淡い黄土色の土漠と灌木の茂る、ひどく暑い外部を、
バスの中から眺める。
あらゆるものを照らしだすのに足る、強い日差しが突き刺さっているのに
視界が歪んでいるのは、
ただ単純にわたしの視界が、悔しさに滲んでいるからだ。
ふと、見慣れたマークが目に止まる。
日本のODAで作られた橋をわたしは、渡っていた。
その後、何度となくその情景を思い出す。
夢にまで見るぐらいだから、よほど
わたしの潜在意識は恨みに思っているのか、もしくは
その時、呼び戻す余裕のなかったさまざまな記憶を
結びつける情景だったからだろう。
写真すら残っていないし、
組み立てるだけの場所も技術もおそらくないけれど、
修了制作にわたしは、”橋”、を作った。
概念としての”橋”を、形にしてみたかった。
修了制作というのは、それなりに時間を費やす。
陶土の焼成とブロンズ鋳造を専攻していたし、
溶接で作らなくてはならないパーツもあって、
素材自体だけを見ても、散漫な作品だったと、今でも思う。
それなりの時間を費やして作る時には、
その動機がとても重要だ。
その時分のわたしは、”橋”が、長い修了制作の時間に耐えうる
テーマだと思っていた。
修了制作に準じる論文も書く。
テーマは、造形における単純化、だった。
Simplify、という単語は、禅の思想に通じるように、
その時分のわたしには映っていた。
造形の観点から、表現しうるものを限りなく単純化していくこと、
それは、造形における美学の、一つの揺るぎない形だと
その時のわたしは信じていた。
今でも、そういう考えを持つことそのものは、
ある程度理解できる、けれども同時に、
単純化、簡素化することによってこぼれ落ちる文脈の重要性が
ひどく大切なものだと、現在のわたしは心の底から思っている。
学生時分のわたしには想像しえなかった
SimplifyではなくPurifyのような、危険な思想を、もしくは、
それらが表裏一体だからこそ危険である、という
とても明解な認識さえ、できなかった自分を
ひどく浅はかだった。
橋には、こちら側とあちら側が、ある。
隣の町、隣の県、隣の国、隣の大陸。
橋を渡って、あちら側へ行く。
あちら側に行くには人それぞれ、さまざまな事情がある。
そして、その人の数だけの思いや願いがある。
橋は象徴的な意味でも使われる。
あまり好きではないけれど、
架け橋、という言葉を使う場合、
つなぐものがなければ関係性が保てないことが多い。
あちら側には、あの世もある。
三途の川は船でしか渡れないのは、よくできた話だと思う。
橋の先に続く場所があったとしても、
だれそれかまわず、簡単に行って帰ってこられては、困るからだろう。
能の舞台は、あの世の出来事を舞う。
舞台へ続くあの通路はまさに橋で、
橋を渡って、舞台袖のこの世から、あの世に向かう。
あの世での出来事は幻、
だから、幽玄で、真に美しい。
川端康成の小説に、反橋という短編がある。
住吉神社の反橋を渡った記憶を主人公が辿る。
本当の自分の母親はもう死んでしまったのだ、と
反橋を渡る時に告げられた幼少期からの人生と、
橋が意味する生と死が、記憶とともに混じり合う。
橋を構成するものを単純化すると、道と柱になる。
道を支える柱について、学生の頃は図書館で、
橋建設の工学書から、橋の写真集まで、
さまざまな本を見たり読んだりしていた。
イギリスに現存する古い橋が、気に入った。
大きな石を切り出して、絶妙に組み合わせたその形がおもしろい。
そして、長い年月を経て丸まった稜線が美しい。
灯籠から石垣まで、さまざまな石組みをよく、スケッチしていた。
石彫では重すぎて扱いきれなかったので、陶土で石の形を作る。
そもそも同じ土からできているものを、
わざわざ作りなおすなど、作っている時すでに、
おかしな話だと思っていた。
けれども、石が組まれるバランスへの興味が捨てきれなかった。
道、にもさまざまな概念がある。
橋を渡っていく時の感覚を思い出していたら、
ブロンズの細く長い、刀のような形になった。
石に見立てた陶土の塊を積み上げ、その上に
細く光る線が乗っているような造形は、
当然もはや、橋だとは見えなくなっていた。
石の組み方に執着していた結果、ある角度からだと
バランスが悪そうに見えて、さらに
その上に乗っている道は、切れそうに光っている。
展示をする時には、背の高い鑑賞者にブロンズの先が
当たったら大変だから、と
作品の周りに白い丸石を敷くことになった。
作品の造形のバランスも、展示の仕方も、ひどくおかしな作品。
下手な施工業者の仕事のようだった。
渡れない、概念としての橋。
それでもとにかく、わたしはわたしの中の橋、を作った。
わたしの橋の記憶は、川の記憶としっかり、結びついている。
大きな川の近くに住んでいたので、その支流の一つにかかる橋を
小学校の通学路で渡っていた。
田舎によくある、小さな石とコンクリートでできた橋。
学校からの帰り道、橋を渡ると方向が違うから
別れなくてはならない友人と、橋の上でおしゃべりをしていた。
話しながら川へ石を投げたり、流れの多い川の様子を観察したり、
時には、その日嫌だったことを大声で言って、
川に捨てたりも、していた。
川の水は何かを流すものだと、その頃から思っていた。
この国は根本的に水が少なく川がないから、
橋を渡る機会はほとんどない。
川を越えるためにではなく、丘と丘をつなぐ道としてある橋は、
この都市随一の高級街へ続く。
あまり話題に上らないが、自殺の名所でもある。
水がなく、川がなく、だから橋もない土地で
橋を渡ることがほとんどなくなり、
橋のことなど、すっかりわすれていた。
あのマークを見つけなかったら、
今から橋を渡る、ということにも気づかなかっただろう。
道路の延長のように続く道の左右に
水らしきものはなかった。
バスの中はよく冷房が効いていて、静かだった。
運転手のおじさんとわたししか、乗っていない。
おじさんがそこだ、というから、わたしは
集金の人が座る運転手の隣の簡易椅子に座って、
ぼうっと目の前に続く道と、周辺の灼熱の土地を
見続けるしかなかった。
おじさんも気まずかったのだろう、
お水のペットボトルを差し出しながら、
なぜ戻ってきたのかと、尋ねる。
返答の言葉を選びながら、涙が滲む。
後悔、悲憤、銷魂、とにかく、涙が出てきた。
おじさんは自分の住んでいる町の話をする。
わたしの戻る場所から離れたところにある町なのに、
おもむろに、今日うちに遊びにおいでよ、と言う。
こちらでは時々ある会話だけれど、
そのあまりの突拍子もなさに、なんだかおかしくなって、
ありがとうございます、と思わず笑ってお礼を言った。
やっと、人間に会った気がした。
今までさまざまな橋をきっと、渡ってきたのだろうけれど、
あの橋ほど、わたしが20年ほど前に抱いていた概念に合った
橋を渡ったことはない。
わたしには、橋を渡りたい事情があり、
思いがあり、願いがある。
たくさんの、本当にたくさんの人々が
同じように一人一人異なる事情や思いや願いを抱き、
あの橋を渡っている。
雨季になる冬場には、あの橋の下に水が流れるのだろう。
けれども、もしわたしの考えた橋の概念に当てはめるならば、
本来、存在しなくていい橋だった。
橋を渡る人々に思いを馳せるならば、
橋なのかどうかわからない、道路の延長のような
あの橋の姿が、ちょうどいいのかもしれない。
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