2022/10/23

どこか遠巻きの視点、感情の深みに共鳴する音

 

話の展開の、短編らしい場面の切り取り方に、
狙いがうっすら透けて見えたから、
もし主題が違っていたならば、騙されないぞ、
と身構える作家だったかもしれない。

けれど、前評判の良かった「紙の動物園」、
公園のベンチで読み終わる前から、
マスクが濡れるほど泣いてしまった。

緑深い公園では、子どもたちが駆け回る。
絵に描いたような、穏やかな秋の日。
みっともないな、と思いつつ、空を見上げる。




ヤホンのバッテリーが切れる。
曲の途中で右のイヤホンが音を出さなくなって、
仕方なしに外すと、Kiroroの歌声が耳に入ってくる。

人懐っこそうな男の人が、目の前のあづま屋で開かれている
小さなパーティーに声をかけてくれた。
フィリピンのある街、名前を訊いても分からなかったのだけれど、
マニラから3時間ぐらいの南部に位置する、
クリスチャンの街の、聖ラファエロの何かを祝う
集まりだった。


遠目からでも、フィリピン料理が机の上に乗っているのが見えた。



ヨルダンにいる時、フィリピン人街のすぐ近くに住んでいた。
本当に彼らの存在がありがたかったのは、
アジア食材が近くで容易に手に入るから、だけではなかった。

外へ出ては、何かに身構えなくてはならないのは
自分の見た目が360度アジア人の女性だからで、
それは、10年以上住んで、生活にいい加減慣れてもなお、
時に、うまく制御できないようなストレスだった。
けれども、そんなストレスを、
フィリピンの人たちが集まる場所では感じずにすんだ。

週末時々、フィリピン料理屋さんへ行った。
日本人だと分かると、知り合いや親族で、
日本に行ったことがある人の話を、してくれる。
簡易なお皿と、米と舌に馴染みのある味が
ふんわりとお腹を満たしてくれる。

金曜日には、路上で食材やお菓子を売っていた。
黒縁メガネの小柄な、目尻が皺いっぱいのおばさんから、
いつも緑豆のパイを買っていた。
あのおばさんは元気だろうか。



周囲はスノッブそうな、休日でも身綺麗な大人と
身綺麗な子どもたちに溢れていて、
フィリピンの人たちはどこか、あづま屋の中でぽっかり浮いていた。
それでも構わず、声をかけてくれるのも、彼ららしい。

思わず、引き寄せられるようにあづま屋へ足を向ける。


大好きなアドボはなかったけれど、似たような味のお料理にありつけて、
ご飯と一緒に食べながら、近くにいる人たちと話をしていた。
フィリピン英語とタガログ語も懐かしかった。

ひとり、男の子がふわふわと遊んでいた。
お母さんと話をしてみたら、Autismのある子だった。
日本で生まれたから、特別支援学級に入ったこともあるけれど、
今は公立の特別支援学校に行っているらしい。

言葉がうまく出ないから、ずっとその子は唸っている。
話し方を教えてもらえる学校は、なかなかない。
日本の学校に行っているから、
日本語も英語もタガログ語も理解できるけれど、
言葉の練習には、3つもの言語は混乱の素のように見える。

言語は1つ減らしたほうがいいかもしれない、などと話をしていると、
なかなか日本では見ないような、
巨大なマフィンを食べたがって、子どもが持ってくる。
お母さんがマフィンを小さくちぎると、
小鳥のようにその子の口に入れる。
どこかへふわふわと遊びに行き、また戻ってくると、
時折せがむような唸り声を出し、
次のマフィンを口に入れてもらっていた。

その様子をしばらくぼんやりと見ていた。

話している間も、さっき読んだ本の余韻と
聴いていた音楽が身体の中で巣食っていて、ぼんやりしがちだった。
お腹がいっぱいになってしまったからかもしれない。

お皿が空になると、どんどん勧めてくるのはヨルダン人と同じだけれど、
本当にお腹がいっぱいだったし、どんどんとどこからともなく
フィリピンの同郷の人たちがやってくるので、
お礼を一人一人に言って、その場を離れた。

なんだか、初めて会う日本人よりもよほど、
話しやすくて居心地がよかったな、と思う。
この感覚は久しぶりで、心がどことなく温かくなる。

その国出身ではない人たちの集まりが
とてつもなく愛おしく思える。
自分の国の文化の何かしらを持ち寄って、
享受する様子は、どこにいても、ひどく大切な時間で、
国外に出る前から、そんな場所にいるのが好きだった。


けれど、その場にいてもなお、どこか遠巻きに見ていることが多い。
もしくは、その集まりを遠巻きに見つめて、
誘ってもらうのを、ただ待っている。
誘ってもらえなかったら、飽きるまでその様子を、見ていた。

誘ってもらえたら、どこかで場違いだろうと、頭の片隅で思いながら、
でも、嬉しくて顔が綻ぶ。
遠くで、近くで子どもたちを見守りながら、
子どもたちのことと、生活のことを、女性たちと話す。

結局のところ、どの土地にいてもやっていることは
あまり変わらないのだろう。
帰ってきても何にも変わっていない。
どこかで自分に失望しながら、また音楽に戻った。




最近ずっと、ブルックナーを聴いている。

「紙の動物園」を読んでいる間も、
ずっとブルックナーは流れ続けていた。
その時聴いていた音源には、熱が入りすぎて、
演奏家たちの心身の中のフォルテを呼び起こそうとする
指揮者の唸り声が、しっかり入っていた。

音楽を作り上げるのだと、
懸命に演奏家たちを鼓舞するその演奏は、
黄色味がかった秋の明るい日差しと、
嬉々として走り回る子どもたちと、
おしゃれな出立で泥を避けながら歩くカップルたちと、
白いイーゼルと向かい合う初老の老人と、
真っ白なウェディングドレスで写真スポットを探そうと
彷徨うカメラマンと新郎新婦、という休日の公園の情景には
あまり、似つかわしくなかった。


けれど、異郷の地で、母国語と自分自身を
誰にも理解してもらえない中、
子どもを授かり、母国語を正確に発音する息子の声に涙し、
息子の顔に亡くなった両親の面影を見つけ、
命を吹き込んだ折り紙の動物たちと戯れる息子を眺め、
次第に、社会生活をアメリカ人らしく生きるため、
英語を強要しはじめる息子の
心離れていくのを感じながらも、話しかけられもできぬまま、
病に冒されて亡くなる母親の人生と、
息子の果てしない後悔に、ひどくその音楽は、
親和性が高かった。

どちらかというと、重くならないようにごく断片だけを切り取り、
からりとした文章で、30ページほどしかない。
そして、書かれている話もまた、ある意味
ある人の人生の断片でしかなかった。

けれど、その言葉と言葉の余白の中に埋もれる感情を
音楽が一つ一つ、掬い上げてもう一度、
経験させようとしているようだった。



いい音楽というのは、人間の抱く感情の深みである限り、
それがどんな種類のものであったとしても、
しっかりと共鳴するものなのだな、とひどく納得する。

ただ、壮大で深遠で、
ひたすら自分を埋没させたいと思わせる音楽だ、とだけ
思っていた私は、よく理解していなかったようだ。





英語でラブと口にするときには、唇に
中国語で愛を口にするときには、心臓に、
その言葉の意味を感じる、と母親が息子に伝える場面がある。
とてもとても、よく分かる。



違う言語の国で、深海の底にいるような、
しんと寂しい思いをしていた時から、幾らか話せるようになった。
それでも、伝わることと伝わらないことがある。

休日の公園の断片的な情景を眺めているだけでは、
人見知りで遠くから眺めているスタンスのままでは、
人の深みに触れる機会に恵まれない。
だから母語の国に戻ってきて、せっかく同じ言語の土地にいるのに。


足りないものを補うために、やたらと本を読み、音楽を聴いている。

けれどまだ、そこにあるのに感じ取れきれていない事象や
気づかない真実が、たくさんあることに、
薄々気づいていたけれど、再度確認させられる。

もっともっと、本も音楽も、深く堪能したい欲に駆られる。
実地が足りない。



〜 追記 〜

次の短編も良かった。
難民申請をする人々には相応の理由があったとしても、
法的に認められるための言い訳が時に、矛盾を孕み
何が本当で何が嘘なのか、見極めが求められることがある。

枝の先から月の世界に入り、そこでは
事実ではなく、ある真実だけが本当になる。
そんな夢想のような世界を抱く依頼者と、
「高い理想の信念と方針で」
複雑な法的主張を作り上げるのは得意だけれど、
民事の実務にはまったく対応できない弁護士の話。

ケン・リュウはSF作家の括りなのだけど、
そんなことは忘れてしまうほど、扱っている内容に
身に迫った、切実な想像力と、人の感情がある。

SFではないけれど、SFよりもある意味奇怪な世界観を持つ
安部公房と一緒に買ったのだけれど、
安部公房を手にする前に、
新しいケン・リュウの短編を買ってしまいそうだ。





