一度飛んだら、1年とか帰ってこれない生活を10数年続けていたから、
なんだか不思議な感じがする。
ヨルダンのわたしは、精神的には日本にいる時より、
ある意味リラックスしていたんだと思う。
もっとも滞在中には、ヨルダン独特の、日本では考えられないような
理不尽な事象や、言葉を失う出来事に遭遇していた。
失望の衝撃もいつも以上に大きく、ストレスも相当だった。
けれども、過去に幾度となくそんな状況を経験してきたから、
ものすごくブラックなジョークのパンチ力と
言葉のチョイスをいかに面白くするかに執心する。
人の目をじっと見て手振り大きめ、英語でもアラブ人っぽく話す。
大人には笑顔と真剣な表情を確実に使い分け、
子どもはとにかく笑って見守る。
自分のしたいことをする、
他人にどう思われるかは、気にしない。
基本引きこもりなので、仕事以外ではあまり人に会わないけれど、
近しい周囲の人はわたしがどんな人間かよく分かっていて、
ダメなところばかりだけれど、
いいとか悪いとかの判断はなく、
こういう人もいるよね、と思ってくれている。
だから、わたしも、いろんな人がいるよね、
と近くの、遠くの他者へ、そこはかとなくやさしくなれる。
ヨルダンへ着いた瞬間から、
自分でも呆れるぐらいすんなりと、
慣れ親しんてきたものは、身体に戻ってきていた。
そして、戻ってきた瞬間に思った。
あぁ、わたしは日本から逃避してる。
けれども、慣れ親しんだ安心感とは裏腹に、
ヨルダンにいる自分自身を咎める自分がいた。
他人の目を気にせず伸び伸びできる、という点で、日本よりも居心地はいい。
けれども、仕事や生活の文脈では
自分にできることの限界が見えてしまった。
冒険も挑戦をするにも、自分の立場からでは自由にできない、
その状況にもまた、慣れてしまっていた。
事業は粛々と求められる通り、続けていくことができる。
けれども、多少の波はあれ、ある程度出来試合の様相が濃く、
自分自身ももう、公私ともに、成長できなかった。
そんなヨルダン最後の数年間を、幾度となくまた、あらためて思い出す。
ヨルダンに住んでいた時、心のどこかでずっと、
「仕事がうまくいかなくなったら日本に帰ればいい」と思っていた。
逃げる場所があると。
なのに、いざ日本に本帰国したら、さっぱりうまく馴染めなかった。
すぐポリコレに成敗されるし、
相手が何を考えているか分からないし、
見知らぬ子どもは抱っこさせてくれない。
そして、人生楽しそうじゃない人が多い。
そんな批判的な視点ばかりを持ち、
人生に悲観的になった老人のように、
愚痴を心に溜めがちだったけれど、
でも、自分ではなにもそれに立ち向かう手段をもっていない。
そんな何もできない自分への居心地の悪さもまた、批判的な態度の理由となって、
ますます自分を馴染めなくさせていた。
それでも、仕事柄心底、思う。
自分の国があり、ほとんどの場合、排除されることもない、
そんな場所があるということは、ありがたいことなのだ。
特にこの束の間のヨルダンの暮らしに戻って、あらためて思った。
ヨルダンに住んでいた年月、わたしは心のどこかで、
所詮他人の国である、ということを、言い訳に使っていた。
だから、日本に帰ればいい、と思っていた。
そうやって、都合よく逃げ場所にしてきて、
今更批判するとは、そして
せっかくあるものを大切にできないとは、
随分と格好悪いことを、わたしはしている。
己の格好悪さを、心底認識した、2ヶ月弱の滞在だった。
自分の国の空気がいくらおかしくても、
冷たい人に遭遇しがちでも、
全然社会が寛容じゃなくても、
自分の戻れる場所、であるはずだ。
もし、戻れる場所が住みづらいのであれば、
馴染んだり、住みやすくしていかなくては、
ちょうど12年前、ヨルダンの暮らしを始めた時のように。