2025/09/27

かろみ、と、My favorite things

 
雲が出てきた。
深夜の静かな部屋に、冷たい空気が流れ込む。
随分久しぶりに、ほんのわずかな湿気を感じる。




仕事が忙しいから、というのは言い訳にならないほど、
周囲にあるものものを、深く味わう心持ちが抱けなくなる。
自動的に、音楽を聴く状態に、あまり身を置けなくなった。

ある意味、死活問題だ。


かろみ、という言葉を最近よく思い浮かべている。
軽やかさをうまく持てないからだ。
一体その言葉がわたしにとって、どんな重要な意味があり、
それを携えて暮らすことがどのような状態なのか、
思い出せない。

かろみ、という言葉が文字通り、かろやかに宙に浮かぶ。

額のすぐ先あたりに、かろみ、と書かれたプレートが、
馬にとってのにんじんのように、ぶらぶらしている。
いつまでたっても、手に入れられないのに、
テーマだけが、概念だけが、目の上でちらつく。






Raindrops on roses and whiskers on kittensBright copper kettles and warm woolen mittensBrown paper packages tied up with stringsThese are a few of my favorite things


小さい頃に字幕で見た日本語の歌詞は、
昔の映画にありがちな、白くいくらか丸い文字で訳された言葉の列で、
読めたり読めなかったりする漢字があったはずだから、
歌詞に愛着を持ち始めたのは、英語の歌が歌えるぐらい
随分と大きくなってからだった。

歌詞だけではなく、ストーリーもどこまで分かっていたのか
実に怪しい。
ナチスを逃れて亡命をする背景も理由もわかっていなかったから、
So long Farewellを歌いながら一人づつ抜けていくシーンも、
一緒に旋律や間奏部分を鼻歌でなぞりながら見ていた。



小さい頃、家にあった数少ない子ども向けのビデオの中に、
Sound of Musicがあった。
実にある意味、教育的な選択を親は積極的にしていたわけだ。
合唱やらピアノやらを習っている子どもたちに、
ちょうどいいと思ったのだろう。


ジュリー・アンドリュースの伸びやかで曇りのない歌声は、
教科書のようにわたしの歌声の基本となる。

その後、大きくなってから紙タバコを吸いまくり、
どれだけ、黒人のジャズシンガーたちの声音に憧れても、
うたのおねえさんのような音しか、喉からは出てこなくて、
ついに1ミリも、声音の深みを手に入れられなかったのは、
このビデオのせいだと、思っている。

聴いていた声音が乗り移ることなどないのだけれど、
子どもの頃に刷り込まれた正しさ、のようなものが
見事に声帯を作り上げた、残念な例。


Sound of Musicの映画の中の曲たちの旋律の多くは、
決してシンプルではなく
伴奏の和音も含めて、随分凝っている。
けれども子どもの時分には、
ドレミの歌やエーデルワイスのように、
旋律にも「道徳的」という言葉を使えるのであれば、
まさにそんな、旋律の正当性を塊にしたような
子どもの耳にも触りのいい曲を歌いがちだった。


その中で、My favorite thingsは少し、毛色が異なっていた。
では小さい頃からどうして、この曲を気に入っていたか。
あの、納まらない、不可思議な旋律にあったのだと思う。

雷の夜、怖がる子どもたちに向かって、
ジュリーが歌い始める。

青いサテンの帯のついた白いドレス、
鼻とまつげにかかる白い粉雪、
暖かな毛糸のミトン、
月に羽を広げて羽ばたくグース、
の歌詞から広がる想像だけは、うっすらと記憶にある。
特に、青いサテンの帯、
家の壁に貼ってあったルノワールのポスターの、
ふっくらかわいらしい少女の着ていた服と、重なる。

けれども、子どもながらに可愛らしい、うらやましいと思えたものものと
旋律にうまく折り合いがつかなかった。







サラ・ヴォーンのMy favorite thingsも有名だけれど、
彼女のかすかにざらつく声音、時折低音でほんの少し屈む、
すっと背中を撫でられるような瞬間など、
当然、再現できるはずもない。







わたしのこの歌への印象に一番近いのは、
羊毛とおはなのヴァージョンだったりする。
朗朗と歌うには、あまりに小さきものものに溢れているこの歌詞に、
子音が耳に心地いいあの歌声が、すっぽりと納まる。



大方、この歌を歌う時は、気分のすぐれない時だった。

好きだと歌う一つずつ、を想像しながら、
その小さきものものを愛でる時の感覚を、思い出そうとする。
好きなものの羅列が、心をいくらかでも軽くしてくれる、
そんなことも時には、あっていいはず。

I simply remember my favorite things
And then I don't feel so bad.