2022/10/11

金木犀の記憶と、手離しかけていた舫綱


李禹煥の展覧会へ行って、大学の時の
もの派の作品を作る教授のことから、
先月携帯に収めた、大学の頃の写真を思い出していた。

外へ出ると、金木犀の香りがどこからともなく、流れてくる。
実に、10年以上嗅ぐことのなかった香りだ。

この香りは必ず、大学の窯芸室を思いださせる。
薄ら寒くなったコンクリ敷の部屋の、僅かに開けた窓から
すうっと流れ込んでいた。

薄曇りで空気に湿度のある、秋らしい日和。





先月、亡くなった友人の遺影に挨拶をし、お墓参りに行った。
申し訳ない、2年以上うかがえなかった。

会ったらいくらでも話すことのある友人だったから、
お墓にたくさん話をしようと思っていた。
けれど、お宅へ伺い、遺影を見た時に、
頭の中にどんな言葉を思い浮かばなかった。
写真に収まる友人の、よく見慣れた顔を見るのが精一杯だった。
もう居ないのだ、という事実を腑に落ちて理解しようとし、
当たり前のはずの、でも理不尽な何かと、しばらく向き合っていた。


随分と天気の良い日だった。
彼女のお墓のあるところは、ベトナムのダラットの山の上や
ヨルダンのイラク・アル・アミール近くの墓地のように
日当たりが良くて、景色もいい、明るい場所だった。

遺影の飾られているお仏壇は、
桜の木でできていて、シンプルで美しかった。
友人が結婚する時、注文した棚と同じ職人に、
旦那さんが頼んで、作ってもらっていた。

そのお仏壇の傍には、小さな丸椅子があった。
そして、その椅子の上には、小さなブリキの箱があって、
見覚えのあるぬいぐるみがいくつか、入っていた。
懐かしい、と、いくつかのぬいぐるみの中の、
毛糸でできたペンギンを手に取る。
糸がしまっていて、適度な硬さのある小さなぬいぐるみを
私はもう、20年以上前に、握ったことがある。






友人が亡くなってから、ふと気がつくと、頭の片隅で
今思っていることや、感じていることを
亡くなった友人に話したら、どんな反応を示されるのか、
考えていたりしている。

私のうわつきや中途半端な調子の良さと甘さを、
よく知っている友人だから、
心の中をすっかり見透かしているのに、違いない。

同時に、感覚の中に携えていなくてはならない、
ある種の厳しさと柔らかさもまた、
よく分かっている人だから、
それらに私が気づいていれさえすれば、
話をよく、理解してくれるだろう。


いい感情にしろ、悪い感情にしろ、とかく情動的な私が
波に飲み込まれそうになった時、
欠かせないそれらの感覚という舫綱を離さないように、と
意識させてくれていた。



日本に戻ってきて、読みたい本は手に入り、
行きたい展覧会に足を運べて、
ほんの時折だけ、だけれど、真にいい音楽を聴く機会を
持てるようになった。

そして、感度高く、それらを享受しようとする時、
その背後にある、良さの真髄は何なのか、
分からないなりに、考えるようになった。

良さには、個々人の好き嫌いが多分に反映されはするけれど、
一貫して私が良い、と思うものには、
突き放すこともない愛情のようなものを含む
厳しさがある。

この類の厳しさを表現するのには
聡明さと冷静さが必要であることに、うっすらと気づいてはいた。

なるほど、もしかしたら、何かを作れるかもしれないけれど、
自分の納得いくものが作れないだろう、と思うのには
聡明さと冷静さがない、という理由があることを自覚する。



友人が編集してくれたアルバムを、
お墓参りの後、久々に通して聴いていた。
Edward Sharp and Magnetic ZerosのUp from Belowのアルバムを最後まで、
そしてエンリコ・カルーソーのSei Morta Nella Vita MIA、
シューベルトの弦楽四重奏Op.163第2楽章、
最後は、アン・サリーの「椰子の実」。

(NPRのTiny Desk Concertの
ボーカルの女の人が、以前アンマンの向かいの部屋に住んでいた
レバノン人の女の子に雰囲気がそっくり。)













この並びを、確信をもって選んだ友人は、
本当にセンスがいい。
友人の好きだったものものを思い出しながら、
見事な並びだな、とあらためて感心していた。

Edward Sharp and Magnetic Zerosは、一見ゆるそうなのだけど、
彼らの描く世界観を音にしようとする真剣さ、のようなものが好きだ。
そして、ゆるさと真剣さのバランスが、まさに、
友人の大切にしていたものだったのかもしれない、と
すっと合致する瞬間があった。
厳しさと柔らかさの組み合わせ、と同質のものかもしれない。

世界観を描こうとする、という行為自体は、きっと
表現する過程で必ず通る作業なのだろうけれど、
その場面で生じる真剣さや必死さを、全面に出さないこともまた、
才能の大事な資質の一つである、ということに気づかせてくれる。

