2016/12/26

隣の国


旅は苦手だ。

ホテルやら飛行機やら、街の地図やら乗り物やら
そういうものものを事前に調べているだけで
具合が悪くなる。

だから、海外に居るのに
だいたいは自分の住んでいる街に居座って
どこかへ往こうとは思わない。

ただ、どうしても往ってみたい国もあった。
ヨルダンに居るのだから、
初めてアラブで仕事をした人たちがパレスティナ人だったから
絶対に、隣の国は見ておかなくては、と。
半ば使命感のようなものだった。



隣の国に入るのに、こんなに壮大な時間がかかるなど、
話には聞いていたけれど、聞くのと見るのでは、大違いだった。

ちょうどクリスマスで巡礼に往く人たちでごった返したイミグレで
パスポートを一度取られてしまう。
バスの中で待っていれば戻ってくるのだけれど
それは、とてつもなく不安なことだった。


水もない橋を渡って国境を越える。
ヨルダンを出る検問で止まったまま動かないバスの中で
曇った空を飛ぶ、きれいなV字の渡り鳥を見た。
見事な編隊を組んで、南へ飛んでいった。

国境はもともと川だった地形からか、
砂と乾いた土が不規則な小山を作っている。
本来ならば水があって豊かだったであろう土地が
不自然に誰もいない。

イスラエル側に入ると、また人がとぐろを巻いて列となって
イミグレで立ち往生する。
大量の人が溜まった列を目の前に
冷酷なまでに冷静な係の女性が
少しだけ笑顔を見せてくれるだけで
こちらもうれしくなってしまったり、した。

国境を越えるだけにちょうど、4時間半かかった。
たった、1キロぐらいの地域を進むだけに。

エルサレムに続く道の先には
ちょうどマダバの高台から望遠鏡で見た高層アパートメントが見えた。

エルサレムの旧市街は
以前往った、レバノンのスールの
海岸脇のキャンプに似ていた。
たくさんの兵士がいたけれど、
たくさんのお土産物屋が軒を連ねるスークの中を歩くのは楽しかった。

嘆きの壁の脇の階段からすぐそこにコッズがあるのに気づいて、はっとする。
たくさんの信条が、そこには混沌としていることは
高いところに往かなければ、分からない。

金曜日に着いたエルサレムは、夕方から店がすっかり閉店してしまって
レストランに入るにも、選択肢がほとんどなくなっていた。
それでも、入ったパブで久しぶりに飲んだギネスはおいしかった。



ベツレヘムにも往った。
観光客とアラブ人が混じったバスの中で
アラビア語が聞けるだけで、心底ほっとする。


ベツレヘムにはヒジャーブを被った人たちもたくさん居る。
クリスマスイブに人で溢れ返った教会への道は
よく見たことのある商品の売られた店が続いていて
国は違うけれど、趣向は同じなんだと、改めて気づかされた。

でも、野菜はみんな、ヨルダンよりも立派で大きかった。
見事なカリフラワーとホースラディッシュを凝視してしまう。

結局生誕教会の中も見られなかったけれど
すぐ脇の聖母をまつる教会で
エチオピアから来た巡礼客が
彼ら独特の和音で唱う賛美歌を聴くことができた。
その奥では白人のグループが、輪になって何かを真剣に話し合っていた。


ベツレヘムからエルサレムに帰ろうと、
行きと同じバスの運転手に確認する。
エルサレムに帰りたいのだけど、とアラビア語で聞くと
エルサレムではなくて、コッズでしょ、と云われる。
いや、エルサレムに、、、、と云いかけて
彼らの云う意味を理解する。
そうでした、コッズに戻りたいんです、と云い直す。
運転手と運転席のすぐ後ろに座っていた老人が
そうだろう、と満足そうに笑った。




もう一度、旧市街の高台に上がって旧市街を見下ろす。
旧市街の中にある、それぞれの宗教で分けられた街の地図を思い出しながら
共存する、ということの混沌と難しさと、美しさを見る。



夜からにぎわいの戻った西エルサレムの繁華街は
夜半まで人々の声が途切れなかった。
赤いダビデの星をプリントした若者たちとすれ違う。
急に、きゅっと身体が緊張するのを感じた。

 


ヨルダンに戻る。
エルサレムから海抜0地点を越えるくねった道の両側には
ヨルダンと同じ、いくつもの丘が連なる見慣れた景色だった。
久しぶりにこの景色を見た。

わずかな緑が表面を覆う丘の景色が好きだ。
隣の国でも、同じようにもっと寒い季節がやってくるのに
どうしたって、雨が降るとすぐに生えてきてしまう
淡い緑と薄茶色の地肌の混じる、羊か山羊しかいない景色。


行きよりはスムーズに国境を越えて
ヨルダンバレーで肌に感じた湿気の混じる少しだけ温かい風に
やはり、心の底から安心した。


隣の国は、遠かった。


追記:
赤いダビデの星は、Margen David Adomという赤十字のイスラエル版にあたる
救護団体と、教えていただいた。
暗闇にたくさんの若者がさわぎながら歩いていたからかもしれないけれど
確かに私は身構えた。
その反応の中にはたくさんの先入観と偏見があったことは
できる限りフェアな立場で居ようと思いつつ、
既にそれこそ、私の会ったパレスティナキャンプの子どもたちのように
いろいろなものを知らず、検証せずに頭から信じてしまっていたことも、また

自省として、教えていただいたことになる。


2016/12/03

この世の業と、虹



一昨日、今年初めての、本格的な雨が降る。
屋上階の窓の外では、グレースケールのような様々な灰色が
どんどんと南東に流れていった。

雨には滅法弱い街だから、こんな時には猫のようにじっとしているのがいい。


先週、体調不良で仕事を休んでいた。


一人暮らしでは食事も大変だろうと
ナショナルスタッフからしっかり重いアラブ料理をいただいた。
それから、花束なんてものも、いただいてしまった。

温かくした部屋の中に、いただいた花の青い香りがする。
この匂いを嗅ぐのは、久しぶりだった。


夕方から降り出した雨は、繁華街の街灯を映し出して

緑や紫、赤や黄に滲んでいる。
そのまあるく染まった、濡れた道路や細かな雨を見ながら
ちょうどこんな形をしていたのでは、と思い当たるものがあった。




仕事をできるほどの集中力もなく

ただ痛みに耐えながら
横になっている間、ぼんやりといろいろなことを考えていた。

国が変われば、

誰かからの呪いであったり、どこかから拾ってきた思いであったり
ありとあらゆる病気という災いに理由が付与される。

他人からの恨みや妬みや呪いが強ければ強いほど

治る見込みがなくなってくるわけだ。

今のところ順調に回復中で

自分の不養生が原因なのだけれど
もしこの痛みに理由があるのならば、何だったのだろうかと
身の回りのあれやこれを思い出してみた。

私情には問題はないはずだが、

仕事にはいろいろ、ないわけではない。
基本仕事はアラブ人が相手だから
恨みつらみも深そうだ。

もっとも、アラブには黒魔術的なものはないので、

実際にのろわれたわけではなさそうだけれど
自分の下してきた判断や言動を思い返し
また、周りのスタッフたちの病気やけがを思い出し
どこまで分かって、どこまで理解していたのだろうか、と
自分の配慮や思いやりの深さを測ったりした。


結果、様々、反省することとなる。



そういういろいろを、頭の中でぼうっと思っていると

この世のさまざまな感情や気持ちが、
強いて云うならば、業、という言葉のようなものになって
わたしの周りに存在しているように思えてきた。
近い人も、遠い人も、ただのご近所さんも、
見たことがあるだけでも、つながっているだけでも、思っているだけでも
存在を知る限り、
その人たちの大小さまざまな、でも強い何かが
丸い魂みたいになって、
いただいたものや、つながりのあるものや、
連想するものや、ただただ記憶するものから、
ぼわぼわと出てきているような思いに捕われる。

それがちょうど、雨の中の色とりどりの光のようなイメージだった。




本当ならば、憾みも邪悪な思いも

手のひらに乗せたならば、よく見つめて
思いを汲まなくてはならない。

たぶん、忙しいからと

そういう思いの丸い塊を避けながら
暮らしていたのだろう。

横になっている間は、ぼうっとしていたから

今まで避けてきたものものが
ここぞとばかりにやってきたようだ。
覚悟を決めて、よく、それらの塊を見つめ続けた。

もっとも、他人の業ばかりではなく、しっかり自分の業もある。

前向きなものもあれば、恐ろしく後ろ向きなものもあり、
こればかりは本当にたちが悪い。
何とか捨て去る方法はないかと、あれやこれや、手を考えたりした。

結局自分の業はどうにもならず、まだ残る痛みと一緒に

ふてぶてしくそこらへんに居すわった。
仕方がないので、一つ一つ、
分解したり、まとめてみたり、分類してみたり、鼻で笑ってみたり、した。


雨と一緒に流されて
朝になったらきれいさっぱり、なくなってくれないものだろうかと
ほの暗い繁華街の道を見下ろしながら、思った。








翌朝、雨と風の音で、目が覚める。
雲がすごい勢いで流れていくのを
ちょっとした天体ショーのように、眺めていた。






それから、もしかしてと思い、ベランダに出て
随分はっきりした虹を見つける。
長い間、くっきりとした色相が
薄く二重なって見事な半円を描いていた。

金曜の朝、きっとまだ誰も
こんな立派な虹に気づいていないだろう、と
したり顔で写真を撮っていた。

結局、半日以上、虹は位置を変え、濃さを変え、
家の窓からずっと見えていた。
本当に見事な、虹だった。

つらい一週間の末やってきた、休日の朝の贈り物ではなく、
誰もが鑑賞できる、気前のいい虹だった。

独り占めしようなど、というのが業というものなのだろうと、
アンマン城にかかる虹を見ながら、思った。
当然、次から次へと湧いてくる自分の業は
雨に流されることなんて、なかった。



早朝だったら、絶対にかかることのない位置に光る虹をみながら
自分の、この種の業なんてものは、場合によっては
こうやって凌駕するものに、
見事に、さわやかに、一蹴されるものなのだと、見せつけられる。

それならばそれで、悪くない。






2016/11/14

誰かに会うかも、しれない


日本の滞在はいつになく忙しかった。

おかげで、不本意ながらもヒラリーとトランプの顔を見ながら
銭湯に入らなくてはならなかったり
方々への返信が滞ったり
買い忘れが多くて、お土産もそろっていなかったり、している。

原因の一つは、単純にわたしの処理能力が低いからで
もう一つは、優先順位が自分本意だったから、というところだろう。

最後の日にたまたま、新宿を歩いていて思い立ち
新宿御苑に往ったりした。
日本での優先順位で常に、植物園か、動物園が上位に入っている。
おそらく、こういうことが、その他の大事なことができない理由なのだろう。




