2018/06/01

彼らの暮らしと、話の、断片 5月4週目


ラマダンに入ると、急に暑くなって
5月だなんて信じられないような、日が続いていた。
キャンプで吹く風は、キャンプの敷地近くを通過する羊たちの匂いが混じって
時に、あまり心地よく、ない。
湿気を含んだ風が、砂と混じって顔をちりちりといたぶる。


基本的に、キャンプでは家庭訪問をしていない。
単純に、プログラムの中に家庭訪問は含まれていないからで、
雇用する側としては、契約外のことはお願いしづらい。

ただ、どうにも気になる子どもが居た。
学校に来なくなってからまだ時間が経っていない。
今往かなければ、おそらくもうこの先、
学校で彼の姿を見ることはないだろう。
同じようにそのことを気にかけていた同僚と伴に、
とぼとぼと歩いて、その家を訪問する。

午前は女子、午後は男子シフトだから、
本来はまだ、その子が学校に来ているのならば、
学校に居る時間だった。
でも、ラマダンと期末テストが重なって
下校が早まっている。
どの子どもたちも、うだるような暑さの屋外を避けて、
家に戻って、次の日のテストの勉強でも、
しているはずの時間だった。



ザアタリキャンプ D8




案内をしてくれた近所の男の子は、
トタンと布で囲われた入り口で、その子の名前を呼ぶ。
しばらく誰もでてこなかった。
初めに出てきたのは弟とおぼしき男の子、
呆れるぐらい、兄とそっくりだった
次に父親、そして、母親、姉が順々に
入り口から顔を出す。

3つのプレハブをつなげてできた家の前には
トタンでできた鶏と鳩の小さな箱があった。
プレハブとプレハブの間には、セメントが敷かれていて
その上をトタンで覆えば、そこも立派な住居になる。

奥のプレハブは居間になっていた。
そこは、居間であり、寝室であり、客間でもある。
自由シリア軍の細長い旗が入るとすぐ、目につく。
大柄の花の模様の、薄いオーガンジィまがいの布の貼られた壁には
コーランの格言の書かれたプレートが飾られていた。

アラビーマットが部屋の脇に4つ敷かれていて
細長の部屋に、私と同僚、そして父親と母親が
対面する形で座る。
部屋の脇には戸棚とおぼしきものがあって、
そこの中には雑然と服が詰め込まれていた。

扇風機をつける。
電気がないはずなので、ジェネレーターを使っていたら申しわけないと断ると、
ソーラーパネルがあるから大丈夫だ、と、云う。


その子どもに起きた問題については既に、
親と過去に電話で話をしていた。
学校へ往くよう、親からその子へ話はあったはずで
でも、彼の姿をみていないことについて、
親と話し合いことになっていた。

その子どもが学校に来なくなった前日、
キャンプ内の工事用に入っている重機を
運転手の休憩中、勝手に運転しようとした。
それも一大事だったが、一番問題になったのは、
その重機の鍵が見つからないことだった。
鍵を持っていったのか、どこかへ放ってしまったのか、
どこにも見あたらない。
警察署に呼ばれて、さんざん問いただされた。
相当叩かれたり脅されたりしたようだった。
でも、鍵のありかは分からないままだ。



アラブ人の年齢は、分かりづらい。
ただ、40は確実に越えているだろう両親は
どちらかというと淡々と、こちらの話を聞き、
やはり、どちらかというと淡々と、
こちらの質問に答えていた。
一度として声を荒げることもなかったが、
一度として真剣に語ることも、なかった。

学校に往ってるかと思ったよ、
だって、10時には家を出て往くからね。
学校はどうだった?って訊いても
適当に返事をするだけだし。
今も買い物に出してから1時間半も経ってるから
一体どこでなにしてるんだかね。

兄弟は10人、その誰も、読み書きは十分にできない。

最初に見たそっくりの弟が部屋に入ってくる。
マットの上に置いてあった同僚の携帯電話に、手を出そうとする。
これはダメだ、と父親に云われても、耳を貸そうとしない。
同僚は、親の前でも教員のように、
子どもにきちんと、ダメな理由を話す。
よく理解しているのかどうか、でも
6歳になる弟の動きからは分からなかった。

