2018/06/29

名前を聞きそびれた、お母さんに



バスに乗る時は、隣の人を選ぶようにしている。

男性の横に座ることは文化的によしとされていないので、
余程でない限り、座らない。
どれだけ空いていても、既に座っている女性の横に
座るようにしている。

子ども連れのお母さんは、私の中で一番、いい。

私の身体のサイズはこちらの人より小さいので、
子どもを膝に乗せているお母さんたちにも、
私は都合がいい。

先日のバス。


小さな赤ちゃんを膝に乗せた、ブルカの女性の隣に狙いを定め、

空いているか訊いてみる。
どうぞ、と云ってくれたので、もたもたと
バックパックを降ろそうとして、
片手に持ったもう一つのバッグの置き場所に困っていたら
赤ちゃんを抱いていない方の手で、さっと
お母さんは私のバッグを持ってくれた。
どうも、ありがとうございます、とお礼を云う。

バスの乗車時間は長い。

元来人見知りなのに、どうしたって知らない人と相席になるので、
自分からは積極的に話はしない。
でもその日は、お礼を云った流れで、
何となく会話が、始まる。

とってもきれいな子ですね。

8ヶ月なの、と云いながら、お母さんは
ノースリーブのワンピースから出た、
あかちゃんらしいふっくらした腕を
撫でていた。

バレエの衣装のような、ふわふわの白いスカートの先から伸びる

むっちりとした足が、私の太ももをやさしくけってくる。
ワンピースを着た赤ちゃんが、お母さんの膝の上で
私の顔を見上げていた。

バスはさっぱり出発しない。

その間に、声は出さずにしぐさだけで、小さくあかちゃんがむずがる。 
大振りの服と、ブルカの裾を上手に使って、
おっぱいをあげようとしていたので、
乗車する人が行き来する通路から見えないように、
こちらは少し前屈みになって、視界を遮ったりする。
おっぱいを飲んだ体勢のまま、赤ちゃんは寝てしまった。

お母さんは、今から向かう場所の話をする。
今から旦那さんの家族が住むキャンプに往こうとしていた。
彼女もまた、以前はキャンプに住んでいたけれど、
アンマンに移り住んだ家族のお母さんだった。

お母さんは会話が途切れると、ブルカの下から

子どもに向けて何かを小さな声でささやき、
時々めくれあがった赤ちゃんのスカートの裾を直し、
髪につけたヘアーバンドをはめ直す。

あなた、いくつなの?と、ふいに訊かれる。

確実にお母さんより歳上なのは分かり切っている。
云いたくないんだけど、などと
苦笑しながら、同じ質問を彼女に返す。
やはり私よりも8歳若くて、
でも既に、11歳と6歳、4歳と膝の赤ちゃんがいた。

そして、一連のお決まりな質問を受ける。


家族はどこにいるの。あなた1人で住んでるの。結婚してないの。どうして。


一つ一つの質問が、でも、どこか真剣で

あまり真剣に耳をかしてくれるから、
つたないアラビア語で、釈然としない理由も口にすると、
そうなの、、、と一つ一つ
納得しようとしていた。
大方はおそらく、彼女には納得できない理由なのだろうけれど。


赤ちゃんは目を覚ますと、

吸い付くような大きな亜麻色の目で、
物珍しそうに私の顔を、じっと見る。
こちらもまじまじと、その大きくて澄んだ目を、見つめる。
おそらく、バスの中のエアコンは寒いだろう、と
赤ちゃんの両腕を、両手で包んでみる。

ンシャアッラ、子どももできるわよ、まだ若いわ、と

励ましてくれる。
こちらも、インシャアッラ、と、呟く。
何だか、いつもならくしゃくしゃな気持ちになるこのやりとりが
でも、そんなに気にならなかった。
ことば通り、インシャアッラ、だろう。

