2019/03/09

彼らの暮らしと、話の断片 3月 2週目


金曜日にキャンプへ往くことになったのは、
3月に入ってから1週間分の給与を、
長らく働いてくれていたスタッフに、渡さなくてはならなかったからだった。

久しぶりに、雲ひとつない青空だった。

キャンプへ往く車の窓からは、うっすらとスウェイダの山並が見える。

休日のキャンプは、静止画のようだった。
いつもの通り歩いて向かう、ゲートへの道から見える
キャンプの遠景は、真っ青な空と、土漠と、白いキャラバンの波。

お祈りの時間だったからか、外にいるのは子どもたちばかりで、
装甲車の控えるキャンプの端っこで、
サッカーをしていた。

ただ、歩いていただけなのに、
あそこの家に往くんでしょ、場所知ってるよ、と
見知らぬ子どもが、声をかけてきて、家まで案内してくれた。

明日帰還するスタッフに、会いに往く。


1件目:ザアタリキャンプ シャーリア・ヤンスーン


家の扉を叩いてくれたのは、近所の子だった。
入ってすぐの、見慣れたコンクリートの小さな庭には、
うず高く、荷物が積まれていた。
明日の早朝出るので、荷物は一旦、
キャンプの外の倉庫に保管しなくてはならない。
家族は車を待っていた。

家に入ると、知らない子どもたちが幾人も居る。
近所の子どもたちが遊びに来ていて、
その代わり、家の子どもたちが見当たらない。

一通り挨拶をして、預かったお土産や、プレゼントを渡す。
元の同僚から預かったピアスのセットに喜び、
私が家から持ってきた、アラビア語のムーミン谷の本を、熱心に見ていた。
オバケの一家の話など、全くこちらの文化には合わないけれど、
作文の先生でもあった彼女には、
夢の詰まったものを何か、あげたかった。



ほどなく、車がやってくる。
キャンプの中でも、ゲートに近く、
家の密集した地区だけれど、そんな細い土むき出しの道にも
ピックアックトラックは入ってきた。

家族の親族の男手が勢ぞろいして、
荷台に荷物を載せて往く。

長男も買い物から帰ってきて、手伝う。
次男はチビなのに、うろうろしていて、叱られる。


UNHCRのロゴが入った、見たこともないほど大きなバッグが数個、
やはり大きな農業用の袋も数個、
そして、小ぶりなバッグたち。

洗濯機も、ガスストーブも、扇風機も持って往く。
こんなものも持って往くの?と
すでに巨大な袋で置く場所も見当たらない荷台を見上げる。

入国時に税金を払わなくてはならないけれど、
それでも、向こうで買うよりは、安いし
必要には違いないから、という答えが返ってくる。

まだ4歳の、やんちゃな次男のために、
おもちゃの車も乗せる。
旦那の自転車も、持って往く。

いつも通してもらっていた部屋のアラビーマットも、
最後まで余っていた、ロゴ付きの袋に入れられると、
部屋には何も、残っていなかった。

早速掃除を始めるスタッフ。
そして、近所からお客人用にと、アラビーマットが貸し出される。


キャンプの暮らしが最後の日、
たくさんのお客がやってきていた。
近所の人、キャンプの外に住む親戚、
元の同僚、旦那の知り合い。

女たちは部屋の中のアラビーマットに座り、
口々にお別れの挨拶をする。
ほとんどの女たちは、小さな、大きな子どもを連れてきていて
会話の途中で少し、赤ちゃんがむずがると、
授乳をしつつ、上の子を叱りつつ、
大人同士の話を続ける。

とにかく、向こうでの暮らしがいいものでありますように、と
型通りの挨拶をしつつ、でも、
今帰るなんて、驚いているのよ、と
久しぶりに会った、シリア人の元同僚は云う。
その言葉に、スタッフは涙ぐむ。


お客の中には、シリアでも同じアパートメントに住んでいた、という
女性も子どもを連れてきていた。
来週の今日、やはりシリアへ、戻るという。
シリアでもキャンプでも、ずっと一緒だったから、
帰る時も一緒なの、と家人は云う。



家具も食材も、何もなくなったのに、昼食を一緒に食べよう、と云う。
出してもらったのは、お土産にもいただくことになる、
マグドゥースだった。





あの小さな庭の、さらに奥で、
以前は鶏を数羽、飼っていた。
庭の土の上で、マグドゥースのナスの
水切りをしていたのを、思い出す。

今日もいつも通り、マグドゥースは美味しかった。

おばさんに当たる人が、自宅でお茶を沸かして、持ってきてくれる。

円陣を組んで、様々な話をしていた。



スタッフがキッチンへと席を立ったとき、
一緒に円陣から、抜ける。

預かった日本からの手紙の中に、お金を入れておいたのを、
伝えなくてはならなかった。

旅立つと聞いてから、周囲の人たちは、
帰還の先に待つ暮らしのことを心配しているスタッフのために、
必要なものを見繕ってすでに、あげていた。
子どもたちが、シリアに戻ったら通う学校のための、
文房具や通学用のバッグ、それから、
具合が悪くなった時のための、子どもたちの薬。

一通り揃った段階で、他に何が要るんだろう、と
同僚に尋ねたら、やはり、お金だろうと、返事が返ってくる。

仕事がすぐ見つかる可能性は、低い。
紛争中も、シリアに住み続けていた親族は、
仕事がなくて、貯蓄も十分にない。
まだ、インフラの整備は地域差がある状況でも、
帰ってきてほしいと、親族がお願いしてくるのには、
そんな理由もあった。

切り詰めれば、数ヶ月を暮らすお金はあるだろう。
でも、今あるお金は、親族にもきっと、分配されてしまう。

私と同僚は、スタッフに自分のお金を、持っていて欲しかった。
いつも、家族のことばかり考え、
好きなおしゃれもできない環境で、
我慢の6年間だったのに、
ここからの暮らしは、もしかしたら、しばらくはもっと、
苦しいかもしれない。


こちらのお札には、何かの殴り書きが、時々されている。
書かれていても価値が落ちないのであれば、と
お札に直接、メッセージを書く。

自分のために、このお金は使ってください。

薄暗くて水浸しのキッチンで、
書いた言葉をそのまま、もう一度彼女に伝える。
わっと、彼女の目から、涙が溢れだす。
お金の心配が、やはり一番、辛いのだろう。


中東の女性たちを、男性の目線で国別に比較したのを、聞いたことがある。

イラク女性は料理上手だから、体格が良くなる。
レバノン女性は美人だから、他人に自慢できる。
エジプト女性は体が丈夫だから、子どもがたくさん産める。
シリア女性は堅実だから、家計がしっかり回る。

この話は、ヨルダン人男性の口から出た挿話で、
ヨルダン女性はお金が好きだから、ブランド品をねだってくる、
と云うオチだったのだけれど
シリア女性は、家をしっかり守れるから、
家庭を持つには一番いいのだ、と
陸続きの国々の間で人が行き来する中東で、
ずっといい伝えられてきた、と話していた。

確かに彼女は、シリア女性の鏡のような、人物だ。

円陣に戻った彼女は、
マグドゥースとスライストマトを食べながら、
来たお客には明るく楽しそうに話をしていた。
人が来てはヒジャーブを巻き直し、玄関で出迎え、
お客人同士を紹介し、お菓子を勧め、
支払いが必要ならば財布を取り、外で次男が泣けば駆けつけ、
一番下の子の口の周りを食べこぼしを拭き、
ティッシュで床を拭きながら、話を続ける。




学校で仕事をしている時も変わらず、
我慢をおくびにも出さずに、頑固だけれど堅実に、
できることとしたいことを、形にしていって、
絶え間なく動き、働き、話し、笑っていた。

何か大事な相談事があると、緊張して顔がこわばった。
表情が豊かで分かりやすかった。
でも、ここ最近は、ふと、一点を見つめて
思いつめていることも、多かった。
帰りたくない、と、本音を漏らしていたのは、
つい数週間ほど前で、そこからあっという間に、
今日という日を、迎えてしまった。



もう、キャンプをでなくてはならない時間になったので、
散歩がてら、門までの道を歩く。
見送りに、夫婦と子どもたちのうち、おチビも二人、やってくる。

青くて澄んだ空気が、遮るもののないキャンプの上に、広がる。
夕方前の、一番暖かい時間帯、
大人も子どもも、キャンプの外の空き地で
この春らしい空気を、楽しんでいた。


キャンプの暮らしはどうだった?と歩きながら、訊く。

来た当初は、家もテント、水も十分になくて、
本当に大変だったけど、
今はこうして、たくさんの人がお別れを言いに来てくれる。
周りの人たちに、助けられた。

彼女は明るくはきはきとした、いつも通りの彼女に戻っていて、
私の方が、最後までめそめそしていた。

家の電話番号と住所を書いた紙を、もらう。
可愛らしい袋に、大事に入れて、準備してくれていた。

ダラーのバスターミナルから、あの地区行きのバスが出てるから、
バスに乗ったら電話をちょうだい。
橋の先あたりで待ってるから。
アンマンから地方都市に往く時のように、
彼女の説明は、何気ない。


わかった、必ず往くから、と、答える。


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