閑散とした公園を想像していたから
恐ろしい人の数に幾分、興ざめしてしまったのだけれど
立派なヒマラヤ杉と、湿気たっぷりの木陰と
黄色いスズカケ並木は、悪くなかった。



高い木々の向こうに高層ビルが見えるところが
少しだけ、ホーチミンの動物園に似ていた。

思いがけず、温室があったのも、よかった。
ヨルダンでの今年の夏、温室の、むっとする湿気と土の匂いに
ずっとずっと焦がれていたのを、思い出したりした。




家族連れとカップルばかりなので、
なんだか自分の場違いに身を固くせざるをえなくて
買ったばかりのイヤホンを試すのにもちょうどいい、などと
大きな、小さな子どもたちの声の代わりに
Nick Drakeを久しぶりに聴いたりしていた。

水と湿気のある景色は、確かにRiver Manとかぴったりなのだけれど
景色と曲にギャップがないということは、随分直接的で
曲がいつも以上に音と色を濃くしていた。


今回の優先順位で一番高かったのは、映画だった。
波に乗って「君の名は」を観よう、という話。
新海誠の映画は全部見ていたのもあって気になっていた。

期待通り、ぐっときた。
でも、なんでぐっときたのか、はっきりと掴みきれなかった。
映画のストーリー展開が早すぎて
ついていくのに必死なはずなのだけれど、
ふっと心の中の何かに触ってくる場面がなんどとなくあって、
その感触だけで十分、泣けてしまった。

では、それはなんだったのか、と。

頭の片隅でずっと気になりながら
仕事の帰りに、乗り換えと買い物で、新宿を歩いていた。

新宿では、たくさんのしらない人とすれ違う。
なぜだか時々、すれ違う人を
誰かと間違えて振り返ったりする。
記憶が曖昧になって、みんなが似てみえているのかもしれない。
アラブ人ばかり見ていたら、あの濃い顔に目が慣れてしまったのかもしれない。

日本に戻ると時々、やってしまうのだ。
文字通り、振り返ってしまう。

そして、その瞬間、なにをしているんだろう、と恥ずかしくなり
違っていて当たり前だと思う。
それから、掴みどころのない、ささやかで、でも、決定的な失望感がやってくる。
見間違えた人は、そんなに関わった人ではなかったはずなのに、と
その人のことやその周りの人やことを思い出したりしていると
意外と引きずったりする。

そして、その度に、自分の小さな失敗とともに
人の多さに、呆れる。
こんなにたくさん人が居るという、事実。

人があんなにたくさん居て、それなのに
ただただ、物理的にすれ違うだけの関係性だから生じる、勘違いだ。
心の中に不本意ながらできた、小さく深い真っ暗な穴を見つめながら
仕方ない、間違いだったのだ、と
妙な具合に自分の中で自分を納得させる。

だいたい東京では新宿近辺にいるのだけれど
映画を観てからなるほど、新宿だからそういうことが起きるのだと、
土地にせいにしてみたりする。

とか。

ヨルダンに戻るフライトの中で
目が醒めたとき、涙が出ていた。
寝起きに泣いていることは、きっと
誰しも時々、あることだと思う。

理由なんてない。ただ昼間につけていたコンタクトの調子なのか
乾燥していた飛行機の中だからなのか。
ただ、このフライとではちょうど確かに、
誰かのことが夢に出てきたような気もして
でも、夢の中身はこれっぽちも思い出せなくて
飛行機の窓から、月に照らされて青白く光った翼と
明るい紺色の夜空を見たりした。

夢の痕跡や残り香のようなものに
その一日の心が占領されてしまう、なんてことも
時々あることなのではないか、と、思う。

そして、あれはなんだったのか、と
夢特有のおぼつかなさが手伝って、
都合がいいあれやこれを、
もしくは心配事のあれやこれを
夢のせいにして膨らませたりする。

夢の役目だ。

映画のストーリー自体が、おそらく
夢にまつわるたくさんの言い伝えや過去の文学を踏襲しているのだろうと、
勝手に思っている。



そういうことのいろいろがたぶん
映画を見ていて思い出されたのだろう。



絵の美しさには定評がある監督だけれど
「言の葉の庭」も「君の名は」も雨が降っていて
その圧倒的な緑と青の、みずみずしさが、もう、恋しくなる。
そういえば、「言の葉の庭」は新宿御苑だったと、
新宿駅の道すがら、新宿高校を見て思い出した。
味気ないと思っていた東京の景色が、
前よりも美しく思えるようになったのも、この監督のおかげかもしれない。

しばらくはまだ、映画をひきずるのだろう。
いっそのこと、Radwimpsのアルバムでも、買って帰ればよかったと、
今更後悔している。



もう、特別な誰かが居るとは思わないし思えないけれど
会いたい誰かに会えるかもしれない、と
そこはかとない期待を持って街を歩けるのならば
雨の新宿だって、悪くないところのように、思える。


アンマンでも、起こりうるのだろうか。
アンマンにも雨の季節が、やってきた。

2016/09/25

彼らの暮らしと、話の断片 9月3週目



ヨルダンの初秋は、随分とさわやかだ。

夜と昼の温度差があるからか、
日中はまだ、夏のように日差しが強いのだけれど
日の傾きは、確実に真夏のそれと違っていて、
その日の色の違いを、ひらけた空全体が映し出している。
だから、真夏の青さと、また少し、違う。

