2009/06/20

ホーチミンCD事情 3




音楽に餓えている
それはいつものことなのだけど
餓えを感じる一つの大きな理由は
どうも不完全燃焼のせいのようだ

ここ何週間か
休みの度に1区へ往ってはCDを探している
本当ならば、もう手に入ったはずの、
もしくは、実際手元にはあるのだけど
聴けないCDたちのせいで不満はたまるばかり

クラシックのCDについては以前触れた
確かにクラシックは好きだけれども
いわゆる有名な演奏家の有名な曲目が圧倒的に多い
それに、朝は景気よく往きたい時もある

こちらのCDには大きく3種類、ある
まず、正規のもの
つまりベトナムで作られたもの
これにはおそらく以前CDの話で
一番始めに載せたラベルのCDが該当する
それから、海賊版なのだけど比較的造りのしっかりしたもの
これが次にCDの話で載せたベートーベンで
これは書いた通り、CDがセットのはずなのに
なぜか読み込んだパソコンの画像は全部表紙が違っていた
まあ、でも中身はきちんとしていたのでいいだろう

そして、3番目に来るのが
今回の写真のものだ
薄いビニール袋に、
もう少しいい質のものもあるのではないか、とあきれるよりも
商売として心配になるようなコピーと
いわゆるコピー用のCDが入っている

いくら冒険だと分かっていても
どうしたって聴きたい時はあるけれど
例えば、イル・ディーボだったり
クリスティーナ・アギレラとかセリーヌ・ディオンだとか
マルーン5だとか、マドンナだとか
そんなものはさっぱり聴きたくない
ただ、圧倒的にこういう類いのものが並んでいて
そうではないものを見つけることはとても難しい
だから、あったら、つい、買ってしまうのだ

そして、Nirvana2枚とRadioheadとLed Zeppelinを買う
古くて、でも、やっぱりよくて、時々無性に聴きたくなる曲たち

まずNirvanaをmacに入れる
曲目が出る
最後まで読み込みが終わる
曲をかける・・・・
聴いたことのない、かなりどうでもいい類いの
さらさらなムード音楽的なものが流れる

愕然とする

気をとりなおしてLed Zeppelinを読み込む
何だかmacの中でへんな音がする
最後の4曲がどうしても入らない
itunes強制終了

そしてRadioheadに至っては
macの鈍くいやな音とともに
ディスクが軌道に乗ることもなく、パソコンから出てきた

懲りずに次の週も探しにいくが
もう、どこへいってもRadioheadは見つからない
その代わり、昔2枚だけ初期のものを聴いていた
Joan Osborneがあった
久しぶりに聴いてみるがあんまり、というところ
でもそういうCDに限って
最後まできちんと入る

しょうがないのでyoutubeで
不思議な頭の振り方をするトム・ヨークを毎晩見ている

そして、
今日も探しに往く
果たして、餓えが満たされる日は来るのだろうか?

 

2009/06/13

風邪

鼻風邪に始まり、鼻風邪に終わる冬の風邪は毎年のことで
本当に小さな頃からだった
鼻風邪は、一番面倒だ、そう思っている
熱は上がらず、鼻ばかりでて、赤い鼻は見た目にも、美しくない

でも、土地が違うせいなのか
こちらで、初めてただの鼻風邪のはずなのに熱が出た
インフルエンザの他で熱を出したことのない身としては
焦ってしまう

夜もいい時間に
病院へ往く

日本人のスタッフも時間外なのでいらっしゃらず
英語で説明を受ける

幸いインフルエンザではなく
それが分かればよかったのだが、
病院の先生は2日仕事を休めと云う
そんな話はないだろう?
困り果てたが、私の訴えも英語では説得力に決定的な欠落があり
敢えなく2日間の休みを宣告された診断書を渡された