お母さんは、小さいけれど、深さと明るさという

本来、一緒にはならないはずの要素をバランスよく持った、きれいな声音で、
落ち着いた、丁寧な話し方をする。

子どもへの愛情は、世界中どこに居ても変わらないでしょ。

ほら、こんな生活しているし、シリアもあんな状態だけれど
子どもたちが居るから、生活できるの。
みんな知っているから、ほら、子どもへの愛情って。
ヨルダンでもシリアでも変わらないわ。
あなたも子どもは好きなんでしょ。
その気持ちって、とても大事な思いだから、
子どもが居るってことは、あなたの人生にも大事なことだと思うわ。

お母さんは時々ふと、考えているのか、何かを思い出しているのか、

間を作り、そして、丁寧に、思案し、口にする。
云い終えると、赤ちゃんを自分の身体にふわっと寄りかからせて
頭にキスをした。

本当に、そうなんだろう。

このお母さんに云われると、
すとん、と心に納まって、
何だかとても大切な真理を示す、ありがたい言葉に思えた。


あれやこれや、質問攻めにされることに慣れているから、

控えめな人と話していると、
不思議とその人のことをもっと、知りたくなる。
でも、相手がそれを望まない人なのであれば、
私からも、あまり質問はしない。

赤ちゃんは少し口を開けたまま、また眠ってしまった。

真っ白で、まだ伸び切らない短い髪を、お母さんは撫でていた。
本当にかわいい子ですね、といいつつ、
お母さんもきっと美人だから、この子もかわいいのだと、思う。

初めて話す人なのに、安心していた。

そういうことは、本当に久しぶりだった。

だからなのか、つい、そのまま思ったことを云ってみた。

あなた美人だから、この子もこんなにかわいいんですよ。

あら、あなた私の顔を見てないでしょ、と云う。

確かに、ブルカでは睫毛の長い、化粧っけのない大きな目しか、
私には見えなかった。

顔を見せてあげるわ、とブルカを挙げようとする。

全力で遠慮したのに、
大丈夫よ、と通路を挟んだ隣の席の男性をちらっと覗いて
ほら、あの人寝てるもの、と目配せする。
そして、ぱっとブルカの裾をまくしあげて、
顔を見せてくれる。
色白の、地味だけれど、しみじみと美しい、優しい顔をしていた。

バスは街を抜けて、軍事施設の他は何もない、

薄茶色の風景に変わる。

私の家からも車で15分ぐらいのところに住んでいて、

ブランクを埋めるために学年を2つ落としたけれど
勉強が好きだからいい成績が取れている、就学年齢の娘が居て、
赤ちゃんは今風邪をひいているけれど、
政府系の診療所はサービスが悪いから
プライベートの病院へ連れて行っていて、
縫製関連の仕事をしている旦那さんは
紛争前からヨルダンで仕事をしていたから
仕事の口はどうにかなっていて、
知り合いがシリアに戻るから、
シリアに居る家族にお金を託すことにしている。

そんな話を、お母さんは、ぽつぽつ、とぎれとぎれ、話していた。

時々窓の外をみて、時々私の顔をみつめ、
赤ちゃんをずっと撫でていた。


あなた、ダラーのことは知ってる?

マフラックへ向かう土漠の景色を背景に、
お母さんは赤ちゃんに視線を落としたまま、尋ねてくる。
今週頭から始まった攻撃は、ニュースで見ていた。

お母さんの家族はまだ、みんなダラーに居る。

ふたりのお兄さんと、ふたりの妹と、
一番上は3人とお腹の中に、二番目も3人、
妹さんも1人、子どもさんがいて、
彼女のお母さんもまだ、ダラーに居る。

連絡はついたけど、電気も水道もなくて、

逃げる場所もない。
でも、ハモゥドゥリッラ、みんな生きてるの。
ハモゥドゥリッラ、と何度も繰り返しながら、
過去に住んでいた家の間取りや、家の周りのものもの、
それから、今の状況を淡々と、話してくれた。

やはり、どうしても、訊いてしまう。


あなたも、帰るんですか?いつか。

インシャアッラ、帰りたいから、帰るわ。
そうしたら、アパートではなくて、
子どももいるから、一軒家が欲しいの。


キャンプに住む人の8割以上は、ダラー出身だ。

3年前にキャンプからダラーに戻ったスタッフや
最近帰ったという子どもたちの顔を、思い出していた。

マフラックのバスターミナルからも、

同じバスに乗る。
これに乗りましょ、と、いくつかあるバスの中から一台選ぶと、
お母さんは率先してバスに乗る。
あくまで動きはたおやかなのに、決断はぱっとする。
きっと4人も子どもがいたら、迷ってなどいられないのだろう。

通路の先の白いジュズダーシュを着たおじいさんが

膝にちょこんと座っている赤ちゃんを
必死にあやそうとしていた。
彼もシリア人だ。キャンプに往こうとしているから。

ものすごいスピードで幹線道路を疾走するバスの窓からは
相変わらず茶色い平たい土地と、
遠くにスウェイダの黒い山が見える。
私にとって見慣れた風景は、でも、彼女にとっては
上の娘二人の喘息に苦しむ記憶しかない、意地悪な土地なのかもしれない。
互いに無言で窓の外を見つめていた。

全開の窓からの突風に顔をしかめる赤ちゃんに
気がついたお母さんは、窓を閉める。


シリア人用のゲートは面倒が多いので、普段は使わない。

でも、何だかお母さんと一緒に居たくて、
キャンプ内のタクシーをシェアするために、
彼女と一緒にシリア人用ゲートを使う。

彼女が2つ目のゲートの検問で車を降りている間に

定額になっているタクシー代を払い、
キャンプ内の目的地で、私が先に、タクシーを降りた。

タクシーの中から、お母さんはこちらに向けて、

ひらひらと、手を振っていた。
さりげなくて、静かなお別れだった。

初めて会った人との別れ際には、

お会いできて光栄です、というアラビア語の挨拶をよく、使う。
その挨拶を云って、車を降りたあと、
云いたかったことはそんな言葉ではなかった、と
車を見送りながら、後悔に立ち尽くす。

きっと、私はあなたのことを、
ほとんど何も、わかっていないのだろうけれど、
何だかとても、あなたのことが好きだ。

よく知らないのに、好きだなんて口にしようとするなんて
こちらの子どもたちみたいだ、
そう、気を紛らわそうとしたけれど、
ごめんなさい、が云えなかった子どものときみたいに
小さく胸の奥をつねられるような、痛みが残った。



ブヒッビック

女性単数に向けての、好き、というこのフレーズは
子どもたちがやたらと誰にでも使うので、
聴き馴れたアラビア語だ。
けれども、私から誰かに云ったことは、
ほとんど、なかった。

そして、
4人の子どもの名前は聞いたのに

お母さんの名前は聞かなかった。
私の名前も、云わなかった。


2018/06/23

彼らの暮らしと、話の断片 6月 3週目


仕事の予算の関係で、なかなかフィールドに往けない。
久しぶりに子どもの顔がみたくなって
知り合いの家庭訪問に一緒についていった。

シリアに帰る、というメッセージを受け取った
この家庭をよく知っている人からのお願いで、
どんな事情なのかを訊いてきてほしい、と頼まれたのが、
家庭訪問の理由だった。

イード中に荷物を届けに往ったシリア人家庭も、
日本でお邪魔した留学生のシリア人家庭も、
この日訪問したシリア人家庭も、
苦悩の原因は同じだった。
先が見えない、保障してもらえることが、何もない。



随分来ていなかったお宅だった。
相変わらず青くて澄んだ空と
アンマンの中心部を遠景で見渡せる
丘の上のおうちに、お邪魔する。



マルカ・ジャヌビーエ

建物の入り口まで迎えにきてくれたお父さんの顔を見て
正直、言葉を失う。
ほぼ同い年のお父さんの表情は
最後に会った時よりも、よほど疲れていた。
遺伝だから他の兄弟もみんなすぐ白くなってしまうんだ、
と前回来た時に云っていた、
白髪の量も以前にまして、増えていた。

部屋に入って子どもたちの様子を見る。
大人が3人来たからか、どこか表情が固めだった。

本題から先に入った方がいい、と判断して
一通り挨拶を終えると、すぐに
生活の様子と、なぜシリアに帰りたいのか、という話題を振る。

それまでいなかったお母さんが
自宅用のてるてる坊主のようなかぶり物をして出てくると
そのくりくりした大きな目を見て、
やっと少し、どこか安心する。

ありとあらゆる支援団体に登録した。
でも、どこからもその後、連絡が来ない。
UNHCRの虹彩認証を待っているのだけれど
何度電話をしても、待っててと、云われる。
腰に痛みがあって、長い立ち仕事はできない。
病院の医療費も値上がりして、
治療も十分にできない。


違うシリア人のお宅にお邪魔したときも
UNHCRについて、似たような話を耳にした。
その家族の場合、引っ越しをして街が変わったから
その時に登録し直した手続きがうまくいっていないのではないか、
そう、家族は信じていた。
でも、実際のところは、
UNHCRの支援対象となるほど、暮らしが緊迫していない、
そう判断されたと、考える方が妥当だ。

どちらの家族も、はっきり
「お宅の家族は支援のレベルではないので、支援はありません」
と云われていなかった。
もしくは、云われていたとしても、
理解しようとしていないのかも、しれない。
だから、彼らはいつ、電話がかかってくるかと、
首を長くして待っているのだった。

家族と通訳の間で、アラビア語の会話が始まる。

その横で、一番下の男の子が、
持ってきたマリオネット、ハビーブの袋を見つけて、
袋の紐をいじっていた。

この中に何があるか覚えてる?と訊いてみる。
マリオネットのクマが居るよ、と答えてくる。
初めてこの家庭に来た時、子どもさんがいる、と聞いて、
ハビーブを連れて行ったことを、子どもたちはよく、覚えていた。

大人たちの会話は果てしがないから
子どもたちと遊ぶことにする。

少しずつハビーブのことを思い出し、
少しずつこちらにも慣れてくる。

家にあるクマのぬいぐるみは、全部で5個あった。
全部ソファの前に並べてくれる。
北極グマが2匹、パジャマ姿のクマが2匹、小さな小さなクマがひとつ。
たくさんの兄弟がいて、寂しくないね、というと
ハビーブはひとりなの?と訊かれる。


兄弟3人全員が遊んでいるのかと思っていたのに
ふと、長男を見ると、
少し離れたところから、大人たちの円陣を見つめ、
大人たちの会話をじっと、聞いていた。
一番上は8歳で、コーランもしっかり勉強している、賢い子だ。
大人の会話の何かしらを、理解している、もしくは、感じている。

恥ずかしがり屋のまん中の子がやっと、
ハビーブを踊らせてみるところまで慣れてきたところで
大人たちの会話に戻る。

やっとお父さんの表情も、いくらか柔んでいた。
でも、ずっとずっと、お金の話をしていた。
病院にかかる費用がいくら値上がりしたのか、
薬をどこでいくらで買ったのか、
他の地域の家賃はいくらが相場なのか、
病院までのタクシー代はいくらかかるのか、
幼稚園の月謝はいくらなのか。

本当にずっと、お金の話をしていた。
前回来た時には、ない話題だった。
もっとも前回は、子どもたちに会いにきたので、
そういう会話をするきっかけがなかっただけなのだけれど、
イード中に往ったお宅もそうだった。
お金の話ばかりだった。

どの家庭もお金がなくて、困っていた。
だから、この家も、シリアに帰る、と云いだしている。

意地悪だけれど、こころのどこかで、
ヨルダン人みたいだ、と思った。
彼らも常に、お金の話ばかりしているから。

そうやって、移り住んだ国の国民性に、
難民も移民も、似てくるのだろうか。


教育支援をしている、という話をすると
教育事情の話になる。
以前は幼稚園に往く学費を支援金で支払えていたけれど
支援金がなくなって、一番下の子を幼稚園に通わせることができない。
小学校の方はまずまずだけど、
学校のスペースがなくて、
上の兄弟はそれぞれ、シングルシフトとダブルシフトの
違う学校に往っている。

それでもまだ、交通費がいらない距離に住んでいるだけ、ましだ、と
また、心の中でどこか、安堵する。

結局のところ、話をまとめると、
子どもの教育が十分にしてやれないこと、
お父さんの体力や体調に合った就労の機会がないこと、
支援団体が急になくなってしまったこと、
これらの理由で、ヨルダンでの暮らしの限界を
感じ始めているようだった。

