いつの間にか、アンマン城がみどりに覆われて
日本ならば、桜の咲く時期のような
薄墨が夕方の空に漂う、
空気にほんの少しの湿気が残る日暮れがやってくる。
ベランダから、デッサンでもしたくなるような
質量の十分なまるい雲がいくつも、浮かぶ。
アルバムはノリがよすぎて買わなかったLaura Mvulaの
しっとりとした音源を見つける。
春の始めに、よく似合う。
先日ついに、パスポートを書き換えなくてはならなくなって、
大使館の待合室でぼんやりと、NHK worldを見ていたら
桜前線の日本地図が出てきた。
桜前線の地図なんて、何年ぶりに見たのだろう。
桜の季節になると思い出す話が、この本の中にあった。
市ヶ谷の桜並木を、数十年ぶりに再会した
昔のルームメートと歩くシーンが話の最後に、ある。
カティア・ミュラーという女性の人生についての短編だ。
中学校教師だった彼女が、40に手の届く歳になって
自分の人生を考え直すために、フランスへやってくる。
その後、彼女はミッション系のグループに入り
フィリピンで奉仕活動をしつづける。
ヨーロッパに縁のない私は
フランスとイタリアの他は、往ったことがない。
でも、ヨーロッパと云う国々の何たるかを、
私はただひたすら、彼女の本から学んだ。
どちらかというと、イタリアでの生活に関する話よりも、
フランス、イタリアに住み、その後もイタリア文学と
イタリアにおける日本文学の普及に携わった須賀敦子の
人や文化への見方や描き方に憧れていた。
その根底にはやはり、人に対しても、文化に対しても、
信仰し、ずっとそのあり方を思索し続けたキリスト教に対しても、
また、当然文学に対しても、深い造詣があり、
それらが、彼女の文章に奥行きを造り出す。
国は違えど、私ももう、長くこの国にいる。
言語にも文化にも、いくらも慣れないまま
徒に時間が過ぎていくのを、仕事のせいにしている。
だから、ここ最近は、この本を手に取るのが、どこか怖かった。
まだ日本に居るころには、本当にいつも、彼女の本を持ち歩いていた。
あの頃、もっと世界の広がりを体感できる精神を持っている、と
なぜあんなに自分を過信していたのだろう。
桜にまつわる話はたくさんあるけれど
つい最近の訃報で、また、思い出したものがあった。
なぁ、かかしゃん、しゃくらのはなのいつくしさよ
この一片だけを、何度も口にしていた時期があった。
だからなのか、大使館からの帰りのタクシーの中で、
知らぬ間に口に出して、云っていた。
合っているのかどうかも分からない。
それは読んだのではなく、耳にしたはずだった。
美術の先生の性急ででも、朴訥とした音読。
その人もまた熊本の出身だったから、
授業の中で、取り上げられていた。
水俣病で麻痺した身体のまま
はらはら舞い散る桜の木がある庭に面した縁側に座って、
少女が口にした言葉だったような、気がする。
もう、その少女の目は見えなくなっていたのに
記憶の中の桜を思い描いて、そう口にする。
病に冒された人々の様子を、
時として美しいほどに丁寧に記録した
作品の中にあったはずだ。
次に日本に帰ったら、苦海浄土をもう一度、手に入れたい。
おそらく、石牟礼道子の視点には
須賀敦子に通じるものがあって、
それは、たぶん今、必要なものだ。
きっと、今年は桜を見ることができるだろう。
その代わりに、ブラックアイリスは、見られない。
お祭り騒ぎのようなヨルダンの春も好きだ。
ただ、そろそろ久しぶりにひとときでも、
桜を愛でてもいい頃合いなのかもしれない。
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