でも、次の朝には熱は引いていて
もう一度病院に電話をかける
今度は日本人の方がいらしたので
事情を話し、再度病院へ往く

あっさり次の日からの出勤を許可していただけた

病院というところが本当に嫌いだったのを
でも、病院を出るまで忘れていた
事務が無愛想なのは万国共通として
外国人向けの病院だったのだが
そう云えば、消毒臭さがなかったような気がする
鼻が詰まっていたからだろうか
どことなく明るくて、普通だったのだ
市役所よりもよほど健康的だった

それでも、もうお世話にはなりたくない

元気な平日に、何もせず、
青い空を自宅の窓から見上げるのは
どうしようもなく後ろめたい
高校生ならば、授業中にでもぼんやり眺められたけれど
もう、残念ながらそう云う歳では、ないのだと、
改めて、知った。



展示のご案内



もう始まっているのだけど、
ご連絡できなかった、展示の話を。

今、牛久で開かれている絵本展
もう、9回目の絵本展にここ3回、出品させていただいていた。
遠方から、準備もお手伝いできず本当に心苦しかったのだけれど
出させていただいた。

たぶん、どこかに出すという目的がないと
だらだらと、仕事にかまけて作りきれないだろうから
こういう機会は、本当にありがたい。

以前載せた、こちらから4冊と、
むかしつくったものものを。

展示メンバーによるブログ
http://bookworms9.exblog.jp/

2009/06/05

季節のこと



ここには、あまり気候の大きな変化がないように思えた

少なくともここ2ヶ月の間
ほんの少し涼しい日もあるのだけど
毎日が30度を超える
毎日湿度も80%を超える

6月に入って
なぜか急に朝夕が涼しく感じる日が続いた
そう云えば、4月5月が一番暑いと
聞いたような気もする

ほんの少しの違い
結局日中はぐったりするほど暑いのだけど
それでも、この、ささやかな変化がうれしい

おそらく、いくらか敏感にもなっているのだろう

仕事の帰りや、夜、時々ジョギングをする
空気がまとわりつくような感覚が最近は減って
風が気持ちよくなってきた

例えば、どちらかと云うと湿気を助長させるように思えるradioheadなどを
散歩の途中で聴いていても
あまり気にならなくなってきた
新しい、季節感へのアプローチだと、
勝手に思っている
そして、また聴けなくなる季節がきっと、やってくる

そして
今日の朝は 土方の人の朝涼みと 鰯雲

2009/05/31

船便


やっと、船便がとどく
なんと2ヶ月半以上、私の荷物は旅をしていたことになる

ベトナムでは、この国についた時点で
必ず中身がチェックされる
だから、同封してあった手紙が消えていたり
化粧品が盗られてしまっていたり、なんて話は
日常茶飯事のようだ

ありがたいことに、
私の荷物は、何とか無事、全部届いたようだった
きっと本など、日本語で書かれたものをとる気にもなれなかったのだろう
仕事場に届いたので、周りの人たちが荷物を覗く

ぼろぼろでほこりっぽい本がいっぱい

食べ物を期待していたようで
なんだ、とつまらない顔をされる

でも、私にとってはとてもとても大切な本たちで
その中でも、「プラテーロとわたし」は、
手元にきて嬉しい本だった

ただ、
どうも、下巻をつめ忘れたよう

今度帰ったときに、下巻を持ってこなくては。

2009/05/25

制作を続ける





平日も休日もどこかしらで仕事のことを考えながら
制作をすることになる
今、本だから作れるけれど
彫刻だったら、できる気がしない

本は細部を語ることができるけれど
彫刻は存在自体が恒久的だと思っている
その存在のあり方に添えるような
思想がない

などと、思いながら
ちまちまと本をつくる

材料を調達するところから思わぬ困難があったけれど
何とか、できた

「くじらのドレミ」がお気に入りだ

2009/05/22

トラン・アン・ユンのこと 村上春樹のこと

ネットニュースをチェックしていて
以前の見出しでは
ふん、そうなの、ぐらいにしか思っていなかった項目が
とても気になりはじめてしまった


日本のニュースとこちらの日本人向けニュースを見ることが多い
こちらの日本人向けニュースの中に
トラン・アン・ユンとのインタビューの記事があった
「ノルウェイの森」のこと