だからといって、シリアにもどってアテがきちんとあるわけではない。
出身地のホムスにはもう、親族は住んでいない。
アレッポの田舎に居るという。
連絡は取れているけれど、
そちらの生活だって、かなり厳しい。

シリアに戻ったら学校に子どもたちは往けるの?
そう尋ねると、
学校がどうなってるかは、わからないよ、
という返事が返ってくる。
帰っても軍で働かされるかもしれないし、
その時に家族への扶助はないだろう、と云う。

じゃあ、帰ったって、今よりよくなるか分からないじゃない。
そう云いたいけれど、
そう口にして、止める権利はない。
ただ、何もかもが不透明で、
何もかもに明確な希望が持てないのは、
ヨルダンに居てもシリアに居ても、
彼らにとって、変わらない。

支援をお願いされる。
日本人がひとり2ドルずつお金を寄付してくれれば
それでしばらく、きっと生活ができる。
そういうプロジェクトをしてくれないか?

この瞬間が一番つらい。
だから、家庭訪問には明確な理由が欲しい。
そうでないと、お金をくれる人がやってきた、と
彼らは勘違いするからだ。

そのお願いを、断る。
お金の支援は、私はできない。
その他にできることがあれば、すると。

結局、お金がすべてだからね。
そう、云われる。
この家族も通訳もいい人たちだから、あからさまに呆れたりはしない。
でも、きっと、この人間はアテにならない、と
判断されただろう。

現金の支援はきりがない。
すぐ使ってしまって、なくなるとまた、連絡が来る。
そうやって、次第に善意で助けようとしている人たちが遠ざかっていくことに、
彼らは気づかない。

体調に無理のない仕事が、家の近くで見つかるのが、最善の道だ。
だけれど、この地域に全く明るくない私には
それを探す伝手はない。



帰りに玄関の近くにある、
植物の説明をしてくれる。
お腹が痛くなった時に飲むと効く、レモンの香りのする葉っぱ。
実のなる木。
子どもたちが、屋上からジャスミンの花を摘んで
手に乗せてくれる。
ヤスミーン・シャーミーエ(ダマスカス・ジャスミン)だ。
今の季節には、どこの庭先でも
蔓を伸ばして、小さな花が、甘い香りをいっぱいに漂わせている。



どれぐらい真剣に、彼らはシリアに帰ることを考えていると思う?
そう、帰りのタクシーを待つ間に、通訳の女性に訊いてみる。
そんなの、分からないわ。
いつ、戻るか、戻れるのか、誰にも分からない。

私の質問は、そういう意図ではなかった。
おそらく、それは彼女の返答だ。
そして、それは同時に、多くの私の知らないシリア人の、
正直で切実な、返答のように、思える。

2018/06/04

道徳心とわたしたちを取り囲む、システム、のようなもの



以前一回読んだきりだった、この本の曖昧だった記憶の一つは、
いいにおいだった女性が、
刑務所に居るある時点から
ぶくぶくと太ってしまって、
何年ぶりかに会った女性からは
老人のにおいがした、という下り。

それから、ナチスに加担した罪に問われた
主人公の過去に愛した女性が、法廷で
「では、どうすればよかったんですか?」と
裁判官に訊くシーン。

どちらかというと愚直な女性がした問いかけは
どこもかしこも不利なばかりの裁判の中で
彼女が口した、混乱の果ての、心の底からの疑問だった。

ストーリーは、なんだかんだ云って、どこか究極的に情緒的で
それがこの本の売れた理由の一つなのだと思うのだけれど、
私の記憶の中の本の印象は
果てしない無力感の、重く灰色をした塊のようなものだった。

ナチスの作り上げたというシステムの中にいた女性は
彼女にとっては不条理な判決の中で
自分なりのプライドを守りたいばかりに、
逆らう気力を失い、その後も何かに、諦めるしかなかった。
最後のあがきは、自死することで、
それは、おそらく彼女なりに、
塊を払拭する方法だった。


