2018/06/29

名前を聞きそびれた、お母さんに



バスに乗る時は、隣の人を選ぶようにしている。

男性の横に座ることは文化的によしとされていないので、
余程でない限り、座らない。
どれだけ空いていても、既に座っている女性の横に
座るようにしている。

子ども連れのお母さんは、私の中で一番、いい。

私の身体のサイズはこちらの人より小さいので、
子どもを膝に乗せているお母さんたちにも、
私は都合がいい。

先日のバス。


小さな赤ちゃんを膝に乗せた、ブルカの女性の隣に狙いを定め、

空いているか訊いてみる。
どうぞ、と云ってくれたので、もたもたと
バックパックを降ろそうとして、
片手に持ったもう一つのバッグの置き場所に困っていたら
赤ちゃんを抱いていない方の手で、さっと
お母さんは私のバッグを持ってくれた。
どうも、ありがとうございます、とお礼を云う。

バスの乗車時間は長い。

元来人見知りなのに、どうしたって知らない人と相席になるので、
自分からは積極的に話はしない。
でもその日は、お礼を云った流れで、
何となく会話が、始まる。

とってもきれいな子ですね。

8ヶ月なの、と云いながら、お母さんは
ノースリーブのワンピースから出た、
あかちゃんらしいふっくらした腕を
撫でていた。

バレエの衣装のような、ふわふわの白いスカートの先から伸びる

むっちりとした足が、私の太ももをやさしくけってくる。
ワンピースを着た赤ちゃんが、お母さんの膝の上で
私の顔を見上げていた。

バスはさっぱり出発しない。

その間に、声は出さずにしぐさだけで、小さくあかちゃんがむずがる。 
大振りの服と、ブルカの裾を上手に使って、
おっぱいをあげようとしていたので、
乗車する人が行き来する通路から見えないように、
こちらは少し前屈みになって、視界を遮ったりする。
おっぱいを飲んだ体勢のまま、赤ちゃんは寝てしまった。

お母さんは、今から向かう場所の話をする。
今から旦那さんの家族が住むキャンプに往こうとしていた。
彼女もまた、以前はキャンプに住んでいたけれど、
アンマンに移り住んだ家族のお母さんだった。

お母さんは会話が途切れると、ブルカの下から

子どもに向けて何かを小さな声でささやき、
時々めくれあがった赤ちゃんのスカートの裾を直し、
髪につけたヘアーバンドをはめ直す。

あなた、いくつなの?と、ふいに訊かれる。

確実にお母さんより歳上なのは分かり切っている。
云いたくないんだけど、などと
苦笑しながら、同じ質問を彼女に返す。
やはり私よりも8歳若くて、
でも既に、11歳と6歳、4歳と膝の赤ちゃんがいた。

そして、一連のお決まりな質問を受ける。


家族はどこにいるの。あなた1人で住んでるの。結婚してないの。どうして。


一つ一つの質問が、でも、どこか真剣で

あまり真剣に耳をかしてくれるから、
つたないアラビア語で、釈然としない理由も口にすると、
そうなの、、、と一つ一つ
納得しようとしていた。
大方はおそらく、彼女には納得できない理由なのだろうけれど。


赤ちゃんは目を覚ますと、

吸い付くような大きな亜麻色の目で、
物珍しそうに私の顔を、じっと見る。
こちらもまじまじと、その大きくて澄んだ目を、見つめる。
おそらく、バスの中のエアコンは寒いだろう、と
赤ちゃんの両腕を、両手で包んでみる。

ンシャアッラ、子どももできるわよ、まだ若いわ、と

励ましてくれる。
こちらも、インシャアッラ、と、呟く。
何だか、いつもならくしゃくしゃな気持ちになるこのやりとりが
でも、そんなに気にならなかった。
ことば通り、インシャアッラ、だろう。

お母さんは、小さいけれど、深さと明るさという

本来、一緒にはならないはずの要素をバランスよく持った、きれいな声音で、
落ち着いた、丁寧な話し方をする。

子どもへの愛情は、世界中どこに居ても変わらないでしょ。

ほら、こんな生活しているし、シリアもあんな状態だけれど
子どもたちが居るから、生活できるの。
みんな知っているから、ほら、子どもへの愛情って。
ヨルダンでもシリアでも変わらないわ。
あなたも子どもは好きなんでしょ。
その気持ちって、とても大事な思いだから、
子どもが居るってことは、あなたの人生にも大事なことだと思うわ。

お母さんは時々ふと、考えているのか、何かを思い出しているのか、

間を作り、そして、丁寧に、思案し、口にする。
云い終えると、赤ちゃんを自分の身体にふわっと寄りかからせて
頭にキスをした。

本当に、そうなんだろう。

このお母さんに云われると、
すとん、と心に納まって、
何だかとても大切な真理を示す、ありがたい言葉に思えた。


あれやこれや、質問攻めにされることに慣れているから、

控えめな人と話していると、
不思議とその人のことをもっと、知りたくなる。
でも、相手がそれを望まない人なのであれば、
私からも、あまり質問はしない。

赤ちゃんは少し口を開けたまま、また眠ってしまった。

真っ白で、まだ伸び切らない短い髪を、お母さんは撫でていた。
本当にかわいい子ですね、といいつつ、
お母さんもきっと美人だから、この子もかわいいのだと、思う。

初めて話す人なのに、安心していた。

そういうことは、本当に久しぶりだった。

だからなのか、つい、そのまま思ったことを云ってみた。

あなた美人だから、この子もこんなにかわいいんですよ。

あら、あなた私の顔を見てないでしょ、と云う。

確かに、ブルカでは睫毛の長い、化粧っけのない大きな目しか、
私には見えなかった。

顔を見せてあげるわ、とブルカを挙げようとする。

全力で遠慮したのに、
大丈夫よ、と通路を挟んだ隣の席の男性をちらっと覗いて
ほら、あの人寝てるもの、と目配せする。
そして、ぱっとブルカの裾をまくしあげて、
顔を見せてくれる。
色白の、地味だけれど、しみじみと美しい、優しい顔をしていた。

