2025/05/25

透明になって、他者の人生を通過したい

 

何度か訪れたことのある、薄暗い真四角の部屋、
四隅にひかれたマットから立ち上がるお母さんは、
細く垂れた目と白くすべやかな肌、
初めて会った時から変わらず、やさしくきれいな顔をしていた。

顔を見たら安心してしまって、なぜか涙が滲む。
左右の頬に頬をつける挨拶を何度もしながら、
とりあえず元気そうで、よかったと心の底から、しみじみと思っていた。


心臓の手術は難しいから、政府系の一般病院では
十分な処置は受けられない、
具合がわるくなると入院しなくてはならない、
そんな話を聞いていたところだった。

寡婦になった時から、すっかり落ち込んでしまって、
ぼんやりと部屋の中で座り込んでいることが多くなった。
いつもお父さんと二人、横並びで座っていた部屋の奥に、
今は孫たちに囲まれて、座っている。


子どもたちが結婚して孫ができ、家の中のことばかりに
日常のすべてを捧げてきた女性だ。
子ども一人と孫一人を、自分よりも先に喪い、
それでもたくさんいる子どもからは孫がどんどん産まれ、
生と死、喜びや悲しみが、親族がよりそって住む
敷地のいくつかの家の中で、連綿と続く。

それがどのようなものなのか、断片を見てはいるけれど、
私には経験したことはなく、これから経験することもない。
だから、一人の女性として、そのお母さんを私は
何だか勝手に、とても大切な存在だと思っている。

それからたぶん、単純に顔が好きなのだも、理由だろう。
やわらかくうっすらした皺と、ただ優しさと哀しみが織り交ぜになった
小さな目を、ずっと見ていたくなる。

他者の人生を傍観者として、
そこはかとない愛情を抱き、見続けていていい立場など、
ないのかもしれない。
けれど、傍観者にしかなれない人間にとっては、
それが精一杯の、愛情と優しさの体現だったりする。
結局は究極的な、わがままだったとしても。








昔はよく、お話を作っていた。
いつも本を読んでいたから、色々な土地の情景や、
そこに住む人々の姿の断片から、勝手に物語が
頭の中に湧き上がってくる。
もしくは、街を行く人々の姿や仕草や表情の中に、
その背景の物語がくっきりと浮かび上がる瞬間がある。
自分自身が経験するさまざまな出来事に付随する感情を
知らない土地、よく知っている土地に住む人々が、
時に代弁し、時に冷笑し、
時に否定し、時に共鳴し、時に完結させる。

自分で製本することもあったけれど、多くは
ただひたすら、アウトプットをしたいという欲求だけで書かれ、
データのままどこかに、眠っている。

ある時から、話が湧いてこなくなる。
理由は明白だった。
例えば、今まで小説の中でしか知ることのなかった人々の姿が
現実として生きているのを目の当たりにして、
彼らの住む世界の現実に、その暮らしをしたことのない人間が
できうる想像と創造など、所詮見事な絵空事でしかないことを
恥ずかしながら遅ればせに、知る。
もしくは、今まで手に取るように分かった、と思っていた
目の前の人の思いが、急に深く暗い穴に手を入れるように
感触を持たず、不安を掻き立てるものになる。
想像力の限界を知る。


それからは、ただひたすら、人の姿を見続けることになった。
時折、その時見たものを、私のフィルター越しではあるけれど、
できるだけ忠実に描き切ろうと、ここに残したりしてきた。
けれど、私のフィルターは私の見たいものを見て、
感じたいように感じ、それを言葉に置き換える作業となる。
自分自身を徹頭徹尾、透明にすることはできない。


ではなぜ、時折書いておきたいと思うかと言えば、
私が見たいように、感じたいようにして存在している対象について、
どのように見て、どのように感じたのかを、記憶として残しておきたいからだ。

他者の人生に一定の距離を取る、
たとえそこに入り込みたくても、入ることができない関係性ならばなおさら、
対象に抱いたその時の思いは、おそらく私にとって、
ひどく大切なものになるからだ。

皮肉なもので、もし対象の人生に入り込めるならば、
言葉にするよりも、入り込むことに夢中になって、
言葉に残す必要など、欲求など、なくなるのだろう。
だが、それがいつも叶わないから、せめて残しておきたいのだ、
そう、思い至る。


