2022/05/11

表現をめぐる記録

 
日本に戻ってきたら、必ず
いろんな展示を見よう、と思っていた。
それから、ライブも行きたいな、と。

例えば音楽に関してはヨルダンでも、
それなりにローマ時代の円形劇場で
シリア人歌手のライブがあったり、椿姫をしっかり鑑賞する機会があった。
でも、表現をめぐる記憶で一番衝撃だったのは、
狭い映画館でのロックライブだった。

ヨルダンでは一向にブームのやってこないロックを盛り上げようと、
数人だけが舞台の傍で、ヘッドバッキングをしている。
音作りは高校の文化祭程度のレベルなのだけど、
ロックを待っていた人たちのその姿に、一周回って
切実な何かが感じられて妙に、印象に残っている。

美術作品については、正直、ほとんどピンとこなかった。
10年以上前、ヨルダンで暮らし始めてすぐ、大方の美術館は回った。
絵画にしろ、彫刻にしろ、いい、と思うものはそれほど多くなかった。
そして、何かしら惹かれるものがある作品を作った作家は
見事にヨルダン人ではなく、イラクかシリアかレバノンか、スーダン出身だった。

その感触と印象がずっと後を引いて、結局、
家の向かいの丘にはギャラリーがたくさんあったけれど、
そこまで頻繁に、作家をチェックしたりしなかった。

その代わり、博物館と遺跡めぐりだけは、とにかくよく行った。
形の良さや色の良さ、をただ楽しみたければ、
さまざまな歴史の入り混じる、層の厚い土地から出てくる
ものものの方が、よほど魅力的だった。


個人的な意見だけれども、造形作品の形や色の面白さや美しさのツボには
人それぞれ違いがありつつも、
多くの人が腹の底からいい、と感じられ色や形には共通の良さ、
みたいなものがあると思っている。

ぺろっとそんな崇高なものを作る、本当に、抜きん出た才能を持った人も時々いるけれど、
そんな際立った才能がない限り、ある程度、感覚と技術を磨く訓練が必要だ、と
才能のない私は常々、痛感している。

ヨルダンの作家の多くは、感覚と技術も磨いていないけれど、
形だけそれなり、なものも多くて
どう見たらいいのか分からず、困惑させられた。
そして、テーマ、発想や着眼点の似たような表現が乱立していた。
それらの多くは、ひどく剥き出しで、
気持ちやイデオロギーがとかく強めだった。

エネルギーに溢れているけれど、なんでも
押しつけがちな彼らの性格をよく、映し出している。
自分の表現では、あからさまなものを好まなかったのも、
あまり興味を抱ききれなかった理由なのかもしれない。

もっとも、才能のある人に比べたら、
さっぱり造形的には破綻の多いものを作っていたのは私も同じなので、
酷評する資格もないのだけれど。

ヨルダンでも一歩、ファインアートの世界から抜け出て
ポップアートや伝統工芸、伝統音楽に目を向ければ
才能に溢れた人や、抜きん出た技術を持った人はいた。


表現の面白さを楽しめるようになるには時間がかかった。
一度、全く関係のないフィールドで働いてみたからこそ、
美術視点のこだわりのようなものがなくなって、
より表現の一つとしての芸術、が面白く見え始めたのだと思う。



仕事柄、社会問題を扱う作品を見ることが多い。
問題意識をどのように表現するのか、が興味深い。
そして、その根底に流れる、その人の大切にしているもの、を
できる限り汲み取ろうとする。
その作業が、面白い。

先日見た作品は、ミャンマーの動乱でなくなった方々の顔写真を
ひたすら集めて、ひたすら真っ白な折り紙で折り続けたものだった。
人が亡くなったことを近所の人々に知らせるために
天蓋のようなものを飾る習慣があるらしく、
人々の折り紙のマスクが、その天蓋の中にかけられていた。




天蓋の下にはQRコードがある。
それをかざすと、一人一人が、どこでどのように亡くなったのかが
データで出てくるようになっていた。

100人を越える人々のマスクがいくつもの天蓋にかけられる。
はじめ、QRコードを立ったままかざしていたのだけれど、
うまく焦点が合わなかったりする。
だから、天蓋の前にしゃがみ、カメラをかざすことになる。
そして、一人一人のお墓参りをするような感覚に襲われた。