そう云えば、去年も今頃フィールドに出ていた、と
同じ地域を往く度に、何度も往ったその土地の
季節の移り変わりを、思い出したりしていた。

その、有無を云わせない、決定的な季節の変化に、
移動の車からやもすると、呆然と外を眺めてしまいそうになり、
はっと、気持ちがどこか遠くへ往ってしまいそうなのを
引き止めなくてはならなかった。

ヨルダンの秋にも、たくさんの記憶がある。
そう云えば、事業の始めにはイルビッドの訪問もしていたから
そろそろオリーブの収穫時期だろう、と
ムアッサル、というオリーブオイルの圧搾工場に並ぶ
車の列や、その先に広がる開けた青い空、
記憶の中の古い画像を、思い出していた。

でも、久々のフィールドは、いつもどこかで、少し緊張する。
この日は、ご家族に訊きたい別件の内容もあったから、
頭の中で、どうしたらスムーズに話が持っていけるのか
頭の片隅で、いろいろと考えを巡らせていた。

タバルブール、という比較的新しく開発された地域への訪問だった。


1件目:

建物のエントランスに立って待っていてくれた女の子は
そこからそのまま小さなタイルばりの庭の奥の
真っ暗な扉の中に入っていった。
家の入り口はすぐ、居間で、
広くない部屋の3面に置かれたソファの上には
3匹の熊のぬいぐるみが、均等な感覚で置かれていた。

エジプト人の家庭だった。
もう20年近く、ヨルダンに住んでいる。

お母さんは入り口の問い面に座っている。
部屋には灯りがなくて、開け放した入り口のドアからの光だけで
話をすることになる。
正面から入り込む光が、お母さんの姿だけに、静謐な陰影をつけていた。

教育に熱心なお母さんだった。
子どもの授業の様子を、よく知っていた。
どうも、つい最近まで私立の学校に、この女の子は通っていたようだった。
学校で習ったことを教科ごとに書き込める紙を見せてくれた。
私立ではきちんと、内容がわかるようにプリントを保護者にも作ってくれる、と。

話を聞いていると、
2番目の子どもが、おそらく日本ではADHDに分類されるような
学習や授業態度に難しさがある子のようだった。
なかなか適切なフォローが受けられない、という話になる。
病院に往こうと思っても、随分遠いところしか紹介してもらえなくて、
どうしたものか、と困っている、と。

いわゆる、病気と診断されるような人たちを対象とした病院のリストはあるけれど
学習障害を診る病院の名前は、手元になかった。

申し訳なくなり、スタッフとわたしは、ただただ、話を聞いた。
教育に関する限り、資料は準備しておくべきだった。

話はまた、学校に戻る。
公立の学校でも、ヨルダン人とシリア人以外の国籍の子どもは、
教科書代を払わなくてはならない。
この支出は辛いですね、と、でも、淡々とお母さんは話した。


去年のちょうど同じ時季、イラク人家庭に往った時にも、同じ話を聞いた。
その家庭は、交通事故でお父さんの足が不自由になってしまっていて
本当に困窮していた。
そこの家のお母さんは途中から、ずっと泣いていた。

教育省の役人と会議をするときに、
どういうことになっているのか、訊いてみた。
だって、イラク人には、お金持ちもいますからね、と
何ともするり、と云ってのけていた。


横に座っている6年生の女の子は
目をどこかに見据えたまま、静かに話を聞いていた。
何かに答える時、すこししわがれた、でもはきはきとした話し方をする
賢そうな子だった。
とにかく、本を読むのが好きだと、
やはり、人に話をする時には、相手の目をしっかり見据えて
話をする。

何か、学校でも家の周りでも、困ったことはないですか。
この質問に、お母さんもやはり、こちらの目をしっかり、見る。

ここはヨルダンで、私たちはヨルダン人なんだ、
エジプト人なのにどうしてここに居るの?
と、子どもは時々、訊かれる。
どうやって子どもは、この質問に答えればいいのかしら。

近所に住む子どもに訊かれたと、
女の子は云う。
部屋の真ん中にできた、空間の中に視線を据えていた。
どうやって答えたのか、結局聞けなかった。


家を出る時に、また女の子が建物の入り口まで
見送りにきてくれた。
暗い部屋を出ると、
心なしかどこか、すべての色が柔らかくなっているように思える。
女の子の目もまた、淡いグレーで
朝の黄色い光に、やわらいだ輝きが見えた気がした。


2件目:

出迎えてくれたお父さんは、
広い居間のソファに座った。
ほどなくして、おむつを履いた男の子がやってくる。
立派な垂れ目の、大人のようなはっきりした顔立ちの子で
なにかいたずらをしてやろうと、そこここを歩き回っていた。

HCRの証明書に、お母さんの名前はなかった。
お母さんはヨルダン人だから、登録されていない。
5人の子どもたちも、写真を見る限り、顔立ちがきりっとしていた。

お父さんは低くて大きな声で、娘を呼ぶ。
奥から6年生の長女がやってきた。
ピアスとカチューシャに、お揃いの青い花がついていて
派手な服と一緒になるとちぐはぐなのだけれど
時々カチューシャの場所を、手で確認していた。
随分と、神妙な顔で。
こちらの子の常で、腕を腹のあたりでしっかりと組んで
話を聞く。

学校では、学校の敷地内にある売店の手伝いをしている。
お金も扱うし、商品の場所や名前をしっかり覚えていなくてはならないから、
きっととても、活発で気の利く子なのだろう。

もう1人、4年生の女の子が居るはずだった。
学校の話を聞きたくて、居間に呼んでもらう。
何が楽しいのか、ずっとずっと、にこにこしている子で、
ふっくらした顔がよけいに、まあるくなっていた。