今まで多くの人に公言してきた

35を過ぎて「ノルウェイの森」が好きだと
向かいの女の人に云う男の人には気をつけたほうがいい

もっともその中には
本当に読み込んで好きな人も居るだろう
あの、赤と緑の本を
ファッションのように持っていた人の話

実際何人も見てきた


世の中には村上春樹を絶対的に信望している人が多いから
わたしが村上春樹に関して何かを話すと
顔をしかめられてしまうことが多い

中学生の頃「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を読んで
なんだかわかるようなわからないような、だけれども
部分部分に印象深い画面、というのか
組み合わせ、のようなものがあって
その詳細や部分の蓄積が新鮮だった

読み終わったあとの余韻に
今までにない感覚があったことをよく、覚えている

他の作品もかなり読んだけれど
たぶん「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」が
私の中では一番
短編での凝縮された世界観の結晶のようなものがあって、好きなものも多い

ただ、どうしても長編になると、部分や詳細の蓄積、にしかならなかった
だから、いつも余韻、止まり、になってしまう


その中で、「ノルウェイの森」は
まだ、掴みどころのある筋道だったし
共感のしどころ、というのがはっきりしていた
今度はその分、物足りなかった
その筋道だったら、戦前の小説でもあったし
そこにいくら生々しい要素をいれたとしても
結局逝ってしまったものの幻影を追うようにもとれる話の展開は
ある意味、しみったれていた

しみったれていない小説など
恋愛が絡んだ話の中にはないのだけれど
もっと別のところで
しみったれていた方が、らしい、と思った

ただ、「ノルウェイの森」が流れてくる場面
状況と曲の組み合わせなど、美しくて
何かが、としか云いようがない
小説を形づくる上での何かが、完璧だったのだけれど



しみったれの要素を抜くと
それはたぶん時代性、ということが出てくる
もがきながら無気力、という印象がある小説の時代は
どうにもつらかった
それはちょうど村上春樹が好んで翻訳をしている
「ライ麦畑」や「ギャッツビー」などでもそうで
わたしはいまだに「ライ麦畑」を、読めない

ぐだぐだと書いてしまったのだけど
いろいろな意味で
「ノルウェイの森」はひっかかるものだった


さて、トラン・アン・ユンのことを

たぶん今、わたしがここにいる
ひとつの大きなきっかけは
この監督の映画を随分見たから、だったと云える

わたしのベトナムは、映画からはじまる

「夏至」などは何度も見たし
姉妹で唄を唄うシーンなど大好きだった
「夏至」がホーチミンではなくハノイだと知って
正直がっかりしたぐらいだ
「青いパパイアの香り」は
フランスでセットを作って撮られているけれど
舞台はホーチミンだった

映像も美しいけれど
映像から立ち上がる監督の視点が好きだった
細部へのクローズアップなど
近視眼的なシーンが多くて
そのどれもに愛着のようなものを感じたし
つい、目がいってしまう、というものものを
一つ一つ丁寧にひろい上げていっているような感じがあった

もう少しでに日本では公開になる
「I come with the rain」も本当はとても見てみたい
ベトナムではないところでの映像に、
どういう細部を見せてゆくの、気になっている



小説を読んだ時の余韻、を
新聞の記事を読みながら思い出していた
あまり色が豊かではなかったけれど
色の浅い京都の山奥での静かな空気感が
映画の映像として見えてくるような気がした

本を読んでから映画を見てはいけないという原則を思うと
少し気が重いのだけど
たぶんトラン・アン・ユンは
小説の叙情性を昇華させる視点を
見せてくれるのではないか、と
もう、今から期待している