面倒なのか仕方なくなのか、父親が自分の携帯を渡す。
客が来ていてもおかまいなく、
父親に携帯の操作を訊こうとしたり、
膝の上に乗ろうとする。
相手にされないことが分かっていても、執拗で、
止めようとしなかった。

母親はその様子をただ、少し笑みを浮かべてみていた。

キャンプでの父親の仕事の話をしていた。
水の配給車のアシスタントをしていたが、
それも予算カットでなくなった。

近所の人はみんな、うちのあの子のことを知ってるよ。
どこへ往っても悪いことしかしないからね。
今回のことだって、みんな知ってる。
今に始まった話じゃないさ。
道ばたの雑貨屋で、店のおじさんと座っていたりさ。
もの売ってるわけじゃないのに。

父親は、近所の子どもの話でもするように、
自分の子どもについて、話し続ける。

大人の会話をまた、弟は邪魔をしようとしていたので、
その日の朝、キャンプのゲートで知り合いの男の子からもらった
おもちゃをあげる。
ベトナムで私も遊んだおもちゃ。
プラスティックの小さなパーツをゴムに引っかけて空に飛ばすと
くるくる回転して、落ちてくるやつだ。

左手でこのパーツを持って、ここにゴムをひっかけて、ひっぱるの。
そう、こっちの手を離して、と
説明をする。
大人たちの話からやっと離れた弟は、
自分を構ってくれる、よく知りもしないアジア人でも、
とりあえずは満足したようだった。
小さな指で、必死にパーツをひっぱる。
うまく往かなくて、思い通りの方向に飛ばない。
それでも、何度か試してから、
おもちゃを持ったまま、部屋を出て往った。
と思ったら、ものすごい泣き声がした。

両親は二人とも、微動だにしない。声も、かけない。
泣き声はしばらく続き、
涙と鼻水でぐしょぐしょになった弟がまた、
部屋の中に戻ってきた。

ありとあらゆる水分を小さな手の甲で拭いながら
また、携帯電話をいじりはじめる。
あのおもちゃはどこへ往ったのだろう。
ゲームの画面には、色とりどりの球体が舞う。
その画面になる度に、嬉しそうに、私にも見せてくる。

配給の水には消毒の薬品が入っているから
おいしくないんだ。
タンクはゴミが入ったりするからね。

そこへ、待っていた子どもが、帰ってきた。
買い物に往ったはずなのに、手には何も持っていない。
でも、両親はそこには触れず、
ほら、来てくれたんだからそこに座りなさい、と云う。
子どもの顔は、見たことがないほど緊張していた。
ほぼ、無表情に近い。
じっと父親の顔を見たまま、しばらくは座りもしなかった。

やっと座った子どもに、同僚が話しかける。

文字が読めないのでは、バスに乗るのにも
どこへ行くバスなのか、わからないでしょ。
道ばたで桃を売るにも、金勘定ができなくては、
だまされてしまうでしょ。

子どもの表情は固まったままだった。
そして、おもむろに立ち上がると、
どこかへ往ってしまった。
出て往く彼に、両親は一言も何も、云わなかった。

母親はどちらかというと、薄く笑みを浮かべながら
終始話を聞いているだけだった。

何か云いたいことは他にある?と、訊かれる。

あの子は、ものをよく見たら、
それがすぐによく理解できる。
たぶん、とても賢い子だ、と
それだけ、云っておいた。


家を出る時には、既に子どもは家から居なくなっていた。


あの弟、あまりにも似ていておかしいね、
顔だけじゃなくて、動きもそっくりだった。
そんなどうでもいいことを話しながら
帰りの道のり、同僚と私は、おそらく
同じような、釈然としないこころもちになっていたのだと思う。


確実に、生気の抜け切った両親のもとで、
たくさんの兄弟とともに、
いくらかの関心ももたれないまま
彼は毎日を過ごしていた。

仕事がなくてずっと家に居る父親に
あんなにあからさまな恐怖心を抱いている。
動物的な、肉体的な、恐怖心。


そんな恐怖心と闘う家に居るよりは、
どこか外をふらふらと歩いている方が
彼にとってはきっと、こころ落ち着くのだろう。


シンプルに、愛情が足りないな、と思った。
でもたぶん、それは、決定的で、致命的なことだ。


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