2016/12/26

隣の国


旅は苦手だ。

ホテルやら飛行機やら、街の地図やら乗り物やら
そういうものものを事前に調べているだけで
具合が悪くなる。

だから、海外に居るのに
だいたいは自分の住んでいる街に居座って
どこかへ往こうとは思わない。

ただ、どうしても往ってみたい国もあった。
ヨルダンに居るのだから、
初めてアラブで仕事をした人たちがパレスティナ人だったから
絶対に、隣の国は見ておかなくては、と。
半ば使命感のようなものだった。



隣の国に入るのに、こんなに壮大な時間がかかるなど、
話には聞いていたけれど、聞くのと見るのでは、大違いだった。

ちょうどクリスマスで巡礼に往く人たちでごった返したイミグレで
パスポートを一度取られてしまう。
バスの中で待っていれば戻ってくるのだけれど
それは、とてつもなく不安なことだった。


水もない橋を渡って国境を越える。
ヨルダンを出る検問で止まったまま動かないバスの中で
曇った空を飛ぶ、きれいなV字の渡り鳥を見た。
見事な編隊を組んで、南へ飛んでいった。

国境はもともと川だった地形からか、
砂と乾いた土が不規則な小山を作っている。
本来ならば水があって豊かだったであろう土地が
不自然に誰もいない。

イスラエル側に入ると、また人がとぐろを巻いて列となって
イミグレで立ち往生する。
大量の人が溜まった列を目の前に
冷酷なまでに冷静な係の女性が
少しだけ笑顔を見せてくれるだけで
こちらもうれしくなってしまったり、した。

国境を越えるだけにちょうど、4時間半かかった。
たった、1キロぐらいの地域を進むだけに。

エルサレムに続く道の先には
ちょうどマダバの高台から望遠鏡で見た高層アパートメントが見えた。

エルサレムの旧市街は
以前往った、レバノンのスールの
海岸脇のキャンプに似ていた。
たくさんの兵士がいたけれど、
たくさんのお土産物屋が軒を連ねるスークの中を歩くのは楽しかった。

嘆きの壁の脇の階段からすぐそこにコッズがあるのに気づいて、はっとする。
たくさんの信条が、そこには混沌としていることは
高いところに往かなければ、分からない。

金曜日に着いたエルサレムは、夕方から店がすっかり閉店してしまって
レストランに入るにも、選択肢がほとんどなくなっていた。
それでも、入ったパブで久しぶりに飲んだギネスはおいしかった。



ベツレヘムにも往った。
観光客とアラブ人が混じったバスの中で
アラビア語が聞けるだけで、心底ほっとする。


ベツレヘムにはヒジャーブを被った人たちもたくさん居る。
クリスマスイブに人で溢れ返った教会への道は
よく見たことのある商品の売られた店が続いていて
国は違うけれど、趣向は同じなんだと、改めて気づかされた。

でも、野菜はみんな、ヨルダンよりも立派で大きかった。
見事なカリフラワーとホースラディッシュを凝視してしまう。

結局生誕教会の中も見られなかったけれど
すぐ脇の聖母をまつる教会で
エチオピアから来た巡礼客が
彼ら独特の和音で唱う賛美歌を聴くことができた。
その奥では白人のグループが、輪になって何かを真剣に話し合っていた。


ベツレヘムからエルサレムに帰ろうと、
行きと同じバスの運転手に確認する。
エルサレムに帰りたいのだけど、とアラビア語で聞くと
エルサレムではなくて、コッズでしょ、と云われる。
いや、エルサレムに、、、、と云いかけて
彼らの云う意味を理解する。
そうでした、コッズに戻りたいんです、と云い直す。
運転手と運転席のすぐ後ろに座っていた老人が
そうだろう、と満足そうに笑った。




もう一度、旧市街の高台に上がって旧市街を見下ろす。
旧市街の中にある、それぞれの宗教で分けられた街の地図を思い出しながら
共存する、ということの混沌と難しさと、美しさを見る。



夜からにぎわいの戻った西エルサレムの繁華街は
夜半まで人々の声が途切れなかった。
赤いダビデの星をプリントした若者たちとすれ違う。
急に、きゅっと身体が緊張するのを感じた。

 


ヨルダンに戻る。
エルサレムから海抜0地点を越えるくねった道の両側には
ヨルダンと同じ、いくつもの丘が連なる見慣れた景色だった。
久しぶりにこの景色を見た。

わずかな緑が表面を覆う丘の景色が好きだ。
隣の国でも、同じようにもっと寒い季節がやってくるのに
どうしたって、雨が降るとすぐに生えてきてしまう
淡い緑と薄茶色の地肌の混じる、羊か山羊しかいない景色。


行きよりはスムーズに国境を越えて
ヨルダンバレーで肌に感じた湿気の混じる少しだけ温かい風に
やはり、心の底から安心した。


隣の国は、遠かった。


追記:
赤いダビデの星は、Margen David Adomという赤十字のイスラエル版にあたる
救護団体と、教えていただいた。
暗闇にたくさんの若者がさわぎながら歩いていたからかもしれないけれど
確かに私は身構えた。
その反応の中にはたくさんの先入観と偏見があったことは
できる限りフェアな立場で居ようと思いつつ、
既にそれこそ、私の会ったパレスティナキャンプの子どもたちのように
いろいろなものを知らず、検証せずに頭から信じてしまっていたことも、また

