話の展開の、短編らしい場面の切り取り方に、
狙いがうっすら透けて見えたから、
もし主題が違っていたならば、騙されないぞ、
と身構える作家だったかもしれない。
けれど、前評判の良かった「紙の動物園」、
公園のベンチで読み終わる前から、
マスクが濡れるほど泣いてしまった。
緑深い公園では、子どもたちが駆け回る。
絵に描いたような、穏やかな秋の日。
みっともないな、と思いつつ、空を見上げる。
イヤホンのバッテリーが切れる。
曲の途中で右のイヤホンが音を出さなくなって、
仕方なしに外すと、Kiroroの歌声が耳に入ってくる。
人懐っこそうな男の人が、目の前のあづま屋で開かれている
小さなパーティーに声をかけてくれた。
フィリピンのある街、名前を訊いても分からなかったのだけれど、
マニラから3時間ぐらいの南部に位置する、
クリスチャンの街の、聖ラファエロの何かを祝う
集まりだった。
遠目からでも、フィリピン料理が机の上に乗っているのが見えた。
ヨルダンにいる時、フィリピン人街のすぐ近くに住んでいた。
本当に彼らの存在がありがたかったのは、
アジア食材が近くで容易に手に入るから、だけではなかった。
外へ出ては、何かに身構えなくてはならないのは
自分の見た目が360度アジア人の女性だからで、
それは、10年以上住んで、生活にいい加減慣れてもなお、
時に、うまく制御できないようなストレスだった。
けれども、そんなストレスを、
フィリピンの人たちが集まる場所では感じずにすんだ。
週末時々、フィリピン料理屋さんへ行った。
日本人だと分かると、知り合いや親族で、
日本に行ったことがある人の話を、してくれる。
簡易なお皿と、米と舌に馴染みのある味が
ふんわりとお腹を満たしてくれる。
金曜日には、路上で食材やお菓子を売っていた。
黒縁メガネの小柄な、目尻が皺いっぱいのおばさんから、
いつも緑豆のパイを買っていた。
あのおばさんは元気だろうか。
周囲はスノッブそうな、休日でも身綺麗な大人と
身綺麗な子どもたちに溢れていて、
フィリピンの人たちはどこか、あづま屋の中でぽっかり浮いていた。
それでも構わず、声をかけてくれるのも、彼ららしい。
思わず、引き寄せられるようにあづま屋へ足を向ける。
大好きなアドボはなかったけれど、似たような味のお料理にありつけて、
ご飯と一緒に食べながら、近くにいる人たちと話をしていた。
フィリピン英語とタガログ語も懐かしかった。
ひとり、男の子がふわふわと遊んでいた。
お母さんと話をしてみたら、Autismのある子だった。
日本で生まれたから、特別支援学級に入ったこともあるけれど、
今は公立の特別支援学校に行っているらしい。
言葉がうまく出ないから、ずっとその子は唸っている。
話し方を教えてもらえる学校は、なかなかない。
日本の学校に行っているから、
日本語も英語もタガログ語も理解できるけれど、
言葉の練習には、3つもの言語は混乱の素のように見える。
言語は1つ減らしたほうがいいかもしれない、などと話をしていると、
なかなか日本では見ないような、
巨大なマフィンを食べたがって、子どもが持ってくる。
お母さんがマフィンを小さくちぎると、
小鳥のようにその子の口に入れる。
どこかへふわふわと遊びに行き、また戻ってくると、
時折せがむような唸り声を出し、
次のマフィンを口に入れてもらっていた。
その様子をしばらくぼんやりと見ていた。
話している間も、さっき読んだ本の余韻と
聴いていた音楽が身体の中で巣食っていて、ぼんやりしがちだった。
お腹がいっぱいになってしまったからかもしれない。
お皿が空になると、どんどん勧めてくるのはヨルダン人と同じだけれど、
本当にお腹がいっぱいだったし、どんどんとどこからともなく
フィリピンの同郷の人たちがやってくるので、
お礼を一人一人に言って、その場を離れた。
なんだか、初めて会う日本人よりもよほど、
話しやすくて居心地がよかったな、と思う。
この感覚は久しぶりで、心がどことなく温かくなる。
その国出身ではない人たちの集まりが
とてつもなく愛おしく思える。
自分の国の文化の何かしらを持ち寄って、
享受する様子は、どこにいても、ひどく大切な時間で、
国外に出る前から、そんな場所にいるのが好きだった。
けれど、その場にいてもなお、どこか遠巻きに見ていることが多い。