どんなことをするのが好きか訊いてみると、
乗り物が好きだから、バスに乗って学校に往くのが楽しい
そう、長女は答える。
下の子が、答えようとすると
とにかく、食べるのが好きなんだよなぁ、と
お父さんが代わりに答える。
嫌な顔もせず、ふっふとうれしそうに、下の子は笑っていた。

お父さんの携帯が鳴ると、おむつの子がいじろうと手を出す。
話の邪魔をさせまい、と、長女が引き寄せようとする。
それをものすごい力で振り切ろうとしていた。
ふっふと、うれしそうにまた、
隣に座っている下の子が笑っている。

どこかへ出かける支度が終わったお母さんが入ってきた。
背の高いお母さんで、立ったまま話をすると
なんだか、怒られているような気分になった。
下の子も勉強が好きだったらいいんだけどね、と
さほど困った様子でも、口調でもなく、云った。
また、自分のことを云われているのに、
下の子がふっふ、と、お餅のようなほっぺたを
ぷっくりさせて笑っていた。
その横で、おむつの子が、長女の膝に乗ろうと
足に体当たりしていた。

お父さんは仕事を転々としているし、
お母さんも親戚を頼ったりしなくてはならない。

けれども、圧倒的な安定感が、
部屋中に漂っている、見ていて幸せになる、家族の様子だった。


3件目;

ちょうど1年前の今頃、近くの家を訪問した。
熟しすぎたいちじくが地面にたくさん落ちていた記憶があった。
まだ、今が食べごろで実を落としていないいちじくが
そこだけぽっかりと明るい空き地の脇に
小さな畑を作っていた。

他の高い建物からは、どうしても見劣りのしてしまう
2階建ての小さなアパートメントの横には
6、6段だけの小さな階段がくっついていて
階段の上で女の子がこちらをじっと見ていた。

お父さんはしゅるしゅるとした話し方をする。
実のところ、聞き取りにくいタイプの話し方だった。

居間に案内されて座ると、暗い台所の扉から
アラファトみたいな風貌のおじいさんも
マスバハを片手で数えながら、やってきた。

ふと、床に敷かれた絨毯が、気にかかる。
わたしが初めの2年住んでいた家にも
全く同じ柄の絨毯があった。
でも、この家の方がよほど、わたしが使っていたものよりもきれいだった。

基本的にスタッフがアラビア語でする会話の邪魔はしないように
できるだけ聞き取りに専念することにしている。
特に聞き取りが難しい時には、じっととにかく、見る。

一通り、家族の様子を把握する質問が終わる頃に
お父さんは、傷が痛くてね、という。
お父さんは左のすねに大きな傷があって、
こちらの診療所で手術をしたという。

診療所は比較的簡単に見つかる。
各地域に一つはある、というものだ。
ただ、診療所で処置できないものに関しては
政府の病院への紹介状を携えて、遠い病院へ往かなくてはならない。
この地域にも、アンマンでも数限られた
政府の病院の一つがある。
予約を取ろうとすると、胃が痛くても6ヶ月後、
特別な虫歯の治療が必要でも4ヶ月後、と
全く患者の数に、治療が追いついていない。


話が子どものことになると
話の内容が学校に関することや趣味の話になるので
話の輪郭がはっきりしてくる。
女の子たちは二人とも絵を描くのが好き、という。

でも、この子ね、首を絞めている絵とか描くんですよね、と
お父さんはどうしてなのか、そこだけリアクション大きめに
自分で自分の首を絞めるまねをしてみたりした。

ドイツとかアメリカとかに往っている親族もいるけれどね、
うちはいいよ、と人差し指を立てて、ら、ら、と云う。
とにかくお金が欲しいけれど、お金の配布とかは、していないのですか?

こうなると、こちらは誠実に、できる支援内容を説明していくことになる。
お父さんは、隠そうとしても隠しきれないようで、
残念そうな、少しいらだっているような表情で
こちらの説明に耳を傾けていた。

帰るときになると、また子どもたちが見送りにきてくれる。
また、階段の上から、子どもたちはでも、
無邪気に、手を振ってくれた。


4件目:


この家の近所もまた、一度来たことがあった。
その内部の詳細も、よく覚えていた。
同じ敷地の、違う棟の1階の家に、入っていく。
エントランスの扉を開けた女の子は
やもすると、日本の子のような印象を受けた。
すがたかたちが、ちょうど中学生の日本の子のようだった。

1階の外に通じた居間、大きな窓が開けられていて
それを覆う淡く白いカーテンが、風に揺れていた。
日本のアパートのようだった。
もっとも、日本のアパートよりもよほど広いけれど。

お母さんはターバンのような不思議な形のヒジャーブを巻いていた。
顔立ちはあまり二人の娘と似ていないけれど
やはり、どこか違った感じがするのが気になっていたら、
お母さんはチェルケス人で、お父さんはクルド人のようだった。

お父さんとは離婚をしている。
ヨルダンに避難してまだラムサに住んでいた頃
レーザーで木材を加工する機械を買ったという。
でも、その機械の購入やら、仕事場やらで
いろいろともめてしまって、別れたという。

お母さんは、お菓子の箱のパッケージデザインをしたり
レストランで働いたりしているけれど
なかなか安定しないという。

HCRの証明書を見て、密かに、はっとする。
わたしより1ヶ月ぐらい、お母さんの方が若い。
同い年の人だった。
見た目だけなら、わたしの方が完全に歳を取って見えるだろう、
かわいらしい顔立ちだ。
大きな娘さんが、いるものだ。


