2008/12/27

今年の本とCD











すっかり年の瀬で、心だけが焦って何も手につかない毎日です。
連日夜が遅いので、朝早く目覚めても何となく疲れていたり。
この調子で掃除がきちんとできるのか心配です。
そう思うのなら、今やればいいのですが、
できないのが、どうも、ことの進まない原因のようです。


(外は強い風だし、空はすっきり晴れすぎているし、洗濯は終わらないし、、、、)



さて、今年印象に残った本とCDの紹介を。
といっても、正直なところ、例年よりもよほど読む本も聴くCDも、少なかった。
だから、数少ない選択肢の中から、ということになります。
心落ち着かなかったのか、単純に時間がなかったのか、
一人の時間が思っているよりも、不安に満ちていたのか。

まず、なんといっても本については、「芝生の復讐」
以前もちらりと紹介したブローディガンです。
ブローディガンの新しい本が読めるのもうれしかったし、
とても短い短編の一つ一つがブローディガンの思考の雫のようで、
いちいちおかしくて、いちいちたまらない喩で
何度読んでも、素敵でした。

それから、まだすべては読んでいないのですが
「記憶に残っていること」という短編集
これは新潮のクレストから出ている本のいい作品だけを
堀江敏幸が選んだものです。
なぜ途中かといえば、あまりにもどのはなしも余韻がありすぎて
どうも引きずるからです。
印象が強すぎる、でもそれだけ結晶のような
それぞれの作家のよさが詰まっているように思います。
ただでさえ、クレストは良いのに。

CDの方は、もともとあまり買わないので
本当に少なかった。

クラシックが意外に多かったように思います。
恥ずかしながら、昔聴いていたのになくしてしまったものを
もう一度買う、というケースが多かった。
手に入ってよかったのは、チャイコフスキーのヴァイオリンソナタ。
在学中に作業をしながら聴きすぎて
聴けなくなってしまったCDでした。

そしていまさらのジャニス。
突然サマータイムを聴きたくなって借りたライブ盤が、当然のようによかった。

アルバムの一番は、以前紹介したNick drakeです。
それから、これはあまり心からいい、とはいえないのだけど
レイチェル・ヤマガタの「ティース・シンキング・イントゥ・ハート」
一曲目の「エレファント」という曲だけ、何度も聴いていました。
声はいい。
アルバムとしては、テンポの早い曲はどことなく、ラブサイケデリコみたいな感じで
ことばを口にするときに、どんな小さな音でもタ行とカ行をきちんと発音するところが
好きです。

昨日、今年買い収めの一枚を手に入れました。
写真のCD、スウェーデン語で表記ができないので
気になる方は拡大してみてください。
女性の演奏するチェロ二本と男の人のボーカルで
現代宗教音楽、ペルトという人の作品を少し思い出すような
低いトランスに、トム・ヨークっぽい唄が乗っているという感じです。
かなり好き嫌いがあると思いますが、
私は気に入りました。

夏ごろによく聴いていたArcade Fireも
ジョギングのお供にいい感じ。
個人的には、以下のライブ盤映像で、この人達を気に入りました。
勝手に貼り付けました。

ただ、CDについては、

結局のところ、ずっと聴いているものを繰り返し聞いていた様に思います。
やっぱり、Jeff Buckleyが良いし、ピリスのショパンのピアノ協奏曲が良いし、
フォーレのレクイエムを私は聴くべきだ、などと思う。


来年も、素敵な本とCDと出会いますように。
それから、曲がきちんと聴ける、本がするする染みてくるような

いいコンディションでありますように。









2008/12/18

凝りすぎて




またまた、事後報告を。
まだ展示をしていますが、12月9日から28日まで
牛久にあるタカシサイトウギャラリーで
「Takashi Satioh Gallery チャリティーオークション2008」
に、出品させていただいています。

いつも、好き勝手に作っているのですが、
一応オークションだ、と思うと、
普段売れるものを作らないせいか、すっかり困ってしまって
結果として、凝りすぎました。


もっといろいろなアプローチができるかも知れない
そう思っていた本を、また違った形で作ることになりました。
以前にも載せた「三角の家」の、箱型家付きバージョンです。

無駄に銅箔などを貼ってしまっています。
そして、表紙には窓まで、つけてしまいました。
心ひそかに、売れなければいいな、と
思っています。
ギャラリーのホームページを


2008/12/09

cow books


どうも最近、いろいろな新しいものを把握する情報の網を
さっぱりはっていなかったせいで
例えばいい展示だったり、新しい本だったりを
全然網羅できていませんでした。

そんな時、友達からいただく情報はありがたい。
特に私の好みを知っている人。

そして、せっかく教えてもらったのに、時間がなかったり休日だったりで
伸びて伸びて、やっと昨日、
仕事帰りに往ってきたのが、本屋さんです。

古本を基本的には扱っているところですが、
その古本の選別が、私の好きな作家、もしくは気になっている作家ばかりで、
興奮のうちに、本棚を隅から隅まで、見て往くのでした。

