2009/04/12

家の話




ホーチミンは建設ラッシュで、
いたるところが重機だらけ
高層マンションや、アパートメントを作っている

私の家も、隣は今、まさに作っている途中で
朝から土方さんたちが集まっていた

でも
私の住んでいるアパートメントもそうなのだけど
なんだか原始的な作りをしている。
写真のレンガが建物を構成している。
レンガをモルタルで重ねていって
空洞に鉄心を入れる
鉄骨代わり、のようだ。
地震があまりないのだろうか?

道ばたや空き地にはよくこのレンガが落ちていて
それを見る度に、少し不安で少しおかしい

さて、家に帰ってくると貼ってあるのが
写真の二人組。
この人たちは一体何なのだろう。

2009/04/07

食べ物のこと


本当はあまり、なんとか紀行、というような感じの
文章にはしたくないのだけど
ベトナム、と云ったら、だれもが
食事、おいしんでしょ、と云うから、
少しだけ食べ物のはなし。

確かに食べ物はおいしい。
けれども、食べるときにはカメラを持っていないので
いつまでたっても写真が撮れない。

肉も魚も味もいいのだけど
私が密かにはまっているのは
シソ、もしくはバジル、と日本人の人は云っている
葉っぱ。
葉っぱはいろいろな食事と一緒に出てきて
口の中がさっぱりする
だいたい、その葉っぱと一緒に
間違いなくドクダミ、と思われる葉っぱも乗っていて
これはまだいくらか抵抗があるけれど
これから、好きになれそうな気もする


さて、友人がケーキを買って食べていた写真を。

バターケーキだったようで
味はあんまり。
でも、色がきれいでかわいらしかった。
いつか、食べてみよう。

2009/04/05

買い物

今日は日曜日で
買い物へ往く

目抜き通りをあちらこちら
かなりの日差しにもさっぱり負けず
サングラスを売り、靴を売り、バイクを走らせる。

大きな電気屋の中からは一時代前の音楽

プリンタと携帯を買う
プリンタがあれば、仕事ができる

ホーチミン最初の朝





朝は、もう夏の朝の空気
向かいの空き地の砂で、雀が砂浴びをする

部屋の中は涼しい
さっそく昨日の夜買ったベトナムコーヒーの器具で
コーヒーをいれる

東京での最後の日買った
BEIRUTのCDを聴く
今の私の状況にはちょうどいい
どこか、土地を移動するもの
ジプシーのような音づくりで
地に足着かない感じ
タイトルを見たら
「The  Flying Club Cup」
たくさんお話を聴かせていただいた
五十嵐先生の鳥人間の話を思い出す

時間のあるうちに
とにかくアップをしてゆきます

2009/04/04

ホーチミンの夜



ホーチミンへ到着して5時間経過

飛行機を降りた瞬間、
むっとする懐かしくて胸を一杯にするような
暑い空気が押しよせてくる

緑の多い町
建物の色も凝っているし
いちいち手の込んだ鉄格子
いちいち装飾的なランプ
何もかもが、初めてで、目を奪われる

とりあえず部屋に入って
すてきとは、残念ながら云いがたい
絵の上に
鯨のポスターを貼りなおす

それから、いただいた梵字をはって
ひとまず落ち着く。

2009/04/02

名前のこと

今まで本を作ったり彫刻を作ったりしていました

何かを作り続けることは、変わりがない
たくさんのものを見て、感じて、それをアウトプットする
その作業は、怠りたくない

でも、これから
私はきちんとふたつの仕事をしていくことになります
片方は、とても、とても、気質の仕事です。

そこで

それぞれの仕事へのスタンスを分けるために
ほんの少しですが
制作の方は、名前を変えさせていただきます

本当に、本当にこっぱずかしいのですが
たぶん、やらないと
私の中でいろいろなものが混乱してしまって
よくないと思う。

せっかく地球のずいぶん東側で生まれたので
東子、ということにいたします。
制作の方だけは、
こちらでよろしくお願いいたします。

2009/04/01

カンバセーション ピース






 犬山は桜がもう、八分咲きで
 私のあまり好きではない季節がやってきました

 いつも見送るばかりだったこの季節
 出て往ってしまう人を、寂しく、恨めしく、見送っていました。

 それが、この春初めて自分が、見送られて
 こんなに気忙しく
 それなのに
 こんなに思いに囚われて
 こんなに寂しく
 こんなに尾を引くものかと
 初めて、知りました

 離れる土地でお世話になった方々
 本当に、ありがとうございます。

 最後の最後までお世話になったお店で思ったことについて、少し。

 前のところでも書きましたが
 しばらく、自分の居場所について考えていました。
 なんだか青臭いことなのですが
 単純に、つくばを離れることになって
 単純に、つくばという場所について
 ぼんやり考えていたから、でした。
 
 18歳までの犬山と
 18歳から29歳までのつくばでは
 長さに関係なく、全く重みも経験も違う。
 だから、いつの間にか私のいる場所はつくばになっていました。
 居るべき場所なのかどうかは、ずっと疑問のままでしたが。

 例えば実家から、疲れ果てて高速バスに乗って
 大きな通りの真っ直ぐな並木を見ながら
 ああ、つくばにやっと帰ってきた
 そう、思っている自分がいました。
 風景のこと。
 正直、来たばかりの頃は、この殺風景な風景に
 気がおかしくなるのではないか、
 そう思っていました。
 それが、見るだけで落ち着く、
 私のあらたな原風景に、なりつつあったように思います。

 それから、居場所のこと。
 居場所は、でも、
 自分がそこに居るだけではできない。
 自分がそこに居ることを、みとめてくれる
 自分がそこに居ることを、当たり前にしてくれる
 周りの人たちがなくてはいけないように思います。
 そのためには、よく、話さなくてはならない。
 よく話して、よく聞かなくてはならない。
 ならない、と書いたけれど、
 本当は、それが一番楽しいし、嬉しいこと

 一人でも何とかやってくいけるのかもしれないけれど
 だからといっていつも一人では、つらい
 ふと、そう思ったときに
 すぽ、っとはまる人と人の間があって
 それが居場所のようなものだな、
 そう、ぼんやりと、思いました。
 とりとめもなく、申し訳ないけれど
 何となく、そう云う気がしています。

 私の居場所を作ってくださった方々に
 本当に、感謝いたします。
 
 また、次の場所で
 私は居場所を作っていきます。
 永久欠番は、きっとないでしょうから
 今までの居場所の方々とも
 遠方より、カンバセーション ピース
 
 末永く、よろしくお願いいたします。