しゃがんだまま見上げる、たくさんの顔。




広く白い会場に、天蓋が続く。
QRコードが知らせるデータの集積は、凄惨さばかりを訴えてくるのに、
会場はひどく、静謐な空気に覆われていた。

折り紙を折るとは、地味な手作業だ。
その時間、ただひたすら、写真に残るその人の顔に似せようと
顔を凝視し続けたのだろう。
制作にあたる手作業の間、きっと、ひたすら
その人々の人生に、思いを馳せていただろう。
誰かが、自分の人生に一定時間、思いを馳せている。
それは、亡くなった方の鎮魂に、もしかしたらいくらか、
手助けをするのかもしれない。

ある意味、作品自体は分かりやすい表現だけれど、
見る側に促す動作から生まれる、祈りのような感覚が
会場の空気とひどく、合っていた。



ライブのような、サーカスへも行った。
仕立て屋のサーカス、という、本物のサーカスだった。

美味しいものや本、音楽や服を販売するブースの奥に
サーカスの会場がある。
思い思いの場所で、思い思いの食べ物を口にしながら
開演を待つ。

演者がホイッスルを言葉のように鳴らしながら
飴を配りつつ、会場に入ってくる。
飴をもらえて、嬉しい。
それだけで、相互にやりとりのある、サーカスの空気を
感じることができた。

天井から下がる無数の布の帯が
サーカスの間にどんどんと形を変えていく。
演者もまた、布を巻かれて会場に同化していく。




演奏する人は、一人だけだけれど、
さまざまな音が折り重なって、膨らんでいく。
まゆのように、包み込まれる感覚を
久々に体感した。

コンセプトは本を読んでやっと、理解できたところもある。
読んでみて、もっと、サーカスを経験したい、という
思いが強くなってくる。
何かと同化したい、という思いが、元々強いのかもしれない。

音だけではない視覚的な、思考的な刺激やナッヂを通じて、
場に居る人々に、同じような感覚を経験させる装置、という
表現の方法が、新鮮だった。


作品として鑑賞されるもの、として、存在しがちなファインアートは
だから表現できることがある一方で、
その在り方自体が、権威的だったりもする。
力を持ったベクトルに足る、作品の存在意義が
担保できるほどのものを作らなくてはならない。

たぶん、とても難しいことだ。
彫刻など、もともと場所を占領し、そこにあり続けるものだから、
そのハードルの高さに、今更ながら、呆然としたりする。



それでも、また何かを作りたい、という身体の底から
湧き上がってきたりする。
とても混沌とした、整理のつかないものものだ。

物理的な整理は苦手だけれど、
思考には道筋をつけたいから、
さっぱり形にも、ならない。

けれども、表現の場へ、物理的に身体を置くことのできる環境を
もっと享受したい、という欲求は
さまざまな作品を経験するにつれ、
どんどんと膨らんでいく。



2022/05/05

5月すぎる日に、ひどく似合うもの 似合わないもの

 
よく晴れた日本の5月なんて、やもすると
手の施しようがなくなるような、暗澹たる気持ちに
させられたりする。
緑が鮮やかすぎて、風が爽やかすぎて、
目に映るものや人が、素直にそれらを享受しすぎていて、
すっかり取り残された気持ちに、なる。




身体をぐっと、目一杯伸ばして、深呼吸をして空でも仰ぎ、
晴れやかな気持ちになれればいいのだけれど、
どこを見ても青と緑が眩しすぎて、目のやり場に困る。

なぜか、そんなあからさまにきらきら輝く5月には、
村上春樹の短編の断片を思い出す。
まだ初期の、若葉みたいに伸びやかな頃の作品たち。

本屋へ行って、短編などを手に取ってしまい、
なんとなく買って、カフェに入る。

後ろに座っている外国人が、ずっと仕事の話をしていた。
蝶々の発想は素敵だの、あのシナリオには修正が入るかもしれない、だの
たぶん、仕事相手だけれど大切な誰か、に話をしていて、
何度も言い淀んでは、言葉を選んでいた。
ネイティブの言葉を探す戸惑いと、吃音のように主語を繰り返す、
その掠れた音の繰り返しが、どうしても耳につく。
本を読もうとしても、どうしても、集中できない。

だから、道ゆく人々をぼうっと眺めながら、
あなたのこの写真の部分は素敵なんだけど、だの
話している声を聞く。

カートに2匹のチワワを入れて疾走するおばさんとか、
新緑といい勝負な素敵に輝くお腹を出して歩いている女の子とか、
飼い主の闊歩についていけずに引きずられていく小型犬とか、
見事なリーゼントの中年女性とか、
全身微妙に違う豹柄でアレンジした金髪の中年男性とか、
やたらとこちらを見つめてくるベビーカーに乗った1歳半ぐらいの男の子とか。

日本中の外車が集まっているんじゃないか、と思えてくるような
ピカピカの外車たちが通り過ぎて行き、その中には
漏れなくモノトーンな服をオシャレに着こなした人々が
不機嫌そうな表情で淡々と車を運転していた。

大体、常時読みかけの本を3冊ぐらい持っている。
さっきの本と、短編が2冊と、長編が1冊。

もともと持っていた1冊は、ルシア・ベルリンの
「掃除婦のための手引書」
前評判の良さと、翻訳家の選書の良さを信頼して手に取った本で、
評判と選書への信頼以上の、読み応えがある。

ちょうど読んでいた話は、幼少期の孤独な著者の過去について。

隣に住んでいるシリア人の少女ホープと仲良くなった。
(きっと、「アマル」=ホープという名前の子だったのだろう)
叔父さんのほか、家族の誰からも相手にされていない著者が
シリア人家族に、その家族の一員のように受け入れられる。
「その後の人生で、ホープほどの友だちは二度とできなかった。
たった一人の、本当の友だった。
わたしはだんだんとハダド家の子みたいになっていった。
もしもあの経験がなかったら、
たぶんわたしは今頃神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。
完全に壊れた人間になっていただろう。」

ホープと幼い著者が、遊びで盗みを働く。
著者の母親がその事実を知り、引っ叩き、盗人のワルガキと
娘を罵っている横で、ホープの母親は言う。
「でたらめを言うんじゃないよ、うちの子たちを悪く言ったら承知しないから!」
母親には、自分が悪くないと信じてほしいわけではなく、
悪いことをしてもなお、味方でいてほしかった、と気づく
真に切ない挿話だった。


まさに、この話のシリア人家族のように、ヨルダンで会ったアラブ人家族の多くが
子どものことを猫可愛がりしていた。
悪さをした報告を誰かから受けても、うちの子はそんなことなどしない、とか、
実際悪いことをしたり言ったりしたのを見ると、
子どもだからしょうがない、とか、よく言われた。
私の場合は、トマトや石を投げられたりしたという類の訴えだったけれど、
殊、アジア人の言うことなど、まともに取り合ってくれなかった。

トマトや石ではないけれど、子どもたちの悪さへの大人の対応については
似たような現象が日本の移民コミュニティでも見られるようで、
そのコミュニティにいる青年自身が、
親も大人も、善悪や礼儀を教えないのが、どれほど
彼らのコミュニティ自体にとって良くないのか、
切々と訴えていた。

自分たちを取り巻く八方塞がりの環境や社会のせいにするよりも前に、
受け入れてもらうための、自らの省察と改善への努力が必要なのに、と。
パレスティナ西岸のパレスティナ人もまた、状況は違えど
似たようなことを言っていたのを、思い出す。

私自身、その青年と同じように考え、だからこそ
教育分野で仕事をしてきた。
けれども、幼い著者の、「味方」をめぐる切実さにまで
思い及んではいなかった、としばらく、ぼんやりしてしまう。

アラブ人の多くの、あの圧倒的な自己肯定感の高さと
幸せへの感度の高さを、思い出す。



白人の男の子が、明らかにサイズの大きすぎる
自転車用のヘルメットをかぶって、目の前を横切っていく。
すらっと背の高い母親が男の子の後ろを見守りながら歩いていく。
小さすぎる茶色い犬が、秒速で足を動かしながら必死に、飼い主についていく。



味方になる、とは、どのような姿勢で接することなのか、
どんな言葉をかけるものなのか、そもそも、味方とは
何を意味することなのか、ずっと小さく、思い悩んでいる。

私は味方でいたかった。
けれど、おそらく、味方である、ということが態度や言葉ではうまく
伝わりきれなかった人のことを、思い出す。
子どもの発達段階の心理サポートにかかる文脈は、
大人へどうやって適用できるのだろう。