もう一度久々に読んでみて、気がついたことは、
その灰色をした塊が
そこかしこに、実は、存在している、ということだった。
昔よりも社会というものを、
私もその一員として、ある程度
把握できるようになったからなのかもしれない。

与えられた仕事や与えられた立場に忠実であろうとした人が、
道徳心を封じ込める、もしくは失う場面は
どこの社会にも、ある。
ごくごく、人間として当たり前の、
最低限の倫理でさえ、
時として、失う状況がある。
ある程度まともな人ならば、その後、
ひどい後悔の中を生きることになる。

歳を取ってきて同時に、見えてくるものもある。

そういう人たちに、道徳観を問いただすのは、
実は当たり前のようで、酷なことだったりする。
あまりにもたくさんの背景と文脈があって、
誰ひとり、責められている当事者の、その詳細を
追いきれないことの方が、多いからだ。

なんでこんなことを考えているか、と云ったら
日本に居る時に気になっていたことと、このことに、
私の中で、随分ぼんやりとだけれど
接点ができたからだ。
とてもぼんやりだけれど。

日本に戻っている時、こちらの子どもたちの話をしながら
でも、云いながらふと、
相手の心がしゅぅっと、音を立てて閉じていく瞬間を
幾度か、感じた。
それは、ある意味、子どもたちの存在が遠すぎて
当たり前の話なのだけれど、
一体どこに、閉じさせるポイントがあるのだろうか、と
ごく客観的に、疑問に、思った。

人の良心は搾取してはいけない、というのが
私の中でずっと、守るべきものの一つとしてある。
だから、ではないけれど、けっして相手を責めているわけではない。
ただ、シンプルに、そこに何があるのかが、
気になっていた。

この本をあらためて読んでなるほど、そこには、
その人の生きる社会や会社や組織のシステムがあるのではないかと、思う
もちろん、そんな漠然とした何かだけでは分かり得ない
それぞれの、心折れる、もしくは心を閉ざす
ポイントがあるのだとは思うのだけれど。

ただ、心の中で言い訳したり、
すっと、心がなくなる時には、
組織や、社会の中にいなくてはならない、という強迫観念みたいなものが、
確実に引き金の一つになっている。

もし、システムがきっちりと緻密に作られていれば作られているほど、
良心や道徳観が失われていくのであれば、
それは空恐ろしいものだ。
でも、そんなことも見せないほど緻密に作られたシェルターのようなものに
そこはかとない安心感を覚えるのは、
私も含め、普通の善良とも言える普通の、人たちだ。

一体、どうしたらもっと
バランスよくなるんだろうか、などと
壮大なテーマに、ひとり勝手に、呆然とする。


教員だった時の一番最後の挨拶で、
想像力の種、という話をした。
ただの本好きなので、
たくさん本を読んで、たくさんいろんなことを想像できる人になったら
おそらく、自分の中の何かが豊かに、なるだろう、
というような話だ。

それは、自分への戒めでもあるし、
想像力は、お金持ちになるためのツールには、時にならないかもしれないけれど
まともに生きるには、それなりに
助けになるものだ。
それから、想像力は共感力につながる。

残念ながら、今働いている業界では、
この共感力というのがありすぎると
仕事に支障を来すので、
ほどほどがいい、なんて、いわれているらしい。
全く、じゃあ何をモチベーションに仕事をすればいいんだろう、と
私は途方に暮れる。

でも、仕事でもありとあらゆる妥協をしている私は
役所というがちがちのシステムの中でただただ、
自分の仕事を全うすることしかない、
一ミリも融通の利かない目の前の役人が、
子どもからかかってきた電話で
楽しそうに話したりしていると、
その人の日常が見えてきて、
仕方がないか、と思ったりする。

確かに、これでは仕事の能力が低いわけだ、と
自分で妙に、納得してしまった。
システムから、こぼれ落ちる準備は、できているようだ。

やはり、バランスが必要なようだ。
そこを私はまだ、さっぱり会得していない。


2018/06/01

彼らの暮らしと、話の、断片 5月4週目


ラマダンに入ると、急に暑くなって
5月だなんて信じられないような、日が続いていた。
キャンプで吹く風は、キャンプの敷地近くを通過する羊たちの匂いが混じって
時に、あまり心地よく、ない。
湿気を含んだ風が、砂と混じって顔をちりちりといたぶる。