ブローディガンの本が充実していました。
ここで、まだ書いていませんが、
ブローディガンは本当に大好きで、
何度も読んでいます。
でも、文庫で出ているものしか手に入らないから、読んだことがありませんでした。

見たことがない本、それから、気になっていたけれど会ったことのなかった本たちが
ずらりと並んでいました。
お店の方に聞いたところによると
ちょうど、以前ブローディガンを特集したそうで
そのときの名残で、まだ種類が充実している、とのこと。

でも、当然ですが、いい値段なのです。

ため息をつき、いつかきっと文庫になるさ、と
うつむくのでした。

お店の方は、ブローディガンを読みつくしていらして、
好きな文を空で覚えていらした。
文庫と単行本の翻訳の違いなど、
ずいぶんと突っ込んだところまでお話されていました。
まだまだ、私はもっているものを読み込んでいって、
楽しめるはずだ、そう思いました。


お店の方のお勧めで、岸田衿子の随筆を購入しました。
表紙や、少し目にした文面から
丁寧で細やかな視線とやさしさがにじんでくるようです。

2008/12/07

ものや、ひとの、纏う


雰囲気、ということばが小さいころは好きでした。
たぶん、母親が、あの人は雰囲気があるね、などと
どこか、素敵な人に、このことばを使っていたから、のような気がします。

大きくなって、ものをつくるようになると
どこかあいまいなこのことばが、
気になり始める。
たぶん、何かを作るときに
雰囲気ということばの実体のない感じが
実体のある、実物でしかない、もの、と
根本的に相容れない関係にある、という
どうしようもない事実と向き合うことになるからだと思います。

だから、雰囲気、ということばを使うとき
往々にして、逃げの姿勢だったり、
はっきりと云い様のないものに対する
あいまいな感想だったりするようになってしまう。
でも、使ってしまうのだけど。

ただ、ものが空気を纏うことは、当然ある。
それがあることによって
周囲の空気に変化が生まれる。
その周りの色が違って見えたり、
緊張感が出てきたり、
時には、音が聴こえてきたりする。

纏う、ということばは、何か身に着けるときのことばだから
やはり、周囲でしかない。
私は、それでも、その身体を包むような
肌の感覚を思い出させる語感が好きです。


もののなかには、でも
それがあることによって、
ある空間全体をがらりと変えてしまうこともある。
もちろん、その場合は見せ方、も重要になってくるし、
空間自体もとても大切になってくるのですが、

何かいいことばはないのかしら、
そうぼんやり思っています。

なぜかというと、
最近手に入れたカップが、そういうカップで
それから、そういう人、にも会った、からなのでした。
時々会うことのできる、そういう人、でした。


とりあえず、カップの写真を。



2008/11/28

いす狂



そもそも使うものは、
よくよく吟味して、試してみて、情報も集めて、何度も何度も思い、
ようやっと、買うものであるべきです。
私もよくそのことをわかっているつもりのなのです。

が、また、安くてかわいいから、と買ってしまいました。
でも、安くてかわいいからといって
ぱっと買えるものとそうでないものがある。
箸を買いました、とかカップを買っちゃいました、とか、ならいい。


私の中ではそんなのりで、
椅子がやってきました。
でも、子供用の小さいもの。
楔が抜けていたのでがたがたでしたが
ちょっと応急処置をして
我が家に仲間入りとなりました。


もう、本当にたくさん、椅子があるのに。

実は、もう、作業椅子まで含めると、
今、7つも、あります。




爪のことなど


気になることがあると、そのことばかり考えてしまう。
結果的に、何かはなしを書く、という段になるとき
その、気になっていることがそのまま
話になってしまうことがある。
当然といえば当然なのだけど
いろいろな意味で、恥ずかしい。

などというものを、とりあえず製本してしまって
先週末にやっていた展示に出していました。
爪のはなしです。爪が気になる、というはなし。

ばたばたしていて事後報告になってしまいました。


ついでに、まだ、走っているので
走っているときに何となく思いついたことを
話にしてみました。
男の人のはなしにしてしまったのですが、私のことのようです。
女の人をはなしにはできないな、と思い
男の人にすり変えてしまいました。

どうも、はなしのヒトが女になった瞬間に
何か、潔さもやさしさも抜け落ちて
疲れてしまう瞬間があって
それは、どれほども客観的になれないからだと思うのですが
そうやって整理できない自分が、また、恥ずかしくもあるし、つらくもあります。