もしかしたら、ひどく忘れっぽいのかもしれない。
記憶の話。






仕事が待っていて時間はなく、15分しかお母さんの家にはいなかった。

その間に、やはり準備してくれていたクッペと鶏とご飯を少しいただき
紅茶を飲み、その間ずっと、お母さんがちゃんと食事を食べているか、
気になって見ていることになった。


次に来る時は泊まっていきなさい。
帰りがけ、お母さんは言ってくる、小さな目でじっと私を見ながら。

もう一度、お母さんにお別れの挨拶をする。
頬を寄せ、まんまるな身体を抱く。
私にはなくて、お母さんにはあるものへ、
私には足りないものへ、その途方もない時間へ、思いを馳せる。
さまざまな感情がないまぜになり、
そして、ほのかに温かな身体の熱の伝わりの中に
溶けていくのを感じる。

























2025/03/28

ソッリマと、教授へ

 

楽器があると、それをいじってみたくなる衝動がある。
だから、ウードを見たら弾いてみたい、とすぐ、思ってしまった。
ヨルダンではウードを少しだけ、習っていたことがある。

チェロを彫刻のモチーフに使っていた時、
どこの誰が作ったのかもわからないチェロを中古で買って、
モチーフの参考にするため、と言い訳をしながら
チェロをいじっていたこともある。

ベトナムに住んでいた時には、ホーチミンのコンサヴァトリーの先生に
チェロを教えていただいていた、ロシア語の楽譜を使って。




どこまでもクラシカルな楽器であるチェロを
他のジャンルに絡ませ、土着の音楽と絡ませ、
土の匂いのする音にするソッリマの演奏には、
シンプルに、好奇心を刺激する面白さがある。





先日、ジョバンニ・ソッリマの演奏を聴く機会に恵まれた。
正直、弦楽器のソロの演奏会はよほどの思い入れがない限り、
チケットを買わない。
どれだけアルバムが良くても、
生の演奏の質を慮ることは容易ではない、と思っていた。

たまたま譲っていただいたチケットに、
仕事の都合を無理やりつけて、演奏の2分前にホールに駆け込む。







想像をはるかに超えるバッハ、ジミヘン、アルバニアの民族音楽。
音楽という表現方法の懐の広さを、一人で体現する
ソッリマの姿に、ひどく魅了される演奏だった。
視覚的にも面白くて、舞台に流木のような木が飾られ、
曲とその場面に合わせて、照明が彩りを変える。

歩きながらチェロを弾く姿を見ながら、
出っぱったお腹にウードの基部を乗せて演奏する。
バカアパレスチナキャンプでお世話になった、
ムハンマドおじを思い出す。

一つの楽器を通じた表現方法の幅も、
そのパフォーマンスの在り方も、
自己が望み、挑戦する限り、自由な広がりがある、
ということを明示してくれる演奏だった。



アンコールの一つが、The Last Emperorだった。
立場や社会の流れに、抗おうとして、抗えなかった一人の人間の
人生を音で表している楽曲だ。


弦楽器、特に弓を使って演奏する楽器には、
弦と弓の摩擦のうちに、ひどく繊細な震えと共振と、攻防がある。
緊張して張りつめる弦と、それを揺るがす弓の
身体に響く物理的な震えが、音という
私たちの多くが享受できる感性の究極的なせめぎ合いを
耳を通して体感する装置。

その攻防を、教授の大好きな楽曲を通じて聴くことのできる
生の演奏のありがたみに、涙が滲む。



The Last Emperorは、在外のお正月に、必ず見る映画だった。
なぜかと問われたら、返答はできないけれど、
とにかく、壮大な時間と映像と、音楽を心いっぱい
享受するのに足る映像だと、認識している。

THREEというアルバムの中のこの楽曲は、
特に、人間の因果と業を音にしている、と思っている。
教授の弾くピアノの音には、どこまでも含みと間という余白がある。

弦楽器という、音色で共振を表す楽器と、
ピアノという、ハンマーで太い弦を打ちつけて音を響かせる楽器が
混じり合う時、その音の成り立ちの違いを超え、
震えの壊れそうに繊細な感覚と、
打ちつけてもなお、響きの余韻に音の存在を
他の音と共鳴できるのだと示す、
トリオの美しさ危うさを追随する。


