映画は好きなのですが、随分ジャンルが限定されていて
2008/04/24
ホラーなんてと思ったのだけど
映画は好きなのですが、随分ジャンルが限定されていて
2008/04/18
アルー?
どうも、風邪を引いてからずっと体調が良くないせいかたくさん夢を見ます。
2008/04/16
楽しみの本
仕事に出かけて、帰りに時間があると必ず本屋に寄ってしまいます。
2008/04/09
新しくて、古い時計
どうしてもこなさなくてはならなかった用事の合間に
高熱と夢
今週から各種仕事が始まりまして、
2008/04/05
旅のはなし9―aiguille du midi
シャモニーへ戻り、フランス最後の日にモンブランのお隣辺り、3800メートル以上ある山、エギュイ デゥ ミリィにロープウェイで登りました。
そんな高い山まで、ちょちょっとロープウェイなどで登ってしまっていいのだろうか、と釈然としない疑問を抱えながらロープウェイに乗るのでした。
こんなに早くていいのか、と思えてくるほど早いロープウェイであっという間に中継地点、もう一本乗り継ぐと、もう山の上でした。
もともとシャモニーの町中でも風の強い日だったので、頂上は吹き飛ばされるのではないか、と思えるほどの突風でした。なぜ私は今、こんな山の上にいるのだろう、という考えても仕方の無い命題が、頭の中をくるくる回っていたのは、きっといくらか高山病に近い症状になっていたからかもしれません。
いずれにしろ、景色は圧巻、でした。遠くまでずっと、山が続いています。
一生に一度、こういう景色を見られたのは、幸せでした。
何と書いてもよくわからないでしょうから、ぜひ関心のある方もない方も、登ってみてください。
旅のはなし8―トリノ
短いジェノヴァ滞在を経て、もう一度シャモニーへ戻る前にトリノへ寄りました。
またまた車だったので、どちらかと云うと町中の運転に対する恐怖の方が強く印象に残っているのですが、都市国家の名残をまざまざと感じることができたのは、おおきな収穫でした。
ジェノヴァに比べると、トリノは全く違う雰囲気を持っていて、随分とおしゃれな街、です。街の構造も直線的で、ジェノヴァのよそ者を騙してもてあそんでいるような細い坂道ばかりの街並に比べると、すっきり整然とした印象がありました。街を歩く人の格好も随分違います。とにかくきれいで雑誌の中から切り抜いたようでした。
ポー川の横の公園は春満開、落葉樹の芽吹きの色が鮮やかでした。桜の木はもう、葉が顔を出していました。
サッカー狂の相棒様とそのお兄さんがユベントスストアで一生懸命服を探している間、私はお店の壁にかかっている大きな液晶で、ユベントスの合宿風景を観察するのでした。そういえばユベントスのストライプ柄のユニフォームもおしゃれだよな、と思いながら。
ほんの3時間ほどの滞在でしたが、様々、納得することの多い、有意義な時間でした。
旅のはなし7−ポルトフィーノ
日本ならば、伊豆や熱海、と云ったところなのでしょうか、イタリアにも海に面したイタリア人向けの観光地がポルトフィーノでした。
ガイドブックには名だたる著名人が住んで一気に有名になった土地、と書いてありました。実際に厳密なセキュリティーがなされているであろう邸宅がたくさんあります。この建物からの眺めは絶景だろうな、そう思わせるすばらしいロケーションの家ばかり。
私たちは,私の地図の読めなさと、相棒様の思い違いでサンタ・マルガリータ・リグレという駅から歩いてポルトフィーノと反対の方向へ、歩いていってしまいました。ショックも大きかったのですが、私たちがポルトフィーノだと勘違いをしたその町も、かわいらしかったのでなんとかがまん。食事を食べてから元着た道をバスで戻り、さらに歩いて今度こそポルトフィーノへたどり着いたのでした。
徒歩で動いたのには理由がありました。泊まっていたホテルの人が、どうしたってポルトフィーノまでは歩いて往ったほうがいい、というのです(彼はケント・デリカットのような分厚い眼鏡をかけている親切な人で、もう50代のようでしたが水泳が得意とのこと)。地図でもほんの数キロだったので、がんばってみることにしたのでした。
海の色が違う、本当に青い色の美しい海でした。私には初めての地中海です。
足先だけ触れた地中海の水はまだ、冷たかったのでした。
半島の東側を徒歩で横断した形で、私たちはポルトフィーノへ往きました。山が近いので、道も狭くて坂道もいくらか厳しい道を往ったところにやっと見えるポルトフィーノは観光地にふさわしい、明るくて、少し嘘っぽい、舞台のような小さな港町でした。町自体はものの30分もあれば把握できてしまうであろう小さなところで、じいさまばあさまもいっぱいいました。きっと、おばあちゃんがパック旅行で伊豆に往くのと同じような感覚で、この町に来ている人なのではないのかしら。
道中で十分に地中海を楽しんだので、少しの滞在ですぐに水上バスに乗り、サンタ・マルガリータ・リグレに帰るのでした。ほんの少しですが、地中海クルーズ、呆れるほど、きれいでした。
旅のはなし6−イタリアのテレビ
おそらく日本のテレビ番組も同じだと思うのですが、イタリアの番組は言葉などさっぱり分からなくても、オーヴァーなフリと分かりやすいクイズ形式で十分に楽しむことができます。違いと云ったら、幾分日本よりも露出度が高い、ということぐらいでしょうか。