バスは街を抜けて、軍事施設の他は何もない、

薄茶色の風景に変わる。

私の家からも車で15分ぐらいのところに住んでいて、

ブランクを埋めるために学年を2つ落としたけれど
勉強が好きだからいい成績が取れている、就学年齢の娘が居て、
赤ちゃんは今風邪をひいているけれど、
政府系の診療所はサービスが悪いから
プライベートの病院へ連れて行っていて、
縫製関連の仕事をしている旦那さんは
紛争前からヨルダンで仕事をしていたから
仕事の口はどうにかなっていて、
知り合いがシリアに戻るから、
シリアに居る家族にお金を託すことにしている。

そんな話を、お母さんは、ぽつぽつ、とぎれとぎれ、話していた。

時々窓の外をみて、時々私の顔をみつめ、
赤ちゃんをずっと撫でていた。


あなた、ダラーのことは知ってる?

マフラックへ向かう土漠の景色を背景に、
お母さんは赤ちゃんに視線を落としたまま、尋ねてくる。
今週頭から始まった攻撃は、ニュースで見ていた。

お母さんの家族はまだ、みんなダラーに居る。

ふたりのお兄さんと、ふたりの妹と、
一番上は3人とお腹の中に、二番目も3人、
妹さんも1人、子どもさんがいて、
彼女のお母さんもまだ、ダラーに居る。

連絡はついたけど、電気も水道もなくて、

逃げる場所もない。
でも、ハモゥドゥリッラ、みんな生きてるの。
ハモゥドゥリッラ、と何度も繰り返しながら、
過去に住んでいた家の間取りや、家の周りのものもの、
それから、今の状況を淡々と、話してくれた。

やはり、どうしても、訊いてしまう。


あなたも、帰るんですか?いつか。

インシャアッラ、帰りたいから、帰るわ。
そうしたら、アパートではなくて、
子どももいるから、一軒家が欲しいの。


キャンプに住む人の8割以上は、ダラー出身だ。

3年前にキャンプからダラーに戻ったスタッフや
最近帰ったという子どもたちの顔を、思い出していた。

マフラックのバスターミナルからも、

同じバスに乗る。
これに乗りましょ、と、いくつかあるバスの中から一台選ぶと、
お母さんは率先してバスに乗る。
あくまで動きはたおやかなのに、決断はぱっとする。
きっと4人も子どもがいたら、迷ってなどいられないのだろう。

通路の先の白いジュズダーシュを着たおじいさんが

膝にちょこんと座っている赤ちゃんを
必死にあやそうとしていた。
彼もシリア人だ。キャンプに往こうとしているから。

ものすごいスピードで幹線道路を疾走するバスの窓からは
相変わらず茶色い平たい土地と、
遠くにスウェイダの黒い山が見える。
私にとって見慣れた風景は、でも、彼女にとっては
上の娘二人の喘息に苦しむ記憶しかない、意地悪な土地なのかもしれない。
互いに無言で窓の外を見つめていた。

全開の窓からの突風に顔をしかめる赤ちゃんに
気がついたお母さんは、窓を閉める。


シリア人用のゲートは面倒が多いので、普段は使わない。

でも、何だかお母さんと一緒に居たくて、
キャンプ内のタクシーをシェアするために、
彼女と一緒にシリア人用ゲートを使う。

彼女が2つ目のゲートの検問で車を降りている間に

定額になっているタクシー代を払い、
キャンプ内の目的地で、私が先に、タクシーを降りた。

タクシーの中から、お母さんはこちらに向けて、

ひらひらと、手を振っていた。
さりげなくて、静かなお別れだった。

初めて会った人との別れ際には、

お会いできて光栄です、というアラビア語の挨拶をよく、使う。
その挨拶を云って、車を降りたあと、
云いたかったことはそんな言葉ではなかった、と
車を見送りながら、後悔に立ち尽くす。

きっと、私はあなたのことを、
ほとんど何も、わかっていないのだろうけれど、
何だかとても、あなたのことが好きだ。

よく知らないのに、好きだなんて口にしようとするなんて
こちらの子どもたちみたいだ、
そう、気を紛らわそうとしたけれど、
ごめんなさい、が云えなかった子どものときみたいに
小さく胸の奥をつねられるような、痛みが残った。



ブヒッビック

女性単数に向けての、好き、というこのフレーズは
子どもたちがやたらと誰にでも使うので、
聴き馴れたアラビア語だ。
けれども、私から誰かに云ったことは、
ほとんど、なかった。

そして、
4人の子どもの名前は聞いたのに

お母さんの名前は聞かなかった。
私の名前も、云わなかった。


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