あまり本を吟味する時間がなかった。
絶対買うと帰国前から心に決めたものを買ってしまったら、
購入欲が一度、消え失せる。
そして、帰国が近くづくと、まだこれでは足りないと、焦り始める。
それなのに、トランクは服やら出汁やら書類やらお土産やらでいっぱいになり、
これ以上本は買えない、というお決まりの状況に陥る。
戻る前日、代々木八幡での仕事と仕事の間、
小さな本屋で15分ぐらい時間を潰す。
随分偏りのある本ばかりだけれど、どれも面白そうで、
満杯のトランクを思い出しながら、一つだけ、レジへ持っていったのが、
Miranda Julyの短編集だった。
彼女の短編は、他の外国人作家との寄せ集めの中で初めて知った。
プールもろくな水場もないアメリカの片田舎で
洗面器と部屋の床を使って老人たちに水泳を教える
若い女の子の話。
水のない土地に居るからか、
茶色い砂埃の風景を見る度に、
老人たちが足をバタバタさせながら、床を這いずり回る描写を思い出した。
つまり、随分と気に入った。
読み口は軽いけれど、
情景描写と心象描写がみごとで、
細かな心のひだの、ちょうどここ、というところを
見事に書き表している。
短編映画でも見ているようだ、と思ったら、
実際に映画を制作しているらしい。
映画も見てみたい。
購入した本の話の一つ一つは、
どうにも不道徳だったり、破廉恥だったり、
頭がオカシイとしか思えないような、
どこかに破綻のある人たち、か、
どこにも破綻など絶対にあるべきではない、と
思い続けて結局、日常の小さな隙に、
嵌ってしまう人たちばかりだ。
狂気の沙汰は、
満足している人間の中には、生まれ出ることもない。
ぽっかりと空いた隙間には、
埋めなくてはとてつもなく不安になるような、
寂しさがあって、
そこを何かしらで埋めなくては、となったとき、
狂気は心優しい友となったり、するのだろう。
そして、だいたいの場合、
他人を傷つける狂気も、傷つけない程度の小さな狂気も
自分自身を傷つける狂気も
人に、何かを強く欲する時に始まる。
強く欲するなにかは、狂気をしても、だいたいは叶うことがなくて、
ふと、その現実に気がついたとき、
とてつもなく、哀しい。
そして、自分のおかしさを、
あわれなほどにまざまざと見せつけられる。
短編を通して、そんな人たちの姿を
どうしようもないけれど、どこか愛おしいと思えるのは、
大なり小なり、叶わない切ない思いをして、
あわれな自分の姿を、見せつけられたことがあるからだ。
まさに、おおよその場合、何も叶えられない自分は、
どうしようもない人たちだ、と思いながら、
不覚にも、心の隙間が埋まっていくのを、感じる。
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