けれども大体、そんなにうまくいくはずもない。

それでもこの歌の歌詞は、とてもいいと思う。
青いサテンのリボンのついた服を着たいとはもう、思わないけれど、
取り上げているものの小ささと、形容詞の選び方、
”わたしはただ、好きなものを思い出して”
”そんなに悪い気分でもなくなる”
この、なんとも控えめな表現が、随分と正確に
心持ちを言い当てているな、と思う。

その妙な具合に、しっくりくる易しい言葉の並びだけに、
たとえ歌ったとて気分が晴れなくとも、
ただ単純に、感心する。






先日初めて、ヨルダンのジャズフェスへ行った。
ピアノ、ドラム、ベースのトリオが演奏するMy favorite thingsに
歌そのものを思い出し、帰り道に口づさもうとして、
2番の途中から歌詞を思い出せなくなって、頓挫する。

携帯で歌詞を読みながら、小さく歌う。
羅列されるものものの、多くの人にとって
ひどくtrivialであることが、
浮遊感のある旋律の中で混じり合い、
ふと、かろみ、を思い出す。



よくジャズを聴いていた頃、
My favorite thingsのアレンジで、セッションやバンドが
自分の好みと合っているか判断する傾向があった。
久しぶりの生バンドが、心底気に入ったかと言ったら、
そうでもないけれど、
My favorite thingsを演奏してくれただけでも、
聴きに行った甲斐があった。






それから、ベタではあるけれどやっぱり大好きな
ジョン・コルトレーンのMy favorite thingsを時々、
朝っぱらから聴きつつ、通勤をしている。

ぱりっとしたピアノとドラムのイントロに続く
枯れたサックスの音は、
純白の冬が溶けて春になる様も、
素敵なプレゼントの入った茶色い包み紙も
想起させてくれたりはしない。

乾いたドラムの地味なGrooveと旋律のわだかまりの中を、
感傷の影など微塵も感じさせまい、という意志的な
サックスの音が突き抜ける。
えも言われぬ開放感を感じさせる組み合わせが
ヘッドホンから脳みそに流れ込んでくる。

そんなに簡単に、かろみなど手に入れられない、
それでももしかしたら、I don't feel so badであれるかもしれない、
そう思って、1日を始めることにしている。











2025/09/12

概念としての”橋”


淡い黄土色の土漠と灌木の茂る、ひどく暑い外部を、
バスの中から眺める。
あらゆるものを照らしだすのに足る、強い日差しが突き刺さっているのに
視界が歪んでいるのは、
ただ単純にわたしの視界が、悔しさに滲んでいるからだ。

ふと、見慣れたマークが目に止まる。
日本のODAで作られた橋をわたしは、渡っていた。



その後、何度となくその情景を思い出す。
夢にまで見るぐらいだから、よほど
わたしの潜在意識は恨みに思っているのか、もしくは
その時、呼び戻す余裕のなかったさまざまな記憶を
結びつける情景だったからだろう。




写真すら残っていないし、
組み立てるだけの場所も技術もおそらくないけれど、
修了制作にわたしは、”橋”、を作った。
概念としての”橋”を、形にしてみたかった。

修了制作というのは、それなりに時間を費やす。
陶土の焼成とブロンズ鋳造を専攻していたし、
溶接で作らなくてはならないパーツもあって、
素材自体だけを見ても、散漫な作品だったと、今でも思う。

それなりの時間を費やして作る時には、
その動機がとても重要だ。
その時分のわたしは、”橋”が、長い修了制作の時間に耐えうる
テーマだと思っていた。


修了制作に準じる論文も書く。
テーマは、造形における単純化、だった。
Simplify、という単語は、禅の思想に通じるように、
その時分のわたしには映っていた。

造形の観点から、表現しうるものを限りなく単純化していくこと、
それは、造形における美学の、一つの揺るぎない形だと
その時のわたしは信じていた。

今でも、そういう考えを持つことそのものは、
ある程度理解できる、けれども同時に、
単純化、簡素化することによってこぼれ落ちる文脈の重要性が
ひどく大切なものだと、現在のわたしは心の底から思っている。
学生時分のわたしには想像しえなかった
SimplifyではなくPurifyのような、危険な思想を、もしくは、
それらが表裏一体だからこそ危険である、という
とても明解な認識さえ、できなかった自分を
ひどく浅はかだった。





橋には、こちら側とあちら側が、ある。
隣の町、隣の県、隣の国、隣の大陸。
橋を渡って、あちら側へ行く。
あちら側に行くには人それぞれ、さまざまな事情がある。
そして、その人の数だけの思いや願いがある。

橋は象徴的な意味でも使われる。
あまり好きではないけれど、
架け橋、という言葉を使う場合、
つなぐものがなければ関係性が保てないことが多い。

あちら側には、あの世もある。
三途の川は船でしか渡れないのは、よくできた話だと思う。
橋の先に続く場所があったとしても、
だれそれかまわず、簡単に行って帰ってこられては、困るからだろう。


能の舞台は、あの世の出来事を舞う。
舞台へ続くあの通路はまさに橋で、
橋を渡って、舞台袖のこの世から、あの世に向かう。
あの世での出来事は幻、
だから、幽玄で、真に美しい。

川端康成の小説に、反橋という短編がある。
住吉神社の反橋を渡った記憶を主人公が辿る。
本当の自分の母親はもう死んでしまったのだ、と
反橋を渡る時に告げられた幼少期からの人生と、
橋が意味する生と死が、記憶とともに混じり合う。





橋を構成するものを単純化すると、道と柱になる。

道を支える柱について、学生の頃は図書館で、
橋建設の工学書から、橋の写真集まで、
さまざまな本を見たり読んだりしていた。
イギリスに現存する古い橋が、気に入った。
大きな石を切り出して、絶妙に組み合わせたその形がおもしろい。
そして、長い年月を経て丸まった稜線が美しい。
灯籠から石垣まで、さまざまな石組みをよく、スケッチしていた。