ということをつらつら思いながら
今度は来月に出す小品が決まらないな
と困っている今日この頃でした。

2008/11/21

種 生まれる




以前ブログの中で書いた三重県の伊賀市
旧青山町の山の中に
ちょうど1年ぶりに、往ってきました。


1年ぶりの山郷は紅葉が深まり
いつかの通り静かで生活が生きていて
限りなく懐かしくて心に何か深いものを残してくれる
土地でした。


いろいろな事情でお世話になった方々に
連絡をしないままの訪問だったので
回った家々の皆さんはみんないらっしゃらなかった。

でも、夏の盛りのころの景色が秋に変わり
十分な湿気でしっとりと落ち着いていて、
季節の移り変わりを肌と匂いと赤黄そして深い緑で
感じることができました。


忙しい旅程でしたが
訪れて本当によかった、そう思いました。

2008/11/06

続 組み紐の日


朝晩がめっきり冷えてきました。
恥ずかしながら9月の時点でもうストーブを出していたのですが
最近ではいよいよ、フル作動しています。
平屋は、寒いのです。

晴れた日は、冷えているけれど、空気が澄んでいて
朝はちょうど、あまりにも冷たい、というわけでもなく、ゆるいでもない
適度な寒さがあって、好きです。
洗濯を干そうと外に出ると、落ち葉を燃やす匂いがしたりして
冷えと匂いが、不思議と妙に落ち着いて
鼻をくすぶります。


しばらく家にこもっています。
また、組み紐を作る時期がやってきました。
乾燥し始めているので
丸台の支えがゆるくなってきて斜めになり
玉が滑り落ちていきます。
困った事態。

きっと、作るのはそんなに難しくないのだけど
いただいた丸台の色やつやが好きで
結局だましだまし、使っています。
おもしろいもので、知らず知らす
その傾斜が読めるようになると
玉が滑らないように、うまい具合に手が勝手に調節していました。
まだ、この台でいけそうです。

さて、作ったものは昨年度レジデンスでお世話になった方々がいらっしゃる
伊賀へ持っていって「08’風と土のかたち」展に参加させていただきます。
本当に恥ずかしいし、失礼なのだけれど
やはり、組み紐をまだ作っているのを、みていただきたい
そう思い、今回は組み紐にしました。


どう思う方がいらしても受け止めて、
今後の制作に向って往きたいと思います。





2008/10/19

研ぎ澄まされた、冷たい土地の、簡潔さ



自分で製本などをしていて、なかなか本が読めずにいました。
お借りしていた本で、短編なので少しづつ読み進めていったものが
最近やっと読み終わりましたので、紹介を。
「サハリン・ニブフ物語」
サハリン出身のV・サンギという作家の書いた作品です。
サハリンの土地で昔ながら生活をする人々の
自然との対峙、それをさまざまな形で克服、共存しようとする人物の姿、
近代化の波による生活の変化と苦しみ、救いなどを
すばらしい翻訳で読むことができます。

その土地に住む人々が長らくしてきている熊や魚、アザラシの狩の様子や
自然の摂理に合わせた生活習慣を、文章中に散りばめています。
詳細で、でも簡潔で、その恐ろしく適度な言葉の使い方に感動しました。

「草木が旺盛な成長を停止し、大地にその富を遺してゆっくりと疲れを休めるとき、鮭鱒族の長兄である鮭の大群がひしめき合って遡上してくる。人間は魚群をもとめて、新しい漁場へすばやく移動する。」

不必要な描写はないのですが、どこかつんとした冷たさのうちに、
余分なものが淘汰されて残されたものを
選んでいる、もしくは必然的に、それしかないのかもしれませんが
言葉にしているような気がしました。


こういう感覚は自分で身に着けようと思っても、
おそらく、とても難しい。
よく、絵を描く人が、原風景としてみたものの色彩感覚に支配される、と聴きますが
文章も同じなのではないか、そう、と思います。

どうも、私はまだまだ余分であまりにも細かくて、どれだけも俯瞰できていないようです。


2008/10/10

嗜好品の香り




秋は香りがきわだって感じられるような気がします
湿度や気温の条件がいいからなのだと思うのですが、
今はちょうど金木犀の香りがそこここからしてきます。
金木犀の香りが消えるころ、もう秋は本番で
やっと、どこかやる気のない、うつつを抜かした状態から
自分が、帰ってくる。

それから、公園を走っていると、公園の脇の焙煎屋から、
コーヒーのいい香りしてくると
ああ、もう2周のつもりだったけど、1周にしようかしら、
などと思ってしまう。

そんなわけで、嗅覚は鋭敏で
いくらか私は振り回されているようです。


ちょうど少し前に
とてもいいウィスキーの香りを嗅がせていただいたことがあって
ああ、おいしいもの、本当にいいものは甘い香りがするのだな、
と嗜好品のなんたるか、に
はたと気づかされました。
それは葉巻などにも云えることで
残念ながらこちらも吸ったことはないのですが
やはり甘い香りがする。

そして、昨日、今までに経験したことのない
甘い香りを、やっと、口にすることができました。

以前紹介したお知り合いの方のカフェで
たまたま入っていた新しいコーヒー豆を試しに買ってみたのですが
車の中に豆の香りが充満していました。
正直、車の中に充満する豆の香りは少し苦手で
きつすぎて気持ち悪くなってしまうことがある。
でも、その豆の香りはなんとも云えず、いがっぽさの少しもない、甘い香りでした。

久しぶりに家でゆっくりコーヒーを淹れました。
昔実家にあった、年寄りのトロッサーというミルにがんばってもらって
挽きたてのコーヒーを淹れます

豆は少し小粒の丸い豆
淹れたコーヒーも、丸みがあって、重くはないけれど口当たりがとろっとしていて
甘みの強いベリーの香りがしました。
どこにものどにひっかかるものがなくて
適度にさわやかで、たっぷり上品で
これだけが、ある一つの、違う名前の、特別な飲みもののようでした。

さて、ちゃんと紹介
豆を買ったお店はCafe Noir
豆を卸しているのはシバタコーヒーさんです。

どの豆だったかは、お店に往って、お尋ねくださいませ

2008/10/08

秋を煮詰める 土になる





一人暮らしというのは食べる楽しみが半減する、そう思います。
一人で食べてもつまらないし、家に誰かを誘うのも
立地が悪いせいもあって申し訳ない。

でも、時折猛烈に何か食べ物を作りたくなる。
今回は、周りの方からさんざんに農協のはなしを聞いたからでした。
つくばの農協にはいちじくがたくさん出ているらしい。


私の実家には小さいころからいちじくの木があって、
それこそゴマダラカミキリムシなどがきれいな穴を空けて
巣を作ったりしているのを観察しながら、
実が大きくなってゆくのをあんぐり口を開けたまま
見上げていました。

でも、意外に生のいちじくを食される方が少ないようで、
乾燥したものならお酒のつまみにでもするのだけど、
というお話をいろいろな方から聞きました。

では、やってみよう。

いちじくのコンフィチュールを作りました。
胡桃なども入れて、少しワインが多目です、だからあまり長持ちがしない。
早速お世話になっている方へビンに詰めて持ってゆきました。

農協にいちじくを買いに往ったとき
ついでに立派な栗も買いました。
そもそもは児童館で出す課題、秋を描こう、のモデルさんとなるはずのものたちでした。
でも、どうも、モデルには多すぎる。
だから立派な栗をクリームにしようと、ゆでたのでした。
でも、あまりにも立派でクリームにするのはもったいなかった。
ので、鬼皮だけ剥いて、渋皮煮にしました。
クリームも作りたかったので小さめの栗をゆでて生クリームとバター、砂糖とラムで
クリームを作りました。


ついでに、葡萄も素敵な色のものがたくさんあったので
モデルの用が済んでから
コンフィチュールにしました。

小さな家中に甘い匂いと熱気が広がります。
ビンに詰めて蓋をすると
生だったときよりも色が濃くなって
どれもが豊穣な、土の色になっていました。
すべてをビンに詰めて
食べていただきたい方、お世話になっている方に配りました。
秋のひそやかゲリラ、という気分です。

2008/09/29

花束


小さなころ、実家の庭は花でいっぱいで
月曜日には小学校へ花束を持っていきました。
勝手にいろいろと花を切ってしかられることもあったけれど
そんなことをしながら、花の名前や特徴などを覚えていった気がします


花屋などはいまでも大好きで
何かあれば、花をお遣い物の代わりに持っていったりしています。
久しぶりに、花束を自分で作ってみたくなりました。
自分のイメージするものと、花屋さんが作ってくれるものが違うことも多かったりして
何でも自分でやりたがってしまう私としては
つい、手をつけてしまう。

今回はお知り合いの方の誕生日プレゼント。
ワレモッコウはとても大好きな花です。
家の庭で素敵な色になったアジサイと一緒にしてみました。

久しぶりの無理やり




こじんまりとしたものばかり作っていると
あんまり無理なことはしなくなってしまうのですが、
久しぶりの無理無理をしてみたのが、この本。
表紙に木をくっつけてしまいました。どうしても取っ手をつけたかったばかりに。
何とかなるものだな、と作ってみて自分で感心してしまいました。


すぐにこちらも、人の手に渡ったので
また新たに、作ってみようと思います

2008/09/23

親密という音について


用事があって月曜日、久しぶりに都心へ出たので、
HMVへ往き、久しぶりにCD探しをしました。

気になるアーティストを見ていったのだけれど、
こういう日もあるよな、と思うほどさっぱり何もかもが見つからず、
もうずべてCDの出てしまっているはずの、つまり、もう死んでしまったアーティストまで
わざわざ、チェックしてみました。

そこで見つけたのが、写真のアルバムです。

Nick Drakeはもう30年近く前に、死んでいます。

とにかくギターの音色がきれいで、
静かな、どこか物悲しい声音が秋にはいいようで、最近よく聴いていました。
このアルバムは、まだデビューする前のNick Drakeが
自宅で録音した音源を収めています。

家族と一緒に合唱したり、合奏したり、会話をしたり
後ろでドアが閉まり、誰かが入ってきたり、何かが落ちたり、
感想を云ったり、しています。

録音の機材のためなのか、いくらかくぐもっていて
それが、閉鎖された空間を、音にしています。
それは家族のいる室内、ということなのですが、
あまりにも親密で、あまりにも濃密で
疎外感と、それから温かさが同時に身体に染みてゆくのを感じます。

どこか空恐ろしいような、音でした。
たったの26歳で死んでしまった人の、音のかたちを
見てしまったような気がしました。

2008/09/18

絵などというものを



以前から書いて、オブジェのようなものに収めたりしていたはなしがあります。
それを、今回きちんと本にしよう、と思いました。
すると、ぼんやりと絵が浮かんできて
ではそれを絵にしよう、などという作業を
簡単にできるわけでもなく、
元来立体にたいしてでも、鋭敏な感覚に決定的に欠けているのに、
それを絵にするなんていったら、大変だ
という事態に陥っています。

困ったことになっています。

でも、久しぶりに何日も家に閉じこもっていて、
途方にくれて
結局ピアノを弾き続けてみたり、
久しぶりに音楽をゆっくり聴いたりして
もう、何もできていないのに、
アトノマツリのような、
気分になっています。

いつかの秋と、同じ音楽を聴いたりして、逃避をする。

今はJeff BuckleyとRufus Wainwrightと Elliott Smith
それからなぜかエルガーのチェロ協奏曲。

ああ、ルーファスの声はいいなあ、とか、
ジェフのギターと旋律は最高だ、
エリオットは秋に聴くとしみるなあ、などと鑑賞一直線で
しまいにはジェフの生き様について思いをはせ、
ジャクリーヌ・デゥプレの映画を思い出す。

気がつくと夕方なのでした。




2008/09/04

夏休みの課題を



なかなか、思うように制作が進まない夏でした。
やっと、できたのが、今度も本。

久しぶりに木版画をしてみました。
単純に、何か実材を表紙に使ってみたかった、ということだったのですが、
やってみると、おもしろかった。
どちらかというと、版を彫るという行為は
私の中で、作業的な内容に近かった。
だけれど、彫る、という行為のなかで
ぼんやりといろいろなことを考える。

しかも、それはあくまで、版でしかないから、
今作っているものが作品そのものでは、ない。
もっとも、私の場合はそれを表紙に使ってしまったから
作品そのもの、になってしまったのだけれど。

木版画は、思考のある、分野のようです。

私が彫っていたものにも、理由があるのかもしれません。
木で石を彫っていた。
石畳を彫る、なんて、いろいろと、矛盾を孕んでいる、わけでした。


話の内容と絵には、まだしっくり来ないところがあるので
もう一度、違う感じで作ってみます。



2008/08/27

沼津のはなしも


ずっと知床によって追いやられていた沼津のはなし。


本題は、続きのお店からだったのですが、、、。
Baird breweryが作ったビールが飲める、直営のお店、
taproomに着いたところまでかきましたが、
詳細は除いて、とりあえず一番大切なところを。
お店の料理もおいしくて大感激だったのですが、
その後の、工場見学が興味深かった。


ビールの生成方法について、
今、私が順を追ってきちんと説明はできません。
でも、その場で説明をしてくださったブライアンさんが、
きれいな、そして少し早口な日本語で、
とてもとても、熱心に工場内の設備やビール作りにかける思いについて、
お話してくださりました。


それを聞きながら、当然なのでしょうが、
ブライアンさんが本当にビールが好きだということと、
いいと思う、やってみたいと思うビールに対して
どこまでも情熱を持っている、ということを
ひしひしと感じました。

もう少し違う言葉もあるのかもしれませんが

時間のたった今思い出すのは
外に比べればいくらか涼しいけれど
決して快適というほどの温度ではない工場に
底知れないパワーがあったということです。


いろいろな入れ物や機械や
段階や時間を経て、
もともとあまりお酒は飲めない私にとって、
少し、いつもよりも高くて、
特別な気分にさせてくれるビールたちがここから生まれているのか。

工場見学の醍醐味を、大人にして初めて知ったのでした。

2008/08/26

鯨のはなし―鯨の顔




朝、屋根の上を飛び交うウミネコの声で目が覚めました。
残念ながら天気は曇り。
今にも降りだしそうな重い雲に覆われていました。
少し散歩をして、いざ、受付へ。
8時半から受付、とのことでした。


往ってみると受付は、小さなパン屋さんでした。
でも、パン屋さんの壁には大きな鯨のポスター。
急に楽しくなってきて、意気揚々と港へ向いました。

船は2階建ての小型船で、
一階の船長さんは運転しながら海の様子を解説してくれます。
2階には、パン屋さんで受付をしていた女の人が
双眼鏡をもって、360度常に、見渡しています。

どうも、イルカや鯨を見つけるのはこの女の人らしい、
そう、勝手に決め付けて、その人の後ろ辺りにいました。
まもなく、イシイルカが数頭群れになっている、しっぽと背びれが見えました。

船長のおじさんは云います、
青森あたりでいるかの漁をしていて仲間が獲られるの見ちゃってるから
船が近づくと逃げちゃうんだな。
廉価のベーコンなどに使われる「その他の鯨類」
とは、ほとんどイルカだそうです。
気にして見たこともなかったのですが、驚きました。
イシイルカの柄はシャチのようなのですが、
そんな姿はちらりとも見えず、往ってしまいました。

イルカのほかにも、盗賊カモメなど、海上でしか見られない鳥たちもいました。

鯨をどうやって探すか
マッコウクジラがお目当てだったのですが
マッコウクジラは海中に30分ほど潜り
海面に7,8分息を吸いに揚がってくる、というサイクルで
肺呼吸をしています。
その7,8分を狙うのです。