二人の娘たちは、似たような顔立ちをしていて
真っ黒で真っ直ぐな髪を肩上で切りそろえていた。
髪型もまた、日本の子を思い出させるのかもしれない。

子どもたちの教育の話を、しばらく熱心に話していた。
やはり、公立の学校のレベルの話になると
どうしても、問題がありすぎて、その詳細を書き取るだけで
精一杯になってしまう。
お母さんは看護師の資格も持っているのに、
ダマスカスに置いてきてしまったから、
証明できるものが、何もない、という。

子どもたちの趣味の話になると、
絵を描くのが好き、という話になった。
絵は、紙と書くことができる何かがあれば
すぐに始めることができる。
やはり、誰にとっても近しい、楽しみではある。
反対に、それほど好きではなくても、他にすることがないので
なんとなく絵を描いてみている子どもたちも、
たくさん家庭訪問でみてきた。


ただ、ここの子どもたちは違っていた。

奥からそろそろと、たくさんの紙の束を持ってくる。
指絵にマーブリング、ドロッピングからコラージュまで
絵の教育を受けていないと知らない技法を
たくさん駆使していた。
どうやってこういう技法を知ったんですか、と
つい、美術教員だったこともあって、尋ねてみる。

インターネットでフランスの絵画教室のサイトとかを見て
真似してみるんです、とお母さんは答える。

上の子の線のセンスが抜群に良かった。
また、形も、色の配置も、バランスがいい。
限られているであろう画材を感じさせないものだった。
こういうものは、教えてもできない。

もっと絵を勉強する機会があったなら、
相当伸びる子だろう。

どこの家庭訪問も、限りなく平等に近いスタンスでいることを
自分に課してきたけれど、
なんとも惜しい、という気持ちが働いてしまって
写真を撮らせていただいた。

毛糸があればすぐに、いろいろなものも作ってしまうんです。
お母さんは、子どもたちにまた、小声で何か、云う。
すると、奥からまた、たくさんの小物が出てきた。
マフラー、靴下、帽子。
平編みからかぎ針まで、いろいろな技法を使って、
造りも丁寧な小物たちが、絨毯の上に並べられる。
お店に居るみたいだ。

だから、ではどこかへ売りに往けるのか、といったら
そうでは、ない。
これぐらいできる子どもたちや大人たちも、たくさん居る。
支援を目的として売るにも、質は落とせない。
ましてや、外国を視野に入れるならば
厳しいチェックは免れない。
安請け合いをすると、話を持っていた人に迷惑がかかる。

ただ、ここの子どもたちはまだ若いから
どこかで新たな技法を覚える機会があって、
自由に色の選べる環境にあったら、
たくさん素敵なものが作れるのだろう。

口惜しさが、心いっぱい広がっていた。

そんな気持ちで並べられた小さな靴下を見ていたら
奥からまた、赤やピンクの紙袋を持って
二人の子どもたちが来た。
何が入っているのだろうと思ったら
お土産に、と、マフラーを二つ、入れてくれていた。

これはいただけない、と必死に断ろうとした。

とにかく、毛糸があればすぐにいろいろ作ってしまうから、
家には貰い手のないものが、たくさんあるんです。
いただいてもらった方が、こちらもありがたいんですよ。

その気持ちがうれしいけれど、
いただくということは、何かをしなくてはならないという意味だと、
わたしは思う。

果たして、自分の知る範囲の人脈で、
何ができるのだろうか。

結局、赤い紙袋を受け取って、家を出た。

また、エントランスまで、上の子が見送りにきてくれた。
白い階段の上で見送るその子の姿と佇まいが
やはり、いつか、日本のどこかで見た、誰かと重なっていた。



2016/09/23

最近の音楽事情 — 秋がやってきて、音も変わる




朝、確かに寝坊をしたのだけれど
ブラインドから入ってくる光がいつもとどこか違っていて
今が何時なのか、わからなくなってしまう。








久しぶりに大通りに面したブラインドを開けて
雲が日差しの色を変えてしまったことに、気づく。

たっぷりの雲が流れていって
時刻とともに色を変えていくのを
ベランダから鑑賞する。そう、鑑賞する。
雲は、鑑賞するものだ。


あんなにカラカラだった空気が湿気を帯びて
本当に、夏なんてどこかへ往って
秋にとっぷり入ってしまったことを、知る。



今まで聴いていた曲たちがなぜだかしっくりこなくなって
またネットサーフィンをすることになる。



3年前の帰国の時、このアルバムのジャケットは見た記憶があった。

やさしいけれど、歌詞はなかなか湿っているけれど
どっとした重さはなくて、全般的に聴きやすい。
作り込みの面白さがあるか、と云ったらそこまででもないのだけれど
シンプルな音作りの洗練されたバランスのよさがある。

そうか、洗練されているもの、というのは
しつこくないんだな、ということを今更、知る。
わたし自身の洗練への道は、遠い。

たとえ、PVの最後のように自転車に乗っても、
それがどこかおしゃれに見えるような、姿が大事なのだ。





寒い地域の音楽というのは、独特の冷たさがある。
どこかで、その寒さのせいなのか
ものすごく冷静な視点があるように、思える。
自分を俯瞰して、それから、そのあり方にどう反応するかは、
表現者それぞれなのだけれど、
たぶん、なんだか、このバンドは歪んでいる。とても。
デンマークも、北欧だからな、と偏見が働く。