それは、まったく、こんな天気にそぐわない、
ひどく個人的で卑小な後悔の部類の話だ。



ルシア・ベルリンの短編では、子どもらしい、けれども
決定的に悲しいホープとの訣別が待っている。
絶対口をきかない、と約束した人と話をしてしまった著者を
ホープが見つけてしまったその日から、
シリア人家族は完全に、著者を無視した。

少女同士の関係は、そんな悲しい終焉を迎えるのに、それでもなお、
本当の友で、あの経験がなければもっとどうしようもない大人になっていた、と
著者は皮肉ではなく、切実にそう、思っている。

他者が、自分の手には入らない味方を持って生きている。
それでも、そんな味方のあり方が世の中にはある、という事実だけでも、
彼女のその後の人生の助けに、なっていたのかもしれない。

アル中から抜け出すまでに、地獄のような苦しみを味わった
彼女の短編にはなお、軽妙さと強さと、だからこそ、
言いようのない切実さがあって、とても魅力的だ。

味方について、ぼんやり考え、それから村上春樹を手に取る。

あしかが精神的御援助、という名の
あしか祭りのための金銭的サポートを求めて、
主人公の家を訪問していた。

5月には、やはり、村上春樹の初期の短編は
からりとすんなり、入ってくる。
少なくとも、私だけが取り残されている、という
暗い気持ちには、させない。

その代わりこの短編で、味方の意味など、
真剣に取り扱うことは、おそらくなくて、
だから、暗い気持ちにならないけれど、
絞り出すような切実さも、受け取れない。

あしか祭りを読めるということはつまり、
まだ私は、そこまで追い詰められていない、ということだ。

個々人の繊細さの種類と方向性に、まったく
この2つの短編で交差する部分がなくて、
なんだか、笑いが込み上げてくる。

マスクはこんな時、とても便利で、ありがたい。



2022/05/02

スーパーと、台所と、机の上の料理

 
夢にまで見た豚バラの薄切りも、ある程度
見慣れた商品になってきた。

鶏丸々1羽の値段の高さにうなったり、
野菜の美しさと値段の高さに、頭を抱えたり、
トマトの種類に呆れたりしている。

ほとんど、どこへ買い物へ行っても、
ビニール袋は有料なのに、頼んでもいない商品の包装は過剰で、
この事象にも頭を抱えている。
包装に用いられる材料の多さと、それらの意匠と
美しさと、果てしない無駄が、私を途方に暮れさせる。
だから、本当に申し訳ないけれど、多くの商品は
それらのパッケージをその場で捨てさせてもらったりする。

徒歩圏内に必要なものがほぼすべて揃っていたアンマンでは、
肉は肉屋へ行き、ラムやら鶏やらの塊からミンチやぶつ切りやらにしてもらう。
野菜は包装されていないから、必要な個数や束だけレジに持っていった。
お店の人とは顔見知りで、世間話をしたり
料理の仕方を教えてもらったりしながら買い物をする。
そんな日常を当たり前にやっていたけれど、日本に戻ってきたら
違う文化の場所なんだ、ときちんと身体にインプットされていて
結構うまい具合にすぐ、馴染んだつもりでいた。

コンビニの入店時にあっさらーむあれいこむと挨拶はしない、とか
支払いではぼやぼや小銭を探していてはいけない、とか
レジ台に買いたい商品を並べてはいけない、とか
バラ売りになっている商品の味をつまみ食いして確かめてはいけない、とか
比較的うまくルールは、守れている、と思う。
(日本ではパクチーとイタリンパセリの違いがわからなくて
つまんで食べたりしなくてもいい。
希少なそれらはきれいにラッピングされているから。)

お店の人がものすごい不機嫌で無愛想なわけでもないし、
尋ねたら、ちゃんと正確な情報を教えてくれるし、
ウロウロしていたら声をかけてくれたりする。
けれども、なんとなくどこへ行っても
相手の心の内を悪い方へ考えがちな私は、
困っていそうだから親切心で声をかけている、というよりも、
邪魔だからなんとかしなくては、と思われているんじゃないか、とか
尋ね方がおかしいなんて、思われたりしていないだろうか、とか
小さく、動揺する。