石彫では重すぎて扱いきれなかったので、陶土で石の形を作る。
そもそも同じ土からできているものを、
わざわざ作りなおすなど、作っている時すでに、
おかしな話だと思っていた。
けれども、石が組まれるバランスへの興味が捨てきれなかった。


道、にもさまざまな概念がある。
橋を渡っていく時の感覚を思い出していたら、
ブロンズの細く長い、刀のような形になった。


石に見立てた陶土の塊を積み上げ、その上に
細く光る線が乗っているような造形は、
当然もはや、橋だとは見えなくなっていた。
石の組み方に執着していた結果、ある角度からだと
バランスが悪そうに見えて、さらに
その上に乗っている道は、切れそうに光っている。

展示をする時には、背の高い鑑賞者にブロンズの先が
当たったら大変だから、と
作品の周りに白い丸石を敷くことになった。
作品の造形のバランスも、展示の仕方も、ひどくおかしな作品。
下手な施工業者の仕事のようだった。


渡れない、概念としての橋。
それでもとにかく、わたしはわたしの中の橋、を作った。








わたしの橋の記憶は、川の記憶としっかり、結びついている。
大きな川の近くに住んでいたので、その支流の一つにかかる橋を
小学校の通学路で渡っていた。
田舎によくある、小さな石とコンクリートでできた橋。
学校からの帰り道、橋を渡ると方向が違うから
別れなくてはならない友人と、橋の上でおしゃべりをしていた。
話しながら川へ石を投げたり、流れの多い川の様子を観察したり、
時には、その日嫌だったことを大声で言って、
川に捨てたりも、していた。
川の水は何かを流すものだと、その頃から思っていた。



この国は根本的に水が少なく川がないから、
橋を渡る機会はほとんどない。
川を越えるためにではなく、丘と丘をつなぐ道としてある橋は、
この都市随一の高級街へ続く。
あまり話題に上らないが、自殺の名所でもある。

水がなく、川がなく、だから橋もない土地で
橋を渡ることがほとんどなくなり、
橋のことなど、すっかりわすれていた。






あのマークを見つけなかったら、
今から橋を渡る、ということにも気づかなかっただろう。
道路の延長のように続く道の左右に
水らしきものはなかった。

バスの中はよく冷房が効いていて、静かだった。
運転手のおじさんとわたししか、乗っていない。
おじさんがそこだ、というから、わたしは
集金の人が座る運転手の隣の簡易椅子に座って、
ぼうっと目の前に続く道と、周辺の灼熱の土地を
見続けるしかなかった。

おじさんも気まずかったのだろう、
お水のペットボトルを差し出しながら、
なぜ戻ってきたのかと、尋ねる。
返答の言葉を選びながら、涙が滲む。
後悔、悲憤、銷魂、とにかく、涙が出てきた。


おじさんは自分の住んでいる町の話をする。
わたしの戻る場所から離れたところにある町なのに、
おもむろに、今日うちに遊びにおいでよ、と言う。

こちらでは時々ある会話だけれど、
そのあまりの突拍子もなさに、なんだかおかしくなって、
ありがとうございます、と思わず笑ってお礼を言った。


やっと、人間に会った気がした。



今までさまざまな橋をきっと、渡ってきたのだろうけれど、
あの橋ほど、わたしが20年ほど前に抱いていた概念に合った
橋を渡ったことはない。

わたしには、橋を渡りたい事情があり、
思いがあり、願いがある。
たくさんの、本当にたくさんの人々が
同じように一人一人異なる事情や思いや願いを抱き、
あの橋を渡っている。

雨季になる冬場には、あの橋の下に水が流れるのだろう。
けれども、もしわたしの考えた橋の概念に当てはめるならば、
本来、存在しなくていい橋だった。

橋を渡る人々に思いを馳せるならば、
橋なのかどうかわからない、道路の延長のような
あの橋の姿が、ちょうどいいのかもしれない。






2025/09/05

カフカと、心の中の装置

 


カフカの寓話集の中でも、ひどく印象に残っているのが
「巣穴」という話だ。
地下に住む動物が、自分を守るための最上の空間を作ろうと腐心する。
巣穴の構造は最上のもの、自分を守り、自分にとって快適で、静謐で、
子どものように転げ回れるような場であるはずだった。
けれども、敵が侵入してくるかもしれない、
食糧の貯蔵場所に問題があるかもしれない、自らの頭を擡げる不安や疑心から、
安全な場である巣穴から出て、
巣穴の入り口が他の動物に知られていないかひたすら監視したり、
巣穴の中でわずかに聞こえる、誰かが穴を掘る音がひどく気になり始めたり、する。

自分を守るために作ったはずの巣穴が、
入り口を監視することにより、守る対象に変わり、
巣穴のわずかな綻びのせいで、自分の思慮の深さを疑い、
完璧には直せない忍耐力の衰えに、自分の老いを自覚する。