自省として、教えていただいたことになる。


2016/12/03

この世の業と、虹



一昨日、今年初めての、本格的な雨が降る。
屋上階の窓の外では、グレースケールのような様々な灰色が
どんどんと南東に流れていった。

雨には滅法弱い街だから、こんな時には猫のようにじっとしているのがいい。


先週、体調不良で仕事を休んでいた。


一人暮らしでは食事も大変だろうと
ナショナルスタッフからしっかり重いアラブ料理をいただいた。
それから、花束なんてものも、いただいてしまった。

温かくした部屋の中に、いただいた花の青い香りがする。
この匂いを嗅ぐのは、久しぶりだった。


夕方から降り出した雨は、繁華街の街灯を映し出して

緑や紫、赤や黄に滲んでいる。
そのまあるく染まった、濡れた道路や細かな雨を見ながら
ちょうどこんな形をしていたのでは、と思い当たるものがあった。




仕事をできるほどの集中力もなく

ただ痛みに耐えながら
横になっている間、ぼんやりといろいろなことを考えていた。

国が変われば、

誰かからの呪いであったり、どこかから拾ってきた思いであったり
ありとあらゆる病気という災いに理由が付与される。

他人からの恨みや妬みや呪いが強ければ強いほど

治る見込みがなくなってくるわけだ。

今のところ順調に回復中で

自分の不養生が原因なのだけれど
もしこの痛みに理由があるのならば、何だったのだろうかと
身の回りのあれやこれを思い出してみた。

私情には問題はないはずだが、

仕事にはいろいろ、ないわけではない。
基本仕事はアラブ人が相手だから
恨みつらみも深そうだ。

もっとも、アラブには黒魔術的なものはないので、

実際にのろわれたわけではなさそうだけれど
自分の下してきた判断や言動を思い返し
また、周りのスタッフたちの病気やけがを思い出し
どこまで分かって、どこまで理解していたのだろうか、と
自分の配慮や思いやりの深さを測ったりした。


結果、様々、反省することとなる。



そういういろいろを、頭の中でぼうっと思っていると

この世のさまざまな感情や気持ちが、
強いて云うならば、業、という言葉のようなものになって
わたしの周りに存在しているように思えてきた。
近い人も、遠い人も、ただのご近所さんも、
見たことがあるだけでも、つながっているだけでも、思っているだけでも
存在を知る限り、
その人たちの大小さまざまな、でも強い何かが
丸い魂みたいになって、
いただいたものや、つながりのあるものや、
連想するものや、ただただ記憶するものから、
ぼわぼわと出てきているような思いに捕われる。

それがちょうど、雨の中の色とりどりの光のようなイメージだった。




本当ならば、憾みも邪悪な思いも

手のひらに乗せたならば、よく見つめて
思いを汲まなくてはならない。

たぶん、忙しいからと

そういう思いの丸い塊を避けながら
暮らしていたのだろう。

横になっている間は、ぼうっとしていたから

今まで避けてきたものものが
ここぞとばかりにやってきたようだ。
覚悟を決めて、よく、それらの塊を見つめ続けた。

もっとも、他人の業ばかりではなく、しっかり自分の業もある。

前向きなものもあれば、恐ろしく後ろ向きなものもあり、
こればかりは本当にたちが悪い。
何とか捨て去る方法はないかと、あれやこれや、手を考えたりした。

結局自分の業はどうにもならず、まだ残る痛みと一緒に

ふてぶてしくそこらへんに居すわった。
仕方がないので、一つ一つ、
分解したり、まとめてみたり、分類してみたり、鼻で笑ってみたり、した。


雨と一緒に流されて
朝になったらきれいさっぱり、なくなってくれないものだろうかと
ほの暗い繁華街の道を見下ろしながら、思った。








翌朝、雨と風の音で、目が覚める。
雲がすごい勢いで流れていくのを
ちょっとした天体ショーのように、眺めていた。






それから、もしかしてと思い、ベランダに出て
随分はっきりした虹を見つける。
長い間、くっきりとした色相が
薄く二重なって見事な半円を描いていた。

金曜の朝、きっとまだ誰も
こんな立派な虹に気づいていないだろう、と
したり顔で写真を撮っていた。

結局、半日以上、虹は位置を変え、濃さを変え、
家の窓からずっと見えていた。
本当に見事な、虹だった。

つらい一週間の末やってきた、休日の朝の贈り物ではなく、
誰もが鑑賞できる、気前のいい虹だった。

独り占めしようなど、というのが業というものなのだろうと、
アンマン城にかかる虹を見ながら、思った。
当然、次から次へと湧いてくる自分の業は
雨に流されることなんて、なかった。



早朝だったら、絶対にかかることのない位置に光る虹をみながら
自分の、この種の業なんてものは、場合によっては
こうやって凌駕するものに、
見事に、さわやかに、一蹴されるものなのだと、見せつけられる。

それならばそれで、悪くない。