個人的には、どこまでも真剣さが全面に出ているものも、好きなのだけれど。

テノール歌手のエンリコ・カルーソーが朗々と歌い、
静謐さと和音の美しさが際立つシューベルト、
そして、温かさと芯の強さが旋律と相まった、
いつまでも聴いていたい、椰子の実。




ものを作る人たちの中には、
厳しさばかりが全面にあって、この作者はひどく偏屈なのかな、と
思わせる人もいる。
けれど、会ってみたらすごく柔和な人柄で、
作品と人、がセットでバランスが取れていたりする。

人柄も作品もすべてにおいて、
ウィットに富んで柔らかく、愛情に満ちた厳しさもまた、
溢れ出ている人がいる。

後者の方が、なんだかすごい、と思うのだけれど、
そんな人に会うのは、少なくともものを作る人において、
かなり稀だ。

なんか、苦しくて厳しいものの方がいい、というような
どこか歪んだ価値観を持ってしまっていたのかな、と思う。
そちらの方が、苦しいなりに容易だし、
周囲にそういう人が、多かったからかもしれない。
もしくは、彫刻を作る人は、先の例で言ったら、
前者に当たる人が圧倒的に多い。

そして、自分の今の仕事においても、
扱っているものが人の生き死にや、
生活に関わるようなことを含みシビアなだけに、
(そして不謹慎と言われがちだから)
いくらも柔らかさなど持てなくて、
それが当たり前だとも、しょうがない、とも思ってきた。


けれども、人の生き死にに関わることは、
文字通り、生きること、も含まれる。
ずっと苦しくて厳しいのが、良いのでも楽しいのでもない。
苦しく、そこに耐える厳しさを携えてもなお、
生きていくのには、おそらく
喜びを見出す感度を高くするしかなくて、
それは、厳しさによって、
自ら握り潰してしまう必要も、本来、なかったはずだった。



たくさん読む本や、たくさん聴く音楽の喜びを
仕事や表現に、どうやって落としていったらいいのだろう。
たぶん、答えなどないし、実践して失敗を重ねていくしかない。
フィールドが足りないな、と、今更だけれど、思う。



昔チェロが手元にあった頃、音楽を聴いている時、
それから、音で身体が震える時の、あの
身体に直接染み渡る高揚感と、形のない美しさを
立体造形に落とし込めないかと思い、作り続けていた。
目に見えないものから伝わる感覚と、
目に見えるものから感じ取るものを、
共鳴させる方法について。

そもそも、彫刻という物体を使って表現しようとする
その試み自体が、なかなか滑稽に見えるのかもしれないけれど、
それでも、私なりに真剣だった。


日本に帰ってきて久々に、ただひたすら美しく、
身体震える音楽を享受する機会を得た。
ずっと欲していたけれど、一度として私の住んでいた海外では
経験できなかったその感覚に浸り、
何度も何度も、音楽を浴びていた時のことを思い出していた。
そして、昔の私の真剣さには、
ただひたすら窮屈な厳しさしかなかった、と気づく。

厳しさを携えてもなお、
伸びやかで柔らかな表現の良さを、
心底は理解できていなかった。



私の友人がおそらく、常に意識し、形にしようとしていた、
もしくは、生活の中に染み渡らせようとしていたそれらには、
きっと、あのペンギンのぬいぐるみのような、
小さく柔らかく、愛おしいものもまた、含まれていた。

物理的なぬいぐるみは、あまり好きではないけれど、
毛糸のペンギンと、身体に染みる共振を持ち、
愛情の滲む厳しさと柔らかさを帯びた表現が
どうやったらできるのだろうか、と思い、苦笑する。

要素が多すぎる。
ひどく混沌とした人の、生き様のようだ。
私もまた、生き様だけは混沌としているけれど、
伸びやかさと愛情深い厳しさ、どちらの綱も手放してしまって、
ただひたすら、高い波に翻弄されているように見える。





先日、久々に会った大学の先輩が別れ際、
とにかく元気で、ちゃんと会えてよかった、と
なんの脈絡もなく、言う。
私は反射的に、友人のことを思い出し、
私に持てる時間を有効に使っているのか、
先輩が帰った後、一人じっと自問する。

足りない伸びやかさと厳しさを、埋めるだけたくさんの
喜びや愛情を見つけられていたら、
何も作れなくても、せめて、今享受できるものものを
限りなく精一杯、享受できたら、きっと、
友人に話すことが、次にはたっぷりできるだろう。

友人が、半ば呆れつつも私の話を、
嬉しそうに聞いてくれたら、とそこはかとなく、願う。