基本的に、キャンプでは家庭訪問をしていない。
単純に、プログラムの中に家庭訪問は含まれていないからで、
雇用する側としては、契約外のことはお願いしづらい。

ただ、どうにも気になる子どもが居た。
学校に来なくなってからまだ時間が経っていない。
今往かなければ、おそらくもうこの先、
学校で彼の姿を見ることはないだろう。
同じようにそのことを気にかけていた同僚と伴に、
とぼとぼと歩いて、その家を訪問する。

午前は女子、午後は男子シフトだから、
本来はまだ、その子が学校に来ているのならば、
学校に居る時間だった。
でも、ラマダンと期末テストが重なって
下校が早まっている。
どの子どもたちも、うだるような暑さの屋外を避けて、
家に戻って、次の日のテストの勉強でも、
しているはずの時間だった。



ザアタリキャンプ D8




案内をしてくれた近所の男の子は、
トタンと布で囲われた入り口で、その子の名前を呼ぶ。
しばらく誰もでてこなかった。
初めに出てきたのは弟とおぼしき男の子、
呆れるぐらい、兄とそっくりだった
次に父親、そして、母親、姉が順々に
入り口から顔を出す。

3つのプレハブをつなげてできた家の前には
トタンでできた鶏と鳩の小さな箱があった。
プレハブとプレハブの間には、セメントが敷かれていて
その上をトタンで覆えば、そこも立派な住居になる。

奥のプレハブは居間になっていた。
そこは、居間であり、寝室であり、客間でもある。
自由シリア軍の細長い旗が入るとすぐ、目につく。
大柄の花の模様の、薄いオーガンジィまがいの布の貼られた壁には
コーランの格言の書かれたプレートが飾られていた。

アラビーマットが部屋の脇に4つ敷かれていて
細長の部屋に、私と同僚、そして父親と母親が
対面する形で座る。
部屋の脇には戸棚とおぼしきものがあって、
そこの中には雑然と服が詰め込まれていた。

扇風機をつける。
電気がないはずなので、ジェネレーターを使っていたら申しわけないと断ると、
ソーラーパネルがあるから大丈夫だ、と、云う。


その子どもに起きた問題については既に、
親と過去に電話で話をしていた。
学校へ往くよう、親からその子へ話はあったはずで
でも、彼の姿をみていないことについて、
親と話し合いことになっていた。

その子どもが学校に来なくなった前日、
キャンプ内の工事用に入っている重機を
運転手の休憩中、勝手に運転しようとした。
それも一大事だったが、一番問題になったのは、
その重機の鍵が見つからないことだった。
鍵を持っていったのか、どこかへ放ってしまったのか、
どこにも見あたらない。
警察署に呼ばれて、さんざん問いただされた。
相当叩かれたり脅されたりしたようだった。
でも、鍵のありかは分からないままだ。



アラブ人の年齢は、分かりづらい。
ただ、40は確実に越えているだろう両親は
どちらかというと淡々と、こちらの話を聞き、
やはり、どちらかというと淡々と、
こちらの質問に答えていた。
一度として声を荒げることもなかったが、
一度として真剣に語ることも、なかった。

学校に往ってるかと思ったよ、
だって、10時には家を出て往くからね。
学校はどうだった?って訊いても
適当に返事をするだけだし。
今も買い物に出してから1時間半も経ってるから
一体どこでなにしてるんだかね。

兄弟は10人、その誰も、読み書きは十分にできない。

最初に見たそっくりの弟が部屋に入ってくる。
マットの上に置いてあった同僚の携帯電話に、手を出そうとする。
これはダメだ、と父親に云われても、耳を貸そうとしない。
同僚は、親の前でも教員のように、
子どもにきちんと、ダメな理由を話す。
よく理解しているのかどうか、でも
6歳になる弟の動きからは分からなかった。

面倒なのか仕方なくなのか、父親が自分の携帯を渡す。
客が来ていてもおかまいなく、
父親に携帯の操作を訊こうとしたり、
膝の上に乗ろうとする。
相手にされないことが分かっていても、執拗で、
止めようとしなかった。