カフカの短編の中でもとりわけ、
人の心のうちの不安や疑心や恐怖の変遷が、丹念に描かれている。
初めてこの短編を読んだ時、見事な心理描写だと、舌を巻いた。



なぜその本を手に取ってしまったかと言えば、
なけなしの、そして鼻につく、絵に描いたような理想を、
いくらかでも自分の中で体現させたかったからだ。

他者への理解を深める努力を怠らないこと。

この作業が、これほどまで疲弊させ、虚しいものだとは知らなかった。
本の選択そのものが、ナメてたのだ、と指摘されるだろう、
あらゆる方面から。









小柄で若い女性が、その職務を全うしようとして、私の前にいる。
わたしをわざわざ目の前に立たせる、犬と飼い主みたいに。

けれども、わたしはその人の職務が何なのか、
途中まで真に理解していない。
あるいは、途中から彼女の職務の内容は変わったのかもしれない。
スキャニングから、排除への移行を、見定められなかったのは、
にこやかに質問に答えようとした表情の下で、
矢継ぎ早にくる脈絡のない質問への回答と、彼女の心のうちを、
同時に考える余裕がなかったからだ。

苛立つ相手を目の前にして、確かに心中は焦っていた。
そして、最後にわたしにとっては当たり前の、
けれども、彼女の理屈では好都合な致命的な欠点を、見せてしまう。

そして、質問は終了する。
もしこれが試合ならば、わたしはただ完敗しただけだ。
たとえどれほど卑怯な、合理の伴わないルールの試合であったとしても、
その試合に臨まなければ先に進めないのならば、やるしかなかった。



たくさんの人々が列になり、時々弾かれたりしつつ、
ほとんどが先へ進んでいく様子を見つめる。
意気揚々とした小さな子どもたちがいたり、
疲弊しきった顔の大人がいたりする。
それぞれが人としての尊厳を携えて、並んでいる。

いつか見た映画のワンシーン、強制収容所へ向かう人々の列を思い出す。


最後の質問と、短い宣告のあと、
待てと言われて待っていたその時間は、すでに30分以上経過していた。

ゲームオーバーなのはわかっている、
その事実と向き合うだけで精一杯で、ただ茫然と
さっき起きたできごとと、目の前の人々を
見つめ続ける。
いやなものだ、試合の敗北の詳細を、見つめ続けるというものは。


わたしの目の前を、質問し続け、ゲームオーバーを宣告した女性が通っていく。
同僚とかろやかに挨拶をし、わたしに目を向ける。

あなたはもう行けないってわかっているのに、どうしてここにいるの?
振り返りざまに、そう言った。

その質問に対して、丁寧に返答したつもりだけれど、
それまで我慢していた分だけ、語気は明らかに強かった。
高い天井に、たくさんの人々の会話と、巨大な空調機械、
音の膨れ上がるような場所だったから、大きな声、
思わず言いながら立ち上がったわたしは、
心底、その質問に腹が立っていた。

いや、あなたがここで待っていろと言ったから、ここで待っている。

ふと、彼女の表情が一瞬、怯えたようにひよる。
一瞬だけだ。
けれども、わたしだって見逃さない。
そして、その表情にわたしは、
今までの人生で抱いたことのない、怒りと困惑と絶望を覚える。










40度を超える熱い大地を生き延びる灌木と、
淡い黄土色の砂が混じる、人のいない土地を走るバスの中で、
疲れ切った脳みそはそれでもなお、働き続ける。
今起きたことを、わたしの中で処理をしなくてはならない。

彼女の日常について、想像する。
家族がいて、友人たちがいて、仕事が終わったら
食事をしたり、街で遊ぶ、クラブへ行ったり、バーへ行ったり、
笑い合う人々がいて、楽しい時間がきっと、ある、だろう。

彼女はおそらく、とても真面目で優秀で、
もし彼女がわたしが何者かわからず、
例えば、バーで隣の席にたまたま座ったならば、
いくらかアジア人差別はあったとしても、それなりにBe niceであろうとする
分別と礼儀正しさを持った人だろう。

ごくありふれた普通の若い女性の日常、
それなりに会ったことのある、白人の人物像。

職務はあっても、それは仕事の時だけのものであって、
他の時間と混同、混在することはない。
混在させない方法を、彼女は知っている。
必ずあるはずの、他者の尊厳を
彼女の意識の中で潜在的に奪うことによって。





わたしは篩い落とされる。

それは、壮大な装置のように見える。
人間が人間の良心を持たず、
それゆえに、人間を介していないように無機質な
巨大な工場のようなものだ。
全貌はまったく見えないし、見たいとも思わないけれど、
確実にこの世界には存在している。
人間の膨れ上がったさまざまな類の恐怖心を
あらゆる手を尽くして結晶化させた物質で作り上げられている。
しかもその巨大な工場が、国の中にも社会にも組織の中にも、
そして人一人の心の中にも存在している。


その中で、わたしはものになり、篩い落とされる。
篩い落とされる経験も、したくないものだが、
何より、その装置を持った一人の人間と対峙したことが
信じられないほどに、哀しい。


そんな経験をしなくてはならない場面に、
幸いなことに今までそれほど、遭ったことはなかった。
日本にだって、その工場は存在し、わたしのように
人権も尊厳もなく、篩い落とされる人がいる。
わたしはたまたま、日本に生まれ、運がよかっただけだ。