もしくは、その集まりを遠巻きに見つめて、
誘ってもらうのを、ただ待っている。
誘ってもらえなかったら、飽きるまでその様子を、見ていた。
誘ってもらえたら、どこかで場違いだろうと、頭の片隅で思いながら、
でも、嬉しくて顔が綻ぶ。
遠くで、近くで子どもたちを見守りながら、
子どもたちのことと、生活のことを、女性たちと話す。
結局のところ、どの土地にいてもやっていることは
あまり変わらないのだろう。
帰ってきても何にも変わっていない。
どこかで自分に失望しながら、また音楽に戻った。
最近ずっと、ブルックナーを聴いている。
「紙の動物園」を読んでいる間も、
ずっとブルックナーは流れ続けていた。
その時聴いていた音源には、熱が入りすぎて、
演奏家たちの心身の中のフォルテを呼び起こそうとする
指揮者の唸り声が、しっかり入っていた。
音楽を作り上げるのだと、
懸命に演奏家たちを鼓舞するその演奏は、
黄色味がかった秋の明るい日差しと、
嬉々として走り回る子どもたちと、
おしゃれな出立で泥を避けながら歩くカップルたちと、
白いイーゼルと向かい合う初老の老人と、
真っ白なウェディングドレスで写真スポットを探そうと
彷徨うカメラマンと新郎新婦、という休日の公園の情景には
あまり、似つかわしくなかった。
けれど、異郷の地で、母国語と自分自身を
誰にも理解してもらえない中、
子どもを授かり、母国語を正確に発音する息子の声に涙し、
息子の顔に亡くなった両親の面影を見つけ、
命を吹き込んだ折り紙の動物たちと戯れる息子を眺め、
次第に、社会生活をアメリカ人らしく生きるため、
英語を強要しはじめる息子の
心離れていくのを感じながらも、話しかけられもできぬまま、
病に冒されて亡くなる母親の人生と、
息子の果てしない後悔に、ひどくその音楽は、
親和性が高かった。
どちらかというと、重くならないようにごく断片だけを切り取り、
からりとした文章で、30ページほどしかない。
そして、書かれている話もまた、ある意味
ある人の人生の断片でしかなかった。
けれど、その言葉と言葉の余白の中に埋もれる感情を
音楽が一つ一つ、掬い上げてもう一度、
経験させようとしているようだった。
いい音楽というのは、人間の抱く感情の深みである限り、
それがどんな種類のものであったとしても、
しっかりと共鳴するものなのだな、とひどく納得する。
ただ、壮大で深遠で、
ひたすら自分を埋没させたいと思わせる音楽だ、とだけ
思っていた私は、よく理解していなかったようだ。
英語でラブと口にするときには、唇に
中国語で愛を口にするときには、心臓に、
その言葉の意味を感じる、と母親が息子に伝える場面がある。
とてもとても、よく分かる。
違う言語の国で、深海の底にいるような、
しんと寂しい思いをしていた時から、幾らか話せるようになった。
それでも、伝わることと伝わらないことがある。
休日の公園の断片的な情景を眺めているだけでは、
人見知りで遠くから眺めているスタンスのままでは、
人の深みに触れる機会に恵まれない。
だから母語の国に戻ってきて、せっかく同じ言語の土地にいるのに。
足りないものを補うために、やたらと本を読み、音楽を聴いている。
けれどまだ、そこにあるのに感じ取れきれていない事象や
気づかない真実が、たくさんあることに、
薄々気づいていたけれど、再度確認させられる。
もっともっと、本も音楽も、深く堪能したい欲に駆られる。
実地が足りない。
〜 追記 〜
次の短編も良かった。
難民申請をする人々には相応の理由があったとしても、
法的に認められるための言い訳が時に、矛盾を孕み
何が本当で何が嘘なのか、見極めが求められることがある。
枝の先から月の世界に入り、そこでは
事実ではなく、ある真実だけが本当になる。
そんな夢想のような世界を抱く依頼者と、
「高い理想の信念と方針で」
複雑な法的主張を作り上げるのは得意だけれど、
民事の実務にはまったく対応できない弁護士の話。
ケン・リュウはSF作家の括りなのだけど、
そんなことは忘れてしまうほど、扱っている内容に
身に迫った、切実な想像力と、人の感情がある。
SFではないけれど、SFよりもある意味奇怪な世界観を持つ
安部公房と一緒に買ったのだけれど、
安部公房を手にする前に、
新しいケン・リュウの短編を買ってしまいそうだ。