2024/04/18

戦争の時を往く音楽


キリル・ゲルシュタインの新譜の、モノクロのジャケットは美しい。
”Music in Time of War"

夜に飛ばされる、ミサイルの光の筋だ。
反射的に、さっき布団の中で見た映像を思い出す。





朝、目覚めにうとうとしたまま、携帯で仕事の連絡を確認する。
ラマダンのあとの祭日も終わり、仕事が再開する朝、
チャットには映像がいくつか共有されていた。

真っ黒な空に、花火のような火の玉がいくつも飛び、
赤い光が中空で散っていく。

意識が朦朧としたまま見た後に、急にはっとして
海外のニュースを確認する。
イランが飛ばしたミサイルを迎撃している映像だった。


暗澹たる気持ちでふとんから這い出て、ニュースの詳細を読む。
反撃の可能性を示唆する記事はそれまでにたくさん出ていたけれど、
実際に起きると、その先にある可能性についての悪いシナリオが
急に現実味を帯びて、頭の中をかけめぐる。
いい加減にしてくれ。せめて、他の国は介入するな。

なんてひどい、日曜日の朝なのだろう。



日曜の朝は、いつもより余裕を持って音楽が聴ける日のはずだった。
わたしがこんなところで、いくら悪いシナリオについて
思いを巡らせても意味がない。

Apple Classicを開いて、気になるものがないか確認する作業に徹しようと、
携帯を見つめる。
一番初めに出てきたのが、その二日前にリリースされた
ゲルシュタインのアルバムだった。












社会の動きに呼応する芸術家たちのアウトプットを
心から尊敬する。
自分が反応したところで表現する手段を持たないから、という前提もあるけれど、
殊、Fine Artやクラシカルな音楽に関しては、
そのジャンルの純粋性が社会との関連を希薄にしがちで、
さらに、その世界を好む人々の他には開かれない傾向があるから
なおさら、社会に向けた問いかけをしようとする試みそのものが
稀有でとても大切なもののように、思える。


さらに言うならば、録音はかなり前に終えていたとしても、
ロシア系ユダヤ人のゲルシュタインが
ウクライナで起きていることについてのみならず、
パレスチナで起きていることも包摂せざるを得ない
戦争というテーマを、このタイミングでタイトルに残し、
リリースしたこともまた、
個人的には、気持ちを寄せるきっかけとなった。


ただ、ドビュッシーとコミタスのピアノ曲や歌曲が交差する曲目を
戦争と関連づけることは、
フランス語もアルメニア語もわからないわたしにとって、ひどく難しい。

一見すると、ただ同時期を生きた作曲家二人の組み合わせ、としか
見えないこのアルバムを戦争と結びつけるには、コミタスの人生と、
選曲されたドビュッシーの曲目が作られた時代背景を
知らなくてはならない。




コミタスは、1869年生まれ、1916年に亡くなったアルメニアの音楽家で
比較音楽研究や作曲家として知られている。

と書いたが、わたしはこのアルバムを聴くまで、
コミタスの名を知らなかった。
アルメニア人である、ということと、アルメニアだけではなく
中東から東欧にかけて聴くことのできる、独特の旋律が
たっぷりと享受できるピアノ曲と歌曲を聴いて、
俄然興味が湧いて、調べたことを書いている。

(シリアをはじめヨルダンやパレスチナにも
アルメニア人は住み、コミュニティを形成している。
アレッポやダマスカスに住むアルメニア人たちが
クラシック音楽を牽引していること、そして、
好きなシリア人歌手のLena Chamamyanもアルメニア人で、
それだけあれば、わたしにとって調べるに十分な条件となる。)



アルバムの中に収録された曲は、どれも魅力的だけれど、
特に、このAntoniという曲の、
つかみづらい調に没入しながら
少ない音の中でたゆたう旋律に感じ取る美しさの余韻を
表現することがとても、できる気がしない。

途方もなく悲しい歌詞は、翻訳を読むまで想像がつかなかった。






トルコでアルメニア人の両親の間に生まれたコミタスは
早くに両親を亡くして孤児となり、親戚に育てられたのち、
12歳でアルメニアの地に初めて行き、
アルメニア正教のコーラス隊に入ることとなる。

キリスト教の聖歌の採譜に9世紀ごろから用いられたネウマ譜から
アルメニア音楽の表記法も学び、その後、
3000曲以上のアルメニア民族音楽をはじめ、
クルド音楽なども収集、採譜し、研究をしている。
(バルトークもまた、民族音楽の収集と研究をしていて
ルーマニアやハンガリーの民族音楽をもとに
曲を作っていることを思い出させる)