カフカが生きていたら、今の状況をどう捉えるだろう。
カフカは篩い落とされる人間たちの姿も描き、
自らの民族性への情熱もまた、晩年は心の中に温めていた。

本来、真の意味でコレクティブトラウマの全貌を理解しているならば
反目しうるはずのないものが、異常なまでに反目している、
そんな断片であったはずの世界が、どんどんと全貌へと変容しつつある。

どんな見当違いな言い訳でもいいから、今のこの世界を
カフカがカフカなりに処理し、整理した短編が出たのならば、
わたしはその話を、ぜひ読んでみたい。




追記;
わたしが大好きだった演奏家たちと、作曲家たちと、
指揮者たちの演奏をしばらく、再生できないでいる。
カフカと同様に、すべての過去の、現在の音楽家たちの
首根っこを掴んで今の状況をどう捉えているのか、
音楽でも言葉でもなんでもいいから、説明しろ、と
訴えたい。

民族や血族に括られる側の苦しさもあるだろう。
けれども、一流の表現者ならば、なおさら、目を背けてはならない。
もし、今起きていることもまた、人間の生み出していることであり、
そんな人間がまた、創り出すものが音楽であり、
その美しさもおぞましさも表現するのに、おそらく
あなたたち民族は今のところ、一番長けているだろうから。



2025/05/25

透明になって、他者の人生を通過したい

 

何度か訪れたことのある、薄暗い真四角の部屋、
四隅にひかれたマットから立ち上がるお母さんは、
細く垂れた目と白くすべやかな肌、
初めて会った時から変わらず、やさしくきれいな顔をしていた。

顔を見たら安心してしまって、なぜか涙が滲む。
左右の頬に頬をつける挨拶を何度もしながら、
とりあえず元気そうで、よかったと心の底から、しみじみと思っていた。


心臓の手術は難しいから、政府系の一般病院では
十分な処置は受けられない、
具合がわるくなると入院しなくてはならない、
そんな話を聞いていたところだった。

寡婦になった時から、すっかり落ち込んでしまって、
ぼんやりと部屋の中で座り込んでいることが多くなった。
いつもお父さんと二人、横並びで座っていた部屋の奥に、
今は孫たちに囲まれて、座っている。


子どもたちが結婚して孫ができ、家の中のことばかりに
日常のすべてを捧げてきた女性だ。
子ども一人と孫一人を、自分よりも先に喪い、
それでもたくさんいる子どもからは孫がどんどん産まれ、
生と死、喜びや悲しみが、親族がよりそって住む
敷地のいくつかの家の中で、連綿と続く。

それがどのようなものなのか、断片を見てはいるけれど、
私には経験したことはなく、これから経験することもない。
だから、一人の女性として、そのお母さんを私は
何だか勝手に、とても大切な存在だと思っている。

それからたぶん、単純に顔が好きなのだも、理由だろう。
やわらかくうっすらした皺と、ただ優しさと哀しみが織り交ぜになった
小さな目を、ずっと見ていたくなる。

他者の人生を傍観者として、
そこはかとない愛情を抱き、見続けていていい立場など、
ないのかもしれない。
けれど、傍観者にしかなれない人間にとっては、
それが精一杯の、愛情と優しさの体現だったりする。
結局は究極的な、わがままだったとしても。








昔はよく、お話を作っていた。
いつも本を読んでいたから、色々な土地の情景や、
そこに住む人々の姿の断片から、勝手に物語が
頭の中に湧き上がってくる。
もしくは、街を行く人々の姿や仕草や表情の中に、
その背景の物語がくっきりと浮かび上がる瞬間がある。
自分自身が経験するさまざまな出来事に付随する感情を
知らない土地、よく知っている土地に住む人々が、
時に代弁し、時に冷笑し、
時に否定し、時に共鳴し、時に完結させる。

自分で製本することもあったけれど、多くは
ただひたすら、アウトプットをしたいという欲求だけで書かれ、
データのままどこかに、眠っている。

ある時から、話が湧いてこなくなる。
理由は明白だった。
例えば、今まで小説の中でしか知ることのなかった人々の姿が
現実として生きているのを目の当たりにして、
彼らの住む世界の現実に、その暮らしをしたことのない人間が
できうる想像と創造など、所詮見事な絵空事でしかないことを
恥ずかしながら遅ればせに、知る。
もしくは、今まで手に取るように分かった、と思っていた
目の前の人の思いが、急に深く暗い穴に手を入れるように
感触を持たず、不安を掻き立てるものになる。
想像力の限界を知る。


それからは、ただひたすら、人の姿を見続けることになった。
時折、その時見たものを、私のフィルター越しではあるけれど、
できるだけ忠実に描き切ろうと、ここに残したりしてきた。
けれど、私のフィルターは私の見たいものを見て、
感じたいように感じ、それを言葉に置き換える作業となる。
自分自身を徹頭徹尾、透明にすることはできない。


ではなぜ、時折書いておきたいと思うかと言えば、
私が見たいように、感じたいようにして存在している対象について、
どのように見て、どのように感じたのかを、記憶として残しておきたいからだ。

他者の人生に一定の距離を取る、
たとえそこに入り込みたくても、入ることができない関係性ならばなおさら、
対象に抱いたその時の思いは、おそらく私にとって、
ひどく大切なものになるからだ。

皮肉なもので、もし対象の人生に入り込めるならば、
言葉にするよりも、入り込むことに夢中になって、
言葉に残す必要など、欲求など、なくなるのだろう。
だが、それがいつも叶わないから、せめて残しておきたいのだ、
そう、思い至る。


もしかしたら、ひどく忘れっぽいのかもしれない。
記憶の話。






仕事が待っていて時間はなく、15分しかお母さんの家にはいなかった。

その間に、やはり準備してくれていたクッペと鶏とご飯を少しいただき
紅茶を飲み、その間ずっと、お母さんがちゃんと食事を食べているか、
気になって見ていることになった。


次に来る時は泊まっていきなさい。
帰りがけ、お母さんは言ってくる、小さな目でじっと私を見ながら。

もう一度、お母さんにお別れの挨拶をする。
頬を寄せ、まんまるな身体を抱く。
私にはなくて、お母さんにはあるものへ、
私には足りないものへ、その途方もない時間へ、思いを馳せる。
さまざまな感情がないまぜになり、
そして、ほのかに温かな身体の熱の伝わりの中に
溶けていくのを感じる。

























2025/03/28

ソッリマと、教授へ

 

楽器があると、それをいじってみたくなる衝動がある。
だから、ウードを見たら弾いてみたい、とすぐ、思ってしまった。
ヨルダンではウードを少しだけ、習っていたことがある。

チェロを彫刻のモチーフに使っていた時、
どこの誰が作ったのかもわからないチェロを中古で買って、
モチーフの参考にするため、と言い訳をしながら
チェロをいじっていたこともある。

ベトナムに住んでいた時には、ホーチミンのコンサヴァトリーの先生に
チェロを教えていただいていた、ロシア語の楽譜を使って。




どこまでもクラシカルな楽器であるチェロを
他のジャンルに絡ませ、土着の音楽と絡ませ、
土の匂いのする音にするソッリマの演奏には、
シンプルに、好奇心を刺激する面白さがある。





先日、ジョバンニ・ソッリマの演奏を聴く機会に恵まれた。
正直、弦楽器のソロの演奏会はよほどの思い入れがない限り、
チケットを買わない。
どれだけアルバムが良くても、
生の演奏の質を慮ることは容易ではない、と思っていた。

たまたま譲っていただいたチケットに、
仕事の都合を無理やりつけて、演奏の2分前にホールに駆け込む。







想像をはるかに超えるバッハ、ジミヘン、アルバニアの民族音楽。
音楽という表現方法の懐の広さを、一人で体現する
ソッリマの姿に、ひどく魅了される演奏だった。
視覚的にも面白くて、舞台に流木のような木が飾られ、
曲とその場面に合わせて、照明が彩りを変える。

歩きながらチェロを弾く姿を見ながら、
出っぱったお腹にウードの基部を乗せて演奏する。
バカアパレスチナキャンプでお世話になった、
ムハンマドおじを思い出す。

一つの楽器を通じた表現方法の幅も、
そのパフォーマンスの在り方も、
自己が望み、挑戦する限り、自由な広がりがある、
ということを明示してくれる演奏だった。



アンコールの一つが、The Last Emperorだった。
立場や社会の流れに、抗おうとして、抗えなかった一人の人間の
人生を音で表している楽曲だ。


弦楽器、特に弓を使って演奏する楽器には、
弦と弓の摩擦のうちに、ひどく繊細な震えと共振と、攻防がある。
緊張して張りつめる弦と、それを揺るがす弓の
身体に響く物理的な震えが、音という
私たちの多くが享受できる感性の究極的なせめぎ合いを
耳を通して体感する装置。

その攻防を、教授の大好きな楽曲を通じて聴くことのできる
生の演奏のありがたみに、涙が滲む。



The Last Emperorは、在外のお正月に、必ず見る映画だった。
なぜかと問われたら、返答はできないけれど、
とにかく、壮大な時間と映像と、音楽を心いっぱい
享受するのに足る映像だと、認識している。

THREEというアルバムの中のこの楽曲は、
特に、人間の因果と業を音にしている、と思っている。
教授の弾くピアノの音には、どこまでも含みと間という余白がある。

弦楽器という、音色で共振を表す楽器と、
ピアノという、ハンマーで太い弦を打ちつけて音を響かせる楽器が
混じり合う時、その音の成り立ちの違いを超え、
震えの壊れそうに繊細な感覚と、
打ちつけてもなお、響きの余韻に音の存在を
他の音と共鳴できるのだと示す、
トリオの美しさ危うさを追随する。


人の営みの中に、そんな相互扶助は可能なのかな、と
あてどもないことを、思う。

仕事で送られてくるメールには、
人の持てる良心という信念を、いとも簡単に崩壊させる
思想を体現した規制に、どうやったらしなやかに立ち向かえるのか、
戸惑い、逡巡するINGOの苦しさを示す事象が、書かれている。



もし、教授が今、生きてこの世の中を見ていたら、と思う。

教授よ、一体私たちは、何を信念として抱き、
生きていったらいいのだろう。



2025/03/09

怪獣と夜の歌と、雪

 

