音数が少ない楽曲の、
指を鍵盤に下ろす時に込められるもの、
曲を構成する音の一つ一つに意味と意志を持ち
語られるものが
静謐な空気の中に充満していた。
そのアンコール曲を聴き終え、会場をあとにしながら
わたしはこういう音楽をずっと、聴きたかった、
そう、思い至り、ひどく合点がいった。
ここ2ヶ月ほど、ずっとニュースにしがみついている。
それはどこか脅迫観念のようで、ただ追っているだけなのに
ひどく疲弊していく自分を感じ続けている。
10月7日には、ヨルダンにいた。
そこから1ヶ月弱はヨルダンにいて、
体調が芳しくなかったり、ニュースに翻弄されたり、
ガザの知り合いからのメッセージに動揺したり、
忙しない日々が続いていた。
パレスティナ難民キャンプで教員として働いていたこともあり、
パレスティナの歴史をそれなりに深く知り、
パレスティナオリジンの同僚や知り合いを持ち、
人々の個々の顔を思い浮かべることのできる立場として、
当然、視点はパレスティナに寄る傾向がある。
けれども、ひどく個人的な、でもわたしにとってはひどく深刻にもなりうる
戸惑いをずっと、抱え続けていた。
実のところ、10月の1週目には、西岸とイスラエルへの
旅行の日程を考えていた。
10月はクラシックのコンサートシーズン、
イスラエルフィルのサイトでコンサートの日程表を吟味しながら、
どの週末に狙いを定めて移動しようか思案していた。
そんな、どちらかと言ったら他愛のないような思案が、
2週目には一転する。
そこから、自分のApple Musicの中のユダヤ人の音楽家たちを眺め、
途方に暮れることになる。
ニュースで入ってくる、極右の政治家たちが
目を疑うような発言をしているのを読みながら、
もしも、わたしが愛聴している音楽家たちが同じような思想を持っていたら
その音楽はわたしにとって、受け入れられないものになってしまう、のだろうか、と
漠然とした、けれども、ひどく切実な不安を抱えることになってしまった。
主義主張として、買わない、聴かない、ということは
あり得ないこともない。
けれども、美しく素晴らしく聴こえたものが、
思想によって、美しくなくなる、なんてことがあるのだろうか。
漠然としたままにしておくために、できるだけ
音楽家の情報には触れず、ただただ、彼らが相手側のことにも
思いがいくらかでも馳せられる人々であることを、願うのみだ。
意図的な情報操作の結果かもしれないけれど、
今のところ、どちらかに寄ることはあっても、
殲滅を謳ったり、攻撃を正当化する発言を目にすることはない。
音楽は、わたしにとって暮らしていくために必要不可欠なものだ。
気に入ってさえいれば、邦楽であろうと、ロックであろうと、ジャズであろうと
その時々に、どんな生きている人々よりも確実に、
自分に寄り添い(この単語を人に使うことはない)
時に鼓舞し、時に慰め、時に暗冥から救い、時に新たな視点を提示し、
劇的に、密やかに、感銘を与え、
この音楽を享受できるのであれば、もうしばらく
暮らしていくことに喜びを見出せるだろう、と
思わせてくれる。
本来ならば、いくらかでも前向きに、音楽を享受していたい。
ガザの空爆が続き、人質が囚われ続け、
評論家や学者たちが無傷のまま状況を分析、解説し続ける様子を
抗うこともできないまま見続けている間、
自分を含む人間という生き物の恐ろしさとむごさと強欲さに
すっかり打ちひしがれる。
それでもなお、美しいものをどうしても携えていたい、と
逃げているのか、救いを求めているのか、とにかく
アルジャジーラやBBCのニュースをかけていない間は、
浴びるように音楽を聴き続けていた。
ちょうど、ひどく邪悪なものを清らかな水で洗い流そうとするように。
出張から日本に戻ってきて、心いっぱい音楽を楽しむはずだった。
現実逃避だという自覚はあっても、
とにかく人が創り出すものの美しさを、身体いっぱい浴びたかった。
大好きな演奏家のチケットを手に入れ、
期待に胸を躍らせて聴きにいく、けれども、
その音楽が美しければ美しいほど、なにか
享受することに後ろめたさのようなものを、感じる。
そして、今起きていることのあまりの残忍さと傲慢さがゆえの
わたしを含む人間への、拭えずに溜まり続ける不信感が生み出す
矛盾と向き合わなくてはならなくなった。
まさか、本物の演奏を聴いて、
こんな思いをしなくてはならないなどと思ってもみなかった。
ひどくおかしな話かもしれないけれど、
わたしは随分と自分の身に起きたこの事象で、落ち込んだ。