そう云えば、昔カリマウスキの映画を見たとき、
開始10分ぐらいで主人公の友だちがトイレで自殺した。
これはとんでもないところだな、と思った。
舞台はノルウェーの田舎からヘルシンキへ移った。

こういう曲は、意外と聴いている自分が、正気に戻ったりする。



ちなみに、このバンドのPVを見ていると、Sigar Rosを思い出す。
単純に寒さで云ったら、アイスランドの方が際立っているからかもしれない。

このアルバムを冬の夕方に聴いたりすると、その日が終了する。
覚悟が必要なアルバムだ。










そして、下世話にもバンド名が気になって聴いてみたりする。
昔はタバコを吸っていたな、と。

浮遊感がいつか聴いたアルバムと似ていて、
それが思い出せなくて悶々としたりしている。
あれは、なんだったのだろう。

全般的にエフェクトがかかりすぎているけれど
ざらざらとした音と甘い声が、しっかりとした感触を持っていて、
何曲も聴くと飽きるけれど、2、3曲なら、面白く聴ける楽曲だった。







本家、七尾旅人よりもこっちの方が声がいいんだよな、と
久しぶりに聴いてみたりする。
日本語の曲というのは、歌詞を聴いてしまうから
魔法は解けるものさ、なんて思ってしまうのは、よくない。
でも、カバーの気軽さみたいなものがある。
曲のイメージは自分の色にして、
でも、力がうまい具合に抜けている感がある。





カバーでツボと云えば、このバージョンだ。
原曲が好きすぎるというのもあるけれど、
この方が、曲の良さがシンプルに表現されている気がする。


でも、秋に沁みわたる何かを聴くと、なんだかよけいにしめっぽくなってしまう。
あんなに求めていた湿気が、いざ本当に体感できるようになると
飲み込まれまい、と、本能的に防御反応が出るのかもしれない。






飲み込まれまい、といつもの曲を聴いてみる。

いつまでも、浮遊していたら、いい。
地に足つかなくて、何が悪い。
nomadを体感するには、何よりの曲。

でも、どこかしっくり、来ない。
この曲は聴きすぎてしまった。
大好きなのだけれど、今自分の居る空気と、どこかが違う。


どうしてしまったんだろう、と、焦りはじめる。
しっくり来るまで探し続けていたら、
秋の夜も、長くなってしまう。

秋の夜長、というのは、実のところ、こういう人間のためにあるのかもしれない。




2016/08/31

最近の本事情 — わたしの名は赤




短編ばかりを手にしていたのは
集中力が持たないからだったのだけれど、
短編のように章が短く、かつ、章それぞれの関係性を考えながら
読み進めていかなくてはならないというところで、
読み応えのある久々のヒット作だった。


16世紀、オスマントルコ時代に設定された物語の醍醐味は
主題となる細密画に託された細密絵師の絵師たるスタンスが
精緻に計算された話の展開の鍵となっているところだった。


イスラム世界における絵画の位は、低い。
ものをあるがままに描くことを良しとする西洋絵画の常識は
現代のヨルダンでさえ、未だに浸透していない。

こちらで美術教員だった時に、まざまざと思い知らされた
幾何学模様と色のバランス、
風景を描く時の、暗黙の了解である決まったモチーフへの執着は
もしかしたら細密画にも起源があるのかもしれない。



ルネッサンスを迎え、絵画に革新的な変化が見られた西洋絵画への密かな衝撃と、
神の視点で描くことが絶対とされるイスラム的な細密画の掟との間で
葛藤する絵師たちの心の在りようが
一人称で書かれる様々な語り手によって
手に取るように、それこそ、細密画が仔細さを掬いとるように
描かれている。


その、一人一人の心情描写からは
絶対的な神の存在と、神の視点を忠実に再現することに執心した
過去の絵師たちの作品と生き様に対して、
ひたすらに畏怖と謙虚さを持って描くことを
絵師たちは要求されていたことが、伺える。

そして、その要求に答えようとする絵師たちの
禁欲で真摯な姿勢は
どこか、日本の禅の思想と、その思想がもたらした画家たちのそれを彷彿とさせて
その勝手な結びつきが、でも自分の中で、とても興味深かった。



おそらく、この作品をこれほど楽しめたのは
少なからずイスラム世界について、
知識と経験があったからなのではないかと
心密かに自負している。

もちろんこちらの文化に造詣がなくとも楽しめるけれども
絵師たちの心の機微が宗教観に帰している限り
物語の主題をより深く体感するには
そのものに対して抵抗がない方が、いい。

反対に、こちらの世界観に馴染みがない人でも
時代は違えど根底に流れるイスラムの何かしらを
一見関係ないと思われる絵画を主題とする物語を通じて
知る機会にはなるのかもしれない。

ちなみに、順当に読み進んだ末、訳者のあとがきまで往き着き
あとがきに作品理解への大きな手助けになる情報が
たぶんに含まれていることに、気付かされた。

ストーリー展開にまでは言及していないので
もし読む機会があるのであれば、下巻のあとがきに
目を通してから読んでもいいのかもしれない。






ところで、好きな街を一つ挙げろと云われて
迷いなく答えられるのが、イスタンブールだ。

中学の時、美術の資料集で見たアヤ・ソフィアの内部の写真が
いつまでも記憶に残っていた。
いつか自分の目でみてみたい、と
けっして旅好きではないのに
どうしても往かなくては、と訪れた街だ。