2012年3月、アンマンのスウェーレでは、それなりに雪が積る。
標高1180mぐらいの地域、丘の上のアパートメントの窓から、
雪雲がやってくるのを、湿気で曇った窓を何度も拭きながら
じっと眺めていた。

日本に戻ってきてから、あれ以上の雪を見ていない。

雪とともに暮らす人々にとって、時にひどく厄介なものも、
滅多に享受できない人間にとっては、特別になったりする。

それは、例えばヨルダンで見る、
味のついてない炊き立ての真っ白なお米や、
生で食べていいと確信を持てる卵や、
数ヶ月ぶりの、あらゆる埃を含んだ雨粒や、
例えば日本で見る、
川沿いの歩道のコンクリートを覆う真っ白な桜の花弁や、
24時間開いているコンビニの深夜の緑色の灯りや、
いろんな匂いが混じった、人に溢れる山手線の中、や。



店を出て空を見上げる、19:53。
空を見上げ、いつの間にか雨が牡丹雪に変わったことを確認する。



いくらかは心浮き立つはずだった。


けれど、午前中教育機関で耳にした心塞ぐ話、
現場の格闘と空を掴む理想が入り混じる、長いカンファレンス、
さっきまで考えていた難航する仕事の色々、
朝から仕事が立て込んで一口も摂れていない食事の都合、
そして、何よりもひどく寒いという身体感覚に、心散り散りになる。


とりあえずヘッドフォンをつけるのは、音楽を聴くからであり、
イヤーマフの代わりになるから、でもある。

5度から始まる歌声が始まった瞬間、曲に集中する。
まだいくらでも凝ることのできるコードと
ドラムを必要以上にいじらず、
でも、揺るぎない拍を携え、
ベースは自由に動き、キーボードで軽さのあるアクセントをつけながら
旋律の描き方を変えていく、
ポップスというフィールドで表現しうる最大限の妙は、ただ見事だ。

サカナクションの怪獣。
わたしだっていつか、怪獣になりたい。

そして、ステレオタイプな円谷プロ的怪獣を想像する。
口から火を吹き、建物をなぎ倒す、孤独な生き物。

山口一郎だって、前日まで私と同い年だったんだ、と
言い訳をしながら、この歌詞を旋律に乗せ、必死に歌う姿を思い出す。
アニメの主題歌だとか、そんな大人の事情は置いておいて、
世界がどんな姿だったとしても、それを知り、核を理解するために
吠えながらこの世の通念を疑う、怪獣になりたい。


もう一度聴こうとして、
”年甲斐もなく”、という言葉がよぎる。
常識という正義を振りかざすウルトラマン的誰かが、
至極真面目に、誠実そうな表情をして、
本気で怪獣を倒しにかかってきた。

電車の中でも大きなため息がおそらく、漏れ出ていただろう、
雪という事象を思い出し、アンスネスのグリークのピアノに移行する。
たぶん、雪の日に適切な、年相応な選択をした。
けれど、あんなに適度な慈しみと優しさと解釈を備えた旋律を聴いても、
頭の中では、怪獣が火を吹いていた。


最寄りの駅を降りて、いつもの道を帰路につく。

牡丹雪は触れた瞬間、水になる。
ひどく冷たい水に濡れそぶる沈丁花に、足を止める。
香木の沈香と、鼻をつくクローブの香りを併せ持つから、
その名がついたと言われる春の初めの花は、
季節の通念を覆す季節外れの雪の中、
忍耐強く、その香りをあらゆる水分に乗せる。






清冽な香りは瞬時に、人を正気にさせる。
たぶん、悪くない日だ、そう思わせてくれた。




3月末にヨルダンで雪が降った年があった。
雪が降れば、動くことが危険と隣り合わせなのは、
単純にスタッドレスとかチェーンとかがないヨルダンで
車の事故に見舞われる可能性が高くなるから。
秋に数ヶ月ぶりの雨が降れば必ず、玉突き事故が起こる長い坂を
粛々と1時間以上かけて、徒歩で登る。
春に浮かれる人情を具現化したような緑と赤と黄色の草花が
重い牡丹雪にうなだれる様子と、雪に不慣れで危険な車を
一つ一つ丁寧に見つめながら、歩いた。

そんなことを思い出したのは、東京の中心部。
週に2回も雪が降るなんて、アンマンで見たあの雪より、
心踊るかもしれない。

徒歩圏内に、普通の酒屋では滅多に見ることのない
フィンラガンが手に入る店がある都会のありがたさを、しみじみ感じる。

週末の日中、ほとんど陽の差さない寒空の下で立ち続け、
風呂に入っても身体の芯が凍結し続け、
それなのに、身体を温めるための大好きなシングルモルトを
切らしてしまった窮地を、脱するために歩いている時だった。


雨なのか牡丹雪なのか、判然としない無数の水分の塊を見ながら
マーラー交響曲7番を聴く。


さまざまな聴き方があるのだろうけれど、
私にとっては、何度見ても見飽きない映画のような楽曲だ。

いい映画が、見る者の人生の経験や理想をなぞり、
その後の人生に大なり小なり影響を与えるように、
目に映るものや、経験値が変わっても、その音楽が
聴く者へ自在に寄り添い、自ら惜しげもなく、
その時、その状態で、理解できる人間の核心を、
心いっぱい差し出してくれる。