人の営みの中に、そんな相互扶助は可能なのかな、と
あてどもないことを、思う。

仕事で送られてくるメールには、
人の持てる良心という信念を、いとも簡単に崩壊させる
思想を体現した規制に、どうやったらしなやかに立ち向かえるのか、
戸惑い、逡巡するINGOの苦しさを示す事象が、書かれている。



もし、教授が今、生きてこの世の中を見ていたら、と思う。

教授よ、一体私たちは、何を信念として抱き、
生きていったらいいのだろう。



2025/03/09

怪獣と夜の歌と、雪

 

2012年3月、アンマンのスウェーレでは、それなりに雪が積る。
標高1180mぐらいの地域、丘の上のアパートメントの窓から、
雪雲がやってくるのを、湿気で曇った窓を何度も拭きながら
じっと眺めていた。

日本に戻ってきてから、あれ以上の雪を見ていない。

雪とともに暮らす人々にとって、時にひどく厄介なものも、
滅多に享受できない人間にとっては、特別になったりする。

それは、例えばヨルダンで見る、
味のついてない炊き立ての真っ白なお米や、
生で食べていいと確信を持てる卵や、
数ヶ月ぶりの、あらゆる埃を含んだ雨粒や、
例えば日本で見る、
川沿いの歩道のコンクリートを覆う真っ白な桜の花弁や、
24時間開いているコンビニの深夜の緑色の灯りや、
いろんな匂いが混じった、人に溢れる山手線の中、や。



店を出て空を見上げる、19:53。
空を見上げ、いつの間にか雨が牡丹雪に変わったことを確認する。



いくらかは心浮き立つはずだった。


けれど、午前中教育機関で耳にした心塞ぐ話、
現場の格闘と空を掴む理想が入り混じる、長いカンファレンス、
さっきまで考えていた難航する仕事の色々、
朝から仕事が立て込んで一口も摂れていない食事の都合、
そして、何よりもひどく寒いという身体感覚に、心散り散りになる。


とりあえずヘッドフォンをつけるのは、音楽を聴くからであり、
イヤーマフの代わりになるから、でもある。

5度から始まる歌声が始まった瞬間、曲に集中する。
まだいくらでも凝ることのできるコードと
ドラムを必要以上にいじらず、
でも、揺るぎない拍を携え、
ベースは自由に動き、キーボードで軽さのあるアクセントをつけながら
旋律の描き方を変えていく、
ポップスというフィールドで表現しうる最大限の妙は、ただ見事だ。

サカナクションの怪獣。
わたしだっていつか、怪獣になりたい。

そして、ステレオタイプな円谷プロ的怪獣を想像する。
口から火を吹き、建物をなぎ倒す、孤独な生き物。

山口一郎だって、前日まで私と同い年だったんだ、と
言い訳をしながら、この歌詞を旋律に乗せ、必死に歌う姿を思い出す。
アニメの主題歌だとか、そんな大人の事情は置いておいて、
世界がどんな姿だったとしても、それを知り、核を理解するために
吠えながらこの世の通念を疑う、怪獣になりたい。


もう一度聴こうとして、
”年甲斐もなく”、という言葉がよぎる。
常識という正義を振りかざすウルトラマン的誰かが、
至極真面目に、誠実そうな表情をして、
本気で怪獣を倒しにかかってきた。

電車の中でも大きなため息がおそらく、漏れ出ていただろう、
雪という事象を思い出し、アンスネスのグリークのピアノに移行する。
たぶん、雪の日に適切な、年相応な選択をした。
けれど、あんなに適度な慈しみと優しさと解釈を備えた旋律を聴いても、
頭の中では、怪獣が火を吹いていた。


最寄りの駅を降りて、いつもの道を帰路につく。

牡丹雪は触れた瞬間、水になる。
ひどく冷たい水に濡れそぶる沈丁花に、足を止める。
香木の沈香と、鼻をつくクローブの香りを併せ持つから、
その名がついたと言われる春の初めの花は、
季節の通念を覆す季節外れの雪の中、
忍耐強く、その香りをあらゆる水分に乗せる。