その女の人(船長さんはハルちゃんと呼んでしました)は
遠くの潮吹きを見つけます。
そして、船長さんにだけ通じる無線で場所を伝えるのです
―11時の方向に2頭―
という感じです。
よく焼けたその女の人がとてもとても、素敵だった。
その日はたくさん鯨を見つけてもらいました。
12,3頭のマッコウクジラを見たかと思います。
潮を見つけるまではエンジンを切ります。
見つけた瞬間に、そこへ向けて全速力で船を走らせる。
船の感じも、なかなか良かった。


クジラが7,8分海面で息を吸う、
そして、最後に深呼吸をして
思いっきり勢いをつけて海底へと潜ってゆくのです。
だから、もぐる直前にしっぽを出して、潜ってゆく、
私たちは、そのしっぽを、見る。
あまり近づくと逃げていってしまうのですが、
それでも、浅く潜水したまま逃げるので
それほど遠くないところでまた、息をします。

そして、一頭、間違えて船の近くに出てきてしまったマッコウがいました。
出てきて、あら、と思ったのか、こちらの様子を伺いました。
女の人が「こっちを向いてる」
と云います。


見てみると本当に、頭がこちらを向いていて、
反るように尾ひれと頭だけを出して、
こちらを見ました。

マッコウクジラの顔を、正面から見ることができました。
クジラと目が合った。
私はそう、勝手に思っています。

その後も何頭かのしっぽを見ました。
最後にまた、イルカの群れを見送り、
港へつきました。

根室沖は海底が低くて深いので、
天気のいいときは、クジラの見える丘、という丘からも、
クジラの潮が見られるそうです。
そう、それから、国後島も、はっきり、見えました。
大きな大きな島でした。

さて、最後に
船を出していた、知床ネイチャークルーズというところの
ページを貼っておきます。
もうそろそろ、ツチクジラのシーズンがやってくるはずです。
ツチクジラがイルカのように飛んでいる写真が、載っています。
必見です。

それから、素敵な女の人と、「いい塩梅だ」が口癖の船長さんに
ぜひ、知床へ、会いに往って下さい。


2008/08/23

鯨のはなし―知床の旅1―


前回大慌てでとにかく鯨のしっぽを載せました。

でも、そこですばらしい人や景色に出会いましたので

そのことをもう少し詳しく。


知床に往った一番の目的は、とにかく鯨とあうことでした。

札幌にいる間に、知床の情報について探していました。

ちょうど低気圧が近づいていて、海が荒れれば船はでない、

そんな状況で、本来の予定よりも2日早い出発になりました。


知床には町が2つあります。

ウトロと羅臼。

ウトロはオホーツク海に面していて、羅臼側は北方領土がすぐ見えます。

旭川から大空町や斜里を通ってまず、ウトロにつきました。

もうその時点で7時半近かった、

それから、知床峠という、なんとも恐ろしい響きの峠を超えて

羅臼へ往きます。

ウトロ側は雲こそ出ていても雨はなかったのですが、

知床半島を縦に通る山並みの向こう側、つまり根室海峡側は

ものすごい霧でした。

だから、峠の頂上辺りからいきなりひどい霧になり、

くだりの坂道をこれっぽっちも先が見えない状況で

進まなくてはなりませんでした。

どこかの話で、あまり霧が深いと、ライトを上げても真っ白になる、

というようなことを読んだことがありましたが、

まさに、そういう状況でした。


時折ライトをあげる、

すると、目の前に立派な角のエゾジカが道のすぐ脇に立っていたり、するのです。


やっと、羅臼に着いたのは8時半。

札幌からドライブだけでも9時間近い、道のりでした。


たった3000円の素泊まり民宿に着くと、

民宿の屋根にウミネコがたくさんいて

海の風を受けながら啼いたり飛んだりしていました。


次の日の朝、鯨の船が出ます。

すぐに寝て、鯨に備えました。

2008/08/16

鯨のしっぽ


沼津は中断

鯨のはなし

ブログのタイトルがこの長々しい
「鯨を推しはかる気分研究所」
なのに、鯨を見たことがありませんでした。
このタイトルのフレーズから、人それぞれ何か
思うところが、きっとある。
私自身もその一人に過ぎませんでした。

実は、それではいけないと思い、
今年の夏、「外房捕鯨」という会社の
ツチクジラの解体を見に往こうとしていました。
何とか日程が合えば、そう思っていたのですが
今年の捕鯨枠を8月の2週目で終えてしまいました。