音楽を楽しめなくなる、など、わたしにとっては大袈裟でもなく
大真面目に絶望でしかない、という事案にだってなりうる。
そんな中、気になる若手の演奏家のリサイタルがあった。
イスラエル国籍のアラブ人、ヴァイオリニストの
ヤーメン・サアディの演奏会だった。
イスラエルには、もともとその土地に住み、
イスラエル建国後もイスラエルとなった土地に住むアラブ人がいる。
アラブ人は人口の20%ほどを占める。
ヤーメンは、パレスティナ人でアメリカに渡り、
文学評論家となったエドワード・サイードと
指揮者でピアニストでもあるユダヤ人、ダニエル・バレンボエムが創設した
ウェスト=イースト・ディワーン管弦楽団の出身だ。
イスラエル、パレスティナ、レバノンをはじめとするアラブ諸国の
若手演奏家で構成されたオーケストラで、
イスラエルと対立構造にある国からの若者たちが、
「共存への架け橋」としての音楽を奏でる。
ヤーメンは現在、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスター候補として
世界最高峰のオーケストラで演奏している。
自国がこのような状況の中、一体どんな心情を抱え
世界公演に回っているのだろう。
ネットの映像などを見る限り、音楽を演奏できるのが嬉しくて仕方がない
とても朗らかな印象のある青年のようだった。
リサイタルは、プーランク、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスの
ヴァイオリンソナタだった。
シュトラウスが特に、演奏の伸びやかさが、
一番よく感じられる演奏だった。
もちろん技術は素晴らしいけれど正直、まだ音そのものに、
楽器の持つ硬さ、のようなものを感じることもあった。
それも、演奏が進むごとにほぐれていく。
アンコールを2曲、演奏する。
2曲目の演奏前に、ヤーメン本人が少し英語で話をする。
観客に対する謝辞の後、この曲は、今の自国に捧げます、と話す。
ラヴェル「5つのギリシャの民謡」の2曲目、歌曲の旋律を
ヴァイオリンで演奏したものだった。
中東の音づくりに限りなく近い楽曲を選んだのだろう、
基音の一つ手前に、西洋音階では調から外れた音が入る。
1/4フラットを思い起こさせる、どこかわたしにとっては
懐かしい旋律だった。
弓をしごき、掠るように音を絞り出し、音を奏でる。
たった、1分ほどの、曲だった。
最後の最後に、彼の心のうちの片鱗を見せたような気がした。
だから、どのメインの楽曲よりも、この最後の
大切に思いを込めて演奏された曲が、一番に印象に残る。
この曲がギリシャ民謡とあるように、中東とその周辺の国々で
伝統的な音楽の中で共有されている、音階や節回しは多い。
だから、宗教に関係なく、その地域に住んでいる人たちにとって
親しみのある旋律だっただろう。
どんな人なのだろうか、気にかかり、サイン会に並んでみる。
前に並ぶ人々とのやりとりを見ながら、
自分の知っているアラブ人に、どこか似た部分を見出していた。
とても情緒が安定していて、基本に明るさがある、
けれど、深く心の内にあるものは、口にすることのない人。
自分の番が回ってきて、相手の顔を見た時、反射的に
アラビア語が出てきてしまう。
英語を普通に話す人なのに、アラブ人だと思うと、
アラビア語しか出てこないのは、習慣なのだろう。
自国が大変な状況で、、、、と言葉を濁らせてしまうと、
次に来る時にはきっとよくなっていますよ、とアラビア語で
言葉を継いでくれた。
帰路に着く中、アラビア語しか出てこなかった自分を呪っていた。
そもそも、ディワーン管弦楽団は人種や国境や宗教の垣根を越えることを
目的としていたし、今この状況の中、
彼の立場はひどく複雑なはずだった。
アラビア語を話す周辺国のアラブ人たちは、この状況で完全に
イスラエルと対抗する姿勢を見せる中、イスラエルに住むアラブ人の多くは、
イスラエルに国籍を持つものとして、日常生活にも
困難を強いられていることは、知っていた。
もしかしたら、アラビア語を話すこと自体が、
日本にきてもなお、複雑さの中に陥れられ、
分断の狭間にいることを、より強く感じさせる結果になってしまったのかもしれない。
でも、彼の顔はまさに、わたしのよく知っている
優しく明るいアラブ人の知り合いたちを思い起こさせる。
ヤーメンのコンサートがあった同じ週、
ピアノコンサートのチケットを譲っていただく機会に恵まれる。