清冽な香りは瞬時に、人を正気にさせる。
たぶん、悪くない日だ、そう思わせてくれた。




3月末にヨルダンで雪が降った年があった。
雪が降れば、動くことが危険と隣り合わせなのは、
単純にスタッドレスとかチェーンとかがないヨルダンで
車の事故に見舞われる可能性が高くなるから。
秋に数ヶ月ぶりの雨が降れば必ず、玉突き事故が起こる長い坂を
粛々と1時間以上かけて、徒歩で登る。
春に浮かれる人情を具現化したような緑と赤と黄色の草花が
重い牡丹雪にうなだれる様子と、雪に不慣れで危険な車を
一つ一つ丁寧に見つめながら、歩いた。

そんなことを思い出したのは、東京の中心部。
週に2回も雪が降るなんて、アンマンで見たあの雪より、
心踊るかもしれない。

徒歩圏内に、普通の酒屋では滅多に見ることのない
フィンラガンが手に入る店がある都会のありがたさを、しみじみ感じる。

週末の日中、ほとんど陽の差さない寒空の下で立ち続け、
風呂に入っても身体の芯が凍結し続け、
それなのに、身体を温めるための大好きなシングルモルトを
切らしてしまった窮地を、脱するために歩いている時だった。


雨なのか牡丹雪なのか、判然としない無数の水分の塊を見ながら
マーラー交響曲7番を聴く。


さまざまな聴き方があるのだろうけれど、
私にとっては、何度見ても見飽きない映画のような楽曲だ。

いい映画が、見る者の人生の経験や理想をなぞり、
その後の人生に大なり小なり影響を与えるように、
目に映るものや、経験値が変わっても、その音楽が
聴く者へ自在に寄り添い、自ら惜しげもなく、
その時、その状態で、理解できる人間の核心を、
心いっぱい差し出してくれる。

狂気も善意も悪意も、
その個別を一つ一つ体現することに徹底していて、
そうかと思えば、狂気も善意も悪意うっすら理解しながら
すべてを適度な重みで操ることにも長けていて、
そうかと思えば、狂気に満ち、同時に彼らなりの善意も悪意も
一つの塊の中に満ちている、人間という生きものを
示しているようだと、勝手に思いながら聴いている。

というのも、楽曲全体を通じて、
統一感がないように思える毛色異なる旋律が出てきたかと思えば、
きちんと前の楽章にあった旋律が回収され、
ある幸福感に満ちた旋律が増倍し、ある不安に苛まれる旋律が細切れになり、
ある不穏な旋律が沈み、ある旋律が狂喜乱舞し、
そこにまったく別の、ひどく心揺るがすひどく感傷的でノスタルジックな
音の重なりが登場したり、基音に収まらない
収まりの悪さを轟かせる音が先を急がせている。
そして、色とりどりの旋律を奏でるいくつもの楽器の音色を、
最後の最後まで、さっぱり納まらない和音の波が支える。



わたしや、よく知っているアラブ人や、どこぞの大統領のように
考えていることや感じていることと、
顔の表情と発言がすべて身も蓋もなく一貫性のある人間だけではなく、
とても冷静で思慮深い人であったとしても、
時には心の中では、密やかにあらゆる感情が入り混じる様が
あるのだと、信じられるような気がして、それが
とても核心をついて、大切なことのように思えてくる。


個人的に気に入っているのは、
第1楽章の最終、第1ヴァイオリンの旋律、
BF♯C、CGDの1度づつずれた音が、
不協和音とも思える悲劇的な音の重なりを奏でた後に、
楽章の終焉を迎えるまでの流れ。




そして、4楽章の中盤、変ト長調の
BCDCBDCの旋律から始まり、マンドリンの音が呼応し、
同じ旋律がFGAGFAGに変換されて、深みを増すところ、まさに、
人間の業を感じる音だと、勝手に思っている。





人の生きる世界のための、万華鏡のような曲だ。

最近では空いている時間があれば、ここのところずっと聴き続けている、
飽かず、マーラー7番と怪獣を、交互に。
ちょうど、世界を把握するため、そして、
自分の指標を見極めるため、
ひどく都合よく、一般的にはまったく相容れないだろう曲たちを、
聴き合わせている。