トビシリやベルリンで音楽を勉強し、アルメニア音楽の演奏のため
ヨーロッパの国々も回ったのち、生まれ育ったトルコに住み、そこで
1915年のオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺に巻き込まれた。
コミタス自身も逮捕、強制送還されるが、
著名な文化人たちの助けで解放される。
けれども、この間に見た、強烈な虐殺の記憶に神経を苛まれたまま
翌年、パリの精神病院でその生涯を終えた。


コミタスと同じ時代を生きたドビュッシーが、
コミタスの紹介するアルメニア音楽に感銘を受けた記録が残っている。
先のAntoniを聴いたドビュッシーは
”コミタスがこの一曲だけを作曲していたとしても、
偉大な作曲家とみなされたであろう”と言っている。


ドビュッシー自身も第1次世界大戦で、妻の連れ子を戦争に送っている。
また、アルメニア人虐殺の犠牲者をはじめ、
戦争の被害者に対するチャリティコンサートも開いていた。
だから、ドビュッシーの晩年の歌曲
「ホームレスの子どもたちのためのキャロル」も
このアルバムの中に入っている。

Antoniがアルメニア語でHomelessを意味することから、
ドビュッシーの「ホームレスの子どもたちのためのキャロル」が
シンクロすることをゲルシュタインはApple Classicのインタビューで語っていた。




"ぼくたちには家がない
敵軍がみんな奪って行った
僕の小さな寝床も
お父さんはもちろん戦争に行っている
かわいそうなお母さんは死んでしまった
このありさまを見る前に
ぼくたちはどうしたらいいのだろう”

「ホームレスの子どもたちのキャロル」の歌詞と
Antoniの歌詞は重なり合う。


”わたしの心は崩れ去った家のよう
ばらばらになった材木や柱は崩れ
鳥たちはその朽ちた土地に巣を作るだろう
飛ぶ魚たちのための餌になるよう
川にたどり着いたら、その中に飛び込めたらいいのに

あぁ、あなたの家は壊されている

白さをたたえた黒海をわたしは見ている
波は叩き合い、けれども、ともに混じり合うことはない
こんな皮肉な海を誰が見たことがあるだろうか
戻る家のない心は、狼狽えた国そのもの
お願いだから、これ以上わたしの心を暗くしないでくれ

あぁ、あなたの家は壊されている”







2台のピアノによる「白と黒」の、小さな、大きな無数の影の揺らぎも、
「6つの古代の墓碑銘」が作り出す、音と音の間に漂う余白も、
12のエチュードがそれぞれに持つ、豊かな色彩も、
コミタスの歌曲を担うルザン・マンタシャンの言葉と音が膨らむさまも、
どの演奏も、純粋に音楽として、素晴らしい。

このアルバムの中のドビュッシーの曲のほとんどは、
1914年から始まった第1次世界大戦の中で作られていることを知る。


すると、敏感に戦時下の空気を察知したドビュッシーが
癌と戦いながら、音楽家として表現しようとした
不穏と不安が、伝統的な調や和声から解放された
ドビュッシーらしい音色の中で時折、極まって響く。


それが、知識を得たのちの聴こえ方なのか、
何も知らなくても、うっすら感じられるものなのか、
もはやわからない。


知らなかった知識を携え、
知らなかった音階、旋法を使う楽曲を、注意深く味わいながら
このアルバムを何度も通して聴く。

わたしが見てきた、映像や写真、人の話が
時折、蘇ってくる。

そして、恐怖、不安、故郷への愛情、喪失感、
二人の作曲家がそれぞれに捉え、表現しようとした
人の為す凄惨な闘いの跡を往くという、体験を繰り返す。






「戦争とジェノサイドが私たちの暮らしに存在しうることを
ほとんど意識することはありませんでした」



ウクライナ、イスラエル、ガザ、そして、
多くのアルメニア人が命を落としたナゴルノ=カラバフでの紛争が
よりこのアルバムのテーマを重要なものにしている、という
流れをうけたゲルシュタインへのインタビューの最後は、
こう括られていた。


「2024年にアルバムを作るとは、どのような意味を持つのでしょう?
ニュースの文脈や重苦しい歴史の話や講義などではなく、
文化を通じて、聴き手がこれらの問題と向き合い、認識を新たにする
手助けをすることにあるのではないか、とわたしは考えています。
ここに、文化の高い価値があるのです。」






0 件のコメント: