操縦するのは
随分と難しいようで
きびきびと操縦をこなす操縦士の動きは厳しかった

気球がたくさん浮かんでいるのも不思議
その下の角のばかりの岩の景色も不思議

つまるところ、摩訶不思議だった


余談
マスのフライを夕食にいただく



ごく普通のレストランのごく普通のメニュー
これが、臭くなくて、おいしかった
魚に飢えているので、きれいにいただく
骨は、黒と茶色がヘンテコに混ざった
かわいくない柄の猫に、あげた

トルコへ アヤ・ソフィア


アヤ・ソフィアを一度でいいから見てみたい

中学の美術の時間
そこがどれほど美しいところか
切々と話す先生の声とスライドに
擦り込みされた



遠目からのスライドには
つんつんと尖った塔が何本も建ち
丸い天蓋が見える
この中に、あの不思議な金色の世界が広がっているのだ

イスタンブールのモスクの形は
大小さまざまだが
おしなべて4本のミナレットが立ち
いくつもの天蓋が重なるように乗っている

アヤ・ソフィアもまた
大きさの異なる天蓋が折り重なるように続いている
だから、中から天井を見上げると
天蓋のふちの円形と、ろうそくの台の円形と
支柱のアーチと、模様の円が
どの角度から見ても
不思議なバランスで空間を構成している

たくさんの電球と外からの光
それからふんだんにつかわれた金の装飾で
鈍く光る

果てしない美しさへの密やかな執着
もっとも、時間が経ってしまって色が褪せてしまったから
密やかに見えるだけで
できた当初は
そこら中が輝きに満ちた
神々しい空間だったのだろう

教会からモスクに代わり
違うはずの文化がそれぞれに呼応し合いながら
違うようで同じような、神への真摯な気持ちを
形にしている


中学の美術で初めに習ったこと

美術とは、祈りだ、と




トルコへ イスタンブールから

ヨルダン脱出

夏休みを利用して任国外旅行へでかける
といっても、トルコかギリシャしか、往けない
何だかわからないが、治安や対外交の問題で
決められているのだ

財布と相談の末、トルコのみになった

出かける前は、気が重い
元来出不精だし、あまり決まっていない旅行は心配が多くてきらいなのだ
置いてゆく猫のことも気がかりだった

が、往ってみると、すっかり浮かれる






イスタンブールから入った
路面電車、地下鉄に心躍る

そして、何よりも緑がいっぱいだった
大きな木
光る芝生
豊かな花々



それに、道にゴミがほとんどない

何せ、観光客たちにあふれかえった
自由でおしゃれで、きれいなイスタンブール
どこへ往っても、道の先には海が見える
カモメが鳴いている

素敵だ
すっかり、気に入る





2012/07/26

異なる地平



ラマダン中のアンマンは、昼過ぎまで随分と静かだ
夜中まで騒いだから
子どもたちはすやすやと寝ている
大人たちは疲労感を隠そうとせず
暑さに朦朧としながら、道を歩く


おかげで日中はたっぷりと本を読む
レイモンド・チャンドラー
梨木香歩
アントニオ・タブッキ
村上春樹
内田樹、などなど


他に何も、する気にならないからだ


猫を膝に乗せて、時折彼女の手を撫でたりして
本を読む


そろそろ何かをアウトプットしてもいい時季なのだけど
何も作る気になれない
今までにない、経験だ
全くといっていいほど、何も生み出す気になれない
うっすらと、作りたいものがあったとしても
それをぎゅっと絞り出す力がない


だから、ただただぼんやりと、考える
1年間で消化したものと、消化できなかったもの
ついでに、昇華できなかったもののいろいろを
そこはかとなく、考える


異なる地平を埋めるためには


そんなことを、ぼんやりと考える
1年間ずっと、ぼんやりと気にかかっていた


どうも、私は、ここに住んでいる人と
根本的な地平の違いを
どうにか、勢いや思いや願いだけで埋めようとして
埋められるわけもなくて、対処不能になっているようだ、と


もちろん、勢いも思いも願いも、どこか足りないのだろう
実際、そう云うものだけで立派に
埋める作業ができている人たちが周りにはたくさん居る


何だか私だけが、一人つまらないことにこだわっているのだ
そして、いい歳になって
自分の至らなさをまざまざと思い知って
うんざりする


でも、何かが、とてもひっかかるのだ


この国で出会うこの土地の人々のすべてに対して、というわけでは決して、ない
ただ、どうも仕事先で経験して来たたくさんのことの背後にある
隆々とそびえる何かと
その手前に思いも寄らぬ溝があって
それが、私をひるませる


異文化交流です
そう、明るい笑顔で云いきれるぐらい短絡的なことでは、おそらく、ない
特に、仕事先のキャンプでは
貧しさと遠い母国への憧れと宗教が混じり合って
子どもたちや大人たちの言動に、いい知れぬ不安を、時折感じる


もちろん、常にでは、ない
ここの子どもたちは、随分と明るくて好奇心も強い
大人の多くも親切で世話好きで、素敵な人たちだ


ただ、、、、大丈夫なのだろうか


どこかで、とても信じやすい
あまりにも単純なところで白黒を判断していることが多い
そして、自分たちの世界が、すべてだ

世界には様々なものがあって、様々な考え方がある

相当情報過多な、いろいろな意味で思想の緩い国で育った
私自身が苦労しているぐらいだから
彼らが厳格な宗教を軸にして
たくさんの情報や思想を自分なりに消化してゆくことは
かなり大変なことだろう


ただ、できないことではないはずだ

これが絶対に正しい、とか、これが誰に対しても当てはまる正義だ、とか
そんなものは、ない
だから、たとえそう思うものがあったとしても、押し付けてはいけない
私はそう思っている

内田樹も書いていた
「正義を一気に全社会的に実現しようとする運動は必ず粛清か強制収容所かその両方を採用するようになる」
いや、極端だろう、とも、思う
ただ、現に隣の国は
この混乱の原因に、正義なんて言葉は聞いたことがないけれど
近い状態になっている

子どもたちや大人たちはあまりにも純粋に、そして無邪気に
彼らの宗教や道徳に基づいた正しさや正義を、私に説いてくる
そして、あなたも、そう思うでしょ、と
確かに私も正しいと思うことも、ある
そうじゃないものも、ある


でも、その行為や無邪気さ自体に対して
肩をゆさぶって、待て待て、と云いたくなる

でも、私の語学力と勢いと熱意のなさと
それから、すぐそこにある深い溝に、思いがすくむ

そんな大元を問題視して
梃子を入れようとすること自体が、ほとんど無理なのだけど

深淵には目を向けず
違う道を辿って、彼らの地平に少しでも近づいてゆくしか
方法はないのかもしれない

でも、どうしても気になって
本能的に危険を感じて逃げる小動物のように
心のどこかが縮む

どうしたらいいのだろう

美術を通して情操教育を広めましょう、とはいうものの
大して需要があるわけでもないから
他に、何をすることができるのか、考えてゆかなくてはならない
そのための夏休みだった


ただ、それよりも前に
このいい知れぬ不安をいくらかでも和らげるために
できることを考えていかなくてはいけないようだ


というわけで、絵に描いたような夏休みを
首都アンマンで引きこもって過ごすことになる


たぶん、それもいけないんだろう
不安の多くは妄想だから


ラファも生粋のアラブの猫だから
彼女との暮らしからでも
何かしらの糸口がみつかるかもしれない


などとぼんやり思い
撫でようとして眠りを妨げ
手を噛まれたり、している
仕方ない、噛まれるがままに、してみる


やはり、往きつく先は結局のところ
たくさんの疑問や悩みや
悲観的なわけではない
きっと元来そういうものであるところの
”わかりあえなくてもしかたがない”という考えを前提とした
「オープンマインド」なんだろうな









2012/07/03

ウード



また懲りずに、新しい楽器を始める
チェロを忘れているわけでは、ない
ただ、あれは大きすぎて持って来れなかった

こちらで有名な弦楽器、ウード

عودと書くから、正確にはァウード、という発音
小さなァは、喉から絞り出すようにして、出す

正直、弦楽器は苦手だ
そもそも私の耳はよくないので
正確な音を拾えない

では、なぜ始めたかと云えば
どうも、この形が好きなようだ

随分前に、ウードに似た楽器が大学のゴミ箱に捨てられた
中身はさっぱり使えなかったが
外のケースを入れ物にして、貝殻の形をした弦楽器を作ってみたりしていた

丸い形が、気に入っている

ただ、弾くとなると、これがくせものになってくる
丸いのでうまく、腿と腕で固定できない

弾く以前の、問題

音は、どちらかというと乾いている
仕方ない、こちらはうんと、乾いているから

11弦、もしくは12弦、ある
調弦さえも、むずかしい

教えていただいている先生からウードを貸してもらっている
ウードそれぞれでも、微妙に音が違う
友人のものは、いくらか柔らかい音
私の貸していただいているものは
からりとしていて
どこか物悲しい音がする

ギターさえも挫折しかけているので
初心者の練習は、淡白で、ストイック

そもそも11本も弦があるから
どこを押さえているのか慣れるまでに
随分と長い道のりがあるようだ

アラブの音階は未知数で
独自の音階に名前もついている
日本から持ってきたアラブ音階の本を片手に
ふむ、こんな音の並びなのか、などと弾いてみる
以下、wikiを参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/マカーム

「髪結いの亭主」という映画のサントラには
マイケル・ナイマンの監修で
いくつかのアラブ音楽が入っている
سالوني الناس という曲のメロディがすきなので
それをコピーしたり、する

果たして、帰るまでにものになるのか

最近我が家に居候している猫が
練習の邪魔をする

上達が悪ければ、こいつのせいにしよう、と思っている