月の満ち欠けが、東と北東に面したふたつの窓から、
毎晩、きちんと確認できる。
もう半月も過ぎた、上がりかけの月は、
あまりに黄色くて、なんだかどこか、おいしそうで、
それから、どこか、つくりもののように、見える。
遠い街並の上の、巨大で大仰な飾りみたい。
だいたい、月がどんどんと天井近くに昇っていくのは
満月を過ぎると遅くなっていくから
それを目視できているということは、それなりに起きていることになる。
相変わらずの、夜更かしだ。
最近の、音楽事情には、久しぶりに聴くアルバムも多い。
夜のおともに、夜にしか合わない曲たち。
まだ日本に居た頃、味の濃い、おいしい黒ビールをちびちび飲みながら、
時々聴いていた。
アルバム全体が暗めなのだけれど、
1曲目のこの曲が、アルバム全体の空気を完全に支配している印象がある。
その頃住んでいた小さな安普請の小屋みたいな家の
冷えた11月初旬の深夜の、湿気のある、しんとした空気を思い出したりしていた。
安普請の寒い夜つながりで、
やはり、この頃よく聴いていた曲を、かけてみる。
これはまだ若い頃の写真だけれど、最近のRufusはすっかり、
とてもキュートな、でもちょっとおじさんなゲイになった。
この頃の甘い歌声は、いつまでも健在だ。
彼らは、とまとめて一括りにするのは失礼だけれども、
身勝手を心の奥に仕舞って、がんばって人を好きになる
本当に素敵な人たちが多い。
最近の、たるんだあごも、なんだか愛おしい。
からりとした空気は、夜の風を冷たくする。
きっと日本は、とてつもなく蒸し暑いのだろう。
窓からは、冷えて気持ちのいい風が入ってくる。
月は、窓枠の外へ、出ていってしまった。
なんだか日本の夏の始まりを思い出して、
この曲を聴いてみたりした。
田舎の青い田んぼの脇を、ジムニーで疾走する映像。
それから、ピアノの前に座ったりして
またコード遊びをする。
ネットで曲のコードは調べ放題。
耳では聴き取れないので、もっぱらネットで検索をかけ続ける。
この曲のコードは進行は、本当におしゃれで、ちょっとずつ難解だ。
コードをさらうだけでも、なんだか、
おしゃれと気怠さの片鱗が音にできたりする。
そういえば、ピアノの伴奏がきれいな曲だったんだよな、と
とまた、ネットで検索をかける。
随分若い頃のFionaが出てくる。
この顔の造りがあまりに好きで、
学生の頃、テラコッタで彼女のお面を作ったりしていた。
久しぶりに聴くと、やっぱり曲も若いな、と思う。
これは、まだまだ心も身体も繊細な年頃に歌う曲だ、と
コードを軽くさらって、やめにする。
アラブ人相手に、作成した契約書の説明に腐心して、
心底こころを消耗するような日々の中では
もう、こういう曲は歌えない。
ピアノの伴奏とメロディで腐心した、といえば、この曲だ。
何度弾いても、楽譜通り弾けていると思えない。
でも、何度か聴くと、癖になる不思議な曲だ。
やはり、なんだかうまく音が拾えなくて、呆然と夜の街を眺める。
もう一度ソファに座り直し、ituneで買ったアルバムを
しっかり聴き込もうとする。
昨今、フルアルバムがもうネットに載っていたりするけれど
Jamesに最大限の敬意を表し、きちんと買う。
声がとても近い。
それはとてもどこか安心することのような気がする。
曲にもよるが、打ち込みで作り出す音の深さで云ったら、
前作の方がいい、というのが、このアルバムの感想だ。
反対に、シンプルな造りのいくつかの曲は
圧倒的にこのアルバムの中でも重さが違って、
微細な粒のように質量を持った音が、しっかり身体に沁みていく。
突然、そうだ、雪だ、と、思う。
ものすごい着込んでいるのにもなお、身体の芯に響く寒さと湿度に似ている。
雪の中で、このアルバムを聴いてみたい。
針葉樹の林の中とか、何にもない真っ白な平原とかで。
想像するしか、ない。
目を閉じて、雪の感覚を思い出そうとするのに
窓から波のように形を持って流れてくる、さわやかな空気に
断念を余儀なくされる。
寝なくては。鶏の啼き声を聞く前に。
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