落胆、の一言。
日本に居る限り、鯨について思う時、
捕鯨のことについて触れずにいることはできません。
だから、なおさら残念でした。

お盆に北海道に往くことになったので、
北海道のガイドブックを買った。
すると、ホエールウォッチングの紹介があります。

日本でホエールウォッチング。というと、
小笠原諸島が有名で、反対に他のところで見られるとは
知りませんでした。

とにかくクルーズのツアーを出している会社に電話をしました。


まずは、私のどうにも古いデジカメで撮った鯨のしっぽを。

2008/08/05

沼津への旅


大人の遠足、などと云うフレーズを聴くと

つい、吉永小百合の清楚な後姿などを思い出して、

ああ、ああいうものか、などと思っていました。


たとえば、花火を見るときに綿菓子を食べながらタバコを吸う、とか

お酒を飲んで、恋人の肩でも抱きながら映画を見るの、とか

何となく、大人の特権、のようなものとは、

いくらかロマンティックなもの、も、私の中には多分に、含まれていたようです。


甘かった。


一番の特権は、子供と同じぐらいはしゃぎながら

朝からお酒を飲むことで、

それは、子供と同じぐらい、というモチベーションがあればあるほど、

特権的になる、ようです。


何の話をしているか、というと、

日曜日に参加させていただいた

「大人の遠足vol6」なるもののこと、で

私が見た、酒飲みの生き様、の話なのです。


ここでは、数回に分けて、知っている人にも知らない人にも、

こんな日曜日があるのだ、という報告、もしくはドキュメンタリーを

お伝えすべく、綴って往きたいと思います。


ちなみに、本編は、主催なさった「フィンラガン」というお店のマスターによる

ブログがあります。

これはあくまで、お酒に弱いのでほとんど飲まなかった私が

素敵に酔っ払った方々への

冷静で、でも温かい、

敬意と畏怖の念と愛情に満ちた視点から書くもの、だと

思っていただきたい。


前置きが長くなりました(でも、いろいろ問題が発生しそうなのでこれぐらい必要なのです)