狂気も善意も悪意も、
その個別を一つ一つ体現することに徹底していて、
そうかと思えば、狂気も善意も悪意うっすら理解しながら
すべてを適度な重みで操ることにも長けていて、
そうかと思えば、狂気に満ち、同時に彼らなりの善意も悪意も
一つの塊の中に満ちている、人間という生きものを
示しているようだと、勝手に思いながら聴いている。

というのも、楽曲全体を通じて、
統一感がないように思える毛色異なる旋律が出てきたかと思えば、
きちんと前の楽章にあった旋律が回収され、
ある幸福感に満ちた旋律が増倍し、ある不安に苛まれる旋律が細切れになり、
ある不穏な旋律が沈み、ある旋律が狂喜乱舞し、
そこにまったく別の、ひどく心揺るがすひどく感傷的でノスタルジックな
音の重なりが登場したり、基音に収まらない
収まりの悪さを轟かせる音が先を急がせている。
そして、色とりどりの旋律を奏でるいくつもの楽器の音色を、
最後の最後まで、さっぱり納まらない和音の波が支える。



わたしや、よく知っているアラブ人や、どこぞの大統領のように
考えていることや感じていることと、
顔の表情と発言がすべて身も蓋もなく一貫性のある人間だけではなく、
とても冷静で思慮深い人であったとしても、
時には心の中では、密やかにあらゆる感情が入り混じる様が
あるのだと、信じられるような気がして、それが
とても核心をついて、大切なことのように思えてくる。


個人的に気に入っているのは、
第1楽章の最終、第1ヴァイオリンの旋律、
BF♯C、CGDの1度づつずれた音が、
不協和音とも思える悲劇的な音の重なりを奏でた後に、
楽章の終焉を迎えるまでの流れ。




そして、4楽章の中盤、変ト長調の
BCDCBDCの旋律から始まり、マンドリンの音が呼応し、
同じ旋律がFGAGFAGに変換されて、深みを増すところ、まさに、
人間の業を感じる音だと、勝手に思っている。





人の生きる世界のための、万華鏡のような曲だ。

最近では空いている時間があれば、ここのところずっと聴き続けている、
飽かず、マーラー7番と怪獣を、交互に。
ちょうど、世界を把握するため、そして、
自分の指標を見極めるため、
ひどく都合よく、一般的にはまったく相容れないだろう曲たちを、
聴き合わせている。



バカアのパレスチナキャンプからスウェーレヘへ続く坂を登る時には、
この二つの、まったく異なる曲の掛け合わせなど知らず
(怪獣は生まれていなかったし)、雪が降るという事象のせいで、
ほんの少しだけ、暴走する車という死の恐怖を抱きながら、
歩道という観念もない道でただ、歩みを進めていた。



15年ほど経過して、
今やブランドも誇りも安売りしているようにしか見えない、
けれども正真正銘な都会である東京の真ん中で、
雪が降るという事象と、
寒さ対策のSonyのヘッドホンと、
At a regular rate で誰しも歳をとるという年月のおかげで、
世界と人間の在り様の断片を、ほんの少し知る。


ヨルダンでは封印していたシングルモルトを袋に入れ、
律儀に、慎重に、ムワッダブ(Polite)に走る車たちを見ながら、
白く無骨な水分の塊を見上げながら、
抱き続けたさまざまな願いへの諦めとともに、
それでも、今抱ける希望と、
自分なりに納得できるぐらいは、この世を把握したいという
貪欲さを認識する。

マーラーの最終楽章を聴きながら、
道路の真ん中で、怪獣みたいに叫びたくなる。


けれども、そんな欲望など微塵も見せず、
足早に駒沢通りを横断するまばらな人に紛れ、
高い建物に覆われた都会で、少しだけ視界の開けた大通りの真ん中を、
後ろ髪引かれながら、小走りするしかなかった。






追記
最近は、サイモン・ラトルとアラン・ギルバートのマーラー7番を
よく聴いている。

サイモン・ラトルはバイエルンとの演奏を生で聴いたことがある。
ひどい席だったのは経済力で自分のせいだとわかっていつつ
とても残念だったけれど、
そんな後悔を一蹴する見事な最後だった。
心の中の有象無象を抱きながら
生きていっていいんだ、と思わせてくれる
圧倒的包容力があった。

アルバムになると、楽曲に一貫する流れを決して止めない、という
音楽の基本が、これほど大事で素晴らしいものなのか、と
実感させてくれる、とてもすばらしい演奏で、
今のところ、マーラー7番では一番、気に入っている。

アラン・ギルバートはNDRとの演奏は、
曲のあらゆる部分で、ひどく複雑な骨組みを
黒を背景に色彩豊かな透明の柱で表しているようで、
俯瞰した時に時折、とんでもない建造物が見えたりする。
最後の最後で、こんな建物を作っていたんだ、とわかる感動も、ある。


きっと、7番のいい演奏はいくらでもあるのだろうけれど、
今のところはこの二つのアルバムで、
何度も何度も、いろんな人間の在り様を見ることに、執心している。