ヨルダンでは、新年おめでとうを
年に4回は、口にすることになる。
西暦の他に、イードやらイスラム新年やらが、あるからだ。
今年は、国外で迎える10回目の正月だった。
でも、仕事と仕事の合間の、
普段とあまり変わりのない、休日の一つでしかない。
ただ、この日が休日であることが、ありがたかった。
どうしても、この日にしておきたいことがあった。
年末に、生徒の一人が、シリアに戻る、と知る。
教室で一番前の、真ん中の席にいつも座っていて、
何か発表をする場面になると、手をあげる。
そして、当てられると、でも少しためらいながら、
歌を歌ったり、詩を読んだり、する。
どこかで、何かがわだかまっていて、
それを、小さな身体のどこかにいつも、抱えているように、
どうしても私の目には、見えた。
そうなるのには、私の知っている、そして、私の知らない、
たくさんの理由が、たぶん、ある。
31日に、テストが終わった後、こちらにやってくる。
小さな声で、ちょっと話したいことがあるのだけど、と、云う。
気が強い子だから、周りに居る友達に、
あっちいって、などと、云いながら、
誰もいなくなるのを、待っていた。
あのね、シリアに戻ることになったの。
少なからず動揺したのは、ただ単純に
今までよく知っている子の中で、戻ることを知らせに来てくれたのは、
彼女が初めてだったからだった。
あなたがうれしいのであれば、私もうれしい。
誰かが帰るときに、うちの先生が必ずかける、言葉だ。
本当に私がそう思っているのか、
云いながら、正直わからなかった。
どこかに、不安と諦めを含む、でも
精一杯の、言葉だ。
それでも口にした言葉を反芻しているうちに本当に、
そう思えてくるのだから、
そう思えてくるのだから、
言葉というものには、独りでに生きながらえる、
魂でも、あるのだろう。
よく、写真を撮らせてくれる、視線が強い子。
たくさん勝手に写真を撮ったのに、
こちらから写真をあげることは、一度もなかった。
紙焼きできる場所も、休日の正月では、ない。
だから、久しぶりに、その子の顔を、描いてみることにした。
絵は下手だ。
描けと云われれば描くけれど、
まったく、自分の何かしらをよくよく、思い知らされることになる。
線が決められなくて、形が決められなくて、
ぼやぼやする。
結局はためらいながら、何かを確信を持って、
決定することのできない自分自身を、
嫌というほど、実感させられる作業でしか、ない。
頭のどこかで、そんなどうにもできないことを
客観的に、認識する。
でも、一方で、
その子の一番その子らしい顔の写真を
パソコンの画面に載せながら、
小さな口元の、線になったえくぼや、
きゅっとしまった顎や
持ち上げられた線の独特な眉毛や
短いけれどかわいらしい睫毛や
浅い茶と灰の混じった、瞳を
把握する。
それら一つ一つが、
その子の今まで成長してきた証として
彼女の顔を、構成する。
できる限り、誠実に描き映さなくてはと、思う。
それから、その子のことのいろいろを思い出す。
彼女のキャンプでの毎日がどんな日々だったのか、
シリアでの日々はどうだったのか、
その目で何を見てきたのか、
そして、これから何を見るのか、
どんな日々が待っているのか、
どんな学校に行くのか、どんな本を読むのか、
どんな女性に成長するのか、
想像しようとした。
結局うまく何かを、確信を持って描くことも、想像することも
できなかった。
でも、描きながらただただ、
この子が、負けん気とためらいと頑固さと、
たくさんののびのびとした、この子らしさを携えて
大きくなってほしい、と
心底、思った。
古代文明で、美術史に残る造形が生み出された根底に
何があったのか。
中学の美術史の授業で、先生が云っていたことを、思い出す。
美術は祈りだ。
印象深い言葉だったから、覚えてはいたけれど
今まで、それなりに何かを作ってきて、
そう実感できる瞬間は、ほとんどなかった。
描くという行為が、ある状況によっては、
祈るという行為でもある、ということを、体感する。
残念ながら、こちらの子たちはあまり、ものを大事にしない。
それから、絵をあげることも、結局のところ、
私の勝手な思いでしかないから、
あの絵をどうしようと、あの子の自由だ。
けれども、できることならばあの絵は、
シリアに行ってくれたらと、思う。
2 件のコメント:
どうか、どうか彼女がえがおで過ごせます様に。
絵がもつ力と希望を感じました。いつも素敵な投稿をありがとうございます。
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