だから、いつも少しだけ
スーパーとか、忙しそうなお店の買い物に出かけると
緊張して、不安になる。

結果的に、あんなにたくさんの美味しそうな肉や野菜が並んでいるのに、
実のところ、心からは楽しめなかったりする。


それでも、わさわさと買い込んで、料理に勤しむ。

アラブ料理は実のところ、いつも遊びに行ったお宅でも手伝ってばかりで
アンマンにいた頃も、自分の家ではそれほど頻繁に作らなかった。
麦をご飯のように炊いたフリーケ、という料理と、
くり抜いたズッキーニやナスにひき肉を入れて揚げて
味の濃いヨーグルトで煮たマハシーぐらい。

人からいただくことが多くて、自分で作る必要があまりなかった、と
いただきものに甘んじていた自分を苦々しく思い返す。



料理は、ある程度の時間と労力を費やせば、
確実に成果品ができる、という素晴らしいツールだ。
何かを作り、完了することが日常生活の中でほとんどないから、
「出来上がる」というゴールは、なんだか本当に、達成感がある。

例えば、鳥の出汁を取っている間、
ぐつぐつ煮える鍋の中を見続けてしまったり、
揚げているナスの色に魅了されたり、
きゅうりのチクチクした手触りが気に入ったり、
おそらく、なんでも楽しめる人間なのだと思う。

料理をしている間、よく見知ったお母さんたちの手を思い出す。
まな板を使わずにきゅうりやらトマトやら
葉物やらをきれいに切り刻むお母さんたちの、万能な手。

向こうには、やたらと巨大な鍋がたくさんあった。
鍋の蓋を開けるたびに、ふわっと広がる湯気と香りが、懐かしい。

大方の家の台所は、日も当たらない暗い部屋で
乾燥した空気が、そこだけ少し湿っていて、
いろんな匂いが入り混じっていた。

とにかく、見事に整理された台所。
キャンプの狭い台所でも、全ての食器と鍋が
美しく並べられていた。





ヨルダンでは、女性が台所にいる時間が、とても長い。
どの料理も手間がかかって、絶対的に時間が必要だからだ。
一つの料理に、調理で行う工程のほぼすべて、
煮る、揚げる、炒める、が入っていたりする。
そして、サラダはやたらと細かく切る。

料理をしつつ、すぐ洗い物をこなし、手の届く場所にしまう。
スパイスや油も、勝手がいいように工夫されていた。
少し邪険にされながらも、足元で小さな子どもたちが遊び、
お母さんはいろんなところに目が行くから、
しっかり調理を進めながら、悪戯をしている子どもを叱る。
それなりに娘さんが大きくなれば、お母さんと一緒に調理を手伝い、
お母さんの手となり足となり、野菜切りから下の子の面倒まで
台所ですべてが、なされたりする。

台所は、お母さんたちの労力と熱意と愛情が詰まった場所だった。

台所など、日本ならそんなに気軽に入れる場所ではないけれど、
外国人の強み、ヨルダンでは、たくさんの台所を見せてもらった。
時々、荒れ果てた台所が見えてしまった家庭訪問のときには、
いろんなことを想像し、心配した。
でも、記憶に残っているのはほんの数件、
ほとんどの家庭は、いつも台所がピカピカで
どちらかといえば不精な私は、いつも心底、感心した。



そんなことを思い出しながら、炊き込みご飯が煮えるのを
仁王立ちして、見つめる。


出来上がったものを机に並べて、いただく。




味は、それなりに、再現率が高い。
けれども、向こうでいただいていたような、
心のフカフカするような美味しさは、どうしても感じられない。
そうやって、いつも、足りない何か、について考えて、
一口二口食べてから、ぼうっとしてしまう。

もう分かっている。
床に置いたいくつもの大きなお皿を囲む、
たくさんの人たちがいないのだ。



小さな子がサラダをつまみ食いしようとして、手を叩かれたり、
お皿に盛ろうとしてコップをひっくり返したり、
骨から肉をほぐしてくれようとして、慌てて断ったり、
弟妹のお皿にヨーグルトを乗せてあげたり、
何度も何度も、おいしい?とじっと見つめて聞いてきたり、
そんな、声や視線やちょっとした喧騒と、料理が、
常に一緒にあった。

あれがないと、美味しくないんだな、と
心底、途方に暮れる。

それでも、何度も作ってしまうのは、
とても矛盾して心散り散りだけれど、たぶん
あの雰囲気を思い出したいからなんだと、気づく。

困ったな、と、思いながらまた、
次は何を作ろうか、考える。