バカアのパレスチナキャンプからスウェーレヘへ続く坂を登る時には、
この二つの、まったく異なる曲の掛け合わせなど知らず
(怪獣は生まれていなかったし)、雪が降るという事象のせいで、
ほんの少しだけ、暴走する車という死の恐怖を抱きながら、
歩道という観念もない道でただ、歩みを進めていた。



15年ほど経過して、
今やブランドも誇りも安売りしているようにしか見えない、
けれども正真正銘な都会である東京の真ん中で、
雪が降るという事象と、
寒さ対策のSonyのヘッドホンと、
At a regular rate で誰しも歳をとるという年月のおかげで、
世界と人間の在り様の断片を、ほんの少し知る。


ヨルダンでは封印していたシングルモルトを袋に入れ、
律儀に、慎重に、ムワッダブ(Polite)に走る車たちを見ながら、
白く無骨な水分の塊を見上げながら、
抱き続けたさまざまな願いへの諦めとともに、
それでも、今抱ける希望と、
自分なりに納得できるぐらいは、この世を把握したいという
貪欲さを認識する。

マーラーの最終楽章を聴きながら、
道路の真ん中で、怪獣みたいに叫びたくなる。


けれども、そんな欲望など微塵も見せず、
足早に駒沢通りを横断するまばらな人に紛れ、
高い建物に覆われた都会で、少しだけ視界の開けた大通りの真ん中を、
後ろ髪引かれながら、小走りするしかなかった。






追記
最近は、サイモン・ラトルとアラン・ギルバートのマーラー7番を
よく聴いている。

サイモン・ラトルはバイエルンとの演奏を生で聴いたことがある。
ひどい席だったのは経済力で自分のせいだとわかっていつつ
とても残念だったけれど、
そんな後悔を一蹴する見事な最後だった。
心の中の有象無象を抱きながら
生きていっていいんだ、と思わせてくれる
圧倒的包容力があった。

アルバムになると、楽曲に一貫する流れを決して止めない、という
音楽の基本が、これほど大事で素晴らしいものなのか、と
実感させてくれる、とてもすばらしい演奏で、
今のところ、マーラー7番では一番、気に入っている。

アラン・ギルバートはNDRとの演奏は、
曲のあらゆる部分で、ひどく複雑な骨組みを
黒を背景に色彩豊かな透明の柱で表しているようで、
俯瞰した時に時折、とんでもない建造物が見えたりする。
最後の最後で、こんな建物を作っていたんだ、とわかる感動も、ある。


きっと、7番のいい演奏はいくらでもあるのだろうけれど、
今のところはこの二つのアルバムで、
何度も何度も、いろんな人間の在り様を見ることに、執心している。








2025/02/14

歯を食いしばり、他者をハミングへ誘う


ハミングをする癖がある。
無意識のうちに、取りとめもなく旋律もない音が
文字通り、ふんふんふん、と小さく漏れてしまうのだ。
決して調子がいい時に漏れてしまうのでもなく、
ただ、ふとした時に、音を鳴らしてしまう。

どんな時に出るのか、意識できることはほとんどないけれど、
極度に緊張している時だけは、認識する。
ハミングをする時の、鼻から空気が流れて
わずかに振動する、あの状態が、いくらか緊張を和らげてくれる。
けれども多くの時は、ただ音を鳴らしたい、という
無意識の欲求がうっすらと漏れ出てくるわけだ。


”こもりうたのようなハミングを、
わたしたちはうたわなくてはならない 死の際まで”

以前読んだフレーズを、なんとなく覚えている。
戦禍を生きる、子を持つ親の話だったはずだから、
死に顔が恐怖に慄いたままでは、見つけた人も辛いだろう、
安らかに、気持ちを軽くして死んでいけたらいいだろう、そう
思った大人の言葉なのかもしれない。

ハミングの効用は使う場面によって、さまざまだ。


ハミングをする人たちの音を聴くのが好きだからか、
勝手に、ハミングしているだろうと思い込んでいる人、もいた。



ずっと昔に読んだ本を、久々に手に取る。
物理的には、ハミングなどもしているけれど、
ハミング的生き方、からは程遠くなってきたから、かもしれない。


藤本和子の「リチャード・ブローティガン」

絶版になっているらしい。
あんなに素敵な本だったのに、とうっすらとした記憶をたぐりながら、
古本を手に入れて表紙をしみじみ眺め、思う。
ブローティガンこそ、わたしが勝手に、
ハミングをしているだろうと思い込んでいる人、だった。

かしこまった表情ではあるけれど、その口元から、
調子っぱずれな音が漏れ出ていたら、面白いだろう、
そう、わたしが勝手に想像していただけの話。








わたしはブローティガンの短編も詩も小説も、大好きだ。
中でも、「芝生の復讐」の中にある短編、
「シンガポールの高い建物」が好きだ。


”すごく心がふさいでいて、まるで液体鉛筆みたいにしか
機能しないじぶんの心を見つめながら道を行く”
男の横を、若い娘連れの母親が通っていく。
ずいぶん小さい子どもは喋っていることが言葉になっていないのだけれど、
それに答える母親の言葉が
”なんとも奇妙な啓示をともない、わたしの一日を爆破してしまうのだ。”

”「シンガポールの高い建物だったわよ」彼女がこの小さな娘にそういうと、
娘はキラキラと輝いて音をだす一セント銅貨みたいに、
とても心をこめて答えるのだった。
「そうよ、あれはシンガポールの高い建物だった!」”




液体鉛筆のような心持ちと、
シンガポールの青い空を背景にすくりと立つ高い建物を、想像する。

ものを書く人にとっての、細く丈夫でまっすぐな鉛筆
(ブローティガンはいつもタイプライターを使っていたけれど)が
とろとろと液体になってしまう様と、
不動に輝き立つ建物、しかも、きっとブローティガンもこの母娘にも縁がないだろう
シンガポールにある、ビルでもない”建物”、が
見開き一ページもない短編の中で、まさに”奇妙な啓示”のように
共存する、ブローティガンの短編の中でも、特に
そこはかとない暗さを跳ね飛ばす、”爆破”力と美しさがある。
彼の中の精一杯の善きもの、が漏れ出る作品だと思っている。




「リチャード・ブローティガン」は
生前のブローティガンと交流のあった藤本和子が、
自身のブローティガンとの会話や、彼の娘、友人や知人から
聞いたブローティガンについての話を、軸に、
彼の人生、そして彼の佇まいを描いている。

彼がどんな姿で立って、座って、
話をしていたのか、という描写が詳細にあるわけではない。
生きていくうちに、自然と作り出されてく雰囲気が、
本の全体に一貫して、佇まい、として立ち上がってくるように、思える。

ブローティガンの死にざま、から始まるぐらいだから、
明るいものでは、決してない。


歯形を調べなければ、彼だと確認できないほど、
死んで日が経ってから、暗い森のなかにあった家、で発見される。
周囲には未発表の詩が散乱する。
友人たちは、”泥のように酔い、それでもまだ呑みつづける”彼は
もうすぐに死んでしまう、と思っていたのに、助けることはできなかった。
”自分の腕を切りおとすようにして、周囲の人々から遠く離れていった”からだ。



”宗教音楽”のような音でタイピングする、ヘミングウェイのタイピストに
タイプを依頼すると、”ギリシャ神殿のようにも見える段落”で
改行された原稿が戻ってくる。

カリフォルニアの海岸には”蛙人種”、ゴムスーツを着た
若い綺麗な娘が”蛙人種的話題”で話し、
”おたまじゃくし的会話の夏”が過ぎていく。

アメリカの場末の映画館、ヒッピー、黒人、年寄り、兵隊たちが
映画を見ながら”エリザベス王朝風の流儀で生きそして死んでゆく”

父親の愛人も泊まるホテルの朝の光は、娘にとって”人工的で、過酷なほど清潔”で
メイドが「メイド鼠」となって、”空中にぶらさがる不思議なお化けベッド”
のように、光を置いていく。

以前は心通ったはずの女の家に深夜、コーヒーを飲みに行くが、
彼女は台所でコーヒーに必要なものを準備し、お湯を火にかけて
別の部屋へ入ってしまう。
”湯が沸くまでには一年かかる”、水を半分にしても、”六ヶ月はかかる”だろう。

バスで気がふれた老婆は切れ目なく話し続け、
”土曜の夜の荒れ狂うボウリング場のまぼろし”のように
”彼女の歯から幾百万本というピンがはじけとぶ。”
隣に座った、死んだふりをする男の耳は”小さな黄色い死んだ角のよう。”

公園で子どもたちの吹いているシャボン玉が、虫に当たって
”とても死亡率の高い脈拍を打つ”。
その一つがバスに衝突すると”霊感をうけたトランペットと
壮麗なコンチェルトとの衝突”のように、他のシャボン玉に
”大往生とはいかなるものであるか”を示す。

父親は、ずいぶん愛していたのだろう最初の妻との
若い頃の結婚を、”一家のクロゼットにかくされた骸骨”
のようなものにして、秘密にしておきたがった。



短編の中では、目に映る情景を心の内で咀嚼していく過程で生まれる、
たくさんの奇妙な映像が、映し出される。
どれだけ悲しかったり、辛かったり、理不尽だったり、
不条理だったりするものごとを目にし、経験しても、
言葉にする過程で、かろみを持たせたい、とでも
思っているかのように、どこか面白味が滲んだりする。

”人物をよく知っているという前提で書くことにつきまとう傲慢を、
彼は拒絶していた。
人格は行動でしめし、行動する人間の観察者として自らの役割を限定していた。
読者はまず、意味ではなくイメージを受け取る。
イメージはさまざまな機能をもつが、やがては普遍性をもつ感情、
認識などを共有させてくれる。観念までも。”

藤本和子の、ブローティガンの文章に関する洞察は、
人間を、ものを見る時の、あるべき姿勢そのものであり、
彼の文章の一番の魅力でもある。




他者、特に貧しくアメリカの底辺を生きる人々への温かな視線は、
どれだけビートジェネレーションの波に乗り、
売れる作家になってもなお、底辺にいた自分自身の過去を
捨てられずにいたからだった。

幼少期は極貧で、両親がすぐ離婚し、次から次へ父親が変わり、虐待を受け、
父親の違う妹たちの面倒を見ていた。
ラジオ一つ、壊れても容易には新しいものが手に入らない。
数日間も何も食べられない日々もあった。
警察署に石を投げたのは、刑務所なら食べるものがあるからと、思ったようだ。
けれども、統合失調症と診断されて電気ショック療法を受けたことは
あまりに辛い経験だったからか、その後、ほとんど語られることがなかった。

ワシントン州タコマとオレゴン州の、冬はひどく寒い。
森と川しかない山奥から、カリフォルニアへ向かう。


藤本和子はブローティガンと偶然、
サンフランシスコのジャパン・タウンの定食屋で会う。
「アメリカの鱒釣り」の翻訳を手掛けようとしていて、
表紙にそっくりの男が、隣に座っていた。

藤本和子は、その頃のブローティガンの家にも行ったことがあった。
サーモンスフレを手土産に訪れたら、
彼はアスパラガスを付け合わせに作っていた。
”アスパラガスは切っていなくて、色褪せた絵つきの中皿の上に
神妙に整列していた。”

空気を入れられるビニール鱒、を見せられる。
旅行するときにはいつも持っていくこと、
飛行機の中で飲み物にマティーニを2杯頼み、2杯であることを尋ねられると
”「このビニールの奴さんをポケットから取り出し、
ぷーぷーとふくらませ」”て、”「こいつも一杯やりたいといってるから」”と
言うようにしている、と話す。

ブローティガンは最後の十年ほどの間に何度か、日本へ来ている。
日本人の妻がいた時期もあり、六本木には彼がよく通ったバーがある。

日本に滞在しているときには、必ず朝と夜、
藤本和子にその日あったことを、電話で報告していたようだ。
普段ならすぐお酒を飲んでしまうけれど、日本に娘を連れてきたときは
アルコールを控えて、娘にできる限り様々なな日本を、見せようとしていた。

日本は気にいっていたようだけれど、日本語は話さなかった。
周囲の人々が何を話しているのか分からない、いつも、
彼はひどく一人を感じながら、それでも日本に来ていた。

日本に来始めた時期にはすでに、アメリカでのブローティガンの名声は廃れ、
時代の波はビートジェネレーションの作家に目を向けることもなくなった。
だから、アメリカに居ようが、日本に居ようが、
孤独であることには、違いなかったのだろう。

”「ある意味ではね、日本は父に、人間は孤独であってかまわないのだ、
ということを教えたのではないかしら。
日本にいくことで、かれは自分の過去と文学的に折り合いをつけることができたと思う。
私的には、とうとう折り合いをつけることはできなかったけど」”
そうブローティガンの娘は語っている。
日本に来て思想的に解放された、と解釈している自分を
父は笑っているかもしれない、とも。

藤本和子は、ブローティガンの娘に会いに行く。
父親について書こうとしていた娘は、父との思い出の断片を語る。
一緒には暮らしていなかったけれど、長い休みは
父親のもとで過ごしていた。
父親を喪ってからも、彼をより理解し、断片を残しておこうと本を書く
娘がいることは、かけがえのない救いのように思える。


貧しさと寂しさの記憶に満たされた故郷へは一度も帰らず、
親族とも連絡を取らず、”過去との断絶をもくろむ意思”を持ち続け、
それでもなお、”「いまはなくなった家の壁」に耳を押しあてて
書いている異邦人の記憶の回収録が
読者の心のもっとも繊細な部分を刺激するのだ。”
と、藤本和子はエピローグで書いている。




カリフォルニアでの話を描く短編には、
その場にいるのに、どこか場違いなのか、
心安い場所を探そうとしているのか、そんな心象が見え隠れする。

過去の記憶をもとに描く短編の方が、
たとえ、その場にいることが諦めであろうとも、
まだ心なしか、不安さを感じさせない気がするのは、もう何度も
自分に起きたことを他者の身に起きたことのように、
物語へと昇華しようとし続けていたからかもしれない。

けれど、昇華しようと向き合うたびに、傷みを負い、
どれだけ明るい現在にも、傷みは影のように必ずついてくる、
それがブローティガンの言葉の孕むやさしさ、危うさ、愛情でもある。

どこにいても、他者のいる情景と他者の行動に対して
言葉を尽くす。
そして、自分自身についてでさえ、
心に浮かぶさまざまな、時には悲痛であったり切実だったりする思いを
持て余すこともできず真摯に見つめ、その状態に言葉を探そうとする
ブローティガンを、想像する。





ブローティガンの書く文章に、音楽はあまり、出てこない。
ただ、印象に残っている短編が一つ。

妻が家を出てしまったと”びしょぬれの傷ついた雑巾”みたいな目をした男と、
海岸でラジオを聞きながらポルトワインを空ける。
ジュークボックスで歌われ続けた歌たちは、
”アメリカの塵に収録され”、
”ありとあらゆるものの上にふり積もり、椅子や自動車やおもちゃやランプや窓などを
無数の蓄音機に変身させてしまった。”
”そして、恋に破れたわたしたちの心の耳にそっと歌を聞かせるのだ。”

その後の人生をどう生きたらいいのかも分からない男も、
ラジオから流れるヒットチャートを聞くのだけれど、
おもむろに、彼はラジオに火をつける。
音は次第に歪み、”誰かを愛しているんだという内容の歌のコーラスの真最中に、
それは二七位に落ち”、”すべての歌にとりかえしのつかない終末がおとずれた。”





ブローティガンは、ハミングする人だったのだろうか。

おそらくは、ハミングして心落ち着かせることも、
鼻から抜ける空気の震えに心軽くすることも、なかっただろう
だから、腐乱してわからなくなってしまっていたけれど、
きっと死に顔も安らかでは、なかっただろう。



それでも、彼の文章を読み終えたあと、ハミングするときのような、
心安さの携え方を、視点を、手にいれる。
どれだけ小さきものにも、底辺の人々にも、自分自身にも、
微弱であろうとやさしく愛ある視線で、ほんのり温かな心持ちを抱かせる。
そんな言葉をつむぎ、ときには絞りだすには、
歯を食いしばり、唇を噛み締めなくてはならない。


ブローティガンの書いた言葉の中に、
ひたむきさ、必死さをそこはかとなく感じれば、感じるほど、
彼の一つ一つの言葉がつむぐ情景が、
そして、彼の本を読んだ後、目に映る景色が、
ひどくひどく、大切なもののように思える。