出発から。


朝7時に集合とのこと。前の晩遅くまでお店にいたので

マスターに電話で起こしていただきました。

7時ぎりぎりに集合場所に着くと

もう先にいらした方が、バスに乗せる荷物を降ろしていました。

バスが予想以上に大きかった。

荷物を乗せようと車内に入ると

うわさの「ラウンジ席」なるものがバスの一番奥にありました。

前方に向ってコの字型にいすが取り付けられていて、

真ん中にテーブルがあるものです。

この時点で私は、絶対にここには座るまい、そう思いました。


あれよあれよという間に、酒瓶が保冷トランクの中に詰め込まれ

いざ出発、


途中何人かを道中で拾い、


時計は7時半、もう、マスターとクイーンはワインを開けていました。

シャンパンも開きました。

ブラザートム風のMM氏がなぜか大量のせんべい配りの交戦を始めています。

女性に優しいS氏は、女性分しかない、お菓子を早速、配っています。

ラウンジではプルトップの音が鳴っています。


いつの間にか、みなさんのコップに酒が入っているのでした。


私は持参した野菜ジュースを飲みつつ、ワインを後ろに送ったり、食べ物を回したりしていました。


8時前に谷田部から高速に乗り、

当然のように守谷のサービスエリアに寄ったことを、

明記しなくてはなりません。


I氏のおいしい豚や鳥を八時半ごろには堪能し、

新たな種類のせんべいが配られ、

ドライフルーツが流れて、

ワインは次々と開いてゆき、

一番前で、マスターの手により開けられたワインは

最後ラウンジで一気に、男気あふれるおにいさん(?おじさん?おっさん?)によって

消費されてゆくのでした。


首都高は比較的空いていましたが、計算ミスをした方々は

もう、トイレはまだかと、繰り返しおっしゃっていました。

自然とそちらの方面の話になり、

朝9時の時点で、どうやって、液体を入れ物に入れるのか、何に入れるのか

を話し合っているのでした。

そこで、ワインの空瓶はどうか、ということになり

いざというときのために、マスターの手中にあるコルクを取ってくる、ということになったのですが、

勘違いをした、よく働かれるK氏は新しくまた、

ワインをマスターからもらってラウンジへと戻ってくるのでした。

ラウンジの方々は、ここぞとばかりに、日ごろの成果を存分に発揮し、

肝臓腎臓膀胱を、フル活用されていました。


海老名でメロンパンを、足柄過ぎのサービスエリアでしっかりトイレへ往き

やっと、東名沼津を下ります。

もうそのころには、服の胸元あたりに

しっかりとワインのしみを作っている方が、何人かいらっしゃいました。

本当は服のシミシリーズの写真を撮りたかったのですが

顰蹙を買う恐れがありましたので、止めにいたしました。

紫、黒、ベージュ、きれいなシミが、何かの勲章のように胸元を飾っていました。


沼津は晴天、湿度もたっぷり。

ベアードブル―イングの向かいの、港に面した駐車場にバスはとまりました。

降りた瞬間に、水分が蒸発してゆくような、とても暑い、お昼前でした。


そして、ベアードブルーイングの経営するお店、タップルームへと

一行は向いました。

階段を登るときに、フィンラガンと同じ、木の香りがしました。



2008/07/21

去年の夏



つくばは田んぼが多い。

小さな森と森の間を縫うようにして広がる田んぼには

つんと伸びた稲の葉が光っています。

その景色を見るたびに

ああ、往きたいな、と思うところの話。


去年の夏、レジダンスに参加していました。

ちょうど今頃から、三重県の伊賀市の旧青山町

種生、老川地区というところに1ヶ月半近く滞在しました。

彫刻を制作して、その地域に残す、というのが直接の活動でしたが、

地域の人たちと交流しながら、その刺激を作品に反映させる、という趣旨も含んでいました。


おじいちゃんおばあちゃんの多いところで

とにかく山深いところだったから

山の緑や田んぼの緑が、きれいでした。


ちょうど今、前回のブログで紹介した組みひもを教えていただいたのも、この時期で

83歳のおばあさんから教えていただきました。

糸を支給されて編むだけ。

絹糸なので販売されるときには高くなりますが

編むだけならば、1本数百円にしかならない仕事を、

地道に何十年と内職として長らくやっていらした方でした。


レジデンスが終わって、いろんな思いを胸につくばへ戻ってきて

時折組み紐を作りながら、ぼんやりと夏のことを思い出していました。

制作よりも、お会いした人の思い出のほうが強くて

ものすごく、どうにもお返しができないほどお世話になった方がたくさんいて

どうしたら少しでもお返しができるか、ずっと考えていました。


組み紐は本来、帯締めとして作られているものです。

着物の需要が減った今では

スタラップやキーホルダーの先につけられる物も出ています。

伊賀にある、組み紐に関する郷土施設にも置いてありましたが、

やはり、帯締めのほかの加工品は、ストラップ、ネクタイなどでした。


ちょうどそのころ、益子の方に、組み紐を使ってアクセサリーを作っている作家さんの作品を見ました。

組み紐もこうやって見せると、紐本来の美しさが前面に出せるのだな、と思い

自分でも真似をしてみたのが、組み紐ネックレスの始まりです。


だから、技術も発想もまねっこなのです。


でも、まず作ったものを一番初めに、

お世話になった地域の方に、贈りました。


組み紐を使って作ったものを売る、というのは

今でもどこか、後ろめたい思いがあります。


ただ、もし作ったものに関心があって、見てくださる方がたくさんいらしたら、

種生、老川で教えてもらったのだ、と宣伝をして、

組み紐の美しさを知っていただけるかも知れない、そう思っています。


また、作りためた組み紐をネックレスにできたら

種生、老川に往きたいと思います。



2008/07/11

展示のお知らせ




雨の降らない、湿気ばかりの梅雨が続いていますが
しばらくインドア生活をしていました。
部屋の中でアルーを見ながら組みひも生活でした。

というわけで、それらを組み立てたネックレスを展示、販売しております。
本業でもないし、組みひもの技術自体は、
教えていただいて今があるので、心苦しいものところもあるのだけど
スペースと需要を考えて、彫刻は、なし、の展示です。

いつかアップしようと思ってなかなかできなかった、
知り合いの始めたお店の入り口の、
小さなスペースに置いています。

作ったものを、というよりは
そのお店でお茶でも飲んでいったら
こじんまりとして居心地もいいし
いいのではないか、ということの方が主で
宣伝いたします。

もちろん、組みひもや、少し変わったネックレス
どちらかというと落ち着いているので
今の流行の雰囲気とは違うかもしれません

でも、お好きな方は、ぜひぜひ。
 波打ちながら続いてゆくもの
~松永 晴子 組み紐によるcollar制作~
会場 :Cafe Noir (〒305-0813 つくば市下平塚834) 11:00~18:00 火曜定休

2008/07/04

銭魚



 オープンスタジオ、先週末の土曜日に当番で入りました。
  他の作家さんがたのものを見るのが楽しみ。
 今回はこんなものを、買ってしまいました。
 銭魚、という商品名の、この顔。

 こいつらがたくさん、並んでいました。
 無機質のふてぶてしい感じが、堪らなく気に入って
 買ってしまうのでした。

 大事なもの入れ、になりました。

2008/06/20

信頼を失う— アルーの動物病院


アルーがくしゃみをし続けていました。
そのうち、鼻の周りがかさぶただらけになってしまいました。

ごめんなさい、アルー。

ということで、今日、動物病院へ往ってきました。
目の大きな先生が診てくれました。

食生活がわるい、とのこと。
食物繊維をたくさん取って、強い腸にする。
そのためには、牧草をたくさん食べさせることが大切なのだそうです。

病院へ往ったからには、薬をもらう。
薬をあげるのが一大事。
もう、すっかり私のことを避けているアルーは
獣医さんから教えていただいた、必殺バスタオル戦術
(バスタオルで身体をくるんで、前足も後ろ足もキックできなくする)
を駆使しようと白いバスタオルを持つ私の姿に、逃げまどって、いました。

これから、当分の間、私とアルーは日々、
戦々恐々とした毎日を送らなくてはならなさそうです。

それにしても、ウサギというのは繊細にできている。
逃げるために後ろ足キックをすると
足の付け根を脱臼したり、折ってしまったりするのだそうです。

早く、良くなってくださいませ。


2008/06/19

いくつかのネックレス





また、つくった組紐でネックレスをつくりました。

前にお知らせしたオープンスタジオに出します。

今回は7個、です。

いくつかを載せます。