私が見たのは、大きな画面に単語の隠された枠がたくさんあり、選んだ一つのアルファベットを掛け金とともに提示、選んだアルファベットがその単語の中にあれば、どんどんと文字で枠が埋めてゆく、分かったところでビンゴ!というもの。
さっぱり単語も分からない、けれども3人の回答者や司会者、そして謎の存在、ブロンドのお姉さんを見ているだけで、おもしろいのでした。
夜中には必ず、映画がやっています。
時差ぼけが治らずに、延々と早寝早起きだったのですが、深夜の映画の後には80年代にしか見えないドラマの再放送がやっていました。これもオーヴァーアクションなドラマなおかげで、何となくはなしの筋が分かってしまうのでした。
その後、フランスでは朝の子供向け番組、というものを見ましたが、それも同様におもしろかった。日本にも入ってきていることを帰ってから知りましたが、どうにもかわいくないキャラクターのアニメが気にかかりました。それはチーズが主人公のアニメ、だとばかり思っていたのですが、どうも、スポンジのようです。チーズとはなんてフランスっぽいのだろう、と思ったのですが。
ちなみに今、フランスもイタリアもドラボンボール全盛期です。
2008/04/04
旅のはなし5ージェノヴァ水族館
そして、やっとの水族館。
旅のはなし4ー市場
ジェノバの一番の目的は水族館。何としても水族館にはゆっくり往きたかったのですが、とりあえずジェノヴァの二日目はまず、市場なるものに足を運んでみました。
旅のはなし3-道中 そしてジェノヴァ
フランスの山脈から海に向けての移動は心躍るものでした。
山間の険しく山肌も粗い岩ばかりの道を往くと、そのうちになだらかな丘の広がる丘陵地帯へと入っていきます。そして、また高い山でこそ無いものの起伏の激しい山並みが続いて突然海に出る、というのが大まかな景観の変化です。途中の丘陵地帯は、ワインで有名なピエモンテ州、フランスに近い山間は、アオスタという街がガイドには小さく載っている、という程度の鄙びたところでしたが、一番印象に残る景色でしたイタリアの高速道路は比較的見やすくて左右が反対であるところを除けばガイドブックの紹介以上に走りやすい道です。
ただ、都市は惨憺たるもの。街の中で高速を降りると、後はほとんど勘のみがたよりでしたが、とてもとても、生きた心地のしない道ばかりでした。奇跡的に目的地であるホテルから近いところに降りることができましたが、それは本当にまぐれでした。
今回の短い旅のことを思い返すと、どうしてもこの、車の恐怖感を、思い出してしまうのでした。
道が分からずに車を止めたところが、どうもジェノヴァで最も、物騒な区域だったようです。このことは後でホテルの人に訊いたのですが、実際に、何となく私の中にある、ある種暗いイタリア、というものを目にしたような気がします。きらびやかなイメージは観光だけで、観光もさることながら、以外で国自体を支えている人々の中には、貧困に頭をもたげている人も多い。それはどこの国でも同じことですが、イタリアの古い映画のせいか、そのような印象が強かった。道路事情について言葉を並べるよりも、経験してみたほうがいいと思うので、機会があったら運転してみるのも、いいかもしれません。よほど運動神経がよければ、のはなし、ですが。でも、運転に関しては、とりわけマナーが悪い、というようには感じませんでした。
ジェノヴァに着いた日は、ただ助手席に乗って地図を見ていただけなのに疲れきってしまいました。夕方ぶらりと散歩をして、かにの足のようなへんてこオブジェのある港でビールを飲み、夕暮時に散歩を楽しむ地元の人々を見ていると、すっかり酔いも回って、そうそうに帰るのでした。
そう、水族館の近辺は犬を散歩させている人が多いのですが、立派なフンを、一回踏みました。むこうの犬は大きいので、フンも、大きい。処理のマナーはタバコのポイ捨てと同じで、とっても悪いのでした。ただ、フンに関しては汚いだけですが、たばこの吸い殻は、憎いほど石畳に合っていました。
旅のはなし2
ジェノヴァは港町で、リグリア州という海岸線に沿った細長い州の真ん中辺りにある。
ジェノヴァと聴いて真っ先に私が思い出すのは、私の好きな須賀敦子という作家のはなしです。
まだ空路がほとんど使われていなかった1950年代に彼女はフランスに留学する、そのときに船での航海の末、初めて降り立ったヨーロッパの地が、ジェノヴァだったと、書いてありました。その時代の、海におけるヨーロッパの玄関、というところなのでしょう。
ただ、現代では大陸間は空の方が主流だからなのか、一時期は随分とジェノヴァも廃れ、1992年コロンブス生誕400周年の記念事業で街に手が入ってからやっと、観光にも重点のおかれる街になったようです。そして、そのときに、私の中でのジェノヴァの目玉、ジェノヴァ水族館が作られました。反対に云えば、水族館の他にはほとんど何の目的も無いまま、ジェノヴァに往ったのでした。
美術に関わることをしている人間だったらば、必ずやローマ、フィレンツェ、とくるのですが、残念ながら時間に余裕もありませんでしたし、第一に、恥ずかしながら、あまり関心がありませんでした。ちょうどわたしにはジェノヴァという土地がよかったのかもしれません。
2008/04/02
旅のはなし1
3月末日、帰ってきました。