ひとりキャンプの中で、車を待っていた。
校門の前で待っていたけれど、さっぱり来る気配もない。
向かいのドッキャンでジュースを買って、
一気飲みする。
日焼け止めの効果むなしく、
顔が焼けるように暑いような、酷暑なのに、
結構歩いている人が居る。
ニカーブは理にかなっているな、などと
子ども2人の手を引いて歩いていく
全身真っ黒なお母さんを眺めていた。
夏の間に学校で育てていた植物は、
アクティビティが終わった後、お水をもらっていなかったようで、
いくつかは枯れ、いくつかはひょろひょろになっていた。
大きな透明なボトルを、水いっぱいにして、運ぶ。
水はいろんな形になって、
きらきらと、ボトルの中で揺れる。
こんなに水は、きれいなものだったんだ、と
見とれる。
子どもたちが楽しそうに水を運んでいた理由が、わかる。
抱えたボトルの中を覗きつつ、歩く。
撒いた水は一瞬で、浅茶色の土の中に、沁みていく。
数回水を運んで、ふと水を撒いた花壇を見ると、
さっきまでしなしなになっていた葉っぱが
しゃんと、背筋よく、立っていた。
何だか、分かりやすすぎて、
こちらの子どもたちみたいだな、と、思う。
校門の前に、しばらく立っていなくてはならなかった。
遠くから自転車に乗った、知り合いの男の子がやってきた。
今日アクティビティあるの?などと
的外れなことを、とぼけた顔で云っているので、
来週の日曜日から学校です、と答える。
わかった、と云って、
また自転車にまたがり、男の子は去っていく。
ゆるやかな坂をのぼりながら、
繰り返し振り向くので、
振り向くたびに、こちらは手を振る。
向こうは片手で漕ぐには大きすぎる
背丈に合わない自転車に乗っているので、
ただ、何度も何度も振り向いていた。
いろいろ面倒もかけてくる子なので、
授業中は無下な態度を取ったりしているけれど、
思わず、顔がほころぶ。
別の場所でも、歩いていたら
お父さんらしき人の漕ぐ自転車の
後ろに座った男の子が、
後ろに座った男の子が、
振り向いて外国人だと分かると、
何度もウィンクをしてきた。
上手にできないようで、
右目をぎゅっと閉じると、
一緒に口が歪んでしまう。
でも、何度も何度も、こちらに向かって
ウィンクしていた。
やはり、こらえきれずひとり
にっと、笑ってしまう。
当たり前だけれど、
ひとりで笑うことはない。
日射しが強いので、目を細めている。
おそらくは、相当の仏頂面だろう。
みんな、外国人は愛想がいい、なんて思っていたら
大間違いだ、と
言い訳のようにいつも心の中で呟いている。
けれど、こんな子たちに会うと、つい
何だか微笑ましくて、ふわっと、
なにかが、緩まる。
緩まると同時に、
冷たくて気持ちのいい水のようなものが、
からっぽの空間に
とぷとぷと音を立てて、注がれる。
からからで、からっぽだったのだ、と、やっと
その時、気づく。
けれど、注がれた水は、どんどん、どこかからこぼれ落ちる。
からっぽな空間が、可視化される。
どうにも、足りない。
一体これを埋めるためには、
どんな視点を、どれだけ鋭敏な心を、どれだけの優しさを
手にしていなくてはならないのだろう。
キャンプの端っこの、何もない空き地と、
どこまでも広がる薄青い空を眺める。
かさかさとした、砂塵のような不安で、
ただただ、途方に暮れる。
帰りの道すがら、
まったく違う文脈なのだけれど、ふと
随分昔に読んだ
コカコーラ・レッスン、を思い出す。
谷川俊太郎の散文。
海を眺め、コカコーラの缶を手にした少年が、
物質の名前と、ことばの総体、その観念が結びつける瞬間、を
描いた話だったはず、だ。
その少年は、たぶんとても、聡明でそして、
からっとした少年で、
ことばに襲われそうになった恐怖との戦いの末に、
コカコーラの缶を
足で、踏みつぶす。
もし、この少年のように、
からっぽを把握できるだけの
賢さを持っていたら、
そして、このからっぽを
そういうものなのだ、と、受け止め、
でも、ぽいっと放る明るさがあったのなら。
頭が悪い、ということは、
こういう時に本当に、困るのだ、と
海と同じぐらい、たくさんの要素を孕みつつ、からっぽな、
空き地と空をぼんやり、思い出していた。
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