2016/09/23

最近の音楽事情 — 秋がやってきて、音も変わる




朝、確かに寝坊をしたのだけれど
ブラインドから入ってくる光がいつもとどこか違っていて
今が何時なのか、わからなくなってしまう。








久しぶりに大通りに面したブラインドを開けて
雲が日差しの色を変えてしまったことに、気づく。

たっぷりの雲が流れていって
時刻とともに色を変えていくのを
ベランダから鑑賞する。そう、鑑賞する。
雲は、鑑賞するものだ。


あんなにカラカラだった空気が湿気を帯びて
本当に、夏なんてどこかへ往って
秋にとっぷり入ってしまったことを、知る。



今まで聴いていた曲たちがなぜだかしっくりこなくなって
またネットサーフィンをすることになる。



3年前の帰国の時、このアルバムのジャケットは見た記憶があった。

やさしいけれど、歌詞はなかなか湿っているけれど
どっとした重さはなくて、全般的に聴きやすい。
作り込みの面白さがあるか、と云ったらそこまででもないのだけれど
シンプルな音作りの洗練されたバランスのよさがある。

そうか、洗練されているもの、というのは
しつこくないんだな、ということを今更、知る。
わたし自身の洗練への道は、遠い。

たとえ、PVの最後のように自転車に乗っても、
それがどこかおしゃれに見えるような、姿が大事なのだ。





寒い地域の音楽というのは、独特の冷たさがある。
どこかで、その寒さのせいなのか
ものすごく冷静な視点があるように、思える。
自分を俯瞰して、それから、そのあり方にどう反応するかは、
表現者それぞれなのだけれど、
たぶん、なんだか、このバンドは歪んでいる。とても。
デンマークも、北欧だからな、と偏見が働く。

そう云えば、昔カリマウスキの映画を見たとき、
開始10分ぐらいで主人公の友だちがトイレで自殺した。
これはとんでもないところだな、と思った。
舞台はノルウェーの田舎からヘルシンキへ移った。

こういう曲は、意外と聴いている自分が、正気に戻ったりする。



ちなみに、このバンドのPVを見ていると、Sigar Rosを思い出す。
単純に寒さで云ったら、アイスランドの方が際立っているからかもしれない。

このアルバムを冬の夕方に聴いたりすると、その日が終了する。
覚悟が必要なアルバムだ。










そして、下世話にもバンド名が気になって聴いてみたりする。
昔はタバコを吸っていたな、と。

浮遊感がいつか聴いたアルバムと似ていて、
それが思い出せなくて悶々としたりしている。
あれは、なんだったのだろう。

全般的にエフェクトがかかりすぎているけれど
ざらざらとした音と甘い声が、しっかりとした感触を持っていて、
何曲も聴くと飽きるけれど、2、3曲なら、面白く聴ける楽曲だった。







本家、七尾旅人よりもこっちの方が声がいいんだよな、と
久しぶりに聴いてみたりする。
日本語の曲というのは、歌詞を聴いてしまうから
魔法は解けるものさ、なんて思ってしまうのは、よくない。
でも、カバーの気軽さみたいなものがある。
曲のイメージは自分の色にして、
でも、力がうまい具合に抜けている感がある。





カバーでツボと云えば、このバージョンだ。
原曲が好きすぎるというのもあるけれど、
この方が、曲の良さがシンプルに表現されている気がする。


でも、秋に沁みわたる何かを聴くと、なんだかよけいにしめっぽくなってしまう。
あんなに求めていた湿気が、いざ本当に体感できるようになると
飲み込まれまい、と、本能的に防御反応が出るのかもしれない。






飲み込まれまい、といつもの曲を聴いてみる。

いつまでも、浮遊していたら、いい。
地に足つかなくて、何が悪い。
nomadを体感するには、何よりの曲。

でも、どこかしっくり、来ない。
この曲は聴きすぎてしまった。
大好きなのだけれど、今自分の居る空気と、どこかが違う。


どうしてしまったんだろう、と、焦りはじめる。
しっくり来るまで探し続けていたら、
秋の夜も、長くなってしまう。

秋の夜長、というのは、実のところ、こういう人間のためにあるのかもしれない。




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