母親はその様子をただ、少し笑みを浮かべてみていた。

キャンプでの父親の仕事の話をしていた。
水の配給車のアシスタントをしていたが、
それも予算カットでなくなった。

近所の人はみんな、うちのあの子のことを知ってるよ。
どこへ往っても悪いことしかしないからね。
今回のことだって、みんな知ってる。
今に始まった話じゃないさ。
道ばたの雑貨屋で、店のおじさんと座っていたりさ。
もの売ってるわけじゃないのに。

父親は、近所の子どもの話でもするように、
自分の子どもについて、話し続ける。

大人の会話をまた、弟は邪魔をしようとしていたので、
その日の朝、キャンプのゲートで知り合いの男の子からもらった
おもちゃをあげる。
ベトナムで私も遊んだおもちゃ。
プラスティックの小さなパーツをゴムに引っかけて空に飛ばすと
くるくる回転して、落ちてくるやつだ。

左手でこのパーツを持って、ここにゴムをひっかけて、ひっぱるの。
そう、こっちの手を離して、と
説明をする。
大人たちの話からやっと離れた弟は、
自分を構ってくれる、よく知りもしないアジア人でも、
とりあえずは満足したようだった。
小さな指で、必死にパーツをひっぱる。
うまく往かなくて、思い通りの方向に飛ばない。
それでも、何度か試してから、
おもちゃを持ったまま、部屋を出て往った。
と思ったら、ものすごい泣き声がした。

両親は二人とも、微動だにしない。声も、かけない。
泣き声はしばらく続き、
涙と鼻水でぐしょぐしょになった弟がまた、
部屋の中に戻ってきた。

ありとあらゆる水分を小さな手の甲で拭いながら
また、携帯電話をいじりはじめる。
あのおもちゃはどこへ往ったのだろう。
ゲームの画面には、色とりどりの球体が舞う。
その画面になる度に、嬉しそうに、私にも見せてくる。

配給の水には消毒の薬品が入っているから
おいしくないんだ。
タンクはゴミが入ったりするからね。

そこへ、待っていた子どもが、帰ってきた。
買い物に往ったはずなのに、手には何も持っていない。
でも、両親はそこには触れず、
ほら、来てくれたんだからそこに座りなさい、と云う。
子どもの顔は、見たことがないほど緊張していた。
ほぼ、無表情に近い。
じっと父親の顔を見たまま、しばらくは座りもしなかった。

やっと座った子どもに、同僚が話しかける。

文字が読めないのでは、バスに乗るのにも
どこへ行くバスなのか、わからないでしょ。
道ばたで桃を売るにも、金勘定ができなくては、
だまされてしまうでしょ。

子どもの表情は固まったままだった。
そして、おもむろに立ち上がると、
どこかへ往ってしまった。
出て往く彼に、両親は一言も何も、云わなかった。

母親はどちらかというと、薄く笑みを浮かべながら
終始話を聞いているだけだった。

何か云いたいことは他にある?と、訊かれる。

あの子は、ものをよく見たら、
それがすぐによく理解できる。
たぶん、とても賢い子だ、と
それだけ、云っておいた。


家を出る時には、既に子どもは家から居なくなっていた。


あの弟、あまりにも似ていておかしいね、
顔だけじゃなくて、動きもそっくりだった。
そんなどうでもいいことを話しながら
帰りの道のり、同僚と私は、おそらく
同じような、釈然としないこころもちになっていたのだと思う。


確実に、生気の抜け切った両親のもとで、
たくさんの兄弟とともに、
いくらかの関心ももたれないまま
彼は毎日を過ごしていた。

仕事がなくてずっと家に居る父親に
あんなにあからさまな恐怖心を抱いている。
動物的な、肉体的な、恐怖心。


そんな恐怖心と闘う家に居るよりは、
どこか外をふらふらと歩いている方が
彼にとってはきっと、こころ落ち着くのだろう。


シンプルに、愛情が足りないな、と思った。
でもたぶん、それは、決定的で、致命的なことだ。