随分と近くに、姿のきれいなカモメが居て
青い海が街並の向こうに見える、
坂と石と海と緑が絶妙なバランスで在る
美しい街だった。


「わたしの名は赤」は、イスタンブールを舞台としている。


旧市街の有名な観光名所が、物語の随所に出てくる。
入場料が高くてどうしようか迷ったトプカプ宮殿の内部に
主人公が入っていく描写に、興奮した。

少なからず知っている街の描写の一つ一つを
記憶と結びつけながら読める幸せを感じられた
初めての作品かもしれない。



読書の記憶と結びつけることができなかった作品としては
タブッキの「遠い水平線」がある。
ジェノバを舞台としたこの小説は
読んだ後で街を訪れた。
ただ、その街が舞台であったことを知らず、
訪れた後もまた何度か読んで、あるときふと、小さな描写の一片で
ジェノバであることに気がついた。
本を持っていけばよかった、と、後で後悔した。


ジェノバも、気に入った街の一つだ。

結局のところ、
単純に景色の中に石と海があれば、
もしかしたらそれなりに満ち足りてしまうのかもしれない。





2016/08/20

続 最近の本事情 ー 池澤夏樹 ナウシカ 漱石 オルハン・パムク


なんだかたくさん読んでいたようなので
長過ぎるから、続きの、紹介。

全く関係なけれど
満月の前後は両日ともほぼ、まんまるなのに
2日経つと、一気に萎んでしまうように見えるのは
気のせいなのかしら。



久しぶりに、池澤夏樹の読んでいない本を、読む。
新刊ではないのだけれど、日本で買ってしばらく、
これもまた、大切にしすぎて本棚から出していなかった。

震災をテーマにした本は、おそらく本人の徹底した被災地での視点が
元になっている。
それでもなお、ファンタジーに留まって話を書き上げているところに
底知れない本の力を思い知らされる。
双頭の船

一章ごとに出てくる、人物とその人が連れてくるものや考え方が
根底で作者の世界観や思想と混じり合い、波打ちながら
最後まで変化し続けていく話の展開に、
確実な希望を宿していく。

亡くなった人々と、亡くした人を思いながら生き続けていかなくてはならない
残された人々の思いが
物語の中にたっぷりと、でもそこはかとない明るさを持って
描かれていた。

けっして、性善説だけを説いているわけではないのだろうけれど
池澤夏樹の本は、混沌の末に、
人を肯定的に描いているように、思う。

それぞれの心の中の形になりにくい善や
暴力とも取れる正義というのは
やはり、状況を変えていくのには
必要なものなのだ、と思ったりした。





最近持ってきていただいたナウシカの漫画全巻も
正義や善とその反対にあるものを見せつけてくる。



これは読み出すと朝までコースとなるので
読み出す時間が問題になる。

週末は気にしなくてもいいので、
これ幸いと読み始める。
とりあえず、この2週間ほどで、3回読んだ。

相変わらず文字が多いな、
あれ、トルメキアのぷっくり王子たちはいつから出てくるのだっけ、
腐海の図は裏表紙になかったっけ、
これもヒドラだったんだ
などなど毎回新しく疑問や記憶違いや発見があるから
あまりきちんと読んでいなかったのかもしれない。

それでも、世界というものの成り立ちや戦争の形が、
これほど分かりやすく描かれているものはない。

青い衣を纏った神はやってこない現実の世界では、
本質的にナウシカのような心を持ち続けることはできなくて
ただ彼女が最後に神と立ち向かう時に云い切った
人間の存在のしかたに、ただただ感心することになる。




久しぶりに、夏目漱石の倫敦塔も、読む。
ふとした会話の中から出てきた漱石の話で
おすすめを訊かれて、すぐに、倫敦塔、と答えてみたものの
そう云えば詳細がよく思い出せなくて
青空文庫で検索をかけて
深夜にまた、読み直していた。

意味をなさない描写を伴う言葉が一つもなくて、
一語一語が言葉以上の存在感を持っている文章の高潔さに
当たり前だけれど、文豪の所以を知り
舌を巻く。

神経衰弱と胃炎に悩まされていたはずなのだけれど
だからこそ、一字一句に心血を注ぎ続けたその情熱を
深く、体感する。

どんな話でもそうなのだけれど、
気に入ったものや好きなものの話をする時の
人の話はおもしろい。

漱石の倫敦塔への思い入れが、よくよく伝わってきて
でも、漱石らしく、最後にはきちんと
その熱の行き過ぎの恥じらいのような追記が、
一緒に書かれている。

胃潰瘍の理由は、たぶんそのあたりに、ある。




初めてのオルハン・パムクが、
現在のところ一番の楽しみだ。
わたしの名は赤



やっと下巻が手に入って、心置きなく先が読めるようになった。
全く、下巻を買わずに日本を出るなんて
失態としか、云いようがない。
前回帰国した時から4ヶ月ほど、悶々としていた。

細密画の絵師とその編纂者たちの話なのだけれど
各章が、異なる登場人物による視点から書かれていて
設定と書き方だけでも、かなり凝っている。

さらに、恋心と殺人と絵画の歴史と細密画の極意が
織り交ぜられていて
それぞれの視点から書かれている各章を
それこそ細密画を鑑賞する時の視線の動かし方のように
一つ一つ、仔細に追っていくことを読み手に迫まってくる。

きっと最後には、
その絵の全体像を見ることができるのだろう。





大切に、読まなくては。
未読の本が
秋を待たずしてほとんど、無くなってしまうから。