昨年も来日の際に聴きに行き、強く印象に残っていた
イゴール・レヴィットのコンサート、
その日の演目は、ピアノソナタ17、8、9、10、14番だった。
このリサイタルについて、どのような言葉を尽くしても、
的を得た表現をすることは、できない気がする。
途方もない精神力と集中力の中、
どの音も、激しい意志と意味を持ち、奏でられる。
ただただ決して一音も聴き逃すまいと、わたしだけではなく
そこにいた聴衆すべてが、全身全霊で聴こうとする、
そんな緊迫した空気さえ、感じていた。
かすかな自分の呼吸の音さえも邪魔だと思っていたのは、
きっと私だけではないはずだ。
レヴィットは、人権活動家の顔も持つ。
ロシア系ユダヤ人で、両親の亡命について
子どもの頃ドイツに渡ってきた背景を持ち、
ドイツで反ユダヤ主義にかかる問題では、
意見を求められる立場にいる音楽家だ。
私はベートヴェンのピアノソナタ全曲
2年4回の公演で網羅するという企画の最後、4公演目にプログラムされた
ピアノソナタ30−32番があまりにも好きで、
ただただ聴きたい、という思いだけに取り憑かれていた。
つまり、ユダヤ人で人権活動家であること、がすっかり
意識の中から欠落していた。
だからなんなのだ。
最後に演奏されたアンコール曲が、
メンデルスゾーンの無言歌集のOp.3 No,3だった。
レヴィットはインスタに時々演奏をアップしている。
それが聴きたくて過去の投稿をみていた。
レヴィットは11月7日、無言歌集の同じ曲を
インスタにアップしていた。
ハマースに捕らえられた女性のため、
そして、人質となったすべての人たちのために、
そして、この事実を多くの人に知ってもらいたい、と。
わたしもまた、思いは同じだ。
人質など、命と引き換えに交渉をする行為が許されることはない。
同時に、どんな大義があったとしても、子どもや女性を含む一般市民が
でたらめに殺され、負傷することも許されることはない。
反ユダヤ主義に抗議し続ける人権活動家として
人質の苦しみ、帰りを待つ家族の苦しみに思いを寄せることは
当然のことだ。
けれども、同じユダヤ人であるイスラエル政府が
今、まさに空爆をし続けていることの背景にある
彼らが今までパレスチナ人に対して行ってきたあらゆる制約と
武力行使と人権侵害を、いかほどまで許容し、
もしくは、疑問を抱いているのだろうか。
ただ、殊今回の戦争の開始以降、ドイツは過剰なほどに
イスラエル側の行為にかかる疑問に、触れられなくなっている。
過去の反省を促し、徹底的に反ユダヤ思想を排除しようとした結果、
人権の軸が、ユダヤ側に寄りすぎる傾向があるように見受けられる。
もしも、彼がその他にも語りたいことがあったとして、
それを知ることはこの状況下、とても難しいだろう。
(レヴィットならば、今までの活動があるからこそ、
あらためて、訴えてきた人権の軸をあるべき場所へ戻そうとする視点を
提示してくれないだろうか、と
非常に理想主義的な、彼の足元を危うくさせる希望を
それでもわたしは、抱いてしまう。)
ベートヴェンソナタの多くには、楽曲そのものが
苦悩と格闘を孕んでいる。
レヴィットが演奏したソナタは、たとえ本来
美しく心地よい旋律として捉え、表現できるであろう楽章でも、
鉛のような重さを抱え、こちらに何かを問うているように響いた。
それが、レヴィット自身の苦悩なのであれば、と想像するのは
聴衆の身勝手なのかもしれない。
ただ幸いなことに、歌詞を持たないソナタは、
作られた背景についての情報は残っていても、楽曲の背景が必ずしも
聴き方を限定するものではない、と思っている。
(それでも、当分ショスタコーヴィッチの交響曲の多くは聴きたくない。
単純に、音楽の中に戦争を彷彿とさせる音が多すぎるからだ。)
レヴィットの苦悩が何を指すのか、
今彼がどのような意見を持っているのか、もしくは
ただただ人と人のなす行為を見つめているのか、分からない。
ただ、壮絶な労力を注ぎ、ベートヴェンを弾くその音に
わたしは、人のなす行為を見つめることしかできない
わたしの苦しみを重ねる。
おそらくは、立場も異なり、見えているものも異なるだろう。
けれども、同じ時代を生き、同じ事象を見つめるわたしたちの苦悩の
片鱗を共有している、そう、わたしは勝手に思い込んでいる。
だから、今聴きたい音楽はこれだ、と確信を持った、と。
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