2017/02/11

如月満月


先月は雨模様だったから、と
例年以上に春めいた、二月の夜に期待をする満月の日。

習慣というものは恐ろしいもので
一度、満月はしっかり拝むことと決めると
仕事が忙しかろうが、気持ちが落ち着かなかろうが、絶望的に疲れていようが、
それは、必ずしなくてはならないことになる。



住んでいるジャバルアンマンからダウンタウンに張り出た丘の端の
ガラス張りのカフェで、満月を待つ。

向かいのアシャラフィーエの家々の灯りが、美しい。
夏ならば窓など開け放しているから写り込まないのだけれど
ガラスに囲われた窓から見える街並は
店内の照明と重なって、
大きく、小さく、灯りが散らばる。






ほぼ毎月同じところから見ているから
いい加減飽きてもいいものなのかもしれない。
ただ、幸いかな、何度見ても美しく
見飽きることは、ないようだ。

凝視して、満足する。
ただ、それだけ。
ただ、それだけを毎月、繰り返している。


元来、天体観測は嫌いではない。
ただ、これだけ月をいつもいつも見るようになったのは
こちらへ来てからだ。
天気のいい日が多いから
自然と、月の姿は三日月だろうが待宵だろうが、二十三月だろうが晦日だろうが
とにかく、夜空を見上げれば拝むことができる。






二月の満月は、塵の向こうに赤く黒ずんで、ジャバルタージの向こうから出てくる。


ホーチミンに住んでいた頃
日本からホーチミンに戻った夜に見た
朧月と暖かく生温い空気を思い出したり、
風のない満月の夜にろうそくを灯したらどう見えるのか
昔聞いた話を思い出したり、
稲垣足穂の一千一秒物語の
粋でやくざな月を思い出したり、
秋の最中、鰯雲を照らす
日本の冴え冴えした月を思い出したりした。


雨月物語が好きだったから
月というものは、雲隠れしているところに風情があって
雲のすがた形が濃淡とともに繊細に映し出されるさまが美しい
などと思っていたこともあった。


こちらの月は、あっけらかんと、明るい。
兎の精を出す様子が、影絵のようにはっきりと見える。






屋上にある家にたどりつく時
屋上のテラスで、灰色のタイルが白く光って
自分の影がくっきりと映し出されるのが
いつの間にか、当たり前になった。

照らされる自分の姿は、当然見えなくて、
ただただ影の鋭さだけを見下ろすことになる。

月明かり独特の、白い光は
夜になってすっかり冷えきった空気を
一層冷たく、一層透き通らせて
頬に沁みていく。
翳りが、全くない。

例えば、透徹した思考なんてものがなくて
ここ最近、逡巡している脳と感覚も
この光を浴びたならば少しは、冴えるのだろうか、などと
お寺さんの煙でも浴びるような気分で
屋上で月を見上げてみる。

頭上に高く昇った月は、等しく隈なく、光っていた。
どこまでも高潔で、どこまでも静謐で
なんだかとても、冷たかった。






0 件のコメント: