2016/12/03

この世の業と、虹



一昨日、今年初めての、本格的な雨が降る。
屋上階の窓の外では、グレースケールのような様々な灰色が
どんどんと南東に流れていった。

雨には滅法弱い街だから、こんな時には猫のようにじっとしているのがいい。


先週、体調不良で仕事を休んでいた。


一人暮らしでは食事も大変だろうと
ナショナルスタッフからしっかり重いアラブ料理をいただいた。
それから、花束なんてものも、いただいてしまった。

温かくした部屋の中に、いただいた花の青い香りがする。
この匂いを嗅ぐのは、久しぶりだった。


夕方から降り出した雨は、繁華街の街灯を映し出して

緑や紫、赤や黄に滲んでいる。
そのまあるく染まった、濡れた道路や細かな雨を見ながら
ちょうどこんな形をしていたのでは、と思い当たるものがあった。




仕事をできるほどの集中力もなく

ただ痛みに耐えながら
横になっている間、ぼんやりといろいろなことを考えていた。

国が変われば、

誰かからの呪いであったり、どこかから拾ってきた思いであったり
ありとあらゆる病気という災いに理由が付与される。

他人からの恨みや妬みや呪いが強ければ強いほど

治る見込みがなくなってくるわけだ。

今のところ順調に回復中で

自分の不養生が原因なのだけれど
もしこの痛みに理由があるのならば、何だったのだろうかと
身の回りのあれやこれを思い出してみた。

私情には問題はないはずだが、

仕事にはいろいろ、ないわけではない。
基本仕事はアラブ人が相手だから
恨みつらみも深そうだ。

もっとも、アラブには黒魔術的なものはないので、

実際にのろわれたわけではなさそうだけれど
自分の下してきた判断や言動を思い返し
また、周りのスタッフたちの病気やけがを思い出し
どこまで分かって、どこまで理解していたのだろうか、と
自分の配慮や思いやりの深さを測ったりした。


結果、様々、反省することとなる。



そういういろいろを、頭の中でぼうっと思っていると

この世のさまざまな感情や気持ちが、
強いて云うならば、業、という言葉のようなものになって
わたしの周りに存在しているように思えてきた。
近い人も、遠い人も、ただのご近所さんも、
見たことがあるだけでも、つながっているだけでも、思っているだけでも
存在を知る限り、
その人たちの大小さまざまな、でも強い何かが
丸い魂みたいになって、
いただいたものや、つながりのあるものや、
連想するものや、ただただ記憶するものから、
ぼわぼわと出てきているような思いに捕われる。

それがちょうど、雨の中の色とりどりの光のようなイメージだった。




本当ならば、憾みも邪悪な思いも

手のひらに乗せたならば、よく見つめて
思いを汲まなくてはならない。

たぶん、忙しいからと

そういう思いの丸い塊を避けながら
暮らしていたのだろう。

横になっている間は、ぼうっとしていたから

今まで避けてきたものものが
ここぞとばかりにやってきたようだ。
覚悟を決めて、よく、それらの塊を見つめ続けた。

もっとも、他人の業ばかりではなく、しっかり自分の業もある。

前向きなものもあれば、恐ろしく後ろ向きなものもあり、
こればかりは本当にたちが悪い。
何とか捨て去る方法はないかと、あれやこれや、手を考えたりした。

結局自分の業はどうにもならず、まだ残る痛みと一緒に

ふてぶてしくそこらへんに居すわった。
仕方がないので、一つ一つ、
分解したり、まとめてみたり、分類してみたり、鼻で笑ってみたり、した。


雨と一緒に流されて
朝になったらきれいさっぱり、なくなってくれないものだろうかと
ほの暗い繁華街の道を見下ろしながら、思った。








翌朝、雨と風の音で、目が覚める。
雲がすごい勢いで流れていくのを
ちょっとした天体ショーのように、眺めていた。






それから、もしかしてと思い、ベランダに出て
随分はっきりした虹を見つける。
長い間、くっきりとした色相が
薄く二重なって見事な半円を描いていた。

金曜の朝、きっとまだ誰も
こんな立派な虹に気づいていないだろう、と
したり顔で写真を撮っていた。

結局、半日以上、虹は位置を変え、濃さを変え、
家の窓からずっと見えていた。
本当に見事な、虹だった。

つらい一週間の末やってきた、休日の朝の贈り物ではなく、
誰もが鑑賞できる、気前のいい虹だった。

独り占めしようなど、というのが業というものなのだろうと、
アンマン城にかかる虹を見ながら、思った。
当然、次から次へと湧いてくる自分の業は
雨に流されることなんて、なかった。



早朝だったら、絶対にかかることのない位置に光る虹をみながら
自分の、この種の業なんてものは、場合によっては
こうやって凌駕するものに、
見事に、さわやかに、一蹴されるものなのだと、見せつけられる。